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前編

序章 前編


 ピピピ……ピピピ……


 遠くから騒音が聞こえてくる、恐らく目覚ましの音だろう。

 左手を伸ばすとプラスチックの感触を感じる。

 後ろに付いたスイッチを切り替えるとようやく静かにしてくれた。

 鉛のように重い体を捻って時計へ振り向くと朝の6時30分、朝食を用意する時間か。

 ただ、キッチンの電気がついてる。昨日消したはずなんだけどな。

 しぶしぶ布団から体を起こすと見慣れた美少女が目玉焼きを作っていた。

 

「お兄ちゃん、おはよ〜」


「おはよう、美夏」


 この少女は黒金美夏、俺の1歳年下で自慢の妹だ。今年で中学2年生になるがお兄ちゃんっ子なことに変わりはない。

 いつもなら俺が朝食を用意してから起こすのが日課なんだ。

 でも、今日は何故か先に起きている。何かあったのか?


「今日は起きるの早いじゃん、何かあったん?」


「べべべ別に何もないよ!?今日は偶々早く起きたから朝ご飯の用意をしてるだけだし!」


 うん、絶対何か隠してるな。なんか慌ててるし耳が赤い。

 でも嬉しそうな様子を見るに心配事ではなさそうだ。なら黙ってても問題ないだろう。


「そっか、用意ありがとな。手伝えることってあるか?」


「大丈夫だよ、お兄ちゃんは先に座ってて」


「分かったよ、火傷には気をつけなよ」


「は〜い」


 妹が朝食を用意してくれている。その事実が嬉しい反面寂しくもある。

 昔からお兄ちゃん、お兄ちゃんってべったりだしな。

 いつもバイ……厨房の手伝いが終わって帰ると夕食を作って待ってくれてるんだ。

 宿題とかあるから俺のことなんか気にしなくていいのに……

 でも、あいつなりに心配してくれてんのかな。ほんと、俺には勿体無い妹だよ。

 

「は〜い、お待たせ、それじゃ食べよ?」


 そんなことを考えてると皿に載せられたエッグトーストが運ばれてきた。

 

「そうだな」


「いただきまーす」

「頂きます」


 2人同時に食前の挨拶を済ませると焼き立ての生地を頬張る。

 いつもと変わらない朝食だが今日は何故か美味しく感じる。

 多分美夏が作ったから美味しいんだと思う。自分事ながらあまりの兄馬鹿さに呆れる。


「ごちそうさまでした〜」

「ごちそうさまでした」


 2人揃って食事を終えた。今度は俺が皿を洗わないとだな。

 

「私が洗っちゃうから、お兄ちゃんは先用意してて」


 ……いや、ほんとにどうしたんだ?

 今日はなにかあったか?


「別に気ぃ使わなくていいって、俺がやるから」


「大丈夫だって、お兄ちゃんこそ私に気使わないでよ」


 美夏の意思は固そうだ、ここで言い合っても仕方ない。


「……そうか、じゃあよろしくな美夏」


「うん、私に任せて!」


 そう言った彼女の表情は、自信に満ちていた。

 皿洗いを任せると2人分の布団を畳み、歯を磨き、鞄を用意する。

 最後は着慣れた制服に着替えるだけだ。だが、気は進まない。学校に行ったところで何が楽しいだろうか。

 遊ぶ友人もいなければ今の家庭事情を話せる先生すらいない。むしろ、事情を話して中学生が黙ってバイトをしてることがバレたら大事だ。

 兄妹揃って退学ということすらあり得るだろう。

 なら、気晴らしに彼女でもつくって青春を謳歌するか?

 残念ながらそんな気はない。中3ということもあってどこもかしこもその手の話ばかりだ。

 「あれ」の話も入ってくるがそれのどこがいいんだ?

 偶に家に帰ってくるあの女も、名前すら知らない男を引き連れては「あれ」をする。

 正直、思い出すだけで吐き気がする。美夏にだけはあの姿を見せてはいけない。

 俺の人生はどうだっていい、あの子だけは普通の人生を歩んで欲しいんだ。


「お兄ちゃん?」


 美夏の声が聞こえてきた。

 どうやら思考の彼方に飛んでいたらしい。


「あ……ああ、どうしたんだ美夏?」


「用意終わったから一緒に学校行こ」


 姿を見ると制服に着替え終わっており、肩まで伸びた黒髪はポニーテールに纏めてある。準備万端って事だ。


「そうだな、行くか」


 登校の決意を固めると、どうしようもない想像を振り払い、戸締りを確認し家を出た。


 -----------


 学校までは歩いて20分ほど掛かる。

 時間潰しに周囲を見渡すと街路樹が青々しい葉を実らせていた。

 生き生きとした葉と対照的に空は1面の曇天。

 隣の彼女を見ると艶のある黒髪を古ぼけたシュシュが纏めていて垢抜けない印象だ。


「美夏、そのシュシュまだ使ってたのか。いい加減買い替えたらどうだ?」


「え、なんで?私のお気に入りだし」


「他の同級生達はおしゃれに気ぃ使い始めてるだろ、美夏は素がいいんだから身だしなみに気をつけないと勿体無いだろ」


 確かそのシュシュを買ったのが美夏が9歳の時だったか?そんな物を今も使ってるなんて学校の奴らが笑ってる。

 せめて身だしなみさえ整えれば、それを接点に誰かと他愛も無い会話だって出来るだろう。そこから関係が発展すれば人間関係が構築されて少しでも学校生活が楽しくなるはずだ。


「やだよ、だってお兄ちゃんが買ってくれた物なんだよ?どうするかは私の自由でしょ」


「……あのなあ美夏、少しは周りに合わせ――」


「……ねえ、またあの2人くっついてんだけど……」


「兄妹でしょ?ほんとキモくない?」


 不快な話し声が聞こえてくる、俺達のことを言っているんだろう。

 確か美夏の同級生だったか?耳に掛かる程のショートと肩上ボブが印象的な2人。

 外見を良くしても内面の醜さが滲み出てるな。豚に真珠とはよく言う。


「美夏、少し急ごうか」


 奴らの声を聞かせないよう早歩きで学校へ向かう。

 彼女の表情は曇っていた。こんな奴らに絡まれれば当然だ。

 道中、同じ制服の生徒等がこっちを見てくる気がする。

 だが、愛想を振り撒く暇は無い。1秒でも早くこの地獄を終わらせたい。

 前回までの授業内容を思い出しつつ、美夏の顔色を伺い、歩幅を合わせる。

 ふと顔を上げると灰色の校舎が目に入った。

 相変わらず周囲の目線が痛い。

 決死の思いで昇降口にゴールインすると古びた上履きへと履き替える。

 ここから2年生の教室は2階、3年生の教室は3階だ。


「美夏、今日も何か辛いことがあったら図書室に来てくれよ。兄ちゃんはそこにいるから」


 校則上、他クラスへの立ち入りは禁止されている。

 まあ、そんな事はお構い無く他クラスの奴等が入ってくるがあそこなら立ち寄る事も無い。

 この学校唯一のオアシスだ。

 

「分かったよー、あと、今日は早く帰ってきてよね。今日は大事な日なんだから」


 ……?何の事だ?

 大事な日……朝の件とも関係あるのだろうか。

 美夏の後ろ姿を見送ると、棒の様な足へ鞭を打ち目的地の教室へ歩き出した。

 長い階段を登り切って右を振り向く。3年1組の文字が見える、俺のクラスだ。

 取っ手に手を掛け左にスライドした。

 ガラガラガラ……

 聞き慣れたタイヤの音が響くと飛び込んで来たのは朝の挨拶だ。

 それは「おはよう」なんて温かいものでは無く冷たい視線の数々。

 それらと目を合わせないよう窓際の左端の席へ座る。

 ……確かにいじめを止める為とはいえやり過ぎた所はある。

 元々俺は注意をするだけで実際に止められる程の強さは無かった。割り込んだ所で瞼を腫らすのがオチだ。

 だが、いつもお世話になってる定食屋「明け星亭」の亭主さんが喧嘩のやり方を教えてくれた。

 それから俺達の立場は少し変わった。報復を恐れてか嫌がらせの頻度は減ったものの今みたいな態度を向けてくるようになったんだ。

 俺達が何をした?

 家庭の事情で「普通の暮らし」が出来ないだけだろ。

 それがまるでいじめられるのは当然みたいな雰囲気を出しやがって……

 逃げたくたってじいちゃんとばあちゃんは死んでるから頼れないし、亭主の近藤さんにもこれ以上迷惑は掛けたくない。

 将来の夢だって無い。そんな物見る余裕が無いからだ。

 高校になんて行ける訳が無い。金銭面の余裕が無いからだ。

 美夏だけでも高校生活は普通に暮らさせてやりたいが、その為には学費が掛かるしスマホも無いと今と同じで浮いた存在になるだろう。


 はぁ……なんでいつもこうなんだろうな。

 無い物ばかりだ。せめて「異世界」があればいいのに……


 ガラガラガラ……

「おはようございます」

 

「おはようございまーす!!」


 担任が入ってきた。朝礼の時間か。

 奴らが自分の席に着いていってる。

 俺としては授業中の方が奴らが座っててくれるし助かる。

 

 もちろん異世界なんて馬鹿な事を言ってるのは分かってる。

 現実世界から逃げ出していっその事2人で異世界転生や異世界転移してのんびり暮らせればそれで幸せなんだ。

 チート能力があれば魔物を狩って素材を集めて売る事で資金が稼げる。

 火を起こすのだって、水を使うのだって魔法があれば何だって出来る。生活面は問題ないだろう。

 同年代の住民がいるなら友人関係も広げられる。

 獣人、エルフ、ドワーフ。あいつだったら興味津々だろうな。耳や尻尾、角を触らせてくれって。

 それに、世界が見たいって言うんだったら旅をするのもありだ。

 後は国ごとの料理を食べさせてあげたいな。こっちの世界と料理は違うんだろうか。それとも意外と似てたりしてな。

 美夏の為なら俺が色々作ってやれる。こんな給食のメニュー位ならギリ作れるぐらいか?

 ……気がつくと給食が終わる頃合いだった。

 また、余計な事を考えていたようだ。

 まあ、話す友人なんてここには居ないんだから別に構わないが。

 給食が終わり昼休みになるといつも行く所がある。

 3階の東校舎にある図書室だ。

 移動しようとするだけで視線がこちらを向く気がするが無視する。

 駆け足気味で教室を出て目的地に辿り着くと引き戸を開ける。

 図書室内の空気が漏れ出し、静寂の匂いが鼻腔を刺激する。嗅ぎ慣れた匂いだが何の匂いなんだろうか?


「いらっしゃ〜い」


 鼻炎気味の声が出迎えてきた。

 彼女は奥野さな、3年2組の生徒で唯一話せる友人だ。


「『万転』の新刊来てるよー」


「え、マジで?教えてくれてありがとな」


「どういたしましてー」


 心待ちにしていた「100万回願ったら異世界転生出来た件」の新刊がようやく来たのである。

 確か新刊コーナーにあるはず――


「失礼します、黒金春也君はいますか」


 担任が図書室を訪ねて来た。しかも、俺の名前を呼んでいる。


「はい、何でしょうか?」


「ちょっと」


 手招きをしながら急かしてくる。その様子は何処か落ち着きが無いように見える。

 明らかにおかしい。まさか……

 嫌な予感を持ちつつ担任の後を着いていく。



 

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