守りたいもの-5
◇◇◇◇
「二人とも、今日はありがとうございました」
軽くお礼を言って、わたしたちは馬車に乗り込む。そして、二人に見送られながら、馬車はゆっくりと動き出した。
短い滞在時間にも関わらず、とにかく、今日は色々とありすぎた。一気に疲れが押し寄せてきて、わたしは思わず「ふぅ」とため息をつく。
まず、わたしを襲った犯人が死んだことも驚きだったが、マルガレーテさんに自分の秘密を話すことになるとは思わなかった。
(でも、あの場では正直に言うしかなかったから……これでよかったよね)
それに、問題はここからだ。
わたしにはどうしても確かめないといけないことがある。そのためには、あの恐ろしい悪魔ともう一度話をしなければならない。
(マルガレーテさんの言うことが本当だったら、わたしが殺される心配はないけど……)
そんなことを考えながら、窓の外をぼんやりと眺めていれば、ギシっと椅子が軋む音が聞こえてきた。
(………なに?)
音の方へと視線を向けると、真向かいに座っていたはずのレインが、ゆっくりと立ち上がっていた。
「ど、どうしたの?」
動揺を隠さずにそう尋ねると、彼は無言でわたしの隣に座った。急に近づいた距離に、思わずドキリと胸が高鳴る。
「レイン?」
名前を呼んでも、彼はただじっとわたしを見つめている。いつもと違う様子に戸惑っていると、彼は視線をそっと動かし、ようやく口を開いた。
「アナスタシアさ、戻ってきてから元気ないよね」
「……え?」
「庭園で、何かあったの?」
その言葉に、今度はわたしが黙る番だ。
彼の言うとおり、マルガレーテさんとの話が終わった後から、ずっと気分は沈んでいた。
それでも、必死に平然を装っていた。それなのに、どうしてレインには分かってしまうのだろう。
そのことを嬉しく思いながらも、わたしの心は複雑な気持ちでいっぱいだった。だって、レインには言えないから。
「別になんでもないの。ただ、ちょっと疲れただけ」
そう言って、誤魔化して笑って見せても、彼の視線は痛いぐらいに刺さる。
それに気がつかないフリをして、「そういえば」なんて話を変えようとすれば、彼の手がそっとわたしの手に重なった。
「アナスタシア」
名前を呼ばれて、思わず息を呑む。
「君が何を隠してるのか、何に怯えているのかは知らないけど、言いたくないなら無理には聞かない」
「……え?」
「だけど、これから先、どんなことがあっても、俺は君のそばにいる。……それだけは覚えておいて」
そう言うと、彼はふっと微笑んだ。その優しい笑みと言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。
ゲームの中のレインは、アナスタシアに忠実で、彼女に命じられれば、どんなことでもする。隷属の契約による縛りによって。
だから、表向きは従順でも、心の中では憎しみを抱えていた。そして、心優しいエミリアと出会うことによって、アナスタシアを裏切り、彼女の元から去ってしまう。
だけど、今のレインにはそんな素振りはない。いつだって、わたしを優しく守ってくれて、心を砕いてくれているように感じる。
そのことを嬉しく思う反面、胸の奥では、ずっと苦しさが消えなかった。
どれだけわたしがラスボス悪女になりたくないと思っていても、わたしの中には恐ろしい存在がいて、いつまで正気でいられるのか、自分でも分からない。
だから、彼の幸せを考えるなら、わたしは彼から離れるべきだと、ずっとそう思っていた。
……なんて、そんなのは建前で。
本当は、ただ、わたしがレインに裏切られるのが、怖くて耐えられないだけ。
物語のように、いつか、彼が自分の意志でわたしの元を去ってしまう日が来るのなら──その時を待つくらいなら、その前に、自分から終わらせてしまった方が楽だと、逃げていたんだ。
「……わたし、嘘をついてた」
そう切り出した声は、思っていたよりも震えていた。重なった手に、ぐっと力が入る。
「あなたの幸せのためとか、そんなふうにきれいな言葉を並べてたけど」
言葉が喉に詰まる。それでも何とか続きを口にする。
「だけど、本当は全てを知られて──レインに嫌われるのが、あなたがわたしの元から去ってしまうのが、怖かっただけ。……だから、ずっと何も言えなかった」
これが──弱くて、臆病なわたしの本音だった。
わたしの言葉が途切れると、馬車の中がしんと静まり返った。勢いで話してしまったが、この後のことを何も考えていなかった。
「何か言ってほしい、です……」
耐えきれずにそう言うと、彼は困ったように少し眉を下げた。
「ごめん。俺のこと、そんなに好きだなんて信じられなくて……言葉が出なかった」
信じられない、なんて言っているが、その表情は心底嬉しそうだ。口角が上がるのを隠せていない。
「俺に嫌われるのが怖くて、泣いちゃうぐらいなんだ?」
「なっ……!」
確かに嫌われるのは怖いとは言ったけど、泣いたなんて、一言も言ってない。勝手に付け加えないでほしい。
慌てて否定しようとした、その瞬間──馬車が急に激しく揺れる。思わずバランスを崩し、そのまま目の前のレインの胸に倒れ込んでしまった。




