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ラスボス悪女に転生した私が自分を裏切る予定の従者を幸せにするまで  作者: 菱田もな
第三章

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星夜祭-7



 気づいた時には、彼の胸に飛び込んでいた。


「うゔっ……レイン〜〜〜!」

「ごめん、遅くなった」

「ぐすっ……来てくれないかと、思ったぁ……!」


 レインの胸に顔を埋めて子供のように泣いていれば、彼は優しく背中をさすってくれる。その暖かさに、余計に涙が止まらなかった。

 

「すっごく怖かったんだからぁ〜〜っ!!」

「ごめん、本当にごめん。……無事でよかった」


 そう、本当に怖かった。訳も分からない男に殺されかけたことも、危うく悪魔を呼びかけたことも。

 だけど、何より一番怖かったのは──レインが助けにきてくれないってことだった。


 だから、いま、わたしはとても嬉しい。

 

「怪我は? 痛いところはある?」


 わずかに身体を離したレインが、わたしに問いかける。さっきまでは、男の変な術のせいで身体に力が入らなかったけど、今はもうなんともない。


 なので、「大丈夫よ」と首を横に振ったが、わたしの頬に触れたレインが、ぴたりと動きを止めた。


「……ここ、赤くなってる」

「えっ? あー……さっき殴られたから、かも」


 そういえば、抵抗した時に殴られたんだった。すっかり忘れていた。だから「ひどいよね! レディの顔を殴るなんて!」などと、呑気に笑ってしまったのだけど。


「は? 殴られた?」


 レインの声色が、明らかに変わった。低く、冷たい。さっきまでの優しい手つきが止まり、指先にわずかに力がこもる。


「…レ……レイン?」


 恐る恐る彼の名前を呼べば、それに気づいた彼が安心させるかのように、にっこりと笑った。しかし、その目は全く笑っていない。


 もしかして、めちゃくちゃ怒ってる……?


 やがて、ゆっくりと立ち上がったレインは伸びている男の元へと向かうと、男に向かって手をかざした。そして、地を這うような低い声でつぶやく。


「起きろ」


 次の瞬間、男の断末魔のような叫び声がその場に響き渡った。何をしたのかは、わからない。だが、男は大量の血を吐いて、もだえ苦しんでいる。


「アナスタシアに何したわけ? ほら、寝てないでさっさと喋れよ」

「ぐああああああっ!」


 まずい。止めないと。慌てて、レインの腕にしがみつく。


「離して、アナスタシア。まずはこいつを始末しないと」

「始末っ……?! 待って待って待って、わたしは大丈夫だから!」


 流石に始末するのはよくない。必死になって止めるが、レインは首を傾げるだけ。


「なんで止めるの?」

「何でって……殺したら困るからよ!」

「……ああ、そっか。今ここでコイツを殺したら、なんでアナスタシアを傷つけたのか……その理由が分からなくなるか。確かにそれは困るね」

「いや、そういうことじゃなくて……!」


 確かにそれもあるけど、そうじゃない。噛み合わない会話をしていると、突如現れた半透明の障壁に隔離されてしまった。


「えっ?! な、なにこれ?」

「危ないからそこにいて」

「ちょ、ちょっと待って……レインってば!」

「安心して。全部話すまでは殺さない」


 ……いや、安心できるか。しかし、それ以上何も言っても無駄だった。レインは止まらない。

 

 いっそ、悪魔を呼んだ方が穏便に済んだかもしれない。いまだに止まない男の断末魔を聞きながら、わたしがそんなことを考えていたときだった。


「──おや。もしかして、遅かったかな?」

「マルガレーテさん!」


 ふわりと姿を現した彼女は、いつも通り、余裕たっぷりな笑みを浮かべていた。


「ど、どうしてここに……?」

「エミリアちゃんから話を聞いてね。ソウル魔法を使って、急いでやってきたわけだが……」


 ちらりとレインの方へ視線を向けたマルガレーテさんは、「ははは、盛り上がってるねぇ」と笑った。いや、笑い事じゃない。


「彼が例のリボンをくれた嫉妬深い子かな?」

「えっ、ああ……そうです」


 嫉妬深いかは置いておいて、わたしは頷いた。すると、マルガレーテさんは何かを確認するようにレインを見つめる。


「へぇ。なるほど。確かに魔力量は問題ないな」

「はあ……?」

「おお、なかなか面白い魔法を使うなあ。まあ、じっくり痛ぶるにはアレは最適だが……」

「あのー、マルガレーテさん? できたら実況じゃなくて、彼を止めてくれませんか……?」


 わたしはいま、この半透明の障壁に隔離されていて、何もできない。それに、あの血みどろの現場に行くのも恐ろしい。


 なので、代わりにレインを止めて欲しいとお願いすれば、彼女は困ったように笑う。


「私が言っても無駄な気はするが……」

「いえ、そんなことないです。マルガレーテさんの言葉なら大丈夫です!」


 だって、宮廷魔術師(おえらいさん)だもの!

 期待に満ちた目で見つめていれば、彼女は「仕方ないな」と肩をすくめた。


「ねえ、そこの君! そろそろやめにしないか? もう充分だろう」


 マルガレーテさんがレインに向かって叫ぶ。しかし、レインは男を攻撃する手を止めない。


「ほら、ね? 彼は君の言葉しか聞かない。君じゃないと駄目なのさ」

「えぇ……そんなぁ……」

「いってらっしゃい、アナスタシアちゃん」


 マルガレーテさんがわたしを包み込んでいる透明な壁に触れる。すると、音を立てて、崩れ落ちた。


 わたしではどうしようもできなかった障壁を、いとも簡単に壊すとは……流石、マルガレーテさんだ。ここまでしてもらったら、腹を括るしかないか。


「………いってきます」


 ひらひらと手を振るマルガレーテさんに頭を下げて、わたしはレインの元へと向かった。


 そして、男を踏みつけている彼の背中にそっと抱きつく。驚いたように、少しだけ彼の身体が跳ねた。


「ねえ、レイン。わたしは大丈夫だから、もうやめにしよ」


 目の前の悲惨な光景をこれ以上見たくない。それもあるけど、わたしのためとはいえ、レインがこれ以上誰かを傷つけるところを見たくなかった。


「でも、こいつはアナスタシアを……」

「レインが助けに来てくれたから、もういいの。それだけで充分だから」


 その言葉にようやく、レインの手が止まる。男の身体から足を退け、わたしの方を振り返った。


「……アナスタシアがそういうなら、やめるよ」


 だけど、納得はいってないのか、不満げな表情を浮かべている彼に思わず笑ってしまった。


(レインのこういうところ、可愛くて好き)


「うんうん、レインはいい子だね」

「ちょっと、子供扱いしないでくれる?」


 背伸びをしてレインの頭を撫でようとしていれば、その場にパチン、と手を叩く音が響いた。


「さて、では後は私が引き受けよう。君たちは、エミリアちゃんの元へ向かいたまえ。彼女は広場で待っている」

「エミリアが?」

「ああ。光籠を飛ばす瞬間を一緒に見ると約束したんだろ? ほら、急いで。星夜祭のフィナーレはもうすぐだ」


 その言葉にわたしは頭を下げて、レインの手を引く。しかし、レインはまだ男のことが気になるようで、なかなか動かない。


「安心したまえ。この男のことなら、ちゃんと私が死ぬよりも辛い目に遭わせておくから」


 そう言ったマルガレーテさんの顔からスッと笑みが消えた。その表情に、背筋が凍る。


 美人の真顔は怖いというが、本当にその通りだ。……マルガレーテさんのことは、絶対に怒らせないようにしよう。


「ありがとうございます! マルガレーテさん!」


 わたし達はお礼を言って、その場を後にし、急いでエミリアの元へと向かった。


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