星夜祭-7
気づいた時には、彼の胸に飛び込んでいた。
「うゔっ……レイン〜〜〜!」
「ごめん、遅くなった」
「ぐすっ……来てくれないかと、思ったぁ……!」
レインの胸に顔を埋めて子供のように泣いていれば、彼は優しく背中をさすってくれる。その暖かさに、余計に涙が止まらなかった。
「すっごく怖かったんだからぁ〜〜っ!!」
「ごめん、本当にごめん。……無事でよかった」
そう、本当に怖かった。訳も分からない男に殺されかけたことも、危うく悪魔を呼びかけたことも。
だけど、何より一番怖かったのは──レインが助けにきてくれないってことだった。
だから、いま、わたしはとても嬉しい。
「怪我は? 痛いところはある?」
わずかに身体を離したレインが、わたしに問いかける。さっきまでは、男の変な術のせいで身体に力が入らなかったけど、今はもうなんともない。
なので、「大丈夫よ」と首を横に振ったが、わたしの頬に触れたレインが、ぴたりと動きを止めた。
「……ここ、赤くなってる」
「えっ? あー……さっき殴られたから、かも」
そういえば、抵抗した時に殴られたんだった。すっかり忘れていた。だから「ひどいよね! レディの顔を殴るなんて!」などと、呑気に笑ってしまったのだけど。
「は? 殴られた?」
レインの声色が、明らかに変わった。低く、冷たい。さっきまでの優しい手つきが止まり、指先にわずかに力がこもる。
「…レ……レイン?」
恐る恐る彼の名前を呼べば、それに気づいた彼が安心させるかのように、にっこりと笑った。しかし、その目は全く笑っていない。
もしかして、めちゃくちゃ怒ってる……?
やがて、ゆっくりと立ち上がったレインは伸びている男の元へと向かうと、男に向かって手をかざした。そして、地を這うような低い声でつぶやく。
「起きろ」
次の瞬間、男の断末魔のような叫び声がその場に響き渡った。何をしたのかは、わからない。だが、男は大量の血を吐いて、もだえ苦しんでいる。
「アナスタシアに何したわけ? ほら、寝てないでさっさと喋れよ」
「ぐああああああっ!」
まずい。止めないと。慌てて、レインの腕にしがみつく。
「離して、アナスタシア。まずはこいつを始末しないと」
「始末っ……?! 待って待って待って、わたしは大丈夫だから!」
流石に始末するのはよくない。必死になって止めるが、レインは首を傾げるだけ。
「なんで止めるの?」
「何でって……殺したら困るからよ!」
「……ああ、そっか。今ここでコイツを殺したら、なんでアナスタシアを傷つけたのか……その理由が分からなくなるか。確かにそれは困るね」
「いや、そういうことじゃなくて……!」
確かにそれもあるけど、そうじゃない。噛み合わない会話をしていると、突如現れた半透明の障壁に隔離されてしまった。
「えっ?! な、なにこれ?」
「危ないからそこにいて」
「ちょ、ちょっと待って……レインってば!」
「安心して。全部話すまでは殺さない」
……いや、安心できるか。しかし、それ以上何も言っても無駄だった。レインは止まらない。
いっそ、悪魔を呼んだ方が穏便に済んだかもしれない。いまだに止まない男の断末魔を聞きながら、わたしがそんなことを考えていたときだった。
「──おや。もしかして、遅かったかな?」
「マルガレーテさん!」
ふわりと姿を現した彼女は、いつも通り、余裕たっぷりな笑みを浮かべていた。
「ど、どうしてここに……?」
「エミリアちゃんから話を聞いてね。ソウル魔法を使って、急いでやってきたわけだが……」
ちらりとレインの方へ視線を向けたマルガレーテさんは、「ははは、盛り上がってるねぇ」と笑った。いや、笑い事じゃない。
「彼が例のリボンをくれた嫉妬深い子かな?」
「えっ、ああ……そうです」
嫉妬深いかは置いておいて、わたしは頷いた。すると、マルガレーテさんは何かを確認するようにレインを見つめる。
「へぇ。なるほど。確かに魔力量は問題ないな」
「はあ……?」
「おお、なかなか面白い魔法を使うなあ。まあ、じっくり痛ぶるにはアレは最適だが……」
「あのー、マルガレーテさん? できたら実況じゃなくて、彼を止めてくれませんか……?」
わたしはいま、この半透明の障壁に隔離されていて、何もできない。それに、あの血みどろの現場に行くのも恐ろしい。
なので、代わりにレインを止めて欲しいとお願いすれば、彼女は困ったように笑う。
「私が言っても無駄な気はするが……」
「いえ、そんなことないです。マルガレーテさんの言葉なら大丈夫です!」
だって、宮廷魔術師だもの!
期待に満ちた目で見つめていれば、彼女は「仕方ないな」と肩をすくめた。
「ねえ、そこの君! そろそろやめにしないか? もう充分だろう」
マルガレーテさんがレインに向かって叫ぶ。しかし、レインは男を攻撃する手を止めない。
「ほら、ね? 彼は君の言葉しか聞かない。君じゃないと駄目なのさ」
「えぇ……そんなぁ……」
「いってらっしゃい、アナスタシアちゃん」
マルガレーテさんがわたしを包み込んでいる透明な壁に触れる。すると、音を立てて、崩れ落ちた。
わたしではどうしようもできなかった障壁を、いとも簡単に壊すとは……流石、マルガレーテさんだ。ここまでしてもらったら、腹を括るしかないか。
「………いってきます」
ひらひらと手を振るマルガレーテさんに頭を下げて、わたしはレインの元へと向かった。
そして、男を踏みつけている彼の背中にそっと抱きつく。驚いたように、少しだけ彼の身体が跳ねた。
「ねえ、レイン。わたしは大丈夫だから、もうやめにしよ」
目の前の悲惨な光景をこれ以上見たくない。それもあるけど、わたしのためとはいえ、レインがこれ以上誰かを傷つけるところを見たくなかった。
「でも、こいつはアナスタシアを……」
「レインが助けに来てくれたから、もういいの。それだけで充分だから」
その言葉にようやく、レインの手が止まる。男の身体から足を退け、わたしの方を振り返った。
「……アナスタシアがそういうなら、やめるよ」
だけど、納得はいってないのか、不満げな表情を浮かべている彼に思わず笑ってしまった。
(レインのこういうところ、可愛くて好き)
「うんうん、レインはいい子だね」
「ちょっと、子供扱いしないでくれる?」
背伸びをしてレインの頭を撫でようとしていれば、その場にパチン、と手を叩く音が響いた。
「さて、では後は私が引き受けよう。君たちは、エミリアちゃんの元へ向かいたまえ。彼女は広場で待っている」
「エミリアが?」
「ああ。光籠を飛ばす瞬間を一緒に見ると約束したんだろ? ほら、急いで。星夜祭のフィナーレはもうすぐだ」
その言葉にわたしは頭を下げて、レインの手を引く。しかし、レインはまだ男のことが気になるようで、なかなか動かない。
「安心したまえ。この男のことなら、ちゃんと私が死ぬよりも辛い目に遭わせておくから」
そう言ったマルガレーテさんの顔からスッと笑みが消えた。その表情に、背筋が凍る。
美人の真顔は怖いというが、本当にその通りだ。……マルガレーテさんのことは、絶対に怒らせないようにしよう。
「ありがとうございます! マルガレーテさん!」
わたし達はお礼を言って、その場を後にし、急いでエミリアの元へと向かった。




