秘密と嫉妬と
「それで? 私に何の用かな」
向かいに座るマルガレーテさんが促す。その様子にわたしはおずおずと口を開いた。
「初めてお会いしたときに言っていたことが気になりまして……その、わたしの魂が面白いとか」
「ああ。厳密に言うと、魂が面白いというか、肉体と魂の不均衡が面白いんだ」
──肉体と魂の不均衡が面白い?
いまひとつ、マルガレーテさんの言っていることが分からず、首を傾げる。
「そうだなぁ。生まれた時から美しく冷酷で完璧な肉体に、無理やり平凡で気弱な魂が入っている、という感じだろうか?」
思いきりそのまんまだ、素晴らしい。当たりすぎていて、感動を通り越してもはや恐怖すら感じる。
本来のアナスタシアは、容姿も気品も頭脳も、全てにおいてパーフェクトだった。
しかし、いまはそんな彼女の肉体にどう見ても庶民の魂が詰め込まれている。
そして、元々のわたしは平凡なOLだ。権謀術数も社交界の駆け引きも、もちろんできやしない。
だから、本来のアナスタシアの役目である「残忍で我儘なラスボス悪女」としては、まるで役不足。というより、場違いもいいところだ。
しかし、そのおかげで今のところ、世界は平和を保たれているし、わたしも死ななくて済むので、よかったのだけど。
「そして、その不思議な気配が魅力で面白く、興味を惹かれてしまうのだろう。実際、あの女性嫌いのユリウス殿下も、アナスタシアちゃんのことを随分と気にかけているようだし」
「いや、あれはただ揶揄っているだけというか……」
そう、彼はわたしのことなど、ただのおもちゃとしか思っていない。
しかし、マルガレーテさんの目にはそう映っていないようで、「そんなことないさ」と真っ直ぐとした瞳で否定されてしまった。
「君が殿下の婚約者になってくれたら、とても嬉しいのだが」
「あはは……」
先ほどのユリウスとの会話を思い出してしまい、乾いた笑いしか出なかった。
どうしてみんな婚約者になれと言ってくるのだろうか。いくら、アナスタシアが美しいとはいえ、この世界のヒロインはエミリアだ。だから、こういうのはエミリアの仕事だと思うのに……!
心の中で文句を言いながらも、わたしは次の質問を投げかける。
「まあまあ、冗談はその辺で……」
「私は本気さ。今すぐにでも推薦した──」
「あと! わたしの影に何かいるとも言いましたよね? そして、ソレはわたしの手に負えるものじゃないとも」
「ああ……そのことか」
「わたしの影には、いったい何がいるんですか?」
ずっと気にはなっていた。あの日、頭の中でうるさいぐらいにアナスタシアの声を聞いた時から、この身体には本来のアナスタシアの魂も眠っているのではないかと。
ただ影の中、というのが分からない。わたしの中とかなら分かるのだけど……?
「それは、分からない」
「えっ」
「君の影の中には確かに何かがいる。君の手には負えないとてつもなく嫌なものがね、でもソレが何かまでは厳密には分からない」
マルガレーテさんにも分からない存在って、いったい何だ。もちろん、わたしに思い当たることはない。
「君の魔力の性質を確かめてみれば、もう少し何かわかるかもしれないが」
「魔力の性質……? どうやって、ですか?」
「そうだなぁ、口付けとか」
「口付け?!」
思わず大声を出してしまった。そんなわたしの様子に、マルガレーテさんは口元をわずかに緩めた。
「……冗談、ですよね?」
「本気さ」
「で、でも……口付けって……!」
「まあ他にも方法はあるが。例えば、血とか、涙の共有とか。でも、一番手っ取り早いのが接触。特に意識を揺らがせるような、ね」
そう言って、マルガレーテさんはゆっくりと立ち上がった。椅子が軋む音が、わたしの耳の奥で不穏に響く。
「試してみるかい?」
彼女の瞳が優しく細められる。その仕草に胸がきゅっと音を立てた気がした。なんだこれ、すごいドキドキする。
「嫌なら無理強いはしない。だけど、自分がなにを飼っているか分からない飼い主ほど危うい存在はない」
「……えっ、あ……」
「その正体を知りたいと思うなら、私に身を委ねてくれるかい?」
わたしの影、わたしの中にあるなにか。
思い当たることは──ない。だからこそ、知りたい。たとえその方法が、彼女と口付けをすることだとしても。
「……お……お願いします…」
わたしの言葉に、マルガレーテさんは「いい子だ」と笑った。
前世でもこの身体でも、誰かと口付けをしたことはない。だからこれが一応、ファーストキスになるわけで。
──本当に、いいのかな。
一瞬、ほんの一瞬だけ。頭の中に後悔という文字がよぎったが、慌てて首を横に振る。
決して、マルガレーテさんの美貌とこの場の雰囲気に流されたわけではない。わたしが自分の意思で、決めたのだ。それに同性はノーカウントだから、きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせて、わたしはぎゅっと目を瞑った。
そうして、マルガレーテさんの指先がわたしの頬に触れる。ゆっくりと近づいてくる彼女の気配に、ごくり、と唾を飲み込んだ瞬間。
バチっと嫌な音を立てて、空気が弾けた。
「えっ…?」
何事かと思い目を開けば、わたしとマルガレーテさんの間に薄い膜のような光が張られていた。
空気がぴんと張りつめている。触れてもいないのに、はっきりとわかる「拒絶」の気配。
首を傾げるわたしをよそに、マルガレーテさんは楽しそうに笑っている。しかし、その視線は、ある一点に集中していた。
「……そこに入っているものを出してくれるかな」
そう言って、マルガレーテさんが、ドレスの右側を指差す。そこには、お守りとしてレインがくれた赤いリボンを入れていた。
疑問に思いつつも、言われたとおりにわたしは彼女にリボンを差し出す。
「……ははは、」
「マ、マルガレーテさん?」
「このリボンを君に贈った人間は、君のことがよほど大事らしい。まさか、こんな術をかけるとは……」
「あの……?」
「その子のこと、大事にするんだよ。アナスタシアちゃん」
そう言うと、マルガレーテさんは優しく笑った。そして、わたしからパッと距離を取り、やれやれといいたげな表情で肩をすくめる。
「さて。残念だけど、これ以上はその子に怒られそうだからやめておこう」
「えぇっと……?」
「それにしても随分と嫉妬深いようだ、他人がアナスタシアちゃんに触れることを拒むだなんて……困った子だね」
同意を求められるが、まったく状況が飲み込めない。先ほどからマルガレーテさんが何を言っているのか、理解できていない。
レインにもらったリボンに、何かしら魔法がかけられていることは分かったけど、それでどうして、レインが嫉妬深いってことになるの……?
説明を求めたが、マルガレーテさんは「藪蛇だから」と笑って、何も言ってくれない。それどころか、少し呆れた視線までを向けられている気がする。
「じゃあ、私はこの辺で」
「えっ?!」
「アナスタシアちゃんの飼ってるソレについては分からなかったが、まあ、とにかく気をつけるといい。せいぜい、ソレに殺されないよう……あと、嫉妬深いその子にもね」
まだ話は終わってない。引き止めようとしたが、彼女はふわりと姿を消してしまった。初めて会った時のように、花の香りを残して。
「……めちゃくちゃ不穏なこと言ったよね……?」
その場に一人、取り残されたわたし。
訳がわからず、頭の中にたくさんの疑問符を浮かべていれば、部屋の扉が開く音が聞こえた。




