悪女の目覚めと出会い-1
平凡だけど悪くない日々だった。
新卒で入社した会社で働いて数年、趣味の乙女ゲームをやることを生きがいに毎日過ごしていた。友達にも恵まれ、家族仲も悪くなかった。
何より実家の犬がめちゃくちゃかわいい。それだけで、私の人生は素晴らしいものだと思っていた。
だけど、私の人生は、通り魔に刺されたことで呆気なく終わってしまった。
……そして、いま、そんな前世の記憶を思い出してしまった。
少しだけ痛む頭を抑えながら、私はふらふらと立ち上がり、部屋の中央にあった無駄に豪華な鏡の前で、呟いた。
「うーん……? やっぱりどこからどう見ても「オトイノ」のアナスタシアだよね…」
少しだけウェーブのかかった銀色の綺麗な髪、紫色の瞳に長いまつ毛。雪のように白い肌につやつやとした唇。まるで人形のように愛らしい容姿がこちらを見ている。
「……ゲームで見てた姿よりも幼いけど、やっぱりアナスタシアで間違いないなこの顔」
もしかしたらゲームのやりすぎて、都合のいい夢を見てるかもしれないと、頬をぎゅっとつねってみればしっかり痛かった。
「……夢じゃない、ということは……」
どうやら私は異世界転生をしたようだ。オタクなので知識としては知っていたが、自分がそんな経験をするとは思ってもいなかった。
「よりによってアナスタシアか……」
鏡に映る顔が分かりやすいぐらいに歪んだ。
私が前世でプレイしていた乙女ゲーム「剣と魔法と乙女の祈り」、通称「オトイノ」は、タイトルのまんま剣と魔法の世界を舞台にしており、ヒロインであるエミリアが学園生活を送る中で様々なキャラクター達と出会い成長していく物語である。
そして、その中に登場するキャラクターの一人であるアナスタシアは、エミリアの親友である。人懐っこい性格とその愛らしい容姿で、作中でも天使のようだと言われている。
そんな「地上に舞い降りた天使」こと、アナスタシアになっているなんて……
「………最悪すぎる」
私は思わず頭を抱えた。なぜなら、アナスタシアは「オトイノ」のラスボスだからである。
「地上に舞い降りた天使」と名高いアナスタシアの姿は全て偽物だった。
実際の彼女は我儘で残忍な性格をしており、物語中盤では復讐を果たすために禁術による悪魔との契約をおこない、世界を破滅へと導く存在となる。
そしてそんな彼女を止めようと、エミリアと攻略対象者たちは奮闘するのだけど…
(どのルートでもアナスタシアは死ぬのよね!)
捕まり処刑されるか、牢獄の中で毒薬を飲んで自ら死を選ぶか。攻略対象者が変われど、アナスタシアが死ぬことは変わらなかった。
ああ、考えただけで恐ろしい。
恐怖で震える身体を思わず抱きしめる。
「転生しても死ぬなんて……絶対に嫌だ」
(とりあえず落ち着いて今後のことを考えなくちゃ! この容姿、ゲームの姿より幼く見えるけど、一体いま私は何歳なの? そもそもアナスタシアがリヴィエール家にやってきたのが……)
鏡の前、一人ぐるぐるとそんな事を考えていれば、ノックの音が部屋に響いた。
突然の事で思わず「はい!」と返事をすれば、ドアが開いて、青年が部屋に入ってきた。
「よかった! 目が覚めたんだな、アナスタシア」
部屋に入るなり、こちらへと駆け寄ってきた青年の姿を見て、私は固まった。
金色に輝く髪、緑の瞳。ストレートの髪は後ろで束ねられている。
「───うそ」
テオドール?!
あまりの衝撃に幻覚かと思い、上から下まで舐め回すように確認する。うんうん、何回見てもやっぱりテオドールで間違いない…!
テオドールとは「オトイノ」に登場する攻略対象者の一人で、アナスタシアの兄だ。
ちなみに、私の最推しキャラである。間近で見た推しの破壊力に思わず大声を出して叫びたくなるが、ぐっと堪える。
「アナスタシア?」
(……どうしよう、幸せすぎる。アナスタシアに転生した時は最悪と思ったけど、推しの妹と考えれば最高じゃないか!)
私の態度にテオドールはきょとんとした表情で首を傾げている。ああ、そんな姿さえも愛おしい。
「……もしかして、まだ傷が痛むのか?」
そう言うと、テオドールは私の額にそっと触れた。突然の推しからの接触に、大袈裟なぐらいに反応してしまう。
「悪い、痛かったか?」
「う、ううん! 大丈夫…!」
「本当に?」
困ったような表情を浮かべるテオドールに、私はこくりと頷いた。
「ならいいけど……アナスタシア、これに懲りたらもう木の上に登ろうとしたりしちゃダメだぞ」
木の上……?
ああ、そうだ、そうだった。彼の言葉に先ほどまでの出来事を思いだす。
庭のとても立派な木を見たら、なぜだか無性に登りたくなってしまい、制止する侍女を振り切って、登ろうと足をかけた。
そして、見事に足を滑らせて落ちたのだった。
(まあ、落ちた衝撃で前世の記憶を思い出せたからある意味よかったけど……テオたんを困らせるのはよくないな)
そう思い、私は自身の小指をテオドールに差し出した。
「もうしないわ、約束する」
「いい子だな、アナスタシア」
テオドールが差し出した私の小指に自身の小指を絡ませた。一瞬、指切りが伝わるか不安だったが、どうやら大丈夫だったようだ。
「じゃあ、今日はもうゆっくり休め」
「はーい!」
「また明日な」
(あらら、もう行ってしまうのね、テオたん…)
思ったよりも早いテオドールの退出に、名残惜しそうに手を振れば、テオドールも笑いながら手を振り返してくれた。
推しからファンサを貰えるなんて、最高すぎるなこの世界。
思わずニヤそうになる顔にぐっと力を入れて、私はテオドールを見送った。
◇◇◇
「………ふぅ」
一人になった瞬間、広いベッドに大の字になる。柔らかいベッドに身体が沈んでいく感覚が、とても心地よい。
「これからどうしよう…」
とにかく私は死にたくない。
そのために、アナスタシアのラスボス化は絶対に阻止しないといけない。
(アナスタシアが復讐しようと考えたのは、確か両親の死についての真相を知ったからで……)
アナスタシアは元々養子で、テオドールと血は繋がっていない。あるきっかけで、アナスタシアは自分の本当の両親は既に亡くなっていて、その原因がエミリアにあると知る。
そして、その事実を知った時、アナスタシアは絶望し、エミリアへの復讐を誓うのだった。
(自分の大切な家族が……って思うと、アナスタシアの気持ちも分からなくはないけどなぁ。だけど、だからといってこの世界で私がエミリアを傷つけようとは思わない)
なので、この世界での私は復讐などは考えず、禁術にも関わらない。真っ当に生きて、偽の姿などではなく、本物の「地上に舞い降りた天使」アナスタシア・リヴィエールになろう。
「そしたらきっと大丈夫……だよね?」
私がここまで不安を覚えるのには理由がある。
「オトイノ」は元々は一作品のみだったのだが、発売から数年経って突然人気が出たため、急遽シリーズ化したのだ。そのため、色々と後付け設定が多い。
実際、私は最初の作品しかプレイしていない。その後に出たシリーズや、裏設定集などは追えていないのだ。その中に、アナスタシアの結末に関係するような重要な情報があったら……だめだ、考え出したら止まらない。
「……と、とにかく、死なないように頑張ろう!」
最悪、死ななきゃそれ以外はいい!とにかく命を大事に!あと、他人は傷つけない!
一人、ベッドの上で固く誓いを立てる。
そして、そのまま目を閉じれば、心地よさに眠気が襲ってくる。
さっき起きたばかりだけど、色々な事があって疲れてるから仕方ないよね……?
なんて呑気に考えながら、私は意識を手放した。