悪女の夢
頭の中で誰かの笑い声が響いた。
「あははははっ!」
とても楽しそうに笑っているこの少女を、よく知っている。天使のような見た目とは裏腹に、非道で残忍で恐ろしい悪女。
──これはアナスタシアだ。
「愛する女を守るために、自分が死ぬだなんて本当にばっかみたい。……まあ、私たちとしては邪魔者がいなくなって好都合だけれど」
目の前で倒れている男を見て、アナスタシアは吐き捨てるように言った。男はかろうじで息はあるようだが、それももう時間の問題だろう。
「さあ、始めましょう!」
アナスタシアのその言葉と同時に地面が割れる。世界が黒い闇に包まれていく。
最低最悪なこの場面。アナスタシアの足元で倒れているのは、レインだった。
───そこで目が覚めた。
「いまのは……?」
あんなシーン、ゲームでは見たことない。レインルートを攻略したことはあるが、バッドエンドでもアナスタシアがレインを殺すことはなかった。
「……最悪な夢見ちゃったな」
とりあえずいまは忘れようと、もう一度、目を閉じるが夢の内容が強烈すぎて、落ち着かない。眠ろうと思えば思うほど、どんどん目が覚めていってしまう。
少し気分転換に散歩でもするかと、その辺にあった上着を羽織り、わたしは庭へと向かった。
昼間とは違い、夜の静かな庭はどこか不気味にも思えたが、これはこれで考えが整理出来ていいかもしれない。そう思い、お気に入りのベンチに腰掛ける。
「星、きれい」
夜空の綺麗さは、この世界も変わらない。改めて考えると、自分が前世でプレイしていたゲームのキャラクターになっているって、変な感じだ。しかもラスボス悪女だなんて。
「……ラスボス、悪女かぁ…」
頭の中で、先ほどのアナスタシアの笑い声が離れない。夢の中のアナスタシアはラスボス悪女に相応しい姿だった。
真っ黒なドレスに、真っ黒な杖。崩壊した街や傷ついた人たち見て笑う姿。血まみれで倒れているレインを見る冷たい瞳。
それだけじゃない、アナスタシアの周りには黒くて恐ろしい存在がいた。あれはたしか、アナスタシアが禁術で召喚した悪魔だ。
圧倒的な強さをもっており、アナスタシアと共にエミリア達の前に立ちはだかる。アナスタシアの命令だけを聞き、アナスタシアに従順な下僕。
「名前は確か、アル──」
そこまで言いかけて、背後からゾワリと嫌な気配を感じた。恐る恐る後ろを振り返るが、もちろん、そこには誰もいない。
だけど、言いようのない不安と恐怖が襲ってきて、わたしは震える身体を思わず抱きしめた。
「……気のせい、だよね」
いまはまだ物語の終盤ではない。だからあの恐ろしい悪魔と契約などしていないし、今後もするつもりもない。
だけど、わたしがどれだけそう思っていても、シナリオ通りに進んでしまえば? 夢で見たような最悪な結末を迎えてしまったら?
「そうなったらどうしよう……」
膝を抱え俯いていれば、頭上から誰かの声が聞こえた。
「アナスタシア?」
その声に顔をあげれば、目の前にはレインが立っていた。どうして彼がここに? そう思ったのは、わたしだけではないようで。向こうも驚いたような表情でこちらを見つめている。
「こんな夜更けに何してるの。気分でも悪い?」
「……ううん、ちょっと眠れなくて」
夢の内容を話す気にはなれず、ただちょっと怖い夢を見たと誤魔化しておいた。
そして、これ以上この場にいては無駄な心配をさせるだけだと、立ち上がろうとすれば、隣にレインが腰掛ける。
「手、出して」
「へ?」
「いいから早く」
わけもわからず言われた通り、レインに向かって手を差し出す。すると、彼は私の手をそっと握りながら何かの呪文を唱えた。
「……なにこれ? お花?」
「そう。花、好きなんでしょ」
「好きだけど……急にどうして?」
「……元気、出るかなって」
以前にちらりと話したことを覚えてくれたらしい。キラキラと光る魔法でできた花は、本物とは違ってはいたけれど、とても綺麗だ。しかも私の好きな花だけでなく、ジャスミンなどの安眠効果のある花も出してくれた。
その優しさに目頭が熱くなる。それを誤魔化すように、わたしは明るい口調でお礼を言った。
「ありがとう! それにしても、レインがこんな可愛い魔法を知ってるなんて意外だったな」
そう言えば、彼はなぜか視線を逸らして、ぽつりと呟いた。
「……アナスタシアが、」
「ん?」
「アナスタシアが優しいことに使ってほしいっていうから覚えた」
あの日、わたしが願ったことをレインはしっかりと覚えていて、無視などせずに行動に移してくれた。その事実に嬉しくて泣きそうだ。
「そっ……かぁ……」
「……アナスタシア? まさか泣いてる?」
「だって……レインがぁっ……!」
気づいた時には涙が溢れ出ていた。止めないと、そう思えば思うほど、涙は止まらなくて終いにはしゃくり上げてしまった。
両手で乱暴に涙を拭っていれば、ため息をついたレインが、わたしの手を掴む。そして、そっと指で涙を拭ってくれた。その優しさで、さらに涙が止まらなくなってしまう。
「そんな風にしたら赤くなるからやめな」
「うぅっ……だってぇ…」
なかなか泣き止まないわたしを見て、レインが優しく背中をさすってくれる。なので、そのまま彼の背中にぎゅっと手を回した。
そうして彼の肩口に顔を埋めていれば、頭上から少しだけ不満気な声が聞こえた。
「ちょっと……誰かに見られたらどうするつもり」
「ぐすっ、ごめん……でもお願い、しばらく……このままで……」
「……まあ、いいけど」
赤子をあやすかのように背中をぽんぽんと叩かれれば、安心感からか瞼が重くなってきた。流石にここで寝るのはまずい。
そう思うのに、どんどんと意識は遠くなっていく。
「……レ、イン」
「いいよ。そのまま眠って」
そう言って、彼の手がわたしの髪を優しく梳く。
「ねえ、アナスタシア。いままでの俺は他人を陥れ傷つけるためにしか、魔法を使ったことがなかった」
レインのその話し声さえも心地よくて、ついにわたしは瞼を完全に閉じてしまった。
「だから俺を買ってた奴らも他人から恨まれて殺されるような人間ばかりで。これから先、一生そうやって生きていくんだと思ってた」
「だけど、あの日、君が震える手で俺の手を握ってくれた。優しくしてくれて、暖かさを教えて、居場所を与えてくれた」
「君が何に怯えているのかは分からない。だけど、俺はこの命をかけて君を守るよ。──俺は、君が大切だから」
遠くなっていく意識の中、わたしも同じ気持ちだってことを伝えなきゃと思った。だけど、それは叶わなかった。
翌朝。わたしは自室のベッドで目を覚ました。
どうやら、泣き疲れて眠ってしまったわたしを、レインは部屋まで運んでくれたみたいだ。メアリーに「昨日の夜、どこかに行かれました?」と聞かれたが、適当に誤魔化しておいた。
「お嬢様、何だか嬉しそうですね」
「えっ、そうかな?」
メアリーのその言葉に鏡に映る自分の顔をまじまじと見つめる。まあ、確かに少しだけにやけた顔をしているような…?
「素敵な夢でも見たのですか?」
「夢…」
その言葉に昨日のことを思い出す。やけにレインが優しかった気がするけど、あれは全部夢だったのだろうか。
それに意識を完全に手放す前、レインが何かを言っていた気もするが、何も覚えていない。とても嬉しかった気がするんだけどな。
「……素敵で幸せな夢、だったのかも」
あの優しい声と言葉が、夢ではなく全て現実だったらいいのに。そう思うのは、贅沢すぎるだろうか。
レインがわたしを大切だといってくれたように、わたしも彼を大切に思っている。だからもしも、あの最低で最悪な結末を迎えてしまう時が来たら。
その時は、わたしの命にかえても、彼を守ろう。




