尋問
「ほんと、あいつは煙みたいなやつだよ。どこからか現れて、気がついた時にいない」
「そうなんすか?アルマを捕まえるのは至難の業ってこと?」
「そうそう。つーかあんな浮気野郎の何がいいのか、理解に苦しむ。結婚した女の子が可哀想だよ」
初めて聞いた話を耳にしてしまい、パンの粉が肺に入って咳き込んでしまう。ダニエルが僕の言いたかったことを代わりに言う。
「ええっ!?あいつ、結婚していたの!?」
「まあね。警察に捕まる前に離婚したよ。それは正しい判断だったって感じるわ」
彼女は呆れた口調でそう言い、食事に集中しつつその後もダニエルとくだらない話をする。その後は特に重要な会話ではなかった。左から右へと話が通り過ぎていく。
数分後。3人とも食事を終え、食器を片付けているところだ。食堂のキッチンを覗けば、まだ看守が何人かいた。彼らは小刻みに震え、キッチンの中にいる囚人に怯えながら洗い物をしているようだ。もし自分が囚人の服を着ていなかったら、こうなっていただろう。考えれば考えるほど恐怖が走り、背筋から嫌な汗が噴き出る。
ここにいる看守は赤の他人だ。もう気にする必要はない。そう言い聞かせたら、少しほっとした。バレるのも時間の問題だが、今は考えない。
片付け終わり、誰もいない場所へ導かれる。ルビーに話しかけられた。彼女は両手を腰に当てて、胸を張っていた。
「それでさ、アルマと脱獄するつもり?あいつよりあたし達としない?」
僕は首を振って、否定する。その顔は強ばり、腕に力が入った。手で拳を作る。
「いや、脱獄は2番目だ。まずあいつに復讐しないと……」
「復讐ね……誰に?」
「蛇の刺青を手の甲に入れている囚人だ」と言おうとしたが、思いとどまる。彼女に伝えれば、その殺人鬼に復讐されることをバラされてしまうかもしれない。バラされたら復讐計画が全て水の泡。アイツが抵抗して、顔を合わせなくなってしまう。そうなれば接触することさえ危う。僕は目線を晒して誤魔化すことにした。
「復讐したい相手がいるんだ」
小さな声で呟く。相手も小さめの声で話す。他の囚人に聞かれたらまずい内容だから。
「そう。好きにするといいよ。それでなぜアルマなんだ?あたしたちも協力するけど」
僕は彼女の瞳に視線を移す。
「アルマは信用できる気がするんだ。確かに気に入らなかったら裏切られるかもしれない。でも殺さないと言ってからあいつは殺してこないし、僕のために色々してくれ嬉しかったんだ。だから、あいつと一緒に復讐したい」
「やめた方がいい。あいつは自分中心の考えを持っている。彼自身が醜いと思ってなければ、協力しないと思う。いや、名誉のためにするかもしれないけど……どうだろうな?本人に尋ねたほうがいいだろう」
曖昧な言い方をしてから、彼女は僕に手を振ってダニエルの方へ向かう。その後も2人で会話しつつ、食堂から出て行ってしまう。
辺りを見渡してみたが、先ほどより数が減っている。恐らくほとんどの囚人は食堂外へいるだろうし、上司のジョナサンに関してはあれからどうなったのか分からない。とにかくアルマを探してから復讐の計画を練ろうと思った。2人で考えれば、早く終わりそうだ。
あいつを殺すだけでは、復讐心を抑えることはできない。必ず痛い目を見せてやる。そう心に誓って歩いていたら、一人の黒髪の男とぶつかった。僕は尻餅をついてしまう。
「痛ぇな、ぶつかりやがって」
そう、日本語で言われた。この場所で初めて英語以外の日本語を聞いた気がする。ここには日本人もいるようだ。
男の顔を咄嗟に見ると、骸骨に似ている顔つきをしていた。頬が痩せこけて、目の下には黒い隈。ヒョロリと体は細く、本当に殺人鬼だろうか?と驚いてしまう容姿だ。母親を殺した犯人に身体つきが似ている。僕は日本語で返した。
「すみません。今度から前を見て歩きます」
「気をつけろよ」
男が左手を出した瞬間、僕は目を見開いた。あの黒い蛇の刺青があったからだ。戸惑いを覚えつつ、その手を右手で握りしめた。起き上がり、彼とすれ違う。すれ違った瞬間、嗅いだことある香りがした。金木犀の花の上品な香り。幼い頃はなんの匂いなのか分からなかったけど、大人になった今ならわかる。
両手で拳を作り、口がへの字に折れ曲がった。
母親がナイフで腹を刺されて倒れるシーンがフィードバック。そして僕の肩が切り刻まれ、男はその光景を見てにやけていた。あいつは母親を殺し、僕を嘲笑った悪魔。見過ごすわけにはいかない。
気持ちが荒立ち、正気を保つことが難しくなっていた。目の前が真っ白になり、後先何も考えずに振り返る。右拳を男へめがけて振り上げた。当たることを祈って。
「こんなところにいた」
「!」
誰かに左手を握りしめられた。拳を振り上げていた右手が止まり、振り返る。白髪の長身男、アルマが立っていた。僕は思わず右手を下げる。
「アルマくん!?いつのまに……」
なぜか彼が手を握りしめた瞬間、正気に戻っていた。怒りが湧いていたことが嘘かのように、気持ちが安らいでいる。一体何が起こったのだろうか? 理解に苦しむ。もしかして彼には怒りを沈める何かがあるということなのか? それが正しい推理なら、彼がいることで自分の感情をコントロール出来るようになるのではないか? こんなことを考える自分はなんて幼稚なんだ。囚人がいなくなれば、また感情がコントロールできなくなるだけ。
僕は戸惑いを隠すように鼻息を鳴らして、2人同時に食堂から出る。廊下を歩きながら、誰もいない時を見計らい復讐についての話をする。
彼は廊下の真ん中で立ち止まり、僕の方を見てきた。相変わらず表情が変わらない。頬筋がピクリとも動かない。
「なあ、一つ質問していいか?」
「何?」
「どうして犯人に復讐したいと思うんだ?」
思ってもみなかったことを尋ねられて、肩が震える。声が少し震えつつも、それを隠すように強く主張した。
「それは母親の仇打ちだ。母に何度も人を助けろって言われたから、彼女を助けるために」
「綺麗事だな。復讐しても彼女は帰ってこない」
話している最中に彼が割り込んでくる。その言葉に目を見開いた。確かに彼の言う通りだ。母は既に死んでいる。でも、復讐しないと僕の心が休まらないんだ。
アルマがこちらに向かってきて、睨んでくる。
「お前が被害にあったのは小学2年生の頃。あれから10年以上経ってるのに、なぜいまだに憎悪を持っていられる? 普通、そんなことが起きれば母親が死んだ悲しみか殺されたという後悔に支配され、忘れたくなるはずだ。そんな重み、精神的に耐えかねないからな。なぜ斬られても恐怖ではなく憎悪を持ったんだ?」
「それは……」
「もしずっと憎しみを持ち続けることができるなら、本人に何かあるはずだ。もう一度幼少期について考えてみろよ。もしこちら側なら幼少期に何かあったはず。お前は母親のこと、どう思っていたんだ?」
「か、母さんは優しかったんだ。ずっと一緒にいたいと思ったよ」
「たわけるな。本当はそう思ってないくせに。お前は自己満足のために復讐したいだけだ。母親を出しに使ってな。それでも復讐したいなら手伝ってやるよ、どうする?」
心臓付近を指で押されながらそう言われて、何も言い返せなかった。唇が震えて、頭の中が真っ白になっていく。彼の言う通り過ぎて、恐怖を感じてしまう。なんて恐ろしい男なんだ。心臓が抉り取られる心持ちがして、吐きそうな気配に襲われる。何度も否定するが頭の中を掻き乱され、よく分からないモヤモヤした感触がした。でも……。
「自己満足でいい。復讐したいんだ、頼む」
掠れる声で彼の服にしがみつく。目から涙が滲んだ。確かに母親は帰ってこないけど、僕は仇打ちをして自分だけで完結。すっきりしたいんだ。
そんな気持ちを読み取ったのか、彼は僕の肩に軽く手を乗せる。衝撃的なことを口にした。
「そうか。分かった、手伝ってやる。ヒロキは囚人たちと何ら変わらないって、理解できたからな」
「それはどういう意味?」
「自分が正義だと思っているところから」
手を払うのも忘れて、一歩下がる。この男はなんて鋭いんだ。恐ろしすぎて身震いした。
僕が頭真っ白になって暴れる原因も、悪を退治する正義感から生まれている。何も返せなくなり、体全身が震え上がった。こいつを敵に回したらまずい思うと共に、彼のスピーチの凄さを実感。社長になれたのもわかる気がした。
2人で誰にも見られない柱と柱の間に座り込み、蛇の刺青を待つ男に復讐する方法を考える。たくさん案が出たものの、どれも実践できるか分からないものばかり。そしてアルマからこんな話が出てくる。
「そうだな。まず罠をわざと仕掛けて、そいつを助け仲良くなるんだ。仲良くなってからあいつを裏切ればいい。怒りマックスになると思う」
「でもどうやって裏切れば?」
「色々方法はあるが、他の囚人と仲良くしているのを見せつける。冷静に考える奴でなければ、何をしているのか聞くだろう。そして『仲良くする気はない』的なことを言ってつき放ちボコボコにぶん殴る。単純な奴ならカンカンだろうね。彼は仕返しに来るはずだ。そこを狙い、彼を締め殺して終わりって感じかな……成功するとは思えないが、してみる価値はあると思う」
「僕に出来るかな……」
自信がなくなって、肩を下げて俯く。彼は慰めるように頭を撫でて、抱きついてきた。体と体が少し合わさって温もりを感じ、ホッと息をつく。アルマといると、落ち着きを取り戻せる気がした。
立ち上がって廊下へ進もうとしたら、咄嗟に腕を掴まれた。後ろを振り返ると、アルマが無表情のまま立っていた。腕を掴む力が一層強くなる。
「1つ言っておく。ボコボコにぶん殴るというのは、比喩だ。あいつの弱点を握れ。そうすれば奴は恐怖心で震え上がり、復讐しやすくなる」
眉に力を入れてコクリと頷くと、彼は僕の腕を離した。廊下に向かって歩き出しても、彼はついてこない。計画に協力してくれると言ってくれたのに、どういうことだろうか?
「どうした? 早く復讐相手を見つけなよ。もしかして二人でするつもりだったのか? 甘ったれるな。俺は計画を練ったまで。復讐そのものに関与しない。人に頼ったら、裏切られるだけ。最悪死ぬぞ?」
脅されて、背筋に冷や汗をかいてしまう。顔が青ざめていく。確かに彼の言う通りだ。この復讐は自分の問題であり、彼には関係ないこと。巻き込むのはよくない。
僕は拳を握りしめ、廊下を走った。