アルマの過去
その後アジア系の囚人を殺す前に首から手を離し、僕の方に体を向ける。彼の茶色い瞳と視線が合ったら、心臓を掴まれたような激しい動悸がした。何かを見透かされている不思議な感覚に陥り、僕は身動きが取れない。背中に冷や汗をかいてしまう。
これがオーラというやつか。今まで見てきた比と、比べ物にならないくらい強烈だった。
とはいえずっと目線を合わせることはせず、彼は背後を向いてボソリと呟く。
「お前もこっち側だったんだな」
「それ、どういう意味?」
「なんでもない。独り言だ。俺は友達と食事するつもりだ。お前はどうする?」
話を逸らされてしまった。あんなことがあったのに飯へありつこうとする強欲っぷりに感心すると同時に、こっちがどちらなのか考えてみた。囚人なのか、看守なのか?
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一人で、壁際の椅子に座る。本当は唯一の知り合いであるアルマと食べようとしたのだが、彼はどこかへ行ってしまい声をかけそびれてしまった。
緊張感溢れる尋問が起きた後だ。食欲が全くわかない。
一人の方が落ち着くと思ってしまうのは、ぼっちの極みかもしれない。もしアルマやその友達がいれば、こちらも気を使わないといけないし話す内容を考えないといけない。大層面倒くさいので、これでよかったと自分に言い聞かせホッと一息つく。
メニューはトレーに乗っている通り。フランスパンが二分の一、野菜入りシチューは少々。飲み物はオレンジジュース一本で、おかずがない。なんとも貧しい食事なんだ。囚人たちはこんな料理をずっと食していると思うと、不思議な感覚になる。こんなのでお腹いっぱいになるのだろうか。うーんと唸ってしまう。看守に戻った方が美味しいものが食べられ……。
「この席空いてるわよ!」
隣にドカッとトレーを置いてきた人がいて、肩を震わせてしまう。一体何事だろうか。
隣に視線を向けると、緑の髪を三つ編みに結んでいる女が座ってきた。胸がふっくらと膨らみ、唇は薄ピンク色。まつ毛も少し長くて、顔立ちが整っている美人な女性だ。目が少し吊り目なのは残念……。
この船で初めての女性に出会ったためか、体が強張ってしまう。どう接すればいいのか、戸惑いを覚える。
「そんなに緊張すんなよ、お兄さん。あんた、こっから出たいんでしょ。あたしたちも船から脱獄する策略だから」
彼女が肩を組んできて、胸が左上腕に当たっていた。童貞の僕にはキツすぎる展開。アレがたっちまいそうだ。
「姉貴! それは言わないお約束じゃ……」
「そうだっけ?まあ、細かいことは気にすんな」
囚人の女だけあってか、態度がかなりデカい。肩から手を離した瞬間椅子にもたれかかり、大の字で座っていた。これ股が見えるんじゃ……恥じらいはないのか?と心配になってしまう。
そんな彼女の目の前には、褐色肌の男が座っていた。右目に包帯を巻いていて、怪我をしているのが分かる。左目は水色に近い瞳。
彼は女のツッコミ役としてはかなり優秀だ。知り合いだろうか。
男は丁寧に挨拶してきた。
「どうも初めまして。ボクはダニエル。あなたの隣に座っている彼女は、ルビー」
「よろしく〜!」
「二人は知り合い……?」
「恋人同士」
「ち、違うって!!」
ルビーがのっぺりした声で言うと、ダニエルの顔がトマトのように赤らみ慌てて隠そうとする。なんだ、リア充か……。僕には縁がないタイプだわ。逃げよう。
トレーを持って立ちあがろうとしたら、女に左腕を引かれた。彼女は微笑ましい笑みを浮かべている。
「ねえ、お兄さんさ。アルマの知り合い?」
「え……?」
いきなり彼の名前が出てきて、戸惑いを覚える。この船では囚人同士だと番号しかわからないはずで、フルネームを知っている人は有名じゃなければ仲間や友達でない限り少ない。この人はアルマの知り合いなのだろうか?それとも名前だけ知っている?
僕はその場で座り、ルビーの赤い瞳に視線を移す。
「あたしこう見えて、元アルマの恋人なんだよね」
「恋人!?」
アルマも男である限り、好きな人と付き合うことくらいするだろう。青ざめるくらいショックではあるが、固唾を飲んで彼女の話に耳を傾ける。
「そう。2年くらい付き合ったかな? それでわかったことがいくつもあるんだ。聞きたい?」
「少しだけ……」
「ふーん。あいつのこと、好きとか思ってるの?」
「そんなわけないでしょ!? 相手は男だぞ。僕はノンケだ」
「性別なんて好きに関係ないわよ。あたしが言いたいのは、もしあいつに好意を抱いたら後で痛い目見るってこと」
それは、どういう意味だろうか?
彼女の話に興味を持った僕は、ルビーの話に耳を傾けることした。
彼女が話した内容は以下の通りだ。
16世紀くらいの中世後期のヨーロッパでは、まだ殺人が貴族の娯楽として扱われていたという。警察と似たものは存在していたが、まだ制度は確立していない。警察の役割は、貴族や地方の領主が担っていることが多かった。だから、名誉から外れるのを恐れた貴族自身を裁くことが難しかった。
バートリ・エリザベートという名門貴族のお姫様が、ルーマニアの丘の上にある城に住んでいた。彼女が幼い頃。父は戦へ行って帰ることはなく、母だけが残り母はバートリに厳しい躾をした。彼女の心は歪み、動物を蘇生させることができる黒魔術を学ぶことで気持ちを沈めていた。
虐待ばかりしていた憎い母が死んで鞭打ち。血が顔にかかり、血を浴びた快感から殺人を行うようになった。
彼女は名門貴族であったせいか、誰も止めることができない。今では考えられないほどの娘を殺していく。その数600人以上。女吸血鬼の元になった人物だ。
警察の体制が整い始めたのは、近代に入ってから。しかし、人の急激な増加・貧困が加速して飢饉が起きたり警察の怠慢が蔓延していたりすると警察が機能しなくなることもある。犯罪が起きやすいのは、そのような時だという。
現在監視カメラの導入で犯罪は減っているが、やはり家庭内の環境や学校における環境により子供の心が左右されるのは今も昔も変わらない。
アルマの住んでいた街も貧困が蔓延っていて、周りで暴動が起きている状態だった。父と母の間に産まれた彼。お金がないので育てることができず、捨てられたという。児童保護施設で育ったアルマは他の子供達と馴染むことができず、動物を殺すことで心が安らいでいた。大抵の殺人犯は動物殺しから人間殺しに展開することが多く、彼もその一人。
殺人に走ったきっかけは、19歳の頃。アルマがお金をケースで持っていた男をナイフで惨殺したのが始まり。お金を手に入れる手っ取り早い手段を理解したものの、たくさん殺人を犯せば警察に捕まるのは目に見えている。ならば仕事をしてお金を手に入れようと心を切り替え、お菓子会社に就職。メキメキと働きながら自分が良い人に見えるにはどうするばいいか試行錯誤しながら、24歳になった頃。社長にまで上り詰めた。彼が社長になってからお菓子がたくさん売れて、大企業になっていった。そんなもの、アルマにとっては計算済みだったんだろうな。
彼は頭がいいやつだからね。社長という地位を維持しながら、殺人をしていたんだ。社長がそんなことしても、誰も信じないはずさ。
青年時はお金を奪うためだったが、社長になってから自分の気に入らない社員を呼び寄せて暗殺。アルマは自分の性欲を満たすために、かなりムゴい殺し方をした。警察が「これは人間がしたことなのか?」と驚くほどのな……。これについては、気絶するほどムゴいから質問するなよ。
社長に上り詰めたのも、自分が良い人に見せるために根回ししていたから。そんな奴は自分のことしか考えていないだろう。あいつに慈悲を求めても無駄だ。あいつが使えると思えば使うが、使えないと思ったらキッパリと仲間だとしても切る。
今は君のことを使える奴だと思っているんだろう。理由は知らないけどさ。でもいつか使えない奴だと思われたら、汚い言葉で罵られるかもしれない。だから、そういうやつからは距離をおいたほうがいいということだ。
ルビーの話を一通り聞き終え、納得してしまった自分がいる。とはいえ、信用されている内ならまだ大丈夫だからこのままでいいと思った。裏切られたり使えないと思われたりした場合、考えよう。
自分の意志を彼女に伝えると、「お人よしだな。君みたいな奴は食い物にされるだけだよ」と言われた。そのことについてハテナマークしか浮かばないので、とりあえず食事をとることにする。スプーンを握りしめて、スープを飲んだ。ほんのりとミルクの味と香りがして、心休まる。
「そういや、ルビーは詳しいんだな。今考えた話か?」
ダニエルがそう尋ねてきて、彼女は首を振る。
「いや、アルマから聞いた話さ。あいつは物知りなんだ。話すと普通に面白いよ、あたしもそこに惹かれたんだよね。今考えればバカだった」
ため息をついた後座る姿勢を整え、彼女も食事をとり始めダニエルも食事を始めた。僕は二人の話に耳を傾けながら、ゆっくりと食事を進める。