悪意
帰りのショートホームルームを終えて、俺は荷物を片付け始めた。クラスメイト達は既に、部活動や帰宅や、とにかく各自の気の赴くままに移動を開始した。
「じゃあな、槇原」
「うん。じゃあね、浦野」
浦野は、所属する野球部の練習へとさっさと向かっていった。
昨日から口を聞いてくれない果歩ちゃんは、向こうで仲の良い女子数人で会話を楽しんでいた。
集合時間までは、まだ少し時間がある。
この隙間時間を利用して宿題を終わらせておこうと思ったのは、勤勉さが出たせいか。緊張を紛らわせるせいか。
数学の宿題は嫌いじゃない。
数字を適切な公式に当てはめて解を導く作業は、コツさえ掴めばただの作業に近い。だから、よそ事に意識を集中しながら、俺はシャープペンを走らせた。
……ラブレターをもらうのは、いつかの軽井沢さん以来だ。
あの時は、直前で何度も嘘告白をされたせいで、すっかり女性不信になっていた。だから彼女の思いが本物か否か、そればかりを考えていた気がする。
それがおかしいことなんだと気付いたのは、あの刃傷沙汰があってしばらくしてからのことだった。
告白。
その行為の登場人物はただ二人。
告白する側と、される側。
告白する側のすることは、相手への思いを告げること。
であれば、告白される側のすることは……。
実は、それは告白する側と何ら違わない。
相手への思いを、告げること。
告白する、されるに関わらず、本来その行いで交わされる行為はただのそれだけ。
嘘の告白だなんて、相手を貶める行為を食らったから、あの時の俺はするべきことを見誤った。
いいや、嘘告白のせいにするべきではないだろう。
あの時の俺は、どんな形であれ軽井沢さんに自らの意思を告げることを渋った。臆病風に吹かれたのだ。
だから、もう……答えを出さずに誤魔化すのは止めようと思う。
適当にはぐらかすことは、事なかれ主義の権化のような俺の常套手段。
でもそれは、自らの尊い気持ちを伝えてくれた相手に対しては、するべきではない行い。
いつの間にか俺は、毒され、そんな当たり前のことさえ見失っていた。
……この生き方を根本から変えることは、多分出来ない。
これは、俺の生き方であり自衛手段でもある。この生き方をしているから、精神的に守られている部分だってあるんだ。
だから、それを変えるつもりはない。
でも、お互いの純粋な思いを告げる場所でくらい、俺も素直な感情を吐露するべきだと、そう思ったのだ。
例え、俺の思いを伝えた結果……。
相手に泣かれようが、怒られようが、……笑われようが。
多分、俺はそうするべきだったんだ。
……軽井沢さんから告白された時も、そうするべきだったんだ。
集合時間の五分前。
俺は、ラブレターで呼び出された場所へと向かった。
……まだ、そこには誰もいない。
しばらく待つか。
集合時間を少し過ぎ、ようやくその人は姿を現した。
「来てくれてありがとう」
「ううん」
相手の思いに答えること。
それは多分、人として当たり前のこと。
だから、ここに来ることは俺にとって、当然のことだった。
「あなたに伝えたいことがあります」
「何?」
「あなたのことが、好きです」
……どこか抑揚のない女子のセリフに、俺は頭を下げた。
「ごめんなさい」
自分のするべきこと。
俺は、それを全うしたのだ。
……その結果、俺は相手に恨まれるかもしれない。憎まれるかもしれない。
でも、俺は彼女の告白を受け入れることはどうしても出来ない。
彼女が悪いわけではない。
むしろ、ありがとうと伝えたい。
こんな……チビで、デブで、ブサイクな俺に告白をしてくれたのだから。
こんな俺に、少しでも好意を持ってくれたのだから。
興味を持って、くれたのだから。
嬉しくないはず、ないではないか。
それでも、この気持ちは代わりそうもない。
好きな人がいる……と、言うわけではない。
でも俺には、今目の前にいる彼女よりも、一緒にいたい人がいる。
これが好き、なのかはわからない。
そう言えば俺は、ロクに他人に好意を抱いたことはないんだと、この時気付いた。
ただとにかく、俺は彼女の告白を受け入れることは出来ないのだ。
それだけは……曖昧な心の中でも、間違いない事実だった。
「……最悪」
女子は、呟いた。その声は、怒っているようだった。
「なんで、あたしがあんたに振られないといけないの?」
上から目線のセリフを聞き、俺は悟った。
ああ、これは嘘告白だったのか、と。
俺はゆっくりと顔を上げた。
少女は、敵意ある目で俺を睨んでいた。
「あんたを貶めようと思った」
少女の声は、震えていた。
事の成り行きを見守っていただろう、女子達が校舎の角から姿を見せた。
「あんたのせいで、水原君が学校を辞めた」
……水原君の影響力は、凄まじかったんだな。悪い意味で。
「あんたさえいなければ、水原君はまだ学校に居られた……っ」
伝聞した話だけでもわかる。
水原君の天下は、もう長くはなかっただろう。
ただそれは、俺のせいではない。
脇の甘い彼が招いた結果である。
彼女らが今、俺に向ける視線は……お門違い、というやつだ。
……ただ、同情もする。
彼女達も、水原という男と会わなければ、普通の生活が送れたかもしれない。
普通に異性に恋をして。
普通に学生生活を謳歌して……。
そんな、普通の幸せを彼女らは掴むことが出来たのだ。
多分、今こんなに状況がこじれた理由は、水原君のせいでも、彼女達のせいでもない。
この環境のせいなんだろう。
そんな風に考えてしまったからか……。
怒る気にもならないし、文句を言う気にもならないし、喧嘩する気にもならないし、謝る気にも、到底なれなかった。
「俺を貶めることで君達が満足するなら、いくらでも貶めると良い」
俺は、彼女達の行いが正しいとは思わない。ただ、間違っているとも思わない。
彼女達の行いに憤怒することは出来る。でも、それは彼女達の行いが正しいか否かを決めることではない。
でも、この八つ当たりをすることで彼女達が少しでも救われるのなら、それで構わない。
俺は、他人に八つ当たりを出来る程、学校内での立場が高くない。
だから、だったら俺が彼女達の不満を全て抱えればそれで良いと思った。それで彼女達が救われて、水原や彼に身籠らせられて学校を辞めていった人達のように、取り返しの付かない状態になる人がもう出ないなら……それで良いと思った。
巡り巡ってそれは、俺への被害が減ることにも繋がるわけだし。
怒る気力も失った今、それで解決出来るならそれで構わない。
……でも、彼女達はそれで満足するのだろうか?
「……全然」
嘘告白をした少女は、泣いていた。何の涙かは、わからない。
「全然、満足しないっ!」
「……だったら、きっと間違っていたんだよ」
それが答えなんだろう。
そして、じゃあ何が間違っていたか。それを導くことは俺では出来ない。それは彼女達が導くものだ。
俺は踵を返して、社会科教室に向かうことにした。
予定通り、俺は部活動に遅刻で向かうこととなった。
貶めたいから嘘告白ってなんだと、読んだ人は思ったことだろう。
おそらくこれを書いた当時のワイ(昨晩)は、この女どもが嘘告白後、告白を受け入れた主人公と体の関係を築き、美人局をし貶めるつもりだったと書きたかったのだと思う。
いくらチビデブブサイクでもこんなに嘘告白されんやろ、と最近思い始めている。
嘘でもええから誰かワイに告白しろ。




