閑話①
〜〜〜軽井沢視点〜〜〜
槙原君の病室を後にして、帰宅道に着いた。歩調は異常に早い。
や、やってしまった……。
優しい槙原君に甘えるあまり、抱きついて、子供のように泣きじゃくって、更には頬ずりまでしてしまった。
あの時は、優しい槙原君に甘えられて、慰められて、頭を撫でられて、色んな感情が渦巻いていたが、今になって思うと、子供のようだと思われたりしなかっただろうか……?
槙原君の部屋に入室してから、退室するまでの時間はおおよそ一時間。
言葉で慰めてもらったのは、多分十五分くらい。
それじゃああたし、実に四十五分もの間、槙原君の体に慰めてもらっていたことになってしまう……。
槇原君、嫌じゃなかったかな?
最初の方は、感極まるあまりに直情的に槙原君に抱きついていた。だけど実は、それは最初の二十五分くらい。
残りの二十分くらいは冷静さを取り戻していた。
でも、あの場の雰囲気に乗じて甘え続けようと魔が差して、あたしは槙原君に甘え続けた。
至福の一時だった。
どれくらい至福の一時だったかと言えば、朝一時間くらいいつもより早く目が覚めて、やった、後一時間寝れると思うくらいの至福具合。
いけない。
あたしったら一体、どれだけの幸福を感じているの?
ただ、その後はさすがにやりすぎたかと思って、槇原君の顔色を伺いながら、あたしは彼から離れた。
その時の槙原君は、笑っていたけど笑っていなかったような気がするのは気の所為か。
心なしか、顔も若干、青ざめていたような……?
……槙原君は、今日は一日検査入院をして、明日のお昼には退院をするらしい。
あたしのせいで、とんだ貧乏くじを引かせてしまった。
でも彼は、そのことに関して謝罪ではなくお礼を言ってと言ってくれた。
彼の寛大さに、あたしの心は一層、彼に引き寄せられた気がする。
帰りたくない……。
帰らずに、槙原君と一緒におしゃべりしてたい……。
いつもの槙原君は、はぐらかすような話が多かったけど、今日の彼はいつもより素直に自らの考えを吐露してくれていた気がする。
あの感じなら、強引に押し続ければ押し通せた気もする。
もしかしてあたしは今、一つの機を逃したのでは……?
そう思ったら、今すぐ彼の病室に戻って、看病を口実に彼の世話を一晩してあげたい。
今回の一件、あたしが手首の捻挫だけで済んだのは間違いなく彼のおかげ。言ってしまえば彼は、命の恩人。
この溢れるばかりの感情だったら、今ならあたし、彼になんでも出来てしまう。
そうやって彼に尽くせば、彼もあたしに振り向いてくれるのではないだろうか……?
……うん。
イケる!
行こう!
「あれ、軽井沢さん」
と思った矢先、あたしは一人の知り合いと出会った。
「田中さん」
田中果歩さん。
槙原君と同じクラスの、彼の友達だ。
「槙原君、目を覚ました?」
「はい。さっき」
「そっか」
あたしは実は、田中さんがあまり得意ではない。
いつもニコニコしていて、その笑顔はとても綺麗だと思うんだけど……。何だか裏を感じるのは、気の所為だろうか。
「槙原君、今回はとんだ貧乏くじだったね」
田中さんは、軽い口調で言った。
あたしとしては……槙原君以外の人にはあまり話題にされたくない話だった。
「……はい」
申し訳ないことをした、とか、あたしのせい、とか、そういう言葉は出さなかった。
槙原君が、今回の件であたしからそのニュアンスの言葉が漏れることを、望んでいないことは、さっきの会話で嫌という程わかったから。
「……あのストーカー、うぬぼれすぎだったよね。自分ならなんでも手に入る。王様気取りだった。まあ、その実、あのストーカーは裸の王様だったんだけど」
「そうですね」
「でも、そんな裸の王様のせいで、彼が怪我をする必要はなかったはずだよ」
「……そうですね」
「あなたが、彼を巻き込んだんだよ?」
……田中さんに反論する言葉はあったはずだった。
他でもない、槙原君があたしのせいではないと言ってくれている。それを伝えるだけで良いはずだった。
だけど、あたしは田中さんに返す言葉がなかった。
それは結局、槙原君に何を言われようと、あたしも田中さんと同じことを思っていたからに他ならない。
「最低だね、軽井沢さん」
田中さんは、ニコニコ顔を崩さないまま、あたしの横を過ぎていった。
今のあたしには、もう一度槙原君の方へ戻る気力は残されていなかった。
①を付けたのは、どうせその内また閑話を書くだろうから。




