濡衣
突然の来訪。
突然の濡衣。
怒れる他クラスの女子。
ドン引きしているクラスメイト。
今、目の前にいる少女は俺になんと言った?
寝取りがなんとか。寝取り?
寝取りってあれか? 恋人がいる女子を、奪い取る行いか?
はっ。
寝言は俺の顔を見て言え。
このチビデブブサイクに女子を寝取れるような求心力があるとでも思っているのか!
と、言うか……。
「水原君って誰?」
「寝取った相手のことも知らなかったの? 最低!」
……あれ?
もしかして、やらかした?
見ず知らずの人の名前に、思わず反応してしまったが、最初は自分の身の潔白をするべきだった?
「いきなりそんなこと聞いて、話を逸らす気? 本当最低!」
やばい。
やばい!
濡衣なのに、ファーストコンタクトに失敗したせいで、本当のことにされそう!
俺は、平静を装いながら、何から言うべきか迷った。
クラスメイトは依然、ドン引きした様子で俺達の一挙手一投足を見守っていた。いや、見守っていた、というか……俺を睨んでいる、というか。
あれ?
もしかして、本当に詰みそう?
齢十五歳にして?
俺、死んじゃうの?
じ、冗談じゃない!
これでも俺には、三十歳まで貯蓄ゼロのままその日暮らしをし、身を投げるという立派な将来設計があるのだ!
ここでおちおち、社会的に抹殺されるわけにはいかない! いかないんだ!
「お、落ち着いてくれ。いきなりのことで戸惑っているけど、とにかく、落ち着いてくれよ」
「落ち着いてるわよ!」
いやウソつけ。
俺をこれでもかと睨みつけて今にも殴り掛かりそうなのに、どこが落ち着いているというんだ。
「色々言いたいことはあるけど、俺は無実だ。そもそも彼女さえ出来たことがない。この俺の顔がモテそうに見えるか」
「……あんた、あんなに水原君のこと苦しめて、よくそんなこと言えるわね」
「だから、水原って誰だよ!」
「この期に及んで、それで逃げられると思ってるの? 本当最低!」
……あれ、これもしかして。
ファーストコンタクトに失敗してなくても、詰んでた?
所謂、負け戦だった?
ちょっと状況を整理しよう。
まず、名も知らぬ彼女の言い分は……俺が、水原君とやらから彼女を寝取ったことを叱責しに来た、と。
それに対する俺の反論は、彼女を寝取った覚えもなければ、彼女も出来た覚えがないと言った。そして、そもそも水原という男すら知らないとも言った。
それに対する彼女の答えは要約すると……。
水原君が可哀想!
国会答弁で質問に回答しない政治家か?
虚偽の統計データを持ち出し自分の功績を偽った政治家か?
責任を連呼した癖に、いざとなったら責任逃れする政治家か!???
政治家関係ねえ!
とにかく、俺が言いたいのは、この人、俺の話聞いてねえじゃんってこと!
他クラスの教室に乗り込んできて、こちらの事情も聞かず、一方的な話だけで俺に非があると判断して断罪しているわけだろ?
そもそも、水原とやらが俺を断罪しに来ず、この人がここに来たこと自体理解出来ない。
この人はあくまで第三者。つまりは部外者なのだ。
そんなに俺に文句があるなら、水原とやら自身がここに来て、俺に殴りかかるでも文句でも言えばいいだろ。
そうせず、どうして第三者の彼女がここに来る。
さらに言えば、第三者の立場の癖に、この人はなんで話を聞かない。それじゃあ第三者がここに来た意味ねえじゃん。
公平な立場から誰の責任か明らかにするためにここに来たんだろ。ちゃんと役割果たせよ。
……と、言う意図のセリフを、珍しく熱くなった俺は、丁寧に彼女に伝えた。
「信じられない! ほんっと最低!」
結果、余計に彼女を怒らせた。怒らせた挙げ句、彼女は半泣きだった。
「覚えてなさいよ! 今度、ウチのクラスの女子全員で吊し上げてやるんだから!」
ヒステリックに泣き叫んだ彼女は、俺の事情を結局聞くこともなく退散していった。
完全論破。
俺の勝ち。なんで負けたか、明日までに考えておいてください。
……ただ、少し考えて俺は気付いた。
結局、俺がしたことは彼女が話を聞かないことへの文句だけで、俺の身の潔白は証明されていないのだ。
客観的に考えよう。
今、クラスメイトから、俺がどう見えているのか。
……今の俺は、水原君から恋人を寝取った疑惑がかけられていて。
それを断罪しに来た女子を、話を逸しながら怒らせ……挙げ句泣かせた、と。
クラスメイトから見て、俺の心証はどうなっているだろうか?
それは、寝取り野郎、女を泣かすクソ野郎。
そんな敵視満載な視線を寄越す皆を見ていれば、あまりに明白だった。
……濡衣なんですけど?
その言葉は、今のクラスメイトには届きそうもない。
「最低……」
女子の小声が耳に届いた。
「寝取った上に、断罪しに来た女の子泣かせたよ、あいつ」
……あー、終わった。
「本当、クズ中のクズね」
まあ、仕方ない。
割り切りの良さが、俺の持ち味だ。火のないところに煙は立たない。槙原君ならありえない。そう言われるくらい、身の潔白さを信じてもらえる程度に、クラスメイトと信頼関係を築けなかった俺が悪いのだ。
割り切って大学生活に切り替えよう。
……と思ったが、まあ、誰も信じてくれないこの状況は、さすがにちとキツイ。
俺から見れば、お前らも寝取りと同じくらい酷いこと、俺にしているからな?
嘘告白を何度も何度もしてきて……こっちが笑って許しているからって、それを棚にあげて断罪しやがって。
とは言え、それは連中を助長させた俺も悪いと、そう言えばいつか思ったか。
つまり、今のこの状況の一端は俺にもあるわけだ。
……であれば、やはり仕方のない事態、か。
とりあえず、居た堪れないから今日はもう帰ろうか。
ヒソヒソ話に耐えられなくなった俺は、カバンを持って帰ろうと思った。
「いや、槙原君に限って、そんなことはしないでしょ」
そんな時だった。
一人の女子が、声を上げてくれたのは。
「……果歩ちゃん」
俺は呟いた。




