出会
夕暮れの校舎裏。
帰宅部の生徒は帰宅し、部活動に励む生徒はせっせと声を張り上げながら活動に勤しむこの時間は、先生も部活や仕事で閉じこもっていることも相まって、絶好のスポットと化していた。
何の絶好のスポットかって?
「槇原君!」
それは、俺の右手に握られた手紙と、俺を呼び止めた少女の姿を見れば一目瞭然だろう。
「恵美ちゃん。……この手紙って、その」
俺の右手に握られた紙は、所謂ラブレター。またの名を恋文とも呼ぶ。
俺へ向けられたこの手紙には、ただ一言、今日、この時間にここに来てほしい。それだけが書かれていた。
「槙原君。実は、伝えたいことがあるの」
ゴクリ。
生唾を飲み込んだのは、俺だった。
「槙原君のことが好きです。あたしと付き合ってくれませんか?」
「え……」
人気のない校舎裏。
夕暮れ沈むノスタルジックな気分になる時間帯。
まさしくここは……。
「なんちゃって、ドッキリでしたー」
嘘告白の、絶好のスポットだった。
緊張した体の筋肉が、瞬く間に緩んでいくのがわかった。
「ちょっとー、びっくりさせないでくれよー」
俺はおどけた。
アハハハハ、と遠くから笑い声が聞こえた。それは、嘲笑とは少し違う笑い声。
「どう? びっくりした?」
「めっちゃびっくりしたよ。一瞬本気にしちゃったわ」
わざとらしく心臓を抑えながら、オーバーリアクションで俺は言った。
恵美ちゃんに向かって、女子数人が集い始めた。そして、皆は嬉々とした顔で俺を見ていた。
「アハハ。いい顔してたよ、槙原君!」
「ね、主演男優賞もの!」
「……マジで勘弁してー。本当、心臓に悪いわー」
アハハ、と女子の間からもう一度笑いが起こった。
「そんなに本気にしちゃったの?」
「いいじゃん。本気になっちゃいなよ」
「ちょっ、果歩。あんまり勝手なこと言わないで」
抗議とばかりに、恵美ちゃんは不服そうな顔で果歩ちゃんに言った。
「えー、もしあたしが恵美の立場なら、本気になられても悪い気はしないけど?」
「果歩、少し黙って」
「……じゃあ、あたし達、そろそろ行くね。槙原君」
「うん。さよなら」
談笑しながら校舎裏を立ち去っていく女子達の背中を視線で追いながら、俺は未だ動き出すことが出来ずにいた。
この嘘告白は、最近我がクラスの女子の間で流行っているジョークの一種である。
どうやら一部の女子が、告白した際の男子の慌てふためく姿や、驚く姿を見て、味を占めてしまったらしい。
俺以外にも、クラスの男子は何度か、女子に嘘告白される被害に遭っている。
ただ、嘘告白の被害はどういうわけか俺がクラスでも段違いで一番多い。
実に、今月に入ってからこれで五回目。
さすがに今日は、呼び出された時点でまた嘘告白かもな、と思い始めていたが……彼女達も徐々に演技がかってきている点や、独特な緊張感から嘘告白だと見抜くことは出来なかった。
まあ、仮に見抜けたとて、それを態度に出せたかと言えば話は変わる気はする。
女は徒党を組む生き物。
あまり反抗的な態度を取ると、こいつ空気読めねーとなり、俺へのあたりが強くなる恐れがあるのだ。
故に、嘘告白だとバラされた後は今日のように、女子に混じって馬鹿笑いをするようにしていた……のだが、最近はそれも失敗だったなと思い始めていた。
俺のあの態度が、女子が嘘告白のターゲットを俺に絞った理由なのでは、と最近思い始めていた。
槙原君なら、嘘告白しても怒らない。
槙原君なら、なんか平気そう。
そんな考えが充満した結果、女子目線からすると、嘘告白の相手に俺は選びやすいのではないだろうか。
……まあ、もしかしたら他にも、女子から見て俺を嘘告白の相手に選びやすい理由はあるかもしれない。
身長、百六十五センチ。
体重、七十八キロ。
顔は、よく痩せたら可愛いと言われる。つまり、太っている今はブサイク。
つまるところ、女子目線からすると俺は、どうあがいても本命に躍り出ることがない程度の存在だから、ぞんざいに扱いやすいのではないだろうか。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
翌朝のクラスは、昨日の放課後に嘘告白があったというのに、俺が登校する時には平常運転で時間が進んでいた。
「おっす、槇原」
「おはよう」
「お前、昨日また告白されたんだって?」
「な。モテすぎて怖いわ」
恐らく、俺がされた告白が嘘告白であることを知っているであろう浦野に、俺は渾身のドヤ顔を見せた。
浦野は笑った。
つられて、俺も笑った。
「それにしても、マジ趣味悪いよな」
「わかるわー」
「お前に告白するだなんてさ」
「いやいや、そっちかい。嘘告白に対する反応かと思ったわ」
いつの間にか、クラスメイトが俺達の漫才を聞いていた。
「いやお前、誤解しているけど俺、結構イケメンだよ?」
クラスのどこかから、鼻で笑う声が聞こえた。
「いや、それはない」
「いやいやいや。お前、全然客観視出来てないわ。だって俺、BMI二十六だよ?」
「BMIはイケメンを示す指数じゃないんだわ」
「えっ!?? 高ければ高いほどいいんじゃないの?」
「江戸時代ならな」
「江戸時代にBMIはねえから」
まもなく授業が開始されるため、俺達のしょうもない漫才は幕引きとなった。
ぼんやりと授業を聞きながら、俺は改めて自己評価を冷静に下そうと思った。
ただ、自分で言うのもなんだが、クラス内での俺の評判は決して低いわけではない。
基本、頭空っぽにして朗らかに会話をしているためか、陰キャか陽キャかで言ったら……多分、陽気な陰キャ。
いや、陰キャなのかい。
まあとにかく、キレの良い自虐と笑われることが嫌ではない性格のおかげで、クラスの人との関係は悪くない。
……思えば、この適当な性格も、嘘告白相手に選ばれる要素になっているのでは?
まだしばらく、俺への嘘告白が続きそうで……他人にはわからない程度に、俺は辟易とした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最後の嘘告白から一週間。今週は結局、あの告白以降、女子陣から目立った動きはない。
と思ったら翌週の月曜日。
下駄箱を開けると、また封筒が入っていた。
本当、俺ってモテモテだなあ。
そんなことを思いながら、俺は封筒片手に教室に向かった。自席に腰を落として、敢えて、手のそれを他人にも見えるように開封した。
あー、こいつまた嘘告白されるんだな。
どうせ嘘告白されるのなら、いっそのこと周囲にそう認識してもらおう。
これは、ある日に嘘告白に対する陽気な陰キャの対抗手段を考案し、編み出した策だった。
クラスメイトは、敢えて俺に声をかけるようなことはしない。ここで反応すれば、俺の思うつぼだとでも想っているのだろう。
ラブレターはいつも通り、来てほしい時刻と場所が記載されていた。
……今更ながら、俺はこの告白場所に行かない、という選択肢はない。行かない、という選択肢を取ることもまた、女子陣に取っては俺への敵視を強める理由になってしまうのだ。
陽気な陰キャの俺は、このクラスでの立場もあまり強い方ではない。
……出来れば、こんなしょうもない遊びはさっさと飽きてほしいものだ。
嘘告白をされたら俺は、それが本気の告白かどうか見抜くことは出来ないし、向こうにとって都合の良い反応をするし、ドッキリと告げられた後だって、連中と後腐れなく変わらず過ごすことは出来る。
性格は適当だし、あまり引きずらない質だし、向こうから見て、ドッキリを仕掛けやすい人種でもあるだろう。
でも、された告白が嘘告白だと知ったら。
他者から見て、自分の劣る点を再確認させられたら。
心を弄ばれたら……。
どんなに適当な俺だって、さすがに凹む。
それでも俺に、逃げ場はない。仕方ない。それが、俺の程度なのだから。
チビデブブサイクな俺なのだから、周囲にぞんざいに扱われるくらいが丁度良いのかもしれない。
ただそれでも……ほんの僅か、期待していた。
今回は、嘘告白じゃなければいいな、と。
そう、期待していたけれど……。
待ち合わせ場所の視聴覚室の前に立つ少女を見て、理解した。
ああ、これは今日も、嘘告白だって。
恐らく、今日俺に恋文を送ったであろう少女は。
黒髪長髪に、モデルみたいにスタイルが良くて、人形のように顔が小さくて。
……チビデブブサイクな俺に、こんなに可愛い子が惚れるはずがない。
すぐに、そうわかってしまうような可愛い子だった。
「槙原君。来てくれてありがとうございます」
緊張しているように伏し目がちな少女は、まずは俺に一礼をした。
「いいえ。えっと……同じクラスだっけ?」
「いえ、隣のクラスの……軽井沢と言います」
「軽井沢さん。よろしく。……いやー良かった」
「何がですか?」
「俺、物覚えが悪いからさ。もし同じクラスの人の顔覚えてなかったらどうしよって」
「……そうですか」
そこは笑ってほしかった。駄目駄目だなあって。
……きまずい。
「え、と……今日はその、槙原君に……その、伝えたいことがあります」
「うん。何?」
恐らく嘘告白だと思ったから、思わず催促するような言い方になってしまった。
恐怖に怯えたように肩を揺らした軽井沢さんに、罪悪感に駆られた……が、まもなく俺は彼女にもっと酷いことをされるんだと思いだした。
「槙原君、あなたのことが好きです」
美人の軽井沢さんの告白に、驚くことはなかった。
しまった。
もっとわかりやすく驚いた方が……感じ悪くなかったか?
そう思ったが、今更反応するのもおかしくて、俺はただ黙っていた。
すぐ、来ると思ったのだ。
向こうの廊下の曲がり角から、こちらを伺っていただろう女子達が。
ドッキリだよ。
笑いながら、そう言いに来ると思っていたのだ。
しかし、待てど暮らせどそんな人が現れる様子はなかった。
「……あれ?」
思わず、俺は廊下の向こうを眺めていた。
「……槙原君?」
「え?」
「あの、今あたし、君に告白したんです」
「うん」
「それでその……返事を聞きたいです」
「え?」
「え?」
え?
俺、今おかしな反応したか?
嘘告白されたのなら、俺の返事なんて必要ないじゃないか。
むしろ、返事をされたら困るだろ。
早く嘘告白だって言わないと……告白成就しちゃうよ?
それだったら嘘告白じゃなくて、ただの告白じゃん。
「……ん?」
俺は、腕組をして首を傾げた。
「もしかして君、今俺に告白した?」
「え?」
「え?」
「……あの、はい」
おずおずと、軽井沢さんは頷いた。
「んー……?」
それってつまり……どういうことだ?
あれ、理解が追いつかない。
「あの、槙原君?」
「ごめんっ! ちょっと整理させて」
軽井沢さんを待たせて、俺は一人あーでもない、こーでもないと頭を抱え始めた。
しばらくして、俺は思考をまとめた。
「えぇと、つまりなんだけど……君は今、俺に告白をした」
「はい」
「つまり、君は俺が好き」
「うぅ……はい」
「はいはいはい。なるほどなるほど」
……んー?
……ん?
え?
「チビデブブサイクな俺のどこに惚れたって言うんだ!?」
俺は叫んだ。
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