彼女じゃなきゃ意味がない
「あーもぅ、いい加減にしてーーーーーー!!!!!」
魔法と妖精の国、フェアノスティ王国。
その北端の竜壁山脈に沿って伸びる広い平野地帯を中心に栄えるサザランド北方辺境伯領は、広い国土の中央にある王都エリサールから北に馬で10日とちょっと、馬車でのんびりなら20日ほどの位置にある。
竜壁山脈の何処かには竜たちの営巣地とそれを研究・保全するための場所『竜宮』があるといわれ、王国内でも竜と縁の深い土地である。
その辺境伯領の中、竜壁山脈の麓、大小の石灰岩がぼこぼこと林立する丘に、再び叫び声がこだました。
「フェアノスティの男だの、運命の恋だのうるっっっさい!!
みんなして同じこと何回も聞いてくるんじゃないわよーーーーーーーー!!!」
叫んでいるのは少女であった。
ラピスィリア・ザクト、こう見えて南方のザクト辺境伯家のご令嬢である。
東西南北の辺境伯家は王国内では侯爵と同等の名家で、建国時から存続して王家を支え続けてきた。
そのご令嬢が、野外用の動きやすいドレスで石灰岩の上に仁王立ちし、両手を口の横に当てて叫んでいる。
その瞳は星を散りばめたような濃い蒼で、緩やかにうねる豊かな髪は薄めの金色。
今年の春先に15歳になったばかりで、黙っていれば精巧に作られた人形の如く美しい少女なのだが、本人曰く、今は黙っている気分ではないらしい。
そんな少女の(立っている岩の)傍らでは、艶やかな濡れ羽色の髪を後ろで一括りに纏めた少年が魔法使いのローブの袖をはためかせながら両耳を塞いでいた。
「五月蠅いのはお前だ、ラピス」
「だって代わる代わる同じ質問を何回も繰り返されるのよ!?
初等部に入学したとき散々説明したじゃない!
それを高等部に上がって新しい顔ぶれが増えた途端にまた繰り返すことになるなんて……!!」
「顔ぶれが違うから、だろ?
仕方ないんじゃない?」
「前回説明した連中から訊けばいい!」
「高等部に編入したすぐだから訊く知り合いもまだいないんじゃ?」
「私だって知り合いじゃないけど、訊かれるよ!?」
「いいじゃん、本人に直接訊いてくれるんならそれ以上変な方向に尾鰭胸鰭がつかないし」
「だからって毎回毎回同じ説明して同じ反応を示されるの、きついんだけど!?」
「ハイハイ、タイヘンデスネ」
「棒読み!慰めに心がない!」
耳を塞ぐのを諦めて適当に相槌を打ちながら作業に戻った少年を、少女は岩の上から睨み下ろした。
少女、ラピスィリアの方が南方辺境伯家出身なら、少年の方はこの北の大地を護る北方辺境伯家の次男だったりする。
二人は齢が近いこともあり、実家は国の北端と南端とに離れているものの、ことあるごとに一緒に居る仲の良い幼馴染なのだ。
遠い、本当に遠~~~いところでは親戚だったりもするらしいが。
ラピスィリアは今年、フェアノスティ王国王都にある王立学院の初等部から高等部に進級した。
さまざまな魔法技術を教えてくれる学院は通常、12歳からの三年間を初等部で経済論や淑女教育、初期魔法理論などの一般的な知識を学び、15歳からの二年間は高等部で各種方面ごとの専門技術に特化した内容の講義を受ける。
初等部で『学院卒業』の免状を受けるだけでも王国や諸外国の貴族の子供たちには一種の”箔付け”である。
高等部で専門知識を身に着ければ、それぞれの高等技術者免状も貰える。
一昔前までなら、貴族令嬢は初等部を卒業すると、結婚へむけ準備に入るために学院を去る者が多かった。
だが今は、貴族の令嬢も自分で事業を興したり、家業や爵位すら引き継ぐ時代。
だから以前なら圧倒的に男性率の高かった高等部にも進学する女性は多く、さらに他国で初等教育を終えた令嬢たちが王立学院高等部に編入するためにフェアノスティ王国に留学してくることも多くなった。
そして、フェアノスティ王国に他国から留学してきた生徒、とくに女性には真偽を確かめたくて仕方ない一つの噂があった。
”フェアノスティの男性は運命の相手を見つけて愛し抜く”
所謂”フェアノスティの男”に関する噂が本当か否かということだ。
貴族連中、特に王家の男たちは、確かに愛妻家というか溺愛家が多いのは事実である。
ラピスィリアの両親も仲が良いし、子孫を残すことに大きな意味がある王家の方々ですらも代々一夫一妻を貫いているくらい愛妻家ばかり。
だが実際には、フェアノスティの男性陣すべてが愛妻家というわけでもないし、運命の相手との出会いには憧れはあるがそうでなければ結婚しないというわけでもない。
離婚する貴族夫婦だっているし、政略結婚だってある。
特別な何かがあるわけじゃなくそこからしっかりと互いに歩み寄る努力をするか否かってだけ、とラピスィリアをはじめフェアノスティで生まれ育った子供たちは思っている。
だが、恋に色めき立ち瞳をキラキラと輝かせた乙女たちにそれを淡々と説明すると、皆一様にその華の顔に失望の色を浮かべるのだ。
その手の質問をされる度”現実のフェアノスティの男は案外普通”という事実を知らせて落胆させることになる側の身にもなってほしい、とラピスィリアは切実に思う。
故の、冒頭からの叫びとなるのだ。
「ハルトはどうだったのよ?
学院に居た時は似たような質問はされたんじゃない?」
「まぁ…多少はね。
ただ、学友の男性陣は大抵僕より年上だから。
自分より年下でまだ十二とか十三とかのやつに、恋愛について訊くと思うか?」
「あ、そうか、コイツ天才だったわ」
「コイツ言うな。
あと一応令嬢なんだからせめて岩からは降りろ」
ハルトことハルベルト・サザランドはラピスィリアより一つ年下の14歳。
だが彼は既に王立学院を高等部まで修了している。
通常卒業まで合計五年かかる学院を、飛び級に飛び級を重ねて初等部・高等部ともに一年ずつで修了し十三歳で卒業した稀代の天才少年なのだ。
どうしてそこまで急いで一人前になろうとしているのかというと、どうも彼には年上でかなり高位の貴族令嬢の想い人が居るらしい。
その令嬢の周囲の人たちから、彼女を護れるほどに強く一人前の男になるまでは婚約の申し込みを認めないと言われたそうで。
話を聞いたとき、令嬢本人じゃなく周囲から牽制されたのかと、その過保護っぷりにラピスィリアは若干引いたものである。
それでも、その大事に大事に護られているご令嬢に対して大手を振って婚約を申し込むために、学院で高等魔法科を卒業後、彼はすぐさま領地に戻りある機関に入門した。
通称『竜宮』と呼ばれるその機関は、その長に竜王ナザレと守護盟約を結んだ竜伯が座り、竜に関する研究と営巣地の保全を行う傍ら、竜の力と親和性のある者を集め『竜騎士』になるための訓練も行っている。
竜騎士は竜を乗騎とする騎士という意味ではない。
竜の力をその身に受け入れて戦うことのできる騎士のことだ。
竜の力に呑み込まれない強い精神と魔力、そして肉体が求められるため、入門はもちろん、修了はとても難しい。
ちなみに現在の竜伯は、先々代南方辺境伯兼先代王国総騎士団長でもあったパイライト・ザクト・コルベリオ子爵、ラピスィリアの祖父である。
ザクト家は代々竜王ナザレと守護盟約を結んできた竜とは切っても切れない縁のある家系。
そのため、竜宮があるコルベリオ地下迷宮周辺の地域を領地とするコルベリオ子爵領は、北方辺境伯領内にあっても南方辺境伯が管理する飛び地という特殊な場所であった。
さて、一通り叫んだり文句を言ったりして気が晴れたラピスィリアが石灰岩から降りようと下を見ると、ハルベルトが「ん」と手を差し伸べていた。
ぞんざいな口の利き方をしようが喧嘩腰の遣り取りをしようが、結局彼はラピスィリアには優しい。
それに、女のラピスィリアから見ても時々羨ましいほど綺麗な顔立ちをしている。
魔力が強い傾向にあるといわれる黒髪黒瞳で、その例に漏れず強い魔力を持つ魔法使いに成長したハルベルト。
ハルベルト自身は次男で辺境伯は継がずともいずれは魔道師団なり騎士団なりに属して身を立てていくのだろうし、年頃の娘の縁談相手としては超優良物件だろうに。
それでは足りず竜騎士までも目指さなければならないとは、お相手はいったいどんな高嶺の花なのだろう。
「で?もう告白はしたの?
もうそろそろお爺様から竜宮での訓練課程修了をもらえそうって言ってなかったっけ」
ハルベルトの手を借りて草地に降り立ったラピスィリアが何気なく問うと、隣の男からはぐぅとかむぅとかいう唸り声が聞こえた。
「修了は、した。
でも、告白というか婚約申し込みは……まだできてない」
「え?修了したの?
おめでとう!!
学院に続き最年少記録更新じゃなくて?」
「それはない。
カルセドニクス第6師団長……君の父上は、12歳で修了しただろ?」
「あ、そっか……なんかごめん」
「…………」
「でも、最年少でなくたって、修了したのならそれだけですごいじゃない!
なんでまだ告白してないの?」
「……一番大事な条件が、まだ達成できてない」
「彼女を護る、ってやつ?」
「うん」
ラピスィリアと話しながらも、ハルベルトの目線は手元の古代語の書物の文字を忙しく辿っている。
これから行う魔法実験の最終確認をしているのだ。
彼女を護れる男になるという条件を満たすため、ハルベルトが考えたのは最強の防御結界術式の構築だった。
目下、世界広しといえども竜の張る結界ほど強固なものはないと言われる。
竜と関係が深いザクト家出身のラピスィリアにも、古代に竜王と盟約したザクト家の血をもって『竜の結界』と呼ばれる強い防御結界が張れる。
ただし、ラピスィリア自身はどの竜とも守護の盟約を結んではいないので、己の持てる魔力が尽きれば結界は消えてしまうのだけど。
最強と言われる『竜の結界』よりも自分が編み出した結界魔法が固いことを証明するため、その二つをぶつけ合って『竜の結界』側を壊せばいいと、ハルベルトは考えたようだ。
『竜の結界』作成担当としてその実験を手伝うために、王都にある学院在学中のラピスィリアをハルベルトが自分の翼竜でこの北方辺境伯領まで送迎している。
馬で10日、馬車で20日の道程も、風の結界を張った翼竜でなら数刻で移動可能だ。
とはいえ、いつもは北方の領地にいるハルベルトが王都から彼女を連れてくるには往復半日になるわけで。
それを長期休暇どころか毎週末毎にやるのだから、まったくマメな男だと思う。
決意を込めたハルベルトの横顔に、ラピスィリアの胸になんだかもやっとしたものが沸く。
「そんな面倒くさい相手じゃなくても、ハルトならたくさんお相手候補がいるのじゃなくて?」
つい、そんな言葉が口から出てしまった。
何でも話せる大事な幼馴染の恋路を応援するために、こうしてここに来ているはずなのに。
そんなラピスィリアの想いには気づかずに、ハルベルトは静かに言う。
「彼女じゃなきゃ、意味がない」
そう言われれば黙るしかない。
そしてどうしても、相手が誰か気になってくる。
「いったいどこのどなたなのよ。
思い当たる令嬢、いないんだけど?
私の知らない方?外国の姫とか」
「フェアノスティの令嬢だよ。
ラピスも…よく知ってる人」
「え、ますますわかんない。
特徴は?名前は言えないまでも、なんか教えてよ」
くいくいと袖を引いてそういうと、ちょっとむすっとしながらハルベルトが口を開いた。
「その人は、ぼ…俺より少しだけ年上で」
「なんで言い直した?
まあいいわ、それで?」
「すごく綺麗で、真っすぐで」
「ふむふむ」
「ルシアン陛下のことは叔父さん呼ばわりだし、王太子殿下は呼び捨てにするし…」
「……それって不敬じゃないの?」
「大丈夫なんだよ、これが。
それに王立騎士団の各団長とも仲よくしちゃうような、剛毅な性格で」
「むぅ……」
「でも、根はすごく優しい、可愛い人なんだ。
ラピス、わかる?」
「………さっっっぱりわかんない」
「はぁ…………あっそ。
ほら、準備できた。
竜の結界をお願い」
「はーい」
ラピスィリアが足元に転がっていた小さな石灰岩の欠片を拾い、握りしめて集中する。
それから徐にぽいっと投げ上げ、それを風魔法で遠くまで飛ばしてから位置を固定する。
そしてその欠片を中心に先ほど仕込んだ竜の結界を発動させれば、実験装置の完成である。
あとは、ハルベルトの防御結界を組み込んだ魔道具を発動させ、ぶつけるだけ。
「今回は自信作だ」
「よっしゃあ、ばっちこーーーい!」
「…お前、ホントに令嬢?
まーいいや、いくぞ!!」
ガンというどこか硬質な音をさせて、二つの結界がぶつかった。
派手な火花やら雷やらは特に出ないが、押し合う魔力同士の圧は感じる。
これまでの戦績はいわずもがな、竜の結界の全勝だ。
少年と少女はまるで何かの競技の試合観戦でもするように、しばし自らが張った結界を応援する。
やがて――――――
ピシリと片方の結界に亀裂が入った。
そしてガシャンという破壊音と共に、結界とそれに包まれた石灰岩の欠片が砕け散った。
「………やっ、た」
「すごい……竜の結界が砕けるなんて……」
「やった!!ラピス!成功だ!!!」
嬉しさに我を忘れたハルベルトがラピスィリアを抱え上げてくるくると回る。
抱え上げられた側のラピスィリアは自分の結界が砕けたのに引き続いて、自分より年下の幼馴染に高々と抱き上げられたことに驚いて目を瞠った。
ひとしきり喜んだ後すとんと地面に降ろされて、あらためて礼を言われた。
「ありがとう、ラピスのおかげで術式は完成した!
これでようやく、許しを請いに行ける…!!」
「それは……おめでとう」
「ああ!
じゃあ、ちょっと今から王都まで行ってくるから!
うちの城館まで送るからラピスはそこで待ってて!」
「え!?今から!??
ちょっ……じゃあ私はどうやって王都まで帰るのよ!?
行くなら乗せてって!!」
「ダメだ、ラピスはここに居て!」
「っはぁ!?…ちょっ、ハルト!」
言いながらもハルベルトはラピスィリアをぎゅうっと抱きしめた。
さっき抱き上げられた時も感じたが、いつの間にか逞しくなった腕に驚く。
(男の子の成長ってほんとに早い)
そして、他の男の子たちよりもずっと大急ぎで大人になった大切な幼馴染は、これから想い続けてきた令嬢の下へと飛んでいくのだ。
―――ラピスィリアを置いて。
「………いいわよ、送らなくて。
ここから直接、王都まで飛びなさい」
「え?」
「ここからサザランド城館までなんて歩いてすぐじゃない。
自力で行くわよ」
「けど…」
「ほら早く!
王都まで行って、求婚の許しを得るんでしょ?
私は……そうね、叔父様にお願いして、誰かの翼竜で王都に送ってもらうから」
「っ!駄目だ!」
「なんで?
週明けたらまた学院だもの、明日中には王都に戻らないと……」
「とにかく駄目!
急ぐから!めっちゃ急いで行って、許してもらってすぐ戻るから!
だから他の誰かに送らせたりしないで、城館で待ってて。
いいね!?」
「……」
「ラピス、頼むから…」
何故か必死な様子のハルベルトに、ラピスィリアは頷くしかなかった。
結局城館まで歩くのも却下され、一旦ラピスィリアを送り届けた後、もう一度絶対ここで待っているようにと念を押してからハルベルトは王都へと飛び去って行った。
急に令息が王都に向かうという事態にもかかわらず、北方辺境伯はじめサザランド城館の人々はいつもどおり非常ににこやかに、というよりいつも以上に喜色満面でラピスィリアを迎え入れてくれた。
幼い頃より遊びに来ていて、最近は週末ごとに滞在させてもらって馴染んでいるラピスィリアも少々面食らうほどの歓待ぶりだった。
まあ、長年温めてきた次男坊の想いがようやく実現しそうなのだから喜ばしいということだろうか、と納得する。
「急いで行ってくるというならきっとすぐにでも戻るわよ」とハルベルトの母である辺境伯夫人は話していたのだが―――結局夜になってもハルベルトは戻ってこなかった。
(まぁ、そうよね。
話がまとまって、あちらで愉しくやってるんじゃない?)
いつも使わせてもらっている客室で寛ぎながら、ラピスィリアはぼんやりと考えていた。
ハルベルトは、最年少で学院を卒業したとはいえまだ14歳。
すぐに結婚とはいかないだろうから、とりあえずは婚約ということになるんだろう。
そうなれば、この週末ごとの実験や特訓はもちろん、こうしてラピスィリアが個人的に北方辺境伯領に遊びに来ることも、これが最後かもしれない。
最後に、しなければならない。
(やっぱり、明日叔父様にお願いして、誰かに王都まで飛んでもらわなきゃ)
馴染んだ北方辺境伯軍の翼竜使い達の顔ぶれが脳裏に浮かび、誰に頼もうかなと考えるが、つい口からはため息とともに悪態が漏れる。
「戻ってくるから待ってろって、言ったくせに……」
小さく呟いた時だった。
北の山脈の方から耳をつんざく大音量で警鐘が鳴り響いた。
鳴りやまない音に、露台につながる扉を開けて外へ飛び出す。
夜空を照らし出す幾筋の魔法の光。
山中に仕掛けた警戒魔道具が反応しているのだ。
何者かが、竜壁山脈を超え王国へと侵入しようとしている。
「ラピス!」
客室の扉の向こうから、北方辺境伯家の長子、ハルベルトの兄のカスティアンの緊迫した声がした。
「カスティアン様!」
「山の警戒線を超えた者がいる!
反応した数と範囲からして、おそらく軍勢ではなく、空だ。
もしかしたら……竜かもしれない」
「竜!?」
「といっても、大きい物じゃない。
コルベリオからは警告も連絡もないからな。
おそらく、小さめの飛竜だろうが」
同じ翼竜種でも、サザランドの騎士たちが乗騎にしているのは体高が人の背丈をそれほど超えない程度の大きさで、比較的気性の大人しい種類だ。
それより大きく力も強く、手懐けて乗騎にするには無理があるものは区別して飛竜と呼ばれる。
中には炎の息を吐く大型の者もいて人の居る区域に入り込んだ場合は最大限警戒が必要なので、その生息域には常に見張りを怠らないようにしている。
それが竜壁山脈を超えて飛来するとは。
山脈の向こうは、フェアノスティ王国ではない。
その地は、かつて蛮行により妖精王に見捨てられた地。
そこを支配するのは、北の軍事大国―――――
「マルタラ帝国軍……?」
「わからない。
軍勢が動いたにしては警戒線の反応が広範囲ではない。
だが、飛竜一匹が舞い込んだにしては広い。
現時点では、情報が少なすぎる。
とにかく今からこの城は厳戒態勢をとることになる。
ラピスはすぐに、城館を出て南へ向かえ」
「そんな!
私にもできることはありませんか!?」
「無い。
というより、母と小さい妹たちを一緒に連れて、王都に急報を告げに向かってくれないだろうか。
君になら、いや君にしか、頼めない。
王都には魔力結晶の通信で既に第一報を入れた。コルベリオ領にもだ。
コルベリオの方が近いが、そちらは竜壁山脈に近すぎる。
山脈を超えてくるものの規模がまだはっきりしないから、南下して王都に向かっていく方が安全だろう。
途中の集落にも急報を伝えてあるから、もうすでに移動できる者は動き始めているはずだ。
南下して非難する民を纏めながら、王都に向かってほしい」
「カスティアン兄様…」
「大丈夫。
北方辺境伯領の民は皆強いから、このくらいで動じたりはしない。
本当なら翼竜で君だけでも先に王都に届けたかったのだが…」
「兵力を割いていただく必要はございません。
叔母様と妹君たち、そして民のことはお任せを」
「すまない……頼む」
扉の向こうで靴音が遠ざかっていくのを聞きながら急いで身支度を整える。
持ってきている荷物はそもそも多くはないが、移動に速度が求められるなら自分は身一つの方がいいと、身に着けられる役立ちそうなもの以外全て置いていくことにする。
準備が終わって客室を出ると、ちょうど辺境伯夫人が幼い娘二人を抱えて自室から出てくるところだった。
目と目を合わせ、頷く。
「……参りましょう!」
出来るだけ質素で且つ速度に耐えられる馬車に夫人と幼子を乗せ、ラピスィリア自身は馬を一頭借りた。
少女とはいえ武を重んじる南方辺境伯家の娘だ、乗馬は得意である。
別れの挨拶もそこそこに、馬車一台と護衛の数騎で急いで城館を出た。
夜更けの風が頬を切り裂くようで痛い。
馬車や同行する騎馬と離れないようにしながら馬を走らせる。
時折過ぎる集落から荷物をまとめた民が合流する。
南下していく彼等とは別に、ラピスィリア達が辿ってきた道をさかのぼって北に向かう男たちもあった。
これから城館に向かい、兵と合流するのだという。
カスティアンに連絡用にと持たされた魔力結晶からは、逐次情報が入ってきていた。
今のところ敵軍の影は見えないとのことだったのだが。
街道を南にひた走りそろそろ北方辺境伯領のすぐ隣の領地に差し掛かろうかという時だった。
ラピスィリアは、背後からくる凄まじい殺気に肌が粟立つのを感じ咄嗟に馬の脚を止め振り返った。
間髪入れず、魔力結晶から急報が舞い込む。
『ラピス!!!
山の警戒線に反応があったのはやはり軍ではなかった。
飛竜の群れだ!!
物凄い数の飛竜に城館が……!
それに先ほど、城館の上を5体の飛竜が通過した!
恐らく王都に向かっている!
王都には連絡した!
街道は奴らの飛んでいく進路上に位置している!
君たちはすぐ、街道から離れるんだ!!!』
魔力結晶から響くカスティアンの声を聴きながら、殺気がくる方向の北の空を睨む。
黒い影が、5つ。
「もう、来てしまったようですわ」
『ラピス!!』
「奴らは、わたくしがここで食い止めます」
『駄目だ、ラピス!逃げろ!!!』
くるりと振り返り、ラピスィリアは背後で怯える人々に声を張り上げた。
「このまま全力で南に向かいなさい!
決して後ろを振り返ってはいけません!
あなた方のことは、わたくし、南方辺境伯家のラピスィリア・ザクトが必ず護ります。
わたくしを信じて真っすぐ駈けなさい!」
馬車内から必死で名を呼んでくれた辺境伯夫人になんとか笑顔を向け送り出す。
北の方からくる殺気は、先ほどよりも目に見えて迫っていた。
ベルトに着けていた小さな空間保管庫の中から、兄と同じ王立騎士団第五師団に属している心配性の友人が念のためにと持たせてくれた魔道具を取り出し地面に投げつけた。
たちまち、強力な隠蔽魔法と防御結界が広範囲に展開される。
竜の結界ほど強固ではないけれど、南に向かう一団を隠しつつ、上空まで伸びる壁で飛竜たちの進路を阻むことができるだろう。
本来なら、飛竜と自分との間に展開して避難民の後を追うべきだろう。
けれどラピスィリアは自分の背後に障壁を展開し、避難民と王都への道のりを隠したのだ。
(少しでもこの場で時間を稼がなければ……
きっと、竜宮からお爺様が来てくれる。
それまでは……!!)
やがて五体の黒い点だったものは、完全に飛竜の形として視認できるまでに肉薄してきた。
それだけでも飛竜の飛行速度の速さが伺える。
(なんだろう、飛び方が、変だわ)
竜伯の孫娘として営巣地の飛竜たちを見る機会も多かったラピスィリアならではの感覚で、向かってくる5体の異常を感じ取っていた。
時折苦し気に鳴いたり、悪戯に高度を変えたり、何もない虚空に向け炎の息を吐いている個体もいる。
なのに5体は一様にまっすぐ南に向けて飛んでいる。
まるで、何かにそう命じられているように。
(なんとか、注意を引かないと)
再び保管庫を探り、筒状の魔道具を数本引っ張り出すと、飛んでくる飛竜に向けて立て続けに発動していく。
本来信号弾として用いる物なので殺傷力は皆無だが、注意を引くくらいは出来るかもしれない。
運よくそのうちのいくつかが先頭を飛ぶ2体の鼻先を掠めた。
狂ったように鳴きながら降下してくる。
他の個体もその2体の動きに釣られて同じように降下してくるようだ。
(よし、掛かった!!)
充分に引き付けてから、自分の周りに竜の結界を張る。
5体が代わる代わる炎の息を浴びせてくるが、最強の盾にすべて弾かれていく。
それがさらに飛竜たちの殺意を煽ったのだろう、鈎爪を振り下ろしたり大きな咢で噛み砕こうとしたり、まさに群がるように連続で攻撃を仕掛けてくる。
これだけ引き付けられたら、あとは我慢比べだ。
結界に集中しながら保管庫を探り、魔力回復薬を取り出して口に含む。
ラピスィリアはコレの味がどうしても苦手で普段なら意地でも口にしないのだが、今は非常時だ。
(下手に果物の味や香りを付けたりするから余計に飲みにくいのよ、これ……
今度会ったら文句を言わなきゃ)
障壁の魔道具や回復薬の製作者で、これを持たせてくれた心配性の友人のヘラりとした笑顔を思い浮かべながら、ラピスィリアは瓶に残っていた回復薬を一気に飲み込んだ。
半刻ほど経つ頃には、ラピスィリアの足元には数本の空瓶が転がっていた。
先ほど最後の回復薬を飲んだのは覚えている。
指先は痺れ、こめかみから顎に向けて汗が幾筋も伝っていく。
幸いなことに、いまだ5体の飛竜は攻撃対象をラピスィリアから逸らすことなくこの場にとどまってくれている。
どのくらい時間を稼げたのか定かではないが、障壁の向こうに送り出した辺境伯夫人や避難民はいくらか王都へと近づいているはずだ。
(まだだ!頑張れ、できるだけ、いけるところまで……!!!)
だがその時、ラピスィリアの背後で目隠しをしてくれていた障壁が掻き消えた。
友人が込めてくれた魔道具の魔力が尽きたのだ。
途端、ラピスィリアの頭上に居た5体のうちの何体かが、王都に向かって鋭い鳴き声を上げた。
「駄目!そっちに行っては!
アナタたちにはまだここに居てもらわなきゃ駄目なのよっ!」
思わず上げてしまった声。
集中力が途切れたことによってか、ラピスィリアの魔力が限界を迎えたのか、竜の結界にヒビが入った。
打ち下ろされる鈎爪に、あと何回持ちこたえられるだろう。
そんなことを疲れた頭で考える一方、少女の脳裏にはいろんなことが過っていく。
(あ、これ、私、もう駄目なヤツ…?)
家族、親類、学院でできた友人たち。
それに、ずっと一緒に育ってきた、大切な幼馴染の。
「ハルト」
直後、砕け散った竜の結界が天に昇ったとき――――
「ラピスーーーーーーーーー!!!!」
はじけ飛んだ結界に代わり、見覚えのある防御結界が張られ、ラピスィリアの周りを囲んだ。
立て続けに、王都方向から強力な水魔法が放たれ、炎を吐き怒り狂う5体の飛竜をまるっと包み込む。
間髪入れずに雷の魔法が降り注いで、水の中に捕らわれた飛竜は雷撃により呆気なく気絶して沈黙した。
一瞬で5体の狂飛竜が無力化されたのを目の当たりにして、ようやくラピスィリアの身体から力が抜けた。
倒れ込むその瞬間、防御結界が消えて慣れ親しんだ香りが傾いだ体を受け止めた。
「ラピス!」
「……ハルト…?」
「ラピス!!無事か!?怪我は???」
「ハルト…おかえり…」
「っ!
ただいま…ごめん、遅くなって」
「だいじょぶ……間に合ったよ…
ちょっと疲れたのと、回復薬飲みすぎて、なんか気持ち悪いだけ…。
来てくれて、ありがと……」
「礼を言うのはこっちの方だ。
領民と、母と妹たちを、護ってくれてありがとう」
「みんな、無事だったんだね…
辺境伯領城館は……?」
「あっちは竜宮から竜伯閣下と、王都からはカルセドニクス団長も出張ってくれたから。
いくらか被害は出たらしいけど、大丈夫だ」
「お爺様と、父様もきてくれたのね…よかった…」
「なにより、君が無事でよかった………」
「うん……
ねぇハルト、わたし…頑張ったよ」
褒めて、という言葉が音になる前に、ハルベルトの腕の中で疲れ切ったラピスィリアは意識を手放したのだった。
ハルベルトの駆る翼竜で北方辺境伯城館へと運ばれた後、ラピスィリアは元居た客室に押し込められ三日間の絶対安静を言い渡された。
結界のおかげで外傷は全くないし(久々に馬に乗って長距離を走ったから筋肉痛にはなったが)、丸一日も眠れば尽きた魔力も元通りになったというのに、頑固な幼馴染と過保護な親族たちが許してはくれなかった。
そして過保護連盟からようやくベッドから出る許可が出て、関係者のみを集めた会議の場に出席することになった。
この場に居るのは、今回の飛竜被害の当事者であるベルラン・サザランド北方辺境伯とその令息、カスティアンとハルベルトの二人。
そして今回の事態の凶報を受けた直後に駆け付けてたった2人で飛竜の群れを鎮圧してしまった者達。
竜に関することを取り仕切る立場である竜宮の長、竜伯パイライト・ザクト・コルベリオ子爵。
それからラピスィリアの父で最年少で竜宮を修了した、王立騎士団第六師団団長カルセドニクス・ザクト。
本来ならラピスィリアがこんな面々に混じってこの場にいることなどありえないのだが、狂化した飛竜と最も間近に接触したのが彼女であったので、最重要機密にあたるこの件も知らされることになったのだ。
事態の収束直後からの調査で、王都に向かった5体の他、北方辺境伯城館を襲った飛竜たちはすべて、何らかの薬物により理性を奪われた上で山脈を超えて送り込まれたということが分かった。
「目の前にまだ獲物がいるのに…つまり私のことだけど、目隠しの障壁が消えた途端、王都に向かわなきゃいけないのを思い出したみたいにその場を離れようとしていたんです。
まるで、目的をもってそちらに向かうというか、誰かにあらかじめそう命令されてたように」
「飛竜たちを誘導するように、王都までの街道の各所にはその薬物と思しきものが配置されていたのが確認されている。
既にすべて回収し、結界内に封じてある」
「まず辺境伯城館を襲撃し兵力と軍の目をそちらに集中させ、そこから何体かを引き離し王都に向かわせながら途中の各領の城館にも被害を与えていく。
同時に飛竜により疲弊したのを見計らって軍本体で侵攻、辺境伯城館を落としたのち王国内に侵入し、あわよくばそのままの勢いで王都にまで肉薄しようという腹だったろう」
「飛竜たちによる我が城館への襲撃は、我が領の戦力をここに集めて、王都に向かわせる飛竜の進路上から兵を排除するための陽動でもあったわけですな」
「おそらくは。
あとは、『竜宮』の出方を見たかったのもあるかと」
「その在所の特定も、でしょうかな」
実際、山脈の向こう側の国境付近には結構な数の軍勢が集結していたことが分かっている。
だが、先遣と陽動を兼ねて送り込んだ飛竜の大群が瞬く間に鎮圧され、止む無くその軍は撤退していったという。
事の顛末を聞いたラピスィリアは、事態が予想以上に深刻だったこともだが、飛竜を操って先鋒にしていたということに大きな衝撃を受けた。
「飛竜たちを薬物で狂わせて王都や街を襲わせようなんて…」
「竜たちを、というか、魔力を持つ者達を狂わせ操る効果がある物質とそれを用いる邪法については、兼ねてよりその存在が確認されていた。
その製造法や利用法は、竜宮の方で徹底的に調査し潰してきたのだが。
古文書やら民間伝承やらに交じって細切れの情報が現代に伝わって、それらを継ぎ接ぎして不完全ながらも復活した可能性がある」
王国一の美姫と言われていた祖母に瓜二つだという父カルセドニクスが、その美しい顔に怒りを滲ませる。
普段表情があまり出ない人だけに微かな変化すら大変恐ろしいとラピスィリアは思う。
だが端正な表情のその下に渦巻く憤りが、ラピスィリア自身にもよく理解できた。
そしてその憤りを誰より感じているであろう人物、竜伯パイライトに全員の目が注がれた。
「竜宮の場所なんぞ、特定されたとて構いはせぬ。
竜と妖精がこの世界に降り立ってから永らく、竜宮は襲撃の脅威にさらされては退けてきた。
今に始まったことではない。
それよりも問題なのは、魔力或るものを幻惑させる邪法の復活であろう。
妖精の守護を受けたる我らの地で、且つて北で行われたような蛮行はなんとしても防がねばならぬ」
昔、竜壁山脈より北に住む一族が、古来より獣たちを従わせるために使ってきた一部の香木に妖精を惑わせる効果があることに気がついた。
そして、妖精の力を人の身に取り込めば強い魔力を得られるのではと考え、『妖精狩り』を行うという蛮行に走ったのだ。
そのことで竜と高位の妖精たち、ついには妖精王の怒りまでも買うことになり、竜壁山脈より北側の地では妖精たちの祝福が根こそぎ失われてしまったという。
伝承がどこまで真実なのかは詳らかにはされていない。
だが妖精狩りを行った愚かな者たちが居たこと、そして現在北の大地に妖精たちが居ないことは事実なのだ。
会合が終わり、竜伯パイライトは竜宮へ、第六師団長カルセドニクスは王都へとそれぞれ急ぎ戻っていった。
ラピスィリアはまだ体調が万全ではないとの父と祖父の過保護連盟により、このまま辺境伯領城館にて今しばらく静養を続けるようにと言い渡された。
帰っていく前に二人がハルベルトを囲んでなにやら話をしていたのがすごく気にかかるところなのだが。
静養と言われても、もうすでに元気いっぱいだ。
じっと寝ていられるわけもなく、ざわめく心を鎮めようと一人、城壁へと向かった。
城館内で一番見晴らしのいい場所だ。
飛竜の襲来により多少損傷したようだがもうほぼほぼ修繕が終わりつつある。
カスティアンが言っていた通り、北方辺境伯領の民は皆打たれ強いのだ。
幼い頃から第二の故郷と思えるほどに通い馴染んだこの場所も、ハルベルトとの関係が変われば今後は今まで通りとはいかなくなるのだろう。
「ラピス」
思い浮かべていた人物の声で、ラピスィリアは振り返る。
その手に持ってきた大きめの肩掛けが拡げられ、風に靡く髪ごと包まれる。
「身体冷やすなよ」
「出たな、過保護連盟」
「は?」
怪訝な顔のハルベルトが可笑しくて笑う。
暖かい肩掛けは、微かにハルベルトと同じ匂いがして、安心してしまう。
ありがとうと素直に礼が言えれば、少しは違っていたのだろうか。
飛竜に囲まれて結界が砕け散ったあの瞬間、誰よりも強くもう一度会いたいと思ったのは、家族や友人よりも、この優しい幼馴染だった。
ずっと当たり前すぎて気づいていなかった胸の裡は、彼が予てからの想い人に向けていよいよ動き出すことになったであろう今となっては、明かさないままにしたほうがいいのだろう。
だけど。
(黙ったままにするなんて、私らしくない)
自分の気持ちだけぶちまけようなんて勝手すぎると言われても、それが自分だと、ラピスィリアは腹を括った。
「ねぇ、ハルト」
「ん?」
「私、今回頑張ったよね」
「ああ。
すごいよ、ラピス。
怒り狂う飛竜を相手に、しかも五体まとめて耐え凌ぐなんて、並大抵のことじゃない」
「ほんと、すごく怖かった。
もうダメだって、さすがに思ったよ。
その瞬間、家族とかいろんな人のことが思い浮かんで……
でも最後に一番会いたいと思ったのは……ハルトだった」
「………え……」
「ハルト―――大好き」
黒曜石のような瞳が、きらめいて大きく見開かれた。
綺麗だなぁと、ラピスィリアは思う。
思った瞬間、伸びてきたハルベルトの腕にぎゅっと抱きしめられていた。
ちょっと苦しいくらいの力加減にぐえっと言わなかった自分を心の中で褒めながら、いつの間にか背も自分を超えていた年下の幼馴染の背中をぽんぽんとたたく。
「ずっと一緒に育ってきたんだもん。
隣にいるのが、いてくれるのが、当たり前で。
ずっとこのまま一緒なんだと、思ってたけど。
そんなわけには、いかないよね。
ハルトは、もう、ずっと望んできたご令嬢に大事なご挨拶をしてきたんでしょう?」
抱きしめる腕が、さらに締まった気がした。
「ちょ……ハルト、苦しい」
「……はぁ、ほんともう、鈍いにもほどがある」
「ん?」
なに?とラピスィリアが問いかけながら少し緩んだ腕の中から見上げたハルベルトは、耳まで赤くなりながら怒っているような拗ねているような、でも笑っているような複雑な顔をしていた。
「あのさ、ラピス。
俺の好きな人がどんな人か、訊いたの覚えてる?」
「……うん」
「俺が好きなのは、俺より少しだけ年上で、
すごく綺麗で、真っすぐで、
陛下を叔父さん呼ばわりできて、
それに王立騎士団の各団長とも仲よくしちゃうような、剛毅な性格で、
でも、可愛いくて根はすごく優しい」
「ちょいちょい貶しながらも盛大に惚気るわよね……」
「あと、竜伯のお孫さんで、第六騎士団長の娘さんなんだ」
「………え?」
今度はラピスィリアが絶句する番だった。
今、ハルベルトが惚気交じりに並べた条件にぴったりな令嬢と言えば、一人しかいない。
「カルセドニクス団長と陛下には昨日王都に行った時にもう、お許しいただいた。
その足で南都にいる君の兄上や従兄殿やその他大勢にも報告して許しをもらおうと思ってたんだけど、急報を受けて取って返したからそっちはまだだ。
でも、先ほどパイライト卿が全部ひっくるめて許すとおっしゃってくださったから、もう待たない」
そう言うと、ハルベルトはラピスィリアの前にすっと跪いた。
「は、ハルト……?」
「ラピス。
いつからだったかなんてわからないくらいずっと前から、
きっかけなんてどうでもよくなるくらい自然に、
君のことが好きだよ」
「……うそ……」
「ほんと。
他の誰でもなく、ラピスがいい。
小さい頃からずっと、君だけを見てた。
ラピスじゃなきゃ、意味がない」
彼女じゃなきゃ意味がない。
確かにそう、ハルベルトは言っていた。
それが自分のことを指しているなんて、ラピスィリアはまったく思っていなかった。
それくらい近くに居すぎて自分自身の気持ちにも気づかなかったのだが。
「本当に、今回は肝が冷えた。
翼竜でぎりぎりたどり着いたときのあの光景、俺たぶん、一生夢に見る」
ハルベルトは、今も脳裏に焼き付いて離れない光景が蘇ったのか、眉根をぎゅっと寄せた。
王都で陛下と第六師団長に許しを貰った直後に急報を受け、すぐさま翼竜を駆って北方へと飛んだ。
間に合え、間に合えと願いながら。
幾つもの領地を通り過ぎ、もうすぐ辺境伯領が見えるかという頃に行き会った避難民。
自領の兵士と母が涙ながらに必死で説明した内容に耳を疑いながら、さらに愛騎を急がせる。
進んで見えてきた巨大な障壁は、目の前で掻き消えた。
その先には、五体の飛竜が狂ったように地面の一点に向けて攻撃を繰り返す姿が。
必死で防御結界の術式を組み上げて放つ。
煮えたぎる怒りのままに水魔法と雷撃魔法を続けざまに唱えて飛竜を無力化し、翼竜の背中から防御結界の横へと飛び降りた。
抱きしめて少し言葉を交わして安堵したのもつかの間、意識を失ったラピスィリアを抱え城館へと運んだあたりから、さらに記憶が覚束なくなる。
大丈夫だと声を掛け続けたのは、抱え込んだ少女に対してと、大丈夫であってくれと願い続ける自分自身に対しての両方だったろう。
ハルベルトは憤っていた。
今回の事態を引き起こしたであろう者どもに対してはもちろんだが、自分自身に対しても。
大事な彼女を一人でこんな危険な目にあわせたこと。
傍で護れたら、せめて一緒に戦えていたらと。
「ラピスが無鉄砲なのはよく知ってる。
自分を囮にするなんてことしないでほしいって言っても、きっと同じ状況があれば、迷わず同じ選択をするんだろう。
だから、せめて俺に一番傍で、護らせて。
ラピスが戦うなら、俺も一緒に戦わせて。
もう、一人にはしないから」
「ハルト……」
「ラピスィリア、愛してる。
どうか、この先もずっと、君の隣に居させてください」
たくさんの感情を抱えながら、ぎこちなくもハルベルトは微笑む。
堪えていた涙が零れると同時に、ラピスィリアは差し出された手をすり抜けて大好きな幼馴染の胸に飛び込んだのだった。