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『第9話 当たらぬ矢』


 ウブのほぼ中央に大きな城が建っている。比喩ではなく、本物の城である。ウブ城。

 今はスターカイン国の1都市であるウブだが100年前は独立国だった。その城が現在、ウブの市庁として使われている。もちろん外壁は取り壊され内部は所々城っぽい装飾が残っているものの、役所として使いやすく改装されている。敷地も王国時代は城を中心に広々とした庭が広がっていたが、今は馬車が行き来できる幅と塀に沿った樹木が残されているだけ。道1つ向こうは普通の住宅街である。樹木は非常時に備え桃、林檎、柿など果実のなるものばかり。この季節は夏蜜柑が実を付けはじめている。これらの果実は役人によって収穫され、一般に販売されている。本職によるものではないため味は落ちるがその分安く、ジャムなどの材料にと買う人が多い。

 城っぽいのは外見だけだが、それでも他の町から来た人達は皆1度は足を止める。ウブにとっては観光地の1つである。

 その最上階。かつては王の私室だった部屋が今の市長室である。

「いい加減にしろ。いつまでスターカインの手から餌をもらう犬であり続ける気だ?!」

 やや太り気味の男が、少々痩せ気味の男に憤怒の顔を向けた。

「お前こそ、いつまで昔の栄光にしがみつく。このウブが独立国だったのはもう100年も前のことだぞ」

「たった100年だ。年表に記されただけの過去にするにはまだ早い。スターカインに国を奪われ、時に戦う心も奪われてしまったか!」

 机を挟み、互いに顔をぶつけ合うようにして睨み合う2人。

 痩せ気味の男はウブ市長のマトン・ジンギスカン。太り気味の男はウブ議会でも大きな派閥を持つカオヤン・ジンギスカン。2人とも独立国だった頃の王族ジンギスカン家の血を引いている。普段は市の運営で協力し鉄板の地位を築いている両者だが、決して譲ろうとしない1点がある。

 ウブの再独立。

 スターカインから独立し、再び独立国となるべきと主張するカオヤンに対し、マトンはあくまでスターカインの1都市として繁栄することを目指すべきとしている。普段はそれほどでもないが議会選挙と式典の時はいっきにそれが表面化する。

 50日後に控えたウブ100年祭は、区切りの良い年でもあり周辺都市からの招待客も多い。スターカインの王子も来賓としてくる予定だ。町も少しずつ祭りの空気に変化し、あちこちに100年祭のポスターが貼られるようになった。市長室にも3種類のポスターが貼られている。

「何度も言うように、今回ばかりはお前達の舞台挨拶を認めるわけにはいかん。いきなり独立戦争布告などされてはかなわん」

「100年祭でやらずしていつやるのだ!」

 激しくテーブルを叩く衝撃でカップが倒れ紫茶がこぼれた。隅に立っていたマトンの秘書マッツォが早足で歩み寄り、カップを元に戻しハンカチでテーブルを拭く。彼にとって2人の言い合いはいつものこと。いちいち仲裁に入ってはキリが無いし、むしろカオヤンの機嫌を損ねる。

「お前達に配慮して『生誕100年祭』の呼び方を止めてただの『100年祭』にしたのだ。それで我慢しろ。だいたい今更過去の繁栄にしがみついて何だというのだ。繁栄が永劫に続くことなどない。国としてのウブはあれが寿命だったのだ」

「寿命ではない。諦めない限りウブの愛国心は滅びぬ。諦めたらそれで戦い終了なのだ」

 滅んではいないが既にカビが生えている。そう言いたいのをマトンはぐっと堪えた。

 堪えているのはカオヤンも同じなのか、彼は落ち着こうというように大きく息をし窓辺に歩み寄った。テラスに通じる窓には大きなガラスがはめられている。昔に比べて普及が進んでいるとはいえ、ガラス窓はまだまだ高級品。教会や一部の金持ちの家、高級ホテルぐらいしか見られない。この窓が据え付けられたときは、わざわざこれを見るためだけにやってきた客が何人もいたし、ラウネ教会からは本物のガラス窓を見せてやりたいと、30人近い子供たちを連れてきたこともあるほどだ。

 朝の青空の下、ガラス越しに見る外にはウブの町が広がっている。元が城だけに、この部屋より高い建物はない。かろうじて町に数カ所ある時計塔が肩を並べるぐらいだ。今も城の隣に立っている時計塔の文字盤が同じ高さに見える。この時計塔も下は低かったが、市民が見やすいようにと30年前に建て直された。

「マトン。私は哀しいのだ。この国の住民も、ここがかつては1つの国だったことを知るものは少なくなった」

 彼はウブのことを町や市とは言わず、国と呼ぶ。

「私は民に誇りを取り戻して欲しい。いや、取り戻さねばならぬのだ」

「それで独立か。スターカインが本気になったら、ウブはひとたまりもないぞ」

「士気の問題だ。確かに兵の数はスターカインの方が多い。戦いが長引けば我らの勝ち目は薄いだろう。だが、奴らに命をかけて我々の独立を退ける覚悟があるか? 勝つにしても、自分たちもかなりの犠牲が出るとなれば士気も落ちる。その間に各教会や周辺国に働きかけ我らを支援させる。

 短期間でどれだけ相手を叩けるか。それが勝利の鍵だ。そのためにもウブの民に誇りを取り戻させ、独立のための覚悟を決めさせねばならん」

「覚悟を決め独立戦争に挑むほど、ウブはスターカインからひどい扱いを受けていない。大国から独立を勝ち取った小国の例は多い。しかしそれらは全て大国から虐げられ、自由や財産を奪われ続けていたからだ」

 マトンは企画書の分厚い束を手にし、カオヤンに見せつけるように前にした。

「この企画書の束を見ろ。民は祭りを楽しむことを考えている。誇りより繁栄を望んでいるのだ」

 カオヤンと並んで窓辺に立ち、同じように町を見る。

「少し落ち着け。朝の風は気持ちいいぞ」

 窓を開けたその時だった。

 時計塔から一歩の矢が風に乗るように飛んできた。真っ直ぐマトンめがけて!

「市長!」

 マッツォの叫びがかすかに開いた窓から外に飛び出した。


   ×   ×   ×


「あそこから矢を放ったのか。届くのか?」

 テラスに立ったトップス東衛士大隊長は遠く離れた時計台を見据えた。

「距離もあるし風もある。これで当てられるのは……お前のところのスラッシュぐらいだろう」

 トップスの横に立ったロマンスグレーの男が言った。フィル・ワイド。東の衛士隊長であるトップスに対する西の衛士隊長である。どことなく砕けた印象のあるトップスとは対照的に、立ち方も目つきもしゃべり方もピンとして隙がない。


「これはボウガンを固定した台の跡でしょう」

 時計台。役所が見える小窓の縁についた跡をスラッシュが撫でる。

「市長が窓辺に来てから弓を構えては間に合いませんからね」

「ここで市長が姿を見せるのをずーっと待っていたわけ? 随分のんびりした狙撃手ね。誰かが来るかも知れないし」

 クインが窓越しに市役所を見た。距離にして50メートルほどある。

「ここは一般には開放されていないから、見回りの時間を事前に調べておけば。市長を狙うほどだもの、その点は抜かりないと思うわ」

 そこへルーラが階段を上がってきて

「スラッシュさん。実際に狙えるかどうか試したいので、市長室を狙って矢を撃って欲しいそうです」

「わかりました」

 彼が背負っていた弓を降ろし、支度をする。

「これで窓に当てたらあんたが第一容疑者ね」

「怖いこと言わないでください。ただでさえ今日は遅番の予定で、私には事件時のアリバイがないんですから」

「奥さんは?」

「義母が怪我をしたので実家に帰っています。10日ぐらいかかりそうです」

 クインの言葉を軽く流し、矢をつがえて構える。彼の弓は以前、大会の優勝賞品として送られた特別製の複合弓。スターカインでもトップクラスの弓職人が作り上げたもので、威力、射程距離など他の弓の比べ遙かに優れている。それだけに扱いにもかなりの技量を要求されるが、彼は見事それに応えていた。

「合図の後、5つ数えてから放ってください」

「了解」

 窓辺に立ち弓を構えるとスラッシュの顔つきが変わる。市長室のテラスにある植木のそよぎ具合で風の方向、強さを目視する。

 スノーレが窓から魔玉の杖を突きだし、大きく丸を描く。準備OKの合図だ。

 市長室の窓にトップスが立ち、軽く手を上げ、すぐに陰に引っ込む。

 スラッシュが矢を放つ!

 矢が風を切り、風に乗るように滑るように市長室に飛んでいく。

 開いた窓を通り抜け矢が飛び込み、反対側の壁に当たってポトリと落ちた。それをトップスが拾い上げ

「届くが、勢いがないな。これでは人は殺せない」

「ワニゲーター騒ぎで軍から借りたボウガン。あれなら可能だ」

 ワイドがテラスに出た。時計塔の窓に矢を手にしたスラッシュが見える。

「……容疑者リスト入りだな」

「届く腕があると言うだけで容疑者扱いは不味いのでは」

「届く腕を持つ者が数えるほどしかいないとなれば別だ。次も今回のように運が味方してくれるとは限らない」

 ワイドがテーブルの上を指さす。そこには、矢が突き刺さった企画書の束が置かれていた。射られたとき、たまたまこれを胸の前にかざす形でいたために、命拾いしたのだ。

「確かに」

 トップスが矢を引き抜き、先端をじっと見つめていたが、少しだけ匂いを嗅ぎ、顔をしかめる。

「毒かな」

「傷薬を塗って射る暗殺者はおるまい。後で調べさせよう。出所から何かつかめるかもしれん。そこまで間抜けではあるまいが」

「念のため聞いておきたいのだが、狙われたのは本当に私なのでしょうか?」

 マトンがちらとソファに座っているカオヤンを見た。

「私が狙われたと言いたいのか」

 彼はマトンの言葉を鼻で笑い

「私が今朝、ここに来たのは予定していたことではない。100年祭の準備でちっとも時間を作らぬお前に会うためだ。約束もつけず、不意打ちという形でな。仮にその動きを予見したとしても、私が窓辺に立つとどうしてわかる。もっとも、それはお前も同じだろうがな」

 言葉に詰まるマトンに変わってマッツォが

「いえ。市長は毎朝、テラスに出て街を眺めるのが習慣のようになっていましたから」

「暗殺対象の習慣を調べるのは基本ですからね。例え今日は立たなくても、何日か張っていれば機会は出来るでしょう。狙われたのは市長と言うことは、間違いないでしょうな」

「しかし、いったい誰が」

「敵のいない議員などおらん。私とお前もウブのありように置いては敵対しているではないか。動機だけで言うなら、私も容疑者になる」

 カオヤンの言葉に、マトンは言葉を飲み込むしかなかった。

 その時、

「パパ!」

 突然扉が蹴り飛ば……もとい、跳ねるように開き、ぽっちゃりとした白いドレス姿の女性が駆け込んできた。

「パパはどこ⁈ 犯人は捕まえたの?」

 トップスの襟を掴み、締め上げるように詰め寄る。

「ラム。私はここだ。怪我はないよ」

 窓から死角の位置に立っていたジンギスカンが声をかける。女性は「パパ」と抱きついた。そう、この女性はジンギスカンの一人娘で名前はラム。

「犯人は? 捕まえたの」

「いえ。捜査はまだ始まったばかりです」

「ただ、犯人は時計塔からここを狙える技量の持ち主。絞ることは出来るでしょうな」

 ワイトの背後の時計塔。その窓にスラッシュの姿を認めたラムが青ざめた。

「あなた。まさかスラッシュ様を疑っているんじゃないでしょうね。そんなことはあり得ません。それだったら、まだあなたが犯人だという方が真実味があります」

 わめくように訴える彼女だが、その程度で押されるワイトではない。

「真実に思い込みの印をつけることは避けねばなりません」

「思い込みじゃないわ。真実よ!」

 訴える彼女の姿に、トップスはそっとジンギスカンに

「お嬢さん。まだスラッシュを諦めていないんですか」

「こればっかりはどうにもならん」

 諦めたように父親としてのため息をついた。


「未だ犯行声明は出ていない。市長自身は心当たりがないと言っているが、立場上、個人とは関係なく狙われることもある」

 東衛士隊本部第3隊。メンバーを前に、メルダー隊長が資料片手に説明する。

「まだ手探りの状態だ。背景の捜査は西に任せて、市長の護衛は我々が行う。他の班が手一杯なので少々キツいが」

「休みなしでですか? いつまで続くんですか?」

 クインが手を上げて質問する。

「誰が何のために、いつ、どうやって市長を襲うかわからないからな。今回のように、弓や魔導などを用いた遠距離からの攻撃も考えられる」

「一日中、俺達で市長を取り囲むわけにもいくまい。1日2日ならともかく」

 イントルスの意見に皆が同意だとばかりに頷いた。

「市長の仕事に差し障りがあってもまずい。スラッシュ、スノーレ、ルーラの3人とクイン、イントルス、ギメイの3人でそれぞれ1人ずつ出す形で2人一組とする」

「役所にも警備はいるでしょ」

 ギメイが不満げに声を上げる。これだとクインと組めないのが不満なのだ。

「もちろんだ。だから市長が役所にいる間は少し楽になる。それと今回、使われた矢に毒物が塗られていたことを考慮して薬草師に同行してもらう」

「薬草師……」

 イントルスの眉が潜むと

「ギガちゃーん。しばらく一緒に仕事だよぉ」

 力の抜けるような笑顔と共に、白衣を着たホワン・フワ・フーワが入ってくる。

「大丈夫ですか? 次も毒が使われるとしても、今回とは別の毒かも」

 心配げなスノーレに、ホワンはまかせてとばかりに胸を張り

「解毒薬は一通り用意したよぉ」

 ホワンが白衣を広げると、内ポケットには小瓶で分けられた解毒剤が何十種類と詰め込まれていた。

「重くないか?」

「重い。だからギガちゃん、早く解決してね」

 ちょっと心配げなイントルスに、彼女は相変わらず力の抜けた笑顔で答えた。


「それではお先に失礼します」

 一礼して第3隊の部屋を出ようとしたスラッシュを

「スラッシュ様。あの女はいないんですって。だったら私と食事しましょう。なんでしたら、私の家で手料理をごちそうしますわ」

 ラムが待ち構えていたように彼に抱きつこうとする。彼は巧みにそれをかわし

「失礼します」

 と逃げるように走って行く。追いかけていくラムの姿に

「彼女もいい加減諦めたら良いのに」

 スノーレが苦笑い。

「別の人と結婚しても諦めきれないなんて。よっぽどスラッシュさんが好きなんですね」

「まぁ……確かにあの時のスラッシュは格好良かったわ。私が思わずいい男レベルを3つぐらい一気に上げちゃうぐらい」

「あの時?」

 小首傾げるルーラに

「そうか。ルーラがウブに来る前、去年の春の競技会で飛び的当てって弓の競技……投げられた的を落ちる前に矢で射貫くって競技。それをスラッシュは全部命中させて優勝したのよ。正に完全勝利。見ていた私たちも唖然としたわ」

 その説明にクインがうんうんと頷く。

「最後の的に当てたとき、会場がシーンとなったもんね。衝撃が大きすぎると何の反応も出来なくなるって本当ね」

「あの後、スラッシュに求婚する女性が次々現れ、ラムさんもその1人。ところが、スラッシュはそれを全部断って今の奥さんと結婚したの」

「求婚した女性の1人じゃないんですか?」

 スノーレとクインはそろって頷き

「前々からスラッシュが口説いていた女性。どっかのホールのバックダンサーの1人だったはずよ」

 花形ダンサーでなくバックダンサーの1人ということで、しばらく話のネタにされた。特に市長の娘を振ってダンサーを選んだのは「もったいない」「ただの馬鹿だ」「たいした奴だ」と評価は真っ二つ。フラれた形になった女性の中には「よりによって場末のダンサーに」と彼を恨む声も多く上がった。

 彼は第3隊の中では1番の有名人なのだ。


   ×   ×   ×


 スラッシュの家は、衛士隊本部から歩いて20分ほどの所にある共同アパートの3階だ。建物自体あまり大きくはないが、各階がそれぞれ独立した家になっている。つまり3階がまるごとスラッシュの家なのだ。夫婦2人には広いが、いずれ出来るだろう子供のことを考え、競技会の賞金を全部使って買った。

 帰り道で簡単に食事を済ませたスラッシュは家に入ると眉をひそめ

「暗い中、待つのは疲れるでしょう」

 入り口脇の屋内灯に火を入れ、窓を開けて外の灯りを取り込む。昼間のようにはいかないが、とりあえず室内を見回せる程度には明るくなる。

 ソファの陰から、窓から見えない位置に1人の男が姿を現した。年は30代半ばぐらいか、短く刈った髪に日に焼けた肌。着ているのはウブではよく見る人足服だ。ただ、目つきは人足と言うより相手を値踏みする悪徳質屋のようだ。

「市長は生きているそうだな。大会優勝者が聞いて呆れる」

「分厚い資料は想定外です。距離も風もあるし弓の愛用のものじゃない。文句を言うなら、もっと条件の良い機会を用意してほしいですね」

「それが出来れば、わざわざあんたを利用しない。あの市長。予定をコロコロ変えるし、周囲は人だらけ。ほぼ確実にいる時間、場所となると朝の市長室ぐらいしかない」

「今回の失敗で向こうも用心しています。市長暗殺なんて諦めるか延期することを勧めます」

「いいのか。そんなことになったら、あんたの愛しい妻が冷たくなってセンメイ川を流れることになるぞ」

 スラッシュの頬が引きつった。

「安心しろ。今のところは無事だ。命も、顔も、操もな」

 うす暗い中、男が見下すような笑みを浮かべた。


 3日前のことだった。

 仕事を終え、帰宅した彼を、妻ではなく1人の男が出迎えた。スルーフェアと名乗る男は

「お前の連れ合いは俺達が預かっている」

 と、返す条件として市長の殺害を要求した。指定した時間……今朝に時計塔から市長室の市長を狙撃するようにと。断れば、預かった彼の連れ合いを陵辱した上で殺すと。もちろん、このことを他の衛士に漏らした場合も同様だ。

 彼はとりあえずそれを承知した。少しでも時間を稼げれば何か策が講じられるかも知れないという思いからだった。

 もちろん相手もそんな考えはお見通しで、この3日間、まるで彼にプレッシャーをかけるようにチラチラと姿を見せた。巡回中に、道を聞くふりをして直接声をかけてきたときもあった。衛士隊本部の中でスルーフェアを見たときは驚いた。衛士達の中にも仲間がいるぞと言っているように。

 スラッシュも難癖をつけるように

「外から狙撃できる場所、窓のそばに市長が来なかったらどうする?」

「急な予定が入って市長が出勤しなかったら?」

「事件が起こっても、自分が出動して時計塔に行けなかったら?」

 だが、そんなことは向こうも考慮済みのようで

「あの市長は朝、テラスに出て街を見るのが習慣になっている。情報集めに見張っているとき、毎日欠かさず街を見た」

「市長の急な予定はこちらから連絡する」

「事件が起こったら頭が痛いとか腹が痛いとか言って抜け出してこい」

 そして今朝、予定の変更なく出勤した市長を、事件もなく予定通り夜勤を終えたスラッシュは時計塔に行き、スルーフェアの見張る中、市長を狙撃したのである。分厚い企画書のおかげで失敗したが。


「200年祭を控えて市長がのんびり休養なんてするはずがないからな。次の機会は改めて連絡する。そうそう、あんたの隊が市長の護衛を担当するそうだな。おめでとう」

 スルーフェアが出て行くと、スラッシュは唇を噛みしめソファに座り込んだ。

「テリア……」

 妻の名をつぶやく。

 彼が彼女を初めて見たのは2年前。強制捜査のため場末のキャバレーに入り込んだときだ。仲間と共に客として入り込み、衛士隊の突入に合わせて対象の客を抑える。それが役目だった。

 その時、舞台で踊っていたのがテリアだった。スターの後ろで一列に並んで踊るバックダンサーの1人だった。衣装も申し訳程度に肌を隠し、胸の膨らみや生足を強調したもので、並んで高々と足を上げて踊っていた。

 そんな彼女に彼は目を奪われた。一目惚れだった。あまりに見惚れ、衛士隊突入の際に「何をしている」と仲間に注意されたほどだった。対象を確保出来たから良かったものの、逃がしたら責任問題になりかねない遅れだった。

 彼女はただのダンサーで、店の不正には関わりなしと言うことで罪には問われなかった。その後、別のキャバレーで踊り始めたと知った彼は、その店に入り浸った。彼女を見るために。

 衛士が連日自分の踊る店に来る。まさかここも犯罪がらみの店? 不安になった彼女はそっと彼に近づき……目当てが自分だと知って驚いた。自分にファンがつくのはありがたいが、それが衛士となるとありがた迷惑だ。店や仲間から変な目で見られたら働きづらいというのだ。

 だがそれは杞憂に終わった。ある日、店でちょっとしたもめ事が起こり、たまたま居合わせた彼がそれを静め、店に迷惑がかからないよう処理したのだ。それ以来、歓迎はしづらいが嫌でもない客として受け入れられた。

 彼も彼女に迷惑がかからないよう距離に注意した。好意を持つ相手につきまとい、事件になったのを何度も見てきたから。それが幸いしたのか2人の距離は縮まり、結婚に至った。大会優勝依頼、次々舞い込んだ結婚話を全て断ったのも、良い方向に働いた。

 周囲もうらやむ新婚。生活が落ち着いたら子供をと考えていたときに、今回の事件である。

(せめて、テリアが捕まっている場所さえわかれば……)

 窓に歩み寄り、そっと採光紙の貼られた窓を細めに開け、外をのぞく。

 通りを歩いて行くスルーフェアの後ろ姿が見えた。


   ×   ×   ×


「次のチャンスは明後日。100年祭の進行の打合せが市庁の第1会議場で行われる。あそこは窓が多く、ちょうど近くのホテルの一室から壇上を狙える。距離はあるが時計台と市長室ほどじゃない」

「今回のことで向こうも用心している。外から狙える場所は予め見張られているんじゃないか」

「狙うのがその見張りだ。問題はない」

 不敵な笑みを浮かべるのはカオヤンだった。

「それに100年祭を利用したいのは私も同じだ。市長暗殺による混乱を私が仕切って納める」

 わかっているなと言うように集まった面々を見回した。

 カオヤンの議員事務所。仲間が集まり情報交換をするのに使われている。彼に限らず議員はほぼ全員がこのような事務所を持っている。建物の一部を間借りしているのもあれば、ここのように建物自体をまるごと事務所にしているのもある。

 そしてここは、彼の議員事務所と同時にウブ独立運動の本部でもあった。

「おそらくこれが最後の機会だ。100年祭という節目を過ぎれば、民衆は独立国家としてのウブを今でも過去でもなく、長い歴史、年表の中の一時代としてしか受け止めなくなってしまうだろう」

 かつてのようにウブを独立国家として復活させようという動きは一定の支持を得てきた。しかし、それが少しずつ減っている。議会でもカオヤン率いる一派は議会でも大きな勢力だが、独立を支持する一派ではない。あくまで独立は彼個人の主張とされている。

「何が100祭だ。スターカインの手下に落ちぶれたことがそんなに嬉しいか。裏切り者め」

 苛立ちそのままに、カップが壁の100年祭のポスターにぶつかり砕けた。ポスターに紫茶の染みが広がっていく。

 メイドが静かにカップの破片を拾い集める。いつもの事と言うような落ち着きぶりだ。

「このままでは、本当にウブはスターカインの一部で定着してしまう。何としてでも奴を市長の座から降ろさなければ。命を奪ってでも」

 そう。彼が今朝のマトン狙撃の黒幕なのだ。

 彼は同士の減少に焦っていた。独立すると言ってスターカインが素直に応じるとは思えない。戦争になったら勝ち目はないと言うのだ。

 それが彼には腹立たしい。何であれ求めるものを手にするのは戦いだ。求めるものが大きいほど戦いも大きくなる。しかしそれを恐れていては何も手にすることは出来ない。ウブの民はここまで腑抜けになってしまったのか。

 彼は決断した。民を追い込むのだ。戦わなければならない状況に追い込み、武器を手にさせ、戦う誇りを取り戻させる。

 その具体的な手段がマトンの暗殺だった。だが失敗した。

「何としてでも奴を亡き者とし、緊急として私が市長代理として100年祭に出席、その場でウブの独立を宣言する。当然スターカインは黙ってはおるまい。だが、すぐに兵を向けたりはしないだろう。その間に世論を独立へと向ける。

 スターカインの顔色をうかがって、腰抜けとして生きるか。戦い抜いて誇りある独立を手にするか。どちらかを選ばねばならぬ状況を作り出す。これはウブ独立に必要なことだ。犠牲は出るだろう。だが、犠牲なくして国は成り立たぬ」

 まるで自分に言い聞かせるように宣言する。だが、ここは100年祭の壇上ではない。彼の自宅の一室だ。

「落ち着いてください。冷静さをなくしては戦いに勝てません」

 隅に控えていたスーツ姿のスルーフェアがなだめるように声をかける。

「失敗はしましたが、スラッシュが本気で市長を狙撃したのは確かです。奴の妻がこちらにいる限り、覚悟を決めるでしょう」

「いざとなったら俺がやる」

 ソファに1人、ふんぞり返っていた男が弓を手にした。スラッシュ同様、得意の合成弓だ。

「前の大会でスラッシュに敗れたお前に出来るのか?」

 カオヤンの言葉に、弓を手にした男がむっとした。

「あの時と今を同じにするな」

 矢をつがえ放つ! 濡れたポスターの中央に刺さったのを見ると、彼は新たな矢をつがえ放った。

 矢は飛んで、刺さった矢の後ろにきれいに突き刺さる。

 彼は矢を次々と放ち、それらは次々と矢の尻部分に突き刺さり、1本の長い長い矢と姿を変えていく。

 その矢が目の前まで伸びたとき、彼は満足そうな笑みを浮かべ、弓を降ろした。

 愕然としてそれを見るとスルーフェアの横で、カオヤンは冷めた目をしていた。

「風もない屋内の、こんな近くで当ててもな」

 鼻で笑う彼を、男は睨み付けた。この男、スラッシュが見たらすぐに名前を思い出すだろう。

 ヤイチ・ウェルテム。カオヤンの同士であり先の大会で準優勝となった男である。20のうち14を当てるという、いつもなら間違いなく優勝するだろう成績も、全て命中というスラッシュの前ではすっかり霞んでしまった。

 以来、打倒スラッシュに練習を重ねていた彼だけに、今朝の狙撃を彼ではなくスラッシュに、それも彼の妻を人質にしてまでやらせた手口に怒り、悔しかった。

「落ち着けウィリアム。お前を失うわけにはいかん。だからこそマトン殺しはさせられん」

 1本の矢と繋がった彼の矢をカオヤンは撫でる。

 今朝、自分のすぐ横を走りマトンの胸に突き刺さるはずだったスラッシュの矢。少しでもズレたら自分に刺さるという状況を彼は選んだ。いくらスラッシュがウブで1番の弓の名手とは言え、距離、風、練習なしの本番と不安は多い。そもそも彼がわざと外したり、カオヤンを狙う可能性だってある。それでもあえてやったのは、1つ間違えば自分が死ぬような方法をとるはずがないという心理的アリバイのためもあるが、それ以上に自分に活を入れたかった。民を戦争に引き込みかねないこの戦い、それが間違いではない、これだけ危険に身を投じても傷つかなかった。この独立戦争は運命なのだと自分に言い聞かせたかった。

 そして見事、矢は彼のすぐそばを通りマトンに命中した。それは彼にとって運命の支持を得たのと同じ事だった。しかし……。

(マトンもまた助かった。これはどういう事なのか)

 静かに彼は自問する。そして1つの答えを出した。


 うす暗い、じめっとした地下室。

 そこでスラッシュの妻・テリアは下着姿で踊っていた。まるでダンスのリハーサルのように。ダンサーを辞めた今、もう必要ない練習だと思うのだが止められない。毎日そのように体を動かさないと落ち着かない。体に染みついた習慣なのだ。もちろん、スラッシュもそれは知っていて、特に止めさせようとはしない。

 たっぷり20分は踊り続け、やっと彼女は動きを止めた。ゆっくり呼吸を整えながら明かり取りの窓を見上げる。そこは外ではなく、上への階段に繋がっている。大声で叫べば外に聞こえるかも知れないが、その保証はない。例え外に届いたとしても、その時、誰もいなかったら?

 外の光が届かないため、どれぐらいここに閉じ込められているかもわからない。しかし、食事が出された回数から4、5日は経っているだろうと想像はついた。

 詳しいことは何も聞かされていないが、自分をさらった連中が、自分を人質にスラッシュに何か良からぬことをさせようとしているのはわかる。彼は現場で体を動かす仕事だ。衛士隊の秘密を探るなら事務方が良い。おそらく、弓の名手である彼に誰かを殺させようとしているのだろうと考えた。

 自分が閉じ込められたままなのはまだ目的を達成していないということだ。自分に対して手を出さないのもそのせいだと思っている。連中が自分を下着姿にしたのも逃げるのを防ぐためらしく、それ以上の失礼はしなかった。

「また本番のないレッスンか」

 扉の鍵を開け、パンとスープの載った皿を手にスルーフェアが入ってきた。簡単ながら肉や野菜もついた良い食事だ。自由以外はそれなりのレベルを保証してくれている。

「まだ帰してはくれないの」

「お前の旦那が成功すればな」

 ここに机も椅子もない。彼は皿を床に置くと、彼女の体を見た。程よく膨らんだ胸の谷間。すらっとした太ももや締まった尻。元ダンサーだけあって良い体つきをしている。

「ダンサーを辞めても運動か。体を動かすならもっと気持ちの良いことがあるぞ」

 にじり寄る彼に彼女は食事の載った皿を構える。妙なことをしたらこれをぶつけてやるつもりだ。その態度にカチンときたのか

「格好をつけるな。昔は金で股を開いていたんだろう」

 屈辱的な言葉に彼女は身構え、睨み付ける。大事な人質に手荒なことをするなと言われているのか、彼は不機嫌のまま鼻を鳴らして出て行った。

 彼女は座り直すと、無言のまま食事を始める。かつて彼女が勤めた店にはそういうのもあった。客が舞台の踊り子を指名し、一夜を共にする。店はあくまでダンスを見せるだけ。その後は客とダンサーの個人的な付き合いというわけだ。娼館と違い拒否することも出来たが、実際はほとんどのダンサーが生活のためにそれを受け入れていた。

 だが、彼女はどうしてもそれが出来なかった。しかしダンサーとしての収入は乏しく、見た目のレベルを維持するための食費や化粧品の出費は多い。どんどん生活は苦しくなり、初めてステージに立ったときの喜びも薄れ、やはり体を売ることも……と考え始めた頃に、スラッシュと出会った。衛士につきまとわれては迷惑だと初めは思ったが、次第に彼の思いを受け入れ、結婚した。それに合わせてダンサーを辞めることになったが後悔はしていない。体を売ることもなく、彼女にとってスラッシュが初めての男だった。

(あの人の足手まといにだけはならない)

 彼が彼女を選んだことでいろいろ言われた。それだけに彼が自分を選んだことを絶対に後悔させないというのがテリアの決意だった。

 食事を終えると、呼吸を整え窓を見る。スラッシュが彼らの要求を呑んだとして、自分を無事に帰すだろうか? 彼はこのまま衛士としてやっていけるだろうか? これ一度きりで済むだろうか?

 いくら考えてもいい結論は出なかった。しかし、絶望するにはまだ早い。少なくとも、今、自分がすべきこと。それは生きることだ。幸いにも、食事や待遇から見て自分たちを拉致した人達はある程度のプライドがある。事態が悪化しない限り、最悪の事態は防げるだろう。


 翌日、スラッシュの市長護衛は午後からなので少し遅めの出勤だった。

「スラッシュさん。寝不足ですか? まだまだ新婚気分は抜けないみたいですね」

 給湯室で紫茶を入れていたセルヴェイが声をかけた。

「いや」、ちょっと悩み事が」

「弓の名手に悩みは厳禁ですよ。紫茶でもどうぞ」

 小ぶりのカップを受け取り、文字通り紫色の少し酸味のあるお茶を口にする。喉を通る暑さを感じつつ、スラッシュは周囲を観察する。スルーフェアの姿は見えないが彼の仲間が自分を見張っているはずだ。自分が彼らのことを漏らすと思われたら、それだけでテリアの命は危ない。

 一息ついて再びカップに口をつけた途端

「スラッシュ様、おはようございます!」

 いきなり背後からラムが抱きついてきた。

「お嬢さん、驚かさないでください」

 衝撃で服にこぼれた紫茶を拭く姿を彼女はイタズラっぽく見て

「今日はプレゼントを持ってきました」

 紙を2枚出して彼の前に突きつける。

「あの女との離婚届と私との婚姻届。受け取ってくださる?」

 既に名前が書き込まれ、後は本人のサインを入れるだけの書類。さすがにスラッシュも目をつり上げ、彼女から書類をひったくるとその場でビリビリ破き始める。

「ああっ、私の幸せへの切符が」

「何が幸せへの切符ですか。いい加減にしないといくら市長の娘さんでも怒りますよ」

 破いた書類を彼女の手に押しつける。

「もう怒ってますよ」

 セルヴェイが2人に割って入り

「ラム様も彼のことを思うなら仕事の邪魔になるようなことはお控えください」

「はーい」

 ちっとも反省している風でない顔で、破かれた書類を手に楽しげに歩いて行った。

「何かわざとやっている気がしますよ」

 置いといたカップを手にしては「ごちそうさま」とセルヴェイに返す。

 課室に行こうと階段を上がりかけるスラッシュに

「モテすぎるのも考えものだな」

 スルーフェアが声をかけた。衛士の制服を着ているので、傍目からは衛視の1人にしか見えない。

「次の襲撃予定なら聞いた。変更か?」

 さすがにスラッシュの口調にも棘がある。

「いや。ただ、あんたが馬鹿な真似をしないよう声をかけただけだ。ここに潜り込んでいるのは俺だけじゃない。それを忘れるな」

「テリアは無事なのか?」

「同じ事ばかり聞くな。無理もないが。じゃあ頑張れ。さすがに2度目の失敗は許されないぞ」

「君たちが用意したチャンスが本物だったらな。それと、もしもテリアに何かしてみろ。何をしてでもお前達を見つけて殺してやる」

 普段の彼からは考えられないような目つきと口調だった。

 それには答えず、スルーフェアはイタズラっぽい笑みを浮かべ「じゃあな」と正面入り口に向かって歩いて行く。そこには衛士や用事があって訪れる市民が大勢集まっている。その内の何人かは彼の仲間かも知れなかった。

「おはようございます」

 頭上から声をかけられ、見上げると上の階からルーラが笑顔で挨拶してきた。

「珍しくギリギリですね。打合せが始まりますよ。明日の議会、会議場の警備に合わせてあたし達の組み合わせを変えるそうです」

「わかりました」

 やれやれと階段を上がり始める。面子やら縄張り意識やらで議会警備は予定が変わりやすい。弓使いの彼にとって射場所が変わるのはできるだけ避けたいがしようがない。


   ×   ×   ×


 朝と呼ぶには日が上がりすぎた頃、市庁に議員達が集まってくる。その多くが自前の馬車で登庁、中には自ら馬に乗ってくる者もいる。歩いてくる者はよほど家が近いか、健康のために歩くという人達だ。もちろんそういう人達は1人でなく護衛を連れている。

 ウブの議員は選挙で選ばれるものの、選挙権、被選挙権共に一定額以上の税を3年間納めていることが条件だ。どうしても議員は裕福な人達ばかりになる。定数は20名。これに市長を加えた21名でウブの政策が決まる。

 市長狙撃の件は既に知れ渡っているのか、皆、いつにも増して緊張した顔を見せている。もしかしたら自分も狙われるのではと思っている。

 警備もいつにも増して厳重だ。ベージュ色の制服を着た警備員達が入場者のチェックをいつも以上、念入りにしている。

「失敬な。私を罪人だというのか?!」

 中には怒る議員もいたが、多くは不愉快な顔をしつつも審査を受けている。

 第1会議場でも数人の警備員によるチェックが行われていた。横に秘書を置いて必要な資料を用意させる議員も多いし、席と席の間もそれなりに空いている。収容人数だけなら100人クラスの広さだ。

「窓を開けっぱなしにするのは危なくないか?」

 警備員の1人が開けっぱなしの窓を指さす。

「でも、閉めっぱなしでは暑いぞ。それに暗くなる」

「会議直前に冷気魔導で場内を冷やすってのは駄目なのか?」

「日差しもあるし10分と持たないよ」

「その都度冷やせば良いんじゃ、暗いのは魔導灯を持ち込んで」

「前にそれやって議員が何人も風邪を引いたんだ。魔導師は魔力切れでぶっ倒れるし、暑い時期の議会は中止にすれば良いのに」

 ぶつくさ言い合いながらもチェックしている警備員。その1人の顔をスラッシュが見れば驚くだろう。スルーフェアなのだ。警備員に変装しているのではない。彼は元々ここの警備員なのだ。

「わぁ広い。議会って初めて見た」

 力の抜けるような声と共にホワンが入ってきた。

「ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」

「私、関係者だよ。衛士隊から言われてきたの」

 やってきたスルーフェアにピンクの腕章を見せる。許可を得た医療関係者の印だ。

「ここに怪我人はいませんよ。控え室は隣ですから、そちらへどうぞ」

 直接触りはしないが、彼は押し出すように彼女を会議場から出そうとする。

「ちょっとぐらい」

 いいでしょうと言いかけた彼女の鼻がひくついた。

 そこへイントルスが顔を出し

「ホワン。勝手に持ち場を離れるな」

「現場のチェックだよう」

 親が迎えに来た子供のように彼について歩いて行く。そのまま彼女は会議場を出ると、

「ギガちゃん。ちょっと良いかな」

 イントルスの袖を引っ張った。


「思っていた以上に物々しいな」

 カオヤンは自室の窓から外の様子を見ていた。市庁には、小さいながらも議員全員に個室が用意されている。不公平にならないよう、市長をのぞいて全員同じ広さだ。議員が私物を持ち込み、室内を飾るのは認められているものの、簡単な机と椅子、テーブルとソファ、本棚を2つも入れれば半分近く埋まるような小さな部屋だ。

「市長が狙われた後の議会ですから、どうしてもね」

 スルーフェアを含めて、3人の警備員がソファに座って菓子をつまんでいる。いずれもカオヤンの手のものだ。

「スラッシュは?」

「ブルースがついています。こちらの準備も万全ですよ」

「これは1番のチャンスと同時に最後のチャンスでもある。万全に過ぎるはない」

 その真剣な目つきにスルーフェアたちの動きが固まった。


 外から第1会議場を狙える場所は限られている。とはいえ、その全てに衛士を配備できるほど少なくはない。その内の1つ、市庁近くの宿屋をルーラとスラッシュは見回っていた。

「いちいち客の身元なんて調べていませんよ」

 宿帳を2人に見せながら、でっぷりと太った宿の主人がぼやいた。

「前々から言われているならともかく、今になっていきなりそんなことを言われてもねえ」

「一応、中を一通り見させてもらいますよ」

「客室には入らないでくださいよ。何かあって後で文句を言われるのはこっちなんですから」

 主人の仏頂面が、新しい客が入ってくるのを見て

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

 ニコニコ顔になって出迎える。ルーラたちはやれやれと顔を見合わせ、階段を上がっていく。

「狙うとしたら最上階。角の部屋ですね」

「屋上からの方が狙いやすいんじゃないですか?」

 ルーラの指摘にスラッシュは頷き

「ええ。でも、外からも見られやすくなります。チャンスが来るまで、じっと弓や魔玉の杖を構えていたら」

「目立ちますね」

「特に見回りで空を飛んでいる衛士がいれば尚更ね」

 先日の狙撃が成功したのも、射手が潜んでいたのが外から見えにくい時計塔の中だったからだ。

 時計塔が時を告げる鐘を鳴らす。本会議の始まりだ。

「一応、部屋の人に声をかけておくか」

 最上階まで上がると、角の部屋をノックする。

「おくつろぎの所を失礼します。衛士隊です」

 扉が半開きになって気難しそうな顔をした男が顔を出す。

「衛士隊が何の用だ? 身に覚えなんてないぞ」

「本日、議会で重要会議が行われているので、周囲の建物内を見て回っています。すぐに終わりますので、中を見せていただけますか?」

「すぐに終わらせてくれよ。これから用があるんだ」

 中に入ると、男の他には誰もいない。ただ体を横にするために用意されたような部屋で、ベッドと簡単な机と椅子があるだけだ。壁には彼のものらしい上着が掛けられ、机の横には彼の荷物とおぼしき一抱えはあるバッグが無造作に置かれている。

「ここから会場の中が狙えるか見てください」

 言われてルーラが窓を開け広げ、簡単に身を乗り出す。いくらか植木が邪魔するものの会議場の中が、それも壇上が見える。多少ずれてはいるが狙えないことはない。矢をある程度曲げられる腕の持ち主なら尚更だ。例えばスラッシュのように……。

 彼の意見を聞こうとルーラが振り返ったとき、

「!?」

 いつの間にか目の前まで迫っていた客が彼女の顔に薄汚れた布を押し当てた。

 振り払おうとする彼女から突然力が抜けた。意識はあるのに力が入らない。その場に倒れ込んだ彼女に客は満足げに笑い、自分に矢を向けているスラッシュを見た。

「安心しな。しばらく動けないだけだ。意識はあるがな」

 客はルーラを担ぎ上げると、放り出すようにベッドに横にした。精霊の槍は部屋の隅に蹴り飛ばす。

「急げ。すぐに市長の挨拶が始まる」

「わかっている」

 スラッシュが弓を降ろし窓から会議場の中を見る。司会役の議員が壇上で何か話しているのが見えた。これが終われば市長の挨拶と100年祭の説明。これが終わると彼は自分の席に戻り、視界から外れるため狙撃はこの時しかない。

「矢を貸せ」

 客の男が手を出す。既におわかりだろうが、この客はカオヤンの手のものである。名前はブルース。

 ブルースは矢を受け取ると用意した液体の入った小瓶の中に先端を浸した。

「この前より強力な毒だ。これならかすっただけで殺せる」

 にやりとしてスラッシュに矢を返す。

「それよりも約束です。テリアの無事な姿を見せてください」

「わかっている。あそこを見な」

 北東に少し離れた5階建ての建物の屋上を指さした。その先を見てスラッシュの顔が強張った。

 屋上に弓を持ったウェルテム。その隣に2人の男に抑えられるように立たされているのは

「テリア?!」

 距離はあるが、見慣れた服を着て彼の目には男に抑えられた妻の姿がハッキリ見える。

「市長を射貫けば、そのままお前さんの連れ合いはあそこに金と一緒に放置する。そのまま2人でウブから逃げ出すんだな。失敗したら、死体にして放置する」

 妻を見据えて唇を噛むスラッシュの横顔を、ルーラは動けない体のまま見つめた。ブルースの言うとおり体は動かないが意識はハッキリしている。この男達がスラッシュの妻を人質に市長暗殺をさせようとしているのはわかる。が、わかるだけでどうしようもない。精霊の槍を手にできれば、精霊に語りかけ何か出来るかも知れないが、槍は彼女とは反対側の床だ。

 恨みをぶつけるかのように意識をブルースに向ける。それが届いたのか

「何だ……動けねえはずなのに」

 彼がルーラを向いてたじろいだ。

 申し訳なさそうにルーラを見てスラッシュが会議場をよく見ようと窓から身を出したとき

「スラッシュさん。異常はありませんか?」

 下からセルヴェイの声がした。宿の狭い庭の向こう、格子の塀越しに彼とラムがこちらを見上げている。

 スラッシュはちらとブルースを見、わかっているとばかりに普段の顔で

「ありません。泊まり客に文句ばかり言われてますよ」

「スラッシュ様、おかわいそう。今夜は私が手料理を振る舞ってあげます。彼女より私の手料理の方がきっとお気に召しますわ」

「遠慮します」

 即答されラムが頬を膨らませる。困ったような笑いを浮かべたセルヴェイが

「奥さんの実家はどこなんですか?」

「言いませんでしたっけ? ホワックです。戻るまで5日以上かかるんじゃないですか?」

「ですから私が」

 言いかけるラムの手を取りセルヴェイが引っ張っていく。これ以上の会話はさせたくないと言うように。

 それを見送りホッとするスラッシュに

「羨ましい男だ。それも今日限りだがな」

 つぶやくブルースを無視して

「始まりましたよ」

 スラッシュの声にブルースが彼の背後に回る。背中越しに、壇上に立つジンギスカン市長が見えた。拳をかざし何やら力説しているが内容はわからない。

「一発で仕留めろよ」

「一発しかチャンスはありませんよ」

 矢をつがえ弓を引く。木々が風でそよぐ。

「早く打て」

「風が止むのを待ちます。市長の演説は長引くものです」

 弓を引いた姿勢のままスラッシュの動きが止まる。まるで彫像のように微動だにしない。ただ、目だけが微かにテリアの方に向けられた。

 彼女からも見えるのだろう。じっとスラッシュを見つめている。だが、その目からは微かな動揺も感じられない。彼が何をしようとしているかを全てわかっている目だ。

 弓を構えたスラッシュの髪を風が撫でた。


 会議場ではジンギスカンが語り続けていた。

「皆さんもご存じのようにウブは100年前まで1つの独立国家だった。それがスターカインに統合され1つの都市となりました。それに不満を持つ人がいることは事実です。独立国家としての誇りを失い、スターカインに飼い慣らされていると苦々しく思う人もいる。

 しかし独立することは国となることではない。己に誇りを持ち、自らの足で立ち、歩むことです。ウブの民はそれが出来るしそれをしている。それがウブ市長としての私の誇りです」

 スラッシュは弓を構えたまま。彼の髪を風が撫でた。

「詭弁もいい加減にしろ!」

 議会席からカオヤンの声が上がる。

「スターカインという枠に捕らえられたままで何が独立だ。何が誇りだ。独立とは何者にも縛られず、己の意思で立ち、己の意思で進む方向を決めることだ。どんなことを言おうとスターカインの一部である限り、進む道はスターカインの意思に縛られる」

「独立と身勝手は違う。スターカインもウブも、地の平和と民の幸福という目的は同じ」

「スターカインに逆らわない統治という目的か?!」

「目的が違えば袂もわかつだろう。だが、今はそうではない」

「その時が来てからでは遅い!」

「お前達は自分たちの上に何かが存在するのが気に入らないだけだろう!」

 他の議員達も加わった。カオヤンほどではないが、やはり独立国家という響きと魅力、誇りはそう簡単に捨てられるものではない。

「100年祭を通じて、もう一度誇りを取り戻すよう民に語りかけるべきではないか」

「戦争という危険を冒してまで手に入れるべきものではない」

「スターカインのペットに成り下がったか」

「独立心に飼われた狂犬どもめ!」

 声が荒ぶり、感情的になっていく。

 その騒ぎの中、壁際に立ったスルーフェアはじっとジンギスカン市長を見つめていた。


 ベッドの上でルーラは動けない体に苛立っていた。なまじ意識がある分、悔しさもひとしおだ。

 窓の外から近くの建物の屋上が見える。何度か見たことのあるテリアが数人の男に捕まっている。

 その時、彼女はそれを見た。なまじ薬で動けないのが幸いした。そうでなければ、表情の変化でブルースに気づかれただろう。

 テリアが捕らえられている屋上の少し離れた手すりに見覚えのある虎猫が座っている。暑い中、日陰にも入らず、じっと彼女たちを見つめている。

 風が止んだ。

 スラッシュが矢を放つ!

 矢は空を切り、窓から議会に飛び込むと微かに軌道を変え、市長の心臓めがけて飛んでいく。今度は資料はない。

 スラッシュはすぐさま次の矢をつがえ、体の向きを変えると愛する妻を捕まえている男の一人めがけて放つ。市長への矢に気が向いていたブルースはそれに対応できない。

 矢はテリアを捕まえていた男の一人を見事射貫く。

 同時に虎猫が男めがけて走り出し、もう一人の男に飛びかかる。

「衛士隊だ! 全身動くな」

 屋上への扉が開き、ユーバリ隊長率いる東の衛士隊第2隊が飛びだしてきた。


「貴様!」

 ナイフを手に飛びかかるブルースとスラッシュが組み付き、床に倒れ込んだ。ナイフを必死に押さえつけながら、スラッシュが精霊の槍を蹴り飛ばす。それは壁に当たりルーラの体に落ちる。それで十分だった。

(お願い!)

 槍を振るうことは出来なくても気持ちを込めることは出来る。その思いは槍の穂先に加工された精霊石を通じて周囲の精霊に届く。

 風の精霊がそれに応えた。室内を強烈なつむじ風が吹き荒れる。

 とっさに伏せベッドの足を握るスラッシュの上。ブルースが飛ばされ壁に天井に激突、床にたたきつけら白目を剥いて気絶した。

「ルーラさん!」

 スラッシュは起き上がると、改めて精霊の槍をルーラに握らせ、弓矢を手にしたまま彼女を抱きしめる。

「こんな時ですみません。私をあの屋上まで運んでください!」

 ルーラは再び風にお願いする。自分を抱きしめているスラッシュごと部屋の外に飛び出させる。

 そのままテリアが捕まっている屋上まで飛び、転がり落ちる。

「大丈夫ですか?!」

 第2隊の衛士・魔導師オレンダが、使い魔の虎猫アバターと共に駆け寄ってくる。襲いかかる盗賊の足を魔玉の杖で払い転ばせる。

「薬で動けないだけです」

 それだけ言うと、スラッシュはテリアを捕まえたまま抵抗を続けるウェルテムたちに弓を向けた。それに気づいたウェルテムたちは

「動くな!」

 仲間にテリアを羽交い締めにさせ、別の仲間にナイフを突きつけ刺せる。自分はそのすぐ後ろで弓を構える。そのまま屋上の隅に移動し

「お前ら全員向こうの隅に行け」

 衛士達に屋上の反対側に集まるよう命令する。

 ためらいつつも、ゆっくり後退するメルダー達。

「早くしろ!」

 各自武器を構えつつ、後退の足を速める彼らに代わるように、スラッシュが立った。

 無言のまま弓を構える。

 ウェルテムたちはテリアを盾にするように、その後ろに身を隠す。

「おい、スラッシュ」

 妻に当たるかも知れないと心配するユーバリに対し、スラッシュは事も無げに

「当たりません。絶対に」

 彼とテリアの目が合った。彼女は静かに微笑むと突然歌い出した。歌詞はない。ただ陽気なメロディーを彼女の唇が紡ぎ出す。

 何だとばかりに一同が驚く中、スラッシュが矢を放つ!

 それは彼女に突きつけられたナイフを持つ手に刺さる。たまらずナイフが手からこぼれ落ち、彼女はまだ捕まえられたまま歌い続け、

 いきなり踊り出した。首を捻り、腰を振り、足を高々と上げる。上げた足にスカートがめくられ、下着が見えても気にしない。

 スラッシュが矢筒から数本、まとめて矢を抜き、次々弓につがえては射る! 射る‼ 射る‼‼

 それは高く上がった彼女の足をくぐり、後ろの男の足に刺さる。

 捻った腰の脇をかすめるように、後ろの男の腰に刺さる。

 男達を振りほどくと、背中からのけぞるようにアーチを作る彼女の上を矢が走り、丸見えになった男の腹に射貫く!

 テリアの歌と踊りに合わせて放たれた矢が、彼女の動きが作り出す空間を通って背後の男達を倒していく。わずかでもズレたら彼女に当たるだろう矢は、決してそんなことなく男達を倒していく。

 ユーバリもオレンダも、動けない体のルーラも唖然とした。何かの舞台を見ているようだ。

 男達が倒れていく中、1人だけ微動だにしない者がいた。ウェルテムだ。

 最初こそ戸惑った彼だが、彼女の動きに捕らわれるのは危険と察知、あえて無視して弓を構えた。

 スラッシュもそれに気がつき矢を向ける。

 矢が飛んでこないのに最後の男がテリアに掴みかかる。が、その手よりも早く彼女の足が回し蹴りのように彼の側頭にヒット、一蹴りで倒す。

 皆が見守る中、スラッシュとウェルテムが弓を構えて睨み合う。距離にして20メートル程。2人の腕なら決して外すことはない。

 お互いを見据える2人に、周囲の人達も無言のまま動かない。

 2人が同時に矢を放つ!

 その矢は2人の中央でぶつかり、床に落ちた。

「何?!」

 ウェルテムの驚きが周囲の呪縛を解いた。飛びかかる衛士達に弓を振り回し何とか距離を取ろうとする彼だが、サーベルに弦を切られ、ひるんだところを一斉に飛びかかられ、押しつぶされた。

「無駄な抵抗は止めろ」

 数人の衛士に押しつぶされたウェルテムに手枷がはめられる。

「あなた!」

 テリアとスラッシュがひしと抱き合い、周囲の目もかまわず熱い口づけをかわす。

 男達が第2隊によって縛り上げられる中、オレンダだけは心配げに動かないルーラをのぞき込み、声をかけている。

「ルーラさんが動かないんです」

「薬を盛られたんです。命に別状はありません」

 後半の言葉はオレンダに聞こえていなかった。

「解毒を!」

 オレンダはルーラを抱き上げ、アバターと共に一目散に階段を駆け下りていった。

 元の宿の部屋を見ると、気絶したブルースに衛士が手枷をはめるのが見えた。

 ほっとする一同にウェルテムの含み笑いが重なった。

 何事かと緊張する一同に、彼は意地の悪い勝者の笑みを返す。

「お前達、勝ったつもりだろうが残念だな。スラッシュよ、今回のお前は囮なんだよ!」

 その叫びが合図かのように、議会上から爆音と共に煙が上がった。


 窓から飛び込んできた矢がジンギスカン市長の胸を直撃、仰向けに倒れるのを目の当たりにして議会は騒然となった。慌てて逃げ出そうと出口に走るもの。机の下に身を伏せるもの。ただ呆然とするもの。議員を守ろうと盾になる秘書もいれば、議員をほったらかしにして逃げる秘書もいる。警備員達が逃げようとする議員達を掻き分け市長に駆け寄ろうとする。

 そこで窓枠が爆発した。爆炎魔導だ。

 それは窓枠を壊す程度の小さなものだったが、議員達のパニックを増長するには十分だった。さらにカーテンが燃え上がり、火の粉が降り注ぐ。

「落ち着いて!」

 警備員達が叫ぶ。火炎魔導は見た目は派手だが、直撃しなければ大したことはない。恐ろしいのは火炎魔導ではなく、それによって起こる火災や周囲の人達がパニックを起こすことなのだ。

「市長、大丈夫ですか?!」

 逃げようとする議員達を掻き分け駆け寄るスルーフェアの前で、左胸に矢の刺さったジンギスカンがむっくりと起き上がり

「勢いで倒れたが大丈夫。私だって対策はしている」

 笑ってスーツを軽くはだけてみせると、厚めのノートがベルトで固定されており、矢はそれに刺さって彼の身体には届いていない。

「先日も助けられたが、紙の束は盾として実に優秀だ」

 にっこり笑う彼にスルーフェアは唖然とした。スラッシュの腕は確かだ。狙いを外さないだけに対策もしやすい。

 スルーフェアがカオヤンをちらと見ると、彼は「やれ」とばかりに頷く。

「とにかく、今は避難を」

 動揺を悟られないようジンギスカン市長を促す。彼の背後に回り、そっとナイフを取り出した。

 それを隠すように構え市長の背中を刺そうとしたとき、突然襟首をつかまれ、後ろに引き倒された。

「そこまでだ」

 メイスを構えたイントルスが立っていた。サーベルを手にしたメルダーもいる。

「一度失敗した方法を繰り返すならば囮としてと思ったが、大当たりだったな」

「なぜ俺だとわかった?」

 混乱時、警備員の自分が市長に駆け寄るのは当たり前。なのに自分に目がつけられていた。それが不思議だった。

「そのナイフには毒が塗られているんだろう。その匂いを嗅ぎ取ったんだ」

「匂いだと。バカな」

「プロを侮るな」

 イントルスが顔で指す先には、ホワンがいた。彼女は自慢げに

「私すごい」

 とガッツポーズをとる。匂いは薬の調合をするのに必要な要素だ。もちろん毒の特定にも。そのため薬草師は鋭利な嗅覚を持っている。

「フーワさん! 助けてください」

 いきなりルーラを抱きかかえたオレンダが駆け込んできた。

「ルーラさんが毒にやられたんです」

 職業意識にスイッチが入ったのか、ホワンが普段からは考えられないような機敏な動きで彼に駆け寄る。

 皆の注意が彼女たちに向けられたと判断したスルーフェアがいきなりナイフを投げた。が、それは市長に届く前にメルダーにたたき落とされ、彼はイントルスのメイスの一撃を受けて昏倒した。

 ホワンは横にされたルーラの瞳を開いて観察し、口に鼻を近づけて匂いを嗅いだり、指を握って動かし硬直具合を確かめたりすると

「まかせて」

 毒の種類がわかったのか、白衣の内ポケットに仕込んだ解毒剤の1つを取り出し、ルーラに手早く注射する。

「5分ぐらいで動けるようになるけど無理はさせないで、しばらく横にさせて」

 口調まで変わっている。

 先ほど、外から窓枠に攻撃魔導を放った魔導師達が、スノーレや他の衛士達に取り押さえられたという報告が来たのは、そのすぐ後だった。


「マトンには会えぬのか」

 市庁の医務室。カオヤンはホワンに聞いた。

「はい。しばらくベッドで横になっていますので」

「怪我はしていないと聞いたが」

「これから忙しいでしょうから、今のうちに休んでもらった方が良いんですぅ。今なら仕事をいくらか後回しに出来ますからぁ」

「おかげで調整が大変です」

 疲れた顔でマッツォがうなだれる。

「頑張ってくださぁい」

 相変わらず彼女の力が抜けるような言葉遣いには、さすがのマッツォも言い返す気力がないようだ。

 そんな彼にかまわずカオヤンは

「話は出来るか?」

「薬で眠っていますから無理ですよぉ」

「薬?」

「市長さんみたいな頑張り屋さんを休ませるには、これぐらいしないと」

 強引であるが、彼女の言うことも一理ある。

「そうか。ならば顔だけ見て失礼しよう」

 いくつもベッドが並ぶ中を進み、奥の個室に入る。

 そこでジンギスカン市長はベッドで高いびきをかいていた。

「いい気なものだ」

 彼の寝顔を見下ろし

「お前が無能だとは言わん。ウブをスターカインでも指折りの都市に発展させた功績は認める。だが、その発展が民衆の牙を抜いた。不満のない生活は妥協を生み、誇りを失わせた」

 彼は懐から小ぶりのナイフを取り出し鞘を抜いた。スルーフェアやウェルテムが捕まった以上、衛士が自分に迫るのは時間の問題だ。チャンスは今しかない。

「ウブの偉大さを取り戻すために」

 ナイフを両の手で持ち、振りかざす。

「偉大は意図して取り戻すものではない」ジンギスカンの目が開いた「自然と周囲から呼ばれるようになるものだ」

「な?!」

 カオヤンの動きが止まった。途端、ベッドの下から飛び出した足が彼の足を払う!

 床に倒れた彼の前

「現行犯だよ。議員さん」

 ベッドの下からギメイが出てきた。

 ドアが開きメルダーたちが入ってくる。

「罠か……」

 ジンギスカンが体を起こしカオヤンを見た。その目には力がなく、むしろ彼の方が敗者のようだった。

「そこまでしてウブを国に戻したかったのか? 国としての誇りはそんなに大切か?」

「大切なのだ。スターカインに飼い慣らされたお前にはわからんだろうがな」

「ああ……わからん」

「俺もわかんねぇな」

 床に座り込んだままのギメイが見上げ

「自分らをそれなりに大切に扱ってくれれば、どんな国だってかまわねえよ。日雇いの人足さんや、怪我か病でろくに動けない体で日銭を稼ぐ人達には、国の誇りなんて飯のおかずにもならねえ」

「国に誇りを持たぬゴミを守る必要などない」

 さすがにギメイもカチンときたのか、口調が強くなり

「要はあんた、自分の思うように動かせる国を持ちたいだけだろ。それを直接言うと自分らが独裁者みたいでイメージが悪いから、誇りだの何だので飾り立てて自分を隠している」

「国を背負わぬ平民に何がわかる!?」

 睨み付けられギメイは静かに口を閉じた。カオヤンは知らない。身分を隠して衛士隊にいるが、ギメイがニブクという小さいながらもれっきとした国の第一王子、次期国王だということを。

 カオヤンがナイフを構え、衛士達が身構えた。

「安心しろ。自害も抵抗もしない。生きている限りチャンスはある。私は必ずウブを偉大なる国に甦らせてみせる」

 言うとナイフを壁に投げて突き刺した。

 衛士達に連れられるカオヤンの背中を見つめ、

「国を背負うか……重すぎて今よりさらに体が縮みそうだ」

 頭を掻きながらギメイが小さな体を起こし出て行く。

 1人残されたジンギスカンは

「偉大か……自分たちに向けてそれを使うようになったらお終いだぞ」

 つぶやくと、気合いを入れるように自らの頬を叩く。

「さあ、100年祭の準備だ」

 顔をあげる彼の目は、いつもの市長に戻っていた。


   ×   ×   ×


「ええーっ」

 衛士隊本部。第3隊の部屋にルーラとクインの呆れた声が響いた。

「じゃあ、スラッシュさんが言いなりになって市長を撃ったのは、みんなお芝居だったんですか?!」

 確認するようにルーラが改めて聞くと、トップス隊長が頷いた。

「テリアがさらわれた翌日にセルヴェイさんを通じて報告しました。衛士隊に犯人の仲間がいる可能性も考えてこっそりと」

 申し訳なさそうにスラッシュが頭を掻く。部屋には第3隊の他に、トップス隊長やセルヴェイ、テリアもいた。ラムまでいる。

「相手の正体がわからなかったからな。とりあえず要求を呑んで出方を待ったんだ」

「私が隊長達に報告したのがバレたら大変ですからね。連絡には苦労しました」

「連絡役は私かラムさんに」

 セルヴェイの言葉にルーラは目を丸くして

「ラムさんも協力者だったんですか?」

「もちろん」

 浮かれ顔でラムが肯定する。

「私だったらスラッシュ様につきまとってもいつものことで済むし。連絡の受け取り方は工夫しましたけどね。婚姻届や離婚届を渡して破かせて、連絡用の紙をまぜて私に突っ返したり」

 いつぞやの衛士隊本部でのやりとり。彼女が渡した婚姻届や離婚届をスラッシュが破った後、突っ返した中に連絡用の紙を1枚紛れ込ませたのだ。後で彼女はそれを分別、父であるジンギスカンに報告したというわけだ。他にもセルヴェイが入れた紫茶を飲み終えた後、そっと紙を入れて返したり。着替え終えた制服のポケットに紙を入れて後で回収してもらったり。衛士の中にもカオヤン派がいる可能性が高いため、連絡には苦労していた。

「一番緊張したのは、やはり狙撃前にテリアの居場所を相手に悟られずに伝えることでしたね」

 ルーラが薬で動けなくされたとき狙撃前にセルヴェイとラムが窓の彼に声をかけた。その時である。

 あの時スラッシュが説明した「ホワックです。戻るまで5日以上」ホワックはウブの北東にある町。つまりテリアは今自分のいる場所から北東の5階建ての建物。以上というのは屋上を意味する。これが3階の窓なら「戻るまで5日ぐらい。できれば3日程度で戻って欲しい」と言っただろう。それを聞いてセルヴェイは控えていた他の隊に連絡。該当する建物を調べ、第2隊が探し当てたというわけだ。もちろん、スラッシュがなかなか矢を放たなかったのも、風が止まるのを待つほか、できるだけ時間を稼ぐためでもある。

「じゃあラムさん、スラッシュを諦めきれずにつきまとっていたのは全部演技な訳?」

「まさか。別の女と結婚したぐらいで諦めてたまるもんですか」

 悪びれる様子もなく胸を張る。ここまで堂々とされると却って毒気が抜かれる。

「スラッシュ様。協力しましたから、約束通り二人っきりでお食事。忘れないでくださいね」

 申し訳なさそうにテリアを見るスラッシュに、彼女も

「仕方ありません。1回だけですよ」

 露骨に嫌な顔で認めた。

「それじゃあ、市長を狙ったのも」

「もちろん。市長が胸の前に資料の束を持ってくる形にするよう打合せをした上で、それを狙ったんです」

「いくら何でもできすぎた偶然だとは思わなかったのか?」

 笑うトップスに唖然とするクイン達。

「でも、矢には毒が」

「もちろん、隣の部屋で解毒薬を用意したホワンが待機していた。結局出番はなかったが」

 イントルスが補足する。

「じゃあ、イントルスさんやホワンさんも最初から知っていたんですか?」

「ああ。スノーレにも協力してもらった。おかげで議会の時も準備が出来た」

「スノーレも……」

 ルーラたちに唖然とした目を向けられ、スノーレは「ゴメン」と声を出さずにあやまった。

「じゃあ、もしかして知らなかったのは私とルーラとギメイだけ? どうして私たちには黙っていたんですか?」

 詰め寄るクインにトップスは笑って

「ギメイには申し訳ないが」

「わかってますよ。入ったばかりの俺に話すには重すぎます」

 仕方ないとばかりにギメイが苦笑いで返す。トップスは少しホッとした顔をルーラとクインに向け

「で、お前達2人はすぐ顔に出るからな。犯人達に我々が気がついていることを悟られかねない」

「そんな。私たちって、そんなにわかりやすいですか?!」

 抗議するクインに、一同が「その通り」とばかりに頷いた。

「ひどい。仲間なのに?!」

「仲間だから、よく知っているから外したんだが」メルダーが言い訳する。

「でも、やっぱり言って欲しかったです。そうすればあたしだってああ簡単に薬を嗅がされたりしなかったのに」

 ルーラもむくれ顔だ。嗅がされたのが単なるしびれ薬だったから良かったが、猛毒だったらあの時に死んでいた。

「すみません。一応、死者を出したら要求は呑まないと言ってはいたんですけれど」

 申し訳なさげに頭を掻くスラッシュを横目に

「ルーラ。お前も衛士だ。ずっと気を張り詰めているわけにはいかないだろうが、注意と覚悟はしておけ」

「はい」

 まだどこか納得出来なさそうな彼女にテリアが

「ごめんなさい。お詫びに今度うちに招待するわ。いっぱい料理を作ってごちそうするわ。みなさんもどうぞ」

「良いんですか。テリアさんは被害者なのに」

 心配げなスノーレの言葉を制し

「良いんです。ずっと閉じ込められていたせいで、体が何かしたがっているんです」

「子作りとか」

 言ったギメイの頭をクインがひっぱたいた。

「それとは別です。手のかかる料理をいっぱい作りますよ」

 テリアは笑顔でぐいと力こぶを作ってみせる。

「よーし、思いっきり食べてやる」

 言い切るクインに、やっとみんなの表情が柔らかくなる。

「それにしても市長もたいした度胸だ。もしも矢がズレて頭に当たったりしたら終わりなのに、堂々と受けたんだからな」

「それぐらいでないと市長は勤まらないんでしょう。むしろ射る私の方が緊張しましたよ」

「市長にでかい借りが出来たな」

 トップスにいわれ、スラッシュは弱り顔で頭を掻く。

「射ると言えば」

 ルーラが改めて驚き

「テリアさんが盾にされているのによく平気で矢を射ちましたね。驚きました。あの時、体が動いていたら必死で止めましたよ」

 屋上で踊る彼女の隙間をついて男達を次々倒したことだ。

「奥さんがどう動くのかわからないのに」

「わかっていますよ」

「え?」

 きょとんとするルーラにテリアが

「あれは、私がダンサーだった頃、うちの人が毎日のように舞台を見に来ていたときに踊っていたものなの」

「何十回と見ましたからね」笑いながらスラッシュは自分の頭を指さし「どんなリズム、どのタイミングでどんな動きをするか完璧に頭に入っています。彼女に当てるようなことはしません。これまでも、これからもね」

 ドヤ顔混じりの彼に、テリアがぷっと吹き出した。

「何ですか?」

「あなた、一度私に矢を当てたことがあるじゃないですか。あれ、痛かったんですよ。結構苦しみました」

 途端、彼が真っ青になった。

「そんな馬鹿な。いつですか? 舞台に立つ前の頃ですか?」

「知り合ってからです。忘れたんですか?」

 イタズラっぽい笑みを浮かべた彼女は自分の胸を指さして

「私のここに、恋の矢を当てました」


(第9話 おわり)


 第5話に続くサブキャラメインの話。今回はスラッシュです。

 この話はテリアのラストのセリフが最初にあり、そこから遡るような形で話を作りました。最初は夫婦喧嘩の話にしようかとも思ったんですけれどそれは別の機会に。この2人、人としてある程度完成しているため話が作りにくい。クインやルーラのようにいろいろ欠点や中途半端さがあるキャラの方が話は作りやすいです。

 今回、書いていて一番迷ったのがスラッシュがカオヤンの言う通りにするのが「フリ」だというのを読者にバラしておくべきかでした。結局最後までバラさない流れになりましたが、読者にバラす場合、議会開催後の展開は大分変わり、スラッシュのメッセージを受けてテリアを探すのがルーラたちの役目になり「早くテリアさんを助けないと、スラッシュさんが市長を射っちゃう! 急げ急げ」という内容になったでしょう。でもそれだと踊るテリアに絶対当たらないスラッシュの矢無双ができない。最期のテリアのセリフに繋がらない。うーむ。


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