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『第7話 小さな格闘家』


 センメイ川河川敷。隣町へと続くのとは少し外れた細道に野苺の木が連なる場所がある。初夏の今、枝には無数の実が熟し、黒の光沢のある果皮で自らを飾っている。柔らかく、少し力を入れれば破れてしまう果皮をそっとつまんではちぎり取り、籠に入れていく。

「こんなものか」

 籠半分ほどの野苺にルーラ・レミィ・エルティースは頷いた。今のうちに集められて良かった。あと数日したら、近くの子供達に取られてほとんど残っていないだろう。

「半分はジャムにして、残りは干苺にして」

 味を感じ上げて、つい舌なめずりしてしまう。さて帰ろうかと腰のベルトに挟んでおいた石槍・もとい、精霊の槍を引き抜いた時

「誰かぁ!」

 草むらから男が1人、メイド服姿の女性をしがみつかせて草むらから飛びだしてきた。

「誰か来て。誘拐魔です!」

 逃がすまいと男にしがみつきながら、メイドが叫ぶ。

「この、しつこいぞ!」

 男がメイドの顔を拳で殴りつけるが、彼女はその手を離そうとしない。

 ルーラが籠を地面に落とし、精霊の槍を手に男に走り出す。

「止めなさい。衛士隊です!」

 衛士という単語に男が驚き、ルーラを見る。が、彼女がまだ14才の少女で、衛士の制服を着ているわけでもないのに

「何だ。でたらめ言うな!」

 メイドを引き剥がし、地面に叩きつけてはルーラを迎え撃つ。たまたま居合わせた彼女が、勝手に衛士を名乗ったのだと判断したのだ。だがそそれは間違いである。ルーラは本当にこのウブの街の衛士なのだ。

 殴りかかる男の拳を軽く体を捻ってかわす。

「な?」

 男が続けて拳を振るい、蹴りを出す。が、その全てをルーラはわずかな動きでかわしていく。ウブはもちろん、このスターカイン国でも指折りの槍使い・トップスから毎日のように稽古をつけられている彼女にとって、男の攻撃は手に取るようにわかるし、それを躱せる技量もある。

 隙を見て槍で男の足を払い、転倒したところを槍の石突きで男を突く!

 が、男は転がるようにそれを避け、そのまま立ち上がり逃げ出した。

「大地の精霊。お願い!」

 想いを槍の穂先に込め、地面を突く。槍の穂先である精霊石がそれを大地に伝える。

 地面の一部がぴょこんと跳びだし、男がそれに蹴躓いて転倒した。

 ルーラが一気に駆け寄り、槍の石突きで男の股間を一撃!

「うげぇっ」

 男の白目を剥き、悶絶した。

「大丈夫ですか?」

 しばらく男は動けないだろうとみて、ルーラがメイドに声をかける。

「お、お嬢様が……お嬢様がぁ」

 泥だらけのメイドが、泣きじゃくりながらルーラにしがみつく。

 その様子を、草むらからタヌキを思わせる男が1人、のぞいていた。その腕の中には、年端もいかない女の子が気を失ってぐったりしている。

「あの馬鹿」

 つぶやくと、竹の筒を加える。吹き矢だ。息と共に1本の矢を撃ち、草の奥へと引っ込んでいく。

 しがみつかれたメイドをなだめようとするルーラの足下。倒れている男は口から血の泡を吹いて微動だにしない。その首筋には1本の短い矢が刺さっていた。


 その日のうちに、ビアンド宝石店にオーナーの娘シルク誘拐犯から身代金要求の手紙が届いた。

『娘は預かった。身代金と引き換えに返してやる。詳しいことは改めて連絡する。それと、衛士には知らせるな』


   ×   ×   ×


 ウブの地下は熱気に溢れていた。

 四角いリングを囲む群衆の興奮が無数の叫びとなって壁を、天井を震わせる。殺気だった欲望の叫びが渦巻く中心はリングで戦う2人の男。観衆が握りしめる賭け札には2人の名前が書かれている。そのうち一方を丸で囲まれた札。

 ここでは空拳の賭け試合が行われ、多額の金が歓喜と失望の中で動く。空拳とは武器を一切使わず、自らの体だけで戦う格闘技の総称であり、この世界では最もポピュラーな格闘技。その流派は200を超えると言われている。

 リングでは2人の男が上半身裸、下はハーフパンツのみの姿で戦っている。見るからに筋骨隆々の大男ビグボラと、引き締まった体の全身バネのような小男ギメイが拳と蹴りのみで戦っている。

 ビグボラの攻撃は鋭いが、ギメイのちょこまかした動きを捕らえられない。ギメイは相手の攻撃をかいくぐっては打撃を与えるが、なかなかダメージにつなげられない。彼の攻撃が弱いのではない。見かけからのイメージと違い、並の格闘家なら一発食らっただけでノックアウトされるほど重い。だがビグボラもこの賭け試合の常連で戦いの駆け引きを知り尽くしていた。巧みに攻撃を逸らし、うまく決まらせない上にタフなのだ。

(やばいな)

 攻撃を躱しながらギメイは焦っていた。自分のペースに持ち込めないまま、体に疲れがたまりはじめているのがわかる。このままではいずれ強烈な一撃を食らうことになる。

 ヒット数はギメイの方が上だから、このペースを最後まで持たせられれば判定で勝てる。が、それをさせるビグボラではない。すでにギメイの動きに慣れ始めており、形勢逆転は時間の問題だ。

(仕方ない。ここいらで勝負かけるか)

 ギメイも馬鹿ではない。今までの打ち合いから、相手が連打の後、わずかに足に隙が出来るのを見つけていた。そこへ一発重いのを決めれば、決定打にはならなくても、動きを大分抑えられる。そうなればこっちのものだ。しかし相手もそれは予想しているはずだ。

(探り合いを続けていてもしょうがない)

 腹を決めて勝負に出ようとした彼の視界に、観客席でじっとこちらを見ている頭の禿げた、立派なカイゼル髭の初老の男が入り込んだ。じっと見定めるような目で彼を見ている。

(やばっ!)

 一瞬彼の動きが止まったところへ、ビグボラの一撃が決まった。文字通り宙を飛びリングのロープに激突、跳ね返ってマットに倒れた。

 観客が沸いた。

 ビグボラはいまの一撃で勝利を確信した。

 痛みを堪えながらギメイは立ち上がるか、このまま負けようか考えた。とっさに体を反らし決定打は免れたものの、結構体に来ている。立ち上がってもここから逆転するのは難しい。だったらこのまま負けた方が怪我が小さくて良いかなと。

 どちらにしようか考えていると

「全員動くな。衛士隊だ。賭博容疑で全員逮捕する!」

 フィル・ワイド。今年50才になるウブの西衛士隊隊長だ。見た目はロマンスグレーの上級紳士だが、そのガンコさ、荒っぽさは有名である。

 会場の3つの扉が一斉に開き、衛士隊がなだれ込んだ。観客が一斉に逃げだそうと出口に殺到する。

「抵抗すると罪が重くなるだけだぞ」

 客を逃がそうと、会場の見張り達が衛士隊に挑んでいく。

「おい、やられた振りは止めろ。試合は中止だ。客を逃がすぞ。」

 ビグボラが倒れたままのギメイに声をかけ、リングを下りて衛士隊に挑んでいく。

「まいったな。あいつ、思ったより良い奴だ」

 ギメイは彼に加勢すべく駆けだした。


「いててて」

 人気の無い路地裏。衛士隊の追っ手が見えないことを確認すると、ギメイは壁にもたれるようへたり込んだ。衛士隊を相手に乱闘を続け、客をあらかた逃がしてから、自分もここまで逃げてきたのだ。目立った傷こそ無いがあちこち打撃を受けて痛い。

 ビグボラの方は、衛士隊が数人がかりで相手にしていた。さすがにあれでは逃げられないだろう。

「まいったな。ファイトマネーはもらえねえし、荷物を取りに戻るのも危険。……腹は減ったが金はなし」

「金が欲しいのか」

 ギメイが跳ねるように飛び起き、声の方に身構えた。

 そこには目つきの悪いタヌキのような顔を下小太りの男が立っていた。

「そう構えるなよ、ヌーボルト・ギメイ。あんたに仕事を世話しようってんだ。やばい仕事だが、良い金になる。空拳の賭け試合に出ていたあんただ。気にしないだろう。

 ただし、事が終わったらウブから出て行ってもらうことになるがな」

 身構えたままギメイの腹が鳴る。

「まず飯を食わせてくれ。あんたのおごりでな。話はそれからだ」

 観客席にいたカイゼル髭の男が息を切らしながら走ってきた時、すでに2人の姿はなかった。


   ×   ×   ×


 ウブ、南の外れ。センメイ川沿いの道に小さめの手提げケースを持った1人の女性が立っている。道ばたには背の高い草が生い茂り、まるで壁のようだ。

 すでに夜は更け、街明かりもほとんど届かない中、足下に置いたランプの光だけが彼女を照らしていた。年の頃は30過ぎ。昼は夏の兆しもあり汗ばむ日もあるぐらいだが、夜になると寒さを感じるときもある。彼女も薄手のストールを肩にかけている。しかし、彼女が時折震えるのは寒さのせいではない。

 知っている人が見れば、なんで彼女がこの時間にこんな場所にと首を傾げるだろう。女性の名はシェール。ウブでは有名な宝石商ティスルクド・ビアンドの妻である。2年前、彼と結婚。20以上年が離れているため財産目当てだのいろいろ言われているが、夫婦仲は至って良い。

 遠くで教会の鐘が鳴る。ちょうど日付が変わる時刻だ。

「……時間だ」

 男の声に女性の体が震えた。思わず周囲を見回すが男の姿は見えない。

「約束のものは持ってきたな」

「シルクは? あの子は無事なの?」

「無事だ。物を確認次第、返してやる。家まで丁寧に送り届けるというわけにはいかないが」

「ここに連れてきてはいないの?」

「いない。帰りたければ帰れば良い。あんたの娘が帰らないだけだ。もっとも、あんたにとっちゃ先妻の娘。たいして大事でもないだろう」

「大事です!」

 怒気を含んだ声を返すが、声はすれども男の姿は見えない。

 シェールは唇を噛み

「これで終わりという保証は。これで終わらず、2度、3度と要求してこない保証は?」

「信じてもらうしかないな。俺はただの使いでね、答えないんじゃなくて答えられないんだ。わかったら例の物をそこに置いて帰ってくれ」

 これ以上の会話は無意味と悟ったのだろう。彼女は手にしたケースを地面に置くと、ランプの明かりの中、蓋を開けた。5カラットほどのダイヤが10個入っている。

「よし」

 言われて蓋を閉めると、声の主を探すように周囲を見回しながらケースを残して去って行く。

「あまり気分の良い仕事じゃないな」

 彼女の姿が見えなくなると、草むらからギメイが現れた。

「ま、身代金を受けとるだけで謝礼がもらえるんだ。ここは良心に目をつぶるか」

 手にした龕灯の蓋を開けると灯りが道を照らし出す。そのまま彼は地面に置かれたケースを手にして歩き出した。

 草むらの中から、1匹の虎猫が彼の背中をじっと見つめている。


「動き出しました」

 道から街に入ろうとするところ、建物の陰に止められた馬車の中で、衛士オレンダが静かに目を閉じていた。彼の手にした杖の先端に止められている魔玉が淡く光っている。彼が現在、魔導を使っている証である。

 草むらがギメイをじっと観察していた虎猫は彼の使い魔アバターである。魔導師である彼は使い魔と感覚を共有することが出来る。彼はアバターの目や耳を通して、シェールとのやりとりをじっと見聞きしていた。

 彼を囲むように彼の所属する衛士東第2隊の面々が待機している。

「そのまま尾行しろ。無理はするな。今は奴らの隠れ家を突き止めることが最優先だ」

 ユーバリ隊長の指示にオレンダが頷く。

「第3隊は?」

「空です」

 隊員の1人が馬車から空を見上げた。


 夜空を全身黒ずくめ、黒のフードで顔を隠した魔導師スノーレ・ユーキ・ディルマが魔玉の杖に横座りになって飛んでいた。ご丁寧に杖も黒い布で覆われいる。特に先端の魔玉は発光が漏れないよう、念入りに分厚い布をすっぽり被せてある。

 フード越しに彼女は眼鏡の位置を直す。眼下を歩くギメイが見えるが、特に光るところはない。

「魔導師じゃないわね。魔導品も持っていない」

 彼女の眼鏡は魔導品を感知する機能がある。細かいことはわからないが、相手が魔導品を持っているかいないかぐらいはわかる。魔導師だったら発動に必須の魔玉に反応する。

「だったら、スノーレさんの魔導を知られることもないってことですね」

 彼女の周囲を強風が吹き、1人の少女が寄ってくる。こちらも彼女同様全身黒い服。日焼けした肌と中性的な顔立ちは男と思われることもあるが、れっきとした女性である。名はルーラ・レミィ・エルティース。スノーレ同様、ウブの衛士隊・第3隊の1人だ。手にしているのは魔玉の杖ではなく、一見粗末な石槍である。

 だが、これはただの石槍ではない。精霊石を穂先に加工したもので、これを通して精霊たちと意思を通じあう事が出来る。そう、これを手にしているルーラは精霊使い。今、飛んでいるのも飛行魔導ではなく、風の精霊に自分の体を運んでもらっているのだ。

「彼が持っていなくても、どこかに待機している彼の仲間が持っている可能性があるわ」

 眼下のギメイの歩く先を見るが、魔導の反応はない。

「今のところは大丈夫だけど……ルーラは先読みして」

「了解」

 答えると、ルーラはギメイの進む道の先まで飛んでいく。先読み、相手の動きを予想して先回りすることである。

「誰だか知らないけど……子供を誘拐なんて許さないんだから」

 彼女は怒っていた。先日、シルクをさらわれた時一緒にいたメイドは責任を感じ、自ら命を絶とうとしたほどだ。幸いにも発見が早かったせいで助かったが。今も自宅に閉じこもってひたすら自分を責めている。ほとんど食事もせずげっそりやつれた姿は忘れられない。

 眼下のギメイを逃すまいかとしっかり見つめて空を飛ぶ。幸いにも暗い中、彼の龕灯は光りとしては小さいながら目立つ。

 彼が今歩いている道は、もう少し行くといくつかに分かれている。このままウブに戻るか、他に町に行くか。仲間が待っていることも十分考えられる。1番嫌なのは、数人の仲間と合流ののち、全員が別々の方向に行くことだ。誰を追跡したらいいのかわからなくなる。

 だが、その分かれ道につく前に灯りは草むらの中に潜り込むように消えた。

「なに?」

 近づいて確かめようか迷っていると、草むらの中から明かりが川に流れ出した。

「船を用意してたんだ」

 船というより小さな手こぎボートは川に出るとそのまま川下に流れていく。中央には彼女同様すっぽり黒い布をかぶっているのか、人と言うより黒い塊が見える。布をかぶったままではうまく漕げないのか動きはぎこちない。

 その後をついて行くと、スノーレが飛んできた。

「どうしたの?」

「あれ」

 眼下のボートを指さすと、スノーレは眉をひそめ

「船? 明かりをつけたままなんて目立つ……それにあの動き……」

 彼女の目つきが険しくなり

「ルーラ、周りを見張ってて」

 言うとそのまま船に向かって降りていく。

「スノーレさん。気をつけて」

 しかし彼女はまっすぐ船に向かって降下、堂々と中央に降りると、杖でシーツを引っぺがした。

「……やられた」

 そこには人の姿はなく、ただシーツを掛けるだけの短い柱があるだけだった。


 その頃、ギメイはあぜ道を通り町へと続く街道に抜け出ていた。

「衛士達もご苦労さんだ」

 ケースを手に歩き出す。灯りはなくても月が出ているし遠目には街の灯りもある。迷う心配は無い。とはいえやはり早足になる。

 彼が通り過ぎた茂みから1人の女が姿を現した。薄汚れた地味な服で、こんな場所でなければ安女工と誰もが見るだろう。しかしランプも持たず、薄汚れた布に包まれた細長い棒を手に歩く姿はどう見ても女工ではない。

 クイン・フェイリバースである。

 彼女は足音も立てずにギメイの後をつかず離れずついていく。その視線は、彼の手のケースに向けられていた。

(間違いない、ビアンド商会のケース)

 少し角になったところで彼の姿が死角になる。その間にちょっと間を詰めようと足を速めると

「姉ちゃん、俺になんか用か?」

 待ち構えていたギメイが姿を現れた。

 返事の代わりに、彼女はとっさに布で覆っていた愛用のサーベルを抜くと彼に斬りかかった。

 それをとんぼ返りでかわすギメイ。

「やっぱり衛士か。しかし、いきなり斬りかかるかね」

「いきなり斬りつけられてもかわせる相手ならね」

 尾行が失敗した以上、こいつを叩きのめして捕まえるしかない。彼女の剣が舞うようにギメイを追撃する。彼はそれをかわしつつ、わずかな隙を見つけて蹴りを放つ。

 とっさに彼女はサーベルの刃を立てる形でそれを受ける。

 彼は大きく跳び下がり、足を上げる形で構えた。蹴りを放った方の足の靴が真っ二つになって落ちる。

「危ねえ。もうちょい蹴りが深かったら足まで真っ二つだ」

 対するクインは無言でサーベルを構えたままだ。今の攻防で、油断できない相手と感じていた。おちゃらけた会話で気を抜いたら逆にやられる。

 いきなりギメイが残る靴を蹴るように跳ばす!

 クインがそれをサーベルで払う隙に、彼はケースを手に逃げ出した。追おうとする彼女の耳に空気を裂くような音。反射的に身をかわすと、彼女のいた場所に短い矢が飛んでくる。吹き矢だ。それを避け、払う間に彼は茂みから現れた黒覆面の男と一緒に逃げることに成功していた。


   ×   ×   ×


 ビアンド家。シルク嬢誘拐対策本部となった居間で、当主シルクは1枚の似顔絵を握る手を震わせていた。

「こいつか。こいつが娘を誘拐した犯人の1人か」

 周囲にはメルダー隊長率いる第3衛士隊の面々。誘拐現場にルーラが居合わせたことで、彼女の所属する第3隊が事件の担当となっていた。ただ、彼女たちだけでは手が足りないので、先ほどの第2隊の手も借りている。

 似顔絵はギメイのものだった。衛士隊で20年以上手配用の似顔絵を描き続けているエガキ・キャンバーの手によるものだ。彼の描く似顔絵はウブはもちろんスターカイン全土でも一番出来が良いと言われ、彼の画力がなければ捕まえられなかっただろうと言われる犯罪者は数多い。

 実際、クインの証言の下に描かれたギメイの似顔絵は、知るものなら一目で彼とわかる。

「ビアンド店や、各駐在所にこれを配るよう手配済みです。ただ、お嬢様の命を守るため、今の時点では犯人を刺激したくはありません。あまりおおっぴら探索するわけにはいきませんが」

「クインの話では、かなり小柄だそうですから、出歩けば目立つと思います」

 似顔絵を見ながらスノーレが言う。彼女とルーラは身代金の宝石受け渡しでギメイを見ている。だが、夜の上に遠目で、空からの目撃なので詳しい特徴は捉え切れていない。目の良いルーラでさえ似顔絵と受け渡しの人物が同一とは言い切れなかった。

 扉が静かに開き、白衣を纏ったホワン・フワ・フーワが入ってきた。

「シェールの具合はどうだ?」

 腰を浮かすビアンドに、相変わらず笑顔に見える糸目を向け

「薬で眠ってます。でも、やっぱり一番の薬はお嬢ちゃんの笑顔ですぅ」

 その口調はどこか後ろ向きだ。薬草師である彼女は、薬の効果と限界をよく知っている。

「ギガちゃん。お嬢ちゃんはまだ戻らないのぉ。身代金の宝石は渡したんでしょぉ」

 門番のように扉の横に立つ衛士ギガ・バーン・イントルスに聞く。幼なじみでもある彼女は、彼のことを「ギガちゃん」と馴れ馴れしく、もとい親しみを込めて呼んでいる

「まだ何の連絡もない」

 静かに首を横に振る。

 その、第3隊の弓使いトリッシィ・スラッシュが折りたたまれた手紙を手に入ってきた。

「失礼します。犯人からの矢文が打ち込まれました」

「内容は?」

 スラッシュが手紙の内容を読み上げる。

『要求したダイヤは確かに受け取った。だが、こちらの要求を無視して衛士隊に連絡したことが明らかになったため、罰としてもう1度、同じ量のダイヤを要求する。

 受け渡し方法については後日改めて連絡する』

「ば……馬鹿じゃないの?!」

 クインが呆れ叫ぶ。

「今どき、子供を誘拐して衛士が介入しないなんて考える? そもそも子供をさらう時にルーラに邪魔されているんじゃない」

「最初から一度で済ませる気はなかった。ということだ」

 イントルスの言葉にメルダーが頷いた。

「連中は、身代金を搾り取れるだけ搾り取る気です。ビアンドさん、あなたの財産が尽きるのが先か、娘さんへの思いが尽きるのが先か。あるいは……我々が奴らを捕まえるのが先か」

 第3隊の面々を見回し、それに応えるように一同が頷く。


 衛士隊本部。東衛士隊隊長トップスの部屋。

 トップスはギメイの似顔絵を挟んで1人の男と向き合っていた。カイゼル髭の似合う男。

「……この人ですか? あなたの言う特徴と一致するんですが」

 似顔絵を指で叩くとカイゼル髭の男は震えだし、両の拳を机に叩きつけた。


「そんな顔をするな」

 安酒場の片隅で、ギメイはあのタヌキ顔の男と向かい合って座っていた。このタヌキ顔、ショジョジと名乗ったが、本名かどうかわからない。

 ギメイは不機嫌な顔を隠そうともせず、片っ端から料理の皿を空にしている。あまり美味くはないが量はある。

「そいつは無理ってもんだ」

 むくれ顔を突き出し

「2回目なんて聞いてねえぞ。1回限りって言うから、身代金の受け取りなんて危ねえ役を引き受けたんだ。衛士に顔も見られちまったし、さっさと取り分もらってウブから逃げ出したいんだよ」

 つぶやく。さすがにここで大きく声を出す気はない。

「だいたい、今どき子供を誘拐されて衛士に知らせず金払うなんてやつがいると思ってんのか」

「いないだろうな」

 何事もないように貝のフライをつまみにジョッキを傾けるショジョジを見て、

「最初から2回取るつもりだったのかよ。衛視への連絡を理由に」

 呆れたようにギメイが座り直し、食事を続ける。

「2回やる以上、俺の取り分も増やしてもらうぞ。それと3回目はない。2回目の宝石を渡したら、その場で取り分もらって俺は逃げるからな。 ま、特別サービスにさらった娘を届けるぐらいはしてやるさ。家か近くの衛士詰所に置いてきゃいいんだろう」

「そいつは仲間に聞かないとな」

 言葉を濁して席を立つ。その背中を見るギメイの目つきが険しくなり

「……まさか、3度目もあるんじゃないだろうな……」

 そっとつぶやいた。

 ギメイにとって今の状況で街をうろつくのはできるだけ避けたい。2回目の受け渡しまでショジョジたちのアジトに泊まらせてもらうことにした。深入りを避けるため、できるだけ受け渡し以外での関わり合いは避けたかったが仕方がない。

 2人は仲間のために食料を買い込むと

「あと、パンを買って戻るか」

「パンならさっきの店にもあったぞ」

 両手に中身の詰まった袋を抱え、ギメイが戻るように促すと

「いや、もうちょい先にうまいパン屋があるんだ。そこで買う」

「パンなんてどこの店でも同じようなもんだろう」

「そう言うな。ほら、あそこだ」

 袋を抱えたままショジョジが指さす先には「ファウロ・ベーカリー」があった。


「こんなもんでいいか」

 数日分の下着を袋に詰めるとクインは納得するように頷いた。

 何かあったときのために、第2隊と3隊はビアンド家に泊まり込んでいる。食事などは何とかなっても、さすがに着替えなしでずっと詰めているのはきつい。交代で家に戻り、着替えたり着替えを取ってきたりする。

「何日か空けることになるかも知れないし、ファウロさんに挨拶していこう」」

 外の階段を降りながら、彼女は明かり取り用の窓から店内をのぞいて

「⁉」

 慌てて顔を引っ込めた。もう一度、恐る恐るのぞいてみる。

 男が2人、会計をしているところだった。タヌキみたいな顔をしている男は知らなかったが、もう1人の男は見覚えがある。昨夜、身代金を受け取りに来て彼女と一戦交えた男だ。つい先ほど彼の似顔絵を作ったところだ。間違えようがない。

 2人が店を出て行くと代わりに店内に入り

「リムルさん、今の2人、しょっちゅう来る人?」

 会計をしていた店主の妻に身を乗り出すように聞く。

「ずんぐりした感じの人は最近何度か来たけれど」タヌキ顔と言わないのはお客だからか「もう1人の方は初めてだね。何か事件と関係あるのかい?」

「誘拐犯です。後をつけるから、衛視隊に連絡してください」

 着替えの袋を会計台に置くと、店を飛び出した。


 クインはあまり尾行は得意ではない。しかも1度顔を合わせて自分のことを知られている。

 だが、2人は食べ物を入れた大きな紙袋という目印がある。少しぐらい離れても見失うことはなかった。

 念のため途中で出会った衛士に手早く事情を話し、ビアンド家の仲間に伝言を頼みながら進む。ついでに持っていなかったサーベルも一振り借りる。

 1つの通りを過ぎると、彼女は納得したように小さく頷いた。

「なるほど……隠れ家は西地区ね」

 ウブの衛士隊は大きく東西に管轄を分けている。もちろん事件によって協力はするが、どうしても情報の共有という点で遅れが生じてしまう。管轄の違う衛士が自分たちの管轄で勝手に捜査するのを好まない衛士も多い。理屈の上では東西協力で双方の手柄だとわかっていても、実際は捕まえた側の手柄として取られることがほとんどだ。

 そのため、計画犯罪を企む集団は、実行する場所と隠れ家は異なる衛士隊の管轄にする事が多い。

 東の衛士隊所属であるクインも、西地区にはあまり土地勘がない。

 尾行を始めてから約30分。2人は住宅街を離れ倉庫の並ぶ区画に入っていった。今日の作業時間は終わっているせいで、人通りが急に少なくなる。女性1人はやたら目立つ。こうなるとますます尾行はしづらい。日も暮れ始めている。

(一旦戻って、人を集めてから捜索した方が良いかな)

 それでもどの建物に入ったかぐらいは確認したい。できればさらわれた娘がいるかも確かめたいが、さすがにそこまでは無理だろう。

 迷いつつも足を進めるクイン。と、衛士としての勘か、思わず足を止めた。目の前を短い矢が通過する!

 跳び下がりながらサーベルを抜く彼女を囲むように数人の男が現れた。吹き矢の筒を加えたショジョジの横でギメイが

「いつぞやの女衛士さんか。あまり尾行はうまくないな」

「いい女過ぎて目立つのよ」

 倉庫の壁を背にサーベルを構える。

「剣を持ってても女1人だ。捕まえろ」

 ショジョジの言葉に男が2人襲いかかるのを、クインはあっという間にサーベルの背でたたき伏せる。

「剣に性別はないわよ」

 ピタリと構える彼女の前に立ったのはギメイだ。

「この前の続きをやるか」

 言い終わるや彼女に拳を振るう。

 クインのサーベルとギメイの空拳が交差する。剣と拳の交差が生む音と風が周囲の男達をたじろがせる。

 戦いながら激しく動く2人に男達が慌てて道を空ける。

(やべぇな。この女、本気で強いぞ)

(この男、かなり戦い慣れしてるわね。やっぱり1度退散したほうが良さそうね)

 クインが逃げるタイミングを計っていると

「そこまでだ」

 ショジョジの声に顔を向けると、男が1人、小さな女の子にナイフを向けてこちらを見ていた。女の子には見覚えがある。彼らに誘拐されたシルクという娘だ。さらわれてからそのままなのか、上物の服はくたびれ、皺だらけだ。

 男の顔は勝ち誇り、女の子の顔には半ば表情がなかった。抵抗することはもちろん、絶望することすら忘れてしまったような顔。

「この子を助けるために来たんだろう」

 クインは唇を噛み、苛立つようにサーベルを倉庫の壁に叩きつけた。彼らに向ける怒りを壁に向けるかのように2度、3度。


「ボス、衛士隊が来る前に娘を連れて別のアジトに移った方が良いんじゃないですか」

 倉庫の1つ。2階部分に作られた従業員用の大部屋で、ショジョジは10人近い仲間を背に、見た感じ50才近い男に頭を下げていた。横幅のやたら広い、簡単に言えば肥満体型で暇さえあれば何か食べている。

 この男、名をザディーヴと言う。

「んなことはわかっている。けれど、今はまだここが特定されたわけじゃない。へたに動けばむしろ衛士隊にここを教えるようなもんだ」

「じゃあ、ここでじっとしているんですか?」

「まさか。明日の朝には周りの倉庫で荷の移動が始まる。それに乗じて移動するさ」

「2度目の身代金はどうします?」

「予定通りだ」

 部屋の隅で壁にもたれているギメイをみて

「新入り。お前がつけられたんぞ。少しは申し訳なさそうな顔をしたらどうだ」

「俺は仲間になった覚えはないぞ。身代金の受け取り役として雇われた使い捨てだ。それも1度だけの約束だったはずだ。勝手に期間延長しやがって」

「何だその口の利き方は!」

 男達の1人がいきりたつのをザディーヴが片手を上げて制し、

「まぁ、そう言うな。身代金の受け取りなんて一番危険な役をさせているんだ」

「俺は下で休んでいる。これが終わればあんたらとはおさらばの身だ。聞かないことがいいことも多いだろう」

 手を上げると部屋から出て行く。

「何だあの態度は。ムジスの奴がドジを踏まなきゃ。あんな奴」

「そういうな。少しぐらい我慢しろ。明日までの付き合いだ」

 皿から骨付き肉を手にしてはかぶりつく。その目から明日までの意味を察した部下達がそろってふくみ笑った。

 外はもう暗い。


 彼らが潜むこの倉庫は他の倉庫にはない地下室がある。音が漏れないよう分厚い扉が下界と遮断し、下へ行けば地下水道に通じる隠し通路もある。

 その地下室にクインとシルクは縛られ、転がされていた。もちろんクインから武器などの持ち物は取り上げられている。

「ご飯は食べてる?」

「外には行ったことがある?」

「どの人が怖かった?」

 クインはできるだけシルクと会話するようにした。少しでも気が紛れるようにとのことだが、彼女を通してここの情報も欲しかった。

 シルクの片言の返事によると、彼女はここに連れ込まれてから外に出されなかった。先ほど、やっと外に出されたかと思ったら、クインをおとなしくさせるため人質として使われるためだったので、すぐに戻された。

 地下のため外の明かりも入らず、自分がさらわれてどれぐらい経ったのかもわからないようだ。食事はいつも水とサンドイッチで代わり映えしない。今は食欲もなく、出されてもほとんど食べていないようだ。

 着替えはもちろん、お湯で体を拭くことすらさせてもらえない。トイレすら行かせてもらえず、隅に置かれたバケツに、見張りの目の前で用を足していたらしい。彼女の体からは子供らしからぬ匂いが漂っていた。

 それは7才の、それも今まで不自由なく過ごしてきた女の子にはかなり過酷な環境だった。

「おい、あまりしゃべるな。おとなしくしろ」

 見張りの男が扉ののぞき穴越しに言った。

「だったらあなたがお話ししてくれる? こっちは退屈だし」

「そのうちボスがいっぱい相手してくれるぞ。上も下もな」

「小さい子供の前では言い方に気をつけてよね。そんなんだとあなたのいい男レベルはいつまで経っても上がらないわよ」

「なんだそりゃ?」

 そこへ誰かが降りてきたらしい。見張りが階段の方を向き

「お前か。あまりうろちょろすんなよ」

 見張りが素っ気ない言葉とともに横にずれると、代わりに人の頭がのぞき窓の下に現れた。

「……踏み台ないか?」

「ほらよ」

 見張りの含み笑い混じりの声がすると、頭が上に移動してギメイの顔が現れた。

「あなたね。空拳の腕はなかなかだけど、ここじゃ下っ端みたいね」

「下っ端ですらねえよ」

 いぶかしげに小首をかしげるクインに、彼は説明するのも面倒くさいのか

「何でさっき逃げなかった? ここの連中にとってその子は大事な人質だ。逃げたところで本当に傷つけるわけにはいかないんだ」

 言われてしばし考えたクインだったが、納得したように何度もうなずいた。その姿にギメイは唖然として

「それぐらい分かれよ。衛視だろ」

「衛視だからこそ、わずかでも人質を危険な目には遭わせたくないのよ」

「そのセリフ、今、考えただろう」

「ふっ……それを見抜くとは、やるわね」

(この女、バカか……)

 呆れかえるのを堪えて、

「それより、お前、いつから俺をつけていた?」

「あなた、いつから私の尾行に気がついたの?」

「聞いているのはこっちだ。お前、こーんなカイゼル髭の男を見なかったか?」

 髭の形を指で描いてみせる。カイゼル髭としてはかなり大きい。

「知らないわ。そんな目立つ髭の人、いたらすぐわかるもの」

「だな……」

 ほっと胸をなで下ろす。

 そこへザディーヴが部下を連れて降りてきた。

「衛視の女は?」

「うるさくてしょうがないです」

 のぞき穴からギメイの顔が引っ込み、変われにサディーヴの顔が現れる。クインと目が合った。

「なかなか気の強そうな女だな」

 中に入ろうとするが、入り口の幅よりも彼の腹幅の方が広くてつっかえた。

「少し運動したら。男は少し腹の出た方が貫禄があるって言うけど、それにも限度があるわ」

 むっとするザディーヴの後ろで手下たちが必死に笑いを堪えていた。

「女、こっちへ来い。言っておくが、妙なまねをしたらそこの娘がどうなるかわかっているだろうな」

「大事な人質をどうこうしたら、身代金が取れなくなるわよ」

 先ほどギメイに言われたことを、さも自分はわかっているというようにしたり顔で言うと立ち上がり、

「いったい何が聞きたいのかしら?」

「聞いて素直に答える衛視じゃないだろう。さっさと殺しても良いんだが、その前にちょっいと楽しませてもらおうと思ってな」

「芸人じゃないから、あまり期待はしないでよ」

「女が男を楽しませる方法なんて、ひとつしかねえだろう」

 ザディーヴは指でクインの胸をつつき

「ここには衛視が嫌いなやつがそろっていてな。お前さんが嫌だというなら、仕方がない。色気など微塵もねえが、その人質の娘に代わりに楽しませてもらうさ」

「人質は傷つけないものでしょう」

「傷つけないさ。女は男に見られると綺麗になるって言うぜ。その娘を綺麗にしてやろうっていう親切心さ」

 クインの目が険しくなった。その反応にザディーヴは気を良くし

「わかったら頑張って俺たちを楽しませてくれよ。準備が出来たら呼ぶからな」

 2人の間で扉が閉まった。

「おい、酒の準備だ。それと舞台を作ってやれ。女衛士さんがストリップしてくれるとよ」

 ゲラゲラ笑いながら階段を上がっていく一同を、ギメイがあきれたように見送った。

「衛士も大変だ。人質を守るためにこんなことまでしなきゃならないんだからな」

「あんた。まさか私が要求をのむのは衛士だからとか思っているの」

「違うのか? それとも、子供を守るのは人間として当然のことなんて言い出すのか?」

「まさか」

 鼻で笑い

「私がいい女だからよ」

 びくびくした顔でこちらを見ているシルクに、ウインクして見せる。

「大丈夫。私みたいないい女、殺したら世界の損失だもの。いくらあいつらでもそこまでの度胸はないわ」

 扉を向くクインの口元は、言葉とは裏腹に細かく震えている。

 それにギメイは軽くうつむき、唇を噛んだ。


   ×   ×   ×


「スノーレさん。これを」

 月と外灯の微かな光が照らす中、ランプを手にしたルーラが顔をあげた。

 倉庫街。建ち並ぶ倉庫の1つに、真新しい傷があった。不格好に何度もつけられた傷

「これ、クインさんがつけたものじゃないですか?」

 彼女の言うとおり、それはクインがギメイ達に捕まる際、サーベルでつけたものだった。彼らは彼女が苛立ってサーベルを叩きつけたと思ったが、実はしっかりと仲間への目印を刻んでいたのだ。衛士隊は今回のように連絡がつけられない場合などに備えて、仲間内にだけわかる印のようなものを決めている。滅多に使われることはないが、それだけにこれがあるということは非常事態を意味している。

「とするとこの辺りで何かあった」

 目印を確認したスノーレが立ち上がり、周囲を見回した。ルーラも壁に所々ある穴から倉庫の敷地内を伺う。この穴は元々倉庫が邪な連中のたまり場になるのを恐れた街が、外からも見えるようにと壁の数カ所に開けたものだ。中の様子が見えるようにするのが目的なので、人が出入りできる大きさではない。

 リムルと西の衛士隊からの連絡を受けたメルダーは、スノーレとルーラを向かわせた。彼女が見つからなくても、2人なら彼女の動きを読んで追跡できるからと考えたからだ。

 そうしてやってきた2人。管轄が違うため少々戸惑ったもののここまでたどり着いた。

「気をつけて。もしかして、今も私たちを見つけて様子を見ているかも知れないわ」

 今、2人は私服姿なのですぐに衛士とはバレないと思うものの、この時間、倉庫街に女2人は目立つ。精霊の槍を持つルーラは特に。スノーレが魔導感知用の眼鏡にかけ直し、辺りを見回すが魔導の反応はない。

 倉庫街の出入り用の門までくる。門は柵状なので隙間を通して中の様子がよく見える。

 夜の倉庫街に灯りはほとんど無く、わずかに倉庫の見張り部屋らしき場所が明るいぐらいだ。実はそのうちのひとつがザディーヴたちのアジトなのだが、2人には知るよしもない。

 階段の踊り場だろうか、他の横並びの窓とは高さが微妙にずれた窓からギメイがじっと2人を見ていた。


 倉庫。階段の踊り場の隅で、ギメイはそっと窓から外をうかがっていた。

「……いい女だからか……」

 クインの言葉が妙に頭にこびりついていた。

 上からはザディーヴたちの下品な笑い声やお囃子が聞こえてくる。壁が厚めなのに聞こえるのだから、中は相当に盛り上がっているのだろう。

「衛士隊がそばまで来ているかも知れないって言うのに、度胸が据わっているのか、馬鹿なのか」

 下から酒瓶を持った男達が上がってきて

「どうした。お前は中に入らねえのか。女衛士の裸踊りなんて滅多にみられねえぞ」

「いや、俺は外を見張っている」

「物好きだな。女より男の方が良いのか」

 笑いながら上がっていく彼らから目を背けるように窓から外を見た途端、門の所でなにやら話している2人の女を見た。ルーラとスノーレだ。

(あの時の衛士か)

 2人とも私服姿ではあるが、彼は先日の身代金受け渡しで、自分たちが囮として用意した船を調べる2人を遠目に見ている。しかも1人は魔玉の杖、もう1人は槍を持っている。

(さっさと逃げ出した方が良いか)

 知らせようと上りかけた足が止まった。相変わらず上からは下卑た笑い声が聞こえてくる。

 先ほどシルクに対しても決して弱気を見せない彼女の素顔を思い出した。

「いい女か……」

 大きく深呼吸した彼は、何か吹っ切れたような顔をしていた。


 地下。シルクを閉じ込めた部屋の前で見張りをしている男はつまらなさそうに安酒を呷っていた。

「つまんねえな。俺も上で裸踊り見てぇよ」

 そこへギメイが階段を下りてくる。

「少しなら変わってやるよ。上で楽しんできたらどうだ」

「おい、良いのかよ」

 聞きながらも既に椅子から腰を浮かせている。

「ああ、あまり長いと困るが」

「へへ、悪いな。そのうち埋め合わせはするぜ」

 ニヤニヤしながら立ち上がると、片手を挙げて挨拶し、ギメイの横を通り過ぎる。

 その時、ギメイの蹴りが彼の膝の裏に決まる。その場に足を崩した彼の喉を腕で締め付け、そのまま声をあげる暇も無く気絶させる。

 鍵を開け、部屋に入ると不安げなシルクが顔をあげた。

「立てるか? 声を出すな。お前を家に帰してやる」

 言われたことがわからないのか、呆然としている彼女の手をギメイが引くが、その足取りは重い。

 彼はシルクを抱き上げ、階段を静かに、急いで駆け上がる。

「ここを出たら、真っ直ぐ正面の門に向かって走れ。門の向こうに女が2人いる。制服姿じゃないが2人は衛士だ、助けてもらえ。上の衛士は俺が助ける。とにかく余計なことは考えず、外に衛士に向かって走れ。自分の名前を言えば向こうはわかってくれる」

 抱えられたシルクは状況を飲み込めていないのか、呆然と彼の顔を見ている。

「わかったか?! わかったら頷け」

 彼女が頷くのに、彼も「よーしよし」と頷き返す。

 だが、そうはうまくいかない。地下への階段から駆け上がるとタイミングが悪かった。足りなくなった酒を取りに来た男達とバッタリ出くわしたのだ。

 ギメイが抱いているシルクを見て

「お前、何してんだ?」

 それには答えず、ギメイは一目散に逃げ出した。


 2階の大部屋では、男達に囲まれ、テーブルを組んで作ったステージの上でクインが立っていた。上下の服も靴も脱ぎ、上下の下着だけの姿。

「ほらほら、もっと腰触れ、オッパイ揺らせ」

 ザディーヴの下品な声や男達の囃子に合わせてクインが踊る。表情は笑っているがぎこちない。明らかに無理しているが、そんなことは男達も承知だった。

 男達の卑猥な視線を浴びながら、クインはそっと視線をザディーヴの横に流す。そこには彼女の脱いだ服と一緒にサーベルが置かれている。

「それじゃあいよいよメインか。上と下、どっちから脱ぐ」

「やっぱり上が基本だろ」

「いやいや、下を脱いでブラだけってのもなかなか」

 男の一人がナイフを取り出し

「親分、脱がすより切って剥がすってのはどうです?」

「いいな。おい。こっちを向いて大股開いてのけぞるようなポーズ取れ。そのままパンツを切ってご開帳だ」

 男達が歓声を上げた。

 クインが唇を噛みながら、言われたとおりザディーヴに向いて足を大きく開き、腰を突き出すように仰け反ろうと……

「大変です。ギメイがガキを連れて逃げました!」

 顔に青痣をつけた男が駆け込んだ!

 男達が一斉に息を飲む。

「馬鹿野郎、すぐに捕まえろ!」

 ザディーヴの声に男達が慌てて部屋をとびだしていく。

「ショジョジ、あいつはてめえが連れてきたんだ。てめえの責任で捕まえろ」

「は、はい」

 気をつけの姿勢で返事して彼も部屋を飛び出す。

 クインが動いた。テーブルから思いっきりザディーヴめがけてジャンプすると、そのまま彼の顔面に蹴りをぶちかます!

「べへっ!」

 間抜けな叫びと共に揺らぐ隙に、彼女は彼のそばに置かれていたサーベルを手にする。途端、彼女の表情が曇った。軽い。

 鞘から抜くと刀身がなく、ただ柄の部分があるだけだった。

「馬鹿が、引っかかってやがる。どうせお前が隙を狙って取り戻すと思って刀身を抜いといたのさ」

 下卑た笑い声を上げるザディーヴたちが前に出てくる。彼女は無言で柄を落とすと、鞘を構えた。まるでそれが剣であるかのように。

 お先にとばかりに男が2人襲いかかる。が、空を切る音と共に流れる鞘が2人を一撃で打ちのめす。

 白目を剥いて倒れる2人を前に、ザディーヴたちが思わず一歩引いた。

 つかんだ鞘をピタリと構えるクイン。それは紛れもない、一流剣士の構えだ。下着姿であっても、その構えからは威圧を感じさせる。

 男達が気圧されるように後ずさった。

 その姿ににやりと笑う彼女は、鞘をふるって床に置かれた自分の服をすくい上げると、それをつかんで一目散に逃げ出した。扉を開けて廊下に飛び出す。

 男達は一瞬唖然とし

「逃げたぞ」

「追え!」

 慌てて追って廊下に出るが、既に彼女の姿はない。他の部屋か? 下の階か?

 迷っていると、隣の部屋の扉が開き、服を着たクインが出てきた。その手には男達が自分たち用に用意していたサーベルが握られている。

「何だ。勝手に服着てんじゃねえ」

 下品な笑顔で近づいた男が、クインに一撃で倒される。

 彼女がピタリとサーベルを構える。男達を見るその目はまるでゴミを見ているかのようだった。


「外に出すな!」

 シルクを抱えて階段を駆け下りるギメイに小剣を持ち、吹き矢の筒を加えたショジョジが襲いかかる。

 1階倉庫の何もないだだっ広い空間を、ギメイは必死で逃げ回る。剣を避け、吹き矢を必死でかわす。

 正面での戦いなら負けない自信がある彼だが、シルクを抱えて両腕が使えず、動きも鈍い。ひたすら逃げ回るだけだ。シルクを下ろせば戦えるが、彼女は恐怖から彼にしがみついて離れない。

 震える彼女を抱きしめ、襲いかかる男達の攻撃をさけながら、何とか倉庫隅の小さな扉に駆け寄る。正面の荷物の出し入れ用とは違う、作業がないときに出入りするための小さな扉だ。

 ノブに手をかけるが動かない。鍵がかかっているのだ。

「こんにゃろ!」

 渾身の蹴りが、鍵をぶち壊して扉を大きく開け放つ。

「外に出すな!」

 ショジョジの叫びを背にギメイは外に跳びだした。

 夜も更け、月明かりと遠くの街灯だけの中、ギメイは倉庫前に駆けだした。見ると、敷地の向こう。倉庫街の広場前の門にスノーレとルーラが見える。騒ぎを聞きつけて何だろうと様子をうかがっていたらしい。突入してこないのは、衛士隊の援軍を待っているのだろう。

「そこの2人。衛士だな!」

 ギメイが叫び、シルクを下ろす。

「最初に言ったな。あの2人のところへ走れ。名前を言って助けてもらうんだ」

 不安そうに彼を見上げるシルクに、彼は怒ったように

「いいから行け!」

 2人を指さし、突き飛ばすようにシルクの背を押す。子供といえども、その意味はわかったのだろう。彼女は必死にスノーレたちに向かって駆け出した。

 追いかけて倉庫から出てきた男達をギメイが迎え撃つ。今度はシルクがいない分、自由に戦える。だが1人では10人を超える追っ手達を防ぎきれない。彼の横を駆け抜けた男達がシルクを追う。

「シルクです。たすけて!」

 2人とも似顔絵などでシルクの顔は知っている。大まかな状況を飲み込むと、ルーラが風を纏い、スノーレの魔玉が光って柵を跳び越える。風の精霊と飛行魔導の力だ。

 こちらに走ってくるシルクと追う男達の姿に

「スノーレさん、あれ、やってみます」

「了解。ぶっつけ本番ね」

 頷くとルーラは穂先を下にして精霊の槍を構え、スノーレが杖の魔玉に指をかける。

 シルクが走ってくる。少し距離をおいて後ろに男達。このままでは広い中庭を突っ切り、2人の下につく前に追いつかれる。

 スノーレが魔玉をつまんだ指を引くと、魔玉からオレンジ色をした魔力の矢が引き出されるように現れる。彼女の攻撃魔導である魔導の矢。

「八方・魔導炎!」

 魔玉を上に向けると、遥か上空めがけて魔導の矢を放つ!

 それはシルクの頭上を越え、中庭のほぼ中央上空に到達、弾けるように八方に広がる!

 広がった八つの矢は地面に落ちると反時計回りに地面を駆ける。駆けた痕跡をオレンジ色の炎の道としながら!

 その1つがシルクの走るすぐ後ろを走り抜ける。

 炎の道が繋がり。ショジョジ達を囲む巨大な炎の円となると。円周部分が一斉に真上に吹き上がり、魔導の炎の筒を作り出す!

 魔導の炎に取り囲まれ、男達がたまらず立ち止まり、炎から逃げるように中心部分に背中合わせに集まる。これがスノーレの狙いだ。

「ルーラ!」

 それを合図に

「大地の精霊、炎の内側を!」

 精霊の槍の穂先を地面に当てた。

 途端、彼女の心に答えるようにスノーレが作り出した魔導炎の円内の大地が対流する。男達のいる場所が陥没し、まとめて飲み込むと、陥没した分盛り上がった円周付近の大地が、男達をしっかり捕まえるかのように挟み込む。

 魔導炎が消滅したとき、地面には体を半分ほど埋められ、身動きできない男達の姿があった。

 ルーラが大地の精霊に頼んで対象を半ば生き埋めにする捕縛方。制御の難しいこれを、せめて効果範囲だけでもコントロールできないかとスノーレと一緒に考えたのがこれだった。魔導の炎で円を地面に描くという精霊にもわかる境界線を作る。魔導炎によって対象の動きを止めたり、中央に集めたりも出来る。やりながら調整が必要であろうが、今回は一応成功したようだ。

「なんだぁ」

「動けねえ!」

 ほとんどが半身、良くて膝から下を埋められた形になった男たちがわめくが、地面はガッチリ彼らをつかんで逃がさない。

 悲惨なのがショジョジで、首から下がまるごと埋められていた。こぼれ落ちた吹き矢の筒を加え直そうにも両腕は地面の中、いくら唇を尖らせようにも吹き矢には届かない。

 少し離れていたおかげで埋められずに済んだ男が数人、慌てて逃げるように走っていく。

 追いかけたいところだが、ルーラはショジョジ達をこのままにするよう精霊にお願いし続けなければならない。このまま男たちを追いかけたら、精霊は「もういいのか」と彼らを解放してしまうだろう。

 倉庫から新手が出てこないか用心しながら正門の陰まで下がる。その時、彼女たちはシルクをつれて出てきた小男の姿が見えないことに気がついた。埋められた男達の中にも、倉庫へ逃げていく男達の中にもいない。

 門の前に3台の馬車が到着。中からメルダーが、西地区担当など多くの衛士達が次々下りてきてはルーラたちの方に駆けていく。


 倉庫の裏口から逃げるようにザディーヴと部下達が飛びだし、続いてクインが現れる。

 襲いかかる手下を2人、サーベルで叩きのめして彼女は追撃を再開。

 彼女の強さは圧倒的だった。無言のまま男達を片っ端からサーベルの一撃で打ち倒していく。普段口数の多い彼女がこの時ばかりは無言のまま、口の代わりに目で相手を威圧する。

 息を切らして逃げるザディーヴの前に立ちはだかったのは

「親分さん。手下の手前、少しは戦ったらどうです」

 ギメイだった。部下を1人残らずたたき伏せたクインを見て

「あの子はお仲間の衛士に引き渡した。増援も来たようだし、安心しな」

 ザディーヴが顔をしかめ

「てめぇ、裏切り者が」

「使い捨てられる前に、こっちが捨てただけだ。それに」

 ちらとクインを見、

「いい女を助けたいってのは男として当然の感情だろう」

「散々俺達の仕事を手伝っておいて、何を言いやがる」

「ああ、確かに俺は偉そうに言える立場じゃないさ。でもな、俺だってここから下には落ちたくないって一線があるんだ」

 サーベルを構えたクインがにじり寄る。

 ヤケになったザディーヴが短剣を抜いてクインに挑む。が、彼女はそれを一撃でたたき落とし、さらに彼を数度打ち据える。

 ふらふらと頼りない足取りで後ずさりしつつ振り返った彼の顔面に、ギメイが拳を叩き込む。

「……べげ……」

 ザディーヴは鼻血を出して地に倒れた。

「あっけないな」

 クインは改めてギメイを前に構え直すと、静かに唇を尖らせて静かに息を吹いた。ひさしぶりかのように唇を開き

「あんたも来てもらうわ。まさか、人質を助けたから罪は帳消しなんて図々しいこと考えているんじゃないわよね」

「駄目か」

「決まっているでしょう! 少しは情状酌量の余地があるかも知れないけれど、それは牢の中から訴えるのね」

「それは嫌だな」

 いきなりギメイが逃げ出した。追うクイン。

 彼は倉庫街の隅まで逃げ、塀の角の部分を利用して駆けるように一気によじ登る。

 クインがサーベルを投げる!

 だが、彼の身体が塀の向こうに消えるほうが早く、サーベルはむなしく塀に当たって落ちた。

「あいつ……」

 サーベルを拾う彼女に向かって、ルーラとスノーレが走ってきた。


 騒ぎを背中にギメイは倉庫街から逃げるように走る。

「しまったな。俺の分け前だけでも取ってくりゃ良かった」

 結局、仕事の分け前は1ディルも手にできていない。手持ちの金はかなり厳しいが、幸いにも、最近は暖かいので野宿は苦ではない。

 夜が明ければ、日雇いで荷の上げ下ろしの仕事ぐらいはあるだろう。とにかく食事代だけでも稼ぎたい。

 倉庫街を抜け、住宅街に入ったところでいきなり路地から1人の男が現れた。頭の禿げた、カイゼル髭の男。その手には細い紐の束があった。

 一瞬顔を強張らせたギメイは、さらにスピードを上げて彼の横を駆け抜けようとする。が、それに合わせるかのように男の腕が撓り、手にした紐が生き物のようにギメイに絡みつく。

「げえっ」

 転倒したギメイに紐がさらに絡まり、彼自身よくわからないまま縛り上げられた。

「やっと捕まえましたぞ」

 地面に横たわるギメイを、カイゼル髭の男の顔は静かに、軽蔑するような目つきで見下ろしていた。


   ×   ×   ×


「ママーっ」

 ビアンド家。着ているものは汚れたままだが、無事な姿で走ってくるシルクをシェールが抱きしめる。5日ぶりの再会だが、2人には何年も会っていないように感じられた。

 倉庫を強襲した衛視隊はそのまま半生き埋めになっていた男たちと、倉庫に残っていた連中とザディーブを捕縛した。ただ、さすがに全員を捕まえるには至らず、ギメイを始め数名が逃げ延びたと思われる。詳しいことは、捕まえた連中の取り調べで明らかになるだろう。

 身代金として奪われた宝石も、倉庫からすべて発見された。

「奴らを捕まえたのは西地区の倉庫。したがって、取り調べは西の衛士隊が行う!」

 とワイド西地区衛士隊長が譲らないため、彼らの取り調べは彼らに任せ、一同はシルクを連れて戻ってきたのだ。さすがに西地区の衛士隊も、聞き取りが終わるまで子供を家には帰さないとは言わなかった。

「お母さん。今夜はこの子に思いっきり甘えさせてくださいね」

 クインが腰を落とし、シルクと同じ目線でシェールを見上げる。

「もちろんです」

「明日は私も仕事を休んでこの子と遊びますよ」

 両親の返事は、シルクを喜ばせた。

「それじゃ、あとはパパとママにお任せして、私は仕事に戻るから。ね」

「うん」

 大きく頷いた後、シルクはふと思い出したように

「衛士のお姉さん……大丈夫だった?」

 心配そうな目を向けてくる。

「悪い人達に、変なことされなかった?」

 クインの表情が一瞬固まった。しかし、すぐに笑顔に戻り

「大丈夫。なんたって私はいい女だから!」

 拳を作ってポーズを作ると、シルクも笑顔に戻った。

「あたしも衛士さんみたいないい女になる!」

「ようし、約束」

 クインとシルクが小指を絡ませる。小指は心の糸が通っていると言われ、これを絡ませながら約束するのがスターカインでは一般的な約束方法となっている。

「いつかの自分にお約束。ぜったいぜったいなってみせる。いーい女になってます♪」

 歌うように2人の声が合わさるのを、周りの人達が微笑ましく見ていた。

 メルダーとスノーレ、ルーラ。そしてホワンをのぞいて。

「あの……」ルーラががスノーレに「クインさん、なんかいつもと違っていませんか」心配そうにつぶやいた。

「やっぱりわかるか。女性だものね」

 静かに答えるスノーレは、何かつらそうだ。


 健康状態を調べるため、別室でホワンがシルクの具合を見ている。

「どうぞ。落ち着きますよ」

 とホワンに出された薬茶をクインが別室で口にしている。ちょっと匂いに癖があるが飲んでいるとなんだか心の高ぶりが押さえられてくるようだ。

「フェイリバース」

 メルダーが歩み寄り、

「報告書は後で良い。今日はこのまま帰宅しろ。1日休みをやる」

「でも、報告書は記憶がハッキリしているうちに書いた方が」

「命令だ。休め」

 事務的だが静かに柔らかな言い方は、抗議の声を全て受け流す。彼は後ろで控えているスノーレとルーラに目をやり

「2人とも、フェイリバースを送っていけ」

「そんな大げさ……」

 言いかけるが、じっと見据えられクインはうなだれた。

「わかりました……1日お休み頂きます」

 家に帰る間、クインは一言も口をきかなかった。

「あとは大丈夫。お休み」

 部屋に入るクインの声は元気だったが、どこか違和感があった。

「やっぱり変です」

 心配げにルーラがクインの部屋のドアに手を伸ばすのを、スノーレが止めた。

「1人にしてあげましょう」

 ドアを見つめるスノーレは、ルーラにはとても大人びて見えた。

 部屋に入ったクインはそのままベッドに倒れ込んだ。横になりつつ、自分の体を抱きしめ、胎児のように丸くなる。大きく見開いたままの目。

 目は閉じなかった。閉じたらあの声が一気に膨れあがりそうで怖かった。

 ザディーヴたちの下卑た笑い声。

 自分を下着姿にして、淫らな踊りをさせて酒を飲むあの姿。

 必死で耐えた。卑猥な表情を作り、媚びた目を向けながら。

 やらなかったら、自分の代わりにシルクにさせかねない。まだ7才の女の子にこんな真似をさせるわけにはいかない。

 男達に視線で犯され、耳から入り込んだ笑い声に体を食い荒らされる。

 彼女に羞恥心を抱かせ、それを肴に男達は酒を飲む。

 ギメイと呼ばれたあの男がシルクを逃がさなかったら、それが見つからなかったらあのまま裸にされてもっと恥ずかしいことをされただろう。女にとって大きな屈辱を受けただろう。

「……ちくしょう……」

 眠りたかった。体を今は休めたかった。

 しかし、眠りたくなかった。眠ったら、今度は夢で犯される気がしてたまらない。

 どっちつかずのまま、彼女はベッドで自分の体を抱きしめ続けた。つかむ体に、彼女自身の爪が食い込んでいた。


 ウブでも指折りの高級ホテル。そこでも最上級の部屋の一室にギメイはいた。椅子に縛られた状態で。

 両手はそれぞれの椅子の手すりに、脚は椅子の脚に、腰と首は椅子の背にそれぞれ細身の紐で縛り付けられている。

 廊下に通じるドアや窓のそばには、屈強な男達が立ちはだかり、ギメイの目の前には例のカイゼル髭の男が腕を後ろに組み、背筋を伸ばして彼を見下ろしている。

 ギメイはその男をうんざりと見上げ

「さすがにこの扱いはないんじゃないか。ベンジャミン」

「あなた様が逃げたりしなければ不要の束縛です」

 ベンジャミンと呼ばれた男はギメイを軽蔑の目で見下ろし、自慢のカイゼル髭を撫でた。

「トイレに行きたいんだが」

「そこでお漏らしください」

 髭1つ動かさず答える。

「ホテルに迷惑だ」

「迷惑料の準備ぐらいは出来ています。それと、その束縛、解けるなどとは思わないことですな」

「思わないよ。我が国きっての縛りの名人が本気で縛ったんだからな」

「あなた様はすっかりお忘れのようですから1から説明し直させていただきます。シグン・スポット・シュワルチ殿下」

 その名前にシグン・スポット・シュワルチ……いや、本人の意思を尊重し、ギメイと記し続けよう。ギメイは面白くなさそうに目を逸らす。

「確かに我が国『ニブク』はアクティブやスターカインに比べれば小さな、吹けば飛ぶような小国です。だが、1,000年近い歴史を持ち、幾多の危機を乗り越えてきた誇り高き国。あのアクティブ大侵攻にすら屈しなかったのです」

「誇りじゃ腹はふくれんぞ。それに屈しなかったって言うが、あれは寸前になってアクティブが侵攻を中止しただけだろう。3日遅けりゃニブクは滅んでいた」

「失礼な。10日は持ちました!」

 戦いになれば勝てなかったのは認めるらしい。

 彼は軽く咳払いし

「話を戻します。あなたはその誇り高きニブクの第1王子シグン・スポット・シュワルチであり、次期国王なのですぞ。お忘れのようですが、どこぞで頭を打ちましたかな?」

「俺の名はニーボルト・ギメイだ」

「今はそうです。ニブク王家が代々行っている習慣。王族は20歳の誕生日から25歳の誕生日まで5年間、王族であることを隠し、名前を変え平民として過ごさなければならない。その名がヌーボルト・ギメイ。

 国を治めるものとして、高き王族の目線だけでなく、低い平民の目線も知らねばならぬ。上っ面だけの平民目線にならぬよう、王家からの支援は最小限、できれば他の国で仕事に就き、日々の糧も自らの手で稼ぐべし。

 歴代の王はこの習わしを通じ、見聞を広め、立派な王となってきたのです」

「平民の方が良いと王家に戻らなかったやつも多いぞ。俺はどっちかというと、そっちの気持ちの方がわかるな」

「だから25日ごとの連絡をすっぽかし、王家からの生活費の援助も受け取らず行方をくらましたというのですか」

「あたり」

 うれしそうにギメイは首を縦に振る。

「いやぁ、食い扶持を稼ぐことがこんなに大変だとは。散々な目に遭ってきたよ。でも、それが結構楽しかったな。あっちこっちにいろんな知り合いも出来たし。少なくとも王家に連絡を取って元に戻ろうって気にならないぐらい」

「何をへらへらお笑いになる!」

 ベンジャミンが血走った目で迫る。

「確かに、これまでも羽目を外す者は幾人もございました。最後には国に戻るのを拒んだ方もいました。しかし、途中で姿をくらましたものは殿下が初めてです!

 我々があなた様を見つけ出すのにどれほど苦労したと思うのですか。表だって探すわけにも行かず、微かな手がかりを探って雨にも負けず、風にも負けず、夏の暑さにも冬の寒さにも負けず。探し探して2年あまり。

 ようやく見つけたと思ったら、よりにもよって地下の闘技場で賭け試合などしておられる。

 ニブクの空拳家たちが改良し、工夫し、独自の進化を遂げたニブク流空拳。その免許皆伝までいったあなた様がよりによってその力を賭け試合に!

 あまりの情けなさにこのクローズン・ベンジャミン。涙と鼻水が止まりませんでした」

「止めろよ」

「しかもその後には誘拐犯の身代金の受け取り役まで。情けなさを通り越すあまり、涙と鼻水とおならが止まりませんでした」

「止めろよ」

「探すのにご助力いただいたトップス殿や衛士隊の方々に、なんと言い訳すれば良いのか」

「黙って逃げれば」

「彼らの好意を踏みにじる事など出来ませぬ!」

「そういうのがお前のいいところだ」

 気楽に笑うギメイに、びしっと指さしベンジャミンが言い放つ!

「お笑いなさるな。あなた様のことなのですよ。殿下」

「わかったわかった。で、これから俺はどうなるんだ? 国に戻されるのか?」

「それは殿下次第。これからは25日ごとの連絡を守り、平民生活を続けるのならば無理に戻さずとも良いというのが陛下のお言葉。ただ、さすがにこれだけのことをしでかした以上、ウブを離れ、別の街で過ごして頂きます」

「えぇ~っ」

 嘆くギメイ。また紐付きの自由かとと嘆いたのだが、ベンジャミンは別の意味で捉えた。

「ほう、この町に名残がございますか。気になる女子でもおられますか?」

「え?」

「確かに、この平民修行の間に嫁を見つける王族は多い。今の王妃様も、陛下が修行の折に出会ったものです」

 勝手に納得して1人頷くベンジャミン。

「しかし、殿下の嫁になると言うことは、ニブクの次期王妃となること。ただ殿下が嫁にしたいと言うだけでは駄目です。

 立ち振る舞いはいずれニブクにお迎えしてから学んで頂くとしても、器量の良さ、王妃として国を背負う心の強さ、誇り高さ、いかなる困難にも立ち向かう勇気、民を思い、守る優しく強い心。このあたりは譲れませぬ。

 その女子はこれらの条件を満たしているのでしょうな」

「条件ってねぇ……」

 何となくギメイはそれらの条件を頭で彼なりに解釈し直して反芻する。

(弱い者を守る強い心と、立ち振る舞い。弱みを見せず、やさしく強く、器量よし……そんな女が……)

 彼の頭には、サーベルを構える1人の女性が浮かび上がった。

(……いた)

「いかがなされました?」

 声をかけられ、ギメイの止まったままの表情が動き出す。

「ベンジャミン……確かこの平民生活の間、1度だけ王族としての力を使うことが許されていたな」

「はい。まぁ、大抵はその土地の有力者に何か特別な計らいをさせるためですが」

「それを使う。手配してくれ」

 縛られたままのギメイの顔はさきほどとは違う、強い意思を持った王族の顔をしていた。


   ×   ×   ×


 5日後。ウブ衛士隊本部の第3隊の部屋。

「明日から衛士として働くことになった、ヌーボルト・ギメイだ。空拳の腕はかなりのものだが、衛視としての経験は無い。みんなして指導してやってくれ」

 メルダー隊長に紹介され、衛視服姿のギメイは背筋を伸ばし

「ヌーボルト・ギメイです。先輩方、よろしくお願いします」

 言い切る姿に一同は唖然とする。スラッシュが手を軽く上げ

「隊長。えらく急ですね。それに、この隊にはルーラが配属されてまだ100日も経っていないのに次の新人って」

「ルーラが入っても、第3隊は他に比べて人数が少ない。それでだろう」

 メルダーの代わりにイントルスが推測混じりで答えた。

「あれぇ」

 スノーレとルーラが小首を傾げる。

「彼、どっかで見たような気がするんだけど」

「あたしもどっかで見たような……」

 あの夜、シルクを助けて戦うギメイを2人は見ているのだが、あの時は夜だった上、シルクを助けたり誘拐犯達を捕縛すること集中していた。それに今の彼は体を洗って散髪もし、着ているものも新品の制服だ。2人ともあの時のギメイと、今、目の前にいる彼とが一致しなかった。

 そんな2人の横で、クインは口をあんぐりと開けて固まっていた。

「……な、なんであいつが衛士に……」

 彼の似顔絵はトップス隊長たちに提出してある。彼が誘拐犯の一味だったことは知っているはずだ。

 なのにどうして?

 唖然とする彼女にモルス・セルヴェイが背後から歩み寄り

「クインさん、お気持ちはわかりますが、ここは押さえて」

「セルヴェイさん」

「上の方からの推薦なので、こちらとしても……ちょっと」

 彼にしては珍しく困った顔に、クインも言葉を飲み込んだ。

 そんな彼女に向かって、ギメイが馴れ馴れしく手を振ってみせる。


 衛士隊本部の裏庭にギメイを呼び出したクインは

「冗談抜きにして答えなさい。何を企んでるの?!」

 睨み付けて詰め寄る彼女に、ギメイは苦笑いしつつ後ずさり

「そう怒るなよ。別に悪いことを企んでいるわけじゃない。俺もここは1つ、真面目に生きようかと思ってな。たまたま、ここのお偉いさんに俺のおじさんの知り合いがいてな。

 大丈夫だって。妙な真似をしてみんなの顔をつぶす真似はしないから。それに、お前にこれ以上嫌われるわけにもいかないしな」

「何よ、私に惚れた?」

「そうだ」

「へ?」

 目をぱちくりさせるクインに、ギメイは笑って

「クイン、俺はお前を嫁にする。これが衛士隊に入った理由だ」

 すさまじい音と共に空気が震えた。

 クインの一撃を受けて大の字になって地面に半分めり込んでいるギメイに

「冗談は止めなさい。私を嫁に出来るのは良い男だけよ。あんたじゃないわ」

 肩を怒らせ、早足で去って行く。

 動かないギメイに、どこにいたのかベンジャミンが歩み寄り、

「殿下、本当にあの娘を嫁にするおつもりですか? 我がニブクの次期王妃に」

「もちろんだ」

 半ば埋まった顔をあげる。土まみれのその顔はどこか楽しげだ。

「でも、それにはまず、俺が『良い男』にならないとな」

「安心しました。ならば一生、殿下はあの娘を嫁に出来ません」

「お前な……」

 雲ひとつない良い天気だった。


(第7話 おわり)


 新たな衛士隊メンバー、空拳使いヌーボルト・ギメイの登場編。お約束とも言える「偉い人や金持ちが正体を隠して平民のふりをしている」キャラです。この手のキャラは時代劇の主人公では腐るほどいますね。水戸黄門や長七郎シリーズ、遠山の金さん、暴れん坊将軍など。めったに素性は明かしませんが、桃太郎侍もそう。

 衛士隊の中で一番身分が高いくせに、一番口調が砕けています。小男という設定で、彼の身長は150㎝もありません。

 とりあえず第3隊のメンバーはこれで完了ということで。今のところ、これ以上増やす予定はありません。というか、これ以上増やすと、描ききれないので。

 彼を空拳の使い手にしたのは、単純に絵的な問題です。メルダーをのぞく第3隊メンバーを並べると、みんな手にする得物が違うんです。

・ルーラ……槍

・クイン……剣

・スノーレ……杖

・イントルス……メイス

・スラッシュ……弓

・ギメイ……素手

 てな具合です。小説ではたいして意味はないですが、一応アニメのノベライズを想定して書いていますので、絵にしやすさは大事だなと。あえてさらに増やすとすれば……斧、鞭、鎖鎌、ブーメラン、手裏剣(忍者キャラか?!)……衛士としては変則すぎるか。鞭はベルダネウスとかぶるし。

 今回初披露となったスノーレとルーラのコンボ「八方魔導炎からの大地の精霊による捕縛」落ち着いて考えれば場所が開けている、敵がかたまっていること、味方がほぼいないことなど使用条件がやたら厳しい。それでも使わせたのは単純に「見た目が派手な必殺技」が欲しかったからです。アニメだったら、中心の敵だけ変えるバンクシーンになるでしょう。スノーレの部分はこれから少しずつ改良される予定です。今回だと、炎が円筒なのでとっさに飛行魔導を使えば飛んで逃げられます。そこまでとっさの判断、行動の出来る魔導師はそういないでしょうが。

 ベンジャミン。ある意味、一番漫画チックなキャラ。彼の名前はできるだけよくある名前にしようとつけました。「チャーリー」「セバスチャン」「ベンジャミン」とどれにしようか最後まで迷いました。


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