『第5話 かみさまがライバル』
洗った根菜をさいの目に切る。少し端が固くなったハムも同じように切る。
熱したフライパンにバターを溶かし、今、切った根菜、ハム、豆を入れて炒める。調味料はひとつまみの塩のみ。
横に置いてある深皿に山盛りにした生野菜からちぎったレタスを取り口にする。
炒めた根菜に溶き卵をかけ回す。これがつなぎとなり、根菜やハムが1つの塊になる。
分厚く切った食パンの耳の内側を軽く指でつぶししていく。これで耳を縁にした四角いパンの皿ができあがる。
生野菜の皿からトマトを取り口にする。小ぶりなそれはかぶりつくよりつまむのにちょうど良い。
パンの皿に、先ほどの卵で繋がった炒め物をこぼれ落ちないようにのせる。これで出来上がりだ。
ウブ衛士隊、東地区第3隊所属のギガ・バーン・イントルスは、できあがったパンと残った深皿の野菜、大振りのカップになみなみと注いだバターミルクを手にテーブルに着いた。窓の外からは、周囲の商店が開店するにぎやかな音が流れてくる。
「わが神ゴーディスよ。今日、1日の力を我に届けたまえ」
パンとミルクに手を合わせ、彼の信仰する神・ゴーディスに簡単な祈りを捧げる。
彼の1日の始まりである。早番、遅番、夜勤でない日はいつもこの時間に朝食を取っている。朝食メニューはいつも同じだ。せいぜいハムがベーコンに変わったり、食パンが平パンになるぐらいだ。以前、もらい物で「胡椒」なる調味料を使ったときはその美味さに驚いたが、値段にも驚いて、よほど特別な時でない限り手が出せないでいる。
イントルスは今年で25才。独身。1人暮らし。19才で衛士隊に入り、駐在班を経て今の第3隊に配属された。大きな体、表情に乏しい厳つい顔。手に鍛冶屋のハンマーと誤解されそうな大振りのメイスを持つ姿はかなりの威圧感がある。
パンを上のおかずごとかぶりつく。角度を間違えると具材がこぼれ落ちるのでコツが必要だ。、
(今日はうまく出来た)
満足げに1人頷くと、突然ドアをノックする音と
「ぎ~が~ちゃ~ん」
力が抜けるような間延びした声が聞こえてくる。
「あ~け~て~。あたし~ホワンだよ~」
聞いているだけで抵抗力が失われていく。あの声には聞いた者を脱力させる何らかの力が込められているに違いないと思いながら、彼は席を立つ。
ドアを開けると、1人の女性が立っていた。
小さい。イントルスが大きいせいもあるが彼女の背丈は彼の胸程度だ。緩く波打つ金髪は肩に掛かり、薄いピンクのカチューシャをつけている。淡い白のシャツにスカート。つやのない濃いめのベージュの薄いベストを羽織っている。
「シュークリームみたいな服だな」
「ありがとう」
褒められたと思ったのか、ふわふわとした笑顔のまま彼女は小さなバスケットを手に部屋に入る。
彼女の名はホワン・フワ・フーワ。イントルスの幼なじみで、薬草園で働いている。本作を読んだ人の中には、彼女に覚えを感じる人もいるだろう。「ルーラの初給料」において、衛士隊本部で倒れたオレアを介抱するため現れた薬草師である。
「やっぱり、またギガちゃんサンドだ。たまには別のもの食べなよ」
「半日に必要な力はこれで取れる」
言いつつもテーブルに置いたバスケットを見ると、果物の他に、ほぐした川魚と刻んだ青菜の炊き込み御飯が入っている。
「どうぞ、ホワンちゃんライス。いつも同じものじゃ、口やお腹がかわいそうだよ」
と、当たり前のようにテーブルの食べかけギガちゃんサンドを取って食べ始めた。
「俺の朝食を勝手に食べるな」
「取り替えっこだよ」
言うと口から炒め根菜がテーブルにぽろっと落ちて「もったいない」とつまんで口に戻す。
イントルスはあきらめ顔で席に着き、バスケットからホワンちゃんライスの器を手にした。
口にすると、炊き込み加減といい塩加減といい、見事なまでに彼好みの味が口に広がる。
「おいしいでしょ」
「ああ」
無愛想に答えると、ホワンは愛想たっぷりに
「勝ったーっ」
小さくガッツポーズをした。
その様子にイントルスは呆れたように
「ホワン。お前いくつだ?」
「あたしたち幼なじみだよ。ギガちゃんと同じ25才」
「嫁の話はないのか。薬草園の園長辺りが紹介するとか」
この世界、最近女性進出が目立ってきているが、まだまだ男性社会。仕事はしても、いずれ女性は結婚して家庭に入るのが当然と考える人は多い。ほとんどの女性は16~25才ぐらいで結婚する。
「結婚したくないわけじゃないけど。良いかなと思っている人はなかなかその気になってくれないの」
イントルスを見つめてイタズラっぽく小首を傾げてみせる。
「女を見る目のない男だな」
「そうかも」
ケラケラ笑う彼女に、イントルスは妙に体がむずがゆくなった。
イントルスとホワンは、ウブのお世辞にも裕福とは言えない家に生まれた。隣同士だった。
2人とも5才の頃には働き出した。そうしないと食べていけなかった。働くと言っても大人の仕事の手伝い程度だが、食事時、おかずが一品増えるぐらいは稼いだし、ラウネ教会で読み書きを学ぶ際の筆記用具代も自分たちで稼いだ。
7歳の時、2人の人生を変える大きな出来事があった。当時、ウブを荒らし回っていた盗賊団と衛士隊の激しい戦いが彼らの職場で起きた。詳しい事情などわからない。ただ、大人達が剣を振り回し、魔導で相手を傷つけた。戦いと言うより殺し合いだった。
倉庫の隅で抱きあい、震えているイントルスたちに彼らを助けようと父達が駆け寄ったとき、近くで爆炎魔導が炸裂した。流れ矢がホワンの父を射貫き、興奮した盗賊の振り回す剣が、イントルスの父の頭をプチ割った。
戦いが終わり、泣きじゃくりながら倉庫を出た2人は、やはり彼らを助けようとして戦いに巻き込まれた母親の姿を見つける。その時はかろうじて生きていたが、あまりの多い怪我人のため、治療は間に合わなかった。
その後、2人はこの世界で信仰される8大神のひとつ、チヨンの教会に引き取られた。愛の神とも呼ばれるチヨンは多くのみなしご達を引き取り、育てている。
その後、彼らが目指したのは別の道だった。
何も出来ず、震えるだけだったイントルスは、あんな時でも動き、人を助けられる力を求めて力神ゴーディスに入信した。きっかけは、武器をふるって戦い衛視の姿だった。
苦しむ母を前に、何も出来なかったホワンは怪我人を助ける治療技術を求めて薬草師の勉強を始めた。きっかけは、怪我人を治療して回る薬草師や魔導師の姿だった。
今でも彼はときどき思う。
(俺とホワン、同じ場所で生まれ、育ち、同じものを見、経験したはずなのに。なぜ求める力は別なのか?)
薬草師になるための勉強をするホワンの姿は彼自身、驚き、時に恐れるほどだった。両親が死ぬ前のホワンは、この世の全てが見たい、見て楽しみたいとばかりに目が大きく、くりくりしていた。それが、両親が死んで以来、今のように糸のような細い目をするようになった。まるで、この世のことはできるだけ見たくないかのように。
糸のような目は緩やかな盛り上がりを見せ、常に静かな笑みを浮かべているようだ。しかし、彼には時々その目は笑っているのではなく、泣いているように見えた。
そんな彼女の目が開いているのを、彼は見たことがある。薬草師の資格試験に挑むため、勉強しているときだ。夏の暑い夜だった。ランプと、外の魔導灯の灯りを入れるため窓を開き、薬草事典を書き写している時だ。辞典の模写は報酬も出る。裕福ではない勉学者にとって、勉強と生活費をかせぐ両方が出来る貴重な手段だ。
彼女は目を見開き、まっすぐ辞典を見据え、文と絵を書き写していた。ただ、ペンを走らせる音だけが部屋を泳いでいた。彼は彼女から少し離れて椅子に座り、少しでも涼を取らせようと彼女を扇いでいた。虫除けのためでもある。
その時、突然雷が落ちた。雷鳴と閃光と共に、家の近くの木が真っ二つになり、燃え上がった。それに彼は驚き、彼女を見てまた驚いた。彼女は何も起こっていないかのように、辞典の写しを続けていたのだ。あまりの集中さに、すぐそばの落雷にすら気がつかなかったのだ。
そして彼女は薬草師の試験に合格した。この試験、年2回、国が行うものだがその難易度の高さは数ある国家資格の中でもトップクラスだ。1,000人以上の受験者のうち、合格者はいつも一桁。合格者なしというときも珍しくない。その試験に、彼女は16才で一発合格したのだ。周囲が驚く中、彼だけは当然とばかりにこの結果を受け止めた。雷の一件以来、彼は彼女の合格を微塵も疑わなかった。
「ホワンは、俺よりも優れた力を持っている」
彼女に後押しされるように、彼はゴーディス教会で警備の仕事を、メイスを使った戦い方を身につけ、衛士隊に入った。それでも、彼は心のどこかで彼女にはかなわないと思っていた。
しかし、ここ2年ほどでやっと
(皆が同じ力を持ってはならない。全てに通じる万能力などないのだ。全ての力を身につける人もない。だからこそ、人は他人とは違う力を持ち、集まることにより、万能に近い力になろうとする。それがゴーディスの導きなのだ)
自分とホワンが異なる力を持つのは、ゴーディスの導きによるものと受け入れることができるようになった。
× × ×
ウブの中央、やや南東に綺麗なドーナツ状の建物がある。外からはわかりづらいが5階建て。1階の天井が高いため、6階分の高さがある。東地区衛士隊本部よりもやや大きめのこの建物が、ゴーディス教会である。
この世界の8大神と呼ばれる代表的な神のひとつ、ゴーディス。『力ある物が上に立ち、力なきものを導く』が教えの基本であることから力神の異名を持つ。
その教会の最上階にイントルスはいた。今の彼は衛士隊の制服姿ではない。黒を基調としたゴーディス教会の信者服だ。なぜ黒かというと
「様々な色を混ぜると黒になる。様々な力を包括するゴーディスの教えに相応しい色だ」
ということらしい。
「体の方はすっかり良くなったみたいね」
「はい。これでまた、我が力を役立てることが出来ます」
「あまり無理はしないでね。ワニゲーターと格闘なんて、本当に怖い」
彼の正面、薄手のカーテン越しに日の当たる窓際の席に座って、1人のとても小柄な女性が編み物をしていた。金糸の刺繍が施された黒い薄手のゆったりとした服。65歳になる髪はすっかり白くなり、顔にも手にも皺が刻まれている。最近は目も劣ってきたので欠かさず鼻眼鏡をしている。彼女を包む空気はとても柔らかで、とてもゴーディスの教会には似合わないように思える。特にこの部屋はちょっとしたホールなみの広さがあるだけに、彼女の穏やかさが余計小さく、静かに感じさせる。
この広さは、ここが彼女の住居も兼ねているからだ。ホールの横にある扉の先には、寝室やくつろげる居間など、彼女のプライベートルームとなっている。
この女性はウブのゴーディス教会で最高地位にいる大司祭ウララ・ファルノ・カーゼ。その教えからゴーディスの最高地位にいる人は厳つい、力強い、強大なオーラを感じさせる人に違いないと思っている人は、間違いなく彼女を見て戸惑う。
彼女もイントルスが入信した頃はもう少し力強さを感じさせていたが、それから10年近い間にすっかりいい案配に力が抜けて、今や、見た目は穏やかなお婆ちゃんである。
「衛士の仕事はお休みなんでしょう。ゆっくりしていきなさい」
「いえ。休みすぎると体が鈍ります」
「若い人は良いわねぇ。でも気をつけて。若い人は無理が利く分、休むべき時に休まないことがあるから」
彼女の微笑む。途端、下から重い、何かが倒れて割れる音がした。
「何かしら?」
悲鳴のような声が聞こえてくる。何かが暴れているような感じだった。
ゴーディス教会正門口。外来を受け入れる玄関でもあるここは、教会で一番人が多い場所だ。
そこで5人の男たちが、自分の背丈ほどもある大剣を振り回していた。
振り回す度に装飾品が砕け、観葉植物が倒れて土がこぼれる。
「司祭を出せ、我らこそが、ゴーディスに選ばれし力あるものだ!」
周囲の会員たちを睨み付け、中央に仁王立ち。2メートルはある身長と服越しでもわかる筋骨隆々の体。
誰もがみな若そうだが、日に焼けた肌とギラギラした目は周囲を威嚇し、簡素な金属鎧は無数の細かい傷、こびりつき、黒く変色した血の跡など、無数の戦いをくぐり抜けた威圧感がある。
そんな彼を会員達はみな遠巻きになり、様子を見ている。中には掃除用具を手に、騒ぎが収まるのを待つのもいる。それが気に障ったのか
「どうした。なぜ司祭は出てこない。ここはゴーディス教会、力こそ全ての場所だろう!」
遠巻きに見ている中で、体格のいい男達にわめき散らす。腰に剣やメイスをぶら下げているところを見ると、ここの警備員なのだろう。だが、彼らは男を取り押さえることもせず、ただ様子を見ているだけだ。しかし、その姿勢や目からは男に対する怯えはない。あくまで上からの命令を待っている感じだ。
「あらあら、お掃除が大変」
穏やかな声と共に、ウララ司祭がイントルスを伴って歩いてくる。警備員達がきびきびと道を空けた。
「いらっしゃいませ。ゴーディス教会へようこそ」
男たちの前に立つと、ウララは静かに挨拶する。
「失礼ながら、剣をこのような形でお使いになることは、あまり感心いたしません」
目の前に現れた小さな老婆に、男は唖然とした。ゴーディス教会にはあまりにも似合わないと感じたからだ。
「ここの司祭に会いたい」
「私です」
「へ?」
「私がウブのゴーディス教会を任されております司祭のカーゼです」
男達が唖然として顔を見合わせた。
「女とは聞いていたが……」
「油断するな」
男達のリーダーが1歩前に出て
「俺はヨーダ。カーツ・サイキ・ヨーダ。生まれてから20年、一度も負けたことのない剣士だ」
剣を構え、どうだとばかりに胸を張る。
だが、ウララは一向に動じる様子もなく
「まぁすごい。その剣士様がどのようなご用件でしょうか?」
「ここは力のあるものが上に立つ教えらしいな」
切っ先を彼女に突きつけ
「俺と勝負しろ。俺が勝ったらこの教会をもらう」
「あらあら、困りましたね。私はここの仕事を任されているだけで、この教会をもらったわけではありません。人様のものを勝手にあげるわけにはまいりません」
「だったら司祭の地位をもらう」
「でしたらこのようなことをせずとも、司祭に相応しいと認められれば、ゴーディスは自然とあなたをお選びになります。それに、失礼ながら、司祭を賭ける勝負とはどのような方法で」
「決まっている。戦いだ、力と力のぶつかり合いだ!」
「それは困りましたね。私、武道の心得は全くないもので」
「何だと……嘘をつくな」
「本当です。刃物も包丁より重いものは持ったことがありません」
「貴様はゴーディスの司祭だろう!」
叫ぶと同時にウララに向かって剣を振り下ろす!
だが、イントルスが彼女の襟をつかんで引いたため、剣は空振りに床を打った。床石に亀裂が入り、破片が飛び散る。
「邪魔をするな」
「司祭の地位を賭ける勝負に、剣の力は不適切だ」
ウララをかばってイントルスがメイスを抜いた。
「お前たちはゴーディスの力を勘違いしている。見るがいい」
イントルスが正面に掲げられた紋章を指さす。確かに、ゴーディスの紋章には他の神のように自身を表すものを刻んではいない。ただ丸い枠があるだけだ。そのため、これが紋章と気づかず、ただの飾りだと思う人も多い。
「あの紋章の意味を考えるが良い。それは、紋章に刻むことで、力はこういうものだという先入観を持つことを恐れるためだ。その時その場所その状況によって、必要とされる。振るうべき力は変わる。
確かに腕力や武力はゴーディスの認める力の1つ。しかし、多くの人を束ねる司祭に求められる力ではない。剣の力を生かしたいなら、その力を必要とされるところへ行くべきだ」
「馬鹿かてめぇ」
ヨーダが口の端を歪ませ
「力といったら腕っ節の強さに決まっているだろう!」
その態度に、周囲の信者たちが残念そうに首を横に振る。その態度にヨーダがカッとなり
「てめえら、馬鹿にしているのか⁈」
振るった剣をイントルスのメイスがはじき返す。
得物を構えて対峙する2人。
そこへ
「騒がしいけれど、何かありましたか? わっ!」
先ほどの騒ぎを耳にした巡回中の衛士、ルーラとクインが入ってきては装飾品が壊され、床に亀裂が入った中を対峙するイントルスとヨーダに驚いた。
「不審者?」
クインがサーベルに手をかける。
「いえいえ、衛士さん。ただの力比べです。ここではよくあることです」
にこやかにウララが答えた。それが却ってヨーダには情けをかけられたように思えた。
「違う。俺たちは勝負に来たんだ!」
彼が大きく振るう剣をイントルスが打ち払う。執拗に剣で挑む彼に対し、あえてイントルスは守りに徹した。
ヨーダを助けるべく、彼の仲間達も剣を抜く。が、その前に立ちはだかったのはサーベルを抜いたクイン。
「事情は把握しきれないけど、黙って見ていい状況じゃないみたいね」
荒らされた周囲を軽く見回す。
「女は引っ込んでいろ!」
「剣に性別はないわよ」
ヨーダの剣を軽くかわし、不敵な笑みでサーベルを構える。
振るう剣をかいくぐり、サーベルの峰で彼の腕、鎧の隙間を打つ。
その痛みで思わず下がるヨーダ。
「口ほど強くないわね。真剣勝負なら、今のであんたの腕、切り落としていたわよ」
その口調が気に障ったのか、ヨーダは本気でクインに挑む。彼の仲間も剣を抜いてヨーダに加勢する。
イントルスもメイスを手にクインの助けに入る。
さすがに2対5ではまずいと思った教会の信者達が助けに入ろうとするのを、クインが無用とばかりに制し
「大丈夫。ちょっと離れていて」
言いながらイントルスに目で合図する。彼も気がついた。石槍を手にしたルーラが教会の中庭に走って行くのに。2人の目論みに。
ゴーディス教会の中央は吹き抜けになっていて、草木の茂るちょっとした庭になっている。クインとイントルスは戦いながらヨーダたちをその中央へ誘導していく。
中庭の隅に木の陰にルーラが隠れて様子を見ている。
剣を交えながらクイン達は囲まれないよう注意しながら、中庭中央、少し開けたところにヨーダ達を誘導する。
ちょうど男達が1ヶ所に固まったタイミングで
「今よ!」
クインとイントルスが同時に左右に跳ぶ。
「お願い!」
ルーラが石槍の穂先を地面に突き刺した。精霊石で作られた穂先を通じて大地の精霊に語りかけ、あるお願いをする。
そう、彼女は精霊使い。精霊石をを通じて精霊と心を通じ合う力を持った人間だ。精霊使いはその精霊石を穂先に加工した槍・精霊の槍を獲物としている。
彼女の願いを受け止めた大地の精霊がそれに応える。
ヨーダたちを中心とした地面が落とし穴のように一気に陥没、彼らを飲み込む。バランスを崩して男達が転倒した途端、左右から挟み込むように彼らを丸呑みにして地面が閉じた。
「それダメーっ!」
思わず叫んだ。彼女が狙ったのは彼の下半身だけ生き埋めにして身動きを取れなくすることだ。悪くても頭が出た状態で体を生き埋めにすれば問題はない。こんな全身生き埋めは想定外だ。
急いで大地の精霊にもう一度お願いする、中のヨーダたちが地中から湧き上がるように現れた。
男達は皆、目を大きく見開き、大の字になったまま土まみれのまま呆然として、
「な……何だ今のは?」
身動き取れないでいる。無理もない。時間にして10秒ほどとはいえ、突然生き埋めにされたのだ。
「大地の精霊によってお前は埋められたのだ」
見下ろし、説明するイントルスの横にルーラが駆け寄り
「ごめんなさい、ごめんなさい。まだ精霊へのうまい伝え方がわからなくて」
何度も頭を下げる。
大地の精霊に頼んで突発的に地面を陥没、相手が落ちたら閉じることにより動きを封じる。先日、彼女が逃げる盗賊を捕まえるのにとっさに思いついてやった方法だ。それを見たメルダー隊長が、うまく使えば複数相手でも一気に捕まることが出来ると、使いこなす……いや、この場合はうまく伝えると言うべきか、それをするよう指示していたのだ。
いきなり生き埋めにされてはたまったものではない。ヨーダも怪我はないものの、戦う意欲はすっかり無くなっていた。一応、戦いを収めるという目的は成功したわけだ。
「ちょっと、ルーラ。こっちもお願い」
クインが怒ったような声を上げる。見ると、彼女の右足、膝から下が地面に埋まっていた。
「ごめんなさい!」
ルーラが彼女に駆け寄る。
その隙にヨーダたちは立ち上がり、逃げるように中庭を駆け出していった。
「ゴーディスの力を腕力や暴力と結びつける者は珍しくない。いや、ほとんどの者は最初はそう考える。恥ずかしい話だが、俺もそうだった。武器を振るい、悪しき者を叩きのめす。その姿こそゴーディスに相応しいと」
教会の食堂。後片付けを信者達にまかせ、クインとルーラはイントルスやウララとお茶していた。
「腕力、暴力もゴーディスの示す力の1つです」
いつものように、ウララの言葉は穏やかだった。
「それらには他の力にはないものがあります。すぐに使える力。誰でも使える力。合わせやすい力。そして何よりも、振るう者の心が表れやすい力。だからこそ、時と場合、振るう人によってはとても頼もしい力になります。でも万能ではありません。欠点もまたたくさんあります」
「力なんてそんなもんでしょ」
わかりきったことをと言いたげにクインが言葉を挟む。
「良いところと悪いところ。どっちもわかっているからこそ、力はうまく使えるもんよ」
言いながら腰のサーベルをぽんと叩く。
「あの人達も、自分の力をうまく使えようになれれば良いですね」
「その時にこそ、ゴーディスの紋章に写りしものの意味がわかるだろう」
見上げるイントルスの視線をルーラは追った。
そこには、綺麗に磨かれたゴーディスの紋章……ただの円盤が飾られているだけだった。
× × ×
ゴーディス教会からひたすら走り続けたヨーダたちは、ようやく足を止めると手近な煉瓦造りの塀にもたれて息を整えた。
「どうなってんだ。ちきしょう」
「話が違うぞ」
落ち着くにつれ、自分たちから逃げ出した形になったのが悔しくてしようが無い。そもそもゴーディスの教会が力の勝負を受けないのが納得できなかった。
しかも司祭はどう見ても自分より弱いただのババァだ。
「あのぉ、痛いんですかぁ」
間の抜けた声に振り向くと、脱力が服を着て歩いているような女がいた。波打つ金髪にピンクのカチューシャ。ゆったりした服に手には木箱をぶら下げている。
ホワンだ。
「なんだお前は?」
「ここの職員ですぅ」と彼がもたれていた塀の建物を指さす。「足、怪我してますけど」
言われてヨーダはやっと自分の右足の膝をすりむいていることに気がついた。膝当ては外れ、ズボンの破れ目からのぞいている膝はすりむいて血がにじんでいる。他の男達も、顔や艶に擦り傷が見える。
「たいしたことはねえ。酒で洗えば治る」
「ダメですよぉ。傷はひどくなると周囲の肉を腐らせちゃうんですよぉ。小さなうちに治さないと」
彼の手を取り、歩こうとするが、非力なので立ち止まっている彼を動かすことが出来ない。力を入れるがやっぱり動かない。
「薬を塗ってあげるから来てくださぁい」
半泣きになりそうな彼女に、ヨーダは逆らう気にもなれずついていく。他の男も流されるようについていく。
「お前、医者か?」
「薬草師ですぅ。ちゃんと免許も持ってますよぉ」
医者の処方箋に従い、様々な薬草を加工、調合して薬を作る人を一般に薬草師と呼んでいる。派手さはないし、医者や治癒魔導を使う魔導師に比べて下に扱われることが多いが、簡単な怪我の治療なら行うし、病気など長期にわたる治療には欠かせない存在である。優れた医者や治癒魔導の使い手は、薬草師がどれほど頼りになる存在かをよく知っている。
医者よりも敷居が低いのか、世間話をするように健康相談する人も多く、軽い風邪や体調不良程度なら、医者にかからず薬草師が一般用に調合した薬を買って済ませる人も少なくない。
「金はないぞ」
「それぐらいの擦り傷ならお金取りませんよぉ。だから染みても泣かないでください」
「誰が傷の治療ぐらいで泣くか」
導くように建物に入る。そこはダーダ薬草園。様々な薬草を栽培、薬を調合・販売しているウブで一番大きい薬草園だ。
2人が入って数分後、ヨーダの悲痛な叫び声が響いた。
「なんだそれは?!」
「マロネとシグレソウを混ぜてとろみをつけたものですけど」
薬草園の医務室。ホワンが木べらを手に、ヨーダの足の傷に塗った壜の中身を見せる。薄緑がかった軟膏が入っている。
「このとろみが膜のように傷を覆って、余計なばい菌を防ぐの。で、すり切れた肌の表面を」
「薬の説明を聞いているんじゃねえ! なんだこの染みっぷりは」
「シグレソウは刺激がありますから。でも、これが新しい皮膚を作るいい刺激になって」
「解説はいらねえ!」
わめく彼に、常連らしい初老の男が笑って
「若いの。幸せはちょっとした苦しみの向こうにあるんだぞ」
と声をかけた。
「あのババァ、なんだかんだ言って、俺達との戦いを逃げやがった。あれでもゴーディスの司祭か?」
「周りの連中は、なんであんな弱い奴の言うことを聞くんだ」
「そうだ、弱い奴の言うことを聞くなんて、ゴーディスの教えに反する」
手当を終えたヨーダ達は薬草園に設けられたテラスで紫茶をごちそうになっていた。顔をつきあわせても出てくるのは先ほどの失態に対する愚痴ばかりだ。
「司祭を相手に負けたのならともかく、納得いかん。もう一度行こう」
「だがどうする。さっきみたいに邪魔が入るぞ」
「魔導師の知り合いがいる。そいつに連絡して」
男達は顔をつきあわせ、ひそひそ話を始めた。
薬草園の一角で実の付き方を見ていたホワンは、そんなヨーダ達の姿に首を傾げた。強そうな男達が顔をつきあわせて何を話しているのだろう。
「フーワさん」
園長のダーダがまいったように頭を掻きながらやってきた。
「明日行うゴーディス教会の植木の交換ですけれど、バルックスさんたちがこれなくなったそうです」
「どうかしたんですかぁ?」
「酔って川に落ちて、風邪を引いたそうです」
「大変ですねぇ。誰か代わりの人はいないんですかぁ。私1人じゃ、植木の持ち運びは無理ですよぉ」
「予定をずらすしかないでしょう」
ゴーディス教会を始め、教会や大きな施設では、屋内に血止めなどに使える薬草の植木を設置している。いざというときの応急処置用だが、実際に使われることはほとんどない。屋内に置きっぱなしでは育成に影響が出るのを防ぐため定期的に交換している。
その何気ない会話を、ヨーダ達は自分たちの会話をやめて聞いていた。
「ちょうどいい」
男の1人がさも申し訳なさそうに肩をすくめ、彼女たちの方に歩いて行くと
「すみません。偶然お話が聞こえまして。今日の薬代替わりに、その明日の仕事、手伝わせてください。荷物持ちぐらい出来ますよ」
その様子を、ヨーダ達は悟られないように顔を背けてにたりと笑った。
× × ×
雨の中、少年は水たまりに顔を突っ込むように倒れた。裸の上半身は青あざだらけで、顔は殴られ蹴られ腫れ上がり、元はどんな顔だったかもわからない。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながらもあげようとするその頭を、上から泥だらけの靴が押さえ込んだ。
周囲から笑い声が聞こえる。楽しげな笑いではない。明らかに自分より格下の存在を馬鹿にする笑い。
「どうした。威勢の良いのは口だけか」
男が少年の髪をつかみ、無理矢理持ち上げる。
「弱いくせに逆らうんじゃねえよ」
嘲りの笑いの中、少年の顔から腫れが引き、成長し、ヨーダの顔と重なった。
安宿のベッドでヨーダは飛び起きた。
全身汗まみれ、目を見開き、何度も肩で息をする。見回すと、仲間の男達がそろってベットでいびきをかいている。
「またか……」
カーテンを開けるとまだ夜だ。月と街灯の明かりしかない町。数ブロック離れた繁華街の辺りではいくつもの灯りや魔導灯が周囲を照らしているが、ここまでは届かない。
ベッド脇に置いてある水差しから直接水を飲むと、やっと落ち着いてきた。
「弱いくせに逆らうんじゃねえよ」
夢で男にぶつけられた言葉がよみがえる。
それは彼がまだ少年だったころ、近所の評判の悪達に挑んで返り討ちに遭ったときにぶつけられた言葉。
あれ以来、彼の耳から離れない。
弱い。
それは、悪に立ち向かう、大切なものを踏みにじられ、抵抗する資格すらない者の名前。
「弱いくせに逆らうんじゃねえよ」
相手と戦い、打ちのめす力のない者は、抵抗する資格すらない。
「弱いくせに逆らうんじゃねえよ」
周りの人たちは誰も彼を助けなかった。彼を助けることは、彼と戦う相手にとって敵対行為だから。
「弱いくせに逆らうんじゃねえよ」
みんなその言葉に従い、逆らわなかった。
泥まみれ傷だらけの彼は、ひたすら武芸に挑んだ。数ある武芸の中から剣を選んだのは、それが一番強そうに見えたからだ。
彼はみるみる腕を上げ、修行仲間を次々倒せるようになった。
それがすごく楽しかった。強くなることは楽しかった。
だが、そんな彼に逆らう者が少しずつ現れた。自分より弱いくせに、自分と対等であるかのように振る舞う奴らだ。
ある日、そんな連中と口論になった。彼のやり方を間違っていると叫ぶ連中を彼は剣でたたきのめす。床に傷だらけで倒れながら、まだ抵抗の目を向けてくる連中に、彼は思わず叫んでいた。
「弱いくせに逆らうんじゃねえよ!」
その瞬間、彼は愕然とした。
かつて自分をあざ笑った存在に彼自身なっていた。
かつての自分が正しいならば、今の自分は間違った、汚らわしい心の持ち主だ。
かつての自分が間違っていたならば、いつか自分にあの言葉を向けた連中こそ正しかったことになる。
迷った彼だが、これだけは譲れないことがあった。
「弱いのは嫌だ」
彼は自分が強い存在でいたかった。自分が強いことを証明すること。それは、他人をぶちのめすことだった。他の連中は自分より弱いと誰の目にも明らかにすることだった。
自分の方が強いと納得するため、彼は他の人達をぶちのめした。ぶちのめす相手は、できるだけ自分より弱い奴にした。もしも戦って負けたら、自分の方が弱いことになってしまう。それが怖かった。
勝利は自信に繋がる。勝ち続けることで、彼は少しずつ自信を取り戻した。
自分は強いと。
彼にぶちのめされた男の何人かは彼の手下のようになって言うことを聞いた。今、彼を取り巻く男達はみな、かつて彼に叩きのめされた男達だ。弱いから、強い者には逆らわない。強い者に従う。彼にとっては当たり前のことだった。
そんな彼にとって、気になる存在があった。
力の神と呼ばれるゴーディス神。
優れた者が劣る者の上に立つ。彼の生き方を表すような教えだった。だが、彼はゴーディスに入信することはなかった。もしも入信して、中に自分より強い者がいたら、自分はその者に従わなければならない。それは嫌だった。
それを覆す方法は1つ。彼が最強となってから入信するのだ。そしてさらに力をつけ、今日、手下となった男達を引き連れ、ゴーディス教会に向かった。ここのトップである司祭を、皆が見ている前で叩きのめすために。
それが、こんなことになるとは。
司祭が初老の女性というのは聞いていた。だが、
「女だって油断は出来ねえ。若い頃武闘で慣らして、今でも短い時間ならめちゃくちゃ強いにきまっている」
と思っていた。だからウララのおっとりとした姿、武道などまったく経験がないと言われて呆気に取られた。
「こっちを油断させるための嘘に決まっている。その手は食わねえぞ」
彼は上半身を起こすと、じっと自分の手を見つめた。
「俺は強いんだ。弱くねえ。それを、みんなが見ている前で証明してやる。大勢の人達に認めさせてやる。
カーツ・サイキ・ヨーダは強いんだと。
力神ゴーディスの司祭をこの手でぶちのめしてな」
だが、その彼の頬は引きつっていた。まるで、足を止めた瞬間、自分が奈落の底に落ちてしまいそうな。彼にとってそれは、負けることよりも恐ろしいことかも知れなかった。
× × ×
「ダーダ薬草園から来ましたぁ。常備薬の補充とぉ、屋内の植木の交換、庭木の点検ですぅ」
ホワンが相変わらず力の抜けそうな声で挨拶、身分証明書を提示すると、受付の信者が「話は聞いています」と通用口から彼女たちを中に通す。
彼女に続いて、箱やスコップなどを手にした男達が入ってくる。薄汚れた作業着を着たヨーダ達である。わざと髪をくしゃくしゃにするなどいくらかイメージを変える工夫をした上で、手にした荷物で顔を隠すようにしている。彼らの顔を直接見、記憶している信者は少ないが、やはり目的地に行くまでに正体がばれるのは避けたい。
受付の信者も、昨日の騒ぎは聞いているが、直接ヨーダ達を見たわけではない。彼らをホワン同様、教会に入れた。
「中に入っちまえばこっちのもんだ。司祭の部屋に行こうぜ」
「慌てるな。人目が少なくなってからだ」
彼らは小声で話したつもりだが
「司祭様に会ってみたいの?」
ホワンが振り返った。ヨーダ達が驚いて足を止める。
「じゃあ、司祭様の部屋にある植木の交換からやろう。この時間ならいると思うよぉ。偉い人とか。普通会えない人って、つい用がなくても会えたらって思っちゃうよね。いなかったらいないで、つい、その立派な椅子に座っちゃったりなんかして」
お気楽に言って歩いて行く。その後ろ姿を、ヨーダ達は唖然として見ていた。
最上階の司祭室。ウララは脚立に上り、壁に掲げられているゴーディスの紋章を磨いていた。そんなに磨いてばかりいたらすり減ってしまうのではと思うほど磨かれ、磨く彼女の顔がうっすらと写り込んでいる。
「すみません。植木の交換に来ましたぁ」
「ご苦労様。ちょっとした騒ぎはありましたけど、使うことはありませんでした」
「良いことですぅ」
ふわふわした笑顔の向こうに立つ男達を見たウララは眉をひそめ
「あなた達は⁈」
途端、ヨーダがホワンを突き飛ばし、ウララと対峙、ボロ布にくるんでおいた剣を取り出し構えた。
「昨日のようにはいかんぞ。司祭の座をかけて俺と勝負だ!」
同じように獲物を取り出した男達が、部屋を飛びだし、ちょうど通りかかった職員を打ちのめす。
教会中央は吹き抜けになっているため、そこを通じて他の階とを結ぶ階段が見える。
「スワディ、階段を壊せ」
男達の中でただ一人、剣ではなく魔玉の杖を持った男が前に出ると、杖をかざして先端の玉・魔玉に精神を向ける。男の魔力・力ある精神が魔玉を通じて爆発力に変わっていく。
魔導師。魔玉を通じて自分の魔力を様々な形に転化する技術を持った者だ。スワディの魔力は魔玉を通じて下の階とを結ぶ階段に向けられる。
彼の魔力が重なった瞬間、階段が爆発して砕け散った!
爆炎魔導。攻撃魔導の中では火炎魔導、電撃魔導と並ぶポピュラーなものだ。瞬間的な爆発力と轟音は相手を威嚇するに十分な力があるが、威力が拡散されるため、見た目の割りには殺傷力は低い。が、爆発を直撃させた場合は別だ。壁や階段も粉砕する。
砕けた階段に満足したスワディは、反対側にあるもうひとつの階段も、同じように粉砕した。これで下から上がる道はない。
階段破壊の轟音は、教会内はもちろん、周辺にも轟いた。
町の人々が何事かと足を止めた。
巡回コースから外れるが、昨日のことを気にしていたイントルスとスノーレの耳にもそれは届いた。魔導師なだけに、スノーレはその音が爆炎魔導によるものとわかる。
走り出した。一瞬遅れてイントルスも走り出す。足は彼の方が速い。彼女を置いて先に進んでいく。
走る先に見えるゴーディス教会からは、粉塵が煙のように上がっていた。
「何があった?」
教会に駆け込んだ彼は、顔見知りの信者に声をかけた。
「昨日のやつらだ。ダーダ薬草園の女性と一緒に」
イントルスの頬が引きつった。その女性が誰なのかわかったのだ。
最上階で、ホワンの前でヨーダはウララに剣を向けていた。
「力あるものが上に立つ。トップが最強。それがゴーディスの教えだ」
「トップが最強なのは確かでしょうけれど。集団のトップに必要な力は戦闘力ではないと思いますよ。王が最強戦士という国はないでしょう」
「ここは国じゃない。ゴーディス教会だ」
「どうしてそこまでこだわるのかしら」
「弱い者が強い者の上に立つ。間違ったことを正すだけだ。ゴーディスの教えに基づいてな!」
剣を構え直す。
「戦え」
なかなか戦いに応じないウララに苛立っていた。自分が強いことを証明するためには、立会人の下、正々堂々と勝負して勝たなければならない。一方的に勝負を挑むにしても、それは最後まで彼女が戦いから逃げたことを証明しなければならない。ホワンはその証人だ。
部屋の外では、ヨーダの仲間達がいつまで経っても勝負が始まる気配がないのに苛立ち始めていた。最上階は警備の信者も多くない。ほとんどは事務関係の信者で、腕っ節は彼らに遠く及ばない。すでにほとんどは打ち倒され、残った数名も、部屋に閉じこもって出てこない。激しい抵抗を予想していた彼らには拍子抜けだった。
「まだ勝負はつかないのか?」
吹き抜けから階下を見ている男が苛立ちの声を上げた。信者たちが集まり、こちらを指さし何か話している。信者達に混じって衛士達の姿が見える。ルーラやクインの姿もある。
「あ、あの女だ」
男達に、昨日生き埋めにされた恐怖が甦った。
やられる前にやれとばかりに、持ってきた植木をルーラめがけて投げ落とす。不慣れなせいで大きく外れたそれは砕け、周囲の信者達を驚かす。
「上からよ」
見上げるクイン達めがけて、植木や椅子などが次々落とされる。慌てて建物の陰に隠れて
「上への道は?」
「階段だけですが、それは壊されて」
ルーラが飛び出した。
「風の精霊、お願い!」
精霊の槍を通して風にお願いする。つむじ風が巻き、彼女の体を上に飛ばす。
「上がらせるか!」
スワディが魔玉の杖をかざし、先端から雷を発する。電撃魔導だ。それが彼女の体をなめて撃墜する。
「ルーラ!」
クインの叫びの中、彼女は精霊の助けを失いそのまま落下。中庭の植え込みに落ちた。幸いにも柔らかな草の中なので致命傷は免れたが、墜落と電撃の衝撃で動けない。信者の何人かが駆け寄り、彼女を抱えて建物の陰に逃げ込んだ。
「やったぞ。ざまぁみろ」
歓喜の声を上げ、手すり越しに下をのぞき込む男達。その隙を突くように、教会の屋上からスノーレが飛行魔導で降りてきた。杖に捕まるようにしたイントルスをぶら下げて。
男達は下に注意を向けていたため、気がついたときには、イントルスは手すりを超えて通路に飛び降りていた。
「礼儀を知らぬ力にゴーディスの加護はない!」
メイスを構えたイントルスが突進する!
「もう待てん。ここで強弱を示して、この教会の奴らに、誰が一番力があるか教えてやる!」
剣を手にウララに突進しようとするヨーダの前に、ホワンが両手を広げて立ち塞がった。
「駄目だよ。これじゃ勝負じゃなくていじめだよぉ」
「良いのよ」
ウララがにこやかにホワンに語りかけた。
「わかりました。勝負しましょう。でもその前に、あなたはどうしてそこまで腕力、暴力にこだわるのか教えてちょうだい」
「それが一番わかりやすく、まっすぐで、誰もが納得できる力だからだ」
「そうね。でも、その力がわかりやすいのは、いろいろなものを捨ててしまったからなの。あなたは私に代わって司祭になったとき、それを拾い上げ、育てる気持ちがあるかしら?」
「その手は食わん。勝負を受ける以上、戦いあるのみ!」
「受けるとは言いましたけれど、腕力勝負とは言いませんでしたよ」
相変わらず飄々としたウララに、ヨーダが突進する。
「ダメえ!」
ホワンがヨーダの腰にしがみついて止めようとするのを
「邪魔だ」
と振り払われる。
勢い余って壁に頭をぶつけ「痛っぁ」と押さえるホワンを今度はウララがかばい
「剣を納めなさい。あなたが振るっているのは剣ではなく恐怖です」
「ゴーディスに仕えるものならば力で戦え!」
途端、扉を蹴破ってイントルスが飛び込んできた。その目に最初に入ったのは、ヨーダでもウララでもなく、倒れ苦痛に頭を押さえている幼なじみの姿。
「ホワン!」
とっさに向けられたヨーダの切っ先をメイスで弾いたイントルスは、そのまま彼女たちをかばうように間に割って入る。
「邪魔するな」
「断る」
睨み合うヨーダとイントルス。
「イントルス、おやめなさい」
ウララが1歩前に出た。居間までとは違う、相手を威圧するような目をしていた。
「この人を腕力でねじ伏せてはいけません。この人が学ぶべきは、自分の力がもっとも生きる使い方です。力でねじ伏せてはこの人は自分が間違っているのではなく、弱かったのだと思うでしょう。
それでは何にもなりません。心をそのままに、さらに強い力を持つだけです」
「偉そうに言うんじゃねえ!」
ヨーダが喚く!
「何だ。俺が弱いって言うのか?!」
力任せに振るう剣を、イントルスのメイスが受け、火花が散った。彼のメイスはゴーディス教会が独自に作った特別製だ。そこいらの武器屋で売っている剣なら一撃でへし折れる。
「俺は弱くねえ。強いんだ」
「余裕があるな」
跳び下がると、イントルスがメイスを構え直し
「俺は、自分が強いか弱いかなど考える余裕はない」
再びヨーダと得物をぶつけ合う。
部屋の外では、クインが男達と戦っていた。イントルスに続いて、スノーレに上まで運んでもらったのだ。相手は多いが、通路での戦いだ。いくら頭数が多くても一度に彼女の相手に出来るのは1人か2人。数の有利さを生かせない。
さらに反対側、崩れた階段にハシゴをかけて警備の信者達が登ってこようとする。
「上げるな!」
信者を迎え撃とうとハシゴの上に立つ男の足を矢が射貫く。スラッシュが弓を手に駆けつけたのだ。
クインが戦う男の手首を打った。衝撃で剣を落とした男をさらに打ち据える。
「ヨーダ、まだか」
後ずさりしながらスワディか叫ぶ。明らかに形勢は不利だ。ここからの逆転は、ヨーダがウララを倒し、自分の方が力がある。ゴーディスの教えに従い、強き者に従えと信者達をおとなしくするしかない。
しかし、部屋の中からは武器を打ち合う音しかしない。先ほど中に入った大男の衛士との戦いが長引いているのかも知れない。
「くそ!」
さらに仲間が1人、クインに倒されるのを見てたまらず彼は司祭の部屋に駆け込んだ。結果にケチをつけられるのを避けるため、ヨーダ1人に勝負を任せていたが、もうそんなことを言っている余裕はない。
部屋の中では、ヨーダとイントルスの戦いが続いていた。しかも、イントルスがヨーダを押している。
ウララとホワンは壁際に寄り添って身を潜めている。
「何だよ。話が違うぞ」
唖然とするスワディの背後から、また仲間の悲鳴が聞こえた。
「ちきしょう!」
振り返り様、半ばやけくそで電撃魔導を放つ。それはちょうど逃げ込んできた仲間の男を直撃した。
さすがに通路のクイン達入り口の陰に隠れる。
「うわぁぁぁぁっ」
悲鳴のような叫びを上げて、スワディが魔玉の杖を振り回し、所構わず攻撃魔導をぶちかます。魔力も練られぬショボい攻撃魔導だが、それでも直撃すれば笑っていられぬダメージだ。
入り口の陰で様子をうかがうクインとスラッシュ。壁越しに振動が伝わり、壁や天井に亀裂が入り破片がパラパラ落ちてくる。
「スラッシュ、矢で仕留めなさいよ」
「簡単に言わないでください」
2人の間の入り口から爆炎が噴き出し、扉が壊れ飛んだ。たまらず2人が肩をすくめる。
「止めろ! 止めないか!」
たまらずヨーダがソファの陰に飛び込み叫ぶ。が、スワディにその言葉は逆効果だ。
いつまで経ってもウララを仕留められない苛立ちがすべて彼に向いた。
ありったけの魔力を爆煙魔導に込め、彼の隠れたソファに叩きつけた!
轟音に教会周辺の人たちが一斉に足を止め、見上げた。
ゴーディス教会最上階が爆煙を上げ、大穴が開いては周囲に破片を降らせていた。
埃舞う中、スワディが痛む体で立ち上がる。床は崩れ、斜めになっているので立ちにくい。
痛みに顔を歪める彼を風が撫でた。埃が流され、視界が開ける。
司祭の部屋は壁が崩れ、天井が落ち、瓦礫の部屋と化していた。見回しても、ヨーダたちの姿は見えない。
大きく息をするその背中に
「動かないで。魔玉の杖を捨てなさい」
魔玉の杖を構えたスノーレが声をかけた。彼女の魔玉から真っ直ぐ細い、針のような魔力の線が延び、彼女の指につままれていた。まるでパチンコで彼を狙っているように。
振り向きざま、彼が電撃魔導を放つ。ほぼ同時に彼女も指を放し、魔力の矢が放たれる。
魔力の雷と魔力の矢が激突する。が、とっさに放った雷と十分魔力を練り込んだ矢では威力が違う。スノーレの矢は雷を蹴散らし彼のかざした魔玉に命中、木っ端微塵に粉砕した。これで彼は魔導を使えない。
そこへ瓦礫の陰に伏せていたスラッシュが組み付いた。弓の名手で後方支援中心の彼だが、衛士である以上、空拳……素手の格闘術の基本は身につけている。呆然とするスワディをそのまま押さえ込むと、両腕を後ろに回して手枷をかける。
もはや抵抗する気力も失ったのか、手枷をされたままスワディは瓦礫にぐったりとなった。
「お見事です」
足下に気をつけてやってくるスノーレに声をかける。
「それより、クインは?」
「……ごごぉ……」
彼女の足下で声がした。見ると、立っている瓦礫のその下から、クインの腕が出て痙攣している。
風に吹かれ、太陽にさらされながら、ヨーダは伸びきった両腕に必死で力を込めていた。
ゴーディス教会崩れた壁の外側。壁から飛び出た細い鉄骨を彼は右手で握りしめ、落下を防いでいた。左手はしっかとホワンの腕をつかみ、彼女はイントルスの腕をつかみ、イントルスはウララを抱きかかえていた。
さしものヨーダも、自分も入れて4人分の体重がかかっては、身動きできず、手を放さないでいるのが精一杯だった。かろうじて壁のでっぱりに足がわずかにかかって支えているのが救いだった。
(くっそぉ。なんでこんなことに)
スワディの手当たり次第の攻撃魔導で崩れた床や壁、それと共に外に放り出されようという時だった。イントルスはメイスを捨て、落ちようとするウララを抱きかかえた。その彼の足場が崩れ、滑り落ちそうなのをホワンがつかんだ。が、彼女に2人を支えることは出来ない。傾いた床を滑り落ちるのを見て、ヨーダはとっさに……何でか本人にもわからない。ただ反射的にホワンの腕をつかんだ。そのまま壁は4人もろとも崩れ、かろうじて彼は崩れた壁からのぞいた鉄骨をつかんだ。
彼らが教会の外壁にぶら下がる形になったとき、壁の崩壊は止まった。高さにして5階近い。落ちたらよほど運が良くない限り死ぬ。
何とか近くの窓からと思ったが、周囲はただの壁、足場、手がかりになるような出っ張りもない。今やウララ、イントルス、ホワンの命はヨーダの腕で支えられている。
「……っ………」
ホワンの細い目がさらに細まる。彼女の細腕ではイントルスとウララの体重を支えるのは無理がある。それでも彼女は2人を支える手を決して離そうとはしない。
その様子にイントルスが唇を噛む。自力で何とかしようにも、ウララを抱え、足場のない外壁ではどうしようもない。
「ギガちゃん。あたしの手首つかんで」
ホワンに握られた腕を何とかねじるように回し、お互いの手首を掴む。これで少しはましになる。
「なんでこんなことに……」
彼らを支えながらヨーダが嘆く。こんな状態がいつまでも続くとは思えない。でも
(俺1人なら……)
ここで手を離せば、下の3人は落ちて即死だ。しかし、彼自身は何とか持つ。何とか上がれるかもしれない。
だが、なぜか彼はそれをする気になれなかった。
「ヨーダと言ったな。力を出せ。ゴーディスの加護は必ずある」
「勝手なこと言うんじゃねえ」
「ゴーディスは見ている。お前の力を」
イントルスの言葉に腹は立つが、手を離す気にはなれない。ヨーダ自身もよくわからなかった。
(ここで手を離しても、こいつらに勝ったことにならねえ。俺の方が強いってことにならねえ)
無理矢理理由をつけ、腕の力を込める彼の目の前で、ゴーディスの紋章が揺れていた。司祭の部屋にかかっていた物だ。綺麗に磨かれたその中央に、彼の顔が写っていた。
思わずそれに目を奪われた。ゴーディスの紋章に映る彼自身の顔に。
力あるものが人の上に立つ。
それはどのような力か。
人はどんなとき、どんな力を振るうべきなのか。
ヨーダはゴーディスの声が聞こえたような気がした。
振るえよ。汝の力を。
信じよ、汝の力を。
我の言葉は聞かずとも良い。信じずとも良い。
我の望みは人が我を信じることにあらず。
振るえよ。汝の力を。
信じよ、汝の力を。
紋章には、ヨーダ自身の顔が写っている。
彼の両腕に力がこもる。鉄骨を握る手に。ホワンの握る手に。
「ちょっと、大丈夫⁈」
頭上からクインの声がする。何とか顔を上に向けると、崩れた壁の縁からこちらをのぞき込んでいる彼女の顔が見えた。だが、彼女の場所からヨーダが捕まっている鉄骨まで1メートル近い距離がある。引っ張り上げるのは無理だ。
「何とかしろ……そう持たねえ」
それは本音だと思ったクインはスノーレを見て
「飛行魔導で1人ずつ降ろせない?」
「やってみる」
スノーレが飛行魔導で教会の外に出る。横にした魔玉の杖をしっかと握りしめ、横座りになってゆっくり降りてくる。
「まとめて降ろせないのか」
ヨーダの不満が聞こえないのか、彼女の顔は緊張に固まっている。飛行魔導においては衛士隊で一番と言われる彼女でも、人を乗せて飛ぶのは難しい。今まで何とかなったのは、相手が勝手に彼女の杖に捕まっていたからだ。今回は飛びながら彼女の方で人を受け止め、そのままゆっくり降りようというのだ。集中してもうまくいくかわからないのに、ヨーダの相手をしている余裕はない。
「ウララ様を頼む」
少しでも近づこうとイントルスが壁に足をつけウララを差し出す。
スノーレが手を伸ばした途端、風が吹いた。彼女が横に流れ、伸ばした手が空振り、風に押されてイントルスが揺れる。
激しく揺れる2人の体重に支えるホワンの肩が嫌な音を立てた。
「はみゃっ!」
肩の脱臼に声を上げる。イントルスが彼女の手首を掴んでいなければ、彼はウララと一緒に真っ逆さまに落ちていただろう。
揺れる下を落とすまいとヨーダがホワンを握る手に力を込める。途端、彼女のもう一方の肩も脱臼した。
「ほみゃっ!」
言葉にならない間抜けな悲鳴を上げながらホワンが悶える。その揺れが下のイントルスまで広がり、彼らが大きく揺れる。その痛みで更に彼女のもだえが大きくなる。
「動かないで。捕まえられない」
戻ってきたスノーレが叫ぶ。ただでさえ高齢で動きの鈍いウララは、この揺れでは手を伸ばすことも出来ない。
ホワンが涙目で動きを止める。風が更に強くなる。
その様子を上から見ているクインとスラッシュが歯ぎしりする。
「ダメですよ。あれではスノーレさんも飛行魔導を維持するだけで精一杯です。とても人1人受け止める余裕は」
「矢を壁に打ち込んでイントルスの足場に出来ない? 射ると空中でぐるっと戻ってきて壁に刺さるような打ち方、出来ない?」
「出来ません!」
「ルーラに頼もう。精霊に頼んで風を起こせるんだから、風を止めることだって出来るよね」
言い合う2人の間に
「良い考えだ。しかしすでに別の手配をつけた」
ぐいとメルダーが割って入る。
「メルダー隊長?」
2人にかまわず縁から眼下のヨーダ達に
「聞こえるか。ここまでは無理だが、4階近くまでルーラが地面を持ち上げる。そうしたら手を離して飛び降りろ。受け身を取れば大怪我はしないだろう」
「地面を持ち上げるなんて出来るのか?!」
「ルーラは精霊使いだ。昨日お前達を生き埋めにした」
「あいつの力を信じろって言うのか?!」
「あなたは自分の力を信じますか?」
ウララが静かに口を開く。
「自分の力を信じるならば、それと同じだけ他人の力を信じなさい」
返事に詰まるヨーダを見て、メルダーが頷く。
「決まりだ。持ち上がる時間は10数える程度というから、急げよ」
メルダーが縁に立つと、眼下に向けて大きく剣で円を描く。
ルーラはそれを地上で見ていた。電撃の影響がまだ残っているのか、少し体がぎくしゃくするが、精霊への意思疎通には問題ない。
「大地の精霊、お願い!」
精霊の槍を地面に突き刺した。
大地が震え、イントルス達がぶら下がっている真下の地面が盛り上がり、周囲の石畳や塀を崩し、円錐状に盛り上がる。
周囲の人達が唖然とし、ある人は慌てて逃げだし、ある人はその場にへたり込む。
地面の隆起は4階付近、イントルスの足から1メートルほど下まできて止まる。
「1! 2!」
メルダーがカウントを始める。
イントルスがウララを抱えたままホワンから手を放す。斜めになっているので上手く着地できず片膝をつくが、すぐに彼女を下ろして上に向かって構える。
「3! 4!」
「ホワンを離せ」
しかしヨーダはためらった。ホワンからイントルスまで3メートル以上ある。
「5! 6!」
「大丈夫、ギガちゃん信じて」
ヨーダが手を離した。ホワンがイントルスの腕の中に落っこちると、その勢いで彼は尻餅をついて彼女を抱えたまま盛り上がった大地を滑り台のように滑り落ちていく。
「7! 8!」
半ばヤケになってヨーダも飛び降りた。彼の位置からだと隆起した大地まで3メートル近い。地面に落ち、そのまま滑り落ち始めた途端、地面が急速に引っ込んでいき、元の平らに戻った。
地面にへたり込んだまま、唖然と周囲を見渡すヨーダ。さすがの彼も、こんな体験は初めてだ。
「ありがとう」
隣で声がした。ウララが静かに座って彼に微笑んだ。
「私たちを助けたのは、あなたの力です。あなたが鍛え、人に勝る力を身につけていなければ、私たちはあのまま落ちて死んでいたでしょう」
言い返そうとするヨーダだが、美味い言葉が出てこない。
「大丈夫ですか?!」
精霊の槍を手にルーラが走ってくる。思わず腰を浮かした彼が
「痛ぇっ」
足首に激痛が走り、倒れた。どうやら、落ちるときに足をくじいたらしい。
「無理をしてはいけませんよ。医療班にお任せなさい」
ウララが彼の痛む足をさすりながら
「勝負は延期ということでいいかしら。後で日時と勝負の方法について決めましょう」
そこへ教会の医療班が駆けつけ、ホワンを担架に乗せて運んでいく。
「腕を動かすな。それと、お前のおかげで助かった。ありがとう」
「ギガちゃん重かった」
照れくさそうな笑みを向けるホワン。両肩脱臼ではかなり痛みがあるはずなのに……。
「今は笑顔はいらん。素直に感じろ」
静かなイントルスの言葉に、彼女の目尻からじわりと涙がこぼれ
「痛いよぉ」
と泣き出した。そのままイントルスは運ばれる彼女に付き添って医務室までついて行く。
その後ろ姿を静かに見送るウララの横顔を、ヨーダはじっと見つめていた。
「もう良い」
「はい?」
「勝負はもういい」
そう言って地面に大の字に倒れる。大きく息をして
「俺の負けだ」
「あら、いいの? あなたの勝ちを信じてついてきたお仲間さんがかわいそうよ」
「俺の方が力は上だ」
彼の目の前には、青空が広がっていた。
崩れた教会の外壁にゴーディスの紋章が落ち損ねたように引っかかっている。その真ん中には、ヨーダの顔がぼんやりと写っていた。
× × ×
「本当に、それで良いのですか?」
メルダーが確認のため、ウララに聞いた。ゴーディス教会の医務室。衛士隊本部の5倍はありそうな広さにいくつもベッドが並び、ホワンが両肩を包帯で固定されてベッドに上体を起こして2人のやりとりを見ている。
「ええ。ゴーディスの教えをあまりにも素直に取り過ぎたが故に力勝負を挑むものはたくさんいますし、それに伴う騒ぎも多いんです。いちいち気にしてはいられません」
「これだけの被害が出たのに、あの男達を訴えないというのですか?」
「はい。もちろん事の報告はいたします。ですから、後始末は私どもにお任せください」
不満げに唇を噛み、メルダーがホワンとは離れたベッドを見る。そこには治療を受けたヨーダやスワディたちがそろって横になっている。とはいっても、ホワンに比べたら遙かに軽傷だ。
「また同じ事をこの者達が行ったときは、どうされるつもりです?」
「人の教えも、神の教えも、1度では伝わりませんよ」
司祭と言うより、近所のおばちゃんみたいな気さくさで答えられ、メルダーも諦めた。
「わかりました。しかし我々も仕事です。あの者達にあとで聞き取りはさせてもらいます」
「もちろんです。衛士隊のお仕事を邪魔などいたしません。けれど、あの人達は怪我人ですから。怪我人を強く責めるようなことを衛士さんはしませんよね」
「わかりました」
今はこれ以上いっても無駄と悟ったのか、彼は話を打ち切った。それを待っていたかのように、イントルスがルーラたちを伴い、食べ物をのせたワゴンを引いて入ってきた。
「ギガちゃーん」
ホワンが嬉しそうに手を振る。手を振ると言っても両肩を固定されているので肘から先をぴょこぴょこ上げるだけだが。
「見て見て、人形踊り」
動かない肩に合わせるように、肘から先を伸ばしたままカクカク上半身だけで踊ってみせる。私たちの世界で言えばロボットダンスに近い。
「怪我人のくせに遊ぶな。食べるか?」
「食べるーっ」
出された皿からサンドイッチを取り、口に運ぶ。が、肘から先しか動かせないせいで、サンドイッチが口まで届かない。あきらめて皿に戻すと
「ギガちゃん」
彼に向かって、「あーん」と口を開けた。
その意味がわかったのか、彼は口をもごもごさせてためらったが、やがてあきらめたのか
「ほら」
サンドイッチを手にして、食べさせると、彼女は「してやったり」とでも言いたげな笑みを浮かべて口をもぐもぐさせた。
続けて食べさせるイントルスの手が止まる。背後で自分たちの様子を笑い声を殺して見ているクイン達に気がついたのだ。
「何を見ている」
「別に。それにしても、イントルスにこんなかわいい彼女がいたなんて知らなかったな」
「彼女じゃない」
「照れない照れない。いい男レベルが上げ止まるわよ。で、結婚式はいつ?」
「俺は力を磨くので精一杯だ。そんなことは考えていない」
「余裕がなければ上がれないわよ。人間、余裕のない人は現状維持しか出来ないんだから」
「そうそう」
クインの言い草に、ホワンもうなずいた。
今まで静かにその様子を見ていたウララが
「あなたは昔の私にそっくりね」
ホワンに言った。
「どうかしら。あなたもゴーディスの門をくぐらない? あなたならきっと素敵な司祭になれるわ」
「うーん、やめとく」
あっさり答えた。
「ゴーディスさんの教えって、優れた人が上とか、他人と比べてばっかりで疲れちゃう」
「あらあら、痛いところを突かれちゃったわね」
静かにヨーダ達を見る。
「いかなる神も……人の上に神を作らず、人の下に神を作らず」
ふと漏らしたイントルスの言葉にウララは微笑み
「他人を落とすことでしか、自分が上に立てないのは残念な事ね。だからこそ、あなたに来て欲しかったのだけど」
「大丈夫。ギガちゃんがいるよ」
言われて、照れくさそうにイントルスが目をそらした。
「そうそう、頑張れギガちゃん」
お気楽に笑って彼の肩を叩くクインに、ホワンはむっとして
「それダメ。ギガちゃんをギガちゃんって呼んで良いのはあたしだけぇ」
唇を尖らせるその姿に、クインは一瞬呆気にとられ、大笑いした。
「ごめんごめん。今後は気をつける」
「今回は初めてだから許す」
何度も小さく頷く彼女に、クインは照れくさそうに笑みを返した。
ヨーダや男達に挨拶をするウララと、それに付き添うイントルス。
その背中をじっと見送るホワンに、そっとクインがささやいた。
「ねぇ、いいの。あいつ落としたかったら、もっとぐいぐい攻めた方が」
「いいの。相手は手強いから長期戦でいく。かみさまがライバルだから」
静かに微笑むホワンの目が、ゆっくりと開いた。黒飴のような優しく甘い瞳は、イントルスの大きな背中に向けられている。
(第5話 終わり)
主人公の3人娘から離れたサブキャラ話。イントルスにスポットを当てた話で、今後準レギュラーとなる予定の新キャラ・ホワンの登場編です。厳密に言えば、彼女は第3話でちょこっと出ているんですけど。
本編「ベルダネウスの裏帳簿」でも出てくる8大神。今回、その1つであるゴーディスを真面目に取り上げました。
ウブのゴーディス司祭は戦闘力ゼロというのは最初から決めていました。本編でヨーダが勝手に思ったように、「若い頃はかなり強く、今でも短時間ならめちゃくちゃ強い」というキャラにしてしまうと、本当にゴーディスは戦闘力で優劣を決めると思われかねないからです。
8大神といっても、これを書いている時点で出てきているのは交流神サークラー、知識神ラウネ、死神バールド、そして力神ゴーディスの4神。後は名前だけですが愛神チヨンが今回でました。一応設定だけは8大神全てありますので、話が進めば他の神も出てくるでしょう。