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『第4話 ワニゲーター包囲網』

 スターカイン国・ウブの街の東を流れるセンメイ川。その下流、街の外れを少し行ったところで川は大きく西に曲がる。その外側はなだらかな河原が続き、地元の人達がときどき貝や魚を取りに来る。

 ここでは靴貝が取れるのだ。靴貝はその名の通り、見た目が靴そっくりの貝である。ただし、とても人が履ける大きさではなく、昔は小人が落とした靴と思われていた。薄汚れた感じで見た目は良くないが、味が濃く、ただの水でも、これをいくつか煮るだけで、へたな出汁よりいい味が出ると言われている。

 朝、夜勤明けの衛士ルーラ・レミィ・エルティースは寮となっているファウロ・ベーカリー3階に帰らず、ここで靴貝を取っていた。食事のパンは下から運ばれるが、その他のおかずは一緒に住んでいる衛士、スノーレ・ユーキ・ディルマ、クイン・フェイリバースと交代で用意することになっている。

 今夜の担当になっているルーラは、スープにいれる靴貝を取るために来たのだ。店に行けば砂出しや下ごしらえ済みの物が売られているが、それぐらいは自分でやれるし、先日、もらった給料をすべて人にあげてしまった彼女は次の給料日まで金がない。できるだけ安く済ませたかった。ウブに来る前の彼女は、村で男達と一緒に川や山で食べられるものを自分で取っていたので、そのことに抵抗はない。

 ここでは彼女と同じように靴貝を取りに来た人達が2人いた。2人ともまだ子供で、家の手伝いか小遣い稼ぎなのだろう。3人とも膝まで水に浸かり、石の隙間に潜んでいる靴貝を探っている。水は冷たいが、それがなんだか心地よい。足の出現に驚いたのか、小魚や小さな蟹たちが逃げていく。

「こんなものかな」

 取れたばかりの靴貝を木の器に入れる。

「何だよおねーちゃん。それっぽっちかよ」

 ルーラの器をのぞき込んだ子供がからかうように言った。その子の器に入っている靴貝は彼女の倍はある。

「自分たちで食べるだけだから、そんなにいらないの」

 そう答えるが、子供達には負け惜しみに聞こえたのだろう。ニヤニヤしながら自分たちの分を誇らしげに抱きかかえている。

「あれ何だ」

 子供の1人が川を指さした。

 彼女たちが貝を捕っているところから少し離れた川面に、奇妙なものが見えた。くすんだ深緑色で、ゴツゴツとした岩のように見える。ちょっどこちら側に拳大の出っ張りが2つある。水の中はどうなっているのかよく見えない。

「昨日は無かったよな」

 子供達が頷き合う。ルーラはわからないが、子供達がそう言うなら確かだろう。

 好奇心が勝ったのだろう。子供達はその岩らしきものに近づいていく。

 ルーラもそれにつられるように歩き出し、ハッとして背負っていた石槍を手にした。言葉には出来ないが、本能的に彼女はその岩らしきものに危険を感じた。

「2人とも離れて!」

 槍を手に走り出す。

 何だと足を止め、ルーラの方を振り返る2人の子供。その向こうに見える岩のようなものの2つの出っ張りの表面が上下に開き、生き物の目が現れた。

 岩に見えていたのは、その生き物の頭頂部だった。瞬間、水しぶきを上げてそれが子供達に襲いかかる。

 無数の牙が並ぶ大きく突き出た巨大な口を広げ、突っ込んでくる。

 動けない子供達の間を縫って、石槍の穂先が突き出され、その生き物の鼻っ柱と激突した。

 正面衝突、カウンター。驚いたその生き物は弾くようにたじろぎ、後ずさる。

「痛ったぁぁぁぁぁぁぁ」

 槍を握りながらルーラが顔をしかめる。激突の衝撃のせいで彼女の腕も痺れていた。それでも槍は手放さない。

 半ば川から上がった生き物とルーラが対峙する。生き物は四足獣だった。口が前に飛びだし、胴が長く足は短い。頭から体まで、上の部分はいかにも頑強そうな鱗に覆われており、足には水かきのようなものがついている。

 川面を破るように長い尻尾が跳びだし、水を打つ。水しぶきが周囲に飛び、子供達が逃げ出した。

(お願い……)

 震える手で何とか槍を持ちながら、ルーラが穂先に想いを込める。槍の修行をしている彼女も、この痺れた腕では槍を思うように使えない。いや、使えたとしても、目の前の生き物に勝てる自信がなかった。

 ルーラと生き物が睨み合う。目をそらしたらこの生き物は一気に襲ってくる。彼女は目に力を込めながら、穂先に想いを込める。この槍の穂先は精霊石という、精霊と心を通じ合える石で出来ている。

 そう。ルーラは精霊石を通じて自然界の精霊と意思を通じあえる精霊使いなのだ。そしてこの槍こそ、精霊使いの武器であり、精霊と心を通わせる道具・精霊の槍である。

 生き物は、目の前の彼女が自分より弱いとみて、身をかがめた。一気に飛びかかる気だ。

 途端、生き物の周囲の水が一気に引き、大波となって生き物にぶつかった。その勢いで生き物は押し流され、ルーラは急いでその場から逃げ出した。

 生き物が体勢を立てなおした時、すでにルーラも子供達もかなり離れていた。

 諦めたのだろう。生き物は踵を返すと、川の中に戻っていった。

 河原には、靴貝の入った器が3つ。転がっていた。


   ×   ×   ×


「これです。この生き物です!」

 ウブ衛士隊本部。第3隊の部屋で、ルーラは1冊の本を指さした。

 この世界における8大神の1神・ラウネの教会が発行している動物図鑑である。「この世の知識こそが幸福の土台を作る」という教えのラウネ神は集めた知識をまとめた資料を作っているのだ。

 ルーラが指さす先には、あの川で遭遇した生き物の絵が描かれていた。隣のページには同じ生き物が種類別に描かれているが、ルーラにはそこまで種類を特定できない。

「『ワニゲーター』……ワークレイ南部や南島諸国の川邉に生息する爬虫類」

 横からのぞき込んだスノーレが説明文を読む。ワークレイはウブから見て東から東南に広がる国で、アクティブ、スターカインと並ぶ大国である。

「なんでワークレイの生き物がウブにいるのよ? しかも南部って。ウブからどれだけ放れているのよ」

「そんなこと言われても、本当にいたんですから」

「まぁまぁ」

 スラッシュがクインとルーラの間に入り

「それより、そのワニゲーターは人を襲うんですか?」

 一同がスノーレの返事を待った。やはり衛士としてはそこが一番気になる。

「主に水辺に潜み、水を飲みに来た動物を襲います。ただ、もともと移動範囲の大きくない生き物なので、うっかり縄張りに入らない限り、向こうから襲ってくることはほとんど無いそうです」

 図鑑の説明文に書いてある内容を答える。

「移動範囲のせまい生き物が、どうしてここにいるんだ?」

「海をぐるっと回って川を遡ってきたとか」

「ワニゲーターは淡水生物です。長時間の海中移動は無理かと」

「ワークレイとウブが地下水脈か何かで繋がっているとか」

「それなら過去にも同じような事例があると思います」

 一同が勝手に推測を口にするが、次々とスノーレに否定される。

「陸を歩いてきた」

「野生動物って知らない土地への移動はほとんどしません。住みにくくなって移動したなら、何十頭の移動になるから話題になるんじゃないですか?」

「甘いわ」

 クインが立てた指を得意げに揺らし

「このワニゲーターは、方向オンチなのよ!」

 ビシィッと決める。が、

「やはり、可能性としては密輸ですか?」

「どこかで飼われていたのが逃げ出したか」

「買い手に届ける途中で逃げ出したのかも」

 一同は彼女の意見を無視して話し合いを続けていた。

「あたしの話も聞きなさいよ!」

 クインの抗議も届かなかった。

 そこへ事務のモルス・セルヴェイが駆け込んで

「センメイ川で、エルティースさんか見たという怪物が現れました!」

 一同がざわめいた。


 センメイ川。ルーラが遭遇した近くにワニゲーターはいた。

 第3隊が駆けつけた時にはすでに周辺は駐在班の手によって立ち入り禁止にされていた。

 駐在班というのは、街のあちこちにある詰所で待機している衛士のことで、私たちの世界で言えば交番のおまわりさんである。本部勤めの隊に比べ権限は小さいが、地元と密着しているので管轄内のことについてはずっと詳しい。

「うかつに近づくな。へたに刺激して逃げられたら厄介だ」

 第3隊隊長メルダーが見回る衛士達に注意して回る。

 上空では、魔導師であるスノーレが飛行魔導で周囲の動きを見張っている。いつものように、浮かせた魔玉の杖に横座りしている形だ。一見不安定のようだが、魔力でバランスを取っているため滅多なことでは落ちない。

 川辺に近い川面には、先日ルーラたちが見つけたように、頭半分だけ水面に出した格好で、ワニゲーターがじっとしている。知らなければただの岩だと思うだろうほど動かない。

 川岸でメルダーは部下たちとともにワニゲーターの様子を見ながら

「水の中にいる限り、こちらもそうは手が出せないな。スラッシュ、一発で仕留められるか?」

「当てることは出来ますが、あの表皮は硬そうですし」

「攻撃魔導も水の中では半減するというしな」

 腕を組み、じっとワニゲーターを見つめる一同。

「ルーラ。前にやったように、川の流れを止めてワニゲーター周囲の水をなくすことは出来ない?」

 クインが言うのは、初めて彼女が衛士として参加した一件(第1話)のことだ。彼女はあのとき、川の流れを一時的に止め、水をなくして犯罪者たちの乗る船を倒している。

「ほんの短い間ならともかく、ワニゲーターと戦う間ずっと流れを変えるのは無理です。水の精霊が嫌がります」

 自然界にとって、生き物同士の争いなど当たり前すぎていちいち干渉する気はない。精霊使いである彼女が頼めば、少しぐらいは変えてくれるかも知れないが、ずっとそれを続けるのは「面倒くさいからヤダ」なのである。

「だったらそれはナシだな。戦っている間、時間切れで水が戻ったら我々全員やつのエサだ」

 そこへ駐在班の1人が男を1人ともなって歩いてきた。

「ラウネ教会の方がお見えになりました」

 男は帽子を脱いで

「ラフカディオ・ブランチェです。ラウネ教会で南国動物の研究をしております。もっとも、今は資料整理が中心ですが」

 メルダーと握手した。見たところ30歳前後。日に焼けたがっしりした体は、学者肌の多いラウネ教会の人にしては珍しい。紙の資料をまとめるより、現地を駆け回る方が得意なタイプなのかも知れない。

「まずは確認して頂きたい。あれはワニゲーターで間違いありませんか? 我々は実物を見たことがないので」

 川面に出ている分部を指さす。

「ええ、間違いなくワニゲーターです。細かい種別まではここからはわかりませんが。遠巻きにしているのは正解です。水辺の戦いで人間はワニゲーターに勝てません。でも、どうしてワニゲーターがここに?」

「調査中です。しかし、我々としてはどうして奴がここにいるかより、奴をどうするかの方が重要です。犠牲者の出ないうちにやつを処分したいのです。そのためにあなたの知識をお借りしたい」

「処分ですか……」

 ブランチェはもったいなさそうに川面のワニゲーターを見、

「私としては、できれば生け捕りにしてほしいのですが」

「ラウネの方らしいご意見ですが、それをする余裕が我々にはありません。あれが最後の1匹というならまだしも、ワークレイ南部などにいけばいくらでもいるのでしょう。犠牲者が出る危険を冒してまで生け捕りにする理由はありません。それに、生け捕りにしたとして、狭い檻にずっと閉じ込めておく気ですか」

「それなら良い場所が……いや、失礼。処分についてはお任せします」

 無意味と悟ったのか、彼は軽く首を横に振ってこの話題を打ち切った。

「ここから見える部分は硬い外皮に覆われています。生半可な剣や矢では傷つけることは出来ません。現地の人達は毒を使うことが多いですが」

「毒物の使用には上の許可がいります。他には?」

「目をつぶすという手もありますが、実際にやるのは難しいです」

 川面のワニゲーターを指さし、

「ここからは見えませんが、体の下の部分、お腹ですね。そこはいくらか柔らかいので、狙うとしたらそこです。ただし、柔らかいといってもあくまで外皮に比べてですが。水にいる限り、倒すのは難しいのでなんとか陸上にあげないと」

「陸上では腹ばいのように移動するので、かえってお腹を狙うのは難しいのでは」

「しかし動きは鈍ります。人が歩くよりは速いですが、走るよりは遅い。対処法がぐんと増えます」

 メルダーと話している彼を、少し離れてクインがじっと見ていた。

「どうしました?」

 ルーラが聞いてみると

「彼……良い男ね」

 ぽっと頬を染める。周囲の人達が一斉に「またか」とため息をついた。

「あ、あの」

 クインがブランチェに歩み寄り

「私たちはワニゲーターについてはほとんど知りませんので、メルダー隊長と一緒に指揮を取って頂けませんか。私たちはそれに従い動きますから。あ、私、クイン・フェイリバースといいます」

「あ、はい。よろしく」

 彼に握手された手を、嬉しそうにニタニタ笑って見る彼女の姿に、メルダーはしかめた顔を手で覆った。

 そこへ

「船が来ます!」

 駐在班の1人が川下を指さした。

 船縁が川面近くになるまで荷物を満載した、6人漕ぎの小船が川を上ってくる。気がついたのか、ワニゲーターの顔がゆっくりと船に向く。

「スノーレ、船を止めろ!」

 彼女が船まで飛んで、甲板に下りる。

「衛士隊です。現在、河川の交通は禁止されています。船を止め、静かに戻ってください」

「冗談じゃない。こっちは急ぎの荷物なんだ」

 船長らしき男が彼女に食ってかかる。船員達は進もうかどうか迷って櫂を漕ぐ手を止めた。船が揺れ、それが波紋となってワニゲーターに届く。

 静かにワニゲーターが船に向かって動き始めた。小船はワニゲーターよりふたまわりほど大きい程度だ。

「船を襲う気だ」

「正確には船に乗っている人間でしょうね」

 気がついても、メルダー達には打つ手がない。

 スラッシュが弓を構え、矢を放つ。命中するが、頭の鱗に弾かれ川に落ちる。ワニゲーターは気にも留めずゆっくり船に近づいていく。

「離れて!」

 スノーレが指さす方を見て、船長もやっとワニゲーターに気がついた。

「漕ぐの止め、戻れ!」

 叫ぶがもう遅い。ワニゲーターはすぐそばまで来ている。

「ルーラ、風で俺を船まで飛ばせ!」

 愛用の、彼の信仰する力神ゴーディスの紋様が刻まれたメイスを構えたギガ・バーン・イントルスが叫んだ。

「運びます!」

 いくら何でも彼だけ飛ばすのは無茶だと判断、ルーラは彼にしがみついて風の精霊に意思を伝える。

 突風が吹いて2人を河川から船に向かって飛ばす。ワニゲーターの頭上を飛び越え、船の甲板に転がるように着地する。

 ワニゲーターが川面を吹き飛ばすような勢いで船に向かって飛びだした。

 船長に向かって大きな口を開け、無数の牙をむき出しにする。

 悲鳴を上げる暇もない船長の前に、起き上がって突っ込んできたイントルスがメイスを構えてかばうように立つ。

 食らおうと飛びかかるワニゲーターの口に、立てたメイスを突っ込んだ。

 それがちょうどつっかえ棒のようになり、ワニゲーターは口を閉じられない。足をばたつかせるが、こんな姿勢ではうまく動けない。そこへイントルスが飛びかかり、ひっくり返すように腹を川辺に向けさせる。

「スラッシュ!」

 返事代わりに、スラッシュが立て続けに矢を放つ。そのすべてがワニゲーターの腹に突き刺さる。が、ダメージを与えた様子はない。

 すさまじい勢いで体を震わせ、イントルスを振り払おうとする。第3隊の中では一番の巨体である彼が、まるで幼児だ。

 たまらず船員たちが荷物をほっぽって、逃げるように川に飛び込んでいく。

 ついにイントルスが振りほどかれ、甲板に叩きつけられた。さらに前足で踏みつけられる。爪が食い込み、彼の胸から血が吹き出た。

「イントルスさん」

 槍を構えるルーラめがけて、ワニゲーターが口に挟まっていたメイスを吐き出した。飛んでくるメイスをルーラが槍で弾く。

 スノーレが攻撃魔導を発動! 杖先端の魔玉を指でつまむようにして引くと、魔玉と指の間に魔力の矢が生まれる。橙色の炎の矢。

「魔炎・一線!」

 指を離すと炎の魔導矢がワニゲーターを直撃! しかし、魔力を練る間もなく放ったため威力が弱い。身を激しく震わせて炎を散らすと、そのまま川に飛び込んだ。

「助けてくれ!」

 さっき飛び込んだ船員が悲鳴を上げた。ワニゲーターがまっすぐ彼に向かっていく。

 ルーラが風の精霊にお願いして空を飛ぶと、そのまま船員を拾い上げてる川辺まで移動させる。

 船の甲板では、血まみれのイントルスにスノーレが

「大丈夫。治癒魔導をかけます」

 淡く光る魔玉を彼の傷をなでるように動かしていく。傷を治そうとする肉体の治癒力を一時的に魔力で増幅させるのが治癒魔導で、このような外傷には高い効果を発揮する。

「やつが移動するぞ。町に入れるな!」

 船員たちを食べ損ねたワニゲーターは、邪魔が入ったこともあり、狩りの場を変えることにしたのだろう。上流……町に向かって泳ぎ出すと、その体を水中に没した。


   ×   ×   ×


 ベルを鳴らしながら新聞の売り子が号外を売り歩く。

「ウブの町に現れたワークレイの魔獣ワニゲーター。衛視隊を返り討ち!」

「水に潜み、人を喰らう恐怖の怪物ワニゲーター。衛視隊の追跡を振り切って、やつはいったい今どこに?」

「詳しいことが知りたきゃ一部10ディル!」

 あちこちで号外が飛ぶように売れる。昼の出来事を、半日で記事にして刷り上げたのだ。中にはかなり想像混じりの記事もあり、挿絵のワニゲーターが人型、2本足で立って巨大な斧を振り回している。なんてのもある。


「人間の想像力ってのはたくましいものだ」

 出された号外を一通り購入、机に広げた東地区衛士隊長トップスが他人事のように笑う。彼が手にした号外には、暴れ回る人型のワニゲーターの挿絵があった。

「申し訳ありません」

 メルダーが頭を下げる。

 衛視隊本部。東地区衛士隊長トップスの部屋で、彼は今日の失敗を報告していた。

「見たこともない生き物を相手にしたんだ。多少の手抜かりは仕方がない。イントルスの具合はどうだ?」

「あばら骨が折れかけましたが、治癒魔導が早かったせいで命に別状はありません。明後日には復帰できるとのことです」

「骨折もどきが2日で回復か。さすがだな。だが、治りたてに無理はさせられん。イントルスは作戦から外せ。ワニゲーターとやらの行方はどこまでつかめている?」

「B2出口の鉄格子が壊され、折れた矢が引っかかっているのが発見されました。スラッシュが奴の腹に打ち込んだもので、ここから地下水路に逃げ込んだとみて間違いないようです」

「やっかいなところに逃げ込んだな。地下水路はウブの町全域につながっている。やつは神出鬼没の通り魔と化すぞ」

「それについてブランチェ氏は、やつが地下水路の鼠や魚を取るようになれば、かえって外には出なくなる可能性を指摘しています。水路のあちこちに肉を置いて、奴を飢えさせないという案も出ています」

「食い物があれば満足か。しかし、このままにしておく訳にはいくまい。地下水路は定期的に点検や整備が行われている。その人たちが襲われる可能性がある。そうでなくとも、足下に怪物がうろついているようでは落ち着いて生活できる人はいないだろう」

「現在、水路からの出入り口を塞いで奴を外に出ないようにしております」

「今はそれしかないか。そうだ、肝心なことを忘れていた。ワニゲーターは夜行性なのか?」

「活動はもっぱら昼間で、夜はほとんど動かないそうです」

「そうか……」

 窓の外を見る。日が暮れかけていた。


「ここです」

 ブランチェが指さしたのは、ウブではちょっと知られた富豪ナンの屋敷だった。若い頃は南島諸国との貿易でかなりの財を成した彼は、50歳で引退。ここに屋敷を構え優雅な隠居生活をしていた。

「聞いたことがあります。屋敷の一角をそのまま南の植物園にしているって」

 クインが建物を見上げていった。

「植物園というのは大げさですが、建物の1つを特殊な作りにして、南島諸国とほぼ無同じ環境にしているんです。私たちラウネ協会にとってウブにいながら南の植物を直接知ることの出来るありがたい施設です。ここなら一時的にワニゲーターを保護することが出来るでしょう」

 彼はやはりワニゲーターの捕獲が諦められないというので、保護する施設としてここを紹介したのだ。それで、実際に施設を見て確かめようというので、彼の案内でクインとルーラ、事務方のモルス・セルヴェイがやってきたのだ。

 有料ではあるが、一般に開放しているせいか、植物園の職員は同じ作業着を身につけ、胸には金属のネームプレートをつけている。

 屋敷の主ヴァチィーナ・ナンは50代半ばだが、見た目は30代に見えるほど若々しく、張りのある顔をしていた。ルーラに負けないぐらい日に焼けた顔はいかにも健康そうだ。引退はあまりにももったいないように見える。

「うちの植物園がワニゲーター保護に役立つなら、喜んで提供しよう。あまり広くはないが、1頭ぐらいなら何とかなる」

 彼に案内されて植物園に入ると、

「うわぁ、すごい」

 ルーラが感嘆の声を上げた。彼女が見たことのない植物が敷地いっぱいに生い茂っている。通路にって植えられた植物はカラフルな花を咲かせ、3階ぐらいの高さのある木には見たこのない実がなっている。

「南の気候を再現しているんだ。さすがに現地と同じとはいかないが、なかなか見事なものだろう」

「植物だけですか? 虫や動物は? 虫はともかく、動物はワニゲーターが食べてしまうかもしれません」

「できれば動物も連れてきたかったが、さすがにそこまではな。だから今回の申し出は私にとってむしろありがたい。いや、失敬。ありがたいは不謹慎ですな」

「本音はいつでも不謹慎なものですよ」

 セルヴェイが受け流すの尻目に、ルーラは興味津々で木々を見上げている。

「見たこともない木ばっかり。あの実って食べられるんですか?」

 はしゃぎながら木の上を指さすと。その先には人の頭ぐらいありそうな黄色い実がなっていた。

「まだ無理だな。あと20日ほどすれば、中の果肉が熟してどろっとしたジュース状になる。リンゴに似た味で美味いぞ」

「うーん、残念」

 他にも何かないかなと植物の間を潜り込んでいく。

「随分若いが、あの子も衛士なのか?」

「ええ。北の生まれなので、南の植物が珍しいのでしょう」

「かまわん。好奇心は人生を豊かにする」

 ウブでは見られない木々の中、クインとブランチェが並んで歩いている。

「申し訳ありません。私たちの知識欲のために、余計な手間をかけさせてしまい。しかし、ラウネの教えを守る身として、知識を得る機会に背を向けることは出来ないのです」

「申し訳なく思うことはありません。この街に居ながらにして、遠くに住む生き物を見ることが出来る。それに心を動かされるのは当然です。私たちも衛士としてできるだけ協力します」

「ありがとう。でも無理はしないでください。隊長さんにも言われましたが、あれが最後の1頭というわけじゃない。何人もの犠牲と引き換えには出来ません。命があれば、新たな知識を得る機会は来ます」

 彼女の肩に手を置き、真剣な目を向ける。目のあったクインの頬が染まった。

「いい男レベルがひとつ上がった……」

「え?」

「いえ、こっちのことです」

 照れくさそうに手を振る。その時、そばの草むらがガサガサ鳴り揺れてルーラがひょいと顔を出した。

「ちょっと、脅かさないでよ」

「ごめんなさい」

 軽く頭を下げるが、何か難しい顔をしている。

「どうしたの?」

「いえ、別に……」

 困ったように胸を押さえる。その様子を見たブランチェの目が険しくなったが、クインは気がつかなかった。

 そこへセルヴェイが駆けてくる。

「クインさん、ルーラさん。ワニゲーターが出ました!」

 途端、2人の顔が険しくなる。

「すみません。打合せは改めて」

 ナンとブランチェを残して3人が駆け出す。その姿が見えなくなると、ブランチェは真剣な顔でルーラが出てきた茂みに入っていく。


 屋敷を出たルーラは走りながらそっと

「セルヴェイさん……ちょっと、見てほしいものがあるんですが」

 そっと服の中から紙に包んだものを取り出す。

 何だろうとクインとセルヴェイが見る中、ルーラが紙から取りだしたもの。

 それは1枚の葉っぱだった。


 ウブやや中央寄りの東部。繁華街の1つ、フヤ通りの河川敷。いつもなら仕事を終えた人達で賑わう夜だが、今はそんな晴れやかな姿ではなかった。屋台はたたき壊され、あちこちでは怪我人が治療を受けている。

「ひどいもんだ」

 惨状を見回し、メルダーがつぶやいた。駆けつけてきたルーラたちも、心配そうに周囲を見回している。

「ワニゲーターって、夜はおとなしくしているんじゃないんですか?」

「これだけ明るいんだ。昼間と間違えもするさ。屋台がいくつも出て、食い物も溢れているしな」

 繁華街だけに、一帯は店の明かりで照らされ、ランプなしで歩けるほどだった。

「現在確認されている人的被害は、死者はなし。重傷者5名。うち1人は右腕を食われています」

 スノーレの報告にメルダーは眉をひそめ

「人の味を覚えたか……やっかいだな」

「それが……目撃者の話では、屋台などの食い物には目もくれず、人ばかり狙っていたそうです」

「人の味をすでに覚えていたということか。以前の被害報告は?」

「人が食われたという報告はありません。もっとも、死体も残さず食われたため、発見されなかっただけという可能性はあります」

 いきなり周囲がざわついた。

「ワニゲーターだ!」

 野次馬の1人が川を指さすと、そこには紛れもないワニゲーターの頭部がのぞかせて川辺の様子をうかがっている。

 悲鳴が上がり、野次馬が一斉に逃げ出した。怪我人を抱えて衛視が川から離れ、店員たちが片付けを放り出して逃げ出す。

 威勢の良い野次馬の何人かが、石をワニゲーターめがけて投げ始める。そのひとつが当たり、何だとばかりにワニゲーターが顔を向ける。石を放りだして逃げ出す野次馬たち。

「牽制しろ!」

 メルダーの命令でルーラが精霊の槍に意識を集める。穂先の精霊席を介して周囲のかがり火に宿る精霊たちにお願いする。

 かがり火が紐のように伸び、ワニゲーターの鼻先をかすめる。さすがに驚いたのか、ワニゲーターも泳いで火から離れる。向かう先には地下水路への出入り口があった。普段は鉄格子で閉ざされているはずだが、今はものすごい力でひしゃげていた。

 飛び道具を持っている衛視たちが一斉に攻撃する。矢が、炎や雷の攻撃魔導がワニゲーターに浴びせられる。が、これといったダメージを与えることも出来ないまま、ワニゲーターはひしゃげた鉄格子を乗り越え、地下水路へと潜り込む。

「逃がすか! 奴を追え。ただし攻撃はするな。刺激せず、奴を見張るんだ」

「わかりました!」

「私も行く!」

 ルーラとクインが地下水路への階段を駆け下りる。2人が水路に入ると、中から淡い光が漏れ出す。ルーラが光の精霊に頼んで中を照らしてもらっているのだ。

 光が水路の奥へと入っていくのを見届けたメルダーは、

「ぐずぐずしてはいられない。夜間の営業及び外出禁止令を出してもらわないと」

 怪我人のうめき声と壊された店の残骸に囲まれながら、苦々しくつぶやいた。


 光の精霊に包まれてルーラとクインが地下水路脇の歩道を進む。光の精霊による灯りは特定の光源を持たない。空間全体が辺りに包まれるため影がほとんど出来ないため、慣れないと視界がおかしく感じる。ルーラは慣れているから良いが、クインは何度も瞬きをしては目頭を押さえる。

 ウブの地下水路は、他の町に比べて整備が行き届いているが、それでもあまり良い環境ではない。汚れや異臭が漂う、用事がない限りは入りたくない場所だ。

「この灯り大丈夫? 明るいからって、私たちを食べようって襲ってくるかも」

 油断なくサーベルを構えながらクインが問いかける。

「野生動物って、基本的にこちらから手を出さなければめったに襲ってきませんけど、今のワニゲーターは気が高ぶっているみたいだから」

 川面に視線を向けながら慎重に進む。

 光に照らされて、鼠が数匹逃げていった。

「クインさん。地下水道で、川以外への出入り口ってどれぐらいあるんですか?」

 地下水路には、センメイ川の他にも、数カ所地上へ繋がる出入り口がある。中には非常用の出入り口として地下水路とつなげてある建物もある。

「さあね。この間のショーセッカ商会みたいに、おおっぴらに出来ない運搬用にこっそりつなげているところもあるし。把握しきれないわね。でも、そういう所は勝手に出入りできないようしているから、ワニゲーターもそうは使わないんじゃない」

 地下水路には所々地上のどこに当たるのかを示す標識がある。それを確認しながら2人が進む。

 曲がり角で足を止め、そっと角の先を伺う。

「いました」

 角からちょっと顔を出すと、隅の方でワニゲーターが通路部分に上がりじっとしているのが見えた。

「寝ているのかな?」

 ワニゲーターは静かに頭をもたげ、水しぶきを上げて水路に潜る。水路から出ている頭頂部が2人から遠ざかっていく。

 静かに追いかけると、さきほどワニゲーターがじっとしているところに、大量のどろっとした異臭を放つ塊があった。

「……ウンコしてたみたい」

 さすがに顔をしかめるクインだが、ルーラは真剣な顔でワニゲーターの糞を見ている。

 何かを見つけたのか、ルーラは槍で糞から何か小さな板のようなものをほじくり出した。

「ちょっと、何しているのよ。汚いわね」

 しかしルーラはかまわず、その糞まみれのものをつまみ、水路で洗い始めた。

「これ、何だと思います?」

 それは、薄い鉄の板だった。


   ×   ×   ×


「それでは、作戦内容を改めて説明する」

 衛士隊本部会議室。ナンとブランチェ同席の中、ウブ東地区の各隊隊長たちが、地下水路図を載せた大きなテーブルを囲んでいる。

 東地区衛士隊長トップスが皆を前に

「作戦は基本的にワニゲーターをD6区にあるナン植物園に導くことだ」

「植物園には地下水路への通路があるのですか? ワニゲーターが通れるほどの」

「園内の池の給排水用に作ったそうだ。整備用の通路はワニゲーターも通れる幅がある。そこを使って園内に入れれば、生息地ほどではないがそこそこ住みやすい環境、餌もある。妙な刺激さえしなければおとなしくなるだろう」

「なりますか?」

「ならないようなら、総攻撃でワニゲーターの息の根を止める」

「仕方がないな」

 ナンが不満げに各隊長を見回し、

「園内はめちゃくちゃになるだろうが、仕方ない。ただし、修繕費は衛士隊で払ってもらうぞ」

「ワニゲーターをそこまで導く方法だが、囮役の衛士が刺激し、ワニゲーターを追わせる。動きが鈍いようなら攻撃魔導で誘導する」

「囮役は、うちのルーラとスノーレが担当します。2人ともワニゲーターと接触していますし、空が飛べる」

 メルダーの言葉に

「地下水路のような限られた空間で、飛行魔導を使って大丈夫ですか?」

「スノーレは過去の事件で地下水路での飛行追跡を経験しています。ルーラは精霊使いです。いざというときは精霊の力で逃げることが出来るでしょう」

「わかりました。かなり困難とは思いますが、よろしくお願いします」

 ブランチェが一同に頭を下げる。


 地下水路。

 かすかな街灯が頼りという薄暗い中、水路の隅を丸々太ったネズミが一匹進むのを、そばの水面からいきなり飛び出したワニゲーターが巨大な口で襲いかかる。跳ねるように逃げるネズミをワニゲーターの歯の一本が捕らえた。引っかけるようにネズミを宙に放り上げ、落ちてきたのを丸呑みする。

 ネズミ一匹では腹の足しにならないのか、ワニゲーターは再び身を水に沈め、餌を求めてゆっくりと動き出した。

 それを遠くから見ているルーラとスノーレ。

 視線を横道に向けると、角の向こうからクインが顔を出し、両手で大きく○を作って見せた。彼女の隣にいるスラッシュの手には、大型のボウガンが握られていた。並の弓ではワニゲーターの外皮を貫けないというので、軍から借りてきたものだ。いつもなら百発百中どころか万発万中の腕を誇るスラッシュだが、さすがに使い慣れない道具は不安らしく表情が硬い。

「行くわよ」

 スノーレが杖を腰辺りの高さで横にする。杖の先端にある魔玉が淡く光ると、彼女はまるでベンチに腰掛けるように杖に座る。足を床から離しても落ちない。まるで空中に固定された杖に座っているようだ。そのまま彼女が座ったまま杖がより高く浮かぶ。

 飛行魔導。魔導師ならば誰でも1度は習得しようとする人気の高い魔導である。ただし制御が難しく、大半の魔導師は「魔力で自分の体を放り投げる」レベルの飛び方である。勢いはあるがスピードの調整や方向転換、着地が難しく、壁や地面に激突して大怪我したり命を落とす魔導師も多い。

 だが、彼女は違う。飛行魔導で難しいとされる「ゆっくり飛ぶ」「空中停止」「静かにその場で着地」をほぼ完璧にこなす。自分以外の重い荷物を乗せて飛ぶことも出来る。あまり話題にならないが、彼女は飛行魔導においては、ウブの魔導衛士で1番なのだ。

 2人がワニゲーターに向かって進み始める。スノーレは地下水道の中央を飛び、ルーラは脇の歩道を歩いて。

 ルーラの飛び方は風の精霊に自分を運んでもらうという、先ほど説明した「魔力で自分を放り投げる」の魔力が風の精霊に変わっただけである。ただ、風の精霊は彼女をそれなりに大切に扱うので魔導師ほどひどくはない。が、丁寧さに置いてはスノーレの飛び方には及ばない。ましてや、飛ぶときは風の精霊が周囲を渦巻くため、周囲は突風に見舞われる。こんな限られた場所で飛ぶのは正直避けたい。それでも彼女が囮役になったのは、魔導と違って発動時間が必要ないため、一瞬で飛ぶことが出来るからだ。

 ワニゲーターの動きが止まる。水面から頭頂部をちょっとだけ出して2人を静かに見つめている。2人が攻撃範囲内にくるのをじっと待っているのだ。こうなるとワニゲーターは微動だにしない。知らなければゴツゴツした岩にしか見えない。

 静かにスノーレがルーラとは反対側の歩道付近に移動し、高度を下げる。水面にいるワニゲーターを左右で挟む形になる。

 ルーラの周りを風の精霊がそよ風となって舞った。

 ワニゲーターがどちらを狙うか? その目は細めてどちらを見ているかわからない。

 スノーレの杖を握る手が汗でにじむ。

 唾を飲み込むルーラの頬を風が撫でる。

 一応、2人ともブランチェからワニゲーターの攻撃範囲を聞いてはいるが、自身の経験はほとんどない。理屈よりも本能がものを言う状況だ。

 離れた場所で様子を見るスラッシュがボウガンを構え、まだ必要ないのにクインがサーベルの鯉口を切った。

 ルーラたちを照らす光の精霊の範囲がかかるのが、昼行性のワニゲーター行動の合図だった。

 飛び跳ねるように大口を開けたワニゲーターがルーラに襲いかかる!

 風が吹き、無数の牙を生やした口から奪うように彼女を後方に弾き飛ばす。

 攻撃が空振ったワニゲーターは、瞬時に目標をスノーレに移す。

 だが、彼女は既に攻撃範囲のギリギリ外に後退している。

 全身に距離をつめてスノーレに襲いかかる。彼女はわずかに後退してそれをしのぐ。

 ワニゲーターが前進する分、スノーレは後退する。攻撃を諦めるほど離れることは出来ない。近づきすぎては食われてしまう。水しぶきを上げながら彼女は飛行魔導に集中し、食われず諦めさせずの距離を保つ。

 少し離れすぎたのか、ワニゲーターが追撃の足を止める。と、脇からルーラが跳びだす。目の前を横切ろうとする彼女にワニゲーターが襲いかかる。が、先ほど同様寸前で風の精霊が彼女を飛ばす。

 その間にスノーレが間合いを詰め、再び囮となる。

 追いかけっこ再開。このままワニゲーターをD6地区まで誘導しなければならない。


「ワニゲーターD3地区に入りました!」

 ナン植物園地下。地下水道との出入り口。待機している衛士隊第2隊に報告が入る。

 第2隊隊長のユーバリは満足そうに頷き

「そろそろ光が見えるぞ。準備はいいか」

 周囲の衛士達が同時に「はい」と返事する。ナン植物園に通じる階段の前は、他に比べて通路に幅がある。地下水路の点検や清掃員の出入りをここで行うためだ。もちろん普段は扉で閉ざされ、頑丈な鍵がかけられているが、今は扉が開け放たれている。

 その階段に座っている虎猫が一声鳴いた。第2隊の魔導師オレンダの使い魔アバターである。ワニゲーターがここまで来たら、誘導役をルーラたちからバトンタッチすることになっている。

「何とか階段まで誘導できれば」

 ナンとブランチェが緊張の面持ちでつぶやいた。狭い階段に入ってしまえば、あとは下からの一斉攻撃で上まで追いやれると見ているのだ。

 実際、そのためにここには第2隊の他、応援の魔導師達が待機している。矢よりも火炎魔導による攻撃の方が効果的と判断したのだ。

「見えました!」

 見張りの衛士が指さし叫ぶ。水路の奥で精霊の光りがおぼろげに見える。

 ワニゲーターの咆哮が、水路の壁に反響しながら聞こえてくる。


 D5のプレートが貼られた壁をルーラとスノーレが通過し、ワニゲーターが追う。

「あと少し!」

 息を切らしながら歩道を、宙を翔るルーラとスノーレ。緊張感が移動距離以上に2人の体力と精神力を消耗させていた。

 進む先に、第2隊の灯りが見えた。それが彼女たちに力を呼び戻す。

 が……

 突然ワニゲーターが動きを止めた。

 2人を追うのを止め、水路の中央で頭を水面に浮かべながら、じっと前を見つめている。

「あれ?」

 ルーラが足を止めた。息を整えながら振り返る。

 間合いを広げすぎたかと、注意しながらワニゲーターに近づいていく。

 すると、いきなりワニゲーターがくるりと向きを変え、水路を戻り始めた。

「どうして?!」

 その動きに困惑したのは第2隊も同じだった。

「援護に行け。計画を捕獲から攻撃に切り替える!」

 ユーバリの指示に、その場の衛士達が水路に駆け込んでいく。

「ルーラさん!」

 オレンダがアバターと共に全速力で走って行く。

 唖然とするナンとブランチェに

「こういうことになりましたので、ワニゲーターの捕獲は諦めてもらいます」

「なんで戻ったんだ?」

「誘導が不味かったんじゃないのか?!」

 不満を口にする2人に

「我々としても初めての任務だ。完璧を求められても困る」

 階段を上がっていくユーバリがふと足を止めた。

「……これは……」

 中腰になって階段脇の壁を見た。

 そこには、新しい、太い刃物で削ったような傷が数本ついている。ユーバリの顔が険しくなり、改めて扉を見る。鍵が新しかった。


 水路は戦場になっていた。

 あのまま戻るのかと思われたワニゲーターだが、ある程度下がったところで再び攻撃に転じた。しかもただ攻撃するだけではない。水路の角を曲がったところで水に潜り、追っ手が角を曲がったタイミングで襲いかかったり、囮役として逃げる体制を整えたルーラやスノーレを無視して、一気にその後ろにいる攻撃役に挑んだり

「こいつ、頭を使っている!?」

 力は強いが頭は弱いと考えていた衛士達は翻弄された。

「みんな下がれ、攻撃魔導が使えない!」

 後方の魔導師達が叫ぶ。乱戦に近い現状では、うかつに攻撃魔導を使えば仲間に当たる。

 いきなりワニゲーターが吠えた!

 地下水路の中で反響し、衛士達の耳を襲う。たまらず彼らは耳を押さえ動きが止まる。

 そこへ襲いかかるワニゲーター!

 狙われた衛士は動けない。間に合わない。

 そこへ衛士達を縫うように1本の矢が飛び、ワニゲーターの右目に突き刺さった! これにはワニゲーターもたまらずもんどり打って歩道に倒れ込む。

 そこへ第2、第3の矢がワニゲーターの腹に突き刺さる!

「スラッシュ!?」

 スノーレが矢の飛んできた方を見ると、そこには4本目の矢がセットされたボウガンを構える彼の姿が。皮肉なことに、ワニゲーターの咆哮が乱戦の衛士達を止め、彼が矢を射る道を作り出したのだ。

 放たれた4本目の矢が衛士達の間を縫ってワニゲーターの前足に命中する。

 そこへサーベルを構えたクインが突撃、渾身の一撃を叩き込む! が……

「固ぁ~っ」

 外皮は傷つかず、逆に彼女の手が痺れる始末。痛みで暴れるワニゲーターに払われるように吹っ飛ばされる。

 咆哮と共にワニゲーターが矢の刺さった前足を持ち上げ、床にたたきつける。その勢いで刺さった矢が足を貫通、反対側から飛びだし、下水に落ちた。

「まさか?!」

 唖然とする衛視の前で、ワニゲーターは思いっきり上半身を立ち上げ、倒れるように床にたたきつける。先ほどの前同様、刺さった矢が貫通して背中から飛び出し、水路に落ちた。

「自分で矢を抜いた?!」

 衛士達にとってそれは驚きだった。

 動きの止まった衛士達を尻目に、ワニゲーターは水路に飛び込み、衛士達を蹴散らすようにしてその場から逃げ出す。

「追え!」

 叫んだのは駆けつけたメルダーだった。

「第3プランを行う。奴をただの動物と思うな。奴は……」

 抜け落ちた矢を拾い上げ、

「強敵だ」

 苦々しくそれをへし折った。


 火炎魔導で牽制しながら、衛士達はワニゲーターをセンメイ川への出口へ誘導する。だが、その出口は鉄格子で塞がれ出られない。第3プランとは、そこへ追い込み、逃げ場をなくした上で一斉攻撃をかけるというものだ。もちろん、追い込む出口の鉄格子は通常の鍵の他、壊れないよう鎖やロープで補強されている。

「奴は疲れている。もう少しだ! 右側から攻めろ」

 メルダーの言葉通り、ワニゲーターの動きは少しずつではあるが鈍くなっていた。先ほど力業で矢を抜いたのが堪えているらしい。しかも右目をスラッシュの矢でつぶされている。だが、疲れているのは衛士達も同じだ。

「大丈夫。後は任せて下がったら?」

 クインが水路の壁にもたれて肩で息をしているスノーレに声をかける。彼女はもうほとんど魔力が残っていない。

「大丈夫……あと2、3回なら攻撃魔導を撃てるわ」

 水路の後方に目をやると、離れたところでルーラが精霊の槍の穂先を水路に突っ込んだ形で待機している。

「魔導師達の配置が完了しました」

 駆けてきた衛視の報告にメルダーが頷き

「よし、衛士達を下がらせろ」

「全員攻撃後に退避ーっ!」

 それを合図に、衛士達が一斉に攻撃、目当ての水路のワニゲーターを足止めして退避した。

 ルーラが精霊の槍を通して水の精霊に語りかける。それを聞いて、ワニゲーター周囲の水が一斉に引いた。

 戸惑いを見せたワニゲーターめがけて、引いた水がまとめて津波となって押し寄せる。この勢いで出入り口の格子に叩きつけ、動きを止めると同時にダメージを与えようというのだ。

 センメイ川側で待機している魔導師達が、水の音に攻撃魔導の準備をする。

 津波から逃げようとするワニゲーターの行く手を、補強した鉄格子が塞いでいる。

 が、ワニゲーターは足を止めるどころか勢いを増して鉄格子に突っ込んでいく。

「まさか!?」

 津波が自身と重なるタイミングでワニゲーターが格子に思いっきり体当たり!

 巨体の全力体当たりと津波の力が合わさり、補強した鉄格子を破壊する! 格子を埋め込んだ壁が崩れ、川に向かって歪んだ鉄格子が倒れ込む。その勢いのまま、ワニゲーターが川に飛び出す。

「いかん、逃がすな!」

 河川岸の魔導師達が、次々と攻撃魔導を浴びせる。が、大量の水に守られたワニゲーターには火炎魔導は届かず、電撃魔導も水に散らされ半減する。

 このまま逃げられるのか?! 衛士達に顔に焦りが見えたとき、風の音と共に地下水路の出入り口から2つの影が飛び出す!

 風の精霊を纏うルーラと、クインをぶら下げたまま飛行魔導で飛ぶスノーレ。

 ルーラがそのまま上流に突っ込む。と、川の水が彼女の落ちたところから2つに割れ、川底をむき出しにしていく。それが下流に広がり、ついにワニゲーターの周りの水も引いてなくなる。

 戸惑うワニゲーター。

 その真上にスノーレが達したとき、クインが飛び降りた!

「いくらあんたの皮膚が硬くても!」

 切っ先を下にしたサーベルの鍔に足をかけ、そのままワニゲーターめがけて落下する!

「最近、私は……太り気味ーっ!」

 落下の勢い+彼女自身の太り気味(自己申告)の体重が加わったサーベルが外皮を突き破り、ワニゲーターの体を串刺し!

 さすがにこれは効いた。ワニゲーターが激しく苦しみもだえ、彼女を振り落とす。

 川岸に降りたスノーレが魔玉からつまみ出すように雷の矢を引き出す。

 水路から出てきたオレンダの魔玉が光り、青白い稲妻がスパークする。

 そこへ割れた川が元に戻り、水が押し寄せワニゲーターの体をもみくちゃにする。

「今よーっ!」

 水面から顔を出したクインが叫び、皆が一斉に雷の攻撃魔導を解き放った。

 それらすべてが導かれるようにワニゲーターに刺さったサーベルを直撃。それを通して内部に伝わった雷が肉体を駆け巡る!

 ワニゲーターは激しく2度、3度と痙攣すると、肉の焼けた匂いを漂わせ、そのまま動かなくなった。

 静かに川を流れ、橋脚のひとつにぶつかり流れを止める。

 それで終わりだった。

 もはや生き物ではない。ただの物体と化したワニゲーターを橋桁や川岸から注視していた衛士や野次馬達が安堵の息をつく。

 すぐにでも追撃できるよう、魔玉の杖を構えていたオレンダが力を抜いて杖を下ろす。

「もう大丈夫みたいですね」

 疲れた笑顔で振り返ると、河川の石垣にもたれるように、スノーレが座り込んで寝息を立てていた。

 飛んできたルーラが心配そうに駆け寄ってくる。

「スノーレさん?」

「魔力切れですよ。ずっと魔導を使いっぱなしでしたからね」

 安心させるように、そっとスノーレを横にする。アバターが枕代わりに彼女の頭の下に寝そべった。

「あっちも助けてやれ」

 いつの間に来たのか、メルダーが川を指さした。

「電撃のとばっちりをうけたらしい」

 その先には、白目を剥いて全身痺れているクインが川を流れていった。


   ×   ×   ×


「諦めるしかないでしょう」

 ブランチェが苦々しく唇をかむナンを諭すように言った。

 ナンの屋敷。書斎でナンは忌々しげに机をたたく。前のテーブルでは、ブランチェが

「希望すれば死体を引き取って剥製にするぐらいは出来るでしょう」

 町にあふれる号外を一通り並べて面白そうに読んでいた。どれも衛士隊とワニゲーターの戦いっぷりを面白おかしく書いている。さすがに野次馬も多かっただけに、先日のような事実とかけ離れた内容のものはない。

「衛士隊との戦いで傷だらけになった剥製か⁈ 剥製ならば金を積めばもっと質の良いものが手に入る」

「確かに。生きたワニゲーターでなければ、資料としての価値は大きく下がりますしね」

 号外をファイルに束ねると、棚の一角にそれをしまった。

「まぁ、私たちとしては最悪の事態が防げただけでも良しとしましょう」

 仕方がないと肩をすくめると、外から馬車の音がする。それも明らかに複数。

 カーテンを少し開けて外を見ると、衛士隊の馬車が屋敷の正門と裏門につけ、衛士たちが降りてくるのが見えた。クインやルーラの姿もある。

「どうした?」

「どうやら、衛士隊は私たちが思っているほど馬鹿じゃないようです」

 屋敷の中に、来客を告げる鐘の音が響いた。


「衛士隊だ。生物飼育違反の疑いで家宅捜査する」

 捜査令状を掲げるメルダーの横を通って衛士たちが屋内になだれ込む。

 突然のことにおびえる職員やメイドたちを押しのけるようにして廊下を進み、居間や廊下の本棚をあさり始める。

 植物園の事務所になだれ込み、棚や机の中の資料を取り出す。

 ナンたちのいる書斎に、トップスがメルダーと衛士たちを伴いやってくる。

「何のつもりだ⁈」

 自分たちを無視して書斎の記録を漁りだした衛士達に、ナンは怒りの表情を隠さない。

「我々はワニゲーター対策に協力してきた。確かにたいした結果は出せなかったが、こんなことをされるいわれはない」

「その件に関しては衛士隊としてお礼を申し上げます。しかし、この捜査は別です」

「何の捜査だ⁈」

「それはあなた方に心当たりがあるはずだ」

 ナンとブランチェを招き、中央のテーブルを挟んでトップスとメルダーが座る。

「先日、私の部下がこちらの植物園にお邪魔したときに、これを見つけました」

 メルダーがテーブルに置いたのは、ルーラが見つけた一枚の葉っぱだった。

「困りますね。植物園の物を勝手に持ち出されては」

「それについてはお詫びします。しかし、あなた方が許可を出すとは思えません」

「そうですか?」

 ブランチェが微笑み

「これはあの植物園では珍しくないものです。一言断っていただければ、葉っぱの一枚ぐらい」

「肝心なのは葉っぱではありません。その裏についているこれです」

 メルダーが葉を裏返すと、茶色い泥のような物が付着していた。

「お二人なら、これが何かおわかりですね」

「糞ですね」

 ブランチェがすんなり答えた。

「そう、糞です。ワニゲーターの糞です。あの植物園には動物はいないという話でしたが、どうして糞が、それもワニゲーターの糞があるのか?」

「それがワニゲーターの糞である証拠はあるのか? 勝手に入り込んだ犬や猫の糞かもしれない」

「私の部下がワニゲーターを追跡中、たまたま糞をしているところに出くわしましてね。それを持ち帰ってこれと照らし合わせました。同じ物と判断されました」

「リッジーの判断か。ウブのラウネ教会で私の他にワニゲーターの糞を直接知っているのは彼だけだ」

「はい。彼に調べてもらいました。あなたに疑いが向けられていることに驚いていましたよ」

「彼は知識は確かだが、人がよすぎるからな」

 しようがないと言いたげに苦笑いするブランチェ。すでに覚悟を決めているようだった。

「ここでは以前からワニゲーターを飼っていた」

 トップスが断言する。

「ところが、それが逃げ出した。地下水路を通ってセンメイ川に。それがあのワニゲーターだ。奴はよほどここが嫌だったらしい。我々が誘導しても、このままでは、またこの場所に逆戻りと気づいて途中で引き返したほどに。

 あんたたちは、事が大きくなる前に捕獲するか最悪処分するつもりだったろうが、その前にうちの衛士にワニゲーターが見つかり、大騒ぎになった。そこであんたたちは一計を案じた。

 衛士隊にワニゲーターを捕獲させ、堂々と飼えるようにする。協力すると思わせて、利用しようとしたわけだ」

「すべてお前たちの推測だ。糞だって、お前たちのねつ造だ」

 ナンが必死の抵抗を見せる。

「糞の跡はすでに片付けたか。だが、そんなことよりも確実な証拠がある。そのための家宅捜査だ」

 それに対してトップスは余裕綽綽だ。

「生き物は置物じゃない。飼うとなれば餌がいる。餌が植物園に自然に生えているものだけで間に合うとは思えない。購入する以上、記録が残る。いつ、誰から、何をどれぐらい、いくらで購入したかという記録が。

 それにブランチェがいる。ラウネの信者である以上、ワニゲーターの飼育記録を残しているはずだ。何しろ記録と保管がラウネの基本だからな。例えそれが自分の首を絞めることになっても、記録を破棄するなんて事は出来ない」

「その通りです」

 ブランチェは立ち上がり

「記録を破棄して己を守るより、記録を残して真実と未来への礎を守れ。それが我らの神ラウネの教え」

 棚の1つに歩いて行き、まだ衛士が手をつけていないファイルを取り出すと、戻ってきてそれをテーブルに置いた。

「あのワニゲーターがここに来てから逃げ出すまでの記録です」

「ブランチェ、貴様!」

 怒りの形相で立ち上がるのを制し

「悪あがきはするだけ損です。幸いにも怪我人は出ても死者はいないですし、悪くても数年の投獄、運が良ければ賠償金の支払いだけで済むでしょう。連行される前に私物の整理を簡単にしておきたいのですが、良いですか?」

 肩をすくめるブランチェの姿に

「かまいませんよ。ただし手早く頼みます」

「ありがとう」

 一礼して書斎を出て行く。

 残ったナンに

「ひとつだけ聞いておきたいことがある。ワニゲーターを飼うなら、どうして事前に許可を申し出なかった? 生き物の資料としてラウネ教会も後押しするだろうし、決して無茶な申請じゃなかったはずだ」

 トップスがそう聞くと、彼はごまかすような笑みを浮かべ

「出すつもりだったさ。だが隊長さん。あんたはこの手の申請をしたことが無いだろう。書類にいちいち細かいことまで書かされる。

 植物園だけでもどれだけ面倒だったか。ましてや動物だ、種類や大きさ、年齢……そんなもの、現物が手に入るまでわかるものか。

 今回、現地からワニゲーターの捕獲に成功したと連絡が来て、やっと申請できると思ったら、現地の連中、いきなりワニゲーター自体送りつけてきた。申請しても許可か下りるまで最低100日はかかる。それまで世話など出来ない。こっちで面倒見ろとな」

「事情を話して、特例として申請中でも飼育することは出来なかったのか?」

「今回は、こんな騒ぎになったから役所も動いたんだ。そうでなければ動くものか。

 ブランチェは私の味方になってくれたが、奴だってワニゲーターの観察記録を独り占めしたかっただけだ。野生の観察記録だけでは不十分なところがある。飼育したものならかなり細かいところまで記録できると喜んでいた。この記録はそのまま奴の実績、手柄になる。

 とにかく、申請が通るまで何とか誤魔化せればと思っていたが」

「逃げられた」

「そういうことだ。見つかるまえにこちらで捕獲しようと人を集めている最中に、あんたの部下に見つかった。後はだいたいあんたの説明通りだ。細かなところで違うところはあるが、いちいち説明するのも面倒くさい」

「それで終わりですか」

 トップスもメルダーもただナンを見つめている。

「何か言いたいことがありそうだな」

「それで終わりですか?」

「……ああ」

「ところで、こちらにサーガムという人が働いていますか? アパートの大家さんから言付けを頼まれているのですが」

「彼は出張中だ」

 その答えに、2人は残念そうに目を合わせ、頷き合った。

「だったらこちらから言い出さないとな。メルダー」

「そちらから言いだしてくれれば、多少は酌量の余地があったのですが」

 メルダーが、小さな紙袋を取り出した。

「さきほど衛士が地下水路で、糞をしているワニゲーターと遭遇したと言いましたが、その際、糞の中からあるものを見つけたんです」

 袋の中をテーブルの上に出すと、それは平たい、小さな金属板だった。

「ワニゲーターは人を食べても骨から服まで消化してしまうそうですが、さすがに金属は消化しきれなかったようですね。これがなんだかおわかりですね。こちらの植物園のスタッフがつけているネームプレートです」

 ナンの表情が強張った。

「表面はいくらか溶けていますが、彫られた文字は何とか読めます。『ケール・サーガム』……ご存じですよね。こちらの職員の1人で、ワニゲーターが目撃された5日前から行方不明になっています。

 彼のアパートの管理人によると、突然、姿を見せなくなったそうです。割と気さくで、毎日挨拶を交わし、一泊の出張でも必ず声をかけていたのに変だなと思っていたそうです。

 へたな嘘はやめた方がいい。出張ならばそのことが予定表などに記されているはず。出張費の仮払などの記録が出納帳にも残るでしょう。今の時点でそこまで細かな工作をしているとは思えませんが」

「先ほどブランチェは死者は出ていないと言っていたが、最低でも1人出ている。出張などとごまかした以上、知らなかったとは言わせん。

 どういう経緯で食われたかはこれから調べるが……ワニゲーターはルーラが最初に遭遇した時点で、人の味を知っていたわけだ。

 そっちから言いだしてくれればと思って黙っていたが、無駄だったな」

 2人に睨まれ、ナンは大きく目を見開いたまま息を荒げていた。


「しばらくウブとはお別れか」

 事務所に入ったブランチェは、棚の資料を調べる衛士達を尻目に小さなロッカーから自分の背負い袋を取り出した。両手があくので、彼は手提げ鞄よりも背負い袋を愛用している。

 ロッカーの整理をするふりをして、衛士達の様子をうかがう。彼らは棚の資料を1枚1枚めくっては記録の内容を確認している。新たな資料を取り出すため棚に向かい、背を向けたタイミングで彼はそばの机の1番下の引出を開ける。そこには入っている小さな金庫を素早く取ると、背負い袋に入れた。

 彼はこのまま逃げる気だった。ワークレイまで行けば知り合いは多い。今回の騒ぎの始末はナンに任せて、ほとぼりが冷めるまでそこで現地の同植物の観察をして過ごすつもりだ。

 衛士達に軽く挨拶し、事務所への通路を進む。が、衛士達の姿が途切れた瞬間、別の通路に入り込んだ。裏口を通って裏門まで行くが、そこにも衛士の見張りが立っていた。

 彼は植物園に回った。園に隣接している倉庫には地下水路と結ばれる搬入口がある。ワニゲーターはここを通って外に逃げたのだ。その時壊れた鍵を密かに直し、誤魔化そうとしたが無駄だった。

 階段を下り、地下水路に出た途端、彼を魔導の光が照らした。

「どちらへ?」

 ルーラ、クイン、スノーレが立っていた。スノーレの魔玉が辺りを照らす灯りを作っている。

 動きを読まれていた。そのことに彼は肩を落とした。

「ワニゲーターが逃げたとき、素直に衛士隊に知らせてくれれば良かったんです。罰は免れないでしょうけれど、軽減はされたかも知れません」

「どんなに減刑されても、私の教会での地位は落ちる」

「落ちたらまた上がればいいのよ」

 クインが1歩前に出る。サーベルは抜いていない。

「1つ聞いていい? ワニゲーターの生態を観察したいのなら、どうして現地に行かなかったの? わざわざ面倒な手続までして、ワニゲーターをこっちに連れてきて、檻の中で生きるのを観察するのが楽しい?」

「そりゃあ、現地に行けば自然で生きるワニゲーターを見ることが出来る。しかし危険も伴う。見つけたとき、こちらが見たい行動を取ってくれているとは限らない。それに、現地で出来ることがある代わり、現地に行っては出来ないこともある。

 観察し、生態を知るのに一番いいのは、ワニゲーターをこちらに連れてきて、我々の手の中で生きてもらうことなのさ」

「ワニゲーターは人に見てもらうために生きているんじゃありません。勝手に別の土地に連れてこられて、檻の中に入れられて、1日中人にジロジロ見られて生きていろって言うんですか?」

 ルーラが怒ったように言うが

「ワニゲーターの都合などどうでも良い。知識欲を見たし、知識の記録を1枚でも多く後世に残す。それがラウネ神の望みだ」

「知識は生きるための土台であり、誇るための冠ではない。あたしはお父さんからそう教わりました」

「私は父より神の教えを取るが」

 鼻で笑う彼に、ルーラはムッとして

「お父さんは、ラウネ教会の司祭でした」

「そうか、さぞかし無能な司祭だったんだろう」

 ルーラの眉がつり上がり、その手が動く! より先にクインが動いた。

 鞘に入ったままのサーベルで彼の足を打ち、体勢が崩れた腹に一撃を見舞う!

「ぐっ……」

 白目を剥いて崩れるように倒れるブランチェ。

「知識を求めるあげく……ってとこで終わっていればね……」

 彼の足をつかむと、ルーラが彼の脇に手を入れて上半身を持ち上げ、

「いっちにーさんし、にーにっさんし」

 リズムを取りながら、2人は彼を抱えて地上への階段を上がっていった。


   ×   ×   ×


 ファウロ夫妻が営むパン屋「ファウロ・ベーカリー」がある建物の3階。3LDKのこのフロアは、ルーラたちが寮として住んでいる。

 扉を開けて、パンの入った小さな竹かごを手にしたクインが入ってくる。

「パンもらってきたよ」

「もうすぐお肉が焼けますから、待っていてください」

 ルーラがフライパンを前にしながら答える。蓋を開け、素早く料理酒をそそぐと一気に炎が立ち上がる。

 リビングでは、中央に靴貝のスープの鍋、山盛りのサラダをのせたテーブルに着いたクインが、1面にナンとブランチェの似顔絵が書いてある新聞を読んでいる。

「ブランチェさん、ラウネ教会から謹慎処分だって」

「死者も出てたのに軽くない?」

「知識欲から来たものだし、ラウネ教会も強い処分はしにくかったんじゃないかな」

「そう」

 答えるクインはさばさばしたものだ。既に彼のことは過ぎたことになっているらしい。

 肉の皿を持ったルーラが参加し、3人の夕食が始まった。

「豪勢なもん出してきたわね。お金出来たの?」

 クインが分厚い肉に嬉しそうにナイフを入れる。

「もらい物です。というか、分けてもらいました」

「気前のいい人がいるんだ」

 それぞれ飲み物の入ったグラスを手に

「それじゃあ、ご苦労様」

 軽く乾杯し、さっそく料理を口にする。

「これ、なんの肉? 牛でも豚でもないし、味は鳥に似ているけど、食べた感じは違うし」

 スノーレが味わいつつも小首を傾げる。

 どれどれとばかりにクインも口にし

「悪くはないけど、ちょっと焼きすぎかな」

「2度焼きみたいなものですから」

 照れくさそうに笑ってルーラも肉を口にし、「おいしい」と、にこやかに微笑む。


 ルーラの部屋。机の上に借りてきた動物図鑑が広げてある。

 ワニゲーターのページ。説明文の最後に「食用可」の文字があった。


(第4話 おわり)



 特定のキャラにスポットを当てたわけではない。ウブに起きた事件を衛士隊のみんなが頑張って解決するという、おそらく今後の主流となる形の話です。

 ワニゲーターのモデルは書くまでもなくワニです。はじめに考えたときは巨大ヘビでした。が、プロットを作っている最中にヘビが逃げ出したという事件が実際に起こり、何か後ろめたさを感じてワニに変更しました。

 基本的な展開は同じですが、ヘビの場合地下水路ではなく町中を駆け回りながら対決する予定でした。雨樋や通風口、屋根裏を縦横無尽に移動する神出鬼没の巨大ヘビをどうやって捕まえるかがポイントで、もっとドタバタコメディっぽい展開にするつもりでした。


 ちなみに、冒頭で触れた「靴貝」。もちろん私の創作物ですが、ネットで見たカワニナの写真から思いつきました。カワニナ自体は珍しくないのですが、よくある写真とは逆にとんがった部分を下に、本体がにゅっと出る部分を上にと普通とは逆さまになっており、それが靴そっくりだったんです。カワニナも食用です。蛍の餌として知られていますが、人間が食べても大丈夫です。靴貝はきっとカワニナよりも美味でしょう。


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