『第13話 火の鳥が落ちるとき(後編)/1・牙を剥く乗客達』
トゥヴァード号。招待客がくつろぐ右舷客室。
「鳥たちはウブをこう見ているのね。面白いわ」
窓越しに町を見下ろすミーナが子供のように目を輝かせている。
「飛行魔導を使う魔導師に連れられて飛んだことはありますが、のんびり景色を楽しむ余裕なんてなかったですね。面白い」
折りたたんだマントを手に彼女の横で相づちを打つベルダネウスだが、その目は窓の外には向いていなかった。中の招待客達に向けられ、目を細める。
(妙だ……珍しさから窓際に集まるものと思っていたが……)
招待客のほとんどは窓に近寄らず、むしろ通路に出るタイミングを計っているように見える。
「ギガちゃんギガちゃん。ほら、あれがゴーディス教会でしょ」
「うむ。あの形は明らかに他のとは違う」
一番熱心に窓に張り付いているのがホワンだ。気分が悪くなった人に備えて待機しているのだが、その人が出ないため暇だ。イントルスも本来は招待客達に目を向けなければいけないのだが、さすがの彼も好奇心には勝てずホワンの横で外を見ている。彼女のように窓に張り付かず、チラチラ見ているだけなのがせめてもの言い訳だ。
「しかし、みんなは外を見ないのか?」
彼もベルダネウスと同じ疑問を持った。
「怖いのかも。このまま下にぎゅーんと吸い込まれそうな感じだもん」
外を見下ろしたまま答えるホワンに
「……1度も見ないで怖がるものか?」
1度外を見て怖くなったのならわかるが、ほとんどの客は外を見ようともしない。うまく言葉に出来ないが、彼はこの場の空気に不自然さを感じていた。
左舷客室のギメイも同じ印象を受けていた。外を見ているのは数人だけで、他はただ静かに動いているだけ。静かなら外を見れば良いのに、なまじ動いているものだからつい注意があちこちに逸れてしまう。それに足下がふわふわした感じを受けるのも気になった。
乗客の1人、窓から外を見ているのは変装したカオヤンだった。変装しても彼はウブでは知られている。できるだけ見られたくないために衛視の目をそらすため仲間がギメイの目につくような動きをしている。
窓越しに黙ってウブを見下ろしているカオヤン。彼に仲間が1人近づき
「準備が整いました」
そっと耳打ちする。
「よし」
立ち上がると数人連れて中央通路に続く扉に歩み寄る。
(便所か?)
何気なく目をやるギメイが固まった。出て行く男の横顔に覚えがあった。
(カオヤン?!)
椅子から腰を浮かせたとき、近くの乗客の1人がいきなりナイフを抜いて彼に襲いかかる!
とっさにそれをかわした彼に別の乗客が掴みかかるのを、足を払って転ばせる。
立ち上がるギメイに乗客達が一斉に得物を抜く。大半はナイフだが、中には柄を短くした魔玉の杖を構える者もいる。
「おいおい、乗客全員奴の仲間かよ。協会のチェックはどうした?!」
ちょいとやばいなとばかりに一歩引く彼に、乗客達が一斉に襲いかかる。
イントルスのメイスが唸り、乗客の1人が床を転がる。
「みなさんどうしたんですか?! 落ち着いてくださぁい」
彼の背中に隠れてホワンが叫ぶが、得物を手にした乗客達はじりじりと2人を追い詰めていく。
反対側では掴みかかる乗客からミーナが逃げ、ベルダネウスが守る。
「どうも乗客ではなさそうですね」
壁際を逃げてイントルス達に合流する。
「カオヤン・ジンギスカンの仲間か?!」
「あの方を呼び捨てにするな!」
斬りかかる乗客の横っ面をイントルスのメイスが払う。
彼の後ろに隠れつつマントに手を入れるベルダネウスが
「誰ですか、カオヤンというのは」
「ウブを独立国に戻したがっているいかれた男よ」
語るミーナに
「ウブの誇りと愛国心を強く持っている人だ」
挑む乗客の眉間を紐のようなものが飛び強打する。痛みにたまらず後ずさると、打たれた眉間から血が流れ落ちる。
「詳しい事情はわかりませんが良かった」
ミーナを守るように出るベルダネウスの手にはマントから取りだした鞭が握られていた。
「私は愛国心というのが大っ嫌いなんです。おかげで遠慮なく戦える」
鞭を振るい乗客達を牽制する彼にイントルスは
「ここは俺達衛士に任せろ」
「ご安心を、一緒に戦う気はありません。自分の身を守るだけです」
乗客の1人が突き出したナイフを持った手を鞭で強打する。痛みでたまらずナイフを落とし膝をつく男の手の甲は、ヤスリをかけられたように真っ赤にすり切れて血が流れ出していた。
「これは拷問用の鞭を改良したものです。打たれるとめちゃくちゃ痛いですから覚悟してください」
鞭が空を切る音に乗客達が尻込みする。ホワンが慌てて
「痛いのは良くないよぉ」
「人間というのは、時には悪とわかっていてもやらなければならないことがあるんです」
「何格好つけているのよ」
真顔で答えるベルダネウスの頭をミーナがはたく。
トゥヴァード号を鳥に見立てればちょうど頭に当たる部分にブリッジがある。
「現在高度300メートル。風弱し」
「左右飛行バランス問題なし。時速20キロで飛行」
ブリッジ脇に備えつけられた小さなテーブルと椅子に陣取ったプリンスキーが
「遅すぎませんか?」
「私たちは慣れていますが、招待客達は空を飛ぶこと自体珍しい体験ですからな。ゆっくり飛んで空からの景色を堪能してもらおうと思いまして」
やや後方、やたら豪華な椅子にどっかと座った角顔白髭の男が同意した。トゥヴァード号艦長ベン・P・イチジク。40歳。彼はもちろん、ブリッジのスタッフ全員は青を基調として制服を着ている。青なのはもちろん青空から取ったのだ。
プリンスキーはいつもは特別来賓室にいるのだが、今日は部屋のほとんどを招待客に開放しているため、ブリッジの隅で過ごしている。前半は招待客に空からの眺めを楽しんでもらい、彼の挨拶や交流は後半になってからにしたためだ。窮屈になるからと、親衛隊も数を減らし彼の脇にいる2名だけだ。
操舵手がわずかに顔をしかめた。
「どうした?」
「バランスが少し……招待客が大きく動いているのかも知れません。この程度なら大したことはありませんが」
「眼下の景色が珍しくて動き回っているんだろう。そのために左右に分けたのだが」
イチジクに目で促され、船員の1人が伝声管に
「招待客の動きを報告せよ」
繰り返し伝えるが返事は無い。
「客室にいるのはウブの衛士だろう。伝声管の使い方を知らないんじゃないか。親衛隊を向かわせます」
プリンスキーに促され、親衛隊の1人が「かしこまりました」と動く。
本体へ続く後ろのドアを開けた途端、通路を飛んできた雷が親衛隊の体を貫き吹き飛ばした!
ブリッジを転がる親衛隊に一同が体を強張らせ、残った親衛隊がプリンスキーを機器の陰に押し倒す。
通路から武装した乗客達が流れ込み、船員達に襲いかかった。
スリングで放たれた石つぶてが船員の頭を直撃し、電撃魔導が船内を撫でるように立っていた船員達をなぎ払う。
残った船員達も武装客達に襲いかかられ、次々と倒れていく。
「プリンスキー王子にイチジク艦長。同じ場所にいてくれて助かる」
遅れてブリッジに入ってきたのは
「初めてお目にかかる。カオヤン・ジンギスカンだ」
「誰であろうと関係ない。君たちは自分たちが何をしたのか解っているのか。少しでも解っているなら即刻ブリッジから出て行き給え」
前に出たイチジクに対し
「お前達こそ自分の役目が解っているのか。お前達の仕事はこのトゥヴァード号を動かすことだ」
「言われんでも動かす。だから私らの邪魔をせずブリッジから出て行け」
「2度も言わせるな。お前達の存在はトゥヴァード号を動かすためにある。私のやることに口を挟むことではない」
顔をしかめるイチジクをプリンスキーは制し、カオヤンの前に進むと
「あなたがカオヤン・ジンギスカンですか。あなたのことは聞いています。ウブを再び独立国にしたいそうですね」
「プリンスキー王子、多少は話が出来そうだな」
「あなたが一方的に言うことを黙って聞き、頷き、解りましたと受け入れることを『話』というのでしたら無理ですね」
「ご自分の置かれた状況が解っていないようだな」
「それはあなたも同じでしょう。しかしそれはとりあえず脇に置きましょう。ジンギスカン、あなたはトゥヴァード号を乗っ取って何をするつもりですか?! まさかウブ独立の象徴としようなんて考えていませんよね。スターカインから強奪したものを」
「これで何をするかは」カオヤンは懐から懐中時計を取り出し「あと小1時間ほど待たねばならんな」
客室の扉が開き、ベルダネウスとミーナが飛び出す。剣を手に控えていた乗客が挑みかかるのをベルダネウスの鞭が打ち据えた。
続いてホワンとイントルスが出てきては、扉を閉めて追っ手を食い止める。
近くのドアからギメイが転がり出てきた。
「ギメイ、こっちだ」
「おい、どうなっているんだよ?! 乗客全員敵か」
駆けてきながら鞭を手にしたベルダネウスの姿に足を止め身構えるのを、ミーナが「この人は敵じゃないわ」と止める。
「ブリッジは?」
「真っ先に狙われているさ。とっくに占領されているかもな。どうする?」
「隊長と合流する。ギメイ先に行け。俺がしんがりを務める」
ギメイが先頭に、イントルスが最後尾となって後方に走る。立ちはだかる乗客をギメイが相手にし、隙間を使ってベルダネウスが鞭で援護する。後方からの追っ手はイントルスが盾となって防ぐ。
「魔導師がいなくて助かったわね」
確かにミーナの言うとおり、魔導師が攻撃魔導を使ってきたら、逃げ場のない通路ではひとたまりもない。
通路後方、奥の扉はトゥヴァード号の機関室だ。飛行船の暖気の調整や推進機関を動かす仕組みがここに集中している。
「隊長さん、俺達が駆け込んだらすでに占領済みなんてオチは嫌だぜ」
ギメイが開けると、乗客の1人が転がっていた。慌ててそれを跳び越える。
「お前達、無事だったか」
剣を構えたメルダーが船員達を背に剣を構えていた。制服は切り裂かれ、血で赤く染まっている。頭に怪我をしたのか、髪も赤く濡れている。
周囲には武装した乗客達が10人近く倒れ呻いている。ほとんどが手足を折られ動けない状態だが、何人かは血まみれになって動かない。さすがのメルダーも、全員を生かしたまま無力化するわけには行かなかったようだ。
「助かった。これ以上敵が増えたらさすがに守り切れなかった」
「来たわ!」
ミーナが通路から走ってくる敵の姿に、イントルスが扉を閉め素早く自身の体を押しつける。扉を開けようと押したり体当たりしてくるが、イントルスの体が邪魔をして開けきれない。
「手伝え!」
船員達がイントルスに加勢すると、さすがに扉はびくともしなくなった。
片膝をつくメルダーにホワンが救急箱を手に駆け寄る。
「どうも、私たち2人をのぞく乗客全員が入れかわっていたようね。サークラー教会に文句言ってやるわ。協会内に奴らの仲間がいなければこんなことは出来ないんだから」
息を整えミーナがぼやく間、船員達は扉の把手を作業用の細紐で結びつけた。
「これでしばらくは持つだろう。連中も機関室に無茶なことはしないだろうしな」
船員が持ってきた水で一息つく彼らに、伝声管からカオヤンの声が機関室に聞こえてきた。
【機関室に立てこもる者達へ。立てこもりたいならそれでかまわん。だが、今後は私の命令に従ってもらう】
「それは出来ん」
眼鏡をかけた初老の男が伝声管に口を寄せた。厳つい顔はいかにも強情そうだ。
「機関長のワットだ。お前達こそ妙な真似は止めろ。我々はこれからゆっくりと機関を停止させ、トゥヴァード号を着地させる」
【お前達こそ妙な真似は止めることだ。ブリッジに艦長と王子の死体が転がることになる。今は現在の航行を維持しろ。命令だ】
伝声管の蓋が閉まる音にワットが唇を噛んだ。
「機関長……」
船員達が不安げな顔を彼に向ける。
「仕方ないでしょう。今は向こうの言うとおりにしてください。衛士隊からのお願いです」
メルダーの言葉にワットは「わかった」と小さく答えた。
「奴らの目的は何だ? トゥヴァード号の乗っ取りとウブの独立に何の関係がある?」
「スピンさんが言ったようにウブをめちゃくちゃにするつもりでは」
「馬鹿な。トゥヴァード号に武器は積んでいない」
ワットはイントルスの言葉を否定するが
「トゥヴァード号自体を武器にするという手があります。祭りの1番賑やかなところへこれを突っ込ませるんです。連中は乗客と入れかわって船内に入り込みました。火薬や油を持ち込んでいる可能性は否定できません。それを使ってトゥヴァード号を巨大な火の玉に変えて」
ベルダネウスが言うとギメイが青ざめ
「おいおいおい、止めてくれよ。そんなことしたら自分も死んじまうじゃねえか」
「無様に生きるより、華々しく散る……か。憎い敵国の王子と象徴を道連れなら……」
つぶやくメルダーの顔が引き締まる。その可能性は十分あることに気がついたからだ。




