『第12話 火の鳥が落ちるとき(前編)/10・オレンダ出動!』
夜更けにいきなり訪ねてきたオレンダに、クインもスノーレも寝ぼけ眼で出迎えた。
「何よ。夜中に女子寮を訪ねるなんて非常識よ」
「常識知らずでけっこうです」
「要件は? こんな時間に来るぐらい何だから時間が惜しいんでしょう」
髪を手櫛で整えるスノーレに促され、彼は手早くリドゥの話を説明
「無駄足かも知れませんが、今はとにかく可能性のある場所を調べてみたい」
「わかったわ。でもどうして本部じゃなくてここに? 応援なら本部の方が」
「ルーラさんの私物を借りたいんです。アバターに匂いを覚えさせたい」
アバターを抱いて2人に突き出す。頼むとばかりにアバターが真剣な顔で「ニャン」と鳴いた。
「本部の犬を借りたら? 確か3匹だか4匹だかいたはずよ」
「町の入り口やサークラー教会の搬入に駆り出されています。ただ調べてみたいというだけで回してはもらえません」
「それもそうか。でも、猫って匂い追える?」
クインの疑問に
「犬には負けるけど、猫の嗅覚は人間の数十万倍と言われているわ。猫さえその気になれば、追跡は無理でもルーラが近くにいればわかるんじゃないかな」
スノーレがアバターの顎をなでる。するとアバターは器用に2本足で立ち真っ直ぐ彼女たちを見上げた。「その気はある」とアピールするように。
その姿にクイン達の顔がほころびる。
「アバター。あんたのいい男レベルが上がった! 待ってて」
クインがルーラの部屋に入り、白い布の塊みたいなものを持って戻ってくる。
「匂いだったらこれが良いわ」
「汗をふいたハンカチですか?」
「ぱんつ」
クインがそれを広げてみせる。紛れもないパンツである。オレンダとスノーレがそろってずっこけかけた。
「なに持って来てんの!?」
「匂いだったらこれが1番でしょ」
パンツをオレンダの手に押しつけ
「洗濯前のだからバッチリよ。あんたが嗅がないでよ」
「嗅ぎません!」
「それともうちょい待って。私も行くわ」
自室に駆け込むと、クインは動きやすい私服で出てくる。腰に差しているサーベルは衛士隊の配給品では無く彼女の私物だ。
「良いんですか。明日の仕事に差し支えるんじゃ」
「こんな時に休めるわけないでしょ」
「そうね」
スノーレも
「2人で先に行って。私は本部に寄ってから行くわ」
「私らの場所わかる?」
「魔導探知眼鏡を持ってくるから。オレンダさんの魔玉に反応するからそれを目印に探すわ」
合流の段取りを簡単につけると、クインとオレンダは階段を駆け下り、建物から出ると
「飛ばしなさい!」
飛行魔導を発動させるオレンダの背中にアバターが飛び乗り、腰にクインがしがみつく。
2人と1匹は夜空に向かって弾き跳ぶ!
マルサ高台公園。入り口付近の案内板の前に跳んできたオレンダが、クインを巻き込み地面を転がるように着地する。アバターは着地寸前地面に飛び降りている。
「ええと、管理事務所の場所は」
オレンダが案内板の前に杖をかざすと先端の魔玉が光る。照明魔導。魔導師なら誰でも使える基本的な魔導だ。
「わかりました」
振り返ると、クインが離れた木の根元に這いつくばるようにして「おげぇぇぇぇぇ」と嘔吐していた。脱力した目と真っ青な顔を向けて
「このド下手くそ……死ぬかと思ったわぁ……スノーレとは大違い……」
声にも力が入らない。
「そんなこと言われても、僕は飛行魔導は苦手なんですよ」
衛士隊の中で飛行魔導が1番うまいスノーレと比べられてはたまらない。
アバターを連れて走り出すのに、クインが慌てて付いてく……が、さっきとは別の木に走り、再び嘔吐し始めた。
夜とは言っても月が出ているし、魔玉の灯りもある。馬車が通れるほど道が整備されているのでそれほど走りには困らない。
ほとんど徹夜だが彼に疲労感は無かった。むしろ適度な緊張が体調を上げていく。
管理事務所には灯りが付いていた。彼は照明魔導を消すと近くの茂みに身を隠し、遅れてそばに来たクインがゆっくり深呼吸するのを横目に
「アバター」
彼は懐から預かってきたルーラのパンツを取り出した。わかっているのか、アバターは念入りにパンツの匂いを嗅ぐと彼を見上げる。
オレンダは発動時の光が漏れないように魔玉を専用の黒い袋で覆うと、事務所から見えないよう茂みに囲まれた場所に座り込み意識を魔玉に集中させる。
アバターの目つきが変わり、クインに向かって頷く。
感覚共鳴。オレンダは感覚を共鳴させることで使い魔であるアバターの見聞きしたものをそのまま感じることが出来る。しかしその間彼自身の体は無防備状態となるため、身を隠すか誰かに守ってもらわなければならない。
アバターが事務所に向かって走る。夜目の利く猫は人間以上に周囲がよく見える。聴覚も嗅覚も人間以上だ。ただ、共鳴していると言ってもアバターを自由に操れるわけではない。簡単な指示を与えることはできるが強制ではない。アバターがやりたくなければ無理にさせることは出来ない。もっとも、使い魔は普段から魔力で繋がっているため、魔導師の望みを受けるのにさほど抵抗はない。
事務所の入り口にはランプが飾られて、小さな光が入り口を照らしている。事務所自体はかなり大きい。事務員はさほどではないが、備品を置く倉庫につかっている部分が大きいのだ。事務所横には犬小屋があり、灰色の大型犬が眠っていた。避けるように裏に回ると屋根のある駐車場に出る。そこには大型の馬車が3台止まっている。
(3台、多すぎる?!)
公園で大がかりな作業が行われているならともかく、リドゥの話だと今はみんな祭りに集中して公園の仕事はむしろ少ない。
馬車をぐるっと回り、事務所の壁際につくと窓の下に陣取り耳を澄ます。今の時期、暑さを防ぐために窓を少し開けている家が多い。ここもそうだ。出来れば直接のぞいてみたいが、アバターの体では窓まで届かない。木に登ればとも思ったが、手近な木がない。
中からたくさんの足音がこちらに向かってくるのが聞こえる。アバターが慌てて水桶の陰に身を隠すと、ドアが開いて人がぞろぞろと出てくる。
(多すぎる?!)
1人や2人ではない。次々出てくるその人数は30近い。しかも彼らの服装がバラバラなのだ。おめかしをしているようなのは共通しているが、色合いやデザイン、アクセサリーも統一感がない。まるで町のあちこちから無作為に人を選び、ちょっと飾らせただけの感じだ。年齢もそうだ。若者もいれば中年もいる。ほとんどは男で女は数人しかいない。
そして数人に守られように出てきた男は紛れもない
(カオヤン!?)
他の人と同じように地味な服装だが、顔つきから感じられる威厳はあきらかに他のものとは違う。カオヤン・ジンギスカンだ。
彼らは次々と馬車に乗り込んでいく。
(一般人に紛れ込むのか……)
彼はすでに、カオヤンは今のウブに絶望、破壊しようとしているというスピンの仮説を信じる気になっていた。
次々と中から人が出てくるが、ルーラもファウロ夫妻もいない。
「クインさん」
共鳴したままそばにいるはずのクインに声をかける。
「馬車に乗り込む人達の注意を外に逸らしてください」
「逸らすだけで良いのね」
彼の意図を察して彼女は手近な石を拾い上げ投げる。
石は馬車から少し離れた、彼女たちが潜んでいる茂みとは反対側の木に当たる。驚いて止まっていた鳥たちが飛び立ち、枝が鳴る。
馬車に乗り込もうとした男達が何だとばかりに一斉にその木を見た。
その隙にアバターが素早く半開きになった扉から事務所内に走り込む。広めの通路の隅に棚を見つけると素早く登って上の隙間にうずくまるように身を伏せた。うす暗いので、これならチラ目には丸めた雑巾に見える。ある程度人が減るまでこれで誤魔化すのだ。
男達を乗せた馬車が連なって事務所から出て行くのを見送りながらクインが
「どうする。あの馬車について行く?」
「人手がありませんし、どうやって馬車を尾行するんです?」
「だよね」
馬車が小さくなっていくのを見ながらクインは残念そうにつぶやく。今は事務所を探ることが優先。それについては2人の考えは一致した。ルーラたちが出てこない以上、まだ中にいる可能性がある。もちろん別の場所の可能性もあるが。
クインが空を見る。ちょうど彼女に見やすくするかのように東の空が明るくなり始めた。雲ひとつない空。トゥヴァード号の遊覧飛行は実に映えるだろう。
スノーレの姿はまだ見えない。




