『第2話 いい男バンザイ!』
スターカイン国の街・ウブの東南東。第4繁華街の一角にある3階建ての建物。
東の空がまだ明るくなっていない朝。1階にあるパン屋「ファウロ・ベーカリー」の厨房には既に灯りが。店主兼パン職人のファウロ夫妻が近所の人達が朝食に買いに来るパンを作っているのだ。生地をこね、寝かせた後、竃へ。
周囲に焼きたてパンの良い香りが漂いはじめた頃。3階の一室から、何やら箪笥を引っかき回すような音がする。つづいて椅子をひっくり返すような音。
扉が開き、服のボタンを止めながらクイン・フェイリバースが外の階段を駆け下りる。
「やばいやばいやばい。早番なのをすっかり忘れてた!」
駆け下りる音に気がついたのか、裏口からリムル・ファウロがトレイを手に出てくる。店の主人ルーベント・ファウロの妻で、店ではパンに挟む具の調理を担当している。
「食べて行きな。朝食抜きじゃ倒れるよ」
男っぽい口調でさしだしたトレイにはハムとトマトを挟んだ焼きたてパンと、ホットミルクのカップがある。ミルクは飲みやすいように少しぬるめだ。
「ありがとうございます」
階段を下りるとパンを手に取りかぶりつく。
「美味ぁ~」
足を止め、恍惚の表情を浮かべる。焼きたてのパンはいつでも人を幸せにする。
「食ったら行きな。街の平和と給金とあんたの幸せのために!」
「行ってきまーす!」
ミルクを一気に飲むと、パンを加えたまま走り出す。
「いってらっしゃい!」
走るクインの背中に声をかける。
ここからクインの職場である衛士隊本部まで走って10分。衛士とは、要は警察官である。同じく衛士で魔導師のスノーレ・ユーキ・ディルマ、先日、衛士になったばかりの精霊使いルーラ・レミィ・エルティースと3人で住んでいる。
クインは現在18才。仕事に剣に頑張る乙女。
焦りがちょっと周囲への注意をお留守にさせていたのだろう。口に突っ込んだパンが美味しいせいもある。
建物の並ぶ中、路地から1人の青年が駆けだしてきたことに反応が遅れた。
2人は勢い止まらず激突、そろってひっくり返った。
「ひょっひょ、ひひょふゅへはひゃひひょ(ちょっと、気をつけなさいよ)!」
それでも口からパンを落とさないのはさすがである。
「あみません。急いでいたもので」
青年は何度も頭を下げながら、散らばった書類袋をかき集める。短い金髪、スリムだが体は鍛えているのだろう、痩せている印象はなかったし、書類袋を拾う動きもきびきびして無駄がない。着ているものはかなり上物のスーツで、カフスボタンは純銀に見えた。
ふとクインと青年の目が合った。
「申し訳ありません。あなたより書類を先にしてしまって。お怪我はありませんでしたか」
本当に申し訳なさそうにクインを見つめる。
目が合ったクインの口からパンがポロリと落ちた。
クインは現在18才。仕事に剣に頑張る乙女。
もちろん恋だって。
× × ×
朝日が差し込む衛士隊本部の稽古場。普段は無人の時が多いこの時間、珍しく2人の人間がいた。
呼吸が乱れ、汗まみれのルーラがウブ東衛士隊隊長ソン・トップスめがけて練習用の木槍を激しく繰り出すが、彼は息1つ乱さずそれを受け、払い、躱していく。
彼女の繰り出す槍を軽く払った次の瞬間、彼の槍先が彼女の右肩を突いた。
「19」
つぶやき、彼が攻撃に転じる。全力攻撃ではないが、その早さは目にもとまらぬ。突きを彼女が必死でかわし、逸らしていく。が、彼のような余裕は無い。
彼が逸らされた槍の穂先を流すようにして彼女の足を狙う。彼女は一歩引いてそれを躱すが穂先は止まることなく楕円を描くように引かれそのまま彼女の腹部を狙う。
彼女がとっさに木槍を流し、柄でそれを受けるが、その衝撃で彼女の手が止まった。彼の穂先は微かにズレると柄の横を通ってそのまま彼女の胸を突く。
そのまま彼女は床にひっくり返った。痛む胸を押さえ、激しく乱れた呼吸の後、何度も咳き込んだ。
稽古場に鐘の音が聞こえてきた。朝の6時を知らせる鐘の音だ。
「20、これまでだ」
まだ呼吸が整わない中、ルーラは震える足で立ち上がり
「ありがとうございました。また明日、お願いします」
「明日は予定がある。明後日だ」
「はい」
深々と一礼する。彼女の汗で濡れた床が差し込む朝日に光っていた。
「20稽古ですか?」
稽古場から出てきたトップスに事務員のモルス・セルヴェイがタオルを渡す。20稽古とは、どちらかが20本取るまで休み無しに戦い続けるという過酷な稽古である。同じぐらいの強さの者同士でやるといつ終わるかわからなくなることもあり、圧倒的力量差のあるもので行うのが普通である。弱い方が肉体以上に精神面を叩きのめされるため、めったに行うことはない。
「14才の女の子を相手にする稽古じゃないと思いますが」
「ルーラが望んだことだ。短い間に腕を上げるにはこれぐらいでないとな」
「我が国でも5指に入る槍の使い手である隊長の稽古です。上達はするでしょうが……もちますか?」
「はじめは1分と持たなかった。今は10分は持つ。若いせいか長く体が動くし、何より目が良い。最近は私の槍の動きが見え始めたようだ。このまま行けば、来年には一流の下の方に引っかかるぐらいになるぞ」
「下の方ですか」
「下でも一流と呼んで良いレベルになる。1年前までは槍など持ったことのなかったあの子がだ。それに彼女は精霊使いだ。槍術と精霊の力をうまく組み合わせて使うようになれば、かなりの強者になるぞ」
窓から稽古場をのぞくと、ルーラは汗などで汚れた床を掃除している。
「何が彼女をあそこまでさせるんでしょうか」
「惚れた男のためさ」
セルヴェイは意外そうな驚きの表情を浮かべ
「彼女はまだ14才でしょう」
「14だって男に惚れる。本気でな」
楽しげに答えるトップスだった。
× × ×
ウブの街を衛士隊の馬車が走る。2台、3台。
「改めて任務の説明をする」
中で衛士隊第3隊長ネグライド・バー・メルダーが中の面々を見回した。弓使いのスラッシュ、メイスを抱く力神ゴーディスを信仰するイントルス。そしてルーラとクイン、魔導師スノーレは夜勤明けで休みだ。
「今回の我々は第2隊が行う金貸しン・ログダの強制捜査の助っ人だ。中での資料押収などは第2隊が行うので、その間、外部との出入りをさせないため見張りに立つことになる」
「要は外に立って、誰も出ないよう、入らないようすればいいんですね」
スラッシュが安心したように確認する。弓使いとして後方支援を得意とする彼は、相手と直接剣や拳を合わせる接近戦は苦手なのだ。
「激しい抵抗がない限り立ちんぼで終わる。だが、証拠となる裏帳簿の類いを持ち出そうとする可能性はある。油断するな。見逃したら嫌みを言われるぞ。フェイリバース……クイン・フェイリバース!」
怒気混じりの声にも、ぼーっとしているクインは反応しない。隣のルーラが慌てて彼女を肘でつつく。
それでもぼーっとしたままの彼女にメルダーがあきらめ顔で息をつく。
「また例の病気か」
「はい、例の病気です」
「クインさん、病気なんですか?」
心配げな声を上げるルーラだが、周囲が一向に慌てる気配がないので戸惑っている。
そんな彼女を、腑抜けた顔のクインが見返した。
「ルーラ、運命の出会いって、信じる?」
「は?」
困って助けを求めるように周囲を見回す。一同が「どうしようもない」と言いたげにそろって肩をすくめた。
「出会ったのよ。私の運命の、いい男に。ダーリン!」
いきなり飛び起き歓声を上げるクインの勢いに、思わずルーラがひっくり返った。
現場に到着、馬車から衛士が次々下りては
「衛士隊だ。金融法違反の容疑で捜査する。忠告しておく、抵抗や捜査妨害はお前達にとって不利になるだけだ。」
令状を手にした第2隊が押し問答の末、建物内に突入する。ログダ金融会。ウブではかなり知られた金貸し業だ。看板の掲げられた建物は4階建て。半分近くが住居を兼ねているが、住んでいるのは職員とは名ばかりの用心棒たち。第2隊が応援を要請したのは彼らと争いが起こる可能性を考慮してのことだ。
第3隊も打ち合わせた持ち場に向かう。ルーラとクインは正門前だ。
正門の中央、出入りの邪魔になるように立つ2人。ここからでは中の様子はわからないが、争いの気配はない。この分ではメルダー隊長の言うとおり立ちんぼで終わりそうだ。
「ああ、どうしてあの時に名前と住んでいるところを聞いておかなかったのかな」
「運命のいい男さんですか」
近所の人達や通りすがりの人達が、何事かと興味深げに視線を向けてくる。中の様子をうかがおうとする者もいるがみんな距離をおいてであり、近づこうとする者はいない。
「そうよ。こんな時に職務質問と称していろいろ聞き出せるように衛士になったのに」
どういう事かと聞こうとしたときだった。
中から第2隊の衛士が1人慌てて飛びだしてきた。魔玉の杖を持っているところを見ると魔導師だ。
「どうしたんです?」
ただ事でない様子にルーラが聞くと
「本部に戻って第6隊を呼びます。誰も通さないで」
それだけ言うと、彼の杖の魔玉が光る。魔導が発動するのだ。彼は少し身を引くと、放たれた矢のように上空に飛び出した。魔力によって自分の体を弾くように飛ばす飛行魔導の一種だ。
ウブの街では緊急時以外の飛行魔導は禁じられている。それをすると言うことは、本当に緊急事態が起こったのだ。
「第6隊って、確か人殺しがらみの事件担当ですよね」
ルーラが言い、2人は建物を見た。微かに開いた扉から
「本当です。父はずっと自室で仕事をしているものだとばかり。皆さんが見つけるまで、殺されていたとは気がつきませんでした。本当です。信じてください」
若い男の声が漏れ聞こえてくる。
「この声?」
クインが駆け出し、扉から中をのぞき込んだ。ルーラもそれに続く。
こちらに背を向ける形で、1人の若者が第2隊の隊長ユーバリに必死で言い訳している。
「外を見舞っていろ!」
のぞいている2人に気がついてユーバリが注意する。何事かと、背を向けていた若い男がこちらを向いた。
思わずクインが声を上げる。
その男は紛れもない、今朝方遅刻しそうな彼女が衝突したあの男だった。
× × ×
「遅刻しそうでパンをくわえて走っていたら、曲がり角で男の人とぶつかって。その日のうちに仕事先で再会なんて。すごいというか、そんなシチュエーションが実際に起こるとは思わなかったわ」
「有り得ないことが起こったからこそ運命なのよ」
半ば呆れかえるスノーレにクインの熱弁がたたみかける。
夜のファウロ・ベーカリー3階。ルーラたち女性衛視3人の共同空間として使われている居間で、クインの熱弁は止まらなかった。
「衛士隊に入って3年。幾度もの運命の出会いを繰り返し、ついにたどり着いたのよ」
「私が知っているだけであなた、もう20回以上は運命の出会いがあったけど」
「運命の出会いはいくらあってもいいのよ」
きっぱりとクインは言い放ち
「ルーラは運命の人って信じる? 私はこの人と結ばれるために生まれてきたんだって人」
「います! でも、運命って、信じるものじゃなくて、ちょっとの偶然を力業でものにするものだと思います」
「お。良いこと言う!」
盛り上がる2人を前に、スノーレは笑顔を引きつらせている。
「運命の人って、実在する人? ルーラの空想上の人じゃなくて」
さすがにルーラもちょっとむくれて
「ザンは実在の人物です! あたしはザンのお嫁さんになるために、衛士隊に入ったんです」
「ごめん、ちょっとお嫁さんと衛士隊が繋がらない」
頭痛がするかのように眉間を指で押さえるスノーレを前に、ルーラの口は止まらない。
「ザンが言ったんです。人間社会での生き方やルールに対応する力、戦い方や人間観察、いろいろなもめ事にも対応できる適応力。それらを身につけないと駄目だって」
「まぁ、確かに衛士隊はもめごとに向き合う仕事だから。でも、それを要求するってどういう人よ。ザンって何をしている人なの?」
「自由商人です」
『自由商人?!』
クインとスノーレの声がハモる。クインが訝しげに
「自由商人って、格好付けた名前で呼んでいるけど、要は旅の行商人でしょ。いい加減な商品を口車に乗せて、高く売ったらさっさと消えて2度と来ないって詐欺師まがい」
その言葉にルーラがテーブルを叩いた。その激しさに思わず2人が身を引く。
「彼はいい加減な商品は売りません! 傷物だったらそれを説明して、相手に納得してもらった上で売ります!」
「ま、まぁまぁ落ち着いて。ところでクイン、あなたの運命の人ってどんな人だったの?」
何とか話を逸らそうと、スノーレが話題を変える。
「よくぞ聞いてくれました。表向きは普通の金貸し。裏では法外な高利で金を貸しているン・ログダ、40才。そこで働いているのがわが愛しのいい男ハーフ・ログダ」
「ちょっと待って」
スノーレが止めた
「ログダって、まさか息子とか」
「養子だけどね。5歳の時に子供のいないログダに養子にされて、後継者としてみっちり金貸し業を仕込まれたんだけど、養子になった2年後にログダに娘・ファララが生まれます。
娘が生まれたとは言え、さすがのログダもハーフ様をぽいっと捨てるわけにも行かず、娘に何かあったときの予備として育てます。
娘の控えとなったのが却って良かったのでしょう。悪党高利貸しに育てられたにもかかわらず、彼は弱きもの、虐げられるものの気持ちのわかるものとして健全に育ちました。周囲が反面教師となったのです」
解説するように彼についてクインが説明する。
「で、今回そのログダが殺されたわけ。第2隊も大変だわ、踏み込んだら1番の当事者が殺されてたんじゃ。で、犯人はわかっているの?」
「捜査は第2隊と6隊の合同で行われているのでよくわかりません。けれど、借用書や帳簿の類いがなくなっているので、お金を借りている人の誰かがログダさんを殺して借用書を取り戻して逃げたのではと話していました」
「借り手の誰かが借用書を盗み出そうとして侵入、ログダに見つかって殺したってことかな」
その考えにスノーレは眉間に皺を寄せる。
「可能性としてはあると思うけど、ちょっと考えにくいかな。法定以上の金利の借用書なら、ログダだってしっかり隠しているだろうし、借り手の人が知っていても取り出せるとは思えない。そもそも建物内に簡単に侵入できるかしら。
金貸しだったら防犯対策はしっかりしているはずよ」
ルーラが頷き
「だから、中の誰かが犯人を招き入れたと第2隊は考えているみたいです。雇われている人達の中に、借りた人に同情的な人がいて」
「ハーフ様?! いくら育ての親とは言え、親の悪行に我慢できず、苦しむ人達を助けたんだわ。そうだ!」
今朝、彼と激突したときのことを思い出した。ぶつかったときに袋が地面に落ち、中から紙の束がこぼれかけた。
「あれ、何の書類だか気にもかけなかったけれど、あれは取り戻した借用書だったんだわ」
感動的に仰ぐクインに、スノーレは軽い頭痛を覚えた。
「あのねスノーレ」
「大丈夫。スノーレの言いたいことはわかっているわ。例え相手が悪人でも人殺しは良くない。でも、情状酌量の余地はあるでしょ。法には慈悲が必要よ」
「それはわかるけど、で、あなたとしてはどうするつもり?」
「そうね……」
クインは腕を組み小首を傾げて約5秒
「このまま迷宮入りにするってのはどう? 被害者は悪人なんだし」
「それが衛士のセリフ?」
スノーレの頭痛が少し強くなった。ふと目をやると、ルーラが眉間に小さな皺を寄せていた。何か引っかかるというか、納得できていない様子だ。
「ルーラ、何か気になることがあるの?」
「そのハーフって人。普通だったんです」
「普通?」
「クインさんの言うとおりだと、彼がログダって人を殺したんですよね。悪人とは言え、義理の父親を。それなのに、明け方前に殺して昼前に平気で衛士隊の相手ができるんですか」
「ルーラ、彼は高利貸しの息子として、子供の頃から仕事を教えられ、手伝っていたわ。見かけは優男でも。かなり神経は図太いはずよ。かなりの荒事を目の当たりにしていただろうし、彼自身もしていたかもしれない」
「……そうかな。どんな悪人でも……自分の家族を殺すなんて」
静かにうなだれるルーラの横顔、クインは何かを飲み込むように頷いた。
「うん、ルーラの言うとおり。スノーレの言うとおり。彼は義父を手にかけて深く傷ついている。しかし、仕事柄自分の気持ちを堪えて表に出さないことにも慣れている……彼は、孤独なのよ。矛盾を抱えて生きることに苦しんでいるのよ。
だから私が支えてあげないと!」
「よくわからないけど頑張ってください!」
「ありがとうルーラ!」
2人して腕を組み「愛は無敵だ。手にいれちゃるぞ、いい男♪」と歌いながらぐるぐる回る。
その2人にスノーレは
(駄目だ、このノリにはついていけない)
そっと頭を抱えた。
× × ×
「また例の病気か」
「恋は病気とは思いませんが……例のです」
衛士隊本部。スノーレはクインの状況をトップス隊長とユーバリ第2隊隊長、ニンダス第6隊隊長に説明ね頭を下げた。
「うちのものが関係者に何度同じ説明をさせるんですかと怒られたそうだが、そうか。フェイリバースが先に話を聞きまくっていたのか」
ニンダスがかなり後退した前髪の生え際を撫でた。本人も結構気にしているらしく、あちこちの育毛剤を試しているらしいが、いまのところ効果は見えない。
「それにしても動きが早い。ちきんと要点も聞き出しているし、我が6隊に欲しいな」
「やめた方がいい。あれは早いのではなく、単なる暴走だ」
「恋したあの娘は、手綱のない暴れ馬みたいなものだからな。あれさえなければ良い衛士なのだが」
えらい言われようであるが、スノーレもそれに異議を申し立てることは出来なかった。
「それはともかく、彼女が見たというハーフの持っていた書類だが、捜査が入ることを知って慌てて持ち出した借用書の可能性はあるのか?」
トップスがユーバリに聞く。
「確かに違法金利を示す借用書は今回の捜査で見つかりませんでした。保管していた隠し金庫は空でしたし」
「隠し金庫に隠されていたのは間違いなかったのだろうな」
「捜査前日の夜、オレンダが使い魔を通して確認しました」
オレンダというのは第2隊の魔導師である。スノーレは使い魔を持っていないが、持っているものは使い魔と感覚を共有することによって、離れた場所の出来事を見たり聞いたり出来る。偵察や見張りにはうってつけだ。
「やはり捜査の前に持ち出されたのは間違いないか」
「ログダを殺したのと同じ人物でしょうか」
「それはまだわからん。……クインは今もハーフを追っかけているのか?」
「はい。ルーラも一緒です」
「新人にフェイリバースを押さえられるのか?」
「ルーラは精霊使いです。先走るクインを押さえるには精霊の力が必要かと思いまして」
ふと思いついてスノーレは付け加えた。
「犯人はやはり借り手の誰かなのでしょうか?」
「それなんだが……」
ちょっと困ったようにユーバリは頬を指で掻き
「我々の集めた情報によると、そうとばかりは言い切れないんだ。
ログダは半年前、事故で大怪我をしてな。一時はもう駄目だと皆が諦めたが、奇跡的に回復、職場復帰した」
「憎まれるものほど長生きすると言いますからね。がっかりした人も多いでしょう」
「ところがだ、借り手の話によると、以前に比べてずっと優しくなったというのだ」
「優しく?」
まさかと言いたげにスノーレは目を細めた。
「さすがに借りた金を返さなくて良いとは言わなかったが、返済を待ってくれたり、利子を法定内にまで下げたりしてくれたそうだ」
「代わりに何かを要求したのでは?」
「そんなことはなかったそうだ」
自分でも信じられないとばかりにユーバリが肩をすくめる。
「怪我のせいで人が丸くなったと言うことでしょうか?」
「生死の境をさまようと人が変わるとは聞くが、ログダがそれに当たるかどうかは。しかし取り立てが緩んだのは確かだ。
だからこそ、借り手が危険を冒してまで借用書を取り返しに忍び込んだり、その際に彼を殺したりするだろうかという疑問が出るんだ
それに、これはまだ公表していないが、ログダが殺された部屋の暖炉に、何かを燃やした跡があった。灰はわずかで、せいぜい紙が2、3枚といったところらしいが。
そして。ログダの死体はそのそばに倒れていた」
「すると、犯人が借用書を燃やすのを止めようとして逆に殺された。犯人は予定外の殺人に驚いて燃やすのを諦めて、それを持って逃げた。ということでしょうか? 燃やしてから逃げてもいいと思うんですけれど」
「燃やすにしろ、現場でなくても、持ち出して自宅ででも燃やせば良い。見つかるのを恐れているなら尚更。どこかちぐはぐだ」
「要するに、我々の知らない情報がまだ多いか、我々が勘違いをしているかだ」
トップスが椅子に座ったまま大きく体を伸ばした。
「今の時点で答えを出すのは早い。もっと情報を集める必要がある。フェイリバースの暴走が余計な結果を招かなければ良いが」
そう言うユーバリの顔は不安そうだが、口調はどこか期待が込められていた。
「まいったな。あの朝ぶつかったのが衛士だなんて」
「友達も言ってたわ。まるで物語みたいだって」
ログダ商会の1階ロビーで、クインはハーフとテーブルを挟んで紫茶を楽しんでいた。これで静かなヴァイオリンやピアノの演奏が流れてくれば良い雰囲気のデートなのだが、あいにくと聞こえてくるのは押収した書類を運ぶ物音、衛士隊職員の打合せの声ばかり。
中断していた第2隊の調査が再開されているのだ。建物自体、立ち入り禁止にされ、現場はてんてこ舞い。
「営業再開の許可はいつ出るんですか?」
「捜査の進展次第です。営業の内容自体に疑惑があるのですから、時間がかかるかも知れません」
「確かに父は取り立てに厳しく、恨みも買っていた。しかし法は守っていました。……ギリギリですけれど」
自分でも説得力がないとわかっているのだろう。最後は小声になった。
「周囲から僕たちがどんな風に言われているかは知っています。けれど僕らも仕事で利益を出して、社員達に給料を払わなければならない。
そのためにも仕事を再開したいんです」
ハーフは完全にクインを捜査陣の1人だと思っている。熱く語る彼をクインは押しとどめ
「今は焦らないで。せっかくのいい男がもったいないわ」
隣のテーブルでルーラは手待ち無沙汰に紫茶を口にする。スノーレからクインの抑え役を任されたものの、まだ経験の浅い新人の悲しさ。どうしたら良いのかまったくわからず、ただ見ているだけだ。
「あなたはログダさんの息子、ここの後継者でしょう。不安なときほどトップはどっしり構えるものよ」
「勘違いをしないで」
怒ったような声が近づいてきた。見ると黄色いドレスを着たキツい目の女がいた。腰まであるストレートの金髪。フリルの突いた襟元からはいかにも高そうなネックレスが見える。
「お義兄様。何度も言ったはずよ。あなたは養子。相続の権利は実子である私にあるわ」
「実子というと、あなたがログダの実の娘であるファララ?」
クインが彼女とハーフを見比べる。
「そうよ。さっさとここの衛士達を引き上げさせて、営業妨害だわ」
「ファララ。父さんが殺されたんだ。衛士の捜査を邪魔するわけにはいかない」
「邪魔をしているのは衛士隊のほうよ! だいたい借りた金を返すのは当然でしょ。どうして貸したあたし達が悪人扱いされなきゃいけないのよ。金利だって、借りる側も承知の上で借りたんだから」
「ファララ様、衛士相手にそのような言い方は」
慌てて周囲の職員達がなだめようとするが、逆に彼女にひっぱたかれる。
「どいつもこいつも。みんな借りるときは私たちに感謝の言葉をかけ、何度も頭を下げるのに。返済となると鬼だ悪魔だと勝手なことを!」
「ファララ、口を慎め。衛視の前だぞ」
彼に睨まれ、彼女は黙り込むとそのまま踵を返して出て行った。
「みっともないところを見せて申し訳ありません。しかし、妹の苛立ちもわかってください。養父が周囲からどんな言われ方をされているかはご存じでしょう。私自身、時には借り手にキツい、ひどい言い方をしたこともあります。それで私を悪く言う人もいるでしょう。
しかし、それぐらい強気に出ないとこの商売は成り立ちません。相手は返せるあてもないのに金を貸せと言ってくる連中ばかりです」
「確かに、今朝から衛士隊に借りてから問い合わせが来ていますよ」
上着を脱ぎ、袖をまくったユーバリが汗を拭きながら2人の前に座る。
「貸し手が罪人なんだから、借りた金は返さなくてもいいんですよねと聞いてくるんです」
「そんな奴らです。少しでも隙を見せれば被害者ヅラして逆襲してくる。文句があるなら最初からら借りるなと言いたいですよ。言いたいだけで、実際には言いません。言ったら本当にこちらが悪になってしまう」
震える拳と掌を打ち付けるハーフの手にクインがそっと手を添え
「つらいですよね」
優しげな目を向ける。
「その気持ちはわかります。衛視も似たところがありますから。どんなに同情すべき事情があっても、罪を犯した人は捕まえなければなりません。家族から泣いて見逃してくださいと言われても、捕まえなければなりませんから」
その後ろで、何をしたら良いのかわからないままルーラが2人を見ていた。
足下から猫の声がした。見ると、小柄な虎猫が人なつっこそうな目を彼女に向けている。
「お前、ここの猫なの?」
やることが出来たばかりにルーラは猫を抱き上げた。
「また来たのか」ハーフが猫を見て「10日ほど前からちょくちょく姿を見せるんです。近所の誰かが飼っているらしいんですけれど」
言われてみれば、猫は茶の首輪をしている。
ルーラに抱かれたまま、猫はハーフをじっと見ていた。見るというより、まるで観察しているかのようだった。
「お疲れ様でした」
夜。ハーフは立ち入り禁止のロープをまたいでログダ本社を出ると軽く伸びをした。1日ここで待機させられたものの、それは衛士に説明するためであり仕事のためではない。
「これが何日続くのか」
呟き、歩き出す。
「書類は運び出したはずですから、明日か明後日には禁止は解けるはずです」
いきなり隣から声が聞こえたので見ると、いつの間にか私服に着替えたクインが立っていた。
「うわっ!」
思わず飛び退き
「あ、あなたがどうして?!」
「せっかくですからお食事でもと思いまして」
袖の長いゆったりとした赤いワンピースの彼女は、腕を組もうと手を出すのを、慌てて後ずさって避けると
「い、いえ。お誘いは嬉しいですが、父の葬儀や会社の運営などをファララたちと相談しなければなりません。失礼します」
まるで逃げるように走り出す。
「あの女と打合せね」
小さな含み笑いを浮かべて歩き出す。その横にやはり私服に着替えたルーラとスノーレが並ぶ。
「尾行お願い。彼の目的地はファララの家。先に行っているわ」
ルーラとクインが別れ、ファルルの家に先回りする。
直接尾行するのは、彼とは面識のないスノーレだ。さすがに空を飛んで尾行するわけにはいかない。
(彼は魔導師ではないはずだけど、念のため)
ポケットから眼鏡を取り出し、今、かけているものと取り替える。声にならないほど小さく呪文をつぶやくと、眼鏡のレンズ、彼女しか見えない内側に街のいくつかが淡く光る。この眼鏡は魔導の品を見分けることが出来る。さすがにどんな力があるかまではわからないが、主に相手側に魔導師がいるか、魔導の品を持っていないわかるだけでも随分違う。
街の所々に見られる魔導灯。時折見かける魔導師が持つ魔玉の杖などが淡く光って魔導の品であることを示す。だが、ハーフには何の反応もない。少なくとも、彼は魔導品も魔玉の杖も持っていない。
(でも、油断は禁物。仕事柄、周囲に気を向ける癖が付いているはず)
大通り、川沿い、郵便局やゴミの収集所などを通り、尾行しているうちに、スノーレは見覚えのある道に出た。ファウロ・ベーカリーから本部に行く道だ。
「ここね。クインが彼と運命の出会いをした場所は」
小さく笑みがこぼれる中、彼女はある疑問がどうしても離れなかった。
(持ち出したのが借用書だとしたら、どうして途中で処分しなかったのかしら)
細かくちぎって川に捨ててもいい。集積場のゴミに紛れ込ませれば今頃は焼却炉で灰になっているだろう。意外な隠し場所なら、郵便局の時間外ポストに放り込む手がある。郵便局が勝手に安全な共犯者の元に届けてくれる。
でも、彼はそのどれもしなかったことになる。
「?」
動く光が彼女の思考を遮った。地面を走るように光が流れていく。
「あれは……」
眼鏡を外してその正体を確かめる。彼女は伊達眼鏡だ。眼鏡を外しても視力に変わりは無い。
「間違いないわ。ログダ殺しの黒幕はあのファララって女よ。
ファララの家の先回りするため駆けながらクインがルーラに語る。
「父親を殺して会社を自分の物にしようとしているのよ。次に狙うのはハーフよ。血が繋がっていないとはいえ正式な養子。生きていられては遺産のほとんどを彼に取られかねない」
「じゃあ、ハーフさんが持っていたって言う借用書は?」
「きっと、会社を守りたかったのね。いくら悪事を働いているとは言え、ずっと後継者として働いていた会社だもの、愛着があるわ。でも、このままでは彼も捕まる」
「じゃあ、どうするんですか?」
「彼に自首するよう説得するわ。立場上、彼にもある程度の罪があるだろうけど、誠意を見せればかなりの減刑が期待できるわ。借用書の提出は、彼にとって有利に働くはずよ」
走る2人の足が止まった。
目の前に、邪魔をするように男が3人立っていた。いかにもその辺のごろつきという風体だが、一言も口をきかず、刺すように向けられた視線は明らかにこの手の荒事を生業とする者だと感じさせる。
ちょうど人通りの少ない裏通り。まだ宵の口とはいえ、辺りに人影はない。
「何かご用?」
「いや、ちょっと金と女に不自由していてね」
「見たところ体は健康そうだし、職安に行ったら。ここから西に2ブロック行ったところにあるわよ」
言いながらクインが背中に手を回す。
「私たちの足止めして、その隙に何をする気かしら」
服の裾に手を入れ、背中に隠していた愛用のサーベルを取り出す。
「時間が惜しいわ。さっさと片付けるわよ」」
男達の前で身構えるクインの耳に、ルーラが口を寄せて何かつぶやいた。
「いい手ね、お願い」
クインが答えるのと同時に、男達がナイフを手に襲いかかる。
「お願い、闇の精霊!」
次の瞬間、男達の視界が闇に包まれた。ルーラの願いを聞き入れた闇の精霊が、男達をすっぽり包み込んだのだ。光が閉ざされ、完全に視界が闇と化す。
「な、何だこりゃ」
「何も見えねぇ」
「ぐっ!」
1人がうめき声を上げて倒れた。闇に乗じて襲われる。焦りが残る2人に獲物を震わせた。闇の中、敵も味方もわからない状態で。
苦痛の声が続けて上がり、闇が晴れる。
そこには、3人の男が傷だらけで互いに向かい合ってへたり込んでいた。クインとルーラの姿はない。
3人は、ここでようやく彼女たちはとっくに走り去り、ただ、自分たちが同士討ちをしていただけなのを知った。
ファララの家は周囲を高い壁に囲まれ外から中は見えなかった。
「家と言うより砦ね。外から中を見られたくないみたい」
敷地だけで半ブロックはある。正門もしっかり閉ざされ、中の様子も見えない。周囲の壁は格子などではなく、煉瓦造りの壁で2階近くの高さがある。ちょっとジャンプしたぐらいではのぞくことも出来ず、中の様子はサッパリわからない。
「彼が中に入ったら、お手上げね」
「どうします? ハーフさんが来たら、中に入らないよう説得するんですか?」
「それだけでは不十分よ。何とか中に入り込めないかしら」
「第2隊の捜査は入らなかったんでしょうか?」
「入っても型どおりでしょ、守りが堅いって事は、それだけ大事なものがあるって事よ。借用書とかね」
「ハーフさんが持ちだしたあれですか?!」
「そうよ。そいつを私たちが手に入れたらどうなる。ハーフに自首するよう説得しやすくなるわ」
「でも、簡単に手に入れられますか?」
「やるのよ。やってもやれるとは限らないけど、やらなきゃ絶対やれないの!」
その気迫だけでルーラは頷くしかなかった。
クインにしっかとしがみついてもらい、ルーラは風の精霊に語りかける。
つむじ風が舞ったかと思うと、2人の体は上空に放り投げられ、塀を越えて敷地内に着地する。
「この前のせいか、どうも風の精霊って苦手だわ」
前回、風の精霊で思いっきり飛ばされたことを思い出してクイン身震い、足がしっかり地面についていることを確かめ、ルーラから離れる。
「さて、中に入りましょう。こういうのは塀が高い分、それを越えた先の警備は甘いものよ」
歩き出し、ルーラもその後を追う。途端、地面に穴が空いて2人が落ちた。
落とし穴だ。
「痛っ~ぁ。何なのよ」
穴の直径は1メートルほど、深さは3メートル近い。2人とも土まみれではあるが、「痛い」で済んでいるのは運が良すぎるほどだった。
「誰かと思えば、ハーフと一緒にいた衛士じゃない。いつから衛士はこそ泥を副業にするようになったのかしら」
見上げると、穴の上から灯りを持った男たちとファララがのぞき込んでいる。
「あんた、自分の家に落とし穴作るなんて何考えているの!?」
「仕事柄、うちに入り込もうとする不埒者が多いのよ。令状なしで入ると、衛士でも罪になるのよ。知らなかった? 後で縛り上げて突き出してやるから、それまでおとなしくなさい」
いつ用意したのか、彼女と一緒にいた男達が鉄板で穴に蓋をする。
穴の中が真っ暗になった。と思ったら光が満ちた。
「なに、この光?」
「光の精霊に来てもらったんです」
ルーラが精霊の槍の穂先を撫でて答えた。精霊の槍の頬先は精霊の石と呼ばれる特殊な石で作られている。精霊使いはこの石を通して精霊たちと意思を交わし、様々なお願いを叶えてもらう。魔導師が魔玉と呼ばれる玉で魔導を発動するのと同様、精霊使いにとっては必須の道具であり、この精霊の槍は精霊使いの身分証明書みたいなものである。
光の精霊による灯りは空間全体が明るくなるため、光源がなく、影が出来ない。クインは何度も瞬きし
「影がないとなんか変ね。でも、灯りがあるだけでもありがたいわ。何とか壁に踏ん張って」
手足を広げ、穴に突っ張る形でクインは少しずつ上がっていく。が、途中でバランスを崩し落っこちた。
「もういっぺん!」
やってみるが、やはり途中で落ちる。
「あの、大地の精霊に頼めば上まで持ち上げてもらえますけど」
土まみれでへたる彼女にルーラがあっさりと言う。
「……そういうのは早く言って」
外は夜。兵が外に灯りを遮っているが、敷地内の外灯が庭を照らしている。庭の隅、地面に置かれた鉄板。それが重い音と共に微かに揺れた。
「……痛ったぁぁぁぁぁ」
鉄板が微かに持ち上がり、横にずらされると、下の穴から頭を押さえたクインが、続いてルーラが這い出てきた。
「もっと静かにあげられないの?」
「あれでも静かな方ですけれど」
精霊の力は力は強いが微妙な加減が出来ない。
這い出たルーラが穴に一礼すると、ちょうど底が持ち上がるように埋まっていた穴が、再び引っ込んでいく。大地の精霊が穴の床部分を持ち上げ、2人を上まで運んできたのが、元に戻ったのだ。
「何だ、今の音は?」
家の陰から男が小走りでやってきた。やはり気になっていたのだろう。手にした龕灯を穴に向ける。
鉄板の上には、1匹の小柄な虎猫が座っていた。クインとルーラの姿は見えない。
「みゃお」
「……何だ、猫か」
猫好きなのか、男も「みゃお」と声をかけて持ち場に戻っていく。
男の姿が見えなくなったのを確認してから、植え込みの陰からクインとルーラが出てきた。
「今のうち」
「ありがとう、猫ちゃん」
2人は男とは違う方向に走っていく。その背中に、虎猫はガンバレとばかりにウインクして見せた。
「強制捜査さえしのげれば、数日おとなしくしているだけで済む。そう言ったのはあなたよね、お義兄様」
屋敷の広々とした居間で、ハーフとファララは向き合って座っていた。2人を囲む男達は、身なりこそきちんとしているが、目つきといい、決して互いに背を見せようとしない降るまいといい、兄妹がくつろぐ場にいるようには見えない。
「父さんが殺されたのは想定外だ。しかも衛士隊の捜査の最中に発見されるなんて」
「衛士隊に会社や家族をとことん調べてくださいと言っているような見つかり方だったわね。父様最後の嫌がらせかしら。このあいだの事故で、そのまま死んでくれれば何の問題もなかったのに」
「あれは今回の捜査以上の想定外だった。しっかり回復したあげく、金貸しを止めるなんて言い出すなんて思わなかった」
「打ち所が悪かったとしか思えないわね」
苛立ちを隠さないまま、ファララは紫茶のカップに口を付ける。
「それより、これからどうするかを決めないと」
「そうだな。あの妙にまとわりつく衛士のこともあるし」
「クインとかいう女衛士のことなら、さっきここに忍び込もうとしたのを捕まえたわよ。落とし穴に引っかかったの」
言われて、ハーフが笑いながら自分の頭を掌で叩いた。
「彼女、僕の部下を返り討ちにしただけで無く先回りしたのか。なかなかやるなぁ」
「今は穴の底ですけれどね。それで、お義兄様。これからどうするつもりなの?」
「ファララはどうするつもりだい?」
「面倒なことはお断りよ。しばらくウブを出てのんびりするわ」
「おいおい、後始末はみんな僕に押しつけるのかい」
「追い出されないだけでもありがたいと思いなさい。私という実子がいる以上、あなたは所詮、跡継ぎのスペアだということを忘れないで」
その言葉が合図だったように、ハーフの目が細まった。とても妹に向ける目ではない。
それに気がついたのか、ファララはあからさまに不快な目を彼に返した。
「何か言いたそうね」
「ええ。とても良い案があるんだけど、聞いてくれるかい」
「聞くだけならね。同意するかは別」
「この騒ぎを静める一番手っ取り早い方法は、犯人が捕まること。そうじゃないか」
「貸したお金を帳消しにするから犯人として自首しろって、借り手の誰かにもちかけるの?」
「まさか、ばれたときが怖い。それよりも動機があって機会があるという、うってつけの人がいる」
そう言う彼の目は、真っ直ぐファララを向いていた。
「父が後を自分ではなく、兄に継がせようとしていると思い込んだその人は父を殺害、兄にその罪をなすりつけようとするが、返り討ちに合う。というのはどうかな」
その意味を知った彼女がハーフを睨み返す。
「それが目的? 私がそんな策に乗ると思う?」
「乗る乗らないは関係ない。死体にして衛視に渡せば良いだけだ。落とし穴の中のクインを助けて事情を話せば、彼女はきっと僕の正当防衛を認めてくれる。彼女は僕を大分気に入ってくれているみたいだしね」
「そんな手に」
言いかけた彼女の両腕が、左右の男にしっかと握られた。そのまま力尽くで立たせられる。
「ちょっと、あんたたち、何をするの?」
振りほどこうとするが、腕を握る2人の男は微動だにしない。彼女は助けを求めてたの男達を見回すが、彼女を助けるそぶりすら見せない。
「ファララ、君はログダの実子だけに何をするにも言葉1つで済む。だから根回しという大事なことを忘れてしまう」
「あんた」
彼女はもう、ハーフのことを義兄とは呼ばなかった。
「彼らを恨まないことだね。彼らは彼らなりに、どちらにつくのが利益になるかを考えたに過ぎない」
どこか楽しげな笑みを浮かべ、ナイフを取り出した。彼が護身用に持ち歩いているものだ。
ファララの顔が強張った。
「せめてもの礼儀だ。他人任せにせず、僕自身が殺してあげるよ」
「あんたに人が殺せるの?」
「殺せるよ。義父さんみたいにね」
「え?」
唖然とする彼女に、彼は笑みを向けた。とても楽しそうな笑みだった。
ハーフは思い出していた。あの時のことを。
捜査が入ることを聞きつけ、深夜にもかかわらず会社に戻った。違法な高利による貸し出し、それらを見逃してもらうために衛士やウブの役人の弱みを記した、ばらまいた賄賂のリストなど隠しておかなければならない書類が山ほどある。
意外なことに、そこにはログダがいて、彼が隠そうとしていた各種書類の整理をしていた。彼はてっきりそれらの書類を別の場所に移すため整理していると思い込んだが、そうではなかった。
「良い機会だ。私はこれを衛士隊に提出する。私はこの家業に疲れた。全て終わりにする」
「馬鹿な。そんなことをしたら義父さんは牢獄行きだ。僕やファララもそうですよ」
「罪は私1人でかぶる。お前達は私が恐ろしくて逆らえなかったと言え。それでも無実にはならんだろうが、減刑はされるだろう。
それも嫌だというなら、手近な金をかき集めて今夜の内に姿を消せ。私のせめてもの親心だ」
「本気ですか?!」
「本気だ。我ながら不思議だと思う。事故での打ち所がよほど悪かったのだろう。いや、良かったのかな」
「義父さんはそれで良いかもしれないが、僕たちを巻き込まないでください。子供の未来をめちゃくちゃにして、何が親心ですか?!」
「親殺しを目論んだ息子にかける情けとしては最上だと思うがな」
ハーフに向けた目は、かつての鬼だの悪魔だの借り手から呼ばれた頃の気迫があった。思わずハーフが後ずさる。
「私が死にかけたあの事故、あれがお前の仕業だと気づかないと思ったか。私を殺し、ファララを追い出すか飾り物にして会社を乗っ取るつもりだったのだろう。
それについてこれ以上お前を責めるつもりはない。そういう男に育てたのは私だからな」
ログダは書類の一部を持って暖炉に歩み寄る。そこには小さいながらも火が起きていた。
「何をするつもりです?」
「借用書の処分だ。私が帳消しにすると言ってもこれが残っている限り、他の者が取り立てを続けるだろうからな」
「馬鹿な、借用書がなければ借り手は平気で踏み倒しますよ。それだけで何千万ディルになると思っているんですか?」
「45,821,050ディルだ。確かに大金だが、今の私にとっては何の意味も無い」
「正気ですか?」
青ざめ、ハーフの体が震える。その目の前で、ログダは借用書を自らの手で破いては火にくべていく。小さな火だね程度だったものが、借用書に燃え移り、大きくなる。
「やめろぉぉぉぉっ!」
ハーフが懐からナイフを取り出し、ログダの背中に襲いかかった。
義父を殺したナイフを手に、ハーフはファララに近づいていく。あの時よりもずっと落ち着いていた。それが彼女には不気味だった。
「待ってよ。わかったわ。さっき言ったとおり、私はウブから出て行くわ。あなたを殺し損ねて逃げ出したことにすれば、あなたの筋書きにも合うでしょう」
「駄目だ。あいにく、僕は君を信用していない」
近づく彼をファララが蹴飛ばそうとする。が、彼はその足を捕まえ、
「さよなら、愛しい妹よ」
手にしたナイフを彼女の腹に突き立てようとした時、
「そこまで!」
扉が勢いよく開かれ、クインとルーラが現れた。
ハーフの動きが止まる。
扉のそばにいた男がクインに襲いかかるが、彼女のサーベル一撃で床に倒れる。
「あんたたち、いつの間に?!」
意外そうなファララに、クインとルーラは得物を構える。
「威勢は良いが、2人だけで何をしようって言うんだ」
ファララを放し、口笛を吹く。それを合図に他の部屋や別の階から男達が次々現れ、クインとルーラを取り囲む。その数20人以上。
「パーティじゃあるまいし、こんなに集めなくてもいいじゃない」
「君たちの歓迎パーティと考えれば悪くないだろう」
ナイフや手甲で武装した男達に迫られ、2人は背中を合わせる。
「せっかくだ。君たちにチャンスをあげよう」
「くれるって言うならもらっても良いけど」
油断なくサーベルを向けたままのクインにハーフは
「仕事柄、衛士の味方がほしい。今回だって、強制捜査がもっと早くわかっていたら適切な対応が出来ただろう」
「あなたの味方として衛士の情報を流して欲しいってことね」
「こちらが望んだ時、ちょっと目を休めればいいだけさ。ゆっくり休めるよう療養費を経費として出そう」
「楽で良いわね」
クインは笑わぬ目で見つめ返し
「でも、楽しくない楽は気持ち悪いから止めとくわ」
「楽してお金が入るのは楽しくないのかな」
「私が楽しいのは、良い男とラブラブになることよ!」
その時だ。居間の窓をぶち破って、1匹の虎猫が飛び込んできた。手近な棚に飛び乗り、高々と鳴く!
屋敷の正門。空から2人の魔導師が降りると、屋敷の正門のかんぬきを外して中から開ける。
外にはメルダーとユーバリ、ニンダスの3人の衛士隊長が部下達を携えて立っていた。スノーレもいる。
「衛士隊だ。これよりン・ログダ殺害及び金融営業法違反の強制捜査を行う」
「抵抗を止め、我らの捜査を受け入れろ。抵抗するものには容赦はしない!」
衛士達が一斉に敷地になだれ込む。
「敷地の至る所に罠があります。気をつけて!」
どこか幼さを残す衛士が魔玉の杖を掲げて叫ぶ。第2隊の魔導師オレンダだ。
「スノーレ、扉を壊せ」
メルダーの支持を受け、スノーレが魔玉をつまむようにしてから引くと、指と魔玉の間にオレンジ色の矢が生まれる。
「一砕・爆炎!」
叫びと供に指を放すと、オレンジ色の矢が真っ直ぐ正面扉に飛んでいく。
扉に当たった瞬間、それは爆発して扉を木っ端微塵に吹き飛ばす。衛士達がそこから一斉に屋内になだれ込んだ。
庭から警備の男達が犬を連れて走ってくるが、その前にメイスを手にしたイントルスが立ちはだかる。
牙を剥いて飛びかかる犬の横っ面を彼のメイスが打ち払った。
扉が爆砕される衝撃に、クインとルーラを囲む男達の動きが止まった。
その隙にルーラが動く。
「風の精霊!」
虎猫が破った窓から風の精霊が流れ込み、彼女の周囲で容赦なく渦を巻く!
今に吹き荒れた突風が椅子を、テーブルを、男達を吹き飛ばす。
強烈に壁に叩きつけられる男! 男!! クイン!!! 男!!!!
「私まで飛ばすなーっ!」
赤く腫れた顔面でクインが文句の叫びを上げる。
たまたまダメージの少なかったハーフが起き上がり、居間を飛び出す。ファララも男達の腕を振り払い駆け出す。
「待ちなさい!」
追いかけようとしたルーラの前に男が1人、小剣を手に斬りかかる。
手慣れたその動きは鋭い。が、ルーラはそう攻撃をごく少ない動きで全て避けた。
「何だと?!」
攻撃を全てかわされ、男が動揺した。衛士とはいえ、まだ14歳の小娘にかすり傷1つ付けられないのは予想外だった。
再び攻撃をかける。が、ルーラには
(見える……)
男の攻撃はやけにゆっくりとしたものに見えた。毎朝のように相手をしているトップスに比べ、この男の動きの何とゆっくりと、わかりやすいものか。
彼女は小剣をかわすと、逆に持ち替えた槍の石突で男の腹をついた。
まさかと言いたげな表情のまま、男は床に倒れた。
そこへ衛士隊がなだれ込んでくる。
「ルーラ、クインは?」
スノーレが駆けてくる。言われて見回すが、彼女の姿はいつの間にか消えていた。
屋内が騒ぐ中、ハーフは窓から庭に飛び出した。
「たっぷり時間を稼いでくれよ」
裏門に向かおうとする彼の前に、サーベルを手にしたクインが現れた。
「君か」
「あなたにいい男のかけらでも残っているならば、ここに留まり、全てを話すことね。これが一時とは言え、あなたに恋した私の情けよ」
「いい加減にして欲しいな。君の身勝手に付き合うほど馬鹿じゃない」
「そうね、人の気持ちを汲むような人ならば、金貸しといえどもここまでこじれたりはしないわ」
「金貸しのどこが悪い。ファララの言い草じゃないが、金を借りて返せないのに文句を言う方がおかしい。だったら最初から借りるな」
せせら笑う彼に、クインは静かにサーベルを構える。
「困った人がどんな思いで、あなたたちに頭を下げて金を借りたか。あなたたちが悪徳高利貸しとわかっていても、それに頼らざるを得ない人達の生きるためのあがき。
あがく人の手を取れとは言わないわ。けれど、そういう人達を鼻で笑う人はいい男と認めない!」
「認めない? 僕は君に認めてもらうために生きているんじゃない」
ハーフも小剣を抜いて構える。
「人に認めてもらえなければ、人の上には立てないわよ」
攻め込む彼女の斬りを受けては後ずさるハーフ。
「女にしてはやるな」
「剣に性別はないわ」
より激しく、深く切り込むクインをハーフは最初は受けていたが
「ぐっ……こいつ……」
その激しさに防戦一方になっていく。息を乱し、必死で剣を受け、かわす彼に対し、クインは息1つ乱さず切り込んでいく。
ついにハーフの小剣が弾き飛ばされた。
クインが大上段に構えたサーベルを振り下ろす!
反射的にハーフはその刀身を両の手で挟むべく打ち合わす!
サーベルの動きが止まった。
「……白刃取りなんて、そうできるもんじゃないわよ」
刀身は彼の打ち合わせた両の手をすり抜け、眉間を直撃していた。とっさに刀身を反転させた峰打ちだ。
彼女は静かにサーベルを引き抜くと、白刃どりのポーズのまま固まっている彼の前で鞘に納める。と、納めた音を合図に彼の身体が崩れるように倒れた。
ログダ家の敷地と外を隔てる壁。その一角、煉瓦の境目に沿って壁が開き、ファララが出てきた。
「まったく、なんて日よ」
服についた汚れも払わず、そのまま通路を横切り路地に駆け込む。幸いにもこの一角は出入り口がないので見張りの衛士もいない。急な捜査で準備が不十分だったのだろう。
この辺りは繁華街とも外れているので夜になると人出も少ない。彼女は衛士に見つからないよう一気に路地を抜け、大通りに飛び出す。
突然飛びだした彼女に、たまたま通りかかった1頭立ての荷馬車が慌てて止める。
「人出が少ないとは言え、危ないですよ」
御者台の男が優しく言った。見たところ30代半ば。左目を縦に裂くような傷が厳めしいが、顔立ち自体はむしろ学者めいていてどこか優しげだ。
馬車の隅に八大神のひとつ、サークラーの紋章が掲げられているのを見て
「ちょうど良いわ。サークラー教会まで乗せて」
返事を聞かずに御者台に上がる。
「乗合馬車ではありませんが」
「お金は払うわ」
荷馬車に潜り込もうとするが、中に灯りがないのを見て勝手に御者台のランプを外す。その図々しさに気圧されたのか、御者台の男は無言で馬を走らせた。
荷馬車は半分ほど荷物で塞がっていた。隅の箪笥をのぞいて見た目のきれいな木箱がきちんと並んでいる。
木箱を開けてのぞくと、光沢のある生地。触れると、その肌触りの良さに驚いた。
「申し訳ありませんが、商品には触れないでください」
「自由商人かしら。随分と良い生地を扱っているのね。シャルク産?」
「はい。肌に直接身につけるものは、一度いいものを知るとなかなか落とせないものです」
木箱を閉めると、ファララはようやく一息ついた。サークラー教会には知り合いが何人もいるし、交流神とも呼ばれるサークラーは、自由商人の支援を行い、国同士、町同士のつながりも深い。とにかく、今はウブを出て知り合いに身を寄せるつもりだった。どうするかはそれから考える。
(あいつら……ただじゃ済ませないわよ)
爪を噛み、怒りを燃えたぎらせる彼女だが、どうするかの具体的な策はなかった。ここが彼女とハーフの決定的な違いだろう。必要なことは、自分がするのではなく、周囲が勝手にしてくれると決めつけているのだ。
冷静に考えれば、彼女の罪はそれほど重いものではない。捜査に協力的な態度を取れば牢に入ることも免れるかも知れない。が、彼女にそこまで考えは回らなかった。ただ、衛士に捕まり、罪人となることが何よりの屈辱だった。
外からは見られない位置で静かに座り、外の様子に耳を傾ける。時折賑やかな声がする。
しばらくして馬車が止まった。
「つきましたよ」
御者台の男が言うので
「待ってなさい。教会に者に言って乗り代を払わせるわ」
彼女自身は金を持っていなかった。だが、御者台の男はそれに文句を言わず彼女が通れるよう場所を空ける。
体を出した彼女は思わず動きを止めた。
「違う。サークラー教会じゃない」
目の前にある建物は、東の衛士隊本部だった。
「あなたの行き先はここの方が良いと思いました。乗り代はいりません」
そう言う御者台の男を彼女は睨み付ける。いつの間にか、馬車はトップス隊長率いる衛士たちに囲まれていた。
「派手に暴れたものだ」
めちゃくちゃになった調度品が広がる居間の惨状を見てメルダーがつぶやいた。棚は倒れ、テーブルや椅子は壊れ、床には砕けた彫刻やら何やらが散らばっている。
「我々が突入したときには既にこうでしたが」
直立不動でイントルスが答える。皆の視線が一斉にルーラに向けられた。
「……すみません。風の精霊さんに助けを求めて」
肩をすくめる彼女の足下で、虎猫がニャアと鳴いた。
「さっきはありがとうね」
猫を抱き上げる。その顔を見て
「あれ? もしかして、ログダさんの会社にいた」
「そう。潜り込んで中を調べ、今夜はあなたたちを尾行して、2人の危機を衛士隊に知らせた使い魔さん」
スノーレがオレンダと一緒に入ってきた。
「使い魔って」
「アバター」
オレンダが声をかけると、虎猫はルーラの腕から放れ、彼の腕の中に飛び上がる。
「紹介します。僕の使い魔のアバターです。感覚共鳴によって、こいつの見聞きしたものを僕も感じることが出来ます」
「じゃあ、さっき窓から飛び込んだのもオレンダさんの指示だったんですね。ありがとうございます」
にっこり笑って頭を下げるとアバターの顎をなで
「君も勇敢だね。あんな時に1匹で飛び込むなんて」
なんのなんのとアバターが一声鳴いた。
嬉しげにアバターとじゃれる彼女の顔をじっと見ていたオレンダが
「……かわいい……」
頬を染めてつつぶやいたのに、皆が「え?」と一斉に彼を見た。
衛士達により屋内にいた人達は全て捕らえられた。もちろん、庭で白目を剥いて気絶していたハーフもだ。
逃げたファララが捕まったと報告が入ったのは、そのすぐ後だった。
大ジョッキのビールを一気に飲み干し
「あーっ、世の中にいい男はたくさんいるのに、どうして私の所に来ないの! 見かけだけいい男はもうイヤ!」
「恋ってのはね。上手くいかないことが多いからこそ、実ったときが嬉しいのよ」
スノーレの言葉に、ルーラもジュースのカップを手にうんうんと頷く。
「うまくいかないのが多すぎ! セール品でも良いからいい男が欲しい!」
「いい男はセール品にはならないわよ」
仕事帰り。スノーレとルーラは荒れたクインに引っ張られ酒場に来ていた。外のテーブルの1つに陣取り、春の終わりを告げるそよ風に吹かれながらジョッキを傾け、簡単なつまみに手を伸ばす。ウブでは16才未満に酒の提供は禁じられているため、ルーラは今が旬のサクランボのジュースだ。
「ルーラ、あなたの思い人のザンって自由商人、いい男?」
「はい」
笑顔での即答に、クインは座ったまま身悶える。
「何でルーラにいい男がいて私にはいないの」
「……私にもいないんだけど」
スノーレの呟きは無視された。
「世の中不公平ーっ! 神様は絶対ルーラをえこひいきしているーっ!」
その時、離れた席で騒ぎが起きた。テーブルが倒れ、酒や食べ物がぶちまけられる。
「それが客に対する態度かよ」
「ウェイトレス雇ってんならそれぐらいのサービスしろよ」
とても紳士とは言いがたい風体の悪そうなチンピラが3人。彼らにウェイターが殴り倒され、床を転がる。
「男に用はねえんだよ」
「そちらになくてもこちらにはあります。ここはみんなで楽しく過ごす場所です。乱暴な振る舞いはおやめください」
言いながら乱れた服で震えているウェイトレスに目でこの場を去るよう合図する。
店内に引っ込むウェイトレス。チンピラ達は、男の方に気が向いているのか気がつかない。
「俺達は楽しく過ごしちゃいけないってか」
「他のお客様が不快に思われます」
「おうおう、格好良いじゃねえか。どこまで格好付けられるか試してやろう」
拳を鳴らしながら3人が近づく。いずれも筋肉質でかなり強そうだ。対するウェイターの方は、目つきこそまだ力が感じられるが、喧嘩が得意そうには見えない。
「私だって痛いのは嫌です。でも、あなた方を野放しにする方がもっと痛いです」
痣のついた顔。蹴られて口の端を切ったのか、ついた血を拳で拭う。
「この格好付けが!」
襲いかかるチンピラの顔面にビールがぶっかけられた。たまらず足を止める3人と男の間に割って入ったのは
「むさい男が粋がっているんじゃないわよ」
空のジョッキを手にしたクインだ。いつ手にしたのか、左手に掃除用のモップを持っている。
「誰だお前は?」
「私は……いい男の味方よ!」
ウェイターを振り返り
「だから、あなたの味方」
とウインクする。
その様子に唖然とするルーラに
「相変わらず立ち直りが早いわ」
スノーレはいつものこととばかりに苦笑い。
「クインさんを助けなくて良いんですか?」
「あの程度の連中なら心配ないわよ。周りがとばっちりを受けないように気をつければいいわ」
何事もないように魚のフライを口にした。
スノーレの言葉を裏付けるように、クインはチンピラたちに向き直り
「さぁいらっしゃい。あんた達みたいにわかりやすい悪役は遠慮無くたたきのめせるから楽だわ」
モップを構える姿からは余裕すら感じられる。
「このアマぁ!」
掴みかかる男の手をひょいとかわし、モップの柄でその横っ面をひっぱたく。
酒場の前でクインと3人のチンピラの乱闘が始まった。
客達が慌てて席を立つ。その間にスノーレとルーラが、倒れた客を引っ張るように避難させる。
「大丈夫ですか?」
「私は大丈夫。それよりも彼女を」
スノーレの加勢に入ろうとするウェイターを、2人が押しとどめる。
「彼女なら大丈夫」
2人は衛士隊の身分証明書を提示して
「あの程度の男達に負けたりしません」
衛士と言うことで少し安心したのだろう、彼はホッと肩の力を抜いた。
「キリング!」
ウェイトレスの1人が半泣きになって駆け寄ってきた。
「大丈夫。無茶はしないで」
「平気さ、君との結婚を控えてるんだ」
キリングと呼ばれたウェイターは軽くウェイトレスを抱き寄せキスをする。
その様子にルーラとスノーレの顔が強張り、目を合わせた。
「これは……クインさんには」
「片付くまで黙ってましょう」
スノーレの言葉にルーラが頷く。
2人はクインの戦いを目を向けた。
クインが3人のチンピラを圧倒している。体力がある分彼らは倒れずにいるが、時間の問題だ。
「いい男に、カンパーイ!」
夕暮れのウブに、クインの歓喜の叫びが響いた。
(第2話 おわり)
クインが主役というより、彼女の一人相撲回。人の迷惑関係ない。私は私の道を行く。
周りの人にとっては迷惑以外何物でもないが、書く分にはとても楽しいキャラ。クイン・フェイリバースとはどんなキャラかと聞かれたら「とっても頼りになるカッコ悪いキャラ」と答えます。
この話で一番悩んだのはハーフの正体。いい人にするか悪人にするか。やはりクインが衛士と言うこともあり、悪人に恋するパターンが良いだろうということで一番の悪役にしました。最後はできるだけ間抜けな負け方で。いい人だったら、殺されていたかも知れません。