『第12話 火の鳥が落ちるとき(前編)/5・不穏』
サークラー教会駐車広場。駐留しているトゥヴァード号を見ようと詰めかける見物人。彼らを目当てに店を出す屋台や物売りが並び、この一帯は一足早い祭りになっていた。
市民の大半は遠巻きに見たりスケッチするだけで満足したが、中には冒険心をくすぐられて侵入を試みる者達が何人もいて衛士や教会員を手こずらせている。
隣接する倉庫の多くがトゥヴァード号運行に必要な資材の保管に使われた。それによって本来保管されるべき在庫などは他の倉庫に移され、出入りの商人達に混乱を招いているのはレジェンドがぼやいたとおりである。
「受け取りにサインをお願いします」
リドゥ・マサラガルフがトゥヴァード号の乗務員に書類を提示する。市長やサークラー教会の要請により必要なものはできるだけウブで調達することになっている。具体的には乗務員の食事や消耗品などだ。それらはこうして倉庫まで運ばれる。さすがにトゥヴァード号内部に運ぶのは乗務員自身が行う。
「リドゥさん。お仕事は慣れましたか」
見回り中のルーラとイントルスがやってきた。係留中も第3隊はトゥヴァード号周囲の警備を担当している。
「ええ。まだ言われたとおりのことをする程度しかできませんが」
そうはいってもトゥヴァード号の荷物の受け入れを担当しているのだから、教会から信頼を得ているのはわかる。ウブでも知られた裁縫工場の社長の息子で役員を務めていたが、結婚式当日に嫁に逃げられ、「逃げられ婿さん」と笑われたあげくサークラー教会の下っ端だ。ふてくされてもおかしくないのに今の彼は仕事を楽しんでいるように見える。
「ここは面白いですよ。いろいろな人や物が行き来する。見ているだけで勉強になる」
「それはあなたが新たな力を身につけている証拠だ。新たな力を得るのは、いつだって楽しいものだ」
イントルスが静かに頷く。力神とも呼ばれるゴーディスを信仰する彼にとって、人が力を身につけていく姿は喜ばしい。そこへ
「ギーガちゃーん!」
白衣を着た薬草師であり彼の幼なじみホワン・フワ・フーワが相変わらず糸のような目の微笑みを浮かべてひょこひょこやってくる。
「ホワン。どうしてお前がここにいるんだ? 近くで喧嘩でもあったのか?」
「違うよぉ。飛行船の救護係として乗るのぉ。だから今日は打合せ」
相変わらず力の抜けるようなしゃべり方でトゥヴァード号を指さす。
「トゥヴァード号には専用の医者が乗っているはずだが」
「遊覧中はいろいろな人が乗るから、助っ人」
気楽に言うが、
「本当は乗務員とお客さんとをできるだけ分けたいみたいだけど。それでもタダで飛行船に乗れるんだからお得なのぉ。誰か倒れなければ空くからギガちゃん、一緒に回ろう」
「俺は仕事だ」
「うー。ギガちゃんマジメ」
頬を膨らませるが、いざ誰かが倒れれば彼女が1番働くのはルーラたちもよくわかっている。
そんな3人を、倉庫の隅で荷物の運搬をしている作業服姿の男達がちらちらと目を向けていた。
「……あの女がルーラ・レミィ・エルティースだ。間違えるな。衛士の制服を着た髪の短い方だ」
「色気のない女だな。後ろから見たら男と間違えそうだ」
「まだ14才だからな。だが油断するな。精霊の力を使われたら厄介だし、女自身トップスから直々に槍の手ほどきを受けている。小娘と舐めると痛い目に会うぞ」
「わかっている」
ルーラたちは男達に気がついていない。
「ところでシェルマは一緒じゃないんですか?」
「オレンダ……シェルマさんは別の隊ですから」
先の製粉所の事件でオレンダの家族と知り合って以来、紛らわしいのでオレンダのことをシェルマと名前呼びするようにしたルーラだが、まだ慣れていない。
「あれ、さっき見たけれど。別の件かな?」
「マサラガルフさん。次の馬車が来ました」
「今行きます。それじゃ」
次の仕事にかかるべくリドゥが早足で出て行く。その時、先ほどの男達の姿はもうなかった。
「飛行船内部には暖気流を安定させるため無数の安定板が入っていますが、具体的な位置はお教え出来ません」
トゥヴァード号内。機関室の壁に貼られたトゥヴァード号内部図を前に、スノーレは機関部船員の1人から説明を受けていた。
彼女はじっと眼鏡の位置を直しつつ飛行船の図を見つめ
「熱を発する魔玉は4つ。暖流を偏らせず、ある程度コントロールするのには」
魔玉の杖を逆に持ち、石突き部分を飛行船内部図に向け
「こことここ、ここに2枚、角度をずらして」
次々と飛行船の図に線を引いていく。それを見ている船員が驚くように
「な……なんで解るんですか?!」
「閉ざされた空間における温度差による対流操作」
いつの間にか船員の後ろで小太りが厳つい顔の男が立っていた。機関長のジャージ・ワットだ。
「2年前に君が発表した論文だったな。スノーレ・ユーキ・ディルマ」
彼女の手が止まり、ゆっくり振り返る。
「どうしてそれを?」
「トゥヴァード号製造にあたり、暖気による飛行をどう安定させるか。儂らはそのために手当たり次第に情報を集めた。ラウネ教会の記録をあさり、魔導師連盟の記録、論文の中で少しでも役に立ちそうなものを片っ端から調べた。
その中に君の論文があった。裏付けとなるデータ量が心許なかったが、温度差による対流と温度の安定を屋内の構造で実現するという君の研究、製造時に参考とした幾多の論文の1つとなった」
彼女は驚き、寂しげに
「私の研究は空を飛ぶことではありません。人の命を奪うほどの冬の寒さから守る暖かさを作り、保つことです」
その時彼女は思い出していた。幼い頃、暖炉の火が消えたためにベッドの中で凍え死んだ祖母のことを。
そこへ
「衛士隊のディルマさんはいますか?」
船員の1人が入ってきた。
「ディルマは私ですけれど」
「魔導師連盟から。すぐに支部に来るようにと」
魔導師連盟ウブ支部。様々な魔導実験のための別館の地下、その一室は現在閉鎖され立ち入り禁止となっている。その部屋は40日ほど前、魔導師ルシフィアスによってこの世界と魔界とがつなげられ1人の魔人が召喚された。その経緯は「魔族ぞくぞく」に記したとおりである。
その部屋の扉。鍵は壊され半開きになった隙間から、室内の床に描かれた魔導陣が見える。この世界と魔界とをつなげる扉となる魔導陣である。ただ、数カ所の紋様が消され不完全な状態だ。
魔導灯に照らされる中、魔導陣の前にカール・スピン副支部長は苦々しく爪を噛んでいた。
「副支部長!」
スノーレが慌てふためいて駆け込んできた。
「また魔界との扉が開かれたというのは本当ですか?!」
「声が高い」
スピンは彼女を制し
「安心したまえ。開こうとしたものの魔導錠は解けなかったらしい」
魔導錠とは簡単に言えば要所要所に仕掛けられた魔導の蓋だ。それを開き、その場所に新たな紋様を描かない限りこの魔導陣は働かない。ただ力の強い魔導師なら無理矢理魔導錠を壊すことができるし、そうでなくても時間と共に魔導錠の効力は薄らいでいく。今もスピンは10日ごとに魔導錠をかけ直している。
「やはり完全に消失させた方が良かったのでは」
言われてスピンは唇を噛んだ。
事件に使われた魔導陣は魔人の帰還と共に消滅したが、1度開いた場所は次も開きやすくなる。開き癖がつくのだ。同じ場所に違う魔導陣を描き違う実験を繰り返していけば癖を消すことは出来るが、もともと魔界研究をしていたスピンはそれを惜しがり、魔導錠を施した上で完成一歩手前の魔導陣を描いたのである。
「私にも欲がある。1度諦めかけた研究が再び手の届くところまで来たのに、また諦めるなんて出来ない」
「魔導の研究は欲と理性と道徳の戦い。ですか……」
「誰の言葉ですか?」
「故郷を出るとき、魔導の先生が私に向けた言葉です」
「……私の研究は欲が勝ったわけですか……これで魔界がらみで何かあったら、間違いなく私はクビ、魔導師連盟から永久追放ですね」
しかし彼の顔はむしろ楽しげに見えた。
「いったい誰が?」
「ルシフィアス」スピンが即答した。「聞いているでしょう。カオヤン・ジンギスカンが脱走した際、ルシフィアスも脱走したと」
「聞いてません」
あっさり言われてスピンが目をぱちくりさせた。
「聞いてない?」
「ちっとも。全然。これっぱかしも。カオヤンの脱獄自体初耳です」
呆れたとばかりに手で顔を覆い見上げる。その動きがふと止まり
「エルティースさんはどこです?」
「ルーラですか? どうして?」
彼女を見るスピンの顔に余裕はなかった。
「忘れたんですか。魔人は精霊使いの特性を持っている。彼らとコミュニケーションを取ろうとしたら、精霊使いである彼女を間に入れた方が」
言われてスノーレの顔がみるみる青ざめた。