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『第11話 回る製粉所』


 早朝。ウブの衛士隊本部訓練場で2人の衛士が練習用の槍を手に戦っている。戦っているといっても、一方は目には力があるが、肩で息をし体力の限界に近いのは見てわかる。もう一方はまだまだ余裕があり、相手と戦うというよりあしらっている。

 今ではすっかり習慣となった女衛士ルーラ・レミィ・エルティースと衛士隊隊長ソン・トップスの稽古風景である。ルーラは次々と攻撃を繰り出すが、全てトップスにあしらわれ、逆にその隙に彼の突きを体のあちこちに受けていく。それでも彼女の目からは闘争心は消えない。

 朝の6時を示す鐘が鳴る。音色の中、2人の槍が交差する。トップスの槍がわずかに揺れるのをルーラは見逃さなかった。わずかな一瞬を狙って槍を突き出す。が、それを強く払われると彼の槍が彼女の胸をついた。

 足がもつれ、そのまま後ろにひっくり返る。

「20本。ついに鐘まで持つようになったな」

 にこやかに笑うトップスを前にルーラは足を震わせながら立ち上がり

「ありがとうございました」

 一礼する。2人がしているのは、どちらかが20本とるまで戦い続ける「20稽古」で、実力伯仲だといつまで経っても終わらない。実力差がありすぎると一方的に叩きのめされて弱い側の心が折れ、立ち直れないという乱暴な稽古だ。が、ある程度続けることが出来れば急速に実力を伸ばせる。1年前まで槍を持ったことのないルーラも、今では20本取られるまで10分以上戦い続けられるようになった。最初は1分持たなかったのだから大変な成長ぶりだ。しかも相手はスターカイン国でも指折りの槍使いトップスなのだ。

「お疲れ様です」

 訓練場を出たトップスを事務員のモルス・セルヴェイが出迎え、タオルを渡す。

「若いというのはすごいことですね。夜勤明けなのに」

 残って訓練場の掃除をしているルーラを見

「以前はしばらく立ち上がれなかったものですが」

「それだけじゃない。私の隙を見つけて攻撃するまでになった」

「その隙がわざと作ったものなのを見抜けないのがまだまだですけどね」

 真顔のセルヴェイに、トップスが笑い返す。

 掃除と着替えを済ませたルーラが本部入り口のロビーでくつろいでいると、巡回に出ようとするクインとスノーレに出会った。

「あれ? まだ帰ってなかったの」

 トップスとの稽古は夜勤明けに行うので終わればそのまま着替えて帰宅する。なのに帰らずロビーで時間をつぶしているのがおかしかった。

 返事代わりに衛士のシェルマ・オレンダが顔を出し

「お待たせしました。ルーラさん」

「はい」

 笑顔で迎える彼女をクインが唖然とし

「え、なに? 夜勤明けに2人でモーニングデート?」

「そんなんじゃありませんよ。ちょっとした道案内です」

 軽く一礼するとルーラと共に歩き出す。仲よさげな2人は年齢差から恋人と言うより兄妹にだが、カップルに見えないこともない。後ろからとことこ付いていく彼の使い魔・虎猫のアバターが2人を冷やかしているようにも見える。

 2人の後ろ姿を呆然と見送り

「いつの間に……オレンダって意外と手が早いのね」

「ルーラ、ザンさんのこと諦めたのかな」

 つぶやくスノーレを受けて

「ザン・ベルダネウスだっけ。私その男を知らないけどさ。ルーラのためには得体の知れない自由商人よりもオレンダの方が良いと思うわよ」

 これでいいのだと言いたげにクインは何度も頷いた。


「すっごい」

 目の前にある巨大水車。彼女の身長の数倍はある。

 ウブの北ほぼ中央。流れ込むマナカ川の東西河川敷にそれぞれ4つずつ設置された巨大水車。魚や船の邪魔にならないように水車の周りには柵が設けられ、網が張られている。そして水車と川岸を挟んで並ぶ巨大な建物はウブ最大の製粉所。そう、この巨大水車は製粉所にある数十個の巨大石臼を回す動力源なのだ。

 水車の少し下流には両河岸を結ぶ橋が架けられ、その先には麦を運び入れるための大型船が何艘もつながれている。製粉所は川を挟む形で建っているため、製粉所専用の水路のようにも見える。もっともそんなことは無く、一般の船も通れるよう中央部分は開かれている。

「もしかして見るのは初めてですか?」

 オレンダが意外そうに聞いた。この水車は目立つ。精霊の力で空を飛んでいるときに目に入るはずだ。

「遠目には見てたけれど、こんな近くは初めて」

「外から入ってくる麦を製粉して販売しているんです。ウブで使う小麦粉の6割はここの製粉ですよ。ファウロ・ベーカリーもここのを買っているはずです」

 ファウロ・ベーカリーはルーラたちが暮らす衛士隊女子寮の1階にあるパン屋である。というより、そのパン屋の3階を衛士隊が女子寮として借りているのだ。

「でも動いてないね」

「工場が動く時間に合わせて回り出します。夜、誰もいない時に人が落ちて巻き込まれたりしたら大変ですからね」

 ちょうどその時、水車と工場とを結ぶ通路の上を工場の制服を着た男が2人歩いてくる。

「係の人が来ました。そろそろ始業です」

 やってきた2人がルーラたちに気がつき

「水車を動かします。危ないですから離れてください」

 強く言う。とは言われても、やはりこのでかい水車が動き出すのは間近で見たい。ルーラはその場から水車の動き出す瞬間を見逃すまいと凝視。その様子を2人は訝しい視線を向ける。水車の動くのを見ようとする人は珍しくないが、なにしろルーラは槍を持っているしオレンダは魔導師の証である魔玉の杖を手にしている。

「あれ?」

「どうしました?」

 水車の1つをルーラが指さす。水車と水面の下辺りに服のような塊が見えた。

「あれって服じゃないですか?」

 オレンダの目つきが変わり

「すみません。水車を動かすのは少し待ってください。衛士隊です」

 衛士の身分証明書を見せると、2人は困った顔を見せるが「早くしてくださいよ」と従った。

 その時製粉所から低い銅鑼の音が鳴り響いた。始業時間の合図だ。

「終わったら上に説明してくださいよ。でないと私たちが怒られる」

 二人の愚痴を背中に受けながらルーラたちが柵の前まで駆け寄り、目をこらす。

「ハッキリしませんね」

 目を細めるオレンダを横にルーラは精霊の槍を構え、先端を川に突っ込み

「お願い。ちょっとどいて」

 途端、水車周りの水がどきはじめた。唖然とする2人の前で水車周辺の水はすっかりなくなり、川底が見えるようになる。

「オレンダさん、やっぱり!」

 塊を指さす。今度はオレンダにもハッキリわかる。工場の作業着を着た男が川底、水車の隙間にもう少しで巻き込まれる場所に倒れている。

「どうした。時間だぞ、水車を回せ」

 背の高い男が小走りでやってくる。その走り方には無駄が少なく、普段から体を動かしているのがわかる。年は30過ぎだろうか。着ているものは地味だが明らかに上物のスーツである。

 駆けてきて柵越しにオレンダの姿を認め

「シェルマ。どうしてお前がここに?」

「兄さん。すみませんがしばらく水車を動かさないでください」

 衛士の口調で言われ、男は眉をひそめる。

「何かあったのか?」

「人が死んでいます」

「兄さんって?」

 ルーラがつい声を上げる。

「気がつきませんでしたか?」

 オレンダが指さす。その先には柵につけられたプレート。

【関係者以外立ち入り禁止・オレンダ製粉所】

「オレンダ……って、ええっ」

 目を丸くするルーラにオレンダが

「ここ、父の工場なんです。こちらは僕の兄でここの副社長オール・オレンダ」

「よろしく」

 柵越しにオールが手を上げた。


   ×   ×   ×


 立ち入り禁止のロープが張られた水車周りの河川敷。工員達が興味本位で見物し、工場の柵の外にも多くの野次馬がこちらを見物している。

「見世物じゃ無いんだぞ。仕事に戻ったらどうだ」

「仕事休みなんだよ。水車が動かないせいで」

「だったら帰って寝てろ」

「動けば仕事を始めるって待機命令」

 ギメイが工員達とやりあい、イントルスがその体で威圧する中、メルダーを初め第3隊の面々が遺体を囲んでいる。

「被害者は工場の工員組合役員でアラカン・バーン。31才」

「死因は?」

「後頭部に打撲傷がある。こいつが死因だな。他にも体のあちこちに打撲の跡があるから殴り合いの末に頭をやられてということか。水は飲んでおらんから川に落ちたときには既に死んでいたのかもしれんな」

 遺体をつまらなそうな顔で調べるのは監察医インカ・ボウシ。齢60を越える大ベテランで「生きた女の裸より死んだ女の裸を見た回数の方が多い」と自慢する男だ。

「……どうせ調べるなら男より若い娘の方が良かった」

「文句は犯人に言え」

「なぜ柵の中に捨てたんだ? 柵の外なら流されて発見が遅れたかもしれん。殺害場所の特定も時間がかかる」

 第3隊隊長のメルダーが合点がいかぬと水車を見回した。

「殴り合いの末に落ちたんじゃねえの。犯人も引き上げる気にならなかったんだろう」

 ギメイの意見にメルダーが「そうかもしれんな」と頷く。

「事故か自殺の可能性は?」

「後頭部をぶつけての自殺なんて聞いたことがない。事故だとしたらあちこちに殴られたような跡があるのはおかしい。まずは殺人としてみて良いだろう」

 水車への道は胸まである手すりが備えつけられ、意図的でない限り外に落ちることはなさそうに思えた。

「殴り合いだとしたら、劣勢になった被害者が柵を越えようとしたところを一撃、そのまま転落して川へ。といったところか。死亡時刻は?」

「簡単に言えば昨夜だ」

「簡単すぎるぞ」

「大雑把だが死後10時間前後だな。ちょうど日付が変わる頃だ」

「そんな時間にここに来るような仕事をしていたんですか?」

 メルダーが引き上げられた遺体をじっと見つめるオールに聞いたが彼は苦々しく唇を噛むばかり。

「オールさん」

 強く言われて、やっと彼は反応した。

「すみません。今日、私たちと工員組合との話し合いが行われる予定だったんです。彼は組合代表の1人として出席する予定でした。その彼が殺されたことで」

「ほお」メルダーが反応し「何の話し合いですか?」

「この水車は建造して20年。その間にあちこち痛み、水車の技術も向上しました。そこで今の水車を取り壊し新しいものを作ることになったのですが、その間工場は規模を縮小、工員もそれに合わせて削減します。もちろん一時的なものですが、その間の生活保障について。具体的には給食の間、ある程度の給与保障を」

「働いていないのに給与を払うんですか?」

「形の上では自宅待機になりますからね。ただ全額とはいきません。今回の話し合いはその期間と金額についてです。

 先ほどの質問ですが、夜中は工場も閉めています。残るとしたら今日の話し合いに備えて仲間との打合せでしょうが、こんなところで行うとは思えない。その辺については私よりも組合員に聞いた方が良いでしょう。工場内の捜査についてはできるだけ便宜を図るよう通達を出しておきます。

 ところで、水車を動かせるのはいつ頃になりますか? 100年祭に備えて忙しいんですよ。大勢の観光客が来るのに、町の小麦料理がこぞって去年の麦によるものというのは私も嫌ですからね」

「今日は動かさないでください。捜査が明日以降続くなら改めて連絡します」

 一瞬不満の表情を浮かべたオールだが、すぐにそれを打ち消し

「わかりました。工員達に本日臨時休業の連絡を。それと組合との話し合いは延期と伝えてくれ。組合もバーンが殺されたのでは無理は言わないだろう。事務方は残して帰して良い」

 背筋を伸ばしたまま秘書に指示を与えるオールの姿をクインはじっと見て

「……オレンダ、あんたの兄さんいい男ね」

 頬を染めうっとりと眺めるのをオレンダは半ば呆れて

「言っておきますけれど、オール兄さんは結婚して子供もいますから」

「それでも良いの。いい男は目の保養になるわ」

 隣のギメイが「ふっ」と気取ってポーズを決めるが、クインは無視した。

「隊長」

 頭上からスノーレの声がする。見上げると魔玉の杖に横座りして空に浮かんでいる彼女の姿。水車周辺に何か手がかりはないかと、川面を空から調べていたのだ。

「ちょっとルーラを空に」

「わかった」

 メルダーに促されルーラが精霊の槍を構える。つむじ風が起こり彼女を空へと運んでいく。

「ちょっとあれを見て」

 ルーラを運ぶ風に煽られた髪を押さえつつスノーレが川岸を指さす。水車と橋の中間あたり、水辺には背の高い水草が壁のように生えそろっているのだが、一角だけ水草が陸に向かって折れ曲がっているように見える。もっとも、ほとんど元に戻っているため、事件のあった陸地からでは解りづらい。

「何に見える?」

「無理やり船を着けた跡みたいですね」

「私もそう見えるけど」

 それに少し下流、橋の向こうに見える桟橋には何隻もの運搬船が見える。どれも外輪型の大型船だ。

 下りてそのことをメルダーに報告する。彼はしばし考え

「確認しますが、桟橋に着けてある工場の船は誰でも使えるんですか?」

「使えるはずないでしょう」

 オールが即答した。

「勝手に使えないよう外輪には鍵をかけてあるし、そもそも1人や2人で動かせるものじゃありません」

「隊長。跡から見てもっと小型です」

 スノーレが付け加える。


「確かにバーンは行員組合の幹部。我々経営陣とは敵対しているとも言える。ましてやここの経営陣は私と私の子供達で占めている。いわばオレンダ・ファミリーの会社。家族でないものの出世には限界がある。だが勘違いしないでほしい。この敵対はあくまで立場の違いによるものだ」

「憎しみを伴わないと」

 メルダーの言葉にワルドが「その通り」と頷いた。

 オレンダ製粉所社長室。社長のワルド・オレンダ。彼の長男であり副社長のオール。次男で工場長のジェイブ・オレンダ。長女で総務室長のミーナ・オレンダ。工場のトップメンバー、といってもオレンダ家の主と3人の子供だが、全員そろっている。

 事件のために工場の東側は1日休業となったが、西側は動いている。日雇いの工員にとって1日実入りがなくなるのは痛いという声が上がり、できるだけ西側の仕事を手伝わせることにした。事務方などはその手配で却って仕事が増えている。

「経営者と現場の行員とは立場も背負うものも違う。組合の言い分には腹の立つことも多いが、現実を見ない馬鹿げた意見と切り捨てるほど我々は愚かではない」

「ここのところ対立が激しかったと聞いていますが」

「今は麦の収穫時期だが、今年は出来が良くない。冬のセンメイ川の干ばつが響いたらしい。水車の新造もある」

「で、収穫量の減少に合わせて水車の交換を行い、その時期工場は一時停止、工員もかなりの数を退職させる計画を立てた。と」

「500人で出来る仕事に800人は必要ない。それに退職者は優先的に再雇用する。ということを組合に提案するつもりだった」

「で、交渉は延期と。再開はいつ頃を?」

「組合次第だ。出来れば100年祭が終わった後にして欲しいが」

「昨夜、バーン氏と会う約束はしていましたか?」

「ない。ついでに言っておくが、私は昨日、7時過ぎに仕事を終え帰宅した。受付に確認すればわかる」

 3人の子供達も同じ。退社時間こそ差はあれ、みな日付が変わる時間は自宅で休んでいたと言う。

「ところで、捜査はシェルマがやるのか?」

 脇で控えていたオレンダに子供達の視線が集中した。

「第一発見者だから無関係ではないけれど、捜査は第3隊が行います。事件の中心となる関係者の血縁が捜査をしたら、どんなことを言われるかわかりません」

「妥当だな」

 オールが当然とばかりに頷く。その様子にルーラは違和感を覚えた。オレンダと他の家族の間に奇妙な壁みたいなのを感じるのだ。

「あの……」

 恐る恐る手を上げると、皆が何事かとルーラを見る。

「個人的なことなんですけれど。オレンダさんは」

 皆が「ん」と彼女を見直す。事情を察したオレンダが

「紛らわしいですね。これからは僕のことは名前で、シェルマで良いですよ」

「私どもも失礼ながらみなさんのことは名前で呼ばせていただきます。いいですね」

 メルダーの提案にワルドたちも「仕方がない」と息をつく。

 ちなみに地の文でオレンダと書かれていたらそれはシェルマのことであり、他はワルドやオールのように名前で表記されることを断っておく。

「それであの、シェルマさんはどうしてここの仕事に就かなかったんですか? というか、彼だけなんか皆さんと違う感じが」

「それは、僕だけ母が違うからじゃないかな」

 オレンダが答える。

「事件と関係があるとは思えない。そんなことより捜査を始めたまえ」

 言い切るワルドの言葉が入らないようにミーナの視線はルーラが持つ精霊の槍に注がれている。

「あなたの持つそれ。もしかして精霊の槍? 精霊と心を通わせられるという精霊石で作られた槍」

「はい。そうですけれど?」

 答えるルーラの顔をミーナはまじまじと見、オレンダを横目で見てにやっと笑う。

「そうか、あなたがね……ちなみにあなたの年齢は? 衛士にしては若く見えるけれど」

「14才です」

 オレンダ家の面々が小さく驚いた。

「父の恥を話すことになるけど仕方ないわ、未来の家族候補に隠しごとは良くないし、ね」

 オレンダにウインクするミーナ。ルーラはその意味がわからずきょとんとしている。


「23年前。母が病で倒れたの。丈夫さが取り柄の母も病には勝てなかったのね。医者も治癒魔導師も諦めた」

 代表する形でミーナが話している。一同はただ黙って聞いていた。

「母がやつれて寝たきりになっているその時に、父はシャリン……家のメイドに手をつけ、身ごもらせたのよ。

 まだ小さな子供だった私たちも呆れたわ。母が死にかけているって言うのに、父は他の女に手を出して子供を作ってる。

 正直言って私はシャリンが嫌いじゃなかった。むしろ好きだったわ。優しくて歌がうまくて笑顔が素敵で……あんまり美人じゃなかったけれど、彼女の作るドーナツは最高だった。

 だから父が手を出したのが母が死んで数年後とかだったら、私たちは再婚に賛成したかとともかく、反対はしなかったと思う。

 それが母が病で伏せっている中、メイドに手を出して妊娠させて、新しい妻だとばかりに家族や使用人に女主人として扱わせる。無神経すぎない。母さんがかわいそうすぎるわ。

 もっともシャリンも居心地の悪さは感じていたみたいだけれど。要は父さんが1人で勝手に盛り上げてみんなを振り回したのよ」

 ミーナは父・ワルドを一瞥すると

「もっとも、問題になったのはその後。シャリンがシェルマを産んでからよ」

 皆の視線が今度はオレンダに移る。

「父さんにとっても、私たちにとっても予想外だったわ。憎しみは時に生きる力になるって本当ね。母はよっぽど腹が立ったんでしょうね……全快したのよ」

 オレンダ家の面々をのぞいた一同が目を丸くした。

「むしろ病気前より元気になったぐらい。お医者様も奇跡としか言えないと驚いてたわ」

「あれは奇跡じゃなくて執念だよ」

「我が母ながら恐ろしい……」

 ジェイブとオールが呆れたようにつぶやいた。

「母が全快するのに合わせたかのように今度はシャリンが倒れ、そのまま死んでしまった。まるで母が自分の病の毒を彼女に押しつけたかのように。

 そんな母だからシェルマに対しても容赦なかった。シャリンに身寄りが無かったことで、シェルマはうちで育てられたんだけど。まだ乳飲み子のシェルマを2階の窓から投げ捨てたり、離乳食に毒虫が入っていたり。乳母として雇われた女性は皆悪夢にうなされ、10日以上持った人は1人もいなかった。母は呪術師だと聞かされても信じるわ」

 唖然としたクインがオレンダを見て

「あんた……よく生きてるわね」

「いやぁ。当時の事なんて何も覚えていませんから」

 赤ん坊だったのだから当然である。少しでも場を和ませようとしてか、彼は気楽に笑う。

「そこからは私が話そう。いちいち話しているといくら時間が合っても足りん」

 ミーナの説明をワルドが受け継ぎ

「結論だけ話そう。私はあいつと話し合い、シェルマからオレンダ家の相続人としての権利を全て剥奪することで話をつけた。私が死んでも、遺産は1ディルたりともシェルマには渡らん。

 その代わり、シェルマが一人前として社会に出、仕事に就くまでの生活費、学費は全てオレンダ家が持つ。あいつはオレンダを名乗ることすら認めたくなかったようだが、そこは譲らなかった。どんな事情があろうともシェルマは私の、ワルド・オレンダの息子なのだ」

 そうなのと言いたげにルーラたちがオレンダを見る。こうしてみると、確かにワルドとオレンダの顔立ちは似ている。

「おかげさまで僕はこうして魔導師として衛士という仕事に就くまで、金銭面で不自由はしませんでした。生活費も学費も、遊ぶ金すら全て出してもらいましたからね。魔導師連盟の寮を出てからは家まで用意してくれた。そういう意味では、僕は典型的なお坊ちゃんですよ。

 でも、オレンダ家の敷地内に入ることすら許されなかったのは少々寂しかったですよ。時々兄さん達が訪ねてきてくれなかったら、僕は兄姉の顔すら忘れていたかもしれない」

「私が死んだとき、葬儀に参列することだけはあいつにも認めさせた」

「父さん、いつまで母さんのことをあいつ呼ばわりするんだい」

 ジェイブが不快を隠そうともせず

「兄さんもミーナも母さんを悪者扱いするけれど、原因は父さんが作ったんだからな。シェルマがらみで何かあったら、僕は母さんの味方をするよ」

「わかっている。好きにしろ」

 背もたれに身を預けワルドが答えた。自分に言い聞かせるように。

 そこへ扉の向こうから人のざわめきが波のように近づいてくる。

「何だ?」

 メルダーが扉を開けると、通路では20人近い工員が押し入ろうとするのをイントルスがなだめている。

「どうした?」

「バーンが殺されたというのは本当か?!」

 イントルスの説明より早く先頭の男が叫んだ。良く日焼けした体格のいい男で、イントルスと並んでも遜色がない。

 開けたドア越しに室内のオレンダファミリーを見た彼は

「答えろ。バーンは殺されたのか。お前達が殺したのか!?」

「捜査は始まったばかりで、まだ犯人の特定が出来る段階ではありません」

 メルダーの説明にも聞き耳を持たず、彼はおしのけて室内に押し入ろうとするのをイントルスが押し返す。

「どうして邪魔をする。衛士隊はお偉いさんの味方なのか」

 叫びを切るように扉を閉める。厚い扉は廊下の叫びを雑音レベルに落とした。

「どうも、皆さんがおっしゃるほど組合との関係は良好ではないようですね」

 メルダーの言葉をワルドは鼻で笑った。


「ワルド・オレンダは経営者ではない。独裁者だ! 我々工員の生活より、自分の懐を肥やすことばかりを考えている」

 製粉所前の広場で先ほど先頭に立って社長室に押し入ろうとした男が叫んだ。何人もの男達が同調の叫びを上げた。出勤したものの製粉所が一時操業停止になっているため暇を持て余した工員達が集まり、数百人規模となっていた。彼らが一斉に上げた叫びは空気を振るわせ、社長室の窓をならすほどだ。

「最近の忙しさに誤魔化されてはいけない。上は100年祭後に大規模なリストラを計画している。工員の半数近くをクビにする許しがたいものだ。我が友アラカン・バーンはそれについて社長直接話すと熱意を見せていたが、知っての通り、今朝、死体となっているのが見つかった。そして連中はそれを理由に今日予定されていた話し合いを一方的に中止した」

 どよめく徴収。

 社長室でそれを聞きながらオールが眉をひそめた。

「何て言い草だ。まるで私たちが彼を殺したようだ」

「彼は?」

「ヨバリ・ジャラス」ミーナが肩をすくめて答えた。「バーンと同じく組合の役員だけど、彼と違ってあまり話の出来ない人ね」

「話が出来ないとは?」

「自分たちの完全勝利以外の決着は認めないってタイプ。決して引かない強気なタイプと言えば聞こえは良いけど、問題の決着より自分が格好良く見えるかを大事にする奴よ」

 相手にするのも馬鹿らしいと彼女は息をつく。

「交渉で勝つ方法は、どれだけ相手に『面子の立つ負け方』を用意してやれるかだ。そしてこちらは『名を捨てて実を取る』道を選ぶ」

「一見、組合側の勝利のようだが、中身をよく見ると会社側の利の方が大きい。というやつですか」

 メルダーの言葉にワルドが口の端をほころばせ、

「その点、バーンはやりやすかった。むしろ奴の死で困ったのは我々の方だ」

 窓枠に石がぶつかり音を立てる。

「出てこいオレンダ!」

「バーンの仇だ!」

 ジャラスたちが投石を始めていた。

「おい、衛士だろう。あいつらを止めてこい」

「もちろん事情は説明します。けれど、どうも向こうの目的は事情を知ることではなく、あなた方を責めることらしい」

「私たちが出た方が良いかもしれないな」

 オールが窓を開け、外の人達に姿を見せる。

「落ち着きたまえ。話し合おう。そちらの代表数名、前に出たまえ」

「その手に乗るか」

「バーンのように殺す気だろう!」

 罵声と共に投石が始まり、そのうちの1つがオールの顔に当たった。

「大丈夫ですか?!」

 倒れかかる彼の身体をクインが支える。

「心配ない」

 笑みを見せる彼だが、こめかみからは血が流れている。

「あいつら。抗議するにしても程度があるわよ。傷害罪で逮捕してやるわ」

「待ってくれ」

 慌ててオールがクインの腕を取り

「ただでさえ100年祭前で忙しいんだ。これ以上騒ぎを大きくして仕事を遅らせたくはない。へたな対応は却って事態を悪化させる」

「そんなこと言っても、どうしたら」

「向こうは私を指名しているようだ」

 ワルドが立ち上がるのをオールが制し

「連中は気が立っている。何かあったら大変です。私が行きます」

「今のように石をぶつけられるのがオチだぞ」

「私はまだ若い。石の1つや2つ問題になりません。しかし父さん、社長は違う」

「年齢の問題ではない」

 言い争う中、ジェイブがこそこそと出て行こうとするのを

「ちょっと、どこに行くんです?!」

 ルーラがむんずと襟首を捕まえる。

「いや、西側の製粉所に騒ぎが起きていないと様子を見に行こうと」

 工場長という立場からはもっともな動きだ。が、タイミングと出て行く態度が悪すぎた。どう見てもこの場から逃げ出そうとしている。

 これにはクインもむっとして

「そうだ。あなたも幹部なんだから説得役に相応しいわね」

「え? いや、そんな、私は」

「ルーラ、説得役発射!」

 クインが窓を指さすのにルーラは承知と頷き、ジェイブを高々と持ち上げる。それに思わずミーナ達が息を飲む。ジェイブは男としては小柄だが小太りで体重があり、女の子が軽々持ち上げられるものではない。

 クインが窓を大きく開け放ち、どうぞとばかりに道を空ける。

 ルーラがジェイブを抱えたまま窓に突進

「責任者投げーっ!」

 思いっきり窓からジェイブをぶん投げた!

 建物の壁際まで迫っていた彼らのちょうど真上に落下する。さすがのジャラスも驚き、逃げる間もなく彼の下敷き。たまらずジャラスが潰れた蛙のような声を上げた。

「工場長だ!」

「何しに降ってきやがった?!」

「待て。私は別に」

 言い訳しながら立ち上がろうとしたジェイブの顔面に工員のパンチがヒットした!

 ひっくり返るジェイブに他の工員達が一斉に殴りかかる。もともと格闘の心得などない上に相手が多すぎる。

「……話し合いになっていません。あれじゃただのリンチです」

 弓を構えたままのスラッシュが助けを求めるように叫ぶ。

 一方的に殴られまくるジェイブを窓から見下ろし、クインとルーラの顔が引きつる。その横で

「2人とも、本部に戻ったら始末書」

 メルダーが静かに告げ、2人は揃って「はい」と肩を落とす。

「さすがに放っておく訳にはいかねえ」

「行ってくる」

 イントルスが、ギメイが窓から飛びおり、クインとルーラも少しでも失態を取り戻すべくそれに続く。

「あんた達、話し合いじゃなくてリンチが目的なの?!」

 工員達からジェイブを引き剥がすクインに対し

「うるさい。金持ちの手先め!」

 ジャラスが背後から羽交い締めしようとする。が、

「あ」

 背中から回した彼の手が、まともに彼女の胸の膨らみをつかむ形になった。

「何するのよーっ!」

 肘で彼の腹を強打、腕の力が緩んだ隙に彼を振りほどくと、振り向きざまサーベルで一撃! もっとも衛士であることは忘れていないらしく、叩いたのはサーベルの背の方である。

「この女!」

「俺の嫁に何をしやがる!」

「誰があんたの嫁よーっ!」

「衛士の横暴を許すな!」

「みなさん落ち着いて。暴力はいけません」

「お前達は力の使い方を間違っている」

 広場は大乱闘となった。個々の力は衛士達の方が高いが何しろ相手の数が多い上勢いがある。それに立場上本気で相手をぶちのめすわけにも行かない。

「……隊長、どうします?」

 弓を構えたままスラッシュがメルダーに指示を仰ぐ。相手が盗賊などなら躊躇せず相手に手足を矢で射貫くのだが、相手がただの作業員ではやりにくい。スノーレもどうしたら良いか迷っている。

「話し合いは落ち着いてからだな。スノーレ、例のやつ」

「でも」

 乱戦を見下ろす。今のままではクイン達も巻き込む。

「穏やかな説得なんか聞く耳ないだろう。それにあいつらはスノーレの魔導で何が起こるか悟るはずだ」

「わかりました。ルーラ!」

 スノーレが乱闘中のルーラに叫ぶ。瞬時に悟った彼女が乱闘から逃げるように抜け出すと、距離をおいて振り返り精霊の槍を構える。

 何をするのかとオーレとミーナが外を見た。

「八方・魔導炎!」

 窓越しにスノーレが魔導の矢を天に向けて放つ。それは派手な炎と変わり八方に散らばる。

 頭上の炎に工員達が何事かと見上げ、ギメイ、ジェイブを抱えたイントルスが走る。クインも走ろうとして、倒れた工員の体に蹴躓いた。

 散った炎は工員を囲むように地面に落ち、反時計回りに走り繋がり彼らを囲む炎の円となる。ギメイとイントルスは円が出来る寸前に外へと駆け出ている。

 円周の炎が一斉に上り炎の壁を作り出す。たまらず工員達はたじろぐように中央に集まる。

「大地の捕縛!」

 炎の外でルーラが大地に精霊の槍を突き刺しお願いする。

 それを受け、炎の内側の大地が陥没。落とし穴のように工員達を落としたところ、横に滑るように大地が流れて彼らをガッチリ捕まえた。

 魔導の炎が消えた後には、半身を埋められ身動きが出来ない工員達の姿があった。

「これは……」

 あまりのことにワルドも思わずつぶやいた。

「魔導師と精霊使いの連携ですよ。慣れてきたので以前のように頭を生き埋めなんて事はほとんどなくなりました」

「そうでもないですよ」

 スラッシュが指さす先には逃げ損ねてコケ、きれいに右半身だけが埋まる形になったクインがもがいていた。

「ルーラ、早いとこ何とかして」

 と言われても、精霊の力は強大だが細かなコントロールは出来ないため周囲の工員をそのままに彼女だけを解放する事は出来ない。

「器用だな。どうしたらそんな風になるんだ?」

 動かせる左半身だけでジタバタする彼女を一同はどうしたもものかと思案した。


 製粉所正門からオレンダ製粉所の文字が書かれた4頭立ての馬車が入ってきて正面入り口に止まった。待ちかねたとばかりにスノーレとイントルスが出迎える。

「お待たせ。店にある分全部持ってきたよ」

 馬車から出てきたのはファウロ夫妻。馬車の中には平たい木箱が20以上積まれている。

 手分けしてそれらを製粉所内の食堂に運び込む。

「追加のパンが来ました」

 スノーレの声に工員達がわっと群がった。テーブルに置かれた木箱の蓋を開けると、そこにはファウロ・ベーカリーのパンが並んでいる。

「パンの代金は後で請求してください。今日、臨時に店を閉めてまでありがとうございました。食事を無料提供とした途端、みんなして殺到してしまいまして。まさか食堂が材料切れになるとは思いませんでした」

「何、ここにはいつもお世話になっているからね。良い粉回してくれて助かってるよ」

 頭を下げるミーナに、そばかす顔に笑みを浮かべてリムル・ファウロが胸を張る。その後ろでは彼女の夫でパン職人のルーベントが工員達にパンを配っている。食堂は満席状態。食堂の全メニューが大皿で並び、みんなして今日限りのタダ飯をこれでもかとばかりに口に詰め込んでいる。

「やっと治療が一段落ついたぁ。お腹空いたよぉ。私にもパンちょうだい」

 白衣姿のホワン・フワ・フーワがよろけながら入ってくる。先ほどの騒ぎで出た怪我人の治療が製粉所の医者だけでは足りず、薬草師の彼女に応援を頼んだのだ。

「助かった」

 イントルスがパンとシチューの皿を彼女に差し出すと

「あーん」

 彼女が口を開けて彼が食べさせるのを待つ。が「今は怪我人ではない」と食事を彼女の口ではなく手に押しつけた。

 食堂の中央ではオーレとジェイブがジャラス達数名の工員を前に食事を続けながら

「これはクビではない。あくまでも新設備のための一時的な休職に過ぎない。それも新麦の収穫や製粉が一段落した後のことだ」

「そんなことでは誤魔化されないぞ。良いことばかり言って、いざその時となると容赦なく我々の首を切るのが経営者のやり方だ」

「設備が整えば再就職を認める」

「それまでの間の生活はどうなる。整えばと言うが、それはいつのことだ。1年後か、2年後か?!」

「再稼働時に人が集まらなければ困るのは我々だ。君たちを裏切るようなことはしない」

 話し合いをしていた。オーレとジェイブは紫茶だけだが、ジャラス達はしゃべるか食べるかどちらかで常に口を動かしている。その横でまた暴力沙汰にならないようにと、メルダーやギメイが見張っていた。

 オーレは相変わらずのスーツ姿でまっすぐジャラスを見ているが、ジェイブはボコボコにされた顔を絆創膏だらけにしてふてくされている。

「口が忙しそうね」

「だが良い判断だ」ファウロが「空腹は話し合いの敵だ。腹が減っていては判断が鈍る」

 腕を組み何度も頷いた。

「我々はクビにされることを恐れを抱いている。仕事を失い収入がなくなることをな。その恐れを少しでも和らげるために、あんた達の言う新設備投入までの賃上げが必要だ。明後日の給料日からでも実行してもらいたい」

「結局金か」

 ジャラスの提案にジェイブがつぶやいた。オールは聞こえなかったかのように

「具体的な解決法が出てきたのはありがたい。君たちの不安が職を失うことによる生活苦からくるものならば、賃上げは単純かつ真っ当な方法だが扱いが難しい。まだ大雑把だが、新設備の工事期間は50日を予定している。その間は休職者に対し賃金の7割を払おう。

 ただし再開後もうちで働いてもらうというのが条件だ。休職に伴い、今のことを記した念書も作る」

「その時になったらではダメだ。次の給金分から増額してもらおう。工員全員にだ」

 口からパンをまき散らかす勢いでジャラスが身を乗り出した。ここで一気に要求を通すつもりらしい。

「次の給金分って明後日だぞ。ましてや工員全員になんて間に合わない」

 驚いてジェイブが立ち上がる反動で椅子が倒れた。

「落ち着け」

 オールはゆっくり冷めた紫茶を飲む。考える時間を稼いでいるようにも見えた。

「君は組合の役員だろう。ならばお金の動きも少しは知っているはずだ。1人あたりの増額は少なくても、工員全員分となると相当な金額になる。ましてや現金だ。我々でもすぐに用意するのは難しい」

 その言葉にジャラスは唇を噛む。目だけで周囲を伺うと、作業員達が食べる手を止めこちらを見ているのがわかる。皆、この交渉に注目している。

 オールはゆっくり指を3本立て、周囲に聞こえるよう普段より声を高くして

「1人あたり3,000ディルの特別手当を出そう。工員だけではない、事務方から清掃員、警備員に至るここで働くもの全員が対象だ」

 その言葉に周囲の工員達から一斉に声が上がった。

「ここ数日、100年祭前で稼働率が上がっている。あと数日は続くだろうからその手当という形でだそう。とりあえずはこれを受け入れ、仕事に戻ってほしい。100年祭が終われば仕事も一息つける。それに合わせて改めて話し合いの場を持つというのはどうだね」

 顔を見合わせる工員達。中には顔をほころばせる者もいる。

「風向きが変わりましたね」

 スラッシュの呟きに隣のスノーレが頷いた。

 組合と言っても1つにまとまっているわけではない。中には勢いの強いジャラスに引っ張られ、成り行きでこの場にいる者もいるだろう。オーレの返事にはそういう者達をなびかせる力があった。ましてや提案は全ての就業者が対象、へたな拒み方をすれば彼らから「よけいなことを」と白い目で見られる。

 ジャラスもそれは感じ取ったのだろう。

「ワルドもそれを承知のことか」

 確認するとオールは首を横に振り

「今は私の独断だ。だが、この提案は私が副社長の職をかけて実現させよう。出来なかったときは、私がこの製粉所を去るときだ」

 周囲が息を飲むのが解る。この発言により交渉の主役はジャラスからオールに移ったのだ。

「わかった。今はそれで良い。続きは100年祭が終わってからだ」

 忌々しげに目の前のパンを手に取りかぶりつくジャラス。だが、その口の端は「してやったり」とばかりに緩んでいた。


   ×   ×   ×


 サークラー教会。「人間は他の人間との交流を経て様々な幸せや繁栄を手にする」という教えからサークラーは交流神とも呼ばれているが、商売する者達を多く支援しているため、商売神、金神などとも呼ばれている。自由商人など8割以上はサークラーの信者といわれているほどだ。

 流通、商売を支援している関係上多額の金を扱い、私たちの世界で言う銀行の役割も持っている。教会の発行するサークラー特有の通貨「ディル」はこの世界で最も信用のおける通貨とされている。教会が発行しているだけに別の国に移動してもそのまま通用するので商売人にはありがたい存在だ。国発行の通貨だと、国が変わるごとにいちいち両替しなければならず、その手数料もバカにならないのだ。

 ちなみに本作では通貨をディルで表現しているが、正しくは「ディル換算でいくら」である。厳密にすると国や教会ごとに取引に使う通貨単位が変わり混乱するのでこれで統一している。作者が「いちいち通貨単位や価値の違いを考慮して書けるか!」と面倒くさがっているせいでもある。

「明日までに900万ディルを現金でですか?」

「準備出来ますか?」

 ミーナの口調は優しいが目は鋭い。何しろ資金の都合もつかないうちにオーレが約束してしまったのだ。明日までに用意できないとなればまた一騒ぎだ。

「100年祭に向けていろいろありますから。いつもより多くの現金を用意していますが、明日まで……」

 ウブのサークラー教会・融資担当のコーリシ・ティカイは素早く頭の中で計算し

「わかりました。何とかしましょう。しかしここにきて職員達に臨時賞与とは、景気が良くてけっこうです。みなさん祭りを通じてお金を使うでしょう。それで経済が回ればまた少しウブが繁栄するというものです」

「珍しいわね。いつもはもっと渋いのに。あなたも祭りが近くて少し浮かれているのかしら」

「こう忙しくては時間をかけての交渉はしていられませんよ」

 ミーナに疲れた笑顔を返す。忙しいというのは本当らしい。実際、給料日を明後日に控えて出金は忙しい。

「それでは明日、いつものに加えて900万ディル。確認はいつものようにお届けしてから」

「いえ、場合が場合ですから、出発前に私がこちらにまいります」

 用意できなかったらティカイの首に縄をつけてでも製粉所に連れて行き、ジャラス達に謝らせるつもりだ。

 帰ろうとロビーで彼女を待つオレンダの所へ行くと、彼は1人の男と話し込んでいた。オレンダよりずっと年上だがやたらペコペコしている。

「いえ、今、私がこうしているのもあなたたちのおかげです。特にエルティース様に受けた恩は一生かかっても」

「大げさですよ」

 むしろオレンダが恐縮しているほどの相手、タルゴ・ニーベルトである。「ルーラの初給料」で彼女たちに助けられた彼は、今もルーラに対して恩を感じている。

「いつか私もティカイ様のように立ち直り、再び責任を伴うほどの地位に」

 そこへミーナが歩いてきた。助かったとばかりにオレンダが手を振り

「早かったですね」

「この調子じゃ時間もかけていられないわよ。幸いにもうちはこれまでの取引で信頼関係があるから」

 ロビーの賑わいを見回す。教会のロビーと行ってもサークラー教会のそれは商業施設の中央受付みたいなものだ。今も多くの商人達が手続や商談のために集まっている。

 ニーベルトと解れ、教会を出て馬車に乗り込むと

「けっこうあっさりまとまりましたね。話だとジャラスって面倒くさそうな人らしいけど」

 オレンダが聞いた。

「あいつの要求をオール兄様が飲んだからでしょうね……何か気になるの?」

 オレンダは座席の背もたれに体を預け、膝の上のアバターを撫で

「組合って、新設備に伴う一時休業・工員解雇を防ぐ。あるいはその間の生活費保証が目的だったはずです。なのにそれらは100年際後に先送りして臨時賞与で良しとした……。まてよ……さっきニーベルトさんは……」

 考え込む彼の横顔をミーナは楽しげに見つめ

「あんたも衛士らしい顔になってきたわね。ところでルーラだっけ。精霊使いの衛士さん。あんたが狙っているのってあの子?」

 思わずオレンダが噴き出した。

「いきなり何言い出すんですか?!」

「良いじゃない。私、あの子が気に入ったわ。ジェイブをぶん投げたときなんか最高。もう手をつけたの?」

「そんなことはしません!」

「そんなんじゃダメよ。私の見たところあの子はあと何年かしたらすごい美人になってモテまくるわよ。それからじゃ遅いんだから。恋敵のいない今のうちに手を出しちゃいなさい。14才だったら子供も産めるでしょ」

「それが衛士に対しての言葉ですか」

「奥手の弟に対するアドバイスよ」

 時折わめき声の漏れる馬車が突然止まり、オレンダとアバターが下りる。

「ちょっと、まだ話は終わってないわよ」

「すみません。ちょっと気になることが出来たので」

 軽く一礼すると、彼はアバターと共にサークラー教会の方に走っていく。


 夕暮れの製粉所水車。バーンの遺体発見現場は精霊の灯りに照らされていた。

「犯人がわざわざ死体を持ってきたとは思えませんね。ここまで逃げたか、ここで誰かと待ち合わせをしていたのか? 中にいたのか、最初から柵の外にいたのか」

 スラッシュが柵を手に揺さぶってみる。握るには太すぎるしがっちりした作りなのでちょっと揺さぶったぐらいではびくともしない。しかしある程度のとっかかりがあれば乗り越えることは出来そうだ。

「ルーラたちが見つけたとき、外に出る扉は鍵がかかっていたんですよね」

 わかりにくいが土手に通じる部分に扉がある。が、内側には鍵がかけられ外から入ることは出来ない。もともとこの扉は非常時用で、定期点検時ぐらいしか開けられることはない。

「だったら事件が起こったのは柵の外でしょう。中から逃げてきたとしたら鍵を開けたのは被害者でしょう。出たときにやられたとしたら、鍵も一緒に川の中です。かけることは出来ませんし、そもそも鍵は無くなっていません。製粉所の事務所に保管されている」

「そして犯人はバーンの顔見知りですね」

 スノーレの意見にメルダーとスラッシュが頷く。ルーラが考えるように視線を上に泳がせ

「何でですか?」

「被害者がここに来たとしたら、偶然じゃなくて犯人と待ち合わせしていた可能性が高いわ。夜中にこんな場所で待ち合わせるなんて、呼び出すにしろ呼び出されるにしろ、顔見知りが相手としか思えないわ。そして多分相手は工場を通じた関係者」

「呼び出す内容は、昨夜の時点ではおおっぴらにしたくない内容だったんだろうな。少なくとも呼び出した方は」

「やっぱり役員達との交渉内容と関係があるんでしょうか?」

「そうだな。今のところは『ある』と考えて捜査をした方が良さそうだ」


「はい。あの日、うちの人は仕事から帰るとずっと難しい顔をして食事もそこそこに出ていきました。あれが最後の別れになるなんて」

 バーンの家。小太りの細君はずっと泣き通し、今も目を真っ赤にして何度もハンカチで拭っている。

「その理由について何か話していませんでしたか? 何でもかまいません。何かつぶやくとか、誰かの名前を口にするとか」

「何も……いえ、確か『まさかあいつが』とつぶやくのを耳にしました。私があいつってと聞くと何でもないと」

 聞いているスノーレとスラッシュが顔を見合わせた。

「まさかというと」

「オレンダ家の面々は外れますね。あの人達を『あいつ』なんて呼ばないでしょうから。少なくとも敵対していない人でしょう。他に何か言っていませんでしたか? どんな些細なことでもかまいません。関係あると思えないことでも良いです」

「そういえば、私の実家のことを聞いていました。景気はどうかとか、元気でいるかとか普通の話でしたけれど滅多に実家のことは聞かないので珍しいと思いました」

「失礼ですが、ご実家はどちらに?」

「アクティブのアンドです。小さな雑貨屋を営んでいます。両親は健在ですが、最近年のせいか仕事がきついと」

「店を手伝うお子さんとかは?」

「おりません。ですから私どもも今の仕事がなくなったらそちらに戻って店を継ぐのも良いかと」

 彼の家を出るとスノーレは

「実家の話。ただの話題だと思いますか?」

「わかりません。でも、そうでないとすれば彼は場合によっては仕事を失い、ウブを出て行くことになると思っていたのかも知れませんね」

 実際は職どころか命を失うことになってしまったのだが。


「ティカイ様についてですか?」

 サークラー教会喫茶室。オレンダとニーベルトは向かい合って座っていた。

「ええ。先ほどのあなたの言い方が気になりまして。ティカイ様のように立ち直りというと、彼も一時は借金を?」

 真剣なまなざしにニーベルトは困ったように

「いえ。詳しくは知りません。でも、私が借金のため金貸しを回っているとき、何カ所かでティカイ様の姿を見たんです。向こうは気がついていないようでしたが」

「サークラー教会が資金援助している相手という可能性は?」

「それにしては腰が低いというか言葉遣いが。でも私と違ってティカイ様は信用も人脈もありますから、自分の力で何とかしたんでしょう。今も融資関係の高い地位にいるんですから」

 偉い人を告げ口するような気分なのか、早く終わらせたいとニーベルトの口は早く動く。

「すみませんが、その出会ったところを教えてください」

 オレンダがメモ帳を取り出した。


「今日は帰れて良かった」

 教会の信者服から私服に着替えたティカイは小さな鞄を手に教会を出た。100年祭が近づくにつれ仕事が増え、ここ最近は教会に泊まり込むことも多くなったからだ。しかもこれが100年祭が終わっても数日は続く。休めるときに休みたい。

 とはいえ既に外は暗い。食事の出来る、この時間に開いている店はと頭の中で検索していると

「ティカイさん」

 スーツ姿の男が1人彼に歩み寄ってきた。その顔を見たティカイは顔を強張らせ

「教会に来られては困る」

「ここは教会の外ですよ」

「……ちょうど良かった。目処が立った。明後日には全額返せる」

「明後日ね。事情は聞きませんよ。こちらとしては貸した金を返していただければどんな金だって良い。けれど大丈夫ですか? 2時間ほど前にうちの店にオレンダとかいう衛士が来ました。あなたのことを聞いてきましたよ」

 衛士と言われてティカイの足が止まる。

「顧客情報は話せないと何も答えませんでしたよ」

「その言い方じゃ。私が金を借りていると答えたも同じだ」

「それはどうも。金を工面するのは良いですが、こっちに火が飛んでくるようなやり方は困ります」

「わかっている」

「それでは明後日連絡を入れます。昼過ぎで良いですね」

「ああ」

 男が離れていく。ティカイは背中にびっしょりと汗をかいているのは暑さのせいだけではなかった。

 そんな彼を離れた一角から1匹の虎猫が見つめていた。


「まいったね。ジャラスの奴、組合仲間と祝杯でも挙げるのかと思ったら、真っ先に女のところだ。フィティーリ街の娼館。そこにお気に入りの女がいてね。金が出来ると通い詰め。店じゃ有名人だよ」

 翌日昼前の衛士隊本部。第3隊一同が集まって報告をしている。

「娼婦に熱を上げるぐらいだったらよくある話なんだが、気になることが1つ」

 ギメイが報告しながら指を一本立てる。

「近々金がたっぷり入るから、女……サランって言うんだが、そいつに店を辞めて夫婦になろうって言っているらしい」

「……確かに妙な話だ。通い詰めなら給金を貯めていたというわけでもないだろう」

「でしょう。いくら次の給金が上乗せされるからって、娼婦を店から辞めさせるほどの額じゃない。これで女も一緒になって働こうってんならまだわかるが、女の方は本音じゃジャラスと一緒になる気はないらしい。甘い言葉も営業文句ってわけだ」

「なるほど」

 メルダーが報告書の束を軽く掲げ

「第2隊からの情報によると、ティカイは結構な借金がある。裏カジノにのめり込んでいたらしい。一旦は細君に頭を下げて、親戚一同に金を借りて何とかしたらしいが、春先からまたぶり返したらしい。さすがに今度は親戚に借りるわけには行かず、家族にも内緒であちこちで金を借りまくっているらしい」

 もちろんこの第2隊からのというのはオレンダからの報告である。

「明後日、いやもう明日か。その時には何とかなる……金の都合がつくといっていたが、その都合は何かだな」

「明日は給料日でしょ。それじゃないの?」

「給料日前後はサークラー教会で金の動きが激しい。混乱を避けるために、教会では給金日を他とはずらしている」

「給金前借りの可能性は?」

「確認はまだだが、可能性は低いだろう。現場周辺の聞き込みはどうなっている?」

 スノーレが紙を手に立ち上がり

「バーンが殺害された夜、現場付近を小型の船が一層進んでいるのが近所で目撃されています。夜中に一艘だけは珍しいと覚えていたそうですが、誰が何のためにというのはわかりません。

 製粉所の運搬船担当に聞きましたが、船の管理は厳重だと念を押してきました。5年前、やはり組合との交渉でもめたとき、工員の一部が船を乗っ取ったことがあるらしく、それ以降、大げさと言われるぐらい厳重に管理しています」

 皆が腕を組んで唸る。彼らの中ではある可能性が1つの形になりつつあった。しかしそれをハッキリとしたものにする証拠、情報が足りない。

「肝心の連中が誰だかわからないのが痛い。せめてあと10日あれば」

「その時間はなさそうだ。これから100年祭が近づくにつれ忙しくなる。こなったら無駄足覚悟でやるしかない。準備の手配は私がやる、皆は聞き込みを続けてくれ」

 メルダーは部屋を出ると、真っ直ぐ事務方のセルヴェイの所へ行き

「今夜、口の硬い、信用できて腕の立つ奴を最低でも10人は欲しい。出来るか?」

「シフトに入っていない人に声をかけてみます」

「頼む。手当をはずんでやってくれ」

 それには応えず、セルヴェイは静かに離れた一角を指さした。そこには「経理」の札。手当については自分で交渉してくれと言うことらしい。

 メルダーはやれやれとばかりに経理へと歩いて行った。


 重い音と共に巨大水車群が回る。外からは見えないが水車の軸はクランクを通じて製粉所内の10を超える巨大臼を回転させ麦を製粉していく。こして作られた小麦粉は小分けにされ、専用馬車でウブに4カ所ある中継地に向かい、そこから各取引先に運ばれる。

 船は使わない。ウブは川や水路が多く、地下水路もある正に水の街だが取引先が水路のそばとは限らないし個人商店も多いので小回りがきかなければならない。積み替えの手間を考えると出荷は馬車の方が早い。船はウブの外から麦を仕入れる専用だ。

 小麦粉の袋を満載した馬車と入れ違いに、サークラー教会の紋章入りの馬車が入ってくる。

 それを見た工員達の顔がほころびる。彼らは知っている。この馬車に明日もらえる自分たちの給料が積まれていることを。

 馬車は建物をぐるっと回り、オールと数人の警備員が待つ専用口に回ると

「お待たせ。急いで。今日はいつもより多いわよ」

 荷台からミーナが出てきた。念入りに身元調査され信頼の置ける警備員達の見守る中、ディル貨幣の入った木箱が地下の大金庫へと運ばれる。

「遅かったな」

「仕方ないわ。だだでさえ給料日が集中して忙しい上、急な増額でしょう。教会も手間取ったのよ」

 運び終えて馬車を返し、建物に戻るとメルダーが待っていた。

「お疲れ様。捜査の具合は?」

「昨日から始めたばかりですから。まだみんなで聞き込みを続けている所です。100年祭がらみのシフトも入るし、せめてこちらのように臨時の給与でも出れば」

「でしたら隊の皆さんを我が家に招待してご馳走しますよ。捜査の進展具合も聞きたいし」

「お聞かせするほどの成果はありませんが。せっかくですから隊全員でお邪魔させてもらいます」

 笑顔で握手するオールとメルダーを、通路の陰からジャラスが見ていた。


   ×   ×   ×


 夜。雲が多く月もほとんど見えない。日付が変わってすぐの時間。マナカ川を一艘の船が進んでいる。月明かりがないせいで先端の龕灯の光りをのぞいてほぼ真っ暗だ。そのまま船は水車のすぐ下流、水草を掻き分けるようにして土手沿いに止まった。そこはスノーレ達が見つけた水草が倒れていた場所だった。

「よし、急げ」

 全身黒ずくめ、覆面で目だけが出ている格好の男が1人立ち上がると、真っ先に土手に移る。すると今まで伏せるようにしていた同じ格好の男達が静かに中腰で立ち上がり後に続いた。その数は10人を超える。最初に立ち上がったのが男達のボスらしい。

 船の見張りに2人残し、男達は夜の闇に紛れるように製粉所に向かう。すると、彼らを出迎えるように通用口が開きジャラスが顔を出した。

「こっちだ」

「衛士隊の奴らはどうだ?」

「大丈夫。まだ何にもつかんじゃいない。それどころかオレンダ家に招かれてご馳走三昧だ。明日の連中の顔が見物だ」

 ジャラスはランプを手に男達を製粉所内に招き入れ、地下へと下りる。

 向かった先は金庫室。

「鍵は?」

 言われてジャラスが大振りの鍵を3本取り出した。そのうちの1本で扉を開ける。

 部屋は手前に作業用の空間があり、奥にはいかにも重々しい漆黒の金庫が埋め込まれていた。金庫と言っても高さは大人の背より高く、幅は両腕を広げるより広い。

 観音開きになっている扉の中央、把手の下にはそれぞれ鍵穴とダイヤル式の鍵がついている。

「まず右からだったな」

 男達の1人が前に出て、向かって右側のダイヤルを操作し鍵穴に鍵を1本差し込んで回すが開かない。しかし臆することもなく左側を同じようにダイヤルを回し、残った最後の1本を鍵穴に差し込んで回す。小さく音がした。

 男達は頷き合うと、男が2人前に出て、それぞれ左右の把手をつかんで力を入れると金庫の扉は音もなく開いていく。

 期待に目を輝かせるジャラスと男達。

 扉が開きランプの光が中を照らす。中は空っぽだった。

「おい、どういう事だ?」

 ボスがドスのきいた声でジャラスを問い詰める。

「そ、そんな馬鹿な。確かに明日の給料はこの中に」

「ありはしない」

 メルダーの声と共に金庫室が光に満ちた。彼の横に立つルーラが光の精霊にお願いしたのだ。

 驚き振り返る男達。

 スラッシュとスノーレをのぞく武装した第3隊の面々が立っていた。

「お前ら。オレンダの家に招待されたんじゃ」

「あれは嘘だ。お前達を油断させるためのな。オールさんにも協力してもらった。」

 怒りの目を向けるジャラスをメルダーが鼻で笑う。

「給料はいったん金庫に入れた後、密かに別の場所に移させてもらった。まだ名前もわかっていないが盗賊共、素直に捕まればそれで良し。だが抵抗するならば容赦はしない!」

 その言葉に男達は一斉に剣を抜く。

「そう来なくっちゃ」

 嬉々としてギメイが身構える。

「ルーラ、あんたは下がって灯りに専念して」

 クインがサーベルを抜き、ルーラを下がらせる。

「お前も下がった方がいいんじゃないのか。女は引っ込んでいろ!」

「剣に性別は無いわよ」

 ボスの言葉に八双の構えでクインが答える。

 盗賊達が一斉に襲いかかってくる。衛士達の隙間を縫って盗賊のボスが数人の仲間と共に外に向かう。クインとギメイが後を追う。

 遅れて逃げようとする盗賊をメルダーのサーベルがすれ違い様打ち倒し、別の盗賊をルーラが槍で足を払って転ばせたところをイントルスがメイスで叩き伏せる。

 建物を飛びだしたボス達を無数の龕灯や魔導の光が照らし出す。

 周囲を応援の衛士達が固めていたのだ。

 見ると船に残していた盗賊は既にスラッシュとスノーレによって捕まり、手枷をかけられ転がされている。

「おい、何だって今夜の仕事がバレたんだ?! バーンの一件から足がついたんじゃ」

「知らねえよ。昨日の今日でどうして?!」

 怒気の混じった声で責められ、ジャラスが激しく首を横に振る。

「欲を出しすぎたな。ジャラス」

 建物から出てきたメルダーが

「今夜の盗みを少しでも多くしたかったんだろうが、昨日の交渉はやりすぎだった」

「やっぱりお前のせいか!」

 ボスが憤怒の剣をジャラスの腹に突き刺した!

「ぐぁっ!」

 ジャラスが悶絶して倒れる間に、クインとギメイが一気に間を詰め剣と拳を振るう。

 周りの手下をギメイがたたき伏せ、斬りかかるボスをクインが一刀で打ち倒す。

 残った盗賊達も応援の衛士達に倒され。手枷をはめられていく。

 スノーレが治癒魔導をかけようとジャラスに駆け寄るが、間に合わず彼は

「サラン……」

 入れ込んだ女の名前を呼んで事切れた。


 翌朝。

「行ってくるよ」

 妻にキスし、2人の息子に声をかけて自宅を出たティカイを後ろからゆっくりオレンダが近づき

「昨夜の製粉所襲撃は失敗しましたよ」

 声をかけると彼の足が止まった。

「あなたは直接襲撃に加わってはいない。しかし盗む額を増やすためジャラスに入れ知恵しましたね。自分が担当ですから、突然の現金調達にも応じられる。その代わり自分もいくらか分け前をよこせと。断ったら計画をそれとなく製粉所側に知らせるつもりだったんでしょう」

 ティカイは青ざめながらも

「……証拠はあるのか?」

 震える声で聞くのに、オレンダは肩をすくめ

「ありません。ジャラスは現場で盗賊に殺されました。今の話を裏付ける証人はもういない」

 それを聞いてティカイはホッとしたように笑い出した。しかしその笑顔はまだ少し引きつっている。

「変な気を起こさず、最初から製粉所側に教えれば良かったんです。得意先の危機を救ったことになりますからね。借金返済には足りないかも知れませんが、いくらか謝礼が出たでしょう」

「証拠のない話をいつまで話す気だ。訴えるぞ」

「それは失礼。でも、いま言ったことが事実ならば、あなたは明日返すという借金の返済金が入るあてがなくなったということです。あそこにいるのは取り立ての人じゃないですか? 挨拶に来たんでしょう」

 離れたブロックの角に、先日のスーツ姿の男が立っている。彼はチラリとティカイの方を見ると「明日はよろしく」とばかりに微笑んだ。

 ティカイは真っ青になっている。

「今の話が僕たちの勘違いならば、別にちゃんと金の入るあてがあると言うこと。とんだ失礼をしました。でももし今の話が事実だとしたら、全てを話してください。製粉所側に今回の襲撃はあなたからの情報ということにして、いくらか謝礼がもらえるよう話をつけます」

「……何が目的だ……」

 震える言葉で聞くとオレンダは肩をすくめ

「サークラー教会はウブに出入りする人達の窓口としては最大です。いろいろ情報が入る。現場の人間で衛士隊にそれらを流してくれる人が欲しいんですよ。もちろん教会幹部に希望は伝えてありますが、やはり彼らは教会の利益を優先しますから。肝心なことを黙っているのが多くて」

「私に、衛士隊の犬になれというのか」

「無理にとは言いません。返事はお早めに。明日になったら彼らも黙っちゃいないでしょうから」

 スーツ姿の男が路地に入っていく。

「それでは、気が変わったら衛士隊本部に。第2隊のシェルマ・オレンダを訪ねてください。あ、僕のことです」

 会釈してティカイとは別方向に歩き出す。アバターも連れて。

 ティカイはその場に立ち止まり、青ざめたまま彼の後ろ姿を見送っていた。


   ×   ×   ×


「危なかったな。見込みが外れていたら無駄足だったぞ」

 衛士隊本部。トップスを前にメルダーは恐縮していた。

「給料日前日の夜という1番金庫に金がある時を狙って強奪計画を立てる。さぞかし大変だったろうな。それだけの実入りが期待できたからだが」

 ベレゼーネというのが盗賊団ボスの名前である。彼らは時間をかけて製粉所内部に味方を作っていったが、その途中、ジャラスとティカイに計画を知られたのだ。だが彼は計画を衛士隊や製粉所に知らせるどころか「俺も一口乗せろ」と無理矢理仲間に加わった。計画を知った彼は経営陣の従業員一時解雇を知り、これを利用して盗み当日金庫内の金を増額させる方法を思いつく。

 だがジャラスは盗賊団ほど心得がなかった。隙があった。バーンに知られたのだ。

「バーンにとってはいくら問題があってもジャラスは仲間だ。何かの間違い、自分の勘違いじゃないかと思い続け、誰にも言わなかった。そしてあの日、奴は盗んだ金を運ぶための船をつける場所の確認のためやってくるベレゼーネたちを見てしまったんだ。というより、確認のことを何かで知り、間違いであってほしいと願いつつやってきたんだな。

 そこで逃げれば良かったのにジャラスを説得しようとしたが、逆に殺されてしまった」

 待ち合わせという推測は外れていたわけだ。なぜバーンは確認のことを知ったのかは謎だが、彼もジャラスも死んでしまったので想像するしかない。

「ところで、連中に金庫の番号を教えたり合鍵を作って渡した奴、結局襲撃の場には来なかったらしいが、正体はわかったのか?」

「あの日以来休んでいる出納係がいるそうです。行方もわからず、おそらくそいつかと」

「盗みが失敗したのを知って逃げ出したか。まず間違いないだろう」

「時間があればそいつも捕まえられたのでしょうが」

 ジャラスは死に盗賊達もそう簡単に口は割らない。他に捕まえた盗賊の自白で強襲したアジトも既に空っぽ。捕まえ損ねた盗賊はけっこういそうだ。

「多少の取りこぼしは仕方ないさ。バーンの死体発見の翌日にはベレゼーネの計画をつかみ、やってきた奴らを一網打尽。それだけでも十分すぎるお手柄だ」

「恐縮です」

 一礼して出て行こうとするメルダーに

「ほれ」

 トップスが革袋を投げた。受け取ると中から金の鳴る音が

「みんなに休憩用の茶菓子でも買ってやれ。ル・イーツにタルトの新作が出たらしい」

 メルダーは静かに笑って頷いた。

 ドアを開けると廊下から忙しそうな中、多少浮かれ気味の衛士達の声が流れ込んでくる。

 今日は衛士隊の給料日なのだ。


(第11話 終わり)

 オレンダ家の話。別の隊でありながら度々ルーラ達第3隊に協力しているオレンダ。いい加減にしないと上から怒られるぞと思いつつも登場させています。なぜ彼が同じ隊でないかというと、同じ隊だと出てこないのが不自然になってしまうから。都合の良いときだけちょっと登場させ、それ以外では出さない。こういう使い方が出来るのがサブキャラの良いところですね。オレンダ家の人々も今後こんな出方になりそうです。

 オレンダ家の母も話が進めば出てくるでしょう。そういえば彼女はみんなあいつとか母さん呼びで名前が出ていない。シェルマ関係は厳しいですが、それ以外では優しい人なんですよ。


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