『第1話 衛士隊へようこそ!』
神歴1688年・春の58日。
昼は汗ばむ日も出てきたとは言え、朝晩はまだ肌寒い日。そんな朝だった。
センメイ川から流れ込む水路は霞がかっている。そこをにじみ出るように現れたのは数隻の小船。
町を縫うように作られた水路を小船達が進む。小船と言っても、6人漕ぎの屋形舟だ。船の左右にそれぞれ3本ずつのオールが出て、それが静かに動きを合わせて船を静かに進めていく。
水路を抜け、倉庫が建ち並ぶ前の流れに入る。荷の上げ下ろしが行われるため、ここに限らず倉庫前は川幅が広い。船着き場にそれらはゆっくりと音もなく滑り込んでいった。東の空が明るくなり、少しずつ霞が晴れていく。とはいえ、まだ倉庫も船着き場に止めてある船たちもまだ眠りから覚めてはいない。
動いているのは、今し方入ってきた小船達と……
「情報通りだな」
倉庫前の船着き場とは川を挟んだ反対側。建ち並ぶ安宿の3階でソン・トップスが薄く笑う。同室にいる数人の男女が緊張した顔つきで頷いた。
ここにいる人達は皆同じ制服を着ている。この町に住むものなら誰もが知っている、男女共通のデザイン、やたらポケットの多い衛士隊の青紫の制服だ。衛士隊。私たちの住む世界で言えば警察である。
そしてトップスこそ、ウブの衛士隊、東地区の総隊長である。
船着き場に入ってきた船の様子を、厚手のカーテンの隙間からトップスが見張っている。
「トップス隊長」
衛視の1人が窓の外を指さす。
小船から1人出てくると、船着き場で待っていた男に何やら凹凸の付いた板を見せる。待っていた側も同じような板を取り出すと、互いの板を合わせる。凹凸がピッタリ合い、きれいな四角形を作り出した。
待っていた側は満足げに板を戻すと、大きく手を上げる。
すると、倉庫から彼らを出迎えるように人が姿を現す。小船からも何人も出てきて何やら打合せをしているように見える彼らは
「ざっと14~15人といったところか。魔導師はどれぐらいいる?」
隣の窓。同じようにカーテンの隙間から、女衛士スノーレ・ユーキ・ディルマが船の様子をうかがっている。短い癖のある銀髪、メリハリのあるボディライン。彼女が、かけている眼鏡の位置を手で直す。
空いている手には先端に魔玉が取り付けられた杖がある。
この世界では、魔力(力ある精神)を様々な形に転化する技術を総じて「魔導」と呼び、それを生活するための糧としている人たちを魔導師と呼ぶ。
魔導を発動するために必要な道具が「魔玉」であり、それを先端に取り付けた杖は「魔玉の杖」と呼ばれ、魔導師の身分証明書代わりにもなっている。魔玉は別に杖に取り付ける必要は無い。しかし、魔導師連盟はできるだけ魔玉は杖につけて持ち歩くように指示を出している。これは、杖にした方が扱いやすいということもあるが、魔導師連盟曰く
「かつて魔導師は周囲の人達から怪しげな術を使う怪しげな人と見られていた。それを払拭するためにも、我々は魔導の研究を、できるだけ人々の生活を豊かに、便利にするために使うよう心がけねばならない。魔導師が怖い人達でないことを示すためにも、魔導師であることを決して隠してはいけない」
のだ。つまり、魔玉の杖は周囲の人達に自身が魔導師であることをわかりやすくアピールするための小道具でもあるのだ。その杖を持っていることからわかるように、スノーレは魔導師である。
眼鏡を通した彼女の視界。船着き場の人達の中、2人が手にしている杖の先端に付けられた玉が、うっすらと赤く光っている。脇で周囲の様子をうかがっている男の腰に付けている剣も同じように光っている。
「魔導師が2人と、向かって右端にいる深緑の服を来ている男。彼が腰に差している剣にも魔導の反応があります。おそらく魔力不可がされているものと思われます」
彼女がかけている眼鏡は魔導品を見分ける力を持っている。どんな魔導品かまではわからないが、魔導師が何人いるか、誰がそうか、魔導具を誰が持っているのかがわかるだけでも有利になる。
「よし。その剣の使い手はスラッシュに……どこにいる?」
目当ての男の姿が見えず、首を傾げると
「下に行きました。嫁さんが来ているとかで」
「あの馬鹿、突入待機の場に嫁を来させるな」
「新婚ですからね」
照れくさそうにスノーレは苦笑いした。
その1階では
「あなた、気をつけてくださいね。突入の際は気をつけて、手柄なんていりませんから。誰かの後ろに隠れていてください」
「大丈夫。僕は後方支援だから」
心配げな妻の前に、スラッシュが愛用の弓を出す。ひょろっとして、とても腕っ節が強そうには見えない彼だが、衛士隊ではトップクラスの弓使いなのだ。昨年の大会で、20個玉撃ちを3回連続で全て成功させ優勝したのは有名だ。ちなみに、彼が愛用している弓はその時の商品としてもらった特注品である。
「スラッシュ、上に戻れ。お前の支援なしで突入しろというのか」
上同様、カーテンの隙間から外をうかがっていたイントルスが言った。四角顔で無愛想な彼が言うと、事務的な報告に聞こえる。体の大きさといかめしい面構え、その手にしている大振りのメイスを見れば、大抵のものは震え上がるだろう。
「わかった。さぁ、君も帰るんだ。大丈夫、僕は死にやしない。君の笑顔がある限り」
「あなた……」
愛の空気を振りまきながらしっかと手を握り合う。その2人に背を向けながら、
「ねぇ、突入の時にあいつを盾にしていい?」
と、つぶやくのはクイン・フェイリバースだ。腰まである光沢流れる黒髪は簡単にうなじの少し下で簡単に結ばれ、張りのある肌。強い意思を感じさせる黒い瞳。本人曰く「あたしは着やせするの。脱いだらすごいんだから。見せたげないけど」という無駄のない体型。腰には衛士隊支給のサーベルをぶら下げている。
彼女の言葉に、周りの衛士が思わず頷くが、
「後方支援担当を先頭にしてどうする。それに、愛する者の言葉は力となる」
イントルスがメイスに触れ
「ゴーディスよ。我らにもこの任務を成し遂げる力を与えよ」
軽く目を閉じ、信仰する神に祈りを捧げる。力神ゴーディス。この世界の8大神と呼ばれる神のひとつで「力あるものが人の上に立つべし」を教えを基本とする。
「あたしは遠慮するわ。ゴーディスの信者じゃないから」
言った途端、クインの顔つきが険しくなる。
「動くわ」
衛士達が窓際のスノーレを残して扉の前に集まる。
スラッシュも弓を手に階段を駆け上がる。その顔はすっかり突入前の衛士に戻っていた。
船員達が小船から荷物を次々と持っては出てくる。荷物の大きさ、形は様々で、どれも念入りに梱包されている。それらを1人で、あるいは複数でかついでは船から降ろし、倉庫へと運んでいこうとする。いくつかの荷物が陸に上がったのを見計らい
「スノーレ、やれ」
トップスの支持で、彼女が左手で魔玉の杖をかざす。魔力と称される力ある精神を受け、魔玉が淡く光り始める。右手の親指、人差し指、中指で魔玉を抓むように触り手前に引く。すると、魔玉の光が指に抓まれ青く手前に伸びていく。それは、杖を弓に見立てた矢のようだ。
隣の衛士がカーテンと窓を大きく開ける。窓越しに川の向こうの船が朝靄の中に見える。
「凍結・魔氷!」
叫びと同時に右手の指を放すと同時に、伸びた魔力の青い線が解き放された矢のように飛ぶ!
それは小船すれすれの川面に命中。一瞬で水面が凍り付き、それが波紋のように広がっていく。
彼女が立て続けに魔力の矢を連射する。同じように船周辺の川面に当たっては氷を広げていく。
「何だ?!」
異変に気がついた船員達が動きを止めた。
スノーレは休むことなく矢を放つ。それは小船から手前の川面を凍らせていき、ついには衛士達のいる側に繋がった。
「衛士隊だ! 全員動くな!」
トップスの声を合図に、1階の扉が開きイントルスを戦闘に衛士達が飛び出していく。
凍った川面に飛び降りる。氷の川面を駆け抜け、一気に船員達のいる側まで走って行く衛士達。
「手入れだ!」
「船を出せ!」
「川が凍り付いて船が動かない!」
騒いでいる間に衛士達が到達、慌てて剣を抜いた船員をイントルスのメイスが打ち払う。洗練された棍棒とも言えるメイスの一撃は、船員を凍った川までぶっ飛ばす。そのまま船員は氷の端まで滑っていき、川に落ちた。
船員達が慌てふためく中、凍った川を駆け抜けてきた衛士達が次々と河川岸に上陸、乱闘が始まった。
荷物を放り出して逃げ出す船員達の前に、河川岸に沿って駆けつけた衛士達が立ちはだかる。衛士隊第3隊隊長ネグライド・バー・メルダー率いる別働隊だ。
彼らを迎え撃つべく1人の男が剣を抜いた。スノーレが探知した魔導の剣を手にした男だ。
「おっと、あんたの相手は私よ」
その前にクインが立ってサーベルを抜く。細身で、軽く反っている片刃の剣。多くの戦士が使う剣より力は劣るが、速さを生かしての切り裂く力は優れている。
「衛士クイン・フェイリバース」
剣を構えての名乗りに、相手がにやりと笑い
「女か。面白い、相手になってやろう。俺の名は」
言いかけた途端、彼の剣を持った二の腕に矢が突き刺さった。
痛みに体勢を崩し、男はそのまま川に落ちる。
剣を構えたまま目を点にしたクインが矢の飛んできた方を見る。
川向こう、自分が今まで待機していた建物、2階の窓から弓矢を構えたスラッシュが見えた。
「あたしの獲物取るなーっ」
わめかれたスラッシュは戸惑い、
「なんで援護して怒られなきゃいけないんだ」
船着き場は戦場だった。短剣を手に襲いかかる船員達を衛士が打ち払い、逃げようとする者の足に衛士のボーラが絡みつく。
船員達も負けてはいない、腕に覚えがあるものは衛士達に挑んでいくが、
「抵抗する連中に容赦はいらないわよね!」
クインの剣が、イントルスのメイスが叩きのめす。
形勢不利と見た船員仲間の魔導師が、飛行魔導で逃げようと飛び上がったところを、スラッシュの矢に射貫かれて川に落ちる。
「制圧も時間の問題ね」
窓で魔玉の杖を構えたままのスノーレがつぶやいた。船橋は明らかに衛士隊有利。援護しようと構えている彼女やスラッシュも、攻撃よりも戦況の観察している方が多くなってきた。
「あ」
彼女たちのいる側の川岸。待機している建物から少し離れた場所に、1人の船員が這い上がってくるのが見えた。乱戦の側より、むしろ川を渡った反対側のほうが逃げやすいと見て、川を泳いで渡ってきたのだ。良い判断だった。実際、こちら側にはスノーレ達援護役が数名残っているだけ。彼女が凍らせた川面も今は解けかかり、人が渡るのは難しくなっている。
「スラッシュさん。あとはお願い」
彼を1人残して、スノーレは階段を駆け下り、外に出る。
這い上がってきた船員は、二の腕に突き刺さっていた矢を抜くと投げ捨てた。スラッシュの矢を受けて川に落ちた魔導剣の男だ。
走りながら彼女が杖をかざすと、魔導矢が再び発生する。ただし今度は先ほどとは違い、薄い橙色をしている。雷の矢だ。
それに気がついた魔導剣の男が逃げる。その方向には、川岸で衛士達の戦いを見物していた野次馬らしい人がいた。見た感じ10代前半。短い黒髪に日焼けした肌。薄汚れた焦げ茶のシャツにズボン。カーキの薄手の上着。手にした棒を川に突っ込んでいる。近所の子供がたまたま通りかかったところ、この騒ぎに遭遇して物珍しさから見物していた。そんな感じだった。
魔導剣の男がその子に向かって走る。
(まずいわ)
人質にするのか、川に突き落としてスノーレを救助させて逃げる時間を作るのか。それとも。
魔力の練りは不十分だが、彼女は魔導の矢を放った。
男が振り返り様、剣でその矢を切り散らす。魔導の矢を散らすとは、魔導剣だからこそ出来る技だ。
どうだとばかりに男が笑い、再び走りかけた時だ。
黒髪の子が川から棒を引き抜き、そのまま先端で男の胸を突いた。意表を突かれた男が咳き込み後ずさる。とその子は棒を半回転させて男の足を払った。
足から血を流して男が苦痛に呻いて倒れる。あの子が振るった棒の先端には、鋭い石の穂先がついていた。棒ではなく、槍だったのだ。
駆けつけたスノーレが、男の剣を持つ手を蹴飛ばした。たまらず剣が男の手から離れて地を転がっていく。
「抵抗は止めなさい!」
そのまま彼女が男の腕をねじ上げる。足を傷つけられ、片腕を矢で射貫かれ、もう片方の腕をねじ上げられてはたまらない。男が苦痛のうめきを上げ、抵抗を止めた。
「大丈夫? 怪我はない?」
彼女が顔をあげると、さきほど槍を振るった子の姿はどこにも見えなかった。
川の反対側では、衛士隊が取り押さえた船員達を縛り上げている。
押収された小船の中をメルダーのぞくと、
「事前情報の通りだな。盗まれた美術品だ」
絵画や彫刻の類いが山と置かれていた。
美術盗品の密輸。その取引情報を得た衛士隊による強制捜査である。一部からは「あえて泳がせ、背後にいる盗品売買の黒幕を突き止め、証拠をつかんでから動くべきだ。現場を押さえても、それを知った黒幕が逃げ出す可能性がある」という声も出たが、被害者の中には他国の有力者もおり、盗品を押さえることが第一と判断、今朝の強制捜査が実行されたのである。
× × ×
「それで、その槍を持った子供はそのまま見つからずってわけ」
「連中の仲間とは思えないけど、どうも気になって」
ウブ東衛士隊本部女子更衣室。10人も入ればいっぱいのここで、スノーレとクインは私服に着替えていた。
「今どき護身用に武道を習うなんて珍しくないし、単に衛士にいろいろ聞かれるのが嫌ってだけでしょ。気にすることはないわよ」
「だったら良いんだけど」
「それより、帰りにフィレット通りに新しくできたフェ、寄ってかない」
「お茶やお菓子が美味しいの?」
「それは知らない。でも、ウェイターにすっごいいい男がいるの。昨日ちらっと見たけど、かなりいい男レベルが高いわよ」
目を輝かせるクインに、スノーレも思わず苦笑い。
「相変わらず、そういう情報は早いのね」
「当然、この世の女として生まれたからには、いい男を捕まえなきゃ」
私服に着替えて更衣室を出た2人を、ちょうど通りかかったモルス・セルヴェイが
「ちょうど良かった」
声をかける。彼も衛士だが、彼女たちのように現場に出ることはなく、ほとんど本部内で事務処理をしている。細身の地味な男だが、事務処理能力は非常に高く、事務関係で困ったときは彼に頼めば何とかなるというのが周囲の評価だ。
「2人に伝えておこうと思いまして。今度、新しく女性衛士が入ります」
「え。やっと」
2人がホッとするように顔を見合わせた。
「良かったーっ。これで少しは楽になる」
「容疑者が女性の時は、詰めっぱなしだったから。今回みたく、容疑者全員男子なんて滅多にないし」
軽く手を打ち合わせる2人を、セルヴェイか同情するように笑顔を向けた。
「どんな人か聞いてない?」
「聞いてません。けれど、隊長推薦という話なので、変な人ではないでしょう」
「隊長の知り合いって事?」
「だったら優秀じゃない。変な人を連れてきたら、隊長自身の責任問題になるし」
クインが指を立ててウインクした。
この物語の舞台となるウブという街。スターカイン国南東部に位置する人口約3万の都市である。この世界では大きな街と言える。
街の治安を守る衛士隊は東西2つに分かれており、トップス隊長率いる衛士隊は東半分の治安を担当している。
ここ10数年で社会全体における女性の地位は向上してきた。とはいえ、まだまだ男性中心の分野は多く、衛士隊もその1つである。東地区衛士隊の人員約300名の中、女性衛士はわずか25人。その多くは事務員で、クインやスノーレのように現場で働くものはその半数以下だ。女性衛士を増やすことを課題の1つではあったが「衛士は男の仕事だ」と考える上層部も多く、一定以上の技能も要求されるため、なかなかそうはいかなかった。
「あー、腹が立つ。あんな男とは思わなかった。あいつのいい男レベルが最低レベルまで下がったわ」
肩を怒らせ帰り道を急ぐクインにスノーレはあきれ顔だ。
「勝手に期待して勝手に失望して、それで悪く言われたんじゃ向こうも大変だわ。でも、確かにあれはひどかった」
クインがオススメのカフェに言った2人は、彼女がいい男というウェイターの修羅場に出くわしたのだ。その男、二股どころか四股かけていて、相手の女性が全員出っくわし、髪も服を乱しての取っ組み合いをはじめたのだ。クインとスノーレが彼女たちを何とか押さえたものの、肝心の男はそのま逃げ出したのだ。しかも、その際に今日までの給金と称して店の金を持ち出していた。
クイン達はやってきた他の衛士にボロボロの女性達を引き渡し、後の始末も任せてきた。身元はわかっているから、明日にでも捕まるだろう。
ボロボロなのはクインの気持ちも一緒だった。
結局不機嫌なまま、2人は帰路についた。
ウブの東南東、第4繁華街の一角に3階建ての建物がある。1階にファウロ夫妻が営む「ファウロ・ベーカリー」というパン屋、2階が夫婦の住居。そして3階は衛士隊が間借りしていて、女性衛士の寮としてクインとスノーレが住んでいる。
当初は女子寮を作る予定だったが、女性衛視が思うように集まらず、
「これなら寮を作るより、街の空いている部屋を衛士隊の予算で借りて寮として使った方が良いのでは。もちろん、家主などの身元調査をしっかりした上で」
ということになり、ここが寮として借りられた。他に比べて寮費が少し高めだが、食事時には店のパンがもらえるという特典がある。
「おかえりなさい」
夕方のピーク前、店の主人でありパン職人のルーベント・ファウロから焼きたてのパンを受け取った妻のリムルが2人に挨拶する。クインが鼻をひくつかせ
「あー、やっぱり焼きたてパンの香りは良いわぁ。空腹に対する凶器だわ」
現金なもので、先ほどまでの不機嫌はきれいさっぱりなくなっていた。
真ん中のくぼんだ、平たい円盤状のパンが表面を照尽かせて食欲を誘う。外側には様々な装飾が描かれ、中には「めしあがれ」「おいしいよ」などと装飾が文字になっているものもある。この店の人気商品だ。
「1時間ほどしたら夕食に持っていきますね」
「楽しみぃ。これだけでここに住む価値あるわぁ」
涎を垂らしそうな顔でパンを見るクインに
「そうそう。今度衛士隊に女性衛士の新人さんが入るそうで」
「ええ、さっき本部で聞きました」
「その人もうちに入ることになりました。ちょうど部屋が1つ空いていますから、そこへ」
途端、クインとスノーレが真顔になった。
「本当ですか? いつ入るんですか?」
「明後日と聞いていますけれど。急いだ方が良いですよ」
それだけ聞くと、2人は大急ぎで裏に回り、通用口から中に入る。パン屋の中を通り抜けるわけにはいかないので、2人の出入りはいつもここからだ。その慌てぶりに、リムルが声を殺して笑った。
階段を一気に3階まで駆け上がる。
「まったく、なんで新人なんて来るのよ! こっちの都合も考えてよね」
彼女たちの住居でもある3階は簡単に言えば3LDK。個室が3つに共有空間であるリビング。簡単なキッチンがある。トイレは共有のが1階にあり、シャワーはない。沸かした湯を浸したタオルで体を拭くか、街の公衆浴場を利用する。
2人は3つの個室の内、自分たちの部屋でない扉を開ける。
ここは本来誰も使っていない空き部屋のはずだが
「スノーレ、どうする?」
険しい顔のクインを横に
「仕方ないでしょう。いつかはこの日が来るってわかっていたんだから」
空き部屋の中は、荷物が山のように置かれていた。脱いだものをそのまま放り出したような服、埃の積もった本、壊れた置物、足の折れた椅子などの家具。どう使うのかもわからない玩具。どれもこれもろくに整理もされず、ただ適当に摘んだだけに見える。中に何が入っているのかもわからない汚れた箱もいくつかある。
「どうする、これ?」
「新人さんが来る前に、自分たちの部屋に入れるしかないでしょう。掃除もしておかないと」
床を見る。いつだったかも忘れてしまった、紫茶をこぼした跡が床板に染みとなっている。
そう。この空き部屋は、いつの間にか2人の私物置き場となっていた。
「スノーレ……部屋をきれいにする魔導って無い? お掃除魔導とか、ピカピカ魔導とか」
「ないわ」
どうしようかと顔を引きつらせる彼女を横目に、スノーレはあきらめ顔で息をついた。
「これは……そのうち着る。これは痩せたら着られる。これは、舞踏会に招かれたときに着る」
クインは自室で空き部屋から移した箱の整理をしていた。中身のほとんどは服だが
「これは多分いると思う……これは捨てるのには惜しい気がする」
中身の服を1着ずつ出しては処分するかどうかを決めるが、どれも処分した途端必要になる気がする。
「終わらない~っ!」
部屋中に広げた服の中、クインは頭を抱えて悲痛な声を上げる。
一方、スノーレは荷物を自室に運び込みはしたものの、中を開けることもなく、本棚から分厚い本を取り出し何やら調べている。この本、現状でわかる限りの森羅万象をまとめた書。要は百科事典である。全30巻。分厚いし高価だが、衛士の仕事と並行して魔導の研究も続けている彼女にとって、必須の書である。さすがに最新版は高くて手が出せず、これは15年前の版を古書店で買ったものだ。とはいえ、発行からこれまで大がかりな改訂が行われた項目はなく、最新情報にこだわらないかぎり問題はない。
「……これだわ」
彼女が目を止めたページには、石とそれを穂先に加工して作った石槍の図が描かれていた。
「精霊の槍……人が精霊と意思を通じる媒体となる精霊石を穂先に加工して作った槍……精霊使いのほとんどはこの槍を手にしている……私たち魔導師にとっての魔玉の杖みたいなものね」
自然と脇に立てかけておいた魔玉の杖を撫でる。
彼女の頭にあったのは、朝方、魔導剣の男を打ちのめした子が振るった槍だった。鉄槍でもない、稽古用の木槍でもない。石槍というのがどうしても気になった。
「あの子は精霊使い……」
自然界の精霊と意思を通わせ、その力を振るう人を精霊使いと呼んでいる。精霊石を手にしても、精霊と心を通わせられる人は限られており、スターカイン国全土でも100人に満たないと言われている。
精霊使いの振るう力は自然を司ると言われる精霊の力だ、個人の精神力による魔導師と比べてその力は非常に大きい。単純な力だけみれば、魔導師が束になっても精霊使いにはかなわない。ただ、精霊の力は魔導と違って細かな制御が出来ない。大雑把な使い方になるため、開けた場所ならともかく、街の盛り場などで使おうものなら周囲へのとばっちりの方が大きい。そのため、軍ならともかく、衛士隊で精霊使いを受け入れるところはほとんどない。このウブの衛士隊にも、精霊使いはまだいない。
「敵意はないみたいだけど、身元を把握しておいた方がいいかもしれない」
朝の件でも、あの子は精霊の力を使わなかったから良いものの、使っていたらあの魔導剣の男も、自分もただでは済まなかったかも知れない。
眼鏡を外し、軽くを目を押さえる彼女の耳に、キッチンからヤカンの鳴る音が聞こえた。
「お茶にしますか」
キッチンに行こうと腰を上げたときだった。
窓の外にそれは見えた。外は既に夜。それは月を横切った。
「あの子だ!」
あの精霊使いの子が、精霊の槍を手に飛んでいる。精霊使いは風の精霊の力を借りることで空を飛べる。風は馬車はもちろん、家や船をまるごと飛ばす力がある。人1人飛ばすぐらい造作も無い。上下左右に揺れながら進む姿は、飛ぶと言うより風に舞っている感じだ。、
スノーレは窓を開けると魔玉の杖を手に取った。左手で手にしたまま右手を魔玉にかざす。すると魔玉が淡く光り、杖が横に浮く。
彼女は浮いた杖に横座りすると、そのまま窓から外に跳びだした。飛行魔導である。飛行魔導にもいろいろやり方があるが、彼女のは魔玉の杖を飛ばし、それに身を委ねることで空中を移動するやり方だ。横座りの姿勢は、スピードは出ないが安定しやすい。彼女はよほど急ぎでない限りこの飛び方をする。
大きな町ではどこもそうだが、ウブの街も勝手に空を飛ぶことは禁じられている。彼女も任務上必要とされない限り飛行魔導は使わない。しかし今は違う。飛ぶ相手を追うにはこちらも飛ばなければならない。
(夜に飛んで、どこに行く気かしら?)
夜風を受けながら飛ぶ。飛行魔導の最中は、使い手と杖を魔力の膜が包むため、あまり風の寒さは気にならないし、少しぐらいバランスを崩しても魔力が接着剤のような効果を表し、杖から落ちることはない。
彼女が飛び出したすぐ後、部屋の扉を叩く者がいた。
「スノーレ、お湯湧いたよ。お茶にしよう」
扉を開けて、疲れ切った顔のクインが入ってきた。
「あれ? おしっこかな」
空っぽの部屋を見回すと、開け放たれた窓から飛んでいくスノーレの後ろ姿が見えた。
瞬間、彼女の顔が衛士のそれに変わった。
彼女は自分の部屋に駆け込むと、サーベルを手にする。普段職務で使っているのは衛士隊からの支給品だが、いざというときのため、私物としても一振り持っている。支給品より質が良く、鞘と握り部分には装飾も施されているお気に入りの一品だ。
そのまま部屋をとびだし……すぐに戻ってはヤカンを火から下ろし、火を消してから改めて部屋を飛びだした。
精霊使いの子は、風を纏いながら通りに下りると、路地へと駆け込んでいく。
路地はほとんど灯りはないが、月の光は届いている。暗いことは暗いが歩けないことはない。誰かに見つかったとしても、今、その子は朝と同様、薄汚れた作業着姿だ。ここではありふれた服装なので、気に留める人はほとんどいないだろう。
路地を駆け抜けると、別の通りに出る。が、その子は通りの手前で止まった。
通りの向こうにある建物を確認するように軽く指さすと、すぐ横の扉を軽く3度ノックする。少し間を開けて今度は4回。
しばらく待つが、扉が開く気配はない。
その子は首を傾げると、ノブに手をかけた。扉はすんなりと開く。
訝しげに小首を傾げて中に入ったその子は息を飲んだ。
床に衛士の制服を着た人が倒れ、床板を血に染めている。
駆け寄り、衛視の顔をのぞき込む。その顔は青ざめ、死んでいるのは明らかだ。
精霊の槍を手に、周囲を見回すその子に
「動かないで。衛士隊です」
開け放たれた扉から、魔玉の杖を構えたスノーレが声をかけた。魔玉は光を発し、両手を構え、魔導の矢をいつでも放てるようになっている。
「槍を置いて、両手を挙げてゆっくりこっちを見て」
精霊使いが言われて通りにしてスノーレを見る。
「今朝も会ったわね。私のことは覚えている?」
彼女は初めて精霊使いの子の顔をじっくり見た。短い黒髪に中性的な顔立ち。少し痩せ型だが、あげた手の指はがっしりして、肉体労働者か、格闘者のようだった。年は見た感じ10代前半のようだ。
「あなた、名前は?」
「ルーラ」
「女の子?」
返ってきた高い声にスノーレは目をぱちくりさせ、もう1度彼女をじっくり見る。確かに女の子でもおかしくはない顔立ちだが。着ている作業服は男物のため、自然と男の子だと決めつけていた。
「あなた、精霊使いね。どうしてここにいるの?」
彼女は、すでにルーラが今朝、あの場所にいたのは偶然だとは思わなくなっていた。明らかに今朝の強制捜査を知っていてあそこにいたのだ。
しかし、同時に彼女は敵ではないとも思い始めていた。理屈ではない。衛視としての経験から来る本能みたいなものだ。
「あたしは」
ルーラが言いかけたとき
「そこまでだ。2人とも動くな」
スノーレは背中に剣先が当たるのを感じた。脇から手が伸びてむ、彼女の魔玉の杖をひったくる。
「こいつが無ければ魔導は使えない」
男が1人、彼女の腕をねじ上げた。続けて別の男が2人部屋に入ってくる。彼らの着ている服を見て
「その制服……ショーセッカ商会」
「何を今更、今朝の襲撃と良い、ここを見張所にしていたことといい。前からうちに目をつけていたんだろう」
言われて彼女はここがショーセッカ商会が経営する美術館の裏だと気がついた。
ショーセッカ商会。ウブの街にある美術品を扱う業者のひとつであり、今朝行った美術品の密輸にも関与している疑いから、衛士隊が内偵を勧めていた。
スノーレが部屋の窓を見た。小さく開いており、人が通れない大きさではない。
「逃げて!」
叫ぶと同時に叫ぶと同時に、自分の腕をつかんでいる男の足を蹴る。力が緩んだ瞬間、男を下にするように床に倒れる。
周囲の男達の動きが止まった隙に、部屋中に突風が吹き荒れた。ルーラの呼びかけに風の精霊が身を激しく震わせたのだ。男達が飛ばされまいと足を踏ん張った。
男達がひるんだ隙に、ルーラは風で飛ばされるように窓に激突、そのまま外に飛び出す。
「しまった!」
男の一人が外に飛び出すが、ルーラは既に大空に飛び去った後だった。
自分も逃げようと窓に駆け寄るスノーレだったが、それを見逃すほど男達は甘くない。別の男に首筋を打たれてその場に倒れる。
「会長に報告を」
「この女はどうします?」
聞きながら男が足下で気を失っているスノーレを、軽く蹴る。仰向けになった彼女は動かない。
「殺しますか?」
「いや、連れて行こう。魔玉の杖がなければ魔導師なんざ怖くない」
床に転がっている彼女の杖を部屋の隅まで蹴り飛ばす。
「情報も聞きたいし、いざというときは人質にも出来る」
「楽しめそうですしね」
ニヤニヤしながら言う男の視線は、気を失っているスノーレの胸元、わずかに見える胸の谷間に向けられていた。
ウブ衛士隊東地区本部。
夜であっても各部屋や通路にはランタンがいくつも置かれ、部屋によってはより明るい魔導灯が屋内を照らしている。
その中、衛士隊東地区隊長トップスは第3隊隊長メルダーから報告を受けていた。
「捕らえた連中はまだ吐かないか」
「はい。しかし、やはり事前に目星を付けていた3つの商会が取引相手とみて間違いないでしょう」
「見張りからの報告はないか?」
「まだ何も。思い切ってこちらから踏み込みますか?」
「待て。いくら踏み込んでも証拠がなければなんにもならん。取引があったとしても、まさか盗品だとは思いませんでしたと言われればそれまでだ。すでに今朝、盗品の運び込みの現場を押さえられたことは連中の耳にも入っているはずだ」
さすがにトップスの声にも不満が混ざる。やはり今朝の捜査は行わず、もう少し泳がせるべきだった。
血管を浮き上がらせて捜査を要求する議員の顔を思い出す。過去に自身が被害に遭ったという議員は、とにかく強制捜査にこだわった。今回はトップスか折れた形だ。
「捜査にうろたえて、動いてくれれば良いのですが」
答える間も、メルダーは直立不動で微動だにしない。指揮能力も剣の腕も一流と定評のある彼に対し、皆が口を揃える欠点が「面白みのないところ」だ。
そこへ階下から騒ぎ声が聞こえてきた。
「何かあったのか?」
ざわめきが大きく、近づいてくる。「止まれ」「そっちは立ち入り禁止だ」などの声も混じっている。
扉が勢いよく開かれ、目を見開き、肩で息をしながら入ってきたのはルーラだった。
「大変です。助けてください」
わめく彼女の肩を後ろからイントルスがつかんで
「部外者は立ち入り禁止だ」
と部屋から引きずり出そうとする。
「待て。その子は良いんだ。何があった?」
慌てる様子もなく彼女から話を聞こうとする隊長の姿に、イントルスが怪訝そうな顔をした。
「急げ。衛士隊が来る前にウブを出る」
ショーセッカ商会会長ショーセッカ・ニ・ナロウの命令の下、10人近い職員達が館内の美術品を梱包している。さすがに全部は無理なので、持ち運びのきく大きさで売れそうなものが中心だ。
彼も必要な書類や現金をまとめて鞄に詰め込んでいる。
(収集家には、欲しいものを手に入れるためなら出所を気にしない奴が多い。物と、顧客に言い逃れできるよう配慮することを忘れなければ再起は可能だ)
今朝、河川敷で衛士隊の手入れがあり、美術品の盗品が多く没収されたこと、捕まった連中の中には自分たちのことを知っているものもいることなどは耳に入っていた。
だが、今回没収された盗品の中に自分たちが扱う予定の品はなかったため、自分たちの所に手が入るまでには少し余裕があると考えたのが不味かった。まさか、既に自分たちの動きを探る見張りが置かれていたとは。
「さて。いい加減説明してもらおうか。衛士隊はどれだけの情報をつかんでいる?」
立ったまま、ナロウは部屋の隅で縛り上げているスノーレを見下ろした。服は着たままだが、後ろ手に縛られ、魔玉の杖を取り上げられている。髪は乱れ、埃が付いている。
スノーレは館内の様子を軽く見回し
「あなたたちのことは全て調べ上げていますよ。ナロウさん。もうすぐここに衛士300人、国からの応援500人が踏み込んできます。荷造りなんかしないでさっさと逃げ出すことをオススメします」
言われてナロウは大笑いし
「ふざけるな!」
彼女の頬をひっぱたく。はずみで彼女の眼鏡が床に外れて床を転がる。
館内通路では、職員達が梱包済みの美術品を次々と地下に運び込んでいた。
「船に入りきれるのか? ただでさえ地下水道は狭いのに」
「文句は会長に言ってくれ」
職員の1人が地下への階段から上がると、展示室とは反対の方へ行く。何のことはない、用足しである。
通路の奥にある便所で用を足し、通路に出ようと扉を開けるとそこに見知らぬ人物が立っていた。
声をあげる間もなく職員はその人物に便所に押し戻される。
扉が閉まり、何度も響く鈍い音。
それが収まると、職員の制服を着た人が何事もなかったかのように出てきた。屋内なのに帽子を目深にかぶり、先ほど用を足した職員よりも少し小柄に見えた。制服のサイズも少し大きいのか何度もズボンの腰の位置を直している
夜の街を数台の馬車が走る。車体には衛士隊の紋章。馬車に乗り込んでいる者達は、全員衛士の制服を着ている。イントルスやスラッシュの姿もある。
馬車を先導するように馬に乗ったトップスが走る。
夜空には衛士の制服姿の魔導師が数人、飛行魔導で空を飛んでいる。
「会長。衛士隊のものらしき馬車が数台、こちらに向かっています」
職員の1人が慌てて展示室に駆け込んできた。ナロウは眉をひそめ
「人数は? 300人か」
「いえ、数台らしいので、多くても20人かそこらだと」
そのやりとりに、スノーレが笑いを堪えて顔を背けた。一瞬とは言え、まさか先ほどの説明を真に受けた反応をするとは思わなかったのだ。
衛士隊の馬車がショーセッカ商会の美術館の正門前に止まり、衛士達が次々と下りてくる。
「抵抗するようなら容赦するな。美術品を傷つけないよう気をつけろ」
上空に合図すると、魔導師達が扉の内側に下りて門を開けようとする。
建物から職員達が出てきて弓を構える。
魔導師の何人かが背負っていた鉄板で補強された木製の盾を取り、門を開けようとする者達を守るように構える。途端、盾に数本の矢が突き刺さる。
門のかんぬきが外され、開かれると、トップスを先頭に衛士隊がなだれ込んだ。
「衛士隊だ。捜査のため美術館内部を調べる。抵抗は止め、我らを受け入れろ」
メイスを構えたイントルスを先頭に衛士隊が突入すると、職員が慌てて中に逃げ込み扉を閉める。
「力神ゴーディスよ。我に行く手を阻むものを打ち払う力を!」
イントルスのメイスの一撃で扉に亀裂が入った。2度、3度とメイスが叩きつけられ、その度に扉に亀裂が入り、歪んでいく。
ついに扉が破壊され、衛士隊がなだれ込む。
職員達が剣を抜き迎え撃った。
入り口の騒ぎはナロウたちの耳にも聞こえてきた。
「会長、どうします?」
「どうしたもこうしたもあるか。荷物の積み込みはもういい」
会長と一緒に逃げるか、その時間を稼ぐために衛士を迎え撃つか。職員達が迷いを見せる中、細長い包みを2本持った1人の職員がスノーレに歩み寄る。先ほどの帽子を目深にかぶった小柄な人物だ。落とされたスノーレの眼鏡を拾い、彼女にかけてやる。
「大丈夫?」
周りに聞こえないほどの小さな声で彼女に話しかけた。聞き覚えのある声。
職員が帽子をちょいとあげると、そこにはクインの顔があった。彼女が手にする包みの1本の頭がほどきかける。中にあるのはスノーレ愛用の魔玉の杖。
まるで人質を連れて行くように、クインはスノーレを部屋から連れ出そうとする。そこへ
「待て」
ナロウが声をかけた。
「その女は人質に使う。どこへ連れて行く」
彼に背を向けたまま、クインは小さく舌打ちをした。
「ですから、この女を連れて行こうと」
クインが無理矢理作った声で返事をする。
「お前は誰だ?」
その声に、周囲の職員達がクイン立ちに身構える。
「私はこれでもここの会長だ。職員は全員覚えている。お前、職員ではないな。誰だ?」
「衛士です!」
廊下から下着姿の男が駆け込んで叫ぶ。さきほどクインが便所で度付き倒し、服を奪った男だ。
「そいつ、俺になりすまそうとしやがった!」
叫ばれるのと同時にクインがもう1本の包みをほどいた。中から出てきた彼女愛用のサーベルが一閃! スノーレの手を縛っていたロープを切断する。
獲物を手に身構える2人。だが、彼女たちの前には獲物を手にした職員が10人以上。
「剣と杖を捨てろ。言っておくが、魔導を発動させようとしたらその時点で殺すぞ」
「そんな悠長なこと言って良いの? 衛士隊が突入してるんでしょう」
職員達が思わず正面に通じる出入り口の方を見た。
その隙にクインが突進、手前の職員たちにサーベルを振るう。
太ももを切られた職員が次々と倒れた。
スノーレが下がりながら魔導を発動させる。今朝の捜査の時使った魔導の矢だ。ただし今回は燃えさかるオレンジの矢だ。
「一砕・爆炎!」
杖を上に向けて魔力の矢を放つ。
狙い違わず展示室を照らすシャンデリアを吊す鎖に命中! 吊される力を失ったシャンデリアが落下。
戦っていたクインが飛び下がると、落ちてきたシャンデリアが職員達を押しつぶす。
一瞬にして半数近くを失ってナロウが青ざめた。
そこへ扉を破ってイントルスを先頭に衛士隊がなだれ込んでくる。たまらずナロウは逃げ出した。
クインとスノーレがそれを追う。
「ここは囲まれている。逃げても無駄よ」
「地下よ。水路から船で逃げるつもり」
その通り、ナロウは職員が衛士隊の足止めをしている中、廊下を駆け抜け、地下への階段を駆け下りていく。
それを追うクインとスノーレ。
美術館の地下には、地下水路と繋がっていた。
そこには梱包済みの美術品を半分ほど積み込んでいる外輪船が3隻待っている。そんなに広くない地下水路だけに、外輪船3隻でほぼいっぱいになっている。
「すぐに船を出せ!」
ナロウが階段を駆け下りながら叫ぶ。
「でも、まだ荷物が」
「衛士隊の手入れだ!」
船の職員達が慌てて船を止めていた舫い綱を解く、外輪が回り出し、船が動き出す。
最後の船が出発するのとほぼ同時に、クインとスノーレが階段を駆け下りてきた。
「必中・魔氷!」
スノーレが遠ざかる船の川面めがけて魔力で作った氷結の矢を放つ。朝の時同様、船が位置する川面に矢が当たり凍り付く。が、汚れている分凍り付き方が足りなかったのか、あるいは魔力の練りが足りなかったのか、船は一瞬足を止めただけで、すぐに凍り付いた川面を引き剥がすようにして進み始めた。
続けて矢を放とうとするスノーレだが、矢が完成するより早く、船は水路を曲がって見えなくなった。
追いかけようにも、もう船はない。外輪船のため水をかく音が聞こえるが、水路に響いているので位置がつかみづらい。
「クイン、連中の行き先わかる?」
「川に出るんでしょ」
「川への出口って何カ所あると思っているの?」
「知らない!」
「だったら方法は1つね」
2人は顔を見合わせ、頷き合う。
× × ×
地下水路を3隻の船が進む。水路に灯りはないが、船がいくつも灯りを付けているうえ、乗っている職員達は水路をよく知っている。速度こそゆっくりだが、ためらうことなく進んでいく。
「会長。このままセンメイ川に出て良いんですか? 衛士達が待ち構えているんじゃ」
外輪の音に負けないよう、舵を取っていた職員が大声で叫ぶ。
「仲間が捕まったことで、急いで踏み込んできたならば、あまり準備は整っていないはずだ。待ち構えていたとしても数名、先に出した奴らが始末している。
川に出れば他の船にも紛れるし、河川全域を細々調べることもできないだろう。その間にウブを出る」
「了解」
ナロウが顔をしかめたのは、地下水路の悪臭のせいだけではない。
「しばらくウブでの仕事は無理だな……」
これまでの苦労を考えると、それらを全て手放さなければならないのは悔しかった。地下水路は暗くて見通しが悪いのも、気持ちを沈めさせた。
(今はここを離れることが先決だ。今後のことを考えるのはそれから後で良い)
気を取り直そうとしたところ
「後ろから何か来ます!」
最後尾の船から叫びが聞こえた。
振り返ると、何かぼうっとした光の球が地下水路を左右に揺れながらこちらに近づいてくる。
微かな光に、横座りになったスノーレが浮かび上がる。
「あいつら、追ってきたのか!」
光の球の正体は発動に伴い光っているスノーレの杖の魔玉だった。魔玉の杖に横座りになって壁にぶつからないよう注意して飛び、船を追跡している。しかも、杖には彼女が座っているだけではなく、しがみつくようにクインがぶら下がっていた。
船の光を頼りに、地下水路をずっと追跡してきたのだ。
「見つかったみたい、スノーレ、突っ込んで!」
「簡単に言わないでよ。人をぶら下げての飛行魔導なんて初めてなんだから。それに」
時折スノーレの視界がぼやける。狭い地下水路で人をぶら下げての飛行魔導は彼女の予想以上に魔力を消費した。口には出さなかったが、このまま飛行を続けてはあと2分ともたず魔力切れを起こす。
「来た!」
最後尾の船の甲板に、弓を持った職員が現れ、2人に矢を向ける。
「避けて突っ込め、女子力見せろ!」
「女子力関係ない」
空気を裂く音と共に矢が飛んできた。右に左に揺れながらそれをスノーレは躱していく。
暗いため狙いが定まらない上、魔力が切れかかって飛行が不安定になっているのが幸いした。しかし、いつまでもこのままではいられない。
「しっかりしなさい。耐えきったらル・イーツのオレンジタルトおごるわよ」
「こんのーっ!」
矢を躱した直後、スノーレは魔力を振り絞って船に突進する。射手が次の矢をつがえるまでに船の甲板に転がるように着地する。
転がりながら剣を抜いたクインが射手に挑んで剣を振るう。とっさに身を躱され射手の体にこそ触れなかったが、弓の弦を切断した。ひるむ射手を返すサーベルで切りつける。傷は浅かったが痛みでバランスを崩した射手はそのまま地下水路に落ちる。
「衛士隊だ。いちいち倒すの面倒くさいから抵抗しないで!」
叫びながらクインは甲板を駆け、船を飛び移って戦闘の船まで走る。
戦闘の船に移ったクイン達をナロウがサーベル片手に迎え撃つ。
「手下に足止めさせて自分はさっさと逃げる。いい男のすることじゃないわ」
「お前程度の女にどう思われようが、痛くもかゆくもない」
クインの眉間に血管が浮かぶのもかまわず
「女に負けるほどヤワな腕ではないぞ」
「剣に性別はないわ」
サーベルを手に2人が睨み合う。彼女と背中合わせにスノーレが、後ろの船の職員達を魔導発動の準備をして牽制する。
(お願いだから、抵抗しないでよ)
気合いで何とかしているが、彼女の魔力はほとんど残っていなかった。それを悟られないよう、できるだけなんともない振りをする。
甲板上でクインとナロウのサーベルがぶつかり合う。
言うだけあって、彼の切っ先の動きは素早く的確だ。そこいらのチンピラでは数人がかりでも勝てないだろう。だが、クインの腕も並ではない。サーベルを持たせれば彼女はウブの衛士隊でもトップクラスの実力者なのだ。
数回切り結ぶと、彼女は彼の太刀筋を見切っていた。彼のサーベルの持つ右の二の腕を軽く切る。鮮血がほとばしり、痛みで手の力が緩んだ途端、彼のサーベルは弾き飛ばされ、水路に落ちた。
続いて彼女のサーベルが彼の足を傷つける。その場で跪く彼の背後に回ると、クインは彼の首筋にサーベルを当てる。
「はい、抵抗止め。このまま船を外に出しなさい。私たちの指示に従い、河川岸に付けるのよ」
会長を人質に取られ、職員達の動きが止まる。
スノーレがクインににじり寄り
「大丈夫? 外に出た途端、何人か川に飛び込んで逃げそうだけど」
「それは仕方ないわ。ここはこいつの確保だけで良しとしましょう。外に出たら合図をお願い」
言われて静かに頷くスノーレ。それぐらいの魔力なら残っている。
空気が変わった。少しずつ不快でなくなっていく。外の空気が混ざり始めたのだ。
ナロウを押さえながらクイン達は職員の動きに注意する。外に出た途端、逃げる奴が必ず出る。合図して衛士隊が駆けつけるまで、どれだけ押さえられるか。
外はまだ夜だ。しかし、月と街の灯りのおかげで地下水路よりずっと明るい。
水路と川を分ける鉄格子が開き、外輪船が川に出る。
途端、出口脇に控えていた2隻の船が挟むように寄ってくる。その甲板には、ショーセッカ商会の職員の制服を着た男達が合わせて十数人、武器を構えて立っていた。
ちょうど彼らに挟まれる形でクイン達の乗った船が止まる。彼女たちの船は、出口で待ち構えていた敵のど真ん中に出てしまったのだ。
武器を構えた船員達が飛び移ってきて、彼女たちを取り囲む。
「あれ~っ」
クインがまぬけな声を上げる。
「残念だったな。出口の様子を見に、仲間を先行させていた可能性は考えなかったのか。衛士の嬢ちゃん」
ナロウが勝ち誇った顔をクインに向ける。
「会長を放して、剣と杖を捨ててもらおうか」
剣を手にした職員の1人がにじり寄る。
形勢逆転。彼女たち2人に対し相手は20人以上。一応会長を人質にしている形なので、彼らも取り囲むに留まっているが、彼女たちが圧倒的不利なのは間違いない。
「どうする? 捕まってこいつらにエッチなことされまくるか。戦って死ぬか」
さすがにクインの表情も余裕がなくなっている。
「どっちも嫌ね」」
杖を構えたまま顔を動かさず、目だけで周囲を見回したスノーレは、離れた橋の欄干に人が1人立っているのを見つける。その人物の顔を、彼女は知っていた。
疲れた顔で笑みを浮かべ
「それよりも、予期せぬ援軍の登場で私たちの逆転勝利ってのはどう?」
「それ良いわね」
クインも彼女の視線をたぐる形で欄干上の人物を見つけていた。
2人の余裕に怪訝な顔を浮かべたナロウは2人の視線を追って、やはり欄干上の人物を見つける。
「誰だあいつは?」
戦場の人達が一斉に欄干の方を見る。
雲が流れて現れた月がその人物を照らし出す。
短い黒髪、日に焼けた肌。気の強そうな目はしっかりと彼女たちの船を見据えている。その手には穂先を下に石槍が握られている。
そして何より、その人物が着ているのは衛士隊の制服だった。
「スノーレ、知ってる人?」
「私の勘が正しければ、今度来るって言う新人さん。名前は確か……」
疲れ切った体を振り絞って叫ぶ。
「ルーラ! やっちゃいなさい!!」
それを受けて、欄干上のルーラが微笑むと石槍を構えたまま川に向かってジャンプする!
「お願い!」
槍の部分となっている精霊石を通じてルーラの願いが精霊たちに届く。川に落ちた瞬間、彼女を避けるように水が空いた。
川の流れが彼女を避け、川底をむき出しにしていく。それは船に向かって突撃し、ついに船の周囲の水が避けるように引いた。
職員達の悲鳴が上がる。水がなくなって船はバランスを崩し、次々と横倒しになっていく。甲板上の職員達がバランスを崩して慌てて船縁に捕まったり、むき出しの川底に転落していく。
クインとスノーレも、バランスを崩して甲板を滑り落ちる。
「風よ!」
ルーラの叫びに応えて風が吹く!
風の精霊が竜巻となって船を囲み込む。風の力はその気になれば石造りの家や巨大船をも舞い上げる。数隻の船は乗っていた人達もろとも竜巻に飲まれ、回転しながら舞い上がった。
職員達だけでなく、ナロウやスノーレ、クインも一緒に舞い上げられる。
きりもみながら、スノーレが杖の魔玉に意識を集中させる。それを受けて魔玉が光りだし、飛行魔導が発動する。とはいえ、さすがに杖に座る余裕は無い。鉄棒のように、宙に浮く杖にぶら下がる。
悲鳴とともに彼女の周りをナロウや職員達が落ちていく。クインも。
「ちょっと!」
落ちる彼女を前にスノーレが驚くがどうしようもない。
「美人薄命、みなさんさようならーっ!」
悲鳴を上げながらクインが地面に落ちていく。そのまま地面に激突するかと思いきや、真下にいた男にしっかと受け止められた。
「あ、あれ?」
彼女が目を開けると、相変わらず無愛想なイントルスの顔がある。
「大丈夫か?」
ちょうど彼女をお姫様抱っこする形で彼が聞いた。やっと助かったことを自覚したクインが彼の前に軽く親指を立て
「イントルス……あんたのいい男レベルが1つ上がった!」
船が次々河川敷に落下、地面に激突し砕け散った破片を辺りにまき散らす。外輪が外れ川底に落ちる。別の外輪が建物に激突する。
川の流れが元に戻り、砕けた船や倒れた職員達を押し流す。
落下の衝撃とクインにやられた傷の痛みでのたうち回るナロウの前にトップスが立ち
「その様子では抵抗することも出来まい。全員捕まえろ!」
周囲で雄叫びが上がった。いつの間にか河川敷には彼やイントルスの他にも、メルダーやスラッシュをはじめとする衛士隊の面々が集まっていた。
「隊長、どうしてここに?」
下りてきたスノーレが聞いた。
「地下水路がどこの出口に通じているかぐらいは調査済みだ。ましてや船で逃げたならば、行き先は自ずと限られる」
彼が目を向けた先には、衛士隊を乗せてきたと思われる馬車が数台止まっていた。
「私たちも陸から回れば良かったね」
クインに言われて、スノーレの全身から一気に力が抜けた。
「無理するな。後は我々に任せて休んで良いぞ」
「そう、します……」
トップスの言葉を受けて手近な建物の壁にもたれるように座ると、そのままスノーレは横に倒れて軽い寝息をつき始める。
そこへルーラが走ってくる。魔玉の杖を握ったまま倒れているスノーレを見て
「大丈夫ですか?」
「心配はいらん。単なる魔力切れだからそのうち目を覚ます」
ほっとするルーラの前で、トップスが上着を静かに寝息を立てるスノーレにかけてやる。魔導の基になる魔力は魔導師連盟曰く「力ある精神」なので使いすぎても死ぬことはないが、彼女のように眠りにつくか、気絶してしまう。
クインが歩み寄ってきて、
「あんたが今度来るって言う新人さん。ルーラだっけ?」
「はい。よろしくお願いします」
彼女と握手するルーラの背をトップスが軽く叩き
「ルーラ、前にも言ったが、お前が力を借りられる精霊たちの力は強い。それだけに、1つ間違えれば却って被害を大きくする。肝に銘じておけ」
「え?」
トップスが指さす方には、壊れた船の残骸。怪我をしてうめく職員、船員達を衛士達が連れて行く。みんな抵抗する気力も無いのか、素直に衛士たちに連れて行かれている。
「隊長、死者や重傷者はいないみたいだし、今回は大目に見ても」
かばうクインの言葉には答えず、彼はゆっくり指を動かす。
その先には落下の衝撃で外輪が取れ、ひっくり返った船。外輪の取れた後の穴から、荷物がこぼれ出ていた。
解けた梱包が風ではためく中、見えるのは泥で汚れ、割れた絵画。壊れた美術品の数々。
その上に倒れている荷物の梱包が風でめくれると、中から出てきたのは女神像。「¥2,000,000」と書かれた紙が貼られた女神の首がポキッと折れて地面に落ちた。
「ふんぎゃーーーーーーーーっっ!」
ルーラとクインの悲痛な叫びが響き渡る。
その響きの中、スノーレは穏やかに眠っていた。
彼女たちの叫びを、その男は川向こうの建物の陰で聞いていた。
見た感じ30代後半。デザインは少々古いがきちんと手入れされたスーツを着、手には薄手のマント。少々色あせた銀髪。学者ではないかと思わせる理知的な顔立ちには不釣り合いな左目の刀傷。腰のベルトには、丸めた鞭が留められていた。
男は静かにルーラを見つめ、困ったような、嬉しいような薄笑いを浮かべている。
× × ×
「なんでこんな結果になったのかをもっと具体的に書いた方がいいわ。あえて自分のせいだって明確にしておくのも手よ。始末書なんてのは『ドジってごめんなさい。反省してます』って相手に伝える文書なんだから」
書類相手に悪戦苦闘のルーラを、脇で衛士の制服に着替えたクインが(自己流の)アドバイスをしている。
ウブ東衛士隊本部の事務室。隅の机を借りてルーラは始末書を書いていた。彼女たちの他にも、今回の報告書などをまとめるため、多くの兵士がここで書類と向き合っている。
始末書を書いてはいるが、ルーラは正式な入隊は明後日で、今はまだ衛士ではない……はずだった。
しかし、それではあの騒ぎで壊れた美術品を彼女が弁償しなければならない。金額からして、彼女は数年タダ働きになる。さすがにそれはというので、急遽、今日から衛士と言うことにした。これならば損傷は公務中の事故となり、弁償は衛士隊の費用から出される。
その代わりとして、こうして始末書を書いている。
「入隊初日に始末書を書く衛士なんて、2人も出てくるとは思ってもみませんでした」
セルヴェイが紫茶を入れたカップを持ってくる。
「あたしの前にもそんな人いたんですか?」
軽い驚きの表情で始末書から顔をあげるルーラの横で、クインが白々しく顔を背けた。その様子に彼は声を上げずに笑みを浮かべる。
「ええ。でも、その人は今は立派な衛士です。きっと頼りになりますよ」
「ただいま戻りました」
スノーレがイントルスと一緒に箱を抱えて入っている。トップス隊長も一緒だ。
空いているテーブルに箱を置く。中身は
「おおっ、ル・イーツのオレンジタルト」
この場の衛士全員分。いくつもの箱に入った鮮やかな橙色の菓子に、クインが感嘆の声を上げた。しかし
「はい。ごちそうさま」
スノーレから目の前に出されたレシートに彼女は目をぱちくりさせる。
「何これ?」
「驕ってくれるんでしょ」
「……そんなこと言ったっけ?」
「言いました。地下水路の追跡中に」
あれはスノーレの分だけと言うより先に
「ごちそうさま」
「さすがクイン」
「クインのいい女レベルが上がった!」
衛士達から立て続けにあがるお礼の声に、さすがの彼女もたじろぐ。が、腹をくくったのか
「よし、わかった。払いは私に任せろ!」
スノーレの手からレシートをふんだくって高々と掲げる。歓声が上がった。
タルトを切り分けていく彼女たちを見ながらトップスはセルヴェイに近づき、小声で
「あれは経費で落とす」
「了解しました。経理とクインに伝えておきます」
と会話する。
この場の衛視全員に紫茶とタルトが行き渡り、トップスがルーラを壇上に招く。
「あのような後で今更とは思うが、紹介しておく。
ルーラ・レミィ・エルティース。
今日から衛士隊に入隊する。所属はメルダーが担当する第3隊」
「私たちと同じか」
スノーレがクインと顔を見合わせ、微笑んだ。
「随分若く見えるが、年齢はいくつだ?」
真顔で聞くイントルスに
「14才です」
「14!?」
一同が声を上げた。衛士には様々な権限が与えられる。それだけに採用基準は厳しめで、採用されるのは若くても16才前後である。14才での入隊は特例と言って良い。
「まぁ、いろいろあってな」
「いいじゃない。年齢で仕事するわけじゃないんだし」
「実際、さっきは助けてもらったし」
スノーレとクインが紫茶のカップを手にルーラの前に立つ。ちなみに、クインは現在18才、スノーレは21才である。
「それでは、新しい衛士の仲間に歓迎の乾杯を」
トップスの合図に、3人の女性衛士がカップをならし合う。
『衛士隊へようこそ!』
2人の言葉に、ルーラは微笑みを返した。
自分は本作を「1話完結、30分アニメのノベライズ版」をイメージして書いています。つまり今回はアニメの第1話を想定しています。
そのせいか、ルーラの精霊を使った戦い方も、スノーレの魔導も、派手で絵にしやすい表現にしています。スノーレが飛ぶときには杖に横座りというのも、またがって飛ぶよりも優雅っぽく見えるからです。アニメでも、箒に横座りで飛ぶ魔女って結構いますし。
タイトルの「かしまし」って、若い人は知らない言い回しなのかもしれませんが、私の世代だとどうしても女3人はかしましなのです。
本作は私が別に書いているシリーズ「ベルダネウスの裏帳簿」の前日談になります。ヒロイン・ルーラの衛士時代の話です。本編をまだ読んでいない。これからも読むつもりはないという人でもわかるように気をつけますが、難しいのが本編でのもう一人の主人公の扱い。出来るだけ出番は押さえるつもりですが、全然出ないとルーラの妄想キャラ扱いになってしまうので、顔出し程度には出てくるでしょう。1話でも最後にセリフなしで姿を見せています。
第1話のテーマは「ルーラ、クイン、スノーレの紹介と3人の出会い」です。そのため、それ以外のキャラは割を食っています。敵方の掘り下げがほとんど無いのはそのためです。
書くに当たって1番悩んだのは、「ルーラ視点」「クイン、スノーレ視点」のどちらで書くかでした。最初は本編に合わせてルーラ視点で書いていたのですが、書くうちに「これ、クインたち視点の方が面白くなる」と思って変更しました。この1話においては、ストーリーを動かしているのはルーラではなく、2人の方なんですね。
ちなみに、今回、敵役となったショーセッカ商会会長ニ・ナロウ。続けて読めば一目瞭然。「小説家・に・なろう」のもじりです。
漫画などでは、悪役と同じ名前の人などに迷惑がかかることは度々あるため、わかりやすい悪役は送り手側の名前をつけています。少年ジャンプの漫画に出てくる1話限りの暴力団に「集英組」が多いのはそのせいですね。勝手にそれに習いました。
さすがにこれで掲載中止にはならないと思う。そこまで小説家になろうの運営は心が狭くない。たぶん。