少年たちはキイチゴを求めて山に入る
少年が家を出るのを止めることは、彼の父親がやっと買ってきたばかりのドラゴンクエストⅢですらできなかった。
この日は梅雨入り目前にしては、かなり気温が高かった。四方を山に囲まれた八村山市の昼下がり。彼は集合場所である友人宅所有の炭焼き窯を目指して、汗で額に髪を貼り付かせながら一生懸命自転車を漕いでいた。
慣れた手付きで巧みにギヤーを入れ替え、ぐんぐんと坂を上って、アスファルトの道路から砂利の敷かれた私道へ入り、そうしてやっと炭焼き窯に着いた。そこにはすでに二人の少年が、ベンチに座って彼のことを待っていた。大樹と雅俊だ。
大樹は散々待たされた不満を、冗談交じりに文句を言うことでぶつけた。
「おせーよ洋祐」
「ごめん。うち、お昼、遅くて」
洋祐と呼ばれた彼は、乱れた呼吸を整えながら謝った。
そして、彼らは炭焼き窯のすぐ裏手に広がる山へ、藪の隙間の獣道から入っていった。
この山では雅俊の祖父が農閑期に、切り出した木で炭や陶器を焼いたり、彫り物をしたりと自由に過ごしている。今は農繁期ということもあって、本来の利用者である老人はいない。
孫とその友達である少年たちは二ヶ月ほど前に六年生に上がり、遊び場として使うことを老人から許されていた。彼らは最近この山の中に秘密基地を作って遊ぶのに熱中している。
緩い登り道を歩いて、ブルーシートを木々に結びつけることで作られた彼らの秘密基地に到着した。ここは山とは言っても人の手が頻繁に入る、明るい山である。そのため、陽樹たちの隙間からは炭焼き窯がまだ辛うじて見えた。
少年たちは秘密基地にそれぞれが背負っていたリュックサックを置いて、先ほどよりいくらか身軽な格好になった。
「行こうか」
洋祐の声に応じて少年たちは歩き出した。暇つぶしに洋祐が吹く口笛のピュー、ピューと響く音が、時折草木をかき分ける音と一緒に木々の隙間に吸い込まれていく。
そうして賑やかに歩いて、小さな赤い実をいっぱいに実らせた一本の木に辿り着いた。甘ったるい芳香が少年たちの鼻をくすぐって、頬を緩ませた。
彼らはこの木のことをキイチゴと呼んでいた。
少年たちは特に樹木の同定に秀でているわけではない。実際に、この木のあらゆる特徴は少なくともキイチゴ類のそれとは一致しない。誰かがなんとなくそう呼んだのが定着した。
彼らは十メートルにやや届かないくらいの高さの成木に器用に登っていった。がっしりとした幹と、横に張り出した太い枝は三人の少年を危なげなく支えている。洋祐は手を伸ばして、熟しきってやや黒みを帯びた赤く瑞々しいキイチゴの実を摘んだ。
口の中で実を潰すと、すぐに柔らかなキイチゴの実がたっぷり蓄えた、野生の果実にしては強い甘みと独特の風味を持つ果汁が口の中にはじけた。実の中にはゼリー状の組織に包まれた小さな種がたくさん入っている。それのプチプチとした感触もまた少年たちを楽しませた。
「甘ぇー!」
「最高!」
少年たちは手当たり次第キイチゴの実を口に運び続けた。
この木は偶然に見つけたものだった。
元々は周辺にまばらに十何本か生えていたクワの実をおやつとするためにこの辺に来ていた。クワの実は一度には熟さない。また、彼らが見つけた木は全て頼りない樹形だったから、木に登って摘むことはできなかった。そんなわけで、少年たちでも手が届く範囲に実った食べごろのクワの実を摘まみつくしては、近くのクワに移動するのを繰り返していたら、この木に出くわした。
瑞々しくて赤い木の実は食べられると、少年たちは根拠もなく確信していた。見知らぬ実を最初に口にできたのは好奇心からだった。
その時には、未熟な実ばかりが実っていたキイチゴの木から、最も熟していそうなものを試食した。まだ酸味が目立つ中でも感じられた強い甘さと風味を気に入った。誰が言い出したか「熟してから一気に食べよう。楽しみは取っておこう」の一言で、三人はその日から今日まで実を食べるのを我慢し、楽しみにしてきた。
そんなキイチゴの実を存分に食べ、少しベタつく果汁で十分に指先を赤く染めて、ようやく各々は満足した。
「誰が一番高いとこから飛び降りれるか決めようぜ!」
ここのところ、大樹にはすぐに度胸試しをしたがるクセがあった。彼には中学生の兄がいて、喧嘩ではいつも泣かされていたから、その反動だ。
これに「やろう」と真っ先に返したのは雅俊だった。彼は度胸試しに尻込みするような臆病さを持っていたから、これは珍しいことだった。洋祐も頷いて「いいね」とこれに乗った。
キイチゴの木は低いところに枝を張っていなかった。一番低い位置に張り出した枝でも、三人の中では文字通り頭一つ抜きん出た洋祐の身長ですら、まったく届かない。
少年たちは「自分は、どの高さからなら大丈夫か」と悩んだ。
「ここにする」
真っ先に高さを決めたのは雅俊だった。彼は下から数えて三本目の枝を選んだ。枝の上でしゃがんで、下草の生えた地面まで二メートル半をふわりと飛んだ。足から着いて、地面に手を着いて、勢い余ってニ、三回ゴロゴロと転がる。
「こえぇ!」
完熟を超えて、地面に落ちていたキイチゴの実の果汁とその種で、体中を汚した雅俊はケラケラと笑った。
まだ木の上にいる少年たちが口々に「おぉ~~」と普段よりも勇気を出した雅俊を褒める。
洋祐も純平と同じ枝から飛んだ。同じく勢い余って地面を転がった体をやはり淡く赤くキイチゴが染める。体の芯から響くような衝撃に耐えた少年はやっぱりケラケラと笑った。
木の上に残る大樹が二人の注目を集める。彼がさんざん迷った挙句「ここにする」といって選んだのは、それまでの二人から距離を離した地面からおよそ五メートルもの場所だった。
大樹は、飛んだ。
他の二人が枝の上でしゃがんでから、枝の隙間を縫うようにそっと地面へ向かったのに対し、大樹は勢いよくジャンプした。枝葉に体をひっかけてバキバキと激しく音を立てながら落下した彼は、不格好に右腕から地面に衝突した。
地面でくしゃくしゃになった大樹は小刻みに震えていた。
「大樹、大丈夫……?」
大樹に駆け寄った雅俊が心配そうに声をかけた。背中を撫でてやろうとした手が触れた瞬間、大樹はうずくまったまま大きな声でゲラゲラと笑い始めた。
「あー! やっべー! 死ぬかと思ったわ」
笑いを返す二人からの「心配させんなよ」の言葉を浴びつつ、大樹は立ち上がった。
大樹の右腕は大きくねじ曲がって、飛び出していた。橈骨と尺骨が。
彼も染まっていた、他の少年たちと同じように赤く。ただ、大樹の赤は、キイチゴの果汁ではなく、派手に折れた自身の右腕からダラダラと吹き出す鮮血のせいだった。裂けた肌からは肉が顔を覗かせている。
だというのに、大樹はさほど痛がっていない。それどころか、折れた腕をぷらぷらさせながら興奮したように笑った。
「全然痛くねぇ」
「本当?」
大樹は右腕から生えた骨を、左手でぐりぐりと弄る。傷口から湿った音がして、ますます血が溢れる。大樹も、それを注視する二人も、怪我の程度からは不釣り合いに緊張感を欠いていた。
「俺、無敵になったんだと思う」との大樹の言葉に、雅俊が「これは?」と言いながら大樹の折れた腕を掴んで無神経に捻っても、やはり興奮した顔つきで「大丈夫」と返した。
少年たちの目は真っ黒だった。
瞳孔がこれ以上はないとまでに開き切っているのだ。同時に、口からは唾液が溢れかけていた。誰もが、どちらも全く気にしていない。
キイチゴには、毒があった。
「基地まで帰ろう」
洋祐の言葉で、歩き出した。
陽樹ばかりの山とはいえ、木々が緑を深めつつある季節だ。当然、少年たちに届く光は木漏れ日程度でしかなかったが、目を真っ黒くした彼らは眩しそうに目を細めたり手で影をつくったりしていた。
「美味かったな。またやろうよ」
「うん。甘くて……甘いよなぁ」
「秘密基地に着いたら。基地で行ってさ。うん? ごめん。秘密きちが着くまでどうする」
様子のおかしい会話など誰も気にしていない。延々と秘密基地についてぶつぶつ呟き続ける雅俊は言葉が全く纏まらないのが不思議そうに何度も首を傾げていた。
基地まで着くとすぐに、大樹がいかに自分は勇敢で他の二人は臆病だったか、骨折してさえ痛がらない自分は真の男かを得意げに言い始めた。
これが、普段から何かにつけてどちらが上かと競っていた洋祐には面白くなかった。
「じゃあ度胸試ししようぜ」とイラだったように声を荒らげて言うのに、時間はかからなかった。
「俺と同じくらいのことやって貰わないと認められないな」
折れた右腕をこれ見よがしにぷらぷらさせて挑発する大樹の腕からは、まだ出血が続いている。
「武器もってきてよ」と頼まれた雅俊が祖父の作業小屋を漁り、大きな工具箱を抱えて息を切らして基地に戻った。
その工具箱の中には玄翁、鋸、釘抜き、太枝切り鋏などを始めとした工具の他、分厚い刃を持つ鉈や、彫り物に使っているのであろう小刀まで入っていた。
洋祐はその中から迷うことなく錐を選んでむんずと掴む。掌に錐の先端を押し当てて、ボソッと「痛くない」と呟いた。
「見てろよ」
振り上げた錐を掌に思いっきり突き刺した。
切っ先が貫通した手には、すぐにじゅくじゅくと血が滲む。「どうだ?」と聞くも、大樹が頭を振ったので、錐をめちゃくちゃに捻って傷口を広げた。
滲む程度だった出血は、だらだら流れるほどに増える。
「ダメだな」
大樹はハッキリと言った。そして工具箱から大振りの鋏を取り出して靴と靴下を脱ぎ、「男ならこれくらいできるんだよ」と、淡々と、足の親指に刃を立てた。
親指は太い。骨が邪魔をする。刃が骨の表面を滑ってガリガリと音を鳴らした。
「これじゃだめだ」といって鋏を放り投げて、鉈に持ち替えた。
あぐらをかく要領で右脚を、椅子がわりにしていた倒木に乗せる。振り上げた厚い刃をふくらはぎに叩きつけた。
皮膚が弾け、ピンクの肉が顔を出す。
肉の裂け目が深くなり、血があふれる。
三度目の叩きつけで、バキッと渇いた音を立てて脛骨が断たれる。
真っ黒い目でゲラゲラ笑いながら何回も、何回も。そうして、分厚い鉈で彼の右脚は潰し切られた。
「これが男だ」と勝ち誇る。足首を掴んで、圧断面を洋祐に見せつけてから、正しい脚の位置に戻した。
「無敵だから治るんだよ」
それだけで、少年たちの目には、足が元通りくっついたように見えるようだ。
悔しそうに口を尖らせた洋祐は、工具箱から取り出した小刀を抜く。
刃を自分の腹に押し込んだ。
「俺も男だ!!」と叫びながら小刀を押し引きしながら横に引く。切れ味の悪い小刀でキコキコと自らの腹を割いた。
手を自分の中に突っ込み、ずるずると腸を出し、小刀で切断した。それから何度も自分の中の柔らかな部分に刃を突き立て、自分の中で出鱈目に刃を動かした。
割れ目からはあっという間に血が溢れた。
大樹は、やっと「お前も男だ」としみじみと言った。
洋祐は満足そうにヘラヘラ笑いながら浅い呼吸を繰り返した。
それを羨ましそうに見ていた、臆病者のはずの雅俊が名乗りを上げた。
「俺も、俺だって男だよ俺」
「どうすんだ? 俺や洋祐と同じくらいのことができるのか?」
「首を。首をさぁ。えっとね、首をお。あれしてよ」
雅俊はまだ言葉が纏まらない様子だったが、大樹が察して鉈を持ち上げると嬉しそうにコクコク頷く。そして地面に仰向けに横になった。
洋祐の息がひゅー、ひゅーと細く響く中、大樹の手で鉈が振り上げられる。
ダァン。
一撃目を受けた雅俊の身体は大きく跳ねた。「男じゃないぞ」と細く口にした洋祐が体に乗って動きを抑える。
それから何度も鉈が喉に食い込み、肉は花弁のようになった。血泡がごぽごぽ弾ける。
何回目かの鉈で大きくビクッと震えて、その次で頚骨が叩き割られた。まもなく、雅俊の首は身体から離れた。
首を胴体の、首の生えていた場所に差して「お前、見直したよ」と大樹が雅俊を称えるが、返事はない。
「なんだよ。雅俊寝ちゃったのかよ」
「俺も眠いよ大樹」
真っ青な顔をした洋祐が言葉を絞り出した。
「じゃあ今日は基地に泊まろう」
「うん」と返した洋祐はその場に崩れ落ちた。
「お父さんたち、きっと明日喜ぶぞ。男になったってみんなで自慢しような」
大樹もその場で寝転がった。
秘密基地の中はもう、血の海になっていた。少年たちが一生懸命踏み固めた土へと、彼らの身体から流れ続ける血が染み込み続けている。
そこに溢れ落ちた臓腑の欠片や、肉片が転がる。
辺りに異臭が満ちていた。咽せっ返りそうに濃厚な血と微かな便の臭い。そこに、キイチゴの甘ったるい匂いがはっきりと混じっていた。
こうして少年たちは永い眠りについた。
これが、昭和六十四年六月に八村山市で起きた「八村山市児童怪死事件」である。
彼らの胃に入っていた赤い実は、いまだに特定されていない。
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俺さぁ、見たことあるんだよな。不動産サイトのCMに出てくる緑のあいつのこと。
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