凛風の入内
(まさか本当に実現するとはなぁ)
妹の部屋に一人寝そべりながら、わたしは小さくため息を吐く。
つい先ほど、妹の華凛は花嫁装束に身を包み後宮へと出発した。華凛ではなく凛風として。
それと同時に、わたしは凛風ではなく華凛となった。
(しかし落ち着かないなぁ)
華凛の部屋の調度品は、どれも薄紅色を基調にしていて、何とも可愛らしいがしっくりこない。わたしはもっと、ハッキリした色合いが好みだ。
(少しずつ部屋の中身を入れ替えよう)
すぐに事を成せば、侍女や父様から怪しまれてしまう。全てを入れ替えるには数年間かかるだろうが、このぐらいの苦労は致し方ない。
だって、わたしは――――わたしたち姉妹は――――互いの人生を入れ替えることにしたんだから。
「失礼します、お嬢様」
「あら、紀柳」
わたしは急いで居住まいを正すと、華凛の侍女に向かって微笑んだ。
「そろそろお茶のお時間かと思いまして」
「そうね……ありがとう。準備をお願いできる?」
表情の変化に乏しい侍女はわたしの返事に頷くと、またすぐにいなくなる。思わずため息が漏れた。
(危ない危ない、ボロを出さないようにしないと)
華凛の考え方、喋り方はしっかりと頭と身体にインプットされている。だけど、意識していないと、凛風としての自分を周囲に見せてしまいかねない。
(わたしたちが犯しているのは大罪。それを自覚しなければ)
身内にだって本当のことを知られてはいけない。これはわたしと華凛、二人だけの秘密。
華凛が凛風として、憂炎の後宮に入り、わたしは華凛として生きていく――――それが、わたしたちが決めた生き方だった。
***
今からひと月前、憂炎は本当に皇太子として即位してしまった。あいつに妃の話を持ち掛けられてから、たった数日後のことだ。
あおりを受けた父様は数日間家に帰ってこなかった。憂炎の即位に合わせて、高官達の人事にも異動が生じた上、色々と決めることがあったらしい。
ようやく帰って来たかと思うと、開口一番、憂炎の妃としてわたしが内定したと告げられた。
「――――そのお話、お受けする以外の選択肢は?」
「当然ない」
父様は至極真剣な表情で、わたしのことを見つめた。珍獣でも見るかのような酷い表情だ。
そりゃあ出世の機会をみすみす逃す男はいないって分かってるけど、娘相手にそんな顔をしないでほしい。心臓がバクバクと嫌な音を立てて鳴った。
「すぐに入内の準備を進めなさい。憂炎――――いや、東宮様に失礼のないよう、己の振る舞いを見直さなければならん」
(無理だろ、そんなの)
父様の言う準備が何か分からないし、憂炎相手に失礼をしないとか、振る舞いを見直すとか、不可能だ。
そう思ったけど、この時点で既に、わたしは華凛と入れ替わりの密約を交わしていた。
「――――承知しました」
抵抗するだけ時間の無駄なので、そんな風に答えて部屋を後にした。
「姉さま! お父様のお話……正式に入内のお話が来たのですね?」
「そうよ。良かったわね、華凛」
父様の話が終わってすぐに、わたしは華凛の元へ向かった。
妃になることの何がそんなに魅力的なのかは分からないけど、華凛はやけに嬉しそうだった。おかげでわたしは罪悪感を覚えなくて済む。適材適所、需要と供給がマッチしているんだもの。これ以上のことは無い。
その日から、わたしたち姉妹は入内に向けて本格的に準備を進めた。とはいえ、それは他人が思う程、大変なことではない。
わたしたち姉妹は元々、度々入れ替わりを経験していた。父や母、侍女たち、それから憂炎の前でもそう。これまで一度だって、わたしたちの入れ替わりに気づかれたことは無い。
お淑やかな華凛に、男勝りなわたし。だけどわたしたちは、互いの思考回路を熟知しているし、話し方や立ち居振る舞いだって自然に入れ替えることができる。
そんなわけで、入内迄の一か月間、わたしたちは頻繁に入れ替わりながら周囲を欺き、今日という日を迎えることができたのだ。
「何やら嬉しそうですね、お嬢様」
気が付けば、侍女の紀柳が茶器を手に目の前に腰掛けている。
わたしはというと、ふかふかの長椅子にきちんと姿勢を正して座っていた。物思いにふけっていても、ちゃんと華凛としての振る舞いができている。これならきっと、これから先も問題ない。そう思うと、唇が自然綻んだ。
「まぁ……そんな風に見える?」
「はい。凛風様の入内が、そんなに嬉しいのですか?」
「もちろんですわ。我が一族の力も増しますし、姉さまもとっても幸せそうでしたもの。わたくしだって嬉しいに決まっていますわ」
紀柳が淹れてくれた茶を飲みながら、わたしは優雅に微笑んで見せる。
(嘘はひとつも言ってないもんね)
今はわたしが華凛だ。凛風に扮した妹がとても幸せそうにしていたから、わたしは嬉しい。それだけが純然たる事実だ。
「正直わたくしは……お嬢さまは『ご自分が』後宮に上がると――――そう仰ると思っていました」
そう言って紀柳は探る様な瞳でわたしを見つめた。
(おっ……鋭いなぁ)
さすが、幼い頃から仕えている腹心の侍女は、妹のことをよく分かっていた。じとっとした半目でわたしのことを見つめながら、紀柳はお茶を注ぎ足している。
わたしはこういう時に華凛が浮かべるであろう表情を再現しながら、内心楽しくて仕方がない。
「だって仕方がないじゃない? 憂炎――――東宮さまが、どうしてもお姉さまが良いって言うんですもの。わたくしが手を挙げたところで拗れるだけだわ」
そうなのだ。
あの後、わたしは父様を通して『妃の打診は凛風宛で間違いないか』再三再四確認した。けれど、憂炎は頑として譲らなかった。『妃は凛風に』の一点張りで、てんで話が通じない。
(『華凛』で良いと言ってくれたなら、こんなまどろっこしいことはせずに済んだのに)
心の中で恨み言を呟きつつ、わたしは小さくため息を吐く。
本当は華凛の振りなんてせず、自分らしく好きなように過ごせた方がずっと良いに決まっている。妃になるよりはマシだから、甘んじて受け入れているだけだ。
(本当に、あいつの考えていることはちっとも分からない)
とはいえ、今後わたしが憂炎に関わることは無いだろう。
あいつはこの広大な国の皇太子――――雲の上の人物で、わたしは一介の家臣の娘。
既に妃として『凛風』が入内している以上、妹である『華凛』が妃として呼ばれることは恐らく無い。皇族が自由に市井を歩くのは難しかろうし、わたしたちの人生が交わることは、もう二度とないはずだ。
けれど何故だろう。そんな風に考えると、胸の奥に小さな痛みが走る。火傷みたいにジクジクと痛むのは、最後に見た憂炎の眼差しが心に焼き付いているせいだろうか。
(いや――――これで良いんだ。誰にとっても、これが一番幸せな方法なんだから)
小さくため息を吐きながら、今頃はまだ馬車に揺られているであろう妹に想いを馳せた。




