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転機と強請

 後宮暮らしがふた月に及んだ頃、転機が訪れた。


 普段よりも入念に施された化粧。宝玉のついた簪を何本も挿し、重たい装飾品を身に着けて、めちゃくちゃ豪華なドレスを身に纏う。

 本当なら嫌で嫌で堪らない行為だけど、今日は違う。


 何故なら、今日を最後にわたしは後宮を立ち去るから。



(ようやく……ようやく華凛に会えるっ!)



 ウキウキと心弾ませながら、姿見に向かって満面の笑みを浮かべる。


 今日は他国の使節を招いての宴会の日――――皇后の手紙に書かれていた宴だ。


 後宮と内廷の間に位置する庭園に場が設けられ、帝を始め、皇后や妃、武官や文官達が集まり、華やかで賑やかな会が催される。東宮妃である『凛風』も、当然に参加が必要な行事だ。宮廷内の主要人物が一堂に会する場と言っても過言ではない。


 そう言う場である以上、どんなに忙しかろうと、華凛は絶対会場に現れる。憂炎の補佐としてあちこちに動き回る筈だ。



(みんな浮かれてるし、わたしたちが入れ替わる隙は必ずある。っていうか、絶対に入れ替わって見せるんだから!)



 一人、静かに気合を入れる。


 そうじゃなくても今日は、例の嫉妬深いと噂の皇后や、帝の妃たちと対峙する日だ。普通にしてたら身がもたない。隙を見せたら最後。付け入れられるに違いないのだ。



(まぁ、どっちにしても明日からのわたしには関係ない話だけど)



 もうすぐわたしは『華凛』になる。後宮での人間関係なんて一切関係なくなるし、憂炎に振り回されることも無くなる筈だ。そう思うと胸が高鳴る。



(ふふ、ふふふふ)



 心の中で笑い声を上げたその時、背後に人の気配を感じた。




「…………っと、なんだ、憂炎か」


「俺で悪いか」



 憂炎は不機嫌そうに唇を尖らせながら、わたしの方へと向かってくる。



「いや、そういうわけじゃないんだけど」



 答えつつ、辺りをぐるりと見回しながら、眉を顰めた。



(おかしいなぁ。憂炎とは違う気を感じたんだけど)



 武術を修める人間は、人の発する気に敏感になる。僅かな動きや視線、殺気から、攻撃を予知するためだ。


 だけど、憂炎が何も感じていない以上、わたしの気のせいなのだろう。どうやら緊張で気が昂っているらしい。



「よく似合ってるじゃないか、その衣装」



 憂炎は上から下までわたしのことを眺めながら、そう言って穏やかに微笑んだ。



「……あぁ、馬子にも衣裳ぐらいにはなってるだろ?」



 今日のドレスは、紅と薄紅色の薄布を幾重にも重ねた、上品だけど可愛らしいデザインだった。艶やかな染色に繊細に施された刺繍。普段のわたしなら、絶対に選ばないタイプの服だ。

 だけど、一番のポイントは、豪奢なくせに、脱ぎ着が簡単なことだった。



(早く華凛に着せてやりたいなぁ)



 華凛はこういった上品で高価な服が大好きだし、好んで身に着ける。きっと気に入ってくれることだろう。そう思うとワクワクしてくる。



「あっ、ねぇ、華凛は? 来てるんでしょ?」



 憂炎がここに居るのだから、補佐役の華凛だって既に会場入りしているはずだ。

 わたしが尋ねると、憂炎はまた、不機嫌そうな表情になった。



「――――――――あっちにいるよ。今、仕事中だけど」



 仕事中を強調し、憂炎はふいとそっぽを向く。



「そういうおまえは仕事中じゃないのか?」



 暗に『会いに行くな』と釘を刺され、わたしは唇を尖らせる。


 こんなところで油を売ってる暇があるなら、華凛や白龍を手伝いに行けば良いのに。そうしたら華凛の手が早く空く。わたし達が入れ替わるためのタイミングを見計らいやすくなるのに。


 そう思ったその時、憂炎は唐突にわたしのことを抱き締めた。湯浴みの後とは違う――衣装に焚きつけた香の薫りが鼻腔を強く擽る。



「……何だよ?」



 平静を装いつつ、わたしは尋ねた。


 二ヶ月やそこらでは、こういう行為への耐性は付かなかった。心臓はドキドキ鳴り響くし、体温は一気に上がるし、ソワソワして物凄く落ち着かない。下手すりゃ初めの頃の方がマシだったんじゃないかってぐらい、動揺してしまう。



「理由がないと抱き締めちゃいけないのか?」



 憂炎は腕に力を込めながら、質問に質問を返した。



「そんなこと、わたしに聞くなよ」



 ダメとか良いとか、そんなこと、考えたことが無かった。

 そもそも理由がないのに抱き締めようと思う、その心理がよく分からない。



(だけど)



 憂炎の腕の中は安心するし、心地が良い。嫌か、嫌じゃないかって聞かれたら、嫌じゃなかった。



「凛風」



 何かを請う様にして、憂炎はわたしの名を口にした。抱き締めるというより縋りつかれている。そんな奇妙な感覚に、心臓が音を立てて軋む。



「……ほら、もう準備しなきゃだろ?」



 思わずわたしは、憂炎を押し返していた。

 憂炎は唇を固く引き結び、視線を逸らしながら頷く。どうやら今日は情緒不安定らしい。よしよし、と頭を撫でてやると、拗ねた子どものような表情を浮かべた。



「――――ってくるよな?」


「え?」



 ぼそりと何事かを呟きつつ、憂炎がわたしのことを真っ直ぐに見つめる。

 奴が何て尋ねたかは分からない。だけど、今にも泣き出しそうな表情に、何だか居た堪れない気持ちになる。



「いや――――なんでもない」



 憂炎はそう言って、わたしの右手をそっと握った。指先に触れる冷やりとした感触。やがてそれは手首の方へと移動していく。



「なに、これ?」



 腕を目の前に掲げてみる。そこには宝玉を連ねて作られたブレスレットが輝いていた。

 神秘的な光を秘めた幾つもの宝玉。憂炎の瞳を思わせる紅色の石に、対照的な白銀の石。これまで目にしたどんな宝飾品よりも美しいそのブレスレットに、わたしはひっそりと息を呑む。



「……凛風が持ってて」


「おい、質問の答えになってないぞ?」



 苦笑混じりにそう尋ねたら、憂炎はわたしの手をそっと撫で、触れるだけのキスを落とした。



「おい……」


「凛風が持っていてくれ」



 憂炎はもう一度、強請るようにそう口にした。真剣な眼差しに熱い手のひら。別に断る気なんてなかったのに、こんな風に改まった様子で頼まれると、なんだか落ち着かなくなる。



「わかったよ」



 そう言って笑えば、憂炎は最後にもう一度、わたしの額に口づけた。それから名残惜しそうにわたしを見つめ、ゆっくりと天幕を後にする。



「凛風さまと東宮さまは、本当に仲睦まじいですわね」



 天幕の隅に控えていた侍女達が、うっとりとため息を吐く。



(そうか?)



 侍女たちとは布一枚隔てていたし、会話もよく聞こえなかったのだろう。憎まれ口ばかり叩いているわたしたちでも、傍から見れば『仲睦まじい』になるのだろうか。

 大きく首を傾げながら、わたしは右手に輝くブレスレットを黙って見つめたのだった。

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