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手紙

※追加エピソードになります。

【初めまして。後宮生活には少しは慣れたかしら?】




 好意的な出だし。手蹟は上品で、良い香りのする麻紙を使っている。一見して怪しいところはない、何の変哲もない手紙。

 だけど、この手紙からは、持ち主の怨念のようなものを感じる。見ているだけで身体が震え上がるような、おぞましい何かが。



 手紙の贈り主は皇后――――憂炎が隠匿される原因となった人物だ。

 嫉妬深く、権力欲にあふれた女性。彼女のせいで、現皇帝の子は憂炎一人しかいない。



(全く。国を滅ぼす気か! って話よね)



 憂炎が生まれていなければ、この国は大きく揺らいだだろう。治める者が居らず、内乱が起こり、他国から攻め入られる事態に陥っていたかも知れない。

 そんな簡単なことすら考えられないあたり、わたしは皇后とは関わり合いたくない。手紙だって、出だしを読むだけで十分。まともに読む気なんか無かった。



「陛下から『必ずお返事を貰ってくるように』と申し付かっております」



 だけど、遣いの宦官が青褪めた表情でそんなことを口にする。きっと、返事を渡さなければ、酷い折檻を受けるのだろう。

 ため息を一つ、仕方なく、手紙の続きを読むことにした。



【陛下に子が居るとは、夢にも思いませんでした。誰も教えてくれないんですもの。あなた方一族が、皇太子を隠し、育てていたんですってね。お優しいこと。さっさと後宮に戻せばよかったものを】


(おえっ)



 これぞ『後宮』。恨みったらしいったらありゃしない。読んでて胸焼けのする内容だ。

 こんな手紙を書く人間を皇后に据えたままなんだもの。皇帝には威厳が足りないんじゃなかろうか。



【あなたが妃になるのは、当然の采配でしょう。直接お会いできる日が楽しみです。先の宴で場を設けるから、そのつもりで】


(宴、ねぇ)



 憂炎からそんな話は聞いていない。だけど、皇后がわざわざこんなことを書いて寄越すんだもの。わたしの出席は間違いないのだろう。



「誰か、筆と紙を」



 どうやら皇后は、憂炎とその妃――――わたしのことが大層お気に召さないらしい。

 己の地位を脅かす可能性がある存在。種から取り上げ、芽すら出ないよう気を揉んでいたというのに、彼女の目の前にはもう、立派に育ち上がった憂炎が居る。



(摘ませるわけがないでしょう?)



 だったら、すべきことは一つ。抗戦の意思を明確にすべきだ。



(――――でも)



 【おとといきやがれ】と書いてやろうとした所で、わたしはふと手を止めた。


 『凛風』として戦うのがわたし自身ならば良い。

 だけど、もしも華凛に後を任せるのだとしたら、このやり方じゃダメだ。

 あの子は武力を持たない。その代わりに女性らしく、優雅に――――その実、強かに戦うに違いない。真っ向から立ち向かうのではなく、別の方向から切り返していく筈だ。



【先の宴でご挨拶ができる日を、心から楽しみにしております】



 数行の手紙を認め、それを使者へと託す。

 この内容ならあまり波風を立てず、相手の出方を窺いながら戦っていくことが出来るだろう。



(皇后、か)



 小さくため息を吐きつつ、わたしは肩をぽきぽき鳴らした。




「――――で、お前は一体何をしてるんだ?」



 その日、遅くに後宮を訪れた憂炎は、呆れたような表情でそんなことを口にした。



「何って……見て分からない? 鍛錬だけど」



 花々の咲き誇る後宮の庭を走り回ること数時間。化粧は剥げ落ち、汗がダラダラ流れ落ちる。

 普段実家で使っているのよりは動きづらいけど、妃用のヒラヒラしたものよりは数段マシのため、衣装は宦官のものを拝借している。めちゃくちゃ抵抗されたけど、武力行使して手に入れた。



(そうよ。もっと早くにこうしていたら良かったんだわ)



 閉ざされた後宮。現皇帝の妃達と顔を合わせる機会も無い。

 侍女や宦官からは苦言を呈されたけど、そんなことはどうでもいい。だってわたしは凛風だもの。元々妃の枠に収まるような人間じゃないんだから、大人しくしている理由は無かった。



「そんなにここが退屈なのか?」



 憂炎はため息を吐きつつ、上衣を宦官へと預ける。それからため息を一つ、指をくいくいと上向けた。どうやら手合わせをしてくれるらしい。思わず口の端が上がった。



「まあね」



 言いながら、思い切り地面を踏み込む。憂炎は俊敏に後退り、寸でのところで蹴りを躱した。続けざまに懐へと潜り込み、拳を振ろうとしたところで、憂炎がニヤリと笑う。



「あまりブランクは感じないな」


「そっちもね。デスクワークばっかりで鈍ってるんじゃないかと思ってた」



 腕や足が勢いよく風を切る。宦官達がハラハラした様子でこちらを見ながら息を呑む。だけど、これでも大分手加減しているのだ。この程度の手合わせなら、互いに怪我をすることは無い。



 さっき憂炎に『退屈なのか?』ってそう聞かれた。退屈だ。毎日優雅なティータイムばかりで飽き飽きしている。

 だけど、それだけが鍛錬を再開した理由じゃない。



 だって相手は――皇后は――腹の中の赤子を躊躇いなく殺すような女なのだ。自分の身は自分で守る。そのぐらいの努力は必要だろう。


 それに、わたしがこうして鍛えていることは、現皇帝の後宮にも伝わる筈だ。入れ替わりを果たした後に、そのことが少しでも華凛の盾になったら良い。力を持っていると誇示することは、時に抑止力としても働く筈だ。



(それにしても)



 どのぐらいぶりだろう。久しぶりに心の底から笑えている気がする。

 憂炎とこうして拳を交わして。汗を掻いて。ようやく本当の自分に――――わたし達に戻れたみたいな、そんな心地。



「楽しいな、凛風」



 憂炎が笑う。こいつのこんな笑顔を、久しぶりに見た気がする。最近の憂炎はいつも不機嫌な顔をして、わたしのことを見つめてばかりだったから。


 全身が熱い。鼓動が早く、胸が小さく打ち震える。

 それは生まれて初めて感じる、訳の分からない感覚だった。


 憂炎の笑顔から目が離せない。あいつが笑っているのが何故だか無性に嬉しくて、それからすごく照れくさい。別に恥ずべきことではない筈なのに、口にするのがどうにも憚られる。



「――――ああ、そうだな」



 久方ぶりに身体を動かせたから――――それがとても嬉しいから。

 そんな風に結論付けて、わたしは笑った。

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