第九話 贖罪
【人物】
・仁 元の名は鎮。白髪の少年。平家の長男として迎えられる。
・千鶴 呼名は千寿。平家の長女。男勝りで強気な性格。
・桜 呼名は咲。仁と同じく平家の長男。人懐っこい。
・真白 無口な美少女。
・林之助 呼名は凛。面倒見のいい真面目な次男 。
・風優花 呼名は福。平家の末っ子。人見知り。
引き止め振り向いた千鶴は今にも泣き出しそうだった。
初めて見た潤んだ瞳に思わず息を呑む。
「僕が…行く」
そう言い出したものの、騒ぎの中心に行くに連れ自分の呼吸が荒くなるのを感じた。
足が鉛のように重い。
一歩ずつ、しっかりと地を踏みしめる。
「どいて下さい」
足を動かす度心臓がギュッと縮まる様な痛みが走った。
丁寧に振る舞う余裕はない。
傘で顔を隠しながらも群れる人々の体を手で押し避け進む。
(どうだってことは無い。早くその顔を拝んでやろう)
仁はギリッと歯を食いしばり、一気に先頭に出た。
「…」
橋の中央に無惨に晒された顔を確認した途端、荒らくなっていた心音が鳴り止み、スっと呼吸も落ち着くのを感じた。
強ばっていた肩は丸くなり全身の力が抜けていく。
(あ、そうだ…無我夢中で突き進んできたからひとまず押しのけた人達に一言詫びないと)
そう思い、後ずさると真後ろで声にならない音が聞こえた。
「っ」
声の主は膝から崩れそうになり、仁は咄嗟にその体を支える。
「制札…」
仁の袖をギュッと掴みその指が指した方向を見遣った。
今すぐここから離れたい気持ちを押し堪え、首の横に立つ木の札に書かれた文字を霞む視界で必死に睨む。
そこにはこう記されていた。
・此度の事件で民の平和を脅かした者ここに
・神皇家に逆らう者は今後反逆者として即死罪とす
・恩を持って神皇家に忠義を示し崇めよ
その内容を目で追い、全てを確認する。
しばらく2人で支え合いながら立ち続けその場を動けずにいた。
周りの人々が話す言葉が雑音の様に頭に響いて煩い。
(ああ、もう。静かにしてくれないか)
初対面の人間にこれほどまでに嫌悪感を覚えるのは初めてだ。
手先が腰刀に触れ、静かに一本づつ指を動かしじわじわと刀を握る。
(…少し黙って貰いたい)
顎を引き、視線だけゆっくりと動かす。
「…さん…、…さ…兄さん!」
手を捕まれハッと意識を取り戻す。
背後から仁の手を押さえつける林之助の表情は訝しげに歪んでいたが、仁が刀から手を離すと彼もすぐに手を離した。
そして仁に倒れないよう腰を支えられている人物を一瞥した後、背後を指す。
「兄さん、皆が到着したようです」
「…林之助」
やっとの思いで声を絞り出しすと、もう既に明るくなった街並みの奥から真白を担いだ桜と風優花の姿が見えた。
そこに、仁が探した3人の姿は無かった。
ぼやけていた思考が徐々に晴れ、再び鼓動が激しく波打つ。
「…っ!林之助、風優花を連れてここから離れて。近くの川辺まで行くんだ!」
「えっ…」
林之助の耳元でそう告げると、林之助は仁の荒げた声に動揺したのか目を瞬かせ、固まってしまう。
まだ林之助は状況を把握できていないようだ。
「早く」
林之助を見据え、低い声で諭す。
すると林之助は仁の瞳をじっと見つめた後踵を返した。
そしてこちらへ歩いてくる桜達に駆け寄り、風優花だけを連れて反対方向に走って行く。
「歩ける?」
仁は自分の肩に寄りかかり子供のようにぎゅっと袖を掴んだままのその人に問いかける。
「おい仁、人だかりこの人集りはなんだ。それに…千鶴っ?!」
駆け寄ってきた桜は、仁に寄りかかり項垂れる人物が千鶴だと寸前まで気づいていなかったようだ。
「ひとまず、この場から離れなくてはいけない」
「一体、何があっ…た」
言葉を言い終わるまでに状況を把握したらしく、桜の顔は徐々に青ざめ、瞳は大きく見開かれる。
その視線は橋の中央を見つめたままぴくりとも動かない。
「桜、千鶴を支えてやってくれ。ひとまず、ここから去ろう。あまり長居すると怪しまれる」
仁は硬直したその肩に手を置き、すれ違い様に呟く。
桜は返事の代わりにゆっくりと静かに頷いた。
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都から出て林之助達と合流した3人はしばらく歩いた先で見つけた山奥の空き家に身を潜めた。
千鶴はあれから気を失い、眠りながらずっと唸り続けている。
林之助は何かを察したのか空き家についてから一言も話さずそのまま瞑想を初め、風優花もその空気を読んで黙り込み、真白と千鶴の間に膝を抱えて座り込んでいる。
桜は仁を外へ呼び出し、こちらに一切目を合わせることなく重々しい表情で問いただす。
「あの制札に書いてあった事は本当なのか」
「いやわからないんだ。僕達は卯の刻には都に着いていた。けどもうその時には…」
-ドン!!
桜は側の木に強くに手を打ち付けその場に蹲る。
「なぜ、父様が…」
「桜…ごめん。ひとつ聞いていい?」
仁も少し離れた場に座り込み、俯く桜を見つめた。
「…2人は」
「いなかった」
仁の言葉を遮るように桜は言葉を被せ、わしゃわしゃと髪を掻き乱した。
「で、父様は罪人として処刑?その上晒し首?あいつらがもし戮者に捕まっていたら…同じように惨めに殺され、晒されるのか?あいつらまだ十三にもなってないんだぞ!!!」
ドンっという鈍い音と共に桜の拳が地面に打ち付けられる。
木に打ち付けられた時にできた擦り傷で拳には血が滲んでいた。
「ねえ、桜、少し落ち着いて。まだ海道達が捕まったとは限らないじゃない」
手加減なく打ち付けられたその勢いに驚き制そうと近づくと、思い切り突き飛ばされその衝撃で木に背中を打ち付けた。
痛む肩を押さえ顔を上げると桜はこちらにずかずかと歩み寄る。
そしてそのまま仁の胸ぐらを掴むとギロりとこちらを睨みつけた。
「逆になんでお前はそんなに冷静なんだよ!父様が殺された上にあんな晒し物にされた!なにが?誰が罪人だって!?父様が神皇家のためにどれだけ精力を尽くしてきたか、お前も見てきただろ!?」
掴まれた手に更に力が込められその拳を喉仏に押し付けられる。
「カイやハナだってそうだ!!まだガキなのに、父様の意志を引き継ぎ、強くなる為に精進していた!!家族がまた殺されるかもしれないんだぞ?!なぁ?!何が冷静になれだ。その飄々とした態度が癪に障るんだよ!お前にとっては他人事なのか?!」
桜の言い分は間違いではない。
(…僕は皆とは違う)
晒された首が父様だとわかった瞬間、スッと落ち着いた自分を思い出すと今でも悪寒がする。
千鶴のように崩れ落ちるのが普通だろう。
あの場で冷静に状況を判断しようと思考を巡らせれた僕は非情なんだ。
桜の涙ぐんだ瞳が、いつかの幼い少女と重なる。
(僕はいつだってこうだ。わかっていたことだ。今になってそれを指摘されたからって落ち込むなんて、それこそ都合のいい話だ)
「す…まない…」
自分の胸ぐらを掴んだ桜の手を包み、浅い呼吸の中なんとか呟く。
「っ…!?」
仁の手が異常に冷え切っている上に汗ばみ震えてる事に気づいた桜は、正気を取り戻し胸ぐらから手を離した。
解放された仁は咳をし、なんとか酸素を吸い込もうと深呼吸を繰り返す。
「…悪い、悪かったよ。仁は謝らなくていい。俺のただの当てつけだ」
そういう桜の身体からは生気が感じ取られなかった。
「…せめて、2人だけでも戻ってきてくれたら…やっぱり俺があの時助けに入ればよかったんだ。兄失格だ…」
手で額を押さえ一点を見つめる桜の左胸に、仁は拳を打ち付ける。
「それは…言わないで。撤回して。あの子たちは信じろって言ったんだよ。それに、あの制札には僕たちの事をお尋ね者として記すような内容はなかった。恐らく、捕まっていたとしても海道と花心は死罪にならない。解放されるはずだ。父様のこともきっと何かの間違いだ」
「…ああ」
桜は依然として視線を合わせようとしなかったが、代わりに仁の拳を掴み力を込めた。
仁は桜にそっと近づきその震える体を抱きしめる。
そして耳元で小さく囁いた。
「咲、大丈夫だからね」
まだ…希望は捨てない。
あの子たちの亡骸をこの目で見るまでは。
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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