第七十五話 命の猶予
【登場人物】
●平家
影の一族と言われ、禁術を使う。
前当主 平 昌宜の代から刀治道を用い、
童狩りなどの生贄を使った術は使わず、
影赦を刀とし、国の治安を影で支えてきた。
・ジン 元の名は鎮。字は仁。白髪の少年。
現在は平家の長男。千鶴達と共に夜雀と戦っている。
・サク 字は桜。仁と同じく平家の長男。原田家のシゲと行動を共にしている。
・チズ 字は千鶴。平家の現当主。
・花心 数年前に生き別れた妹。
翡翠と名乗り、忍びの一族と行動を共にしていた。
・海道 影赦の姿にされていると花心、林之助が気づき保護。
・風優花 夜雀に捕らえられている。
・真白 藤堂家に突如現れフミを殺害した。
その後都に現れ敵同士ながらジンと共に夜雀と戦うことに。
・林之助 チズと共に行動していた。ジンと花心と再会する。
⚫原田家
原田家の武士は皆、黒狼と呼ばれている。
現在政治の実権を握っている武家。
・ユキ 字は極之。原田家の長男。
雅号は対狼。
・シゲ 字は茂之 。山犬使い。
ユキと慈実の子供。残血の血を引いている。
・トシ 字は勇臣。女好き。
ユキの弟。ユキと共に対狼と呼ばれている。
●藤堂家
国を治める二代武家の一つ。
真っ白な袖の靡く装束を身に纏っている。
律術という術を代々引き継いでいた。
・イト 字は弦皓。授名は紫苑。
藤堂家の三男。雅号は鬼刀律術者。
音を使った律術を使う。フミにより殺害された。
・ムギ 字は紬。授名は錦葵。冷静沈着な謎の少年。
・時雨 藤堂家の長男。双子の兄。呼名の解放をしていない。
・氷雨 藤堂家の次男。双子の弟。兄と同じく呼名の解放はまだ。
●その他
・夜雀 残血。容姿は海道。雀の面をつけている。
・紅藍 巫女姿の女。夜雀の仲間?黒猫の面。
「どうしてあいつに残血の居場所教えちゃったのさ。前僕らを殺そうとしたやつに、わざわざ親切にしてやる義理はないだろ」
少年は気怠そうに両腕を後頭部に回し、隣を歩く自分より少し背の高い少年を上目遣いで見つめて問いかけた。
問いかけられた少年の方は背筋を伸ばして無表情のまま前方を見遣り、時折瞼に力を込めて周囲を警戒している。
2人の歩く姿はまるで正反対だ。
いつまで経っても問いに答えない事に痺れを切らした少年はわざとらしく「ふんっ」と鼻を鳴らして見せるも、やはり彼は無反応のまま。
前とは違って隣を歩く人物をくすぐる事ができない為、しばらくその場で無意味に飛び跳ねたり欠伸をしたりしていた。
「ねえ返事してよー。このままじゃ僕、暇すぎてまたすぐ死んじゃうかも」
構ってもらえず退屈になった少年がぼそりと呟いた言葉を聞いたもう1人の少年は急に足を止めた。
そして急に立ち止まった事に驚いている少年を見下ろしてたった一言口にする。
「イト」
「あー!反応した!」
イトはやっと彼の声が聞けた事に喜び袖口のゆったりとした装束をはためかせながら飛び上がったが、そんなイトとは対照的に正面に立つ少年は無表情な顔にほんの少しの哀愁を漂わせた。
「それはもう口にしないで」
彼の心境を察したイトはその場の空気をなんとか誤魔化そうと「あー」と言い訳を探し始める。
「ごめんよ、ムギ。不謹慎だったね」
イトから笑みが消えたのを見てハッとしムギは彼の頬に手を伸ばすも、その手は途中でピタリと止まり力なく降ろされる。
ムギは変わらず無表情のままだが、その瞳孔は大きく開いていた。
「いや、今は君の望みを叶える為の時間だ。いつも通りでいい。ううん、いつも通りでいて」
「なに?それだと僕がいつも不真面目みたいに聞こえるぞ?」
「違うか?」
ムギの僅かな感情の変化を感じ取り彼を揶揄いたくなったイトはわざとらしく意地悪な返答をするもムギは間髪入れずに言い返し、その上顔をイトに近づけ目を細めてしたり顔をして見せた。
更に、呆気に取られ口をぽかんと開けたまま固まるイトの顎に扇の親骨を添えその口を閉めさせる。
淡いお香が鼻をくすぐりイトは唇を噛んだ。
「行くぞ」
「あ、ちょ待てよ!!」
何事もなかったかのようにそう言いいつも通りの無表情で前に向き直ったムギの背を、イトは慌てて追いかけながら夜風で冷えた手を火照る自分の頬に添えた。
(ムギのやつ、この前からちょっと変なんだよな…なんかこう今まで見たことなかった顔をするというか。もしかしたら、ムギなりに今後僕がいなくなった時を考えて感情を人に伝える為に表情筋動かす練習でもしてんのかな。あっ…いや、それとも、あん時僕が最期だと思って色々しちゃったから恥ずかしがってんのかな…?)
イトは心中で独り言を呟きながらいつかの出来事を思い出し更に顔を赤く染めた。
死に際だからと、最期に感謝の意を込めてした口付け。
ムギの肌に触れた時の温もりは今でも鮮明に覚えている。
(それにしても、やっぱりムギは嘘が下手くそだ。こんなの誰だっておかしいと思うよ。やっぱり、君は…)
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- 「イト…起きて」
もう開くことはないと思っていた瞼が突然軽くなり、光がその僅かな隙間からまるで"眠るな!"と言わんばかりに入り込んでくる。
ゆっくり目を開けるとそこには見慣れた霞がかった月と鶸色、そして優しく頬を撫でる夜風に乗せられて微かに香る檀香。
仰向けに寝転んだまま手元にあった青草を掴んで引き抜き、自分の意思で手が動かせることを確認した。
状況が飲み込めず瞬きも忘れてしばらくぼーっとしていると、視界の隅にはらりと黒髪が舞う。
「イト」
「っ!?」
低く落ち着いた声で再び名を呼ばれイトは跳ね起きた。
余りの衝撃に言葉が出ずただ口をぱくぱくと動かす。
そしてしばらくの沈黙の後、自分の目の前に跪いている人物の目尻から涙が溢れたのを見て我に返り咄嗟に頬に手を伸ばした。
「…ムギ」
しかし伸ばした手はムギの頬に触れることなくすり抜け、イトはそのまま彼の肩にもたれるような体制になった。
ムギの肩に額を乗せた状態で固まったイトは「え」と掠れた声を漏らす。
そしてガバリと体を起こし自分の両手を凝視しながら開いたり閉じたりして、渋い顔のムギに視線を送った。
基本的にどんな時も無表情のままのムギがわかりやすく口元を歪めている様を見てイトは確信した。
彼の仕業だと。
「ムギ、これは一体どういうこと?やっぱり僕は死んだんだよね。君だけに僕の姿が見えてるの?生き返ったとか、そんな都合のいい話じゃないよね?正直に答えて」
いつもよりも低い声で畳み掛けるように質問されムギは観念したように固く結んだ口を開いた。
「君のその姿は律術の化身だ。生き返ったわけでは…ない。だから人肌に触れることはできない」
黙ったまま続きを促すようにじっと見つめられ、ムギは一息ついてからまた口を開く。
「本来ならば…30になる年に儀式をした上で君達術者は次の血筋にその力を継承するはずだ。しかし…君はまだ15だ。それに強引に力を奪われそうになった。こんなこと、あってはならない。神の意向に背く。だから…だから私は…」
「はぁ」
ムギが言葉を詰まらせた辺りである程度の事情を理解したイトは大きく溜息を吐いた。
中性的な顔とはいえ自分より背の高くガタイのいい男が、叱られた幼子のように両手を膝の上で震わせながら話をする姿を見ていられなくなったのだ。
「何をどうしたかはわからないし、たぶん教えてくれないんだろうけど…要するにお前は僕の死に際をきちんと用意してくれたって訳ね?」
イトの言葉に、ムギは俯き視線を逸らした。
(相変わらず感情表現が下手くそだな)
イトは心の中でそう呟き次は軽く溜息を吐く。
「…律術の継承者を、僕自身に選ばせようとしてくれたんだ?」
今の言い方は良かったようで、ムギは俯いたままこちらを一瞥した。
「なぁムギ、お前はあくまでも僕の付き人なんだ。大事な主をお前は二度も殺すのか?」
「誰にも引き継がなければその姿のまま君は生き続けられる」
ムギは俯いたままやっと口を開いた。
イトと目線を合わせようとしないその様子を見る限り、どうやら自分の言っている事が矛盾していると自覚しているのだろう。
「さっきお前が言ったよな?神の意向に背くって。僕はこの国を守護する為に律術を受け継いで生まれたんだ。だから絶対にこの力は誰かに継承しなくちゃならない。それに、この国が滅ぶのも時間の問題になってきていることはムギもわかっているはずだ。早くこの事態をなんとかしなくちゃいけない。だから僕は必ず近いうちにまた死ぬんだ。わかるね?」
一言一句はっきりと諭すようにそう告げるとムギは頷く代わりに静かに目を閉じた。
その姿は突きつけられた現実を拒否しているように見える。
まだ言いたいことや聞きたいことは山程あったが一旦話を終わらせる為にイトは小さく笑って見せた。
「お前は本当に身勝手で頑固でわがままだな」
「…すまない」
か細い声でそう答えたムギの肩に手を置き、伏せられた目元をじっと見つめて今度は少し戯けた口調で話しかける。
「ねぇ、本当に僕の苦しさ伝わってる?」
ムギは長いまつ毛を震わせ何度か瞬いた後、ゆっくり瞼を開きその淡い瞳にイトの姿を写した。
「君は…あのような別れを望んでいたのか?」
切なそうに瞳を揺らすその姿にイトは再び大きな溜息をつく。
そんな顔をされてしまっては何も言えない。
「私は君と約束した。…1人にしないと」
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あの時のムギの視線と心臓をギュッと掴まれたような感覚を思い出し、イトはまた頬が熱くなるのを感じる。
せっかく冷やしてもこれでは意味がないと邪念を振り払うように激しく頭を横に振って頬を両手で思い切り叩いた。
「どうした?」
「違う!これは、叩いたから赤くなっただけさ!!」
突然の乾いた音と隣を歩くイトが頬を両手で押さえている仕草を見て不思議に思ったムギがその行動の意味を問うも、イトは全く見当違いの返事をする。
話が噛み合ってないことにすら気がつかない彼をしばらく見つめたムギは「まあいい」と言いたげにフッと小さく笑った。
彼らが今こんな呑気な話をしながら歩いている道端にも何体もの屍が転がっている。
最早原形を留めていないそれが放つ腐敗臭は鼻がいい彼らにとってはとても耐え難いものだった。
- 闘人以降、商人や貴族達は都に戻る事はなく、その代わりに影赦によって家族を殺され家を失った浮浪者達がこの地に住み着いていたそうだ。
神皇家もそれを容認していたため、浮浪者は都での一時の安息を得ていた。
なぜ、一時なのか。
それはどこからか現れた無数の影赦達によって再び都が荒らされてしまったからである。
そしてその時、謀ったかのように藤堂家と原田家の治める地域で陰の一族の残党による童狩りの事件が多発する。
原因は平本家の当主の首がとられたことによる暴走とみられた。
その内の原田家の門弟が捕らえた1人の男が二代武家との関わりがあるような発言をした為に、藤堂・原田のどちらかに間者がいるのではと関白に勘繰られ、しばらくの間武家の人間は都への侵入を禁止された。
影赦を狩る人間がいない都の街はあっという間に再び廃都と化し、それどころか逃げ遅れてしまった民の屍までそこら中に転がる有り様となったのだ。
「あーあーあー。闘人の時の方がよっぽどマシだったよ」
イトは足元に落ちていたボロボロの小さな着物を広げて、道端に転がる屍に被せた。
「…僕達は何の為に命をかけて戦ってきたんだろうね」
屍を見下ろしそうポツリと零したイトの肩にムギは手を置き、もう感じることのできない彼の温もりを求めるように指先に力を込めた。
イトはそんなムギの気持ちを察したのかくるりと振り返り、満面の笑みで彼を見つめる。
(大丈夫。僕はここにいるよ)
そう心中で呟いたイトは、目的地から微かに聞こえる剣戟音に耳を傾け子供のような愛らしい笑みを歪ませて唇を少し噛んだ。
イトの雰囲気ががらりと変わり、彼らを纏う空気も張り詰めたものになる。
「さぁて。大っ嫌いなお2人の顔を拝みに行くとしますか」
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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