第六十八話 漆黒
【登場人物】
●平家
影の一族と言われ、禁術を使う。
前当主 平 昌宜の代から刀治道を用い、
童狩りなどの生贄を使った術は使わず、
影赦を刀とし、国の治安を影で支えてきた。
・ジン 元の名は鎮。字は仁。白髪の少年。
現在は平家の長男。
・サク 字は桜。仁と同じく平家の長男。
・チズ 字は千鶴。平家の現当主。
・花心 数年前に生き別れた妹。
翡翠と名乗り、忍びの一族と行動を共にしていた。
・海道 夜雀に捕らえられている。
・風優花 夜雀に捕らえられている。
・真白 突如現れフミを殺害し、再び姿を眩ませた。
・林之助 千鶴と共に行動していた。ジンと花心と再会する。
⚫原田家
原田家の武士は皆、黒狼と呼ばれている。
現在政治の実権を握っている武家。
・ユキ 字は極之。原田家の長男。
雅号は対狼。
・シゲ 字は茂之 。山犬使い。
まだ幼く喧嘩早い。ユキと慈実の子供。
残血の血を引いている。
・トシ 字は勇臣。女好き。
ユキの弟。ユキと共に対狼と呼ばれている。
・慈実 残血の子孫。シゲと呼ばれている。ユキの許嫁。
令眼と言われる琥珀色の瞳を持っている。
ユキを守るため自ら能力を差し出し、死ぬ。
●藤堂家
国を治める二代武家の一つ。
真っ白な袖の靡く装束を身に纏っている。
律術という術を代々引き継いでいた。
・イト 字は弦皓。授名は紫苑。
藤堂家の三男。雅号は鬼刀律術者。
音を使った律術を使う。フミにより殺害される。
・ムギ 字は紬。授名は錦葵。冷静沈着な謎の少年。
・フミ 字は志詩。忍びの一族の生き残り。
イトとムギの小姓として藤堂家に潜入していた。
真白に殺害される。
●その他
・夜雀 容姿は海道。雀の面をつけている。
・紅藍 巫女姿の女。夜雀の仲間?黒猫の面。
「え?は!?い、いやいやいや、そんなわけがないでしょう!どっからどう見ても影赦じゃありませんか!早く離れてください!花心!!」
林之助は影赦の喉元に切先を振り下ろし花心の服を引っ張るも彼女は影赦から離れようとせず、それどころか影赦を守ろうとしているようにも見える。
俯いた彼女の頬には一筋の跡ができおり、その線を辿るように再び雫が伝う。
それが暑さゆえの汗なのか、それとも別の何かなのかは今は考えないようにしようと眉を顰めたその時、数年前の記憶が脳裏をかすめた。
「…あ…」
風優花が影赦の側で蹲り嘆いていた姿と今の花心の様子を重ねてハッとし、息を呑む。
影赦を貫いた刀はカラリと音を立てて手から滑り落ちた。
「もしかしてこの影赦あの時の…」
闘人の時に夜雀から自分を庇ったあの影赦の姿を思い浮かべ林之助は「まさか…」と呟く。
しかしそれはあくまで推測に過ぎない。
(もし本当にそうなのだとしたら、僕は身を挺して守ってくれた家族を…自分の手で、自分の刀で貫いたというのか?)
燃え盛る炎の熱など感じられなくなるほどの困惑に林之助の頭は真白になっていた。
お互いの存在を違えるはずのない双子の花心がこんなにも狼狽しているという現状を目の当たりにしてしまい、鼓動はさらに跳ね上がる。
僕はいつもこうだ。
冷静になれと心中で唱えれば唱えるほど呼吸は上がり、冷や汗が背中を蛆虫のように伝う。
大事な時に普段の鍛錬や勉強の成果を出すことができない。
林之助は腰に下げられた鞘を手加減なく握りしめた。
ミシミシと微かに鳴るその音は悲鳴のようにも聞こえる。
溢れんばかりの憤りは紅蓮の炎の色にも深雪の美しさにも染まることのない純度の高い漆黒となり彼の心を蝕んでいっていた。
「…」
花心は震える肩を自ら抱きしめるようにして押さえ込み、深く深く呼吸を繰り返した。
それはまるで自分の体内に流れる酸素をまるっきり入れ替えてしまおうとしているほどに、深く長いものだった。
そして影赦を背負うと、立ち尽くす林之助の名前を呼ぶ。
あまりにも冷静すぎるその響きに林之助は一瞬本当に花心なのかを疑ってしまった。
しかしそこにいるのは間違いなく花心だ。
そう。紛れもなく、僕の大切な家族。
彼女自身である。
林之助は雑念を払うように固く目を閉じ再び彼女を見据えた。
「この姿ってことは、海道はもう……」
「そう、ですね」
花心は眉を顰め、唇を震わせた。
林之助は花心に背負われた影赦の姿を凝視し、顎先に手を添え小さく唸った。
「どうして…花心はこの影赦が海道だと思ったんですか?」
すると花心はずっと右手に握りしめていた桃色の珠袋を林之助に手渡した。
「これ」
「これは…珠袋…?」
「そう」
この珠袋は2人が殿になって皆を逃した際にサクが投げつけてきた物だったそうだ。
この袋を海道が手にした瞬間を見たのを最後に花心は記憶がなくなっているのだという。
薄汚れた珠袋をよく見ると桜散らしの模様が施されていた。
この袋を持っていて、平家の剣術に詳しい人物なんて海道しか居ないはずだという彼女の直感らしい。
信じたくないという気持ちの方が強いだろうにそれをも上回る理屈では説明し難い何かが、この影赦は海道だという現実を花心に突きつけているのだろう。
「とりあえず身を隠そう!!海道を安全な場所に逃さないといけない。詮索はそれからよ」
「わ、わかりました」
林之助はしゃがみ込み、落としていた自分の刀を拾う。
その瞬間全身の産毛が逆立つような感覚がし、立ち上がると同時に刀を振り上げた。
ほぼ反射的に動かした腕はまるで自分の体じゃない何か別の生き物かのように俊敏な動きをした。
- キンッ
「林之助!?」
鋼鉄音が響き、何かを弾いたということだけ理解した後、林之助は花心の叫び声が聞こえた方向に視線を向ける。
どうやら彼女は無事みたいだ。
花心に逃げろと叫びたい気持ちと、声を出してしまうと一瞬の内に殺されてしまうのではないかという得体の知れない恐怖が林之助の頭を駆け巡る。
目線だけを動かし、先ほど弾き飛ばした何かを探す。
攻撃だったのは確かだ。
そして、それが確実に自分の喉元を掻き切ろうとしていたということも。
瞼を限界まで開き、全神経を体の表面に張り巡らせた。
敵はすぐそこにいる。
「おっとっと。間違えっちゃった」
聞き覚えのある声に林之助はすかさず振り返った。
「お前…」
燃え盛る炎を背後に黒煙の中から姿を現したその人物は刀を肩に担ぎながらゆっくりと歩み寄る。
忘れるものか。
忌々しい不気味な雀の面。
その面の奥に垣間見える瞳はこちらを蔑んでいるかのように見える。
林之助達の前に現れたのは口元を真っ赤に染めた夜雀であった。
吐血したのか、口から血を吐き出すと袖を使い粗雑な手つきで口元を拭う。
「いやぁ本当、体張るよなぁ。巻き添えとか勘弁してほしいんだけど」
彼はいつものごとく目の部分を雀の面で隠し、ヘラヘラと笑いながら馬鹿にしたような口調でそう呟いた。
「あいつどうして海道の姿してんの!?」
花心は林之助に駆け寄り、彼を無理矢理立たせると肩を強く掴み問いかけた。
彼女は夜雀が面をつけた状態でも、彼の姿が海道であるということに気づいたようだ。
そしてそれが海道自身ではないということも。
「あー君か!ちょっとさ、背中にのせてるそいつ。こっちに返してくんない?」
夜雀は花心に向かって手を振りながら陽気な声で問いかけた。
ヘラヘラした態度とは裏腹に彼からは凄まじいほどの殺気を感じる。
今までの夜雀とは訳が違う。
その気迫だけで呼吸が苦しくなってしまうほどの異様な状況に林之助は刀を持つ手を震わせた。
(というか、あいつの口振り…花心のことを知っているのでしょうか)
「何言ってんの?海道は私の兄なのよ。返せですって?寝言は寝てから言いなさいよ」
花心は淡々と言い返す。
昔の花心であれば叫び散らしていたであろうに。
この冷静な声色が返って彼女の怒りをひしひしと感じさせる。
彼女の返答の後、夜雀の口元がにぃっと不気味に釣り上がった。
2人の間に流れる殺気は交わることなく反発し合い、息することも憚られるような空気が漂う。
「そっか」
そういうと夜雀は懐から1枚の呪符を取り出し、それを投げ捨てた。
投げられた呪符は宙を舞い、弱った蝶のようにヒラヒラと重力に逆らうことなく落ちていく。
「何を…」
林之助がそう呟きかけた時、微かに地面が揺れ動くのを感じ足元に目を向ける。
(気のせい…?)
そう思い林之助はもう一度夜雀を睨んだ。
彼の足元には先ほど投げ捨てた呪符が落ちてあり、それは端から散り散りと焼滅していく。
「じゃーあねー」
夜雀はそう呟くと半分ほど燃え尽きていたその呪符を踏みつけた。
すると先ほど微かに感じた揺れが再び起こり、あっという間に立つのも精一杯なほどの激しい揺れとなった。
「しまった!!」
「なんなのよこれ!」
花心と林之助の間を裂くように地面に大きな亀裂が入り、更に細かい亀裂があっという間に2人の足場を奪う。
崩れ落ちていく地面に抗えず飲み込まれそうになったその時、何かに支えられた体がふわりと浮き上がる。
自分の体を支えた人物の姿を確認した林之助は思わず安堵の息を吐いた。
「ごめんね。駆けつけるのが遅くなった」
「別に助けてくれなくてもよかったです」
少し離れた長屋の屋根上に飛び乗った後、体を下され問いかけられた林之助はそっけなく答えた。
苦笑いしたその人は同じ屋根上に着地した人物の方を振り返る。
そこには同じように抱き抱えられた花心と海道の姿があった。
「何言ってんのよ林之助!姉さん達に助けてもらえなかったら私達落っこちてたわよ!礼くらい素直に言いなさいよね」
「花心、暴れないで」
花心は足をジタバタさせながら林之助に向かって叫ぶも彼女を抱き抱えていた人物に諭されたため、素直に黙り込み口を窄ませた。
彼は花心の服についた埃を払いながら怪我を探しひと通り見終わると、次は林之助に視線を送り彼を上から下までじっくり眺めた。
そしてこちらと目を合わせると首を小さく傾げ微笑む。
「2人共怪我が無いようでよかったよ」
サラサラと揺れる白髪は炎の色にも闇夜の漆黒にも染まらない。
唯一無二という言葉は彼の為に存在するのではないかと思わせるほどのその孤高の存在感に、林之助は兄に感じるそれと同じような感覚を抱いた。
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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