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比翼の詩と、(旧:薄桜)  作者: 紬向葵
晦冥の秘事
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《番外編》思い出の冬麗(前編)


【登場人物】

⚫原田家

・ユキ 字は極之(みちゆき)。原田家の長男。

・トシ 字は勇臣としおみ。女好き。

慈実めぐみ ユキからはあだ名でシゲと呼ばれている。ユキの許嫁。



「ねぇユキちゃん…トシ君ったら一体どれくらい頼んだのかな?」




シゲは隣に座るユキに耳打ちしながら苦笑いを浮かべる。




「…いや、わかんねぇ。けどまぁとりあえず、物凄くやべぇ量だってのはわかった」




ユキも同様に苦笑いを浮かべながら眉をぴくつかせ、目の前で満足そうな笑みを浮かべるトシを一瞥した。




「さあ!どれでも好きなもの食っていいぞ!今日は俺の奢りだからな!!」




呆れ果てる2人をよそにトシは腰に手を当てると、頬をこれでもかと持ち上げ笑顔でそう告げる。


ユキたちが囲んだ食台にはとても3人分とは思えない量の沢山の料理が並べられていた。


当主から持たされた報告書を神皇家へ持っていくという任務のため都に行くことになったユキとトシ。


それに付き添うことになったシゲ。


たいてい彼らが都に足を運ぶと不逞な輩と一悶着あるのだが、今回の任務は造作もなく陽の沈む前に終わった為大して揉め事もなく信じられないほど順調に終わった。


そして任務が終わり、都を出る今日。


なぜかご機嫌な様子のトシに連れられて入ったこの店で、今このような不思議な状況となっている。


ユキは口をポカンと開けたままのシゲの顎を指先で持ち上げ、その口を閉めさせる。


すると彼女はハッとし頬を赤く染め、口元に手を添えるとユキから目を逸らした。


真珠のように白い頬がじわじわと朱に染まるその様を可愛らしく思いじっと見つめていると、しばらく下を向いていたシゲがこちらを一瞥する。


ユキはシゲの反応を楽しみたくなり、彼女の横髪を耳にかけるとそこに顔を寄せ耳元で囁いた。




「そういうところも愛らしくていいと思うぞ」



「…」




ユキはすぐさま顔を離しシゲの顔を覗き込もうとするも目元に両手を当てられ視界を奪われてしまう。


シゲは照れるとすぐに口籠る。


そしてその様子を見られたくないのか、いつもこうしてユキの視界を奪うのだ。


ユキは真っ暗な視界の中手を伸ばし、彼女の髪の毛に触れる。


癖が強く硬い自分の髪の毛とは違い、柔らかいシゲの髪質が好きなユキは、彼女を慰めることも兼ねてその髪の毛を優しく撫でた。


するとシゲはしばらくしてゆっくりと手を離し、頬を膨らましたむくれ顔をユキに見せる。


凍てつくような寒さの中沈み始めた夕陽が店の窓から差し込み、彼女を柔らかな暖光で包み込んだ。


ユキはその姿をしっかりと目に焼き付ける。


自分と同じ黒い装束の上に赤い羽織り。


腰には琥珀色の小太刀。


いつもつけている赤い紙紐は付き添い等で屋敷の外に出る時、基本外している。


シゲなりに頑張って男装をしているようだ。


とはいえ彼女の纏う甘い香りと女性特有の柔らかな雰囲気は隠しきれていない。



(護身の為に格好だけは男だが…やっぱり中身は女子だな)



心のうちでそんなことを考えながら再びトシに視線を戻す。


彼はこちらのやりとりに気づいておらず、店主と仲睦まじそうに会話をしていた。

 



「兄ちゃん!これで最後だよ!沢山頼んでくれてありがとうなぁ」



「いやいや礼はいらねぇよ。大将もこの前はありがとうなぁ。今日はたらふく食べさせてもらうぜ!」



「ええ。お2人も、どうぞごゆるりと」




店主はユキとシゲにそう告げた後、軽く頭を下げ席を後にした。




「この前って何かあったの?」



「いや、まあ大したことじゃねえよ」




シゲの質問にトシは視線を逸らしながら答えた。


その様子にユキは眉をピクリと動かす。


トシはガキの頃から良くも悪くも何1つ変わってない。


嘘がつけない上に喧嘩っ早くてとんでもない負けず嫌いだ。



(そうだ。初めて殴り合いの喧嘩をしたのもこいつだったけか…)




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「おい」




急に向けられた敵意に、幼いながらも緊張感を感じたことを今でもよく覚えている。


すっかり陽も沈み寒さで手足が悴んで稽古が捗らなかっ為、滝に打たれ屋敷に帰ってきていた極之の体は氷のように冷え切っていた。


頭は冴え冴えとし夜空に浮かぶか細い三日月を眺めながら、庭を歩き己の運命を悟る。


素肌を突き刺すような凍てつく滝に打たれても尚、彼の心の闇が解けることはなかった。


そんな中向けられた敵意。


しかし、動じてはならない。


原田の嫡男として将来家を継ぐことが約束されていた極之は、幼い頃からそう厳しく躾けられていた。


どんなことがあっても決して動じてはならない。




「…」




無言で振り返ると、そこには全身傷だらけの同い年くらいの少年がこちらを刺すような視線で睨みつけながら仁王立ちしていた。




「俺と殺り合え」




少年はいつまで経っても無反応な極之に対してギリっと音をたて歯軋りをすると、どこからか持ってきていた木刀を構えた。




「ほう。俺達のような無能とは違って嫡男様はさぞかしお強いんだろうなぁ。…いや、坊ちゃんとして日夜甘やかされて育ってるだろうから喧嘩の1つもしたことねぇか?」



「…あ"?」




少年の心無い一言を聞いた瞬間頭の中が真っ白になる。


胸の奥で何かがプツリと切れた音がした。


今日はいつも以上に身も心も酷く疲れ切っていた。


それが理由なのかもしれない。


感情の制御がうまくできなかった。


それからのことはあまり覚えていない。


気がつけば俺は仰向けに倒れたまま夜空に漂う雲をぼうっと目で追いかけていた。



(俺は…一体…)




「くそやろう…痛えじゃねぇか」




不意に聞こえたその声に、極之は痛む体の悲鳴を無視してなんとか起き上がる。


そこにはふらつきながらも木刀を支えになんとか立つ先程の少年の姿があった。




「何をしてしまったんだ…俺は…」




地獄のような日々の稽古でもここまでの深傷を負ったことがなかった極之は、初めての感覚に困惑し自分が何をしたのか必死に思い返した。


そして自分を獲物のように鋭く睨みつける少年の瞳の色を伺うように、同じく見つめ返した。


一見、彼の傷は極之よりも酷く見える。


しかし痛みを堪えているような素振りも見せず、それどころか再び木刀を構え直し極之に向かって振り上げ駆け出してきた。


極之はその攻撃を躱し、咄嗟に少年の腹部にしがみついた。




「お前!こんな怪我して暴れまわるな!悪化させたいのか!!」




少年は極之を引き剥がそうと肩や背中を木刀で殴りながら怒声をあげる。




「はぁ?本当に癪に障るやつだぜ!俺達の命なんて初めからあってないようなもんだろうが!」



「はぁ!?何言ってやがる!というかお前は一体何者なんだ!武家の屋敷に侵入するなんて、殺されたいのか!?」




その時、屋敷の中から自分を探す家臣たちの声が聞こえ極之は動揺し腕の力を緩めてしまう。


その隙に少年は極之を突き飛ばし再びこちらに向かって木刀を構えた。


極之は全身を地面に打ち付けながら転がる。


砂利が傷口に擦れたのか、じんじんとした鈍痛を感じた。




「俺の名前は勇臣!お前の弟だ!このクソッたれ!お前なんか…お前なんか…!!」



「勇臣…?…弟…」




極之は地面に突っ伏しながら、ぼそりと呟いた。


(弟…?ということは…あの傷も、試験稽古で師弟としての適性がないと判断されたのか。それならあいつはこのままだと…)


朦朧とした意識の中、複数の足音がだんだんとこちらに近づいてくるのを感じ極之はガバリと顔をあげる。


そして勇臣の顔をじっと見据えた後、叫んだ。




「逃げろ勇臣!!」



「はぁ!?」




勇臣は眉を大きくうねらせ反抗する。


極之はなんとか再び起き上がり、彼の肩を突き飛ばした。


勇臣はふらつきながらもなんとか立ち続け困惑したような表情で極之を睨み続ける。




「勇臣!お前は生きろ!逃げるんだ!」



「何を言って…」




そこでようやく家臣達の足音に気付いたのか、勇臣はハッとした様子で目線を泳がせた。


極之は護身用に持たされていた小刀を勇臣に押し付けると無理やり手に持たせる。




「こんなもんが何の役に立つかわからんが…」




勇臣は目を瞬かせ手にした小刀を慎重に握りしめる。




「もう二度とここに戻るな」




極之はそういうと「行け!!」と低く諭した。


すると勇臣は肩をびくつかせ、弾けたように踵を返す。


辺りを警戒し彼の背中が見えなくなるまで見送った極之は、強ばらせた全身の力を抜き胸の奥底から深く息を吐き出した。



(これでうまく逃げ切れるかどうかは、あいつの生命力次第ってとこか。まぁ。あの感じなら大丈夫そうだがな)



そう思ったのも束の間、すぐ近くまで駆け寄ってきた家臣達に取り囲まれた極之は、すぐにいつもの毅然とした表情に戻した。




「極之様!こんな所にいらしたのですね!」



「極之様!そのお怪我はどうされました!?当主様に露見したらなんと言われるか…」




家臣は顔を青くさせ、極之に羽織を着せた。


極之は周りに聞こえないように少し距離をとり「ふん」と鼻を鳴らす。




「ちょっと野生の猿に襲われただけだ。大した怪我じゃない」



「さ…猿?ですか?」



「ああ。もう逃げたから別に探さなくてもいい」



「…御意」




家臣らが戻ってから、極之は着せられた羽織を脱ぎ捨て殺風景な庭の中央でただ1人立ち尽くした。


闇の中、ハラハラと舞い散る雪は極之の髪を濡らし清らかな雫となって地に落ちる。


孤独など、些細なことだ。


決められた時間、宿命の中で、これからの人生をどう好きに生きるか。


何を糧に生きるか。


不意に、先程勇臣につけられた傷が疼いた。


そして記憶が飛んでいた部分が蘇り、手加減抜きに勇臣とやり合った光景と、その時感じていた妙な高揚感を思い出す。




「好きに…生きるか」




この時初めて、俺は生き甲斐を感じたんだ。

最後までお読み頂きありがとうございます!

作者の紬向葵です。

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