《番外編》小姓のお仕事(前編)
・弦皓 呼名は一音。音を使った気術を使う。
・紬 呼名は向葵。冷静沈着な少年。
・志詩 呼名は風翠。イトとムギの小姓。
「弦皓様起きてください」
「んーー」
「弦皓様、起きてください」
「ん"ーーん!」
「弦皓様、よろしいのですか?本日は紬様との朝稽古の日です。私は構いませんが…もうそろそろ…」
廊下側に耳を澄ますと、僅かながら足音が聞こえて来る。
未だこちらに背を向け寝息を立てていたその人物も耳をピクリと動かした。
どうやらこちらに歩み寄る足音に気づいたようだ。
慌てて布団から飛び起きると口元についた涎の跡を袖で拭い、長くて艶のある黒髪を豪快に束ねた。
前髪には寝癖も残っているがその端正な顔立ちのせいかそれも敢えてそう跳ねているかのように見えてしまう。
(しかし流石にあの髪は後で門弟の方々に見られる前に整えて差し上げないといけませんね)
「フミ!今日の朝餉の魚、いつもより多めに頼むよ!」
弦皓は先程まで寝ていたとは思えないほど溌剌な声でフミにそう言うと、幼子の様に愛らしい笑顔を浮かべて走り去っていった。
「無事に帰ってきてくださって…よかったです」
あのお方があんなに嬉しそうな顔をするのは紬様の前だけ。
今見たものはほんのお裾分けと言ったところでしょうか。
フミは散らかった布団を素早く片付けると、朝餉を作るため弦皓の部屋を後にした。
まだ仄暗い空には有明の月が浮かび、庭の奥からは弦皓と紬の声が響いていた。
昨晩、神皇家が催した闘人という影赦狩りの任務に参加していた弦皓達がひと月ぶりに屋敷に帰ってきた。
弦皓は冷酷無慈悲と怖がられている反面、紬の前だけで見せるあの子供の様な笑顔に困惑する門弟も多い。
彼の剣術の凄まじさは藤堂家の外にも人伝に知れ渡っているほどだ。
それに加えて、藤堂家の律術も引き継いでいる。
故に、彼は幼いころから鬼の武者"鬼刀律術者"の雅号を得ていた。
「さて」
フミは湿度の高いこの地域特有の霧がかった景色と朝日が作り出す幻想的な夜明けが好きだった。
– 今日も、小姓の一日が始まります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ここは、留置所…ですか?」
突如目の前に現れた古い木の柵で作られた大きな入口は独特の存在感を放っていた。
その中はどれだけ凝視しても闇しかなく、カビ臭い匂いとジメジメした空気が漂っている。
ムギはフミの問いを無視すると、入り口に貼られた札を剥がし早足に中に入っていった。
お昼頃共に屋敷を出たフミと紬は、町の外れにある森の奥にひっそりと佇むこの場所に来ていた。
そこは松明の灯りがなければ目視では何も見えないほどに真っ暗な、外部と隔離された場所だった。
(ここが、藤堂家が隠密に罪人を捕らえている牢屋…もしかして私が間者だと露見してしまったのでは)
冷や汗が首筋から背中を伝い、緊張感で心臓がどくどくと血液を全身に送っている音でさえ今は鮮明に聞こえる。
すると1番奥の大きな一室の前で足を止めた紬はフミに松明を持たせ、格子造りになった扉を開いた。
ギギ…と不気味な音が辺りに響き渡る。
フミは紬の後に続き、松明で部屋を照らした。
「え…」
そこにいた白髪の少年の姿に思わずフミは声を漏らした。
仰向けの状態で両手を腹の上で揃え固く目を閉じたその人は、ただ眠っているのか息をしていないのか判断がつけられない。
整ったその顔立ちと闇の中で際立つ白髪、微動だにしないその様子はまるで巧妙に作られた本物そっくりの人形のようだった。
「…紬様この方は?」
「客人だ」
「客…人?えっと、弦皓様はどちらに?」
間髪入れずに答えた紬の言葉にフミは思わず眉を顰める。
(" 客人"を留置所に…?ということはこの人は生きているということでしょうか)
「あれ、ムギこんなところにいたの?フミまでいるじゃん」
思考を巡らせている間に突如現れた弦皓は紬の背後からちょこんと顔を出し、いつから後ろにいたのかと目を丸くし驚くフミを見てにやりと笑う。
その首筋には朝は気づかなかった刀疵の痕が松明の灯りではっきりと見えた。
「ちょうど君の話をしていた」
「へぇ。なに?僕の噂話?悪口かな?」
「そんなことありませんよ。って、弦皓様その傷は?」
弦皓は微かに「あっ」と声を漏らすと、慌てて手でその傷痕を隠し苦笑いで誤魔化した。
弦皓は怪我の治療が嫌いだ。
刀で斬られる方がよっぽど痛いだろうに、治療の痛みを真底嫌っている。
薬の独特の匂いとあの刺すような滲みる感覚が生理的に受け付けないんだとか。
フミは弦皓達よりも随分と年上だ。
どんなに強い剣士とはいっても彼も中身は子供。
どうせすぐに露見してしまうのに、毎度懲りず必死に逃げ回る弦皓を捕まえ治療をするのも私の務めの1つだ。
フミは弦皓の傷を見ようと首筋に手を伸ばした。
「横になったら3秒で寝れる才能持ってたはずなのになぁ…」
その瞬間突として響いた声に、場にいた全員が固まる。
「え?」
「ん…」
思わずフミが漏らした声に反応するように、もう一度紬でも弦皓でもない別の声が聞こえた。
その声はフミと同様に困惑しているような響きを含んでいた。
声の主は明らかだ。
3人は迷うことなく部屋の中で横になっている白髪の少年に視線を送った。
しばらくそうしていると弦皓は「ふんっ」と鼻で笑いながら少年に近づき耳元に顔を寄せる。
フミも彼の後に続き、弦皓と少年の周りを松明で照らした。
「へぇそうなんだ。じゃあ眠れるように僕が手伝ってあげようか?」
弦皓の声音が変わった。
彼は切り替えが凄まじい。
先程までフミに見せていた子供じみた顔は嘘だったのではないかと思うほどに、今の弦皓の表情や声はどこか妖艶で殺気があり、腹の奥底に闇を潜めた大人のような雰囲気を醸し出している。
この彼の雰囲気に門弟はいつも怯えているのだ。
しかし少年はそんな彼に臆することなく「ふふ」っと小さく笑うと落ち着いた声で答えた。
「あなたの言い方なんだかいつも怖いんですよね。ちなみに僕は今一体どういう状況なのですか?」
少年は若々しい見かけによらず冷静沈着で、殺気を纏った弦皓を宥めるように問い返す。
しかし目は閉じたまま。
フミは少年を頭から足先までじっくりと眺め、そこでやっとこの少年は紬に術をかけられて体の自由がきかないようにされているのだと悟った。
「君、本当に怖いもの知らずだよね。ちょっとは殺されるかもとか思わないの?」
武家の人間に囲まれ、視界も体の自由も奪われている。
普通なら緊張感でおかしくなりそうな状況の中、この少年は再び弦皓に脅されながらも動じることなく困ったと言わんばかりに眉尻を下げている。
(この人は一体何者…?どんな精神をしていればこの状況で笑っていられるの?
フミがそう不思議に思っていると、隣に立っていた紬が少年の近くに座り込む弦皓の肩に手を置く。
弦皓は黙って立ち上がると、紬と入れ替わるように入り口付近に後退した。
紬は横たわる少年に向かって手を翳し、指先から青白い電流のような光の線を発生させる。
その光がバチッと音を立てた瞬間、少年はゆっくりと目を開いた。
そしてしばらく辺りを目線だけで確認した後、弦皓に視線を向け苦笑いを浮かべる。
「そんな怖い顔で睨まないでくださいよ」
そしてフミは藤堂の屋敷の一室で隔離されることになった仁の監視役を任された。
平家・極夜の一族。
童子の誘拐や殺害、極悪非道な呪術で国の治安を荒し続けてきたと言われているあの平本家の人間がこんなにも礼儀正しい少年だとは。
どこまでも怖いもの知らずで不思議な少年。
平 仁に感じた最初の印象はこんな感じだった。
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
このお話が面白いと思った方、
続きが気になると思った方は
ブックマーク、評価お願いします!!




