《番外編》林兄ちゃんの初任務(前編)
・林之助 8歳。呼名は凛。面倒見のいい真面目な次男。
・海道 6歳。呼名は壊。元気盛りの暴れん坊。双子の兄。
・花心 6歳。呼名は英。人懐っこいおませさん。双子の妹。
・風優花 4歳。呼名は福。平家の末っ子。
「ちょっと海道!!走らないでください!!」
「大丈夫だって林之助!」
「何が大丈夫よ!皆あんたの心配してるんじゃなくて逸れるなっていってんの!」
猿のように木の枝から枝へと飛び移りながら移動していた海道は、花心から叫ばれてやっと頬を膨らませ輪に戻ってきた。
肌を焼き付けるような日差しと纏わりつくような湿った空気の中、ここまで元気に動き回れる海道の体力は無尽蔵なのかと若干呆れと皮肉も込めて思う。
「誰のせいでこんな山奥に入り込んだと思ってんのよこの馬鹿!」
「はぁ!?馬鹿はないだろう!そもそも花心が俺のケツを蹴ってくるから俺は逃げていただけで!」
「海道が先に私のこと馬鹿にしたんじゃない!」
「お前が俺に突っかかってくるからだろ!」
林之助はいつものように言い合いを始めた二人を横目に大きくため息を吐き、自分の腰に腕を回して涙目で見上げる風優花の頭を撫でた。
どうしてこんな深い山奥まで来てしまったかというと、そこには深い深い事情があるわけなのですが…
簡潔に述べるとしたらそれは単純に
"迷子になった"と言えば伝わりますでしょうか。
僕は今年で8つになる。
今日は父様が姉さんと兄さん、真白を連れて町まで用事があるといい出かけ、残された僕らは家で留守番を任されていた…
のですが、今はこんな山奥に来ています。
いつものように稽古をするため風優花を連れて道場に向かっていた途中で、庭先で喧嘩をする海道と花心が今日はどうしてか林の方に走って行ったものだから
慌てて追いかけ…こんなところまで来てしまった、ということなのです。
「あーあ、兄ちゃん達が偶然ここまで来てくれたらいいのになぁ」
海道がそうぼやいた言葉を意識の片隅で聞き、林之助は湧き上がった苛立ちをぶつける相手を探す。
そうして見つけた相手の顔を思い浮かべると想像以上にふつふつと膨れ上がった何かを心中で吐き出した。
(どうせ内緒で真白に稽古をつけるとかそういったところでしょう)
林之助は鎮まりかけていた何か…”嫉妬心”がまた膨らみ始め唇をぎゅっと窄めた。
真白は僕や海道たちよりも年下なのに信じられないくらい凛としている。
その上この家にきて半年で父様に腕を認められ、数年前から鍛錬していたサク兄さんと同じ段階の稽古を受けている強者だ。
(僕はまだ木刀だって持たせてもらえてないのに…)
林之助は目尻に涙を浮かべ口元を引き攣らせた風優花を抱き上げると「わーーー!!!!」と雄叫びのような声をあげ海道たちの動きを一瞬で止めた。
「神が僕を試している…これは、僕の初任務だ!!」
呆然と固まった兄妹たちはボソボソと一人で呟く林之助を見つめる。
花心はどこか引いたような目つきで彼を見遣り、海道はにやりと含みのある笑みを浮かべた。
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「ちょっとなんか林之助暴走してない?大丈夫かな」
「大丈夫だって。この俺に全て任せろ」
海道はひそひそと耳打ちをしてきた花心の横腹を人差し指で突き、自信に満ちた表情で答える。
花心は続けて突こうとした海道の指を握りしめ睨みを利かすと、辺り一面うっそうと生い茂る草木の香りを胸いっぱいに吸い込み吐き出した。
「…でも私こんな山奥にまで入ったことないわよ。あんた、迷子になったりしてないでしょうね」
「なわけないだろっ」
海道は声を潜めながらも得意げに鼻の下を伸ばして答える。
花心は海道の頬を片手で摘み自分に引き寄せ耳元近くで囁いた。
「じゃあ、どっちに行けばいいの?なんだかんだもう少しで帰らないと準備に間に合わないでしょ」
「ん?しらねぇよ」
「…は?」
海道は花心に頬を摘まれたままキョトンとした顔で答える。
そのまさかの返答に花心は心の底から何を言っているのかわからないと思い、たった一文字にその感情を込め吐き出した。
「知るわけねぇじゃんー。俺だってこんな山奥に来たのは初めてなんだから」
そんな花心を横目に海道は頭の後ろで腕を組み呑気に大あくびをしている。
その様子に花心は堪忍袋の緒がきれ、海道の頬を摘んでいた指先に目一杯力を込めひねる。
「いっっっっっってぇええ!!!!」
「あんたは本物の馬鹿だったのね!!」
「何がだよ!?」
「わかってないことが馬鹿だって言ってんのよ!!」
二人は互いに頬を摘み合い、近距離で絶叫し合う。
動物たちは最初の海道の叫びに驚きビクりと身体を震わせ、食べられると言わんばかりに逃げ出してしまった。
「この俺に任せれば全てなんとかなるんだよ!!」
「意味わかんないこと言ってんじゃないわよ馬鹿!」
「二人ともなに言い合っているんですか!?」
止めに入った林之助が2人の間に入り両手を左右に伸ばして制する。
その様子を一人見守っていた風優花は、逃げ遅れた子うさぎを抱き上げ呟いた。
「あなたも、迷子なの??」
大声で叫ぶ3人を見てすっかり気持ちが落ち着いた風優花は目尻に溜まった涙を拭いながら、困ったと眉尻を下げる。
海道と花心は6歳、風優花はまだ4歳。
しかしこの中で一番落ち着いているのは、誰がどう見ても最年少の彼女だろう。
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「日が暮れてしまったら危ないですからひとまず山を登りましょう。山頂付近に家があることは確かですから」
林之助は額に滲んだ汗を拭いながら、何故か顎を持ち上げ不敵な笑みを浮かべる海道がまた単独行動に出ないよう釘を刺す。
これは、神が僕に与えた初めての任務。
だからこそ必ず皆を安全に家に連れて帰ってみせる。
この暴れん坊兄妹をまとめられるのは他でもない僕!
自由人な兄に代わって、この子たちの面倒を昔から見てきたのだから。
林之助は大きく息を吐き、両腰に手を当てる。
ドクドクと心臓の音が鳴り響き、緊張で胸が大きく起伏しているのが自分でもよくわかった。
張り詰めた精神を整え、満を持して口を開く。
「それじゃあ!今から僕の言うことに従い…」
意気揚々と喋り出した林之助が急に口籠もり、海道と花心はキョトンとした顔で互いに目線を送り首を傾げる。
(こういう時、サク兄さんならどうする…)
この時林之助の頭に浮かんでいたのはそんな疑問だった。
そうだ。僕だからわかることがある。
この数年間、暴れん坊な兄妹たちの面倒を散々みてきたじゃないですか。
大体、僕が真面目に話をしてもこの子達は聞く耳を持たず自由奔放に好き勝手していた。
そう…そんなところはどっかの誰かさんにそっくりだ。
一つ歳を重ねたんだ。
もう同じような過ちは繰り返さない。
何事も学習…僕は真面目しか取り柄がないんだから。
「いや…違う。やめましょう」
「へ?」
「は?」
「…え?」
息を吐くように呟いた林之助の言葉が理解できず、3人はほぼ同時に間抜けな声を漏らした。
花心は眉毛を八の字にし、海道は口元を歪ませ突然謎の言動をし始めた林之助を面白がっているようだ。
風優花は依然としてうさぎを抱いたまま、どこか気の抜けたような表情で林之助を見つめる。
林之助はそんな兄弟たちを順に見遣り、頭の片隅にあったとある作戦を実行しようと決心する。
「今から勝負を始めます!!」
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海道は前方を走る林之助を全速力で追いかけながら石を投げつける。
「くっ…」
「へっへーー!どんなもんだい!!」
放った石は林之助の髪を掠め、彼の体制を崩させた。
「やっ!」
「いって!?てんめっ、花心!不意打ちはずるいぞ!」
「ふん!勝負は相手の隙をついたもん勝ちなのよ!」
花心が投げつけた石は海道の後頭部に命中した。
チッと舌を鳴らした海道が頭を抱え立ち止まった隙に、花心は彼を追い越し林之助に触れようと手を伸ばす。
「捕まえた…って、え!?」
林之助は花心の手が触れそうになった瞬間枝の上に飛び乗り、その手を躱した。
「ちょっと!そんなの有り!?」
「二対一なんですからこれくらい許してくださいよ」
林之助は木の根元で頬を膨らまし叫ぶ花心を宥めながら、抱き上げていた風優花の頭を優しく撫でる。
「風優花、大丈夫ですか?急に飛び跳ねてすいません」
林之助の言葉に風優花は何度か首を振ると、黙ったまま彼の腰に手を回し、背中で自分の手と手を繋ぐと離れないように力を込めた。
そう、僕らは今鬼ごっこをしている。
競争が好きなあの子たちなら、僕を鬼にして捕まえられた方が勝ちだと言う単純な遊びに食いつくだろうと思ったからだった。
予想は的中。
林之助は彼らから逃げながら、太陽が沈み始めた方角に向かってひたすら走っていた。
けど風優花を背負うではなく抱いているのをいいことに、背に石を投げてくるというのは聞いてない!!
(早くなんとか家につかなくては…)
林之助はそのままもう一つ上の高さにある太い枝に飛び移り、時期到着するであろう家を探した。
「あった!」
雲行きが怪しくなり、暑さと共に湿気を含んだ空気が辺りを包む。
そんな中、林之助は木々に囲まれた平家の家屋を見つけ安堵し、強ばらせていた肩の力を抜いた。
あと少しで、帰れる。
「よし…っ!?」
そう思った瞬間背後から何者かの気配がし、林之助は即座に振り返る。
するとそこには、先ほどまで木の根元でこちらを睨んでいた海道の姿があった。
「気を抜いたな!林之助!!」
海道は林之助が立っていた枝の上に登り、素早く手を伸ばしてきた。
林之助は慌てて身を翻し隣の木に飛び移ろうとする。
しかし前日降った雨のせいで湿っていた枝は滑りやすく、上手く踏ん張ることができなかった林之助は、自分の身長の5倍はあるであろう木の上から落下する。
ふわりと舞う身体は鈍重な動きをし、時の流れが狂っているような不思議な感覚に陥る。
(このまま落ちたら流石にまずい…)
そんなことを考えながら重力に逆らえず地面を睨みつけていると、不意に襟を掴まれ喉仏に圧がかかり、林之助は激しく咳き込んだ。
「っけほ…海道…ですか?」
「…動くなよ」
問いかけを無視した海道は、両手で林之助の襟を掴み顔を真っ赤にしながらそう呟いた。
「海道!絶対手を離さないでよ!」
「わーってるって!うるさいな!」
花心はなんとか2人を受け止めようとしているのか、落下点で両手を広げてあわあわと行ったり来たりしている。
「流石にそれは厳しいのでは…」
林之助はその様子を見下ろしながら苦笑いし、腕の中で震える風優花の体をそっと引き離すと、脇の下を掴み真っ直ぐ彼女の目を見つめた。
風優花は眉を歪め涙目で林之助を見つめ返す。
その数秒で林之助の意図を察したのか、彼女は静かに頷いた。
(この子だけでも必ず助けてみせる…)
そう誓うと、林之助は枝の上で自分の襟を掴み手を離すまいと引っ張る海道に向かって叫んだ。
「海道!風優花を抱き止めてください!」
「はぁ!?林之助はどうすんだよ!手を離さないと流石に受け取れねぇよ!」
「だから!手を離してください!」
海道は目を見開き首を何度も横に振る。
その瞬間海道の手が滑り、林之助の身体は僅かにずり落ちた。
なんとか持ち直したため落ちはしなかったものの、もういつ手が離れてもおかしくない状態になっていた。
極限状態まで追い込まれ、冷や汗が止まらない。
手汗で風優花を滑り落とさないように震える腕に力を込め、もう一度海道に向かって叫んだ。
「海道!僕はなんとか着地できます!だから、いいですか!?風優花をちゃんと受け止めてくださいよ!」
「いや、待てって!!」
林之助は風優花の目を見てゆっくりと頷き覚悟を決めさせると、彼女の小さな体を海道に向かって放り投げた。
「ちょいちょいちょい嘘だろ?!!」
海道は慌てて宙に舞った風優花の腕を掴み、自分に引き寄せ抱き止めた。
「よし」
心臓はバクバクと音を立て、初めての感覚に息が苦しくなるのを感じた。
軽くなった身体は想像していたよりも早く地面に向かって真っ直ぐ落下していく。
(何度も頭で動きを練習した。できる…僕ならできる)
ほんの数秒の出来事だ。
迫り来る地面を睨みつけ手足に力を込めた。
「う"っ…」
その刹那、全身に何か熱いものが駆け巡るような感覚がし林之助は意識が遠のいていくのを感じた。
(もしかして、これが死という感覚なのだろうか)
暗闇の中、温かな光に手を伸ばしそれを掴み取るすんでのところで脳内に微かな声が響く。
(あっつい…)
全身が熱を纏って今にも火傷してしまいそうだ。
「誰か」と声をあげようにも喉が塞がっているような感覚と麻痺したように動かない瞼のせいで途方もないほどの焦燥感に溺れる。
(もしかして、僕死んでしまったのでしょうか。ああ…なんだか複雑だけど、嬉しいかもしれない。…ん?嬉しい?…どうして…だろう…)
僕は一体…今世で何を残したかったのだろうか。
地位?名誉?
いや、そんな大其れたものじゃない。
その答えは分かっているけど…ちっぽけすぎてきっと笑われてしまうだろうな。
まぁでもひとまず、風優花を助けられたのなら。
(もう…いいや)
最後までお読みいただきありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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