第六十三話 わがまま
【登場人物】
●平家
・ジン 元の名は鎮。字は仁。白髪の少年。
現在は平家の長男。藤堂家に捕らえられている。
・サク 字は桜。仁と同じく平家の長男。
原田家の者と共に襲撃された藤堂の別宅に向かう。
・チズ 字は千鶴。襲撃後の藤堂家に現れた。
・花心 数年前に生き別れた妹。
翡翠と名乗り、フミと行動を共にしていた。
・真白 突如現れフミを殺害し、再び姿を眩ませた。
・林之助 千鶴と共に行動していた。ジンと花心と再会する。
⚫原田家
・ユキ 字は極之。原田家の長男。
雅号は対狼。
・シゲ 字は茂之 。山犬使い。
まだ幼く喧嘩早い。
・トシ 字は勇臣。女好き。
ユキの弟。ユキと共に対狼と呼ばれている。
●その他
・夜雀 容姿は海道。原田家と何らかの関わりが?
・紅藍 巫女姿の女。夜雀の仲間?黒猫の面。
・慈実 残血の子孫。シゲと呼ばれている。ユキの許嫁。
令眼と言われる琥珀色の瞳を持っている。
- ワオーーーーーン
どこからともなく轟いた獣の声で浅い眠りから呼び覚まされたユキは隣にいたはずのシゲの温もりがないことに気づき布団から飛び起きる。
布団の中から見える範囲の場所に、シゲと茂之の姿はなかった。
「こんな時間に…何してるんだ」
ユキはなにやら激しい胸騒ぎを感じ、壁に手をつたいながらなんとか縁側を歩いて2人を探して回った。
その手には、槍の代わりにシゲが置いていった護身用の小刀を持っている。
屋敷中を探し終わり、それでも2人の姿が見つからないことに焦ったユキは一度寝所に戻ろうと踵を返した。
「なっ…」
そこにいた思わぬ姿にユキは息を呑む。
真っ暗な視界の中、まず最初に目に入ったのは琥珀色の鋭い瞳と真っ白な牙。
そして暗闇の中でも闇に溶け込むことなくその存在感を堂々と見せつけるかのような、艶やかな濡羽色の毛並み。
自分も对狼と言われてきていたユキだったが、初めて見た自分とほぼ変わらぬ程の大きさの獣に思わず見入り、言葉を失ってしまった。
しばらく呆気にとられていたユキは獣がグルルと喉を鳴らした事で我に返る。
「狼…?いや、山犬か…?」
獣は凶暴なその見た目とは裏腹に姿勢良くその場に座り、こちらを見据えている。
ユキは襲ってくる様子の無いことを確認するとその獣と目を合わせたままゆっくり後ずさった。
(なんでこんなところに獣がいるんだ。今の俺じゃ、太刀打ちできねぇ)
すると獣は立ち上がり、一定の距離を保ちながらユキに着いててきた。
「なんで着いてくんだよ…」
獣のまさかの行動にユキは戸惑い、苦笑いしながらもなんとか廊下の角まできたところで何かが背中にぶつかった感覚がしハッと振り返った。
「おや。ユキじゃねえか。おめぇこんな時間に何してんだよ」
ユキは空気を読まず、いつも通りの声量で話すその人物に苛立ち睨みつけ舌打ちをした。
「っち…トシかよ」
「ちってなんだおまっ…ん?!」
ユキはまたもや声を荒げようとしたトシの口を素早く塞ぐと、目線で合図する。
この男は本当にいくつになっても空気が読めない。
なんとかトシの口を塞いでいたユキだったが、何日間も床に就いていたせいで以前は負け知らずで有名だった腕力も今では慈実といい勝負になってしまうほど衰えていた。
それ故にトシはいとも簡単にユキの腕から逃れ再び大口を開く。
「はぁ!!?なんだよあれ!!お前の飼い犬か!?」
「んなわけねえだろ!いいから黙っとけ!!」
「てかユキ、あいつと茂之はどうしたんだよ!」
目の前に立ちはだかっていた獣はトシの叫びを聞くと、今まで一定に保っていた距離を詰めだした。
そして2人の目の前まで歩み寄ると、その場で伏せをしまさしく濡れた烏の羽のように美しく大きな尻尾を揺らした。
その様子につかみ合っていた2人は目を丸くして互いを見つめ合うと大人しく動かない獣に恐る恐る近づく。
「茂之!!??」
ユキは獣の背中の上ですやすやと眠る我が子を抱き上げる。
獣の毛に守られていたお陰か、こんな凍てつくような寒さの中でも茂之の体は熱を帯びていて頬はほんのり赤く染まっていた。
子の無事を一安心したユキは自分の羽織りで小さな体を包み、冷えないように温めた。
獣はユキが茂之を抱き上げたのを確認するとゆっくり立ち上がり、踵を返す。
そして屋敷の屋根上に登ると、振り返りユキ達をじっと見つめ屋敷の外へ飛び降りた。
「おい、あの獣ってもしかして、こいつの…」
トシはユキの腕の中で眠る茂之と先程まで獣がいた場所を交互に見ながらボソボソと呟く。
ユキは彼が言わんとしている事を自分でも理解していた。
しかし今は、あの獣がどうも自分をどこかへ導こうとしてくれているのではないかと気になってそれどころではなくなっていた。
そしてそれと同時に、もし自分の考えが間違ってなかったとしたらそこに居るのはあの人物のはずだという根拠のない確信があった。
ユキは茂之の綿のように柔らかな細髪を撫でた後、起こさないようにそっとトシに抱き抱えさせる。
「は?…なにする気だよ」
トシは急に子を抱かされ、意味がわからないと言いたげに眉を顰めた。
ユキは腰紐に結びつけていた珠袋を引きちぎりトシに押し付けると、持っていたシゲの小刀で自分の髪をばっさりと切った。
その光景にトシは言葉を失い、目を剥いて後ずさる。
ユキはそんなトシに詰め寄り切り取った髪の束を掴んだ手を掲げる。
「俺が戻れなかったら…頼む」
切り取られた赤茶色の髪は宙に投げ捨てられはらりと舞い踊る。
ユキの覚悟を決めたその眼差しは、木枯らしがつれた冬の気配よりも鋭く真っ直ぐにトシの心臓を射抜いた。
そのまま山犬が向かった方角を一瞥し、急いで後を追い駆け出したユキの背が見えなくなるまでじっと目で追い続けたトシは、唇を噛み締め子を抱く腕をわなわなと奮わせた。
「…馬鹿野郎」
“頼む”
そのたった一言に込められた想いと重みにトシは言いようのない憤りと侘しさを覚え、耳が痛くなるほど静かで虚無な空間に切なる想いを口にした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
少女は自分に歩み寄ってくる静かな足音を聞き、ゆっくり振り返った。
「茂之…引き継いでくれたね。原田の創術。
にしても、山犬だなんて」
「…」
「やっぱりユキちゃんの子なんだなぁって思ったよ。大きくなったら山犬使いなんて言われるのかな?私、すごく誇りに思うよ」
ユキは丘の上に立つ少女の話を黙って聞き続けた。
すると少女はユキの元へ近づき彼が手にしていた小刀に手を触れた。
「私を殺してくれるの?」
ユキは彼女が発したその言葉に目を剥く。
数年前にも見た感情の読めない淡々とした口調で話す無の眼差しをしたシゲにどこか諦めのついたユキは、小刀を彼女に持たせるとそれを抜き払い切先を自分に向けた。
「お前が殺せ…シゲ。そして逃げろ」
シゲは珠袋からあの日つけていた面を取り出すと、それを自分の顔につけ小刀を持つ手に力を込めた。
それを見たユキは両手をだらりと力なく下ろす。
「…何も聞かないの?」
「…」
「勘づいてた?」
「いや」
「…じゃあ、私が聞いてもいい?」
「時間が無いから、1つだけな」
シゲは、喉元に刃を押し付けられながらも自分を見下ろし優しく微笑むユキを見上げ、胸の内に渦巻いていた感情を抑えられなくなりそうになり、面の奥の潜ませた琥珀の瞳を固く閉じた。
「私を…慕っていますか?」
「当たり前だ」
「…そっか」
「そんじゃ、時間だ。…幸せになれよ」
ユキはシゲの返事を聞き終わると刀を持っていた彼女の手に手を重ね、自分の喉元に押し込もうと力を込めた。
死を覚悟したユキの心情は雲ひとつない快晴の空のように清々しく心地よいものだった。
そしてそう感じている自分を客観視して初めて、ユキは自分がこんなにも彼女のことを愛していたのかと実感した。
「なっ…」
ユキは自分の喉を掻き切ろうとした手が全く動けなくなっていることに気づき、サっと血の気が引いていくような感覚がした。
(まさか…冷眼の…力…!?)
「ユキちゃん。しばらくの間辛い思いさせてごめんね。あの子が創術を受け継いだかどうかだけ、確認したかったの」
そう言うとシゲは自力で動けなくなったユキの手を取り、刃先を自分に向き変え左胸に押し当てた。
「はあ!?何言ってんだお前!何考えてやがる!」
ユキは思わず声を荒げ必死に抵抗しようと試みるもその頼みは聞き入れられず、シゲは重ねた手に力を込め今にも心臓を一突きしようとしている。
ユキは焦り混乱した頭でなんとか彼女にやめさせるための言葉を考えようとするも、心拍数が上がり呼吸が荒くなるばかりで全くいい言葉が思いつかないでいた。
「頼むから…俺に…お前を殺させないでくれ…」
やっとの思いで出た言葉は、そんなひ弱で切なる思いだった。
漢の中の漢だと民に噂されていた勇ましき武士・原田極之はもうそこには無く、晦冥の夜の中涙を流しながら懇願するその人は、紛れもなくただ1人の妻を愛する男だった。
ユキのその言葉にシゲの手がほんの少しピクリと引き攣る。
「こうしないと…誰も救われないの…」
ユキは微かに聞こえたその言葉にシゲの決意を感じ心臓を鷲掴みされたような動悸に襲われ、動かない体の代わりに何度も目を瞬いた。
「私は…あなたを愛しています。だけど、この記憶はあなたにとって今後障害となるでしょう。今の私の力じゃどこまで誤魔化せるかわからないけど、その心に傷が残らないように少しでも…」
「…意味わかんねぇよ…!!」
シゲはわざとらしく堅苦しい言葉でポツポツと語る。
その首筋には透明な雫が伝っていた。
「約束してほしい。最期の、わがままを聞いて欲しい」
ユキは激しく首を振るも、シゲはそれを無視して続ける。
「茂之を守って。そして…私との記憶は、忘れてください」
涙と冷や汗でぐちゃぐちゃになったその顔に片手を添えたシゲは背伸びをし、面をつけたままユキに口付けた。
「うっ…」
その瞬間、いつも戦場で感じていた布や肌を突き破るよう生々しい感覚がし、ユキは徐々に頭が真っ白になっていくのを感じた。
小さな呻き声をこぼしたシゲの体はぐらりと揺れる。
ユキには、その様が枯葉がはらりと幹から落ちるように緩やかに見えた。
ユキはその背を支えるため動こうともがくも、いまだにシゲの力がかかっているのか体はびくとも動かなかった。
「シゲ!!」
不意に香った甘い香りに息を呑んだ。
シゲのつけていた黒狐の面は衝撃で剥がれ、音を立てて地面に落ちる。
すると今までの彼女との出来事がユキの頭の中を走馬灯のように駆け巡った。
そしてプツリと糸が切れたかのように体の自由を奪っていたシゲの力が解け、ユキは横転しそうになりながらも素早く彼女の華奢な体を抱き止める。
「おい!おい目を覚ませ!シゲ!!」
ユキはシゲの頭を支え、既に力が入ってなかった冷たい手を握って何度もその名を呼んだが、彼女の琥珀の光が再びユキに届くことはなかった。
次第に朝日が登り始め、空気よりも冷たく痛いほどに凍えたシゲの体をその場にそっと寝かせたユキは、彼女の隣にあぐらを描いて座り込んだ。
虚無という感情がこんなにもふさわしい心境はら今後もう二度と味わうことはないだろう。
ユキは上半身の服を脱ぐと、腹部に一の字を書くように残された濃く、深い傷跡の上にシゲの小刀の刃を突き立てた。
「最期の悪足掻きだ。これくらい許してくれよな…シゲ」
ユキは安らかな表情を浮かべ眠るシゲの顔をチラリとみてそう呟いたあと、小刀を両手で握りしめ「ふう」と小さく息を吐いた。
「これで、俺が運よく生き延びれたら…お前との約束を、必ず果たしてみせるよ」
ユキは目の前にシゲがいるかのように誰もいない薄の揺れる景色の奥を見て優しく語りかけた。
そして覚悟を決めると、刃先を傷跡の上になぞらせながら自分の腹を引き裂いた。
「あ”ぁ…!!」
激しい痛みを感じた次の瞬間視界がぐらりと揺れ、ユキはシゲの横に倒れた。
大量に流れ出る自分の血を眺めながらユキは朧げになっていく視界の中でなんとか手を伸ばし、シゲの頬に残った涙の跡を拭った。
最後までお読みいただきありがとうございます!
作者の紬向葵です。
この話が面白いと思った方、
続きが気になる方は
ブックマーク、評価お願いします!




