第四十二話 温もり
【登場人物】
●平家
・ジン 元の名は鎮。字は仁。白髪の少年。
現在は平家の長男。藤堂家に捕らえられている。
・サク 字は桜。仁と同じく平家の長男。
原田家に捕らえられる。
・チズ 字は千鶴。行方不明。
●藤堂家
・イト 字は弦皓。藤堂家の三男。
雅号は鬼刀律術者。音を使った気術を使う。
・ムギ 字は紬。授名は錦葵。冷静沈着な少年。
・フミ 字は志詩。忍びの一族の生き残り。
イトとムギの小姓として藤堂家に潜入していた。
・翡翠 フミの仲間
「ムギ、やっぱり僕は罪を償うべきなんだ」
「…何の」
「もう誤魔化しは効かないよ」
イトは倒れた少女達の面を切先で叩き割り、その安らかな表情を昏い眼差しで眺めた。
そして自分の刀についた血を振り払いムギに背を向ける。
視線の先ではジンと謎の女が交戦していた。
そしてその傍らにはフミの姿も見える。
「あの子はきっと僕に用があってここに忍び込んでいたんだ。落とし前をつけるのは僕だけで十分。だから、もう君は僕を守らなくていい。僕の為に、自分や誰かを犠牲にしなくていい」
「…」
イトの言葉にムギはハッとした様子で目を見開き、僅かに表情を曇らせた。
「最後に、僕の本音を言わせて欲しかったな」
イトが切なさの籠った声を出したのはこの時までだった。
ジンが2人の元へ吹き飛ばされた後からはイトはいつもの皮肉を込めた子供っぽい物言いに変わり、真っ先に屋根から飛び降りフミたちの元へ走った。
「やっぱり君はあの日僕らの近くにいたんだね。僕の記憶はどうだった?」
剣戟の中、イトはフミに顔を近づけそう問いかけた。
フミは表情を一瞬強ばらせ再びイトを睨みつける。
「ええ、とても不愉快でした。まさか…自分であの本を私に取らせるように仕向けたんですか」
「さぁね。あの平家の白髪にも覗かれるなんて思ってなかったけど」
ムギは2人の会話が聞こえる距離に行こうと必死に近寄るも、翡翠に阻止されなかなか聞き取れずにいた。
「趣味が悪いですね」
フミはイトの一瞬の隙をつき彼の額にジンと同じような呪符を貼り付ける。
「イト!!」
ムギが叫んだ時にはもう遅く、貼られた呪符は塵になりイトの身体中に文字が刻まれていた。
イトは全身に電流が走ったような痺れを感じるもそれを気にせずフミに刀を振り下ろす。
肩を切りつけられたフミはその場でしゃがみこみ翡翠は攻撃をやめ、彼女に駆け寄った。
ふらつき倒れそうになるイトをムギは抱きとめ大きな庭石の陰を利用しながら遠くへ逃げた。
「イト…、君、身体が…」
「僕の体…どうなってる?猿にでも化けてるの?」
「いや、その…」
庭園の隅まで逃げたムギはイトを抱いたまま座りその姿を見つめながら言葉を詰まらせた。
珍しく動揺しているムギを見てイトは、ははっと軽い笑い声を出す。
「ムギ、さっきも思ったけど僕は君に言葉を濁されると悲しいな。はっきり言ってくれる?」
「…影赦のような…姿に」
「なるほどね」
イトは深くため息をつき「なんだ」と笑った。
自分の手を眺めながら力いっぱい握りしめては開く。
痺れが弱くなっていることを確認したイトはムギの腕から離れると、起き上がり刀を掴んだ。
「大したことない。フミには文句を言ってやりたいから、とっとと捕まえてしまおう。ムギは手を出してこないでね」
「全部わかっていたのか」
唐突にそう叫んだムギの言葉にイトは進んでいた足を思わず止めた。
しかし振り返りはしなかった。
イトが「んー?」とただそれだけ言い返すとムギは彼の手を取り後ろから強く抱きしめた。
思わず痛いと口にしたくなるほどの強さで抱きしめられ、イトは仕方なく口を開く。
「僕は頭がいいんだ。…あの時僕の奏でた音にのせられた言葉は周囲の集落まで届き、そこに住まう民達に殺し合いをさせた」
「だから…あの日記を」
ムギの囁くようなその声にイトは思わず振り返りその肩を両手で強く掴んだ。
「あの日記読んだの!?」
「すまない」
イトはムギの肩に手を置いたままわざとらしく項垂れ子犬のような表情で彼を見つめた。
「ムギばっかり僕のこと知っててずるいんだけど」
「私は最初から君に気持ちを告げていた。二度も言わない」
少しだけ眉を顰めたムギを間近で見つめ、イトはくすりと笑う。
やっぱりムギは表情だけじゃわかりにくい。
それなのに口下手なんてどうしようもないやつだ。
(僕がいないと…駄目なんだろうな)
イトは慈しむような目でその長い髪を撫でた。
サラサラと指先から流れる髪をじっくり見つめていると、その手をムギが掴み何か言おうと口を開く。
イトは瞳に切ない色を宿した。
そしてその瞬間、ムギの口に自分の手を押し当てその手の甲に軽く口付けた。
ムギは唐突なその行動に怯み、固まってしまう。
その隙にイトは木に飛び乗ると、枝を飛び渡り庭園の中心まで移動した。
ムギが慌ててイトを追いかけようとするもそこにフミが現れ行く手を阻む。
「あなたの相手は私です、紬様」
「どきなさい!!」
ムギが交戦している間にイトは自分の影に保有していた全ての影赦を解き放つ。
「来たれ。誘われし民よ。我に赦しを請え」
放たれた影赦達の姿にイトは吐き気を催した。
立ち眩みがし枝から落ちそうになるのをなんとか堪え鳳笙を取り出すとそっと口元にあてた。
(女共を捕らえろ。平 仁の動きを止めろ)
心の中でそう命令すると影赦たちはフミと翡翠の元へ集まり、爪や牙で一斉に攻撃を仕掛ける。
仁は突然身体全体が重力のようなもので押さえつけられ、その場で動けなくなった。
フミとやり合っていたムギはなんとかその場から逃げ出しイトの元へ走る。
その瞬間フミは翡翠の名を叫んだ。
翡翠は囲まれたフミの元へ駆けつけると持っていた刀を一旦鞘にしまい、再び引き抜く。
翡翠は薙刀となって引き抜かれた刀を構えた。
イトは鳳笙を吹きながらその様子を見つめる。
以前にもその光景を目にしたことがあった。
確か闘人の時も、平家のやつらがあんな風に刀から薙刀に持ち替えていたような。
あの白髪君も影赦に囲まれた時にあの技使ってたっけ。
翡翠は薙刀で影赦を斬り裂きながら必死に抵抗するも、その影赦は全くイトの影に戻らない。
斬り裂かれては再生しそれを繰り返しながら何度も翡翠とフミを襲った。
翡翠は勢いを増した影赦の攻撃に圧倒されその場に崩れ落ちる。
フミはイトを睨みつけ歯軋りをし、イトはその様子を見下ろしながら「ふっ」と嘲笑った。
影赦達はフミと翡翠を取り押さえる。
「イト!!」
唐突に聞こえた声にイトは目線のみを下げ、その姿を瞳に映した。
そこにいたのはムギだった。
ムギはなにやら切羽詰まった表情でこちらを見上げ必死に叫んでいる。
そうだ、君と再会した時もこんな感じだったね。
あの日からずっと、ムギは僕の隣で色んな罪を一緒に背負ってくれた。
君はどうして…最後まで融通が効かないんだろうか。
馬鹿みたいに真面目なんだから。
イトは鳳笙に込める己気の量を増やし、その音色の効力を更に倍増させる。
(庭園内の炎よ消え去れ)
そう心の中で唱えた瞬間に庭園内で燃え盛っていた炎は忽ち消し去り、ごうごうと轟いていた音は止む。
その一瞬の出来事にその場にいた全員が息を呑んだ。
これが藤堂の伝統的な力である律術を引き継いだ藤堂弦皓の力なのだと。
ムギは焦りの籠った視線でそのまま鳳笙を吹き続けるイトを見上げる。
そして何度名を呼んでも反応しないイトに叫んだ。
「イト!君のその力は魂を削る!だから止めてくれ!」
美しくも怪しげなその旋律はムギの言葉を聞いた直後に止まりイトは鳳笙を口から話した。
そして冷徹な瞳でムギを見下げる。
「どうして君がそれを知っているの」
「それは…」
濁ったような太い声でそう淡々と口にしたイトにムギは思わず視線を泳がし口篭る。
「また黙るんだ。まあ…僕らの関係なんて所詮主従関係。主が自分の命をどうしようと付き人には関係ないでしょ」
「違う!私は君を…!」
「君を?」
イトの詰めるような問いに、ムギは拳を震わせながらガバリと顔を上げた。
その涙ぐんだ瞳に思わず呼吸が止まるような苦しさが込み上げる。
そしてイトは慌てて鳳笙をもう一度口元にあて音を奏でた。
(向葵の口を塞げ!)
その瞬間ムギの唇は上下ぴったりとくっついて離れなくなる。
ムギは目を剥き必死に口を開こうとするもその願いは叶わない。
イトは音を奏でながら続けて命令した。
(向葵の視界を奪え)
ムギは突然視界が真っ暗になり、慌てて何度も瞬く。
イトはその様子を確認し鳳笙をしまうと木の枝から飛び降りた。
そして素早い動きでムギの鳩尾に拳を打ち込むと、ムギはイトに体を預けながらその場で崩れ落ちる。
イトは彼の体を支えながらゆっくりと座らせ、その場を立ち去ろうと踵を返し歩き出した。
「っ…」
イトは自分の服が引っ張られるような感覚に目をぎゅっと強く閉じ唇を震わせた。
そして大きく息を吐き、袂を掴むムギの手を振り払う。
ムギは何とか耐え忍び辛うじて意識を手放さずにいたようだった。
振り払われたムギの手は力なく地に落ちる。
イトは動かなくなったムギをじっと見つめ、再び歩き出した。
「いい度胸ですね、弦皓様」
「君に確認したいことがある」
影赦に取り押さえられた2人の元へ歩み寄ったイトはこちらを睨みつけるフミに幾つかの質問をした。
イトは最後の質問の答えを聞いたあと、フミの隣で取り押さえられていた少女の面を切先で叩き割りその素顔を見つめる。
どこかで見たことのあるその顔立ちにイトは「はぁ」と苦笑った。
(これは…僕が思っていた以上に色々と複雑そうだ)
イトは再びフミに視線を戻すと切先をその首筋に押し当てた。
「じゃあもしかして僕にかけたその呪いさ、あの白髪君にもかけたの?」
イトの言葉にフミは表情を曇らせ、翡翠はハッとしたように目を見開いた。
「は、白髪って…」
翡翠はそう呟きフミの顔をじっと見つめるもフミは依然としてイトを睨みつけたままだ。
「だったら何」
「趣味悪いなぁと思って」
「あなたに言われたくはありません」
イトはしばらく黙ってフミと睨み合った後刀を鞘に収め、その場に座り込んだ。
そして額で地を押す程深く平伏する。
フミは目を丸くして自分の目の前でそのような行動に出たイトを見つめる。
翡翠も同様に何度も瞬きながらイトの様子を見つめていた。
「…ごめん、なさい」
呟かれたイトの声は酷く掠れていた。
一呼吸置いたあと、イトは再び話し出す。
「君の大切な人を奪ってしまって申し訳なかった」
固く目をつぶると、当時の地獄のような光景が走馬灯のように頭を駆け巡る。
僕は子供で、自分のことで精一杯だった。
あの地獄から逃れたくて必死だったんだ。
その結果兄貴や仲間を自分の手で殺してしまった。
あんなに救いたかった命を自分の手で殺したんだ。
そんな地獄にフミ達のような何の関係もない民を巻き込んでしまった。
あれから僕はできるだけ人との関わりを避け、ムギ以外の人間に対しては冷たく遇うようになった。
深く関われば別れが辛くなる。
どうせみんな僕を置いていなくなるんだから。
僕より強くて授名の誓いをしてくれたムギ以外は要らないと思っていた。
というか、記憶できなかった。
ムギ以外の人達は皆顔がぼやけて認識できなかった。
そしてそれはフミに対しても一緒だった。
けど彼女は僕の態度も全く気にせず、小姓としてだけではなく姉や母のように親身に僕に接してくれた。
それが例え一時のまやかしだったとしても僕にとってはそう思えてしまったんだ。
フミに記憶を覗かれたと術を通してわかった時、悲しみと同じくらい申し訳なさでいっぱいなった。
やるせなさで押しつぶされそうになった。
フミは大人だ。
僕が嫌いな大人だ。
大人は嘘をつく。
そうやって周りくどく僕の心を弄ぶ。
僕に出会った瞬間心臓を一突きしてくれればこんなにも苦しくなかったのに。
いや、僕も直接フミに確認することなくこんな術を使って探ったんだから人のこと言えないか。
「僕は……う"っ…」
そう言いかけた瞬間首筋に衝撃が走り、頭がクラクラと揺れるような感覚がした。
次第に暗くなっていく視界に抵抗できず、イトはそのまま闇に飲まれた。
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「弦皓様!また紬様のお部屋の障子を破りましたね!」
「なんだようるさいなぁ。君、誰?」
イトは縁側に座りながら、頬を膨らませ腰に両手をあてた状態で仁王立ちする女性を横目で見遣った。
僕にわざわざ文句を言いに来るなんていい度胸してんなぁ。
僕はムギに来て欲しかったのに。
この人、よっぽど暇なのかな。
「ご無礼を、お許しください!」
その女性はそう言いながら真横に座り込むとイトの頬を両手で掴み無理やり顔を動かした。
その唐突な行動に驚き抵抗できず、イトは彼女に頬を押さえられたままその顔立ちをじっと見つめた。
「35回目のご挨拶になります!!私、この度藤堂家の養子となりました!!藤堂志詩と申します!!藤堂弦皓様と紬様の小姓としてこの屋敷に住まうことになりました!よろしくお願いいたします!」
フミは大きな口を開けて一言一句丁寧に叫ぶと大きな目を更に見開き、その黒目に驚き固まったイトの姿を映した。
「以後、お見知り置きを」
フミがそう言い切った瞬間、イトの目にやっと彼女の表情が色濃く映し出された。
頬を掴んでいた手に込められていた力は緩まり、いつのまにか優しく包み込むように添えられていた。
「…あっそ」
柔らかく微笑むその頬は薄桃色に染まっていて、イトは思わず目を逸らした。
作者の紬向葵です。
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