第三十九話 泡沫人
【登場人物】
●平家
・ジン 元の名は鎮。字は仁。白髪の少年。
現在は平家の長男。藤堂家に捕らえられている。
・サク 字は桜。仁と同じく平家の長男。
原田家に捕らえられる。
・チズ 字は千鶴。行方不明。
●藤堂家
・イト 字は弦皓。藤堂家の三男。
雅号は鬼刀律術者。音を使った気術を使う。
・ムギ 字は紬。授名は錦葵。冷静沈着な少年。
「はっ…」
ジンは真っ暗な部屋で目を覚まし、勢いよく布団から跳ね起きた。
「…夢?」
額には汗が滲み、視界はぼやけていた。
ジンは視界が揺れていた原因を察しそっと目元に手をやった。
指先にヒヤリと湿った感覚がし、その初めての感覚に呼吸が浅くなるのを感じた。
「涙…」
これまでどんなに感情が昂っても涙を流すことは無かったジンは、自分の体に何が起こったのかと思わず胸に手を置き鼓動を確認した。
ドクドクと波打つ心臓は、いつもよりも早く鼓動を刻んでいる。
濡れた目元を袖で拭い、状況を確認しようと辺りを見渡した。
しかし明かり1つない真っ暗な空間は闇そのもので、自分が布団に寝転んでいたということしかジンは把握出来なかった。
ここは僕がいつも隔離されている部屋なのかな。
というか、今のは全部夢だったのか。
鮮やかな緑も、動物の声も、血の匂いも、人を斬る感覚も鮮明だった。
イトさん達の…記憶…?
いやでも、それにしたって僕が今実際に話をしているイトさんとは程遠い人間像だった。
まあ強いて言うなら悪戯好きな所は同じだったかも。
雲が晴れたのか月明かりが障子から差し込み、真っ暗な空間に目が慣れてきていたこともあって部屋の様子が徐々に見えてきた。
何だか体が重いなと思っていたジンはすぐに自分の体を確認しようとそこに目を向けた。
「っえ…」
するとそこには、ジンの下腹部辺りを枕にして小動物のように丸く縮こまったまま横になるフミの姿があった。
何度か声をかけるもフミは全く反応せず、もしやと思いそっと耳を近づけた。
「寝てる…!?」
小さい声で呟いたつもりだったが、いつものフミであれば囁くような音でも反応していたのを思い出しすぐさま口元に手をやった。
スースーと一定の呼吸音が微かに聞こえ、ジンは珍しいものでも見るようにまじまじとその寝顔を眺めた。
その瞼はピクリとも動かず、固く閉じられている。
(こんなにも隙がなかった人が捕虜の体を枕にして寝るなんて…)
睡眠をとるということは人間として普通のことであるがこの人に関しては別だ。
ジンが試しに真夜中、明け方、昼間、夕方と1日に何度も時間を分けて呼びかけた時、その全ての時間すぐに返事が返ってきていたのだから。
「起きなかった…」
ジンはフミの頭をそっと動かし抱き抱え、自分が横になっていた布団に寝かせたがフミは反応せず、全く起きる気配がなかった。
抱き抱えていた時に探ってみたけど己気の乱れも全くなかった。
だから狸寝入りって訳でもなさそう。
まぁもしこれが実は寝ていなかったとしても言い訳はいくらでも思いつくか。
ジンは夢の影響で久しぶりに悪戯心が湧き上がり、ワクワクするような気持ちでそっと障子を開け廊下に出た。
今宵は満月だった。
虫の鳴き声と庭園に流れる小川の音が響き渡りなんとも心地よい旋律を奏でている。
そしてそこにはあの鶸色に光る蛍の姿もあった。
趣のある光景にジンは思わず見入り、散策しようとしていた気持ちも冷めてしまう。
縁側に座り込んだジンは後ろに手を付いて体の力を抜きこの空間に溶け込むように身を任せた。
いつまでそうしていただろうか。
しばらくそのまま時間を忘れ景色を楽しんでいたジンは月の位置を確認し、そろそろ部屋に戻った方が良いかと思い立ち上がった。
- ドンッ!!
「え」
突如屋根の上から何者かが庭に落ち、落下した勢いのままゴロゴロと転がる。
最終的にその人影はジンの目の前まで転がり鈍い音をたて、縁側に体を強打し止まった。
敵か味方か分からなかったジンはひとまず構えその人影に忍び足で近づき、上から覗き込んだ。
「うわぁ!!?」
その瞬間、人影はジンに向かって飛びつきジンは壁に背中を打ち付けられる。
「お前ー誰が外に出ていいって言った?」
「あ…」
その人物はまさかのイトだった。
イトはジンに顔をグッと近づける。
サク並みに壊れた距離感の近さにジンは顔を背けようとするも、その瞬間頬を両手で掴まれ逃げられないように固定された。
「え、えっと弦皓さん?あ、違った…」
「イト?」
あまりに真っ直ぐな眼差しでじっと見つめられたジンは焦り、思わず呼ぶなと言われていた字を呼んでしまう。
そして訂正しようとしたその時、別の声がイトの名を呼びジンは目線だけそちらに動かした。
「あ…」
そこには眉間に深い皺を寄せこちらを睨むムギの姿があった。
(どうして僕はこんなにも毎日睨まれるんだ…)
ジンはここまで顔を歪ませたムギの姿は見たことがなく、その雰囲気に肌が粟立つのを感じた。
しかしよく見るとその姿はいつものように整ってなく、服は土埃で汚れ、髪は乱れていた。
もしかしてとイトに再び目をやるとイトも同様に土埃をかぶり、髪を乱していた。
(もしかして2人揃って転がり落ちたのかな…)
詰め寄られていることを忘れ、黙って思考を巡らせていると突然イトはムギの方へ振り返る。
イトはいつも通りの悪戯顔だったがその目は若干トロンと垂れ下がっていた。
「なんだよムギ」
「こっちに来なさい」
「ふん。いやーだね!ベー!」
イトはそう言いながらムギに向かって舌をだし、下瞼を指先で下に引っ張った。
(……べー?って、まさか…)
ジンはそのやりとりを聞いて、やっと彼がいつもと違うことに気づいた。
そして先ほどジンの両頬を掴んだイトの手が異常に熱かったことを思い出す。
「もしかして、イトさん酔ってますか?」
「酔ってない!!!」
こちらの問いにイトは食い気味で答え、ジンの胸に顔を埋めるとスリスリと顔を擦った。
ジンはイトから仄かに香る独特な匂いがお酒ものであるとわかった為、どうしたいいかわからず困り果てる。
それは数年前サクとカイが呑み比べをしていた時も、最終的にベロベロに酔っ払った2人に絡まれどうすることもできず、結局朝まで面倒を見たという苦い経験があったからだった。
困り顔を浮かべ、ムギに視線を送ると彼は小さくため息を吐きこちらに歩み寄った。
「だから呑み過ぎはよくないと言ったんだ」
ムギはそう言いながらイトの腕を掴み、ジンから引き剥がそうとする。
するとイトはジンの腰に腕を回し、引き離されないようにしっかりと抱きしめ首を大きく左右に振った。
「嫌だ嫌だ嫌だ!!今日は兄貴と一緒に寝る!」
幼児のように甘えた声で叫んだイトの言葉にムギは彼の体を引っ張るのをやめた。
「兄貴…」
つい先ほど見た夢の中にも兄貴と呼ばれていた人物が存在していたことが偶然に思えず、ジンはついその言葉を復唱した。
「イト」
ムギが切なそうに彼の名前を呼ぶと、イトはジンの胸に顔を埋めたまましゃくり上げ始めた。
「皆に会いたい…兄貴…っ、僕を置いてかないで…」
「イトさん、僕は」
「嫌だ!行かないで!」
完全に情緒不安定な様子のイトはそのままジンの服を涙で濡らし、腰に回した手にグッと力を込めたまましばらく泣き続けた。
「寝て…しまいましたね」
ジンの胸に顔を埋めたまま寝息をたて始めたイトの横顔を覗き込みムギに視線を送った。
ムギは終始不機嫌そうな顔をしていたが、ジンからイトを引き剥がしその腕に抱き抱えるとやっと安心したように表情を和らげた。
イトはムギの腕の中で唇や瞼を赤く腫らし、泣き跡を頬に残したまま小さな子供のように眠っている。
その様子は出会ったばかりの頃のカイやハナ、リン、フウたちの寝顔とそっくりだった。
「今夜のことは忘れてください」
ムギにそう言われ、夢の中で見たことが現実にあったことなのかを余計に確かめたくなった。
ジンはしばらく黙り込んだあと、何食わぬ顔で告げる。
「やっぱりイトさんもムギさんも綺麗ですよね。けどなんだか、今日みたいな深い夜闇に溶けてしまいそうなくらい儚い雰囲気を纏っているように見えます。そうだなぁ…例えば…」
ジンは庭園の様子を見渡したあと一呼吸置いて続ける。
「例えば、泡沫人のように」
ジンはムギの僅かな表情の動きも見逃すまいとその顔をじっと見つめた。
ムギは動じず表情を動かしていないように見えたが、ジンはその瞳の奥の揺らぎを見逃さなかった。
「何が言いたいのですか」
(間違いなさそうだな)
あの夢の中で見たのは藤堂弦皓の記憶だ。
どうやらあの本にはなんらかの術がかけられていたのだろう。
「いや、ただそう思っただけですよ」
ニコニコ微笑みながら答えるジン。
ムギは若干眉を顰めるもすぐに元の無表情に戻った。
「それじゃあ僕はこれで…」
「ところで、どうしてあなたはこんな所に?」
ジンが踵を返そうとしたその時、ムギは冷ややかな視線を送りながら問いかける。
唐突なその質問にジンはびくりと肩を硬直させた。
「いやぁ、厠に行こうとしていたんですけど、ここ広くて…夜で真っ暗だし、迷子になってしまって」
振り返り頬を指で掻きながら得意の空笑いで誤魔化そうとしたジンだったが、ムギの鋭い視線に射抜かれ慌てて言葉を付け足した。
「ああ、そういえば、イトさんを布団に寝かせなくていいのですか?」
「フミは」
ジンの言葉を無視し、ムギは続けて質問した。
「フミさんはえっと…呼んでも反応がなかったので1人で勝手に出てきてしまいました。すみません」
ジンは先程のことを正直に言おうともしたが、小姓の彼女が捕虜のジンと一緒に寝ていたなんて彼らに知れたらまずいと思い、出鱈目を言って誤魔化した。
「…そうですか」
ムギはそれだけ呟くと、ジンに会釈し「失礼」と一言告げ、踵を返す。
ジンは最悪牢に戻されると思っていたので、自分を置いてこの場を立ち去るムギに拍子抜けしてしまった。
その後ろ姿は凛々しく真っ直ぐ伸びているが、顔は抱き抱えているイトをじっと見つめている。
その横顔から見えるムギの瞳にはイトを慈しむような切ない色が揺れていた。
知己という言葉では言い表せない程の2人の絆をひしひしと感じながら、ジンはその背が闇に消えるまでじっと見つめていた。
「チズ…」
1人残された暗闇の中、自分が無意識にチズの名を呟いた事に驚き思わず唇に手を添えた。
そういうつもりもなかったとは言え、やはり勝手に女の子の唇を奪ってしまった事にジンは再び背徳感を感じた。
しかしそれと同時に妙なやるせなさも感じ、ジンは胸の奥の方を何か針のようなもので刺された感覚がした。
もしかしたら、チズにも思いを寄せている人がいたかもしれないのに。
これだからサクにモテないと言われてしまうんだ。
大きくため息を吐き、ひとまず先程自分が寝ていた部屋に戻ろうと振り返ったその瞬間、ふわりと風が揺れるのを感じ何度か瞬いた。
「っ…フミさん?」
「ジン様。部屋を抜け出してはいけませんよ?」
いつもの如く突然ジンの目の前に現れたフミの声は、何だかいつもより深く低く聞こえた。
心做しか、笑顔も普段より冷ややかなものに見える。
いつも感じていた内側から溢れる温かみが、どうしてか全く感じられなかった。
そしてそのままジンに歩み寄り、手を取るとギュッと力いっぱい握りしめられる。
この数秒の出来事でジンはフミの態度が少しおかしい事を悟った。
そしてそれは次の瞬間確信へと変わる。
「ぐっすり眠られていたようですが、一体何の夢を見られていたのですか?」
にこにこと笑い細められていたフミの目は、その言葉を吐くと同時に大きく見開かれ釣り上げられた口端は力なく下ろされた。
初めて見たその冷徹極まりない無の表情にジンは負けじと彼女をきつく睨み返した。
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「ムギ…」
「起きた?」
「うん」
イトを抱いたまま屋根上に登っていたムギは寝ぼけながら自分の名を呼ぶイトの髪を優しく解きほぐした。
「僕、なんかやらかした?」
「うん」
「えっ…何やった?」
「とんでもないこと」
ムギは先程の出来事を思い返し不服そうな表情を浮かべる。
何やらハッキリとしない物言いのムギに頬を膨らませ「んー」と唸った。
「ムギが僕に言葉を濁すなんて珍しいじゃん。意地悪しないでよ」
「私は呑みすぎは良くないと何度も言った。反省も兼ねて何があったかは言わない。言葉にすると私が不機嫌になる」
ニヤニヤ笑いながら頬をつつくイトにムギは無表情でそう言い返した。
「ちぇ、まあいいや。そんじゃあさ、仲直りの花火しようよ!」
「花火?」
そう言うとイトは懐から2本の細い紐のようなものを取り出す。
そしてそのうちの1本をムギに渡すと、指先を擦りパチンと音を鳴らす。
ボッと音を立てイトの手のひらの上に小さな火が現れた。
イトはその火をそれぞれの紐の先に近づける。
火をつけしばらくするとパチパチと軽い音を立てながらそれは火花を散らした。
「線香花火っ」
ウキウキとした声色でイトは丸い花のような形した花火をじっと見つめた。
ムギもその様子を見て同様に火花を見つめる。
「綺麗だねムギ」
「うん」
2人は屋根の上で月光に照らされ、小さな花火の灯火を寄り添いながらじっと眺めていた。
そこにどこからか飛んできた蛍が紛れ鶸色と花火の橙色が交差する。
「蛍、ムギ好きでしょ?」
「え?」
「だって、初めてあった時もたった1人で真っ暗な山の中に居る子がいるなぁと思って近づいたら蛍と戯れていたからさ。あれは確かお互い5つ位の時だったのかな」
「うん」
イトは花火を、ムギはイトをじっと見つめながら話を続けた。
「どうしても、教えてくれない?」
「何を」
「君は、どうしてそんなに強いの?分家の出ってことにしているけど実はそうじゃないでしょ。君は、どうして呼名の解放にも耐えられたの?」
「…」
ムギは無表情のまま何度か瞬くと、口を開けたり閉じたりを繰り返し結局口籠ってしまう。
「僕は目敏いよ?それに、僕らはずっと一緒にいるんだからいつか必ず露見する。僕は君に隠し事なんて…あー…」
イトはそう言いかけ何やら上を向き、体を何度か揺すると再び口を開いた。
「いや、1つだけあった」
その言葉にムギはほんの少し目を見開く。
ムギの表情の動きを見逃さなかったイトはにやりと口端を引き上げ、彼に詰め寄る。
「知りたい?僕も同じくらいムギの秘密を知りたい。教えてくれたら話してあげる」
「それは…」
ムギはしばらく固く目を閉じた後、渋々口を開いた。
その瞬間ジュッという何かが焦げたような嫌な音がし、2人は視線を花火に戻した。
「あ!蛍…」
その音は花火の火が蛍の羽に当たって焦げた音だった。
幸い蛍は死んではいなかったが、屋根に落ちてしまい苦しそうに足をバタつかせている。
イトは咄嗟にその蛍を掬い上げ、その拍子に自分の線香花火を手から離してしまった。
ジュっと再び鈍い音を立ててイトの花火は燃え尽きる。
それと同時にムギの花火も音を立てて落下し火は完全に消えてしまった。
2人はイトの手のひらの上で悶える蛍を心配そうに見つめた。
そして最終的にその鶸色が消えるまでじっと見守った。
月までもが雲に隠れ、どこまでも深い闇と静寂が2人を飲み込んだ。
作者の紬向葵です。
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