第三十四話 錦葵
【登場人物】
●平家
・ジン 元の名は鎮。字は仁。白髪の少年。
現在は平家の長男。藤堂家に捕らえられている。
・サク 字は桜。仁と同じく平家の長男。
原田家に捕らえられる。
・チズ 字は千鶴。行方不明。
●藤堂家
・イト 字は弦皓。藤堂家の三男。雅号は鬼刀律術者。音を使った気術を使う。
・ムギ 字は紬。冷静沈着な少年。
・錦葵 突如現れた謎の美少年。
「ええっと…君、もしかして記憶喪失?」
やっとの思いでそう一言告げると、綺麗なその人は少しだけ眉根を動かした。
そしてまたしばらく2人の間に沈黙が訪れる。
その瞬間から膝裏が枝から滑る感覚がし「げ」と心の中で間抜けな声を出した。
弦皓はこの人に見惚れていた為に自分の体勢が宙吊りであったことをすっかり忘れてしまっていたのだ。
いつの間にか痺れていた両脚は言うことを聞かず、弦皓はそのまま真っ逆さまに落ちる。
(まあいっか。このまま落ちて上手いこと着地しよう)
運動神経に長けた弦皓は瞬時に地面を見据え上手く着地しようと両手を伸ばした。
「わっ」
しかしもう少しで地面に着くという所でなぜかその手はくるりと方向を変え視線も同様に180度回転した。
何が起こったのかと思考を巡らしているとパサッと絹の羽織が音を立て、自分の全身が何かに受け止められる感覚がした。
もたれかかったその壁は若干冷んやりとしていて弦皓は思わずその心地よさに自分の耳元を子犬のように擦り付ける。
弦皓は無意識に2、3回耳を擦り付けたあたりで、一定の早さでドクドクと波打つ心臓の鼓動が耳元で鳴っていることに気がついた。
「あ、いけない!」
弦皓は恥ずかしさを誤魔化すためにわざと大きな声でそう呟いた後、自分の体制を確認して更に頬を赤くする。
2本の腕に身体を受け止められている上に、淡い褐色の瞳にじっと見つめられ弦皓は弾けたように急いで腕から飛び降りた。
「ど、ど、ど、どうして!!こんなことしなくたって普通に着地できたのに!」
必死になって問いかけると、その人はじっとこちらを見つめ動じることなく答える。
「君の手が汚れてしまうと思ったから」
「そ、そうなんだ」
弦皓はポカンとしたままなんとかそれだけ答えた。
なんだか不思議な子だけど怪しさはないかな。
弦皓は顎に手を添え頭の先から爪先までじっくりとその人をみた後にんまり微笑み「うん!」と元気に頷いた。
「君、本当に綺麗だね!突然現れたから天女かと思ったよ!で…えーと、男?女?」
弦皓はその端正な顔立ちをじっくりと味わおうと詰め寄り、ワクワクしながら問いかける。
「…」
「…ん?」
質問に答えようとせず、ただじっとこちらを見つめるその人に違和感を感じた弦皓は首を傾げた。
(あ、照れ屋なのかな。人見知り??)
生まれてこの方緊張というものを感じたことがなく人との交流が好きで、好き嫌いも少なかった弦皓は人見知りという感覚がわからない。
故に、この人に対してどういう接し方をすればいいか見当もつかなかった。
自力でで判断しようともう一度顔をじっくり見る。
毛先が若干跳ね上がった長いまつ毛、切長で大きな瞳、かさつきの無い艶やかな唇。
(……うん!わからない!!)
そう諦めの声を上げた弦皓はその人にもう一歩詰め寄りじっと顔を見る。
その人は弦皓の何か企んだかのような悪戯顔に違和感を感じ、僅かに眉を動かした。
「失礼するよっ」
「っ!?」
そう先に詫びを入れた弦皓はその人の胸元に手のひらを押し当て掴んだ。
初めて僅かに動揺したその人の反応を見て弦皓は花が咲いたようにパァッと目を輝かせた。
「君、男なんだね!見かけによらず逞しい胸板してんじゃん!惚れ惚れするよ!」
「…」
後ずさり、何度も瞬くその男の反応を楽しむように弦皓はどんどん距離を詰めていく。
「照れてるの?ほれほれ」
「なっ!?」
弦皓はいつも仲間たちに悪戯するときのように下半身に手を運びギュッとそこを握りしめた。
思わぬ事態に驚いたのか、その男は弦皓の手首を掴みむりやりその場所から引き離す。
しかし、弦皓が「痛っ」と顔を顰めるのをみるとすぐに手を離し再び退いた。
「悪かったよそう怒らないでくれ。君が教えてくれないからしょうがなかったんだ」
弦皓が手首を回しながらそういうと、その男は戸惑った表情のまま静かに頷いた。
「あー、君そういえば名前は?」
「錦葵」
内心また黙り込まれたらどうしようかと考えていた弦皓は、間髪入れずに待ってましたと言わんばかりの早さで即答した錦葵の反応をみて、心を開いてくれたのかと嬉々として腕を彼の肩に回した。
「素敵な名前じゃない。あ、僕は弦皓だよ。よろしくね!」
(ん?いや待てよ)
弦皓は不意に、先程錦葵が発した「私は?」という言葉を思い出し、息を吐くように名乗った彼の言動に違和感を感じた。
「ねえ錦葵、君は記憶喪失じゃないの?」
その質問に錦葵は首を2、3回横に振った。
(ちがうんだ。記憶喪失ではないとしたら…)
弦皓はすでに錦葵の言葉数の少なさは認知したため、その僅かな所作や表情で彼の思考を理解していた。
また弦皓の脳内で彼に対する謎が膨れ上がる。
「それならさ、どうしてさっきは…」
- ドカーーーン!!!
弦皓の言葉を遮るように、修道の方で衝撃音が響いた。
「何!?」
木々に止まっていた鳥達は一斉に飛び立ち、ぐるぐると円を描くように同じ場所を飛び回る。
裏山とはいえ、山頂であるこの場所まで衝撃音が聞こえてくるというのは余程のことだろう。
異常事態に弦皓は目を見張り、帯刀に手をかけた。
「…っくそ!ごめん!僕行かなくちゃ!」
錦葵にそう告げ、走り出そうとすると不意に手を掴まれ足を止められる。
振り返ると錦葵が弦皓の手首をきつく掴み、何かいいたげに瞳を揺らしていた。
「急いでるんだ!!」
そういいその手を振り払うと、弦皓は振り返ることなく走り続けた。
崖の多い道を選びほぼ飛び降りながら山を駆け抜ける。
「なっ…」
修道が目に入った時その光景に思わず言葉を失った。
壁中に血が飛び散り、砂埃が舞う。
けたたましい音が弦皓の鼓膜を刺激した。
仲間の声が聞こえた方に真っ先に向かった弦皓は皆が交戦する相手を見て目を見張る。
「あいつら…」
それはつい先日弦皓が仲間達と追い詰めた童狩りの奴らだった。
「よくもまぁ…僕の前に顔を出せたもんだ」
八つ裂きにされた仲間の亡骸を思い返してはらわたが煮え繰り返る思いがする。
童狩りの輩の1人が弦皓に気づいてこちらに矢を放った。
弦皓は憤怒の形相で荒々しく帯刀を抜き払い、その矢を叩き斬る。
なにやら他とは違う雰囲気を感じ取ったのか男はそれ以上矢を放つことなく踵を返した。
弦皓は口端をピクリと動かし、男の背むかって叩き切った矢の先端を投げつける。
膝裏に命中し、その場で崩れ落ちた男はゆっくりと自分に歩み寄る弦皓の気配を感じ「ヒイッ」と悲鳴をあげる。
足をばたつかせ、鬼を見るような目で怯える男を見下ろした弦皓はその背中に刀を突き立てた。
「安らかに死ねると思うなよ」
脳に響くような深く、低い声で弦皓はそう呟いた。
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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