第三十二話 卯の花
【登場人物】
●平家
・ジン 元の名は鎮。字は仁。白髪の少年。
現在は平家の長男。藤堂家に捕らえられている。
・サク 字は桜。仁と同じく平家の長男。
原田家に捕らえられる。
・チズ 字は千鶴。行方不明。
●藤堂家
・イト 字は弦皓。音を使った気術を使う。
・ムギ 字は紬。冷静沈着な少年。
・フミ 字は志詩。イトとムギの小姓。
「ここは…」
「こちらが書庫です」
数百…いや、数千の本が並べられた大きな部屋は数十人の大人たちが大の字になって寝転んでもゆとりがあるほど広々としていた。
様々な形、厚みの本が棚に隙間なく敷き詰められどちらかと言うと雑なしまわれ方をしていた。
古びた紙の匂いが漂い穏やかな気持ちにさせる。
その懐かしさは加籃菜で見たあの場所とこの書庫が類似していたからに他ならなかった。
「すみません。どうやら誰かが荒らした後のようで。いつもはここまで散らかってないんですけど」
ジンの気持ちを察したこのようにフミはそう告げ中に入っていく。
部屋の奥に進めば進むほど古紙の匂いは濃ゆくなり空気も重く感じた。
気を紛らわそうと適当に辺りの本棚を見渡すと、天井の角に淡い鶸色の光が見え思わず凝視し、光に気づいていない様子のフミさんの背中とそれを交互に見た。
「フミさん、何か光っているのですがあれは一体…」
「あれは蛍ですよ」
フミは大して驚くことなくそう答える。
「蛍がどうしてここに」
「弦皓様がこの部屋に隠しているんです」
フミはそういうと徐にしゃがみ込み、床に置いてあった箱を持ち抱え文机の上におき鍵を外して蓋を開いた。
すると中から無数の蛍たちが一斉に放たれる。
蛍は若草、萌黄などそれぞれ違う色の光を放つ。
先ほどまで薄暗かった部屋は蛍達の淡い光に包まれ、暖かい色に満ち満ちていた。
「ここ最近よくこの部屋に蛍を放たれるのですよ。いつもの通り、ただの悪戯でしょう。まぁ私もこうして灯の代わりにするのですが」
「綺麗…ですね」
部屋に舞い散る色は幻者の光景を思い起こさせる。
怪しげなのに美しいこの魅惑の光に包まれて、ジンは少し懐かしくも切ない気持ちになっていた。
そうだ…チズ、サク、皆に会う為の手がかりを探さなくては。
これだけの書物があるんだ。
きっと二代武家、残血、夜雀のこと、そして…もしかしたら影赦に関する僕達の認識がこの武家達と違うかもしれないと言う僕の推測も確かめられるかもしれない。
あ、そう、それと童狩り。
「童狩りに関する書物はこちらにあります。あ、家子については、わざわざ調べるまでもない知識なので私が口頭でお話ししましょう」
フミは一呼吸置いた後語り出す。
まず家子というのは単純にその家に生まれた子。
良家の血族のことを指す。
藤堂弦皓は藤堂家の現当主と正室の間に生まれた三男にあたるそうだ。
そしてムギは分家の子息、フミは養子でつい数年前にこの家に迎えられたそうだ。
「三男…では、他のご子息方は?」
「こちらにいらっしゃらないだけで本家の方にいらっしゃるそうですよ。ここは藤堂家の別宅ですから」
「べっ、別宅!?こんなに大きいのに!?」
「ええ。当主様が弦皓様の意向を汲んで特別に用意させたそうです。本家じゃ居心地が悪いといって毎日今以上に敷地を荒らしていらしたので」
「まあけど、それだけでここまで素敵な屋敷をご用意してくださるなんて、イトさんは愛されているのですね」
「そう…ですね」
フミは乱雑に押し込まれた本を取り出しては綺麗に並べ直す作業を繰り返しながら、ジンの質問に答え続けた。
最後の答えが少し詰まっていたのを若干気にしながらも、ジンは書庫の奥へと歩いた。
「あ…」
"影刃武者集"
ふと上の段にある一冊の本が気になり、ジンは背伸びをしながら目一杯手を伸ばす。
頑張れば届くだろうと思っていたその場所は意外にも高く、ジンの身長だと親指がぎりぎり本に掠めるくらいだった。
「もう…少し…」
指先を本に引っ掛けるようにして本を少しづつ動かし引っ張り出す。
しかし、もうまもなく取り出せそうだというタイミングで蛍がジンの手の辺りを飛び回った。
「危ないよ。ほらどいてごらん」
そう言いながら蛍を払おうと優しく手で誘導すると突如思わぬ動きをした蛍は、ジンの顔目掛けて勢いよく飛んできた。
「うぁ!!!」
しゃがみこむようにしてなんとか蛍を避けたジンだったが、その際に額を本棚に衝突しまいその痛みに「う"ぅ」と唸った。
「あ痛た…」
頭を打った場所を手のひらで撫でていると、ジンの肩に本が落ち再び鈍い痛みが走る。
「いて」と小さく呟き本が落ちてきた方を見遣ると、棚がグラグラと揺れ動きしまわれていた他の本が今にも落ちそうになっていた。
「あ」と危険を察知した時にはもう遅くジン目掛けて大量の本がなだれ落ちる。
全身に痛みが走りジンは涙目になりながら「ぷはぁっ」と声を上げ、本の山から顔を出した。
こんなのちょっと前はすぐに避けられたのに。
反射神経が酷く鈍っている。
これもムギさんに己気を封じられているせいなのかな。
本に埋もれたまま顎に手を添え「んーー」と自分の身体能力の低下を嘆いていると、少し前にも感じた刺さるような視線に気づき「あ」と心の中で漏らした。
「ジン様…」
顔をあげた先に仁王立ちしていたフミは、いつものように微笑んではいるもののその表面にどこか冷ややかさを纏っていた。
「あ…えっと…すいません」
その素直な謝罪に何も言えなくなったのか「はぁ」とため息をついたフミはジンの手を取り立ち上がらせ、服や髪についた埃を丁寧に払った。
もう子供じゃないのに人様にこんな手間をかけさせてしまうなんて。
その手つきは撫でるように柔らかく、ジンは思わず彼女から視線を逸らした。
散らかした本を片付け始めたフミを手伝おうとジンもしゃがみ込む。
目の前に落ちていた本達を何冊かまとめフミに手渡した。
「ジン様、片付けは私にお任せください。手伝いをしていたら調べものができなくなりますよ。
童狩りに関することはこの資料に詳しく記載されていると思います」
フミはジンから本を受け取りそう言うと"童狩天舞"と記された本を差し出した。
「ありがとうございます」
それを受け取ったジンはフミに礼をし、書庫の隅にある椅子に座ろうと床に散らばる本をつま先歩きで避けながら進んだ。
すると一冊の本に蛍が数匹群がっているのに気づきふと足を止める。
静かに振り返りフミがこちらに背を向けていることを確認したジンは、本を素早く拾い抜き足でその場から離れた。
椅子に腰を下ろしたジンは2冊の本を膝の上に並べ見比べた後拾った方の本を手にとる。
蛍が群れていた卯の花色のその本の表紙には題名も記載されてなく、ジンは思わず鼻を近づけ本の匂いを嗅いだ。
どうしてこんな何の変哲も無い本に蛍が群がっていたんだろう。
何か特別な匂いがするとかでも無いみたいだし、至って普通の和紙の匂いだ。
ジンの興味はもはや童狩りではなくこの謎の本に支配されていた。
宝箱を開けるような気持ちでその本をゆっくりと開く。
「これは…」
そこに記されていたのは、日付と語り口調で綴られた文章だった。
それを確認した瞬間、ジンは激しい頭痛に襲われ目の前が真っ白になった感覚を最後に意識を失う。
『泡沫人。君は私が守ると誓う』
ジンが開いた一面には繊細かつ力強い文字でそう記されていた。
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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