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比翼の詩と、(旧:薄桜)  作者: 紬向葵
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2/97

第二話 核

【人物】

・鎮 白装束で白髪の少年。別世界からやってきた。

・千鶴 道着を見にまとった少女。

世界は下界と天界にわかれ、天界の者が下界を監視することで乱れを察知し制御していた。

しかしここ数100年、下界は平和であり、乱れなど知る由もなかった。

天界も同様。

そんなある日のことであった。


「兄様!アイを捕まえて!」


自分の胸に飛び込んでくるその子を捕まえ、泣きじゃくり震える肩を抱き寄せる。


「アイ、何してるの。また泣いてるのかい?」


「だって、皆でいじめてくるんだ」


「そうなの?」


「何言ってんだよ!誤解だ!アイがすぐうじうじ泣きだすから、ちょっと睨んだだけだろ」


部屋の奥から叫び声の主が息をあげ、頬を赤くし現れる。

よほど全力で走ってきたのだろう。


「その仏頂面で睨まれたらそれは僕でも怖いかもね」


アイを睨みつけるその視線をおかしく思い苦笑いを浮かべて告げた。


(からかったって余計怯えるだけなのに)


「イリったらそんなにアイの事が気になるのー?」


「おいおい、もっとさぁ面白いことしようよ。言い合っててもつまらないじゃん」


イリが走ってきた方向からまた別の声が聞こえる。

だだっ広い部屋に声が響いて跳ね返った。


「ああ煩い煩い!お前らは黙ってろよな!」


後から入ってきたうちの一人が服の袖を引っ張り、鎮の体を揺すった。


「兄様、一緒に遊ぼう!追いかけっこしよう!少しだけ!いいでしょ?」


甘えたような目で見つめ「お願い」とまた念を押すように言ってきたのはハル。


(この子は本当にお上手だ)


「いいですね」


ご希望通りの笑顔で答えるとハルも釣られるように口角を上げた。


「じゃあそのままイリは鬼になれよ!ほら!逃げるぞ!」


ハルと同じく後から入ってきたガクは、鎮の返事を聞くとすぐさま2人に声をかけ、一目散に走っていく。


「あ"?ちょ、こら、アイも待てよ!」


慌てて追いかけようと走るイリは前しか見えていないのか、足元の段差に気づいてないようだった。


「あ、イリ、そこは気をつけっ、」


–ドンッ

鈍い音が響いた瞬間反射的に閉じてしまった瞼をゆっくり開くと、派手に転んだのかイリは突っ伏したまま「うう…」と唸っていた。


「やれやれ。だから言ったでしょう」


フッと笑い、涙目で膝を抱えるイリの頭を撫でる。

この世界は穏やかだ。

下界も争いひとつなく、平和に時が過ぎている。


母様はこの世界を操作する神。


下界を直接見る術はない。

孤立された真っ白な空間には僕らしか存在しない。

残りの人間は皆下界で平和に日々を過ごしている。

そういつか母様に教えて頂いた。

僕の仕事は、ここで4人の子供達の面倒を見るのと、雲の動きを見ること。


ただそれだけ。


なんの変化も示さない雲を眺めるか。

いつも元気な4人を眺めるか。

ハル、イリ、アイ、ガク

この子達は僕に無いものを持っている。

代わり映えない退屈な日々を楽しめる感性とやらを。

なぜこの世界はこんなにも揺るがないのか。

4人は毎日のように喧嘩をし、じゃれ合い競い合ってはまた肩を並べ、温もりを求めるように抱き合い眠る。

下界には何千何万もの民が暮らしていると聞いた。


- 「下界にはさ、いっぱい人がいるんだろー?皆でかけっこしたらもっと楽しいのになぁ」


- 「そんなに大勢人間がいたら、アイがビビってまた泣き出すって」


- 「泣き虫じゃないもん!」


- 「ほらそう言いながら涙目なってんぞ!」


- 「兄様はどう思う??」


- 「え?」


- 「もっと色んな人達に会ってみたくない?」


ここ数100年一切の乱れもなく平和に。


緩やかに流れる時の中では自分の呼吸を感じることすら忘れてしまいそうになる。

この退屈でつまらない世界に


- 飽きてしまったんだ。

______________________


「失礼致します」


気づいた時にはここにいた。

天界の真っ白な御所、加籃菜からんな

ここの主であり、この世界を統べる御方。

僕でさえ、母様が住まう神域の扉の前に立ったことすらない。

初めて見上げるその扉から放たれる厳かな空気が呼吸を苦しくした。

"ギーーー"

重々しい音と共に開く扉。


「どうしましたか?」


「母様」


広々とした空虚な部屋に進むと、どこからともなく…いや、脳や心臓に直接語りかけられるかのように声が響いた。

母様の姿は見えない。

それどころか、何も無い。

ただただ白くまっさらで、汚れていないはずの自身の白い靴で踏み込むことすら若干の抵抗を持つほどの神聖な空間。


「母様にお頼みしたい事があります」


目線の先にある真っ白な壁に向かって話す。


「続けなさい」


僕の心の揺れなんて、とうに勘づいているはずなのに。


(…なんて、ブレない方だ)


「下界を見せていただきたく存じます」


深々と頭を下げる。


「こちらへ」


その声が聞こえたのと同時に先程まで壁だった一角に扉が現れた。

招かれるままその扉へ向かって歩く。

奥に進むと、沢山の本棚に囲まれた部屋に続いていた。

大量の分厚い本が数え切れないほど並べてある。

懐かしいと思った。

なぜか胸の奥がじんわり温まる。

深く呼吸をすると心が安らいだ。


「あなたはここが心地よいと思いませんか」


「はい」


鎮の気持ちをすぐさま読み取り言い当ててくる。

やっぱり母様には適わないなと心の中で笑った。

部屋を見渡し、懐かしさの理由を探していると視界の隅に突然小さな少女が現れた。


「あれは…」


少女はそっと振り返り棚から一冊の本を取り出す。

それを愛でるように撫でこちらを見つめてきた。

その顔を見ようと凝視するもなぜか霞んでよく見えない。


(僕の目が濁っているのか、それとも彼女自身が霞んでいるのか)


鎮はもう一度よく見ようとギュッと瞼を閉じた。

すると少女は消え、そこには同じように本を撫でる真っ白な服を身にまとった母様の姿があった。


「この世は平和なのです。知らなければ良いこともあります。知らなければ良かったと、あなたは思うでしょう」


朧気なその姿から表情を読むことなんてできない。

そっと瞳を閉じ、その心に訴えかける。


「それでも私には…、この世は退屈すぎる」


沈黙が続く。

あまりの無に耳の奥が痛んだ。

怖い…無が何よりも虚しく、恐ろしいんだ。

そしてこの世界には、やはり…何かが足りない。


「…なにを」


気がつくと母様はその手を鎮の頭の上に置いていた。

 

「ならば、見なさい」


頭の中に無数の映像が流れ込んだ。

そっと目を閉じるとまるでその映像の真ん中に自分がいるような感覚に陥る。

真っ白な空間に真っ黒な人間。

いや、人間というには程遠い。

ただの影のような黒い物体。

大量の影たちが何かに操られてるかのように規則正しく歩く様は、まるで絵で見た長い虫のようだった。

表情なんてものは無い。

喜怒哀楽、意思、その全てが奪われた姿。

背中にひやりとした感覚。

何かが足先から這い上がってくるかのような鋭い嫌悪感に身体が震えた。

全身がこの目に映る世界に拒否反応を起こしているのが分かった。

気持ちが悪い。


「これは…なに?母様…」


息が荒くなる。

これを平和と言ってのけた人物が何を考えているのか理解に苦しんだ。

一向に返事をしない母様に嫌気が差したのと機械的な動きをする黒い物体に囲まれ嘔気がし、頭に置かれた手を払い除けた。


「戻して!!!」


その瞬間意識が元の部屋に引き戻される。

心地よい匂いに酔い、足元から崩れ落ちた。

母様は依然鎮を見下ろし立ち尽くしたままだった。


「私はあなたよりもずっと長くこの世界を見守ってきました」


さっき見た景色が頭に纏わり付き、母様が話す言葉が上手く入ってこなかった。


「あんなんじゃ、世が乱れるはずがない」


「あなたは何を求めているのですか」


こんなにも動揺しているのが理解できないと言いたげな言い様に悪寒がした。 

言いようのない怒りが込み上げてくる。

初めての感覚に戸惑い、上手く言葉が繋げそうになかった。


「あなたならわかってくれると思ってました。私が紡ぐ言葉、そしてこの世界は全て、あなたのためを思って作り出したものだと言うのに」


母様は平然と続ける。


「っ」


自分の爪が掌にめり込むほど強く拳を握っていたことに気づく。

爪の間に滲んだ赤い色を見つめる。

手のひらからつーっと血が滴り落ちた。

それは手首をつたい、鎮の白い肌を汚していく。

その血を静かに舐めとった。

肌に残ったその色は次第に暗く深い朱殷に変わる。

 

「まずい」


舌でそれをしっかりと味わった。

痛覚と味覚で錯乱しそうになる脳を落ち着かせる。

そして自分を見下げる母様を睨みつけた。


「この世界を変える方法を教えて下さい」


そう言った瞬間、涙が頬を伝ったのを感じた。


「兄様?」


聞きなれた声がし、鎮は弾かれたように振り返る。


「…アイ」


(なぜここに…)


アイは本棚の陰から覗き込むようにこちらを見つめていた。


「では、私を殺して下さい。あなたの行動が間違っていたと、わかるはずだから」


アイの視線を確認しつつ母様は告げた。

一瞬その言葉の意味を理解できず戸惑うも、背後に佇むアイが「え?」と怯えた声を出したことでハッとし彼女に聞こえないよう小さな声量で問いかけた。


「…なぜ」


(アイの前でわざわざ…)


「兄様、血が…」


母様の意図が読めず睨みつけているとアイがいつの間にかすぐ側まで来ていた。


「アイ、ここにいてはいけない。皆の所へ戻りなさい。兄の言うことを聞きいれて下さい」


震えながら鎮の手をとるアイの手を両手で包み、その黒目勝ちな目じっと見つめて優しく諭す。

小さな唇をぐっと噛み小刻みに何度も頷くアイを自分の子のように愛おしく思う。


(わがままな兄をどうか許して下さい)


柔らかなアイの髪に指を差し入れ、ゆっくり解きほぐしながら心の中で呟いた。


「わかりました…兄様、すぐにお戻りください。皆が探していましたから」


いつもは他の子達からからかわれて泣いてばかりのアイが、涙目になりながらも丁寧に言葉を並べる様子を見て嬉しく思った。

頷くことはなくその代わりに微笑みで応える。

鎮の笑みに満足したのか、アイは拳を固く握りしめ入り口の方へと走った。

走り去るアイの背中を見えなくなるまで見守った後、「ふう」と息をゆっくり吐き出し覚悟を決める。

護身用に持たされていた剣を下から切り上げるように振る。

その勢いのまま母様の右胸に剣を吸い込ませる。


(護身用に持たされていた剣を始めて使う機会がこんな場になるなんて)


「なっ」


思わぬ感触に声が漏れる。

もしかしたらその姿は仮初で剣は空気をかすめるのではないかと思った。

しっかりと感じる生々しい感覚。

そして刃が突き刺さった辺りからじわじわと滲む鮮血が、白い衣を汚していくその様に目を剥いた。

まさかの事態に決意を固めたはずの意思が簡単に崩れそうになる。

その瞬間、視界がぐらりと揺れた。

走馬灯のように様々なシーンが勢いよく流れ込む。

そして、揺れていたと思っていたものは視界ではなくこの地面であることに気づく。

砂地獄のように足元から地面が吸い込まれあっという間に全てを呑み込んだ。

落ちてしまったことに対して、衝撃や動揺、物理的な痛みはあったものの後悔は全くなかった。

堕ちてしまったんだ。

そう、悟った。

________________________________


「千鶴ー!心配したぜ??どこに行って…た?」


「あぁ、茶吉が逃げ出しちゃって…って、なに?桜、この人知り合い?」


先程の場所から数歩ほど歩いた先に一際大きな声で叫ぶ男の姿があった。

男はこちらに駆け寄るとその隣を歩く鎮の姿を見て言葉をつまらせる。

千鶴は対して気にしてないかのように話を続けた。

が、しかしこちらもそうとはいかない。

鎮とその男はしばらく黙り込んで見つめ合う。


(この人…)


「はじめまして(まもる)と申します。道中迷子になりまして、この猫さんと少しお話させてもらってました。そうしたら日が暮れそうだとのことで一晩だけ彼女が家に泊めてくださると…」


鎮は咄嗟に呆けた顔を締め、口角を引き上げながら話しかけた。


「あ…いや!こちらこそ、うちの猫を見つけてくれてありがとうな。俺は桜だ」


そう動揺を隠しながら言った男は、髪の色や身なり、雰囲気は違えど、


–鎮と双子のように瓜二つの顔つきだった。


千鶴と同じ濃紺の衣、そして肩まで伸びたこげ茶色の髪の毛が秋風にサラサラと靡いている。


「そう言うことだから、この人連れ帰る。桜、詳しい話は着いてからにしよう。日が暮れてしまう」


「え。ああ、そうだな」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「父さん。父さん!いる?」


千鶴と桜に連れられ着いた家は道中にあった他の家よりも離れた所にあり、土地も広く大きな造りのものだった。

敷地内を見渡しながら進んでいると千鶴の声に引き寄せられたかのように家の奥から何人かの足音がする。


「チズか。どうした」


1番に縁側からおりてきたその人は千鶴や桜と同じような衣を見に纏ったガタイのいい男だった。

男は鎮を見るなり崩れた表情を更に緩め、小さく会釈する。


「兄さん姉さん遅かったな!」


「姉さん見つけられたのー?」


「あ!茶吉だ!」


「おかえりなさい」


その男の後に続くように少年少女が顔を覗かせる。


「皆、ただいま」


子供達は一斉に桜と千鶴を取り囲み、その背後にいる鎮を不思議そうに見つめた。


「父さん、この人道に迷ったらしくて。今日泊めてやってくれない?もう日も遅いし」


千鶴がそう告げると父さんと呼ばれたその男は柔らかく微笑んだまま鎮を一瞥する。


「千鶴が客人を連れてくるとは珍しいな」


千鶴は男の言葉の後、振り返り鎮の瞳を確認する様に凝視した。


「この人真っ白なの。いや、透明…に近いかな」


そう言われ、鎮は何のことだと目を瞬いた。

確かに鎮は他の人たちと見比べると服も髪の色も白いが、そんな直接的に言うだろうか。

千鶴の言動を不思議に思い首を傾げた。


「ちょうど今から皆で夕餉にしようとしていたところだ。君も一緒にどうかな」


問いかけられた時、鎮は依然として先程の千鶴の謎の言動に気を取られていた為慌てて姿勢を正した。


「お心遣いありがとうございます。私、鎮と申します。本日はお世話になります」


鎮の挨拶に驚いたようでその男は目を見開いた。

そしてまた豪快に笑う。


「随分と大人びた少年だな。私の名前は(たいら) 昌宜(あきたか)だ。挨拶が遅くなってすまなかったな。さぁ皆で移動しよう」


子供達を桜が引き連れ、昌宜も鎮の肩を抱き先に進もうとしている中、千鶴は一人辺りを見回す。


「父さん、真白(ましろ)は?」


千鶴がそう問うと昌宜は敷地内の隅にある建物を指差した。


「あの子ならまだ道場だ。もう少し稽古をすると言っていたから後から来ると思うぞ」


「そう。私迎えに行くよ」


そういい千鶴は反対方向に進んで行った。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


賑やかな部屋の隅に座り視線だけで辺りを見回していると急に背を突かれ振り返る。

先程、桜のことをお兄と言っていた少女が鎮の髪の毛を興味津々で見ていた。


「ねえ、お兄さん、その髪の毛本物なの?」


「ええ、本物です。引っ張っても大丈夫ですよ」


この子が一番欲しそうな言葉を投げかけると、少女は途端に花が開いたような笑顔になる。


「え!いのの?じゃあちょっとだけ…」


「こーら、花心(はなみ)!痛いに決まってるだろ!馬鹿なこと言ってないでお前も手伝え!」


鎮の髪の毛を掴もうとした瞬間、花心と呼ばれた少女は桜に抱き抱えられ小さな手は空気を切るように離れていった。


「うわ!わかったから!お兄離して!!」


花心はバタバタと手足を振り、桜の手が離れた瞬間一目散に逃げていった。


「あいつ…ごめんな。鎮だっけ?隣いいか?」


花心の走り去る姿を見送った後、桜は隣に座った。


「ええ、もちろん」


(あの程度のわがまま、僕が見ていた子供達に比べればまだまだ可愛いものですね)


無意識にそんなことを考えていたその時、先ほど出て行った花心の腕を引きながら部屋に入ってきた同い年くらいの少年の腹の虫が鳴いた。


「後は姉さん達が来ればいいのにー。まだ来ないの?」


少年が目の前に用意された食事を見つめ、そう呟いた瞬間襖が開く。


「待たせました」


そういい部屋に現れた少女は長い髪を高く結い上げ、汗ばんだ額を拭っていた。

綺麗な子だなと呑気に見ていると、ギロリと向けられたその大きな瞳と目が合う。

端正な顔立ちからは想像つかないほどの鋭い眼差しに驚く。


(…なぜ、そんなに睨むんだろう)


その訝しげな視線があまりにも分かりやすく、心の中ではははと笑った。


「すまない。待たせたな」


「皆ごめんね、さあ食べよう!」


後から入ってきた昌宜と千鶴の大きな声が響く。

賑やかな食卓に目をやりながら、ささやかに向けられ続けている少女の視線が気になってしょうがなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「あ、いたいた!」


今日は月が綺麗だと騒ぐ子供達につられて少し離れた縁側に座り1人で月を眺めていると、すごい勢いで走りながらこちらに近づいてくる影が見えた。


(食後にそんなに全速力で走って大丈夫なのでしょうか)


「こんなところにいたんだな!探したよ」


にんまりと微笑みこちらを見つめるその姿は、ご主人様を見つけた子犬の様な愛らしさがあった。


「桜さん。どうしたんですか?」


「やだなぁ、大した用はない!ただ鎮と話がしたかった!それだけだよ」


桜は鎮のすぐ隣に胡座をかき、月に目もくれず体ごと鎮の方へ向け自分の足に頬杖をついた。

小さく首を傾げ上目遣いでこちらを見つめているその様はまさしく子犬で、爽やかな顔立ちが一変し非常に愛らしいものになる。


「なぁ鎮、お前一体どこから来たんだ?」


鎮は背筋をピンと伸ばしていたため桜を見さげるような視線になった。

伏せられたその長い睫毛は月光に照らされて美しい影を生み出す。


「都の方からです」


返事をしながらも鎮はまるで違う系統の自の顔を眺めているようだと呑気に考えていた。


(適当に都なんて言ったけどさっき千鶴と名乗った少女が言っていたからそう答えただけであって、そもそもどこなのかすらさっぱりわからない)


するとその返事を聞いた桜は急に鎮に飛びつき大きな瞳を見開くとわざとらしく何度も瞬いて見せた。


「都から?!遠かっただろう?これからどこに行くつもりなんだよ?」


「…と、特に行き先は決まっていません」


それは事実だ。

なんせ目が覚めたら、あの田舎道の真ん中に立っていたのだから。


「え!?そうなのか?」


桜の大きな声で現実に引き戻される。

気がつくと、彼は顔をグッと鎮の目の前まで近づけていた。

その瞳に写る自分の姿をしっかり確認できるほどの距離の近さに動揺したが、鎮は瞬きで誤魔化した。


「あ、はい。旅の途中でしたので」


「修行の身なのか?どうりで道士のような格好だと思ったんだ!目的地もなく旅だなくて、これからどうするつもりなんだ?」


適当に旅の途中と答えたものの道士というのもよくわからない上にそもそもこれからの事なんて全く考えていなかった鎮は困り果て、何か良い返答はないかと頬を掻く。


「やっぱりお前もここにいたのか」


その時、背後から落ち着いた声が聞こえた。


「父様」


先程 平 昌宜と名乗ったこの人はこの家の主人だ。

その割に少し年若く見えるのは、彼の童顔のせいだろうか。

昌宜も桜と同様に鎮の隣に座り込む。


「どうも」


鎮は昌宜が腰を下ろすと同時に再び姿勢を直し会釈と共に挨拶をした。

するとまた昌宜は豪快に笑いだし、鎮の頭を大きな手でわしゃわしゃと撫でる。


(そんなに面白いことを言ったつもりはなかったけど…)


「はは。君は堅いな。そして桜は本当に人懐っこい。君たちを足して割ったらちょうど良さそうだ」


嬉しそうに話す昌宜の言葉の後、桜とお互いの顔を見合わせふっと笑った。

確かに驚くほど顔は瓜二つだが性格や雰囲気はまるで違う。

ほとんどが対照的だ。

同じ形のようで重ねて見ると正反対のパズルのピースのように。


「お、やっと笑ったな」


桜そう言われ、今までの自分の笑みが作り笑いだったことは露見していたのかと驚く。


「君は笑顔が可愛いな」


可愛いという言葉に喜んでいいものかと複雑な気持ちになったが、そう言われた途端無意識に肩の力が抜けた。

この人の情調は不思議だ。

初対面なのに隣に居ると気が休まる。

波ひとつない池に波紋が優しくゆっくり広がるように、鎮の空虚な心をじんわりと温めている。

そんな感覚がした。


「なあ鎮少年、桜と何を話していたんだね?」


「それは…」


「あ!そうなんです父様!鎮ったら、このご時世にあてもなく旅をしていたらしいんですよ!」


鎮の肩を掴んで桜が話に割って入ってくる。


「そうなのか?」


代弁してくれた桜の話を聞いた後に、昌宜は鎮の顔を見直し問いかけた。


「はい。あの、このご時世というのは」


桜のその一言が気になり問い返す。


「都は警備がしっかりしているから知らなかったのかな。半年ほど前からここらの田舎じゃ動物や民が襲われる事件が多発しているんだ。そのせいで神皇家に反発する輩も出てきた。治安がいいとは言えないな。男だからといっても武器も持たず一人旅なんてとてもおすすめはできん」


(なるほど。それは確かに由々しき事態)


「両親は心配してないのか?」


「事情がありまして、僕の両親はもういません」


口が裂けても自分で殺めたなんて言えない。

鎮は目を伏せあからさまに表情を曇らせる。


「そうだったのか…すまない不躾だったな。旅というのは、なんの目的で?」


「ただの宿無しです。親戚もいないので、当てもなく。ひっそり生きようと」


「そうなのか…」


鎮の答えに対していちいち自分の事のように悲しげな表情を浮かべる昌宜を見て何だか不思議な気持ちになった。

こんなにも他人の気持ちに寄り添う人間がいたのかと。

呆ける鎮に対して昌宜は「うーん」と唸り頭を抱える。


「なあ鎮。もうここにいたらどうだ?父様、どうですか?」


そんな2人の間にまたもや桜が割って入ってくる。


「え」


その突拍子も無い一言に間抜けな声が出た。


「おお、そうだな!今更家族が1人増えようが大したことは無い。兄妹達の面倒も見てくれるというならむしろ大歓迎だぞ」


戸惑う鎮を置いて2人は目を輝かせながら話す。

確かに、この家は他の家より大きい。

情報量も1人で探るよりか多いだろう。

下手に単独で動き回ってその攻撃運動の輩だと間違われても面倒だし、野宿も危ないだろう。

となれば、答えは1つ。


「よろしいのですか」


昌宜の方に姿勢を向き直し確認の意味も込めて問う。


「もちろんだとも!今日から君も私達の家族だな」


(また、自分の事のように喜ぶんだな…)


無骨な手で鎮の手をとり包み込む。

血豆やささくれで荒れているその手は見ているだけでも痛々しい。

鎮は包まれた手に感じる刺激と同時にどこか違う所に針を刺されたような痛みも感じた。


「良かったな鎮!なぁお前、呼名(こめい)はなんて言うんだ?」


後ろから抱きつくように桜が飛びついてきた。


「…こめい?」


耳慣れない言葉に戸惑う。


「ん?都のやつは呼名がないのか!…いや、そんなはずないよな?」


(いけない。僕はこの世界の知識が無さすぎる。住み着くのなら、それを誤魔化す理由を考えなければ)


「ん?」と頭を抱えながら眉を顰める桜を見て鎮は慌てて言い訳を考える。


「すいません、言っていなかったのですが旅の道中転んで頭を強く打ってしまったんです。それから色々記憶が曖昧な事がありまして」


「そうなのか!?鎮少年、怪我はもう大丈夫か?」


昌宜はそういい大袈裟に鎮の頭の怪我を探そうとする。

咄嗟についた嘘を鵜呑みにし、親身に心配されてしまった鎮は苦笑いを浮かべた。

いつもなら調子に乗ってもう一芝居するところであったが昌宜のまっすぐな眼差しに耐えられず言葉を詰まらせた。


「えっと…それはもう平気です」


「そうか?ならいいのだが」


鎮の返答に昌宜は頭の怪我を探そうとしていた手を止め、渋々座り直した。

すると次は桜が鎮の肩に腕を回し、引き寄せ得意気に語り出す。


「いいかぁ鎮!よーく聞け!呼名ってのは親しい仲や親族の間で呼び合う時だけに使う名前のことだ。授名(じゅめい)ほどでは無いけど初対面や外部の人間に名乗ることはまず無い。お近づきの印に俺から名乗るよ!皆、俺の事をサクと呼んでいる。花が咲くのサク、それが俺の呼名だ」


「じゅめい?」


ついつい知らない言葉に反応してしまいその単語をぼそりと口にする。

すると桜は「ああ!」と声をあげ、再び語り出した。


「普通は苗字と、名が3つあるんだ!俺で例えると、苗字は平、字は桜、呼名は咲、授名はー、秘密だ。授名は母と主人、そして自分だけしか知らない特別な名だからな。字と呼名は類似してる事が多い!この決まりは神皇家(じんのうけ)が制定した事だ。占術やら呪いやらそういったことに利用されるのは、そいつにとってより特別な名。だから字よりも特別な授名と呼名を作らせるようにしたってわけだ。って、急に沢山話したが…わかったか?」


桜は全て話し終わると鎮の肩を更に引き寄せ、顔を覗き込んで表情を窺う。

鎮は顎先に手を添えじっと一点を見つめたまま黙り込んでいた。

呪いや陰陽師などについて書かれた書物を加籃菜からんなで読んだことがあった鎮は、それが実在する世界に降りたってしまったのかと、別世界に飛ばされた現実をしみじみ実感していた。

そして、とある問題点に気がつく。


(あ…というか、僕の名前ってひとつしか無いけど)


「はい。理解できました。ただ、自分が名乗った鎮という名がどれにあたるのか…僕は記憶がないばっかりに口にしてはいけない名を名乗ってしまったのかもしれません…」


鎮はあからさまに項垂れ絶望に満ちた表情を作りながら、記憶を失ったか弱い流浪人を演じた。


(多分この世界だけ決まりだから、僕にはそもそも呼名も授名も存在しないのだろうけど)


「その名しか覚えていないのかい?」


「…はい」


昌宜の声は先程よりも低く、深刻そうに眉を顰めている。


「案ずるな、鎮少年よ。その名が字じゃなかった場合を想定して新しく作ろう。もし、鎮が授名であれば今後面倒になるだろうからな」


確かに本当に呪いを生業にする者が存在するのならいくら僕が別の世界の人間とはいっても危険だ。


「いいですね!父様!何がいいかな〜?」


そう言いながらサクは鎮をまじまじと見つめる。

昌宜はさっきの千鶴と同様に鎮の瞳をぐっと見つめてきた。


(…なぜ)


「君はとても純粋に見える。まだ知らない事が沢山あるのだろう。そうではないか?」


じっと鎮を見据える瞳はどこか寂しげだった。

その含みを不思議に感じながらもあながち間違ってはいないと思った。


「はい」


その返答に桜も鎮をじっと見つめた。


「これから知っていこう。自分も、今も。ただ、その心を自分の信じたもので染めてくれ。君の字は(じん)。今日からそう名乗りなさい」


雲間から差し込んだ月明かりに照らされ、夜風が髪を優しく揺らした。

この世界で生きていく、新しい自分を授かった。

鎮という存在は純粋ではあるがきっと無垢ではない。

何もかも捨て置いてきたとはいえ、僕の手は既に錆び付いた鋼のように落としても落としきれない穢れがまとわりついている。


仁。新しい名。


たったそれだけで、何か別の者に生まれ変われた気がしたんだ。

面白かったらブックマーク、

下の評価よろしくお願いします!



【名称】

・加籃菜 鎮の母が住まう。天空の真っ白な御所。


・神皇家 鎮が飛ばされた世界を治める一族

・字  普段呼び合う名

・呼名 親族、知己との間でしか呼び合わない名

・授名 自らの主人、母親しか知らない名



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