第十九話 契
【人物】
・仁 元の名は鎮。白髪の少年。現在は平家の長男。
・千鶴 呼名は千寿。平家の現当主。
・桜 呼名は咲。仁と同じく平家の長男。
・真白 無口な美少女。千鶴と風優花を常に気にかけている。
・林之助 呼名は凛。刀治道を一番心得ている真面目な次男。
・風優花 呼名は福。平家の末っ子。
・夜雀 闘人の最中現れた雀の面を被った男。姿形は海道。
(間に合わなかった…?こんなことって…)
込み上がる涙を堪えることができずただひたすら泣き続ける。
(私は、なにもできない…なにもできないじゃないの…)
- 「家族も守れない者が民を守る!?笑わせないで下さいよ!」
いつか、林之助が言っていた言葉。
本当にそうだと思う。
2人の会話を聞いていたあの時、自分の志に忠実に動いてよかったのだろうかと惑った。
けれど、どうしてもあの場で小豆を呼ぶことはできなかった。
誰も犠牲にしたくないという綺麗事の末に生まれた結果がこの様なんて。
選ばなくちゃいけないの?犠牲になる命が必要だった?
それが罪人と位置づけられた者だったら躊躇なく捧げるべきだった?
そんな大層な選択、私がしていいことなの?
どんなに聡明な志向を持ち合わせていたとしても人の命の末を決定する権利なんて…。
「ち…ちず……千鶴ーー!!!」
「えっ…」
桜の叫びで我にかえり、顔を上げるとすぐ目の前に先程の影赦の爪が伸びていた。
この程度の間合いならいつもであれば容易に跳ね返せる。
しかし混乱状態であったせいか上手く体が動かず、千鶴はもうダメだと反射的に目を閉じた。
その瞬間全身に衝撃が走る。
「…くっ」
「…う"っ…」
思わぬ感覚に恐る恐る目を開けると、そこに顔を顰める桜の姿が映る。
「…!桜!?」
「すまん…格好つけて庇ったのはいいんだけど…、もう、両腕が使いもんになんねぇや…」
「…そんな…」
ぎこちなく笑う桜の表情にはいつもの余裕が少しも感じられない。
今手元に刀はない。
苦無もさっきのが最後の1つだった。
どうするべきか…桜は腕をやられてるから刀を振れないし…
武士の刀は主人の己気から成り立つ物。
部外者が握っても、その力は発揮されない。
動ける私が…なんとかするしか…
「…来たか」
風の揺らぎ感じ振り返ると、靄から先程の影赦が現れこちらに襲いかかろうと再び腕を振るっていた。
覚悟を決め、千鶴は桜を庇うように立ち塞がる。
(ありったけの己気を全身に纏えば…)
「えっ…?!!」
その瞬間背後から衝突され地面に突っ伏する。
何が起きたのかわからず混乱していると、その上に桜が覆い被さるように倒れてきた。
「ちょっ桜!!何してるの?!」
「今の攻撃は躱せたが、同じやり方はもう通用しねぇ。そのままできるだけ多くの己気を表面に纏え」
「この体制じゃ桜を守れない!!」
覆い被さる桜を必死に押し退けようとするも、抵抗され全く体制を変えることができない。
「お前は守られる立場なんだ!今の俺の使い道なんてこれくらいしかない!頼むから、聞き入れてくれ…!!」
桜がそう叫んだ瞬間再び風の揺れを感じ、心臓を掴まれたかのような衝撃が走る。
(待って…嫌だ…来ないで)
どうして皆、そんなことを言うの。
私達は家族。
武家という肩書きを持っているだけのただの家族なんだ。
どうして、私だけ守られなくちゃいけないの。
私が守る立場だったはず。
皆を守られなかったのは私の責任…。
そんな私がどうして、家族の命を犠牲にしてまで守られる立場にいるの。
(父さん…私は…、私はいつから、こんなにも弱くなった…?)
「千鶴…」
再び音が聞こえなくなり、時が止まったような感覚に陥る。
桜の囁く声だけが響いた。
覆い被され、遮られた視界の中でもあの影がこちらに迫っているのは感じられる。
千鶴の頭を掴む桜の手に力が籠った。
ハッとし、なんとかここから抜け出そうと踠く。
時間がない。
(早く、早く桜を逃さないと…!)
「お願い桜!お願いだから!!」
「…無理だ!」
- ザクッッ
何かを貫く音が微かに届き、その不快な響きに目を見開いた。
混乱した頭で状況を把握しようと視線を左右に動かすも、依然として桜が覆い被さっている為、何が起こったのか全くわからない。
血の匂いはしない。
「何、が …」
- 「捕縛」
そう呟いた瞬間、聞き慣れた声が聞こえた。
「危なかったぁ。流石にちょっとのんびりしすぎたや」
声の主はこちらに歩み寄り桜を抱き起した後、千鶴に手を伸ばした。
どういうことなのか理解が追いつかずその瞳をじっと凝視する。
「大丈夫、僕は本物だよ。ほら千鶴、手を」
呆然としているとその人物は千鶴の体を無理やり起こし、両頬に手を添えた。
「うん、よかった。大した怪我はないね。桜は…色々やっちゃってるみたいだから後で応急処置するね」
「おい…お前なんで」
桜も目の前で平然と話しかけてくる人物に驚きを隠せていない。
「夜雀はどこかに行ってしまったみたいだし。ひとまずここから離れよう」
そういうと千鶴と桜を軽々担いだその人物は駆け出した。
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(いっ…たぁ……なんなんだ今の衝撃)
「はっ…」
僅かに目を開くと靄の奥に潜む大きな満月の姿が映った。
(これは…?…いっ……ったぁぁあ!!!)
叫びたい気持ちは山々だったが身体が痙攣を起こしていた為に声を上げることができなかった。
状況を確認しようと視線を動かすも、靄のせいで周囲の景色はほとんど目視できない。
分かったことといえば先程の衝撃は仁の隣にそびえ立つ大木に向かって蹴り飛ばされ、体を打ち付けられたからだろうということくらいだった。
(今どうなってるんだ…ついうっかりしていた。…?)
必死に情報を探っていると、ふと自分の右手に握られた刀の存在に気づく。
(これは…どうしてここに)
-「何って。もう死んじゃってるか、虫の息の奴を生かしておく理由なんてないだろ?なんなら死のうに死ねず、苦しんでいるかもしれないんだ。解放してあげたほうが仁ちゃんの為だよ?」
-「何勝手なことを…あなたがやったんじゃない!!」
-「おい千鶴っ、今は無闇に動くな!」
突如言い争う声が聞こえ、その方向に耳を傾ける。
夜雀…!?それに、千鶴と桜の声がする。
まだ微かに痙攣したままの手で刀を握りしめた。
やはりこれは僕の刀だ。
僕は蹴り飛ばされたはずなのに、どうして刀がここにある?
小刀の方は見当たらないし…まあそれはこの場を逃げ切ってから考えよう。
一先ず動き出そうと体を起こすと、こちらに歩み寄ってくる夜雀の姿が目に入り仁は咄嗟に体制を元に戻す。
(あっぶなかったー。なんて時にくるの…)
己気を鎮め、呼吸を浅くした。
足音は真っ直ぐこちらに向かって来ている。
このまま何もせずに通り過ぎるなんてことは無さそうだな。
足音はピタリと真横で止まった。
何をしてくるか…。
もしもの時のために己気で防御しておきたい気持ちは山々だがそんな事したら僕に意識があることが露見してしまう。
…!!!?
「ねえ、2人とも。どんな気持ち?大好きな仁ちゃんが目の前で殺されそうになってるってどんな気持ちなの?」
されるがまま体を持ち上げられ刃先を首筋にあてられる。
「あれ?やっぱりちゃんと心臓突けてなかったみたいだな」
夜雀は仁の微かな呼吸を感じとったのかそう千鶴達に聞こえないように呟いた。
-「海道…!!」
-「あなたの目的は何?一体…何がしたいの?」
楽しそな夜雀とは対極的な桜達の声に耳が痛んだ。
(くそ…反撃にはまだ早い…まだ………、?)
その瞬間、首筋に当てられた刃が微かに震えていることに気がついた。
それが何の震えなのか仁は目を閉じている為確認することができない。
しばらくしてカランと乾いた音がし、その後両手で首を掴まれじわじわと気道を塞がれる。
夜雀が大きく深呼吸したのを感じ仁は内に秘めた己気を解放するべく指先に力を込める。
(まずい…ここまでか…)
- 「武家一族の滅亡だ」
その一言の後、仁の首を掴む力が急激に強くなった。
仁はそれと同時に己気を解放し、夜雀の鳩尾目掛けて拳を繰り出す。
-ゴリッ
しかしその拳は外れ、直後謎の鈍い音と衝撃が走り喉の締め付けから解放された仁はその場に崩れ落ちた。
胸を押さえ激しく咳き込みながら目一杯酸素を取り込み、自分の体に異常がないことを確認して辺りを見渡す。
しかし夜雀の姿は見当たらない。
(今の音…痛そうだったな…一体何が…)
仁は側に落ちていた刀を拾い構えると、瞳を閉じ聴覚に意識を集中させた。
すると靄の奥から夜雀の呻き声と何者かと口論している声が聞こえた。
「貴様…どうしても俺の邪魔をしたいようだな」
(何者かが夜雀を突き飛ばして僕を助けてくれたみたいだ)
しかし夜雀以外の気配は己気どころか、呼吸音すら感じられない。
仁は再び聴覚に意識を集中させた。
-「ちょっ桜!!何してるの?!」
「はっ…千鶴…!?」
切羽詰まった千鶴の声を聞き取った仁はハッと顔を上げ、その方向へすぐさま駆け出した。
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「ちょっと仁!」
「いったぁ!!」
脇に抱えられたまま千鶴は仁の腰に肘鉄をくらわせた。
「ちょっと、千鶴…何するのさ…」
「下ろして。もう1人で立てるから」
千鶴は下ろされた後、腰に手をあて体を捻る仁を訝しげに見つめる。
「あんた…なんでそんなにピンピンしてるのよ。いくら仁でも生身の人間が胸一突きされて首の骨まで折られて平気な訳がないじゃない」
「えーっと…」
仁は困り顔を誤魔化すように、指で頬を掻き口端を引き攣らせて笑う。
「ちょっと!誑かそうとするのは許さないわよ」
そういい顔の前で拳を強く握って見せると仁は慌てて「わかったわかった」と両手で制した。
千鶴が拳を引き腕組みをすると、仁は安心したのか「はぁ」と一息つく。
そして近くにあった木の根の側に桜を寝かすと自分もその隣に座り込み、千鶴を手招いた。
「話すから…落ち着いて…ね?」
「…わかった」
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「夜雀に刺されるのはあくまで作戦の内だったんだよ」
「え、はぁ!?」
「いやぁまさか、心臓付近を貫かれるとは思わなかったから予想より出血量が多くてちょっと焦ったけどね。刺された位置が少しでもズレてたら一発でお陀仏だったし。僕は運が良かったみたいだ」
仁は大きく伸びをした後そうサラッと言ってのけた。
千鶴は思わぬ発言に目を剥き眉を大きくうねらせる。
「で、でもどっちにしたって…」
「僕は刺される直前に移魂術法を使ったんだ。だから夜雀が貫いた僕の身体は形だけの物で、いくら出血多量であっても刀さえ無事ならまた己気を戻して復活できるってこと。この術に関しては千鶴の方が詳しいでしょ?」
千鶴はそう言われてやっと以前昌宜が教えてくれたその術を思い出した。
- 移魂術法。己気で形成された刀に自らの己気を全て注ぎ込むと、一時的に身体は形だけの物となり、いくら外傷を与えても効果はなく、後でその己気を体内に戻せば瞬く間に傷は完治する。
ただこれは本当の最終手段であって、もしその時に刀を折られたらそれこそもう助からない。
それに12時間以内に己気を元に戻さないとその身体は腐敗してしまう…そんな命がけの技だ。
「どうして私に言ってくれなかったのよ…本気で死んじゃったと…」
「この作戦、千鶴に言ったら自分がするって言い出しそうだったからね。それに、僕は君を残して死ねないよ」
若干涙目になりながらそう告げるも、仁はこちらを見つめいつものようににっこりと笑った。
「あの時だって、僕に任せてって言ったじゃない」
「私を…」
言いかけた後口を噤むと、仁は千鶴の顔を覗き込む。
「どうしたの?」
その視線から逃れるように顔を逸らすと、胸元に広がる出血の跡と首元の痛々しい青紫の絞め痣が目に入る。
何も言わない千鶴に仁は「ん?」と再び返事を仰ぐ。
あまりにもじっと見つめられ、動揺した千鶴は「あ…え、っと…」と言葉を詰まらせた。
「…千鶴大丈夫?どうしたのさ?もしかして体調でも悪いの?」
その瞬間微かに手が触れ合い、心臓をギュッと掴まれたような感覚が走る。
即座に手を引っ込めると仁は困ったように眉尻を下げ「あ、ごめん」と呟いた。
「違うの!」
「え?」
仁はぽかんとした様子で再びじっと千鶴を見つめる。
(違う…?違うって何が?私、どうしちゃったんだろう…)
夜風で冷えた手のひらを額にあて、こんがらがってしまって上手く整理がつかない頭を冷やす。
「どうしたの?頭が痛む?」
でも、今一番言いたくて、一番明確な言葉は…
「私を不安にさせないで」
そう呟くと仁は驚きで何度も目を瞬いた後、しばらくして「ふふっ」と力無く笑う。
仁のこの表情…前にも見たことがある気がする。
幼い子供を諭すようなそんな視線。
そういえば私は、仁の過去をあまり知らない。
両親はいないと言っていたけど、兄弟はいたのかな。
何か事件に巻き込まれて亡くなってしまったのかも。
この時代ならよくある話だけど。
それなのに悲の感情を漏らしているところを一度も見たことがない。
それどころか2年前のあの事件の時も取り乱してしまった私や桜を宥めてくれた。
仁の強さはどこからきているかずっとずっと不思議に思ってたんだ。
年齢の割には大人びていて、人生を達観しているような…そんな落ち着き。
私達もそれなりに成長はしているけど、仁は初めて会った時から見た目も性格もずっと変わらない。
…その心は…私に対しても全く揺らがないの?
「…わかったよ」
仁は千鶴の不安を感じ取ったかのように、頷きそう答えた。
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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【武家が使用する気術】己気をつかい繰り出す術。
・移魂術法 己気を刀に全て注ぎ込む事によって
一時的に自らの体に与えられるダメージを
無効にする術。だが、その術の最中に刀を
折られると、己気ごと主の魂は死滅てしま
うリスクの高い技。




