第十五話 秘想
【人物】
・仁 元の名は鎮。白髪の少年。現在は平家の長男。
・千鶴 呼名は千寿。平家の現当主。
・桜 呼名は咲。仁と同じく平家の長男。
・真白 無口な美少女。千鶴と風優花を常に気にかけている。
・林之助 呼名は凛。刀治道を一番心得ている真面目な次男だが、二年前の事件で千鶴達に対して反抗的になっている。
・風優花 呼名は福。平家の末っ子。おっとりしているが 周りをよく見ている気配り上手。
・流浪影赦 通常の影赦と違い、何者かによって放たれた主人のない影赦たち。
「それ、さっきからすごく気になるのですが」
戸に雨が打ち付けられる音が酷くなり、先ほどに比べて風も強くなったのがわかる。
問いかけてきた林之助は桜の目の前であぐらをかき、不服そうに口を尖らせていた。
彼の視線で、桜は自分が無意識に指先を絶え間なく動かしていたことに気づきそれを止めた。
「どうして仁兄さんに行かせたんですか」
「…なんだよ」
「そのままの意味ですよ」
間髪をいれずに言い返され、桜はそっぽを向く。
桜は内に秘めていた焦りを弟に見抜かれてしまい、恥ずかしさで上手く反論できずにいた。
「僕が兄さんの立場だったら絶対に自分が行きます」
「あーあーそうかよ」
林之助が言わんとしていることを察した桜は、ばつが悪そうに答えた。
いつもの口が達者な桜を知っている林之助はその返答を不審に思い首を傾げる。
(そうだ。仁に千鶴の様子を見てきてほしいと頼んだのは俺)
林之助からしたら長年側にいた俺が自ら行かないのが気に食わないのだろう。
でも、仁は俺よりも早く千鶴の異変に気づいていた。
あいつは普段からよく周りを見ていると言ってはいたが俺が知らない千鶴の癖を見抜いたり、家族間の空気の乱れを察知したりと、とにかく観察力が凄まじい。
俺も最近の千鶴の異変は只事ではないと思っていた。
だからこそ落ち着いて状況を判断できる仁の方が今回は適任だと思ったんだ。
俺が行くとまた思ってもないことを言って喧嘩になりそうだし。
悔しいけどあいつは俺たちよりも大人だ。
なんというか、達観しているというのだろうか。
自分も当事者のくせに、客観的に状況を把握し自分のすべき立ち回りを考えているように見える。
だからこそ不足の事態がおきても千鶴を守ってくれるだろうし、取り乱すなんてこともまずないだろう。
まあ、あくまでも俺の推測に過ぎないからあいつからしたら全て気まぐれなのかもしれない。
でも裏切ったり変なことを為出かすことは無いはず…そう思っていた。
(だけど…)
「遅くないかあいつら!?」
「そんなに気になるんだったら様子見に行けばいいじゃん」
「うるせえ林之助!これは大人の対応ってやつなんだよ黙ってろ!」
そう叫ぶと、林之助はポカンとした顔で桜を見つめる。
「いや、今の僕じゃないです」
林之助が指差した方向に目をやると、真白の肩に凭れたままこちらをじっと見つめる風優花の姿があった。
真白は先程の声を聞いて固く閉じていた瞼を開き、驚いたようにその大きな目を瞬かせた。
そして彼女の横髪を耳にかけ顔を覗き込みながら囁く。
「風優花?起きてたの?」
問いかけに静かに頷き反応した風優花は、真白の手を取り両手でぎゅっと握りしめ、桜に向かって言う。
「お兄、それが本当に大人の対応なの?」
「そうだよ。お前も大きくなったらわかるって」
風優花に射るような視線で問いかけられ咄嗟にそう言い放ったものの心には小さな蟠りが残っていた。
しばらくの沈黙の後、風優花は視線を逸らしため息混じりに呟く。
「…それが大人なら私はずっと子供でいいな」
その一言に林之助と桜は互いの顔を見合い困惑の表情を浮かべる。
真白は握られた手元を黙って見つめていた。
「…風優花、何が言いたいのですか?」
話の意図が掴めずにいると林之助がそう問いかけた。
風優花は途端にシュンとし、眉尻を下げる。
「…私は前みたいに2人に仲良くしてほしいだけなの」
くぐもった声で答えた風優花の言葉に更に疑問が募る。
桜は疲労と焦りでぐちゃぐちゃになった思考回路のまま受け取った言葉を解読し思ったままを風優花に告げる。
「何いってんだよ。俺達は前と何も変わってないぞ?」
「なんだか、距離があるように…みえる」
「どういう意味だよ…」
眉を顰め軽く息を吐くと真白からギロリと睨まれ桜は更に困惑する。
本当に意味がわからない。
俺達は前と変わったつもりはないんだ。
側から見たら変わっているように見えているのか?
(…こんな時、仁なら自分の状況を客観視して皆の気持ちや千鶴の苦悩を汲み取ることができるんだろうな)
無意識に仁と自分を比べ悔しさが込み上げてきた桜は、自分の頬を思い切り叩き気持ちを落ち着かせた。
そして額に手を添え俯き「んー」と唸りながら思考を整理し始める。
千鶴は今まで通り家族の為に動いているし、俺だってそんな千鶴を支える為に手を尽くしてるつもりだ。
今回に限っては俺よりも仁が行った方が滞りなく話が進むと思ったからで、別に行きたくなかった訳ではない。
その証拠に俺は今だってあいつらを気にかけてるし、心配でいてもたってもいられないくらいなのに。
真白は頭を抱えだした桜を一瞥しため息を吐きだすと、再び目を瞑りいつにも増して低めの声で桜に問う。
「腹を割って話したのはいつが最後だ」
「話なんてこの間もしたし。しょっちゅうしてるだろ」
首をかしげながら即答すると真白はその眉間の皺を更に深める。
「腹を割って、と言っただろ。お前の変な思考を抜きに自分の本心だけでどうしたいかを伝えたのはいつだと言ってる」
「は?そんなの…」
いつにも増して鋭い口調で言い返す真白に「いつもそうだ」と言いかえしてやろうとするも、最後まで言い切ることができず自分でも動揺した。
(何も考えず言い合って千鶴と喧嘩してぶつかりあったのは…)
「お前がそんなんだから、千鶴さんも1人で抱え込んでるんじゃないのか。お前の素直な意見はなんだ」
黙り込む桜に真白が続けてそう吐き捨てた。
「お兄も、抱えてないで本音で色々話してよ。そんなに…私達頼りにならないのかな?」
「いや!そんなことは…」
寂しそうに呟く風優花に弁解しようと慌てて言いよると、うっすら目を開けた真白と目が合う。
(…そうだ。こうやって真白にムカつく目つきで見られるのも言い合ったのもいつぶりだろうか)
風優花達を頼ってなかったというより、この子達には荷が重いと思ってたんだ。
こんな幼い子達が自分の宿命を背負って苦しむには早すぎると。
「千鶴のように、苦しんで欲しくなかったんだ…」
向き合った真白達の目を見れず、俯きながら告げる。
あいつは幼い頃から平家の時期当主としての責任を感じながら生きてきたんだ。
だからこそ武家の中でも並外れた強さを持ち、今だって揺らぎを見せないように、1人で抱え込んでいる。
幻者をしていたあの日の千鶴の涙が脳裏に過った。
俺達は家族であると同時に国を支える武家の一族でもある。
当主の弱さを露見させることは例え家族間であれ、この平家の存続に関わると考えていた。
しかし、それをわかっていながらも俺は自分の不安感を抑えることができず別の形で家族に心配をかけてしまっている。
原因はひとつだ。
自分でも分かりきっている。
(今や家族とはいえ…千鶴は…)
「俺が守ると誓ったはずなのに…」
桜は誰にも聞こえないよう小さな声で呟いた。
「ずるいよ、お兄。矛盾しているよ。姉さんには無理してほしくないのに自分はそうやって1人で頑張るの?」
かけられた風優花の言葉にハッとし顔を上げた。
「私達の気持ちはお兄が一番わかると思うよ」
「それは…「あーーーもう!!」
言葉を濁す桜に痺れを切らした林之助が背後から思いきり蹴りつける。
勢いよく突っ伏した桜はお尻を突き出した状態で額を床に打ちつけるというなんとも恥ずかしい体制になった。
真白は「あらら…」と呟く風優花の目元を手で覆い隠し蔑むような目で桜を見下ろす。
「破廉恥な」
「いや今のはどうみても不可抗力だろ!?」
桜は赤くなった額を手で押さえながらいつの間にか耳栓をはめ、風優花の両耳に手を添えている真白に向かって叫んだ。
そして次に背後に佇む林之助を睨みつける。
「おい林之助!お前!何してくれてんだよ!風優花の教育に悪いだろうが!」
「ほら声出るじゃないですか。いつも声量馬鹿なくせに大事なときに限ってもごもご話さないで下さいよみっともない!それでも男ですか!?結局兄さんはどうしたいのかを皆は知りたいんですよ!」
腕を組み貧乏揺すりをしながら桜を見下げる林之助。
真白、風優花からもじっと見つめられ居た堪れない気持ちになる。
桜は観念したように大きく息を吐き肩の力を抜いた。
しかし手先はプルプルと微かに震えている。
(もうどうにでもなれ…!!)
「俺だって…俺だってな!千鶴の1番側にいたいんだよ!んなこと言わなくなったってお前達ならわかるだろ!当主とか抜きにしても俺はあいつを護りたいんだ!恥ずいんだよこんなこと口にするの!察しろよな!」
桜は顔が熱くなるのを感じながら叫んだ。
言葉を上手くつむげていたか定かではないが小っ恥ずかしい事を曝け出してしまったことに変わりはない。
チラリと見た風優花の顔は真っ赤になっており、真白は「フン」と小さく笑っていた。
核心に迫る言葉は発していないものの、桜の表情や物言いを見れば最年少の風優花でさえその本意を容易に推測できたのだろう。
「今日は早めに寝る。風優花、おいで。雷が鳴り始めたら寝れなくなるよ?」
「え!?あ、それはやだ!…お兄…は、とりあえず頑張ってね!」
真白はしらけた顔でじっと桜を見つめた後小さく息を吐き、そういいながら部屋の隅で横になる。
雷が大の苦手な風優花は真白の一言にハッとしすぐさまその隣で横になり懐に顔を埋めた。
一部始終をぽかんと見つめていた林之助も、真白達が眠り始め静かになった部屋の真ん中に1人残された桜を気の毒に思い、彼の目の前にかがみ込む。
そして今度は比較的柔らかな口調と今の林之助が言える精一杯の言葉で桜を窘めた。
「さっきも言いましたけど。僕はこれでもやるときはやる男なんで、兄さんの立場だったら絶対違う男になんて行かせないです。まあ僕よりもひ弱で臆病な兄さんなら仕方ないのかもしれませんけど」
「はぁ!?」
助言と思わせておいて最後には毒づく生意気な林之助に桜は掴み掛かろうとしたが、それをあっさり躱され再びなんとも言えぬ滑稽な体勢で突っ伏する。
林之助は今まで兄の情けない姿など欠片も見ることがなかった。
故に込み上がる複雑な感情に耐えられず、わざとらしく髪の毛を手で払う仕草をし踵を返す。
「僕、健康志向なんで寝ます。おやすみなさい」
「は、ちょい!林之…」
叫びも虚しく、さっさと横になり寝息を立てはじめた林之助に手を伸ばしたまま桜は固まる。
その指先は微かに震え、少しの後力強く握られた。
皆の寝息と雨の音、そして自分の早まる鼓動が桜の鼓膜を刺激する。
心臓の音。
それは生きている証。
桜は自分の心臓に手を当てる。
ふと、遠い記憶を思い出した。
氷のように凍てついた身体に触れた時のあの絶望感。
その現実を拒否してまでも手に入れた今の幸せ。
それは仮初なんかではない。
何を思い出したのかは分からないが、何か…大切な事を忘れている気がした。
漠然と感じた消失感と絶望。
「くそっ…」
重たい腰を上げ静まり返った家屋から抜け出し、桜は駆け出した。
どこにいるのかわからない、幻のような後ろ姿を追いかけて。
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「なるほど。都には水辺がないから、大雨の時にできる小川を使って幻者をしていたと」
「…うん」
「他には?」
膝を抱え俯く千鶴に続けて問うと、彼女は気まずそうに眉尻を下げ黙り込んだ。
「それだけで千鶴があんな取り乱し方しないでしょ?」
さっきの雨で霧が濃くなり、少し距離を置いて座る千鶴の姿が霞む。
そっと立ち上がり真横に座り直した仁を千鶴は驚いた様子で見つめた。
「危ないから」
話の続きを促すようその顔をじっと覗き込むと、目線を逸らした千鶴は一瞬口元をギュッと結び答える。
「…幻者は血を媒介とするでしょ。大量に血を流すと、影赦を制御する力が弱まる。それだけだから」
「うん。嘘ついたでしょ今」
仁は間髪入れずにそう言い返した。
「千鶴、嘘ついてる時の癖があるんだよ」
動揺している姿を可愛く思い小さく笑うと、千鶴は自分の両頬を押さえ仁をじっと見返した。
「え!?本当に言ってる?どんな癖なの?」
よほど焦っているのか、千鶴はつい先程まで気まずそうにしていたのに今度は仁の肩を掴み詰め寄ってくる。
そして仁を引き寄せ真剣な眼差しでじっと見つめた。
「…あー…っと…。桜じゃあるまいし、そんなに詰め寄らなくても僕は逃げたりしないよ」
千鶴の顔があまりにも近くにあったため、仁は頬を指でかきながら告げた。
さっきの出来事を思い出してまた少し緊張しているのかもしれない。
いつもなら対して気にしないのだけど。
いつか、自称モテ男の桜から僕は女性に対しての扱いがなってないと説教されたことがあった。
それをふと思い出し、今更ながら落ち着けるためとはいえ女の子にいきなり口付けるのは如何なものかと反省していた。
「あっ…ごめん、つい」
仁の困り顔をみて慌てて飛び退いた千鶴は、その場で再び膝を抱き座り直した。
「…そう言えば。もう出てきていいんじゃないかな?」
2人の間に流れるいつもとは違う空気感に耐えられず、仁は話を変えるために森の奥に潜む影にそう話しかけた。
「…もしかして、初めから気づいてた?」
「もちろん」
驚きで目を丸くした千鶴の問いに即答すると、彼女は観念したように息をつき「おいで」と森の奥に声かける。
「やぁ、お久しぶりだね」
明るい声でそう呼びかけるも、返答はない。
懐かしい姿が徐々に鮮明に映る。
千鶴はますます表情を曇らせ気まずそうにその人影と仁を交互に見つめた。
「それじゃあ、詳しい話を聞こうか」
その場に不釣り合いな仁の明るい声が響いた。
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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