第十四話 慈雨
【人物】
・仁 元の名は鎮。白髪の少年。現在は平家の長男。
・千鶴 呼名は千寿。平家の現当主。
・桜 呼名は咲。仁と同じく平家の長男。
・真白 無口な美少女。千鶴と風優花を常に気にかけている。
・林之助 呼名は凛。刀治道を一番心得ている真面目な次男だが、二年前の事件で千鶴達に対して反抗的になっている。
・風優花 呼名は福。平家の末っ子。おっとりしているが 周りをよく見ている気配り上手。
・原田家 現在の原田家当主は、神皇家の関白として政治に関与している。
・藤堂家 原田家同様、代々神皇家を守護してきた武家の名家
・流浪影赦 通常の影赦と違い、何者かによって放たれた主人のない影赦たち。
「つまんない」
そうぽつりと呟くと背後から呆れた視線を感じ、仁は両頬を膨らませ振り返る。
視線の先にいた桜の髪は雨露で少し濡れていて、伸びた前髪を掻き上げながら仁を見つめていた。
「仁は落ち着いてんのか子供なんか自由人なんか本当わかんねえよなー」
「僕は僕だよ」
そう言い返しその場に寝転がった仁を見つめる桜は、わざとらしく細めた目を更に細めてみせた。
仁は桜を上目遣いで見上げ微笑む。
「仁、また物騒なこと考えてるんじゃないだろな」
「兄さんが臆病なだけだ。僕は1日でも早くあの夜雀って奴をとっちめてやりたいのに」
桜の問いに仁が満面の笑みを浮かべたまま黙っていると別の声が割り込み、2人は揃ってそちらを振り返った。
その声の主を睨んだ桜は怒りを堪えながら呟く。
「お前な、誰が臆病だって?」
「違うんですか?」
部屋の隅で腕を組みながら貧乏揺すりをする林之助の視線は、焦りと怒りで歪んでいた。
桜はむくれた林之助の元へ駆け寄り額を勢いよくぶつける。
こうやって毎日のように至近距離で睨み合ってお互い額が真っ赤になるまで擦り合うんだから、一周回ってすこぶる仲がいいんじゃないかと思っている。
そしてずっと瞳を固く瞑ったままの真白、それに寄り添う風優花。
その様子を見守る千鶴と僕。
僕はこの様子を面白がって見ているけど千鶴は時折悲しげな表情を浮かべる。
ほんの一瞬。
本人に自覚は無さそうだけれど。
夜雀と白装束の男が現れた初日からもうかれこれ20日が経つ。
あの日のことは幻だったかのように微塵もその気配を現さない。
僕は夜雀という奴と手合わせしてみたかったし、白装束の男の存在が気になってしょうがないのに。
こんなもやもやを抱えたまま任務をこなせなんて僕からしたら苦行に等しい。
(今日は雨か…)
雨戸に打ち付けられる雫の音が部屋に響く騒がしい声に紛れ微かに届く。
いつもなら朝日が差し込む時間帯だけれど、外は未だ夜のように薄暗い。
太陽は分厚い雲に覆われているようだ。
(雨を初めて見た時は本当に驚いた。空から水が降ってくるんだから)
こればっかりは、僕のいた世界の方が快適だったと思う。
嬉しかったというか、興味が湧いたのは初めの頃だけで今は服が濡れて張り付いてしまう感覚がどうも気に入らないから少し嫌いだ。
(それなのに…)
「また出かけようとしてる」
床に横になりながら密かに周囲を観察していた仁は、騒がしい部屋からそろりと抜け出す人影を目で追う。
(こんな雨の日を狙って抜け出そうとするなんて気がしれないなぁ。本当、物好きなんだから)
部屋から抜けだした人物の気配が遠のいたのを確認し、言い合いをしていた桜達に仁が視線を送ると2人はぴたりと動きを止めた。
「真白、寝てるの?」
仁は続けて座った状態で目を瞑っている真白に声をかけるが、真白は全く反応を示さない。
目を開けてその表情が動いていれば手にとるように考えていることがわかるのに。
(この子は狸寝入りなのか本当に眠っているのかわかり辛いんだよなぁ)
風優花は真白の肩に頭を置き、すやすやと寝息を立てている。
こちらは確実に眠っているだろう。
赤子のようにまん丸とした頬に、少し開いた口。
真白と1歳しか変わらないというのに、こんなにも対照的な組み合わせがあるものかと可笑しく思う。
正反対だからこそ相性がいいのかもしれないけれど。
「頼んだ」
仁は声をかけられ振り返り、不安げなその目を真っ直ぐ見つめ深く頷いた。
「わかってるよ」
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「いつもどこに行ってるのかと思ってたんだよ」
「…仁」
暗がりに佇むその人影は仁の存在に気づくと慌てて振り返り、自分の背後を隠すように服の裾をはらった。
「隠さなくてもいいよ。僕がそんなこと気にすると?」
ふわっと笑ってみせると、観念したようにその人物は肩の力を抜き息を吐いた。
「仁って本当目敏いよね」
「それ褒めてるの?」
ゆっくりこちらへ歩み寄る影に雲の隙間から漏れた微かな光が当たり、その姿が露わになる。
雨に濡れた彼女はいつもとは違う艶な美しさを纏っていた。
「受け取り方の問題よ。私は褒めてる。その冷静さと聡明さは当主に必要な要素だもの」
「冗談はやめてほしいな。当主は千鶴でしょ。僕は君の手足にすぎないよ」
そう告げたと同時に仁の鳩尾目掛けて拳が振われる。
2人を包む空気が一気に張り詰めたものになった。
なんとか拳を片手で受け止めると、押し付けられたまま更に力が込められる。
彼女の表情は俯いているために確認できない。
「急にどうしたの?」
「私は…誰も手足だなんて思ってない」
更に込められた拳の力強さに片手で受け止めることの限界を感じながらも仁は必死に耐えた。
「小豆のことも?」
ガバリと顔を上げた千鶴は仁の襟元に掴みかかる。
仁は表情ひとつ変えずに彼女をじっと見据えた。
「仁に何がわかるの!あの子の何を知ってるの!?私が自分の影赦をどうしようと勝手でしょ!」
「それと?」
「…はぁ?」
仁は自分の胸ぐらを掴む千鶴の手を取り、顔を寄せる。
「他に言いたいことはある?」
濡れた前髪から覗く千鶴の瞳には昏い影が見え隠れした。
いつも動揺している時に揺らぐ瞳も今は痛いほど真っ直ぐに仁を睨みつけてくる。
「当主なんて私じゃなくたっていい。こんな奴が長女だからって当主になるのは間違ってる!養子だろうと関係ない!仁、あなたにだってその資格があるの!」
「それを父様が望むと思っているの?」
落ち着いた声色でそう問いかけると千鶴は更に呼吸を乱し、胸ぐらを掴む手に力が入る。
「父さんは…私を認めてくれてなかった。だってあの日、幻者したあの夜!父さんの魂は私の呼びかけに応えてくれなかった!術は成功したから私にその力が受け継がれていることは確かなのに…!!」
そう叫んだ後、背後の木に体を強く打ち付けられる。
「っ…」
その衝撃で木にヒビが入りメリメリと音が鳴った。
仁にはその音が悲鳴のように聞こえた。
雷が鳴り始め、雨の匂いも濃ゆくなる。
仁は掴まれた襟首に滲む朱殷を一瞥すると、諭すような口調で千鶴に告げた。
「千鶴…木も命だ。君らが尊敬する神が作り出した命だよ。ものに当たってはいけないじゃない」
「知らないわよそんなこと。その神が存在するせいで神皇家が生まれて、その神皇家の使いの者に父さんは殺された。私にとって、家族以外の命は恨むべき相手に過ぎないの。ところで…あなたは何しにここに来たのよ」
「千鶴こそ、どうしてこんな所に?」
問いを無視し仁は彼女の目を真っ直ぐ見て問い返す。
彼女が今何を思ってるか、おおよそ想像はついているつもりだ。
出会った当初は勝気で男勝りな性格に見えた千鶴。
けどあの事があってから、心に迷いを抱えているように感じる。
それが当主としての責任からなのか、それとも別の……。
その瞬間、仁の目の前に銀色の光が走る。
喉元に突きつけられたそれは仁の肌を斬りつけ血を流した。
刀身に映る仁の顔は朱殷に染まる。
小太刀を突きつける千鶴の目は真っ直ぐに仁を捉え、獲物を狙う狼のような鋭さを秘めていた。
刃が当てられた場所から鈍痛がし、ドクドクと血の流れを感じる。
「頸動脈は斬ってない。けどこれ以上無駄口叩くなら容赦しないよ。私、本気だからね?」
そういう千鶴の目は全く笑ってなかった。
(ここまで…かもしれないな)
仁が軽く息を吐いたその時、背後から物音がし一瞬の隙ができる。
千鶴の視線が動いたのをきっかけに彼女の足を思い切り蹴り、体制を仰向けに崩す。
仁は千鶴の手から離れた小太刀を奪い、取り返されないように高く掲げた。
(ちょっと乱暴だけど、一旦落ち着いて貰わないと)
「う"…」
そのまま地面に倒れ、強く頭を打った千鶴は寝転んだまま仁の脛を思い切り蹴りつけた。
「い"っ…。って、あ!!?」
凄まじい痛みが走った直後、仁は自分の体が前方に倒れていくのを感じ急いで手に持った小太刀を放り投げた。
それを目で追いすぐさま取りに行こうとする千鶴に仁は跨り、動けないよう覆い被さる。
鬼の形相で睨む千鶴の顔がすぐ目の前にあった。
それはいつも家族を見守っていた彼女とは別人なのではないかと思う程鋭い目付きだった。
「ねぇ千鶴、一旦落ち着いて?」
「私は落ち着いてる。あなたこそ何がしたいの?」
眉間に皺を寄せ、真っ直ぐ仁を見つめる瞳には曇りが一切なかった。
(怒ってる女の子を宥める方法なんて知らないんだけどな…)
珍しく頭の中が焦りで乱れていた。
女の子の扱いだけは、本当に慣れない。
(千鶴がまた何か仕掛けてきたら止められるかわからないし、何とかして…何とかして落ち着かせないと)
「退きなさいよ!」
千鶴がそう叫んだ時、微かに彼女の頭が揺れた。
その直後、仁は勢いよく持ち上げられた千鶴の頭を瞬時に両手で押さえそのま元の体制に戻す。
(もう脳震盪はごめんだ。足癖ならぬ頭癖が悪いんだから。…どうしたら…)
間一髪の出来事に仁は胸を撫で下ろすも、この危機的状況にいつものような冷静な判断はできなくなっていた。
「許して下さい…」
仁はそう告げると千鶴の頭を両手で押さえたまま動けないように力を込める。
「…ちょっ…と」
そして再び叫ぼうとする千鶴の唇を自分の唇で塞いだ。
文字通り、塞ぐだけ。
しばらくして仁は唇を離し、ゆっくりと目を開く。
雨で体は冷えきっているのに唇には温かい感覚が残っていた。
「…落ち着いた?」
ゆっくり何度か瞬いた千鶴は放心状態なのかぴくりとも動かない。
鼻先がくっつくほどの距離だったからか、彼女の瞳の色を細かく見ることができた。
漆黒では無く、深い、濃褐色。
仁は様子を伺いながら再び「おーい」と呼びかけるも、一点を見つめたまま全く反応を示さない。
(んー…やっぱり女心というのはよくわからないな)
「千鶴ー?」
そう言いながら顔の前で手を振ると千鶴はそっと仁の首元に手を添える。
首筋を伝い流れる血を指先で優しくなぞると、目を潤ませ唇を噛み締めた。
「どうして…どうして…」
絞り出された言葉に先程の怒りの色は感じられなかった。
千鶴は子供のように涙を堪えながらギュッと目を瞑り、握りしめた拳を仁の胸に何度も打ち付ける。
仁は抵抗することなく、弱々しいその拳を受け止め続けた。
「どうして、ここまでしたのに逃げなかったの…。おかしな奴だって、殺されかけたって皆に言ってくれればよかったのに…痛かったでしょ…」
千鶴は袖口で首元の血を拭い、仁のはだけた襟元を整えながら小さな声で呟く。
「まあ確かに痛かったけど。最初にも言ったじゃない、僕が細かい事をいちいち気にすると思うの?それに…」
仁は体を起き上がらせた後、座り込む千鶴の手を掴みゆっくりと開いた。
ハッとした様子でその手を引っ込めようとする千鶴の目を仁がじっと見つめ掴んだ手に力を込める。
すると彼女は観念したように力を抜き俯いた。
「わかってるから、もう隠さないで。千鶴の方がずっと痛かったよね。 こんなに手を斬りつけた状態で…」
沢山の切り傷で朱殷に滲んだ痛々しい手に雨水が当たらないよう両手で包み込む。
俯く千鶴の濡れた睫毛から雫が滴り、仁の手の甲に落ちた。
傷口が膿んでしまっているのを見ると、まだ治りきってない傷の上から何度も何度も繰り返し斬りつけたんだろう。
これだけでも相当な痛みだと思うのにその上であれだけ力強く拳を握っていたんだ。
僕の傷の痛みとは比べ物にならないだろう。
「…なんでそこまでして…」
千鶴からしたら数年前まで赤の他人だった仁がここまで彼女達に尽くす事が理解できないのだろう。
僕も初めは気まぐれだった。
ただ、出会ったから。
たまたま出会ったのが千鶴達だったから側にいた。
それだけだった。
でも今は、少しだけ別の理由ができている。
空白だった鎮という人間の自我が千鶴達との日々のおかげで少しずつ構築されて、仁という新しい人格が生まれた。
- 僕という1人の人間を生み出してくれたんだ。
この出会いがなければ生まれなかった。
この温かい思いは、父様や千鶴、桜、真白、林之助、風優花、そして…海道、花心に出会ってなければ知らなかった感情だ。
「どうしても理由がないと納得いかないって言うなら、1つだけ教えるよ」
項垂れる千鶴の頬に手を当て、そっと顔を上げさせる。
彼女は依然として視線を逸らしたままだった。
「…少し緊張してるから一度しか言わない。千鶴、聞いてくれるかな?」
そう問いかけると、千鶴は何度か瞬きをした後遠慮がちに視線を合わせた。
この気持ちを表現出来る言語なんて存在しないだろう。
しかし唯一近しい言葉なら…1つ。
仁はこの言葉を今まで一度も口にしたことが無かった。
今後二度と発することは無いかもしれない言葉という重みに、妙な緊張感を覚える。
心中で何度も復唱し文章に間違いがないか確認した。
「僕は君ら家族からもらった恩を返してるだけ。皆を…愛してる、から」
口篭りながらも一言一句丁寧に告げた仁のその様子に、千鶴は驚きを隠せていない。
「今…なんて?」
仁は深呼吸をして、早まる鼓動を抑えようと足掻く。
こんなに息苦しくなる事はめったに無い。
じっと見つめてくる千鶴の瞳にいたたまれなくなり今度は仁が顔を背けた。
いつのまにか雨も上がり、湿った空気と静寂が辺りを包んでいる。
仁はしばらくそっぽを向いていたが、視界の隅に映る真っ直ぐな眼に耐えられず、ゆっくりと視線を戻し再び見つめ合った。
「愛、しています…よ。だから僕はどこまでも着いていく。君達の行く末に広がる景色を共に見たいんだ」
一言一言噛み締めるように告げると、千鶴はふわりと微笑み仁の唇にそっと手を添えた。
意図が掴めず僅かに口を開いたままポカンと固まっていると、そのまま唇を指で撫でられ手のひらで覆われた。
「震えてた。仁も緊張したりするんだね」
ははっと笑う千鶴の笑みがあまりにも儚く、幼く見えて息を呑んだ。
さっきから心音が煩くて、胸が苦しいんだ。
張り裂けそうなほど痛くて、何故かはがゆい。
でも…また1つ誓いができた。
この笑顔を護るために僕ができることは何でもしよう。
‐ 僕の、命に変えても。
最後までお読み頂きありがとうございます!
作者の紬向葵です。
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【気術】
・幻者 平家の当主に代々受け継がれる術。死者の魂を呼び起こし意志を通わせることができる。当主が自らを小太刀で切りつけた事により流れる鮮血と川、森、月光がないと成り立たない。




