あるじを推して生きていく ~ファン歴前世から、恋愛初心者の顛末~
「私と一生を共に生きてくれるか」
頬を朱く染めてやわらかく微笑む我が主は、かつてないほど神々しく、やはり地上に遣わされた尊い存在なのだと確信を得る。
もちろん、私の応えはひとつしかない。
「喜んで。もとより、この身はあなた様のものですから」
「ありが……――――もとより?」
「はい。初めてお目にかかった時から、この命、この体、全てフリード様に捧げる所存でした。一生お仕えできるなど至福の極みッ!!」
このような有り難いお言葉を賜り、私の胸中は得も言われぬ満足感でいっぱいだった。頭を垂れ感涙を堪える私の肩に、手が置かれる。
フリード様は「顔をあげて」と私のような一騎士に優しく声をかけてくださった。
「そういう意味ではない」
***
私は地方子爵の長女、ジーン・ランヴェルダーとして生を受けた。
貴族令嬢として教育を受けていたが、どうにも向いていないと(変人の)父は判断し(続けていればそれなりになっただろうに何故か)武芸を叩き込んで育ててしまった。
私にはそっちの才能があったようで、王国騎士隊に入り辺境で魔獣を切っては捨てる日々を過ごしていたら、王族の近衛騎士にまで昇進。ブラックな環境から逃れられたことだけが嬉しかったが、ここで運命の出会いを果たす。
カヴァリア王国第六王子、フリード・フォウ・カヴァリア殿下。
護衛騎士としてお仕えするフリード様に出会った瞬間、私は思い出した。
私には日本で生きた前世があったこと。
ここは死ぬ直前までハマっていた剣と魔法のRPG世界だということ。
そして目の前にそのゲームでいっっっちばん好きだったフリード様が実在しているということ。
生きてる!? 生フリード様やっばい!!
転生の事実を認識すると同時に、主君のために生きると心に決めた齢二十。
多分今までの虚ろな精神状態から振り切ってしまったのだと思わなくもないけれど、私の心を埋めてくれた推しのために全力投球です。陰に日向に御守りしました。
そして、姉を王にするために死エンドが待っていたフリード様を、四苦八苦しつつゲームの知識を使って生存ルートへ変えることに成功。
そのおかげか、フリード様は、当初周りは皆敵という態度から、徐々に柔和になっていった。
めげずにお仕えし続けた対私の変遷をダイジェストで。
『…………』(無視)
『…………』(同上)
『うるさい』
ほぼ不機嫌そうだった出会って間もない頃。
幼さの残る反抗期的な態度もかわいらしかったので問題はない。推しの視界に入っていると思うだけでクるものがあるよね。
『今まで酷い態度をとってすまなかった』
『私の護衛はジーンだけでいい』
『これからもよろしく頼む』
長年の献身により、フリード様は一介の騎士である私をこんなにも認めてくださるようになった。
そして――――
「ジーン、待たせた」
今では、親しげに名前を呼んでくれます。笑顔で。笑顔で!(重要)
見返りは求めていなかったけれど、この距離感。しあわせ~。フリード様のことを想う時間を与えられてただけなので実質待っていません。
「あー……とても、似合っている」
そんな、はにかんだ表情で礼服を纏うフリード様は、いつになく輝いている。
は? なんなの美しすぎる。バックに花が咲き誇り、天使がラッパを吹いている幻が見える。地上に舞い降りた神の使い、いやもう神と言っても過言ではない。
私は動きづらいドレスの裾を持ち上げ、片膝をつく。
「もったいないお言葉です。フリード様は非常にお美しくあられます。会場の視線を独り占めでしょう」
「あ、あぁ…………ジーンも、その……とても綺麗だ」
「お気遣いありがとうございます。凡庸な私ですが少しでもお側でお引き立てできれば嬉しい限りでございます」
「…………………………行こうか」
「はいっ」
向かう先は宮殿ダンスホール。今夜は王城でパーティーが催されるのだ。
この度、私は恐れ多くもフリード様のお連れに扮し、会場内の護衛任務を仕った。
普段の無骨な鎧で会場内には入れないそうなので、フリード様の唯一の女騎士である私に仕事が回って来たというわけだ。女であることを初めて感謝した。
一つ問題があるとすれば、私である。
フリード様もお世辞を言い淀んでいたし、多分ね、ドレスに着られていると思う。凹凸のない身体。不自然過ぎる笑顔。違和感しかない。
自分で言うのもなんだけど、女装っぽくない? 大丈夫?
なるべく考えないようにして仕事をこなすことにします。
入場まではフリード様の腕に手をかけさせていただくという至福の時を過ごし、会場内では話しかけられたらすすすっと後ろに下がり相手を観察。
万が一手を出そうものならば即制圧させてもらいますのでそのおつもりで。
――――敵意ッ!
「見違えたな」
「……ラウル殿」
振り返れば敵意は霧散。それを向けた人物がよッと片手をあげた。
周囲と一線を画す存在感の持ち主は、フォーマルな衣装も完璧に着こなしご令嬢方の視線を集めながら歩み寄る。
名はラウル。前世のゲームの主人公だった男であり、このパーティーの主役でもある。
現在カヴァリア王国は魔王軍に攻め込まれており、全面戦争も目前。
ラウルは王女であるルビー様とともに主要都市を壊滅の危機から救い、魔王軍を撤退に追い込んだ。
その功績の褒章パーティーだった。
「なんですか今の。誤って攻撃してしまうところでしたよ」
「本気じゃねえよ。ほんとはあんたをずっと見てたんだが、気づかねえし、ひとりだけ殺気立ってるし。もうちょいまわり見ような?」
「それは失礼しました。何か御用でしょうか」
ラウルはぐいっと顔を近付けて声を潜める。
「こないだのやつ、明日とかどうだ?」
「別に構いませんが、急ですね」
「ジーン。何を話しているんだ?」
公爵との歓談が終わったのか、フリード様がすごい笑顔で呼びかけ私のすぐ横に立つ。満面の笑みだ。
機嫌が良いのか、そのまま私の腕を引き寄せてラウルから離された。あ、すご~いフローラルな香りがする~(錯乱)
「てっ手合わせするお約束をしまして。明日の、早朝にです」
「手合わせ? どうして」
「“第六王子の護衛には誰も勝てないらしい”との噂を聞いてね。ま、ちょっとしたお遊びだよ王子様」
ラウルは麗しい見目をしているくせに戦いを求める脳筋だ。
話し合いより殴り合いを得意としている私には、騎士隊にいた頃に魔獣を退けた功績や、ちょっとした喧嘩戦績があるので、その噂を耳にしたのだと思う。
ちなみに彼はこの国の貴族ではないため不敬が許されている。
「尾ひれがついているとは申し上げたのですが」
「負けたことは?」
「勿論ございますよ」
小さい頃は父によく泣かされていた。最近は――どうだったかな。
「遊びで手合わせをしなくても……」
「相手を知るにはいい方法さ。他のは断られたしな」
以前お茶に誘われた時は困惑したが、要は強いヤツと戦ってみたいということらしい。純粋に主人公に強さを認められたことは嬉しいのでいっちょやってやろうって感じ。
「おもしろそうじゃないか」
話に割り込んできたのはフリード様の姉であり、次期国王との声が名高いルビー王女だった。
「ならば騎士隊の訓練場を使うとよい。あそこならば魔法の使用も許される」
「ま、魔法ですか?」
「使えないのか?」
「いいえ、そういうわけではありませんが……よろしいのか、と。それに、隊士の早朝訓練もございますし」
「剣技だけでは不十分だろう? 使えるのならば使え。訓練場は私から隊長に言ってみよう。隊士の中にはラウルの実力に懐疑的な者もいる。ここで知っておけば士気も上がろうよ」
こっちの遊びに訓練の場を使わせてもらうのは申し訳ないと遠慮したが、悪だくみを考えているように笑うルビー様に口を噤む。
実際ルビー様に頼まれたら王室騎士隊の隊長も断れないので確定事項だ。
そこでやっと思い出したのは、主人公の実力を知らしめるイベントがあったなあということ。
剥き出しの剣に朝日が反射する。朝靄がたちこめる広い訓練場で相対するのは、今までの軽薄な雰囲気とは真逆の、息苦しい圧。
周囲を囲む隊士達の騒めきが煩わしい。集中しなければならないのにギャラリーが多すぎる。
軽い気持ちの手合わせだったのに、なんなのこれ。
確かイベントでは鼻につく隊士が主人公に難癖をつけ手合わせとなるストーリー。どうやら鼻につく隊士は私のようだが、やっぱり物語に沿っているな。
剣を抜き、楽しそうに笑うラウルに切先を向ける。体内の魔力を練り上げ、いつでも動けるよう精神を研ぎ澄ました。
魔法使用可の手合わせというのは、よくもあり悪くもある。
大多数の人間がそうであるように、私の魔力は無属性だ。せっかく転生したのだから炎とか雷とか憧れたのに、面白みもない純粋魔力の没個性である。
やむなく筋力強化、速度向上、そして硬度を特化させた。剣術は得意だが、例えば剣がなくても代用できる。それくらい魔力の扱いは極めている。
つまり、魔法使用により私は強くなるが、それは相手も同じこと。
主人公のスキルは好みで選択できたから、ゲームの知識も全く当てにならない。
ラウルの属性はというと――やはり主人公だった。
互いの魔法が衝突し、衝撃音が連続して響く。
周囲に噴煙が立ち込め、やがて視界が晴れた頃、地面にはいくつもの亀裂が走っていた。
喧騒が嘘のように静まり返る。
「――ずるいですね。全属性なんて」
「そうだな。恵まれていると思う。だが、まさか全部往なされるとは思わなかった」
属性の有無はあれど、魔力のぶつかり合いに変わりはない。威力が絞られていれば、私でも逸らすくらいはできる。ただ、私の魔力を超える物量で来られたらどうしようもない。
「尾ひれ、ねえ。本気でそう思ってるってぇのがな……なあ、ちょっと本気出してもいいか?」
「やめてください死んでしまいます」
圧倒的差で敗北確実なのでもうやめたい。
ノリノリのラウルを止めたのは王族たるルビー様だった。
「十分だ、ラウル。派手にやってくれて助かったよ」
「ん、もういいのか?」
残念そうなラウルをよそに、ルビー様は視線である方向を示す。
訓練場を囲むように設置された、魔法で強化されているはずの防御壁の一部が崩れていた。ラウルの放った火球が原因だろう。
ルビー様は私達に背を向けて、集まっているギャラリーに向かって叫んだ。
「風聞を信じるもよかろう。だが今見たものは揺るぎようのない事実だ。彼は歴代語られる勇者の名にふさわしいか、それを否定できる者がこの場にいないことは明らか。これほどまでに心強い仲間が我等とともにあること、幸運以外のなにものでもない。そうは思わないか!」
よく通る声は訓練場に集まった騎士達の全員の耳に届いたことだろう。
静けさが引き、波のように雄叫びが押し寄せてくる。
こんな人外じみた仲間がともに戦場に赴いたら、そら心強かろう、と剣を鞘に納める。私がルビー様のパフォーマンスに利用されたのは理解した。
あ、これイベント的に負けないといけなかったんだろうか。
ルビー様の後ろに立つフリード様に視線をやれば、思案気な表情でこちらを見ていた。
意図を拾えずすみませんでもあなたの前で無様に負けるのは嫌なんです!
「しかし、ラウルと互角に立ち合えるのか――フリード」
「はい」
「護衛騎士はジーンといったか、カラルア渓谷の侵攻に借り受けたいのだが、どうだ?」
ルビー様の言葉に、驚愕で剣を落としそうになった。
そこは魔王軍とにらみ合い中の最前線。
現在は均衡を保っているが長期間に及ぶため近郊地域の疲弊が大きい。攻撃は最大の防御と言わんばかりにルビー様主導で侵攻を予定している地だ。
最前線への出場、つまりフリード様と離れてしまうということ。
「それは……」
ちら、とフリード様は私を見る。姉様中心のフリード様が即答されないところを見ると一縷の望みがあるかもしれない。私は必死に目で訴える。
やだやだやだやだやだ!
離れたくない離れたくない離れたくない!
「……姉上が必要であると考えるのなら。いいか、ジーン?」
「御意に」
のおおおおおおおおお伝わらない! フリード様が了承したなら断れないのぉ!
***
魔王軍は嫌いだ。フリード様の憂いの要因になる。頼むから攻めてこないで。
実際のところ、単純な数でいえばカヴァリア王国の方が圧倒的に勝っている。苦戦を強いられる理由は、魔族の単騎での強さと、従える魔獣の多さだ。
自軍をどのように配置し、どのように動かすかで勝敗が左右される。
ゲームでは渓谷を越えないとラスボス戦までたどり着けなかった。
戦略パートは苦手で何度もゲームオーバーになった。少し劣勢になるとなし崩し的に負けてしまう。連戦となると回復が間に合わない。
何度もやってやっと気づいたのは、一部の被害にばかり気を取られ過ぎないこと。犠牲をのむことだった。
戦場には、的確な指示を飛ばし、戦いを優利に進める判断が下せる指導者が必要である。
カラルア渓谷侵攻はルビー様発案、かつ実績もあり、ゲームでもパーティに加わっていたから当然ながら出陣されるのはルビー様だと思っていた。
――のに何故か、我が主の姿が。
渓谷に吹く風は強い。
肩にかけたマントがなびいてとてもかっこいいですフリード様。
とか思ってる場合じゃなかったー!
こんな危ないところに来ちゃだめでしょう!
離れたくないとは言ったけど(言ってない)、あなたの身に何かあるくらいなら一人で来るからー!!
ゲーム上ではフリード様は死ぬ運命だった。それを知っていた私は死亡フラグを叩き折って存命ルートを勝ち取ったわけだが、どうして旗を立てにくるのでしょう。
カヴァリア王国騎士隊もいる。騎兵団もいる。だが王族はフリード様だけ。
総大将だ。魔王軍に全力で狙われる立ち位置だ。
本音を言えば、ずっと安全な王城にいてほしかった。
けれどこの場にいるのはフリード様ご自身が望んでのこと。ルビー様を説得したのだと耳にした。ならば私は死んでも守るしかない。
幸いなことに、フリード様の護衛騎士である私は戦線に組み込まれずお側での守衛を任された。
良かった。ラウル達と一緒に最前線で戦えとかだったら気が気じゃなかったよ。
初めての戦場。不安はないかしらと見守っていたけれど、私の懸念をものともされず堂々と指示を飛ばし軍師達と意見を出し合っていた。
昔は病弱だったのに、立派に成長されて……!
いよいよ開戦というところで、少しだけ一人になりたいと簡易テントへ入ってゆくフリード様。
私は外に控えていたが、名を呼ぶ声が聞こえて中に失礼する。
「どうかされ――フリード様?」
「……どうしても震えが収まらないんだ……少しだけでいい、手を貸してくれ」
自身の腕を強く握り、俯くフリード様の初めて聞くような弱々しい声。
お側に寄り、手を重ねるとひどく冷えていた。
そうだ、怖くないはずはない。私よりいくつも年下のフリード様の肩には想像できないほどの重責が乗っているのだ。
「武者震いならば良かったが、不甲斐ないことに……恐ろしいのだ。多くの命を預かり、駒のように扱うことが。姉上は、やはりすごいお方だ。私は、情けない」
ゲームのフリード様は姉のために、ひいては国民のために自分の命を投げ出せるキャラクターだった。そんな彼が人の命を預かることは恐ろしいという。
泣きそうになった。
「不敬をお許しください」
震えを止めたくてフリード様を抱き締めた。体も冷え切り、強張っている。私の熱が少しでも移ればいいと、強く願う。
「フリード様のお優しさは美徳でございます。しかし我々の命を同一に考えるのはどうかおやめください。フリード様のご判断ひとつでより多くの者の未来が左右されます。切り捨てる一に憂慮され、九を見誤ることはなりません。目的の為であればどのような手段であろうと投じてください。そのために我々がおります。
フリード様は道標です。どのようなことがあろうと、導いてくださると、信じております」
強張っていた体から力が抜けていくのがわかる。しばらくして、ふ、と自嘲のような吐息が漏れた。
「…………厳しいことを言う」
「! 申し訳ありません」
しまった。全然慰められていないどころかプレッシャーをかけてしまった?
いつか、自分を犠牲にしてしまわないかという不安が湧いたんだ。感情が先走った私のばかー!
「よい。期待に応えなければな」
気づけばフリード様の震えは収まっていた。激励だと受け取られたかな。
こんな下手くそな言葉が少しでも役に立ったのなら嬉しい、と離れようとしたが、離れられない。
えっ
私の腰の後ろにフリード様の腕が回されている。ちょいつの間に!?
「もう少し……」
「――!……はい」
こ、ここここの状態で?
急に恥ずかしくて居たたまれなくて暑くなってきた。私はなんて大胆で無礼なことをしているんだ。
首筋に吐息がかかってくすぐったいああああああ限界助けて!!
永遠にも一瞬にも感じる時を経て、ふとフリード様が口を開いた。
「ジーン、もし、この戦いが終わったら――」
「フリード様」
我に返り咄嗟に遮る。
「もし、などと仮定の話をされるのはおやめください。終わらせるのです。勝つのです。その力がフリード様にはございます。でなければ、この場にいる意味がありません」
「――そうだな」
あっぶない……すっごいフラグ立てようとしてたよね……?
無理矢理話を逸らしたけれど、何を言おうとされてたんだろ。
魔力は感情に引っ張られる。強い想いで普段ではあり得ない現象を起こす。前世でいう火事場の馬鹿力に近い。
かくいう今の私の状態がそれ。
テント内での胸が締め付けられる想いから、推しに抱き締められる異常事態への振れ幅、さらに先ほどフリード様が全軍に飛ばした檄に感情が昂っている。
私はフリード様のお側に静かに控えてはいるが、からだの中に渦巻く熱を感じる。暑い。熱い。爆発しそう。
遠く激戦地で、ここから見ても巨大な魔獣が宙に浮いた。
吹き飛ばしたのは確実にラウルだろう。なんだあれ戦車か。
ラウルも今の私の状態と同じなのかもしれない。うらやましい。私もこの熱を吐き出したい。
ぐらつく思考を保たせているのは、フリード様への忠誠心のみ。私は主を守ることが最優先。我慢我慢。
突如、影が走った。上だ。何か大きいものが空を飛んでいる。人影のようにも見えるが明らかにサイズがおかしい。敵か。
魔族は人体と作りが違う。有翼種だろうか。
そして展開される、攻撃魔法。
上空から降り注ぐ攻撃に身構えたが、防御魔法が素早く防いだ。どこにいたのか、兵と同じ鎧を着た魔法士達だった。
衝撃はかなりのものだったが、フリード様はまるでわかっていたかのように動じない。
続いて、渓谷の上からは、落ちるようになだれ込む魔王軍が従える魔獣達。待ち構えていたのか、すごい数だ。
「ジーン」
「はい」
フリード様は真剣な顔で私を見つめた。
「私の憂いを取り払ってくれるか?」
「――――! はい、お任せを!」
上空の敵は魔法士達が対応する。私が向かうのは魔獣の群れだ。
殲滅戦は久しぶりだが、恐れはない。あふれ出る魔力が心地よくさえある。
ああ最高の機会を与えてくれた。ひとつ残らず排してみせましょう。
人生で最も戦いに向いている状態の私にとって、なんて良いタイミングで現れてくれたんだろう。
こういうの、なんていうんだっけ。
***
「トンデヒニイルナツノムシ、とはどんな歌なんだね?」
「?……そのような歌があるのですか?」
カヴァリア国王の実兄であるミスビス公爵は、フリード様の後援として様々な協力をしてくれている。
私とも長年の付き合いがあり、数々の助言をいただいたが、たまに突然よくわからないことを口にする。発音が違うが飛んで火にいる夏の虫かな?
公爵は肩をすくめ、私の疑問には答えずフリード様に視線を向けた。
「それにしても、うまく嵌まってくれて良かったね。ここは勝っておきたかったからねぇ。君のことはほぼ知られていないからあちらさんも判断に苦慮したのだろう。市井に流した流言も程よく伝わったようだ。権力に囚われた愚かな王子が此度の侵攻を主導している、とね。よく考える」
「叔父上の後ろ盾があってこそです。私一人の力では負けていたでしょう」
無事勝利をおさめた我が陣営。
カラルア渓谷は絶壁に挟まれ、戦力は前方に集中させていた。
長く魔王軍の占領下だった厳しいその地は、詳しい地形情報もなく、突然、上方からの攻撃に見舞われた。
しかし、何故か一般兵に扮していた王国騎士隊の有力な魔術騎士達が迎撃。膨大な数の襲い来る魔獣の波を迎え撃ち、私も騎兵団の先頭に立ち突き進んでいった。
被害はあるが、魔王軍の幹部を捕虜として捕らえ、魔獣は約半数を倒したところで撤退に追い込むという善戦。短い戦いだった。私はまだやれた。
「次は何を考えてくるか、楽しみにしているよ。
ところで、不気味な歌を笑いながら歌う魔族がカヴァリアの騎士の鎧を着ていたとか、あがってきた報告は酷いものだった。ねえ、ジーン?」
「私は見ておりませんが、確かに魔族が我々の姿に化け紛れているとなると問題ですね。変化の魔法というものでしょうか」
味方の中に敵が忍んでいたら混乱は必至。そこから崩されかねない。
なんて真面目に答えたのにフリード様も公爵も呆れた表情。どうして。
「フリード、きちんと自覚させておくんだよ。それは君の役目なんだから」
「すみません……」
「さて、私はここで退散するとしようか。頑張りたまえ」
そう言ってミスビス公爵は席を立ち、フリード様の肩をポンポンと叩いて出て行ってしまった。
部屋に残されたのは二人だけ。フリード様も立ち上がり、私に向かい合う。
出会った頃は私より低かった身長も今では少しだけ見上げるように。
大人になったなあと感慨深くなりつつ生きていてくれて良かったと密かに自分の行動を振り返る。私頑張ったと思う。
「ジーン、聞いておきたいことがある」
「はい、何なりと」
フリード様はひとつ咳ばらいをし、じっと私を見つめた。火照ったように頬が朱くなってらっしゃる。渓谷から戻ってからも忙しく、体調を崩されたのかもしれない。少しだけでもお休みになるよう進言しよう。
「思い違いをして酷い態度をとっていた時でさえ、ジーンは私に尽くしてくれた。どんな時も守り、厳しくも必ず支えてくれた。君がいなければ今の私は無いと思っている。ありがとう。
もし、ではないな、必ずこの戦いは終わらせる。勝利へと導くことを約束する。――――その時は、誰でもない私の隣で、私と一生を共に生きてくれるか?」
ああ……なんて嬉しい言葉をくれるんだ。
フリード様はこうして度々感謝の言葉を伝えてくれるようになった。その度に、どんなに辛かろうと満たされた気持ちになる。
素晴らしい主人に仕えることができて、私はなんて恵まれた騎士だろう。見ているだけでも美しいのに、心もこんなにも美しいなんて。後光が見える。光ってる。
「喜んで。もとより、この身はあなた様のものですから。
初めてお目にかかった時から、この命、この体、全てフリード様に捧げる所存でした。一生お仕えできるなど至福の極み……!」
嬉しい。言葉にするとさらに嬉しさが込み上げてくる。
私は跪き、何度でも忠誠を誓う。頭を下げると、じんわりと涙が出そうになって必死に堪えた。
「顔をあげて、ジーン。そういう意味ではない」
フリード様は私の前に片膝を付き、目線を同じくする。
近いのと、不安で、どきっとした。え、どういう意味なの?
「私の生涯の伴侶として、共に生きてほしいんだ」
「…………は……ん……りょ……?」
「そう」
伴侶? 配偶者? 妻……?
「予想はしていたが、それほど驚くとは、寂しいな。
いずれ私は公爵の位になる。だが私が申し出ればランヴェルダー家が断ることはないだろう。だから……その前に君の気持ちを聞いておきたかった。ジーンに、全くその気が、ほんの少しでも、微塵もないなら……断ってくれていい。護衛騎士の任を解くこともしない。今まで通りだ」
私が、推しと、結婚するってこと??
「ジーン……返事は……?」
「――ヨロコンデ。コノミハアナタサマノモノデスカラ」
「っ、ありが……――――本当に? ちゃんと考えてる? 反射で答えていない?」
はい完璧に理解しました。
「……ジーン、聞いてい……さっきから瞬きしていなくないか……い、息、を何故止めているんだ……? ッ!? 呼吸をするんだ、ジーン! ジーン!? お、叔父上ぇ! 医者を――……」
これが尊死というものだと。
無事蘇生した私は、このことを一生公爵に馬鹿にされた。
補足。
一方フリードはトラウマになりしばらく手を出せなくなってしまう。
読了感謝。
前の話しはシリーズから。