優しい男の子
あるところに、男の子がいました。
男の子は、同じ学校に通う女の子のことが好きでした。
毎日あれこれと話しかけては、女の子から少しの言葉をもらう、それが男の子の毎日の幸せでした。
ある日、男の子が、女の子に、
「きみはどういう人が好きなの?」
ときくと、
「優しい人」
と言われました。
そういうわけで、男の子は優しい人になろうと心に決めました。
男の子が電車に乗って、席に座っていると、目の前をおばあさんが通りました。
男の子はおばあさんに席を譲らなくてはと思って、声をかけようと頑張りました。
けれど知らない人に話しかけるのは勇気がいります。
男の子がおばあさんに話しかけられないうちに、電車は次の駅、そしてまた次の駅にどんどん進みます。
今度こそは席を譲ろうとしても、恥ずかしくて、なかなか口を開けません。
男の子が俯いていると、やがておばあさんは降りてしまいました。
その日の夜、お風呂で男の子は考えます。
「今日もぼくは、優しくなれなかった」
優しくなりたい男の子は、湯船の水面を見つめながら、降りて行ったおばあさんのことを思いました。
「明日こそは」
女の子のことを思いました。
男の子が道を歩いていると、野良猫が自販機の隣で丸くなっていました。
痩せていて、目ばかりが大きくて、その野良猫はたいへんお腹が空いているように見えました。
猫はじっとこちらを見返していて、なんだか助けを求めているように見えました。
「まってて。今、何か食べるものを持ってくるから」
男の子は、家に、パンがあるのを思い出していました。
お皿に牛乳を入れて、パンを入れて、この痩せた猫にあげよう。
そう考えて、家に走って帰ります。
お皿に牛乳を入れて、パンを入れて、こぼさないようにそうっと、でも急いで、男の子は自販機の所まで戻ります。
けれど猫はもう、そこにはいませんでした。
男の子はお皿を手に持って、ぼうぜんとそこで立ち尽くしました。
その日の夜、お風呂で男の子は考えます。
「今日もぼくは、優しくできなかった」
優しくなりたい男の子は、湯船の水面を見つめながら、いなくなった猫のことを思いました。
「明日こそは、きっと」
女の子のことを思いました。
男の子の学校には、いじめられている子がいました。
その子はいつも休み時間に教室から出て、誰とも目を合わさずに廊下を歩いていました。
男の子は、どうしていいか分かりませんでした。
話しかけられず、一緒にいることもできず、いじめられている時にかばってあげることもできません。
ただ、じっとその子を見ては、どうしたらいいのかと毎日を過ごすばかりです。
ある日、いじめられている子がふらふらと廊下を歩いてきて、男の子にぶつかりそうになりました。
男の子は息をのんで、すばやくその子をよけます。
男の子は自分がどうしてそんなに、すばやくよけたのか、理解することができません。
ぶつかっても大したことはありませんでした。
もっと余裕をもって、ぶつからないようにゆっくり動くこともできました。
なのに男の子はとても早く動いて、その子をよけました。
歩いていく背中を見つめて、男の子はその場から動けませんでした。
その日の夜、お風呂で男の子は考えます。
「今日のぼくは、優しくなかった」
優しくなりたい男の子は、湯船の水面を見つめながら、いじめられている子のことを思いました。
「明日のぼくは、もう少し」
女の子のことを思いました。
男の子は少し、いじめられている子のことを思って泣きました。
優しくなりたい男の子は、何を頼まれても断りませんでした。
掃除を押し付けられても、宿題を写させてと頼まれても。
それが相手にとって、よくないと分かっていても、男の子は断れませんでした。
女の子はそれを、遠くから見ていました。
男の子は、周りから優しい男の子と言われましたが、男の子にはそれがもう、よく分かりません。
「ぼくは優しくしてなんかいないのに。ぼくがしたことは、あの人のためにはならないのに」
男の子はとてもとても悩んで、どうにも気持ちを落ちつけられなくて、女の子に話します。
「僕はきっと、優しい人にはなれないんだと思う。きみが好きな、優しい人には」
目に涙を滲ませて、ある日、男の子は女の子に言いました。
「本当に優しいことなんて、ぼくは今までずっと、何もできなかったよ」
「そんなことないよ」
女の子はまっすぐ男の子のことを見て、言いました。
「あなたは優しいの。何をしたか、何ができたかじゃなくて」
うるんだ目で、男の子は女の子を見返します。
「誰かのことをちゃんと考えて、何かをしようとすることを、優しいっていうんだよ」
女の子は泣いている男の子の手を握って、優しく笑いました。
男の子は、お風呂で悩むことが少なくなりました。
一生懸命毎日を生きて、周りの人のことを考えて、
女の子に話しかけて、そして、少しの言葉をもらいます。
そんな幸せな毎日を、男の子は過ごすようになりました。