4 出立
終戦条約が結ばれた3ヶ月後、18歳のクリスティーヌは輿入れの為、キクナー王国へ向かい出立した。
学園を卒業して、まだ1年しか経っていない。つまりアルベールとの婚約破棄からも、まだ1年である。まさか隣国の国王へ嫁ぐことになるなんて――馬車に揺られながら、クリスティーヌは不安を募らせていた。キクナー王国の国王フェリクスは「高圧的かつ粗暴」な男だと聞いている。もちろん噂を鵜呑みにするつもりはない。クリスティーヌ自身も「傲慢で我が儘」な王女だと噂されているのだ。噂は所詮、噂。真実ではない場合も多い。けれど、やはり不安だ……
隣国とは長年、領土問題で揉めていた為、王族どうしの交流も絶えて久しい。クリスティーヌは今まで一度もフェリクスと顔を合わせたことがなかった。
「 ”優しい” まではいかなくとも、せめて ”あまり怖くない” 殿方でありますように……」
そっと呟くクリスティーヌ。
自分より8歳も年上の夫となる男が、もしも本当に”高圧的で粗暴”だったら恐ろし過ぎる。まして、あちらは戦勝国の国王、こちらは敗戦国の王女なのだ。クリスティーヌの立場は圧倒的に弱い。
「……ひょっとして私、虐げられるのかしら? まさか……ね。大丈夫よね? うん、きっと大丈夫!」
取り敢えず、自分にそう言い聞かせる他なかった。
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コヅクーエ王国を出立してから2日後の夜、キクナー王国の王宮に到着したクリスティーヌは、その日のうちに国王フェリクスへの謁見を許された。
謁見の間に現れたフェリクスに最上級の礼を取るクリスティーヌ。
「面を上げよ」
「はい」
クリスティーヌが顔を上げると、フェリクスは一瞬目を瞠った。同時に彼の耳が赤味を帯びる。だが彼はニコリともせずに、低い声で名乗った。
「キクナー王国国王のフェリクスだ」
「初めてお目に掛かります。コヅクーエ王国王女クリスティーヌにございます」
「うむ。よく参った。我が国は貴女を歓迎する」
「ありがとうございます。至らない点も多々あると存じますが、どうぞよろしくお願い致します」
「ああ。結婚式は予定通り10日後に行う。異存はないな?」
「はい。勿論でございます」
「そうか。今夜はもう遅い。早く休むが良い」
「はい」
こうして、初めての謁見は僅か5分で終了した。
案内された部屋に入ったクリスティーヌは、先程自分に付けられたばかりの王宮侍女に聞こえぬように、小さく呟いた。
「やっぱり、怖そうな方だわ……」
大柄で眼光鋭い強面のフェリクスは、とても”優しそう”には見えなかった。
翌朝、突然、フェリクスがクリスティーヌの部屋を訪れた。
驚いたクリスティーヌが、
「陛下、どうなさいました?」
と、尋ねると、フェリクスは厳しい表情でクリスティーヌを問い質した。
「貴女は母国から一人も侍女を連れて来なかったそうだな? 何故だ?」
「……それが敗戦国から戦勝国の王家へ嫁ぐ場合の常識であると、事前に伝えられましたので」
「誰に言われた?」
硬い声で問うフェリクス。
「こちらのキクナー王国からの通達の中に、輿入れに際しての具体的な指示や注意がございました」
「宰相か……くそっ、アヤツめ!」
フェリクスが顔を歪めて舌打ちをする。思わずビクリと身を震わせるクリスティーヌ。
「ああ、すまない。貴女を怖がらせるつもりはないんだ――母国からこちらに、気心の知れた侍女を呼び寄せるといい。何人でも構わない。私が許可する」
そう言ったフェリクスに、クリスティーヌは、
「よろしいのですか?」
と、恐る恐る確認した。
「勿論だ。貴女に出来るだけ不安なく過ごして欲しいと思っている。何か他に要望はないか? 足りない人や物があれば、遠慮なく言ってくれ」
「……ありがとうございます。お言葉に甘えて、侍女は2人ほど母国から呼びたいと存じます」
「わかった。何か困った事があれば、すぐに申すのだぞ」
フェリクスは少しだけ表情を緩めてそう言うと、さっさと部屋から出て行ってしまった。
宰相のところへ行くのだろうか? 怒ったら怖そう……
けれど、フェリクスはクリスティーヌを気遣ってくれた。
慣れないこの国で、一人では不安だろうと案じてくれたのだ。
「ふふ。意外と優しい方なのかも」