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2 クリスティーヌの痛み






 コヅクーエ王国の王女クリスティーヌは ”傲慢で我が儘” な王女だと、国内外で噂されている。この噂の元を辿ると、彼女が王立貴族学園の生徒だった頃に、ある男爵家令嬢によって意図的に学園で流された、完全なるデマに辿り着く。




 王女クリスティーヌには相思相愛の婚約者がいた。同い年のベルトラン公爵家令息アルベールである。クリスティーヌとアルベールは共に8歳の時から婚約者だった。もちろん、親の決めた政略的な婚約だったが、二人は子供の頃からとても仲が良かった。揃って貴族学園に入学し、思春期を迎えると、お互いを異性として意識するようになり、二人は恋に落ちた。クリスティーヌとアルベールは、誰もが羨む仲睦まじい恋人どうしとなったのである。


 二人が共に17歳になり学園の最終学年に進級すると、同じ学年にララという名の男爵家令嬢が編入してきた。

 不自然な時期の編入には事情があった。ララはつい半年前まで平民として暮らしていた。ところが当主の実子であることが判明しブール男爵家に引き取られ、最低限のマナーを教えられた後に男爵家令嬢として貴族学園に編入してきたのだ。ただし、この付け焼き刃のマナー教育はほとんど意味を成してはいなかった……

 

 ララは編入直後からアルベールに纏わりついた。身分を弁えない、無邪気過ぎるララのアプローチに、アルベール本人は勿論、周囲も大いに戸惑った。

 アルベールが遠回しに迷惑だということを伝えても、ララには全く通じない。優しいアルベールは、強く拒否することが出来ないまま、ララに振り回されるようになった。


 見兼ねたクリスティーヌは、何度かララに直接注意をした。

「婚約者のいる男性に近付くなど、貴族令嬢としてあるまじき行為ですわよ」

 だが、ララはクリスティーヌに向かって、

「王女様だからって横暴です! アルベール様を解放してください!」

 と、ズレた返答をするばかりで、話にならなかった。

 それでも、公爵家令息であり、この国の王女クリスティーヌの婚約者でもあるアルベールが、平民上がりの非常識な男爵家令嬢などに惑わさるはずがない――クリスティーヌも他の生徒達も皆、そう信じていた。

 

 ところが、アルベールは次第にララに惹かれ始めた。

 彼は、婚約者であり恋人でもあるクリスティーヌと距離を置くようになり、いつしかララと恋仲になってしまった。

 確かにララは可愛らしい顔をしていて、いかにも男性の庇護欲をそそるタイプだ。平民育ちらしい自由奔放さも、アルベールにとっては新鮮で魅力的に映ったのかも知れない。

 けれど、彼の婚約者たるクリスティーヌは輝くような美貌の持ち主であり、尚且つ非常に優秀な女性であった。勝気ではあるが、情も深い人柄故に人望も厚い。そんなクリスティーヌを裏切り、ララとベタベタするアルベールに多くの生徒達が失望と軽蔑の眼差しを向けた。


 アルベールとララが付き合うようになった、ちょうどその頃から「クリスティーヌ王女はトンデモナク傲慢で我が儘らしい」という噂が流れ始めた。

 噂を立てたのは恋敵のララである。ララにとって、アルベールの婚約者であるクリスティーヌは邪魔で疎ましい存在だったのだろう。悪い噂を立てて陥れてやろうと思う程に。

 だが、面倒見が良く、常に多くの友人に囲まれているクリスティーヌの姿は「傲慢で我が儘な王女」という噂とはかけ離れていた。

 大半の生徒は根も葉もない噂だと分かっていたし、積極的にその噂を否定する者も少なくなかった。しかし、ほとんどの者がその内容を信じていないにもかかわらず、尾ひれがついて広まっていくのが噂の恐ろしいところだ。学園内の噂は、いつの間にか社交界でも囁かれるようになり、やがて他国にまで伝わることとなった。

 


 ララはアルベールに何度も訴えた。

「クリスティーヌ様に苛められているの。いつも酷い言葉で罵られて……怖いわ」

 最初のうちはアルベールも、

「誇り高いクリスティーヌが苛めなどするはずがない。きっとララの思い違いだよ」

 と、宥めていたのだが、涙を流しながら繰り返し訴えるララの姿に惑わされ、やがてクリスティーヌに不信感を抱くようになった。



 一方、変わらずアルベールを愛しているクリスティーヌは、何とかして以前のような仲睦まじい二人に戻りたいと思っていた。けれど、ララに夢中になっているアルベールは、婚約者であるクリスティーヌを疎んじ、徹底的に避けるようになっていた。ついには「きちんと話をしたい」というクリスティーヌの申し出を「必要ない」と拒否したのである。

 普段は勝気なクリスティーヌも、大好きな婚約者にここまで邪険にされて、さすがに心が折れそうであった……

 

 クリスティーヌの友人達は皆、怒り心頭である。

「話し合いにすら応じないなんて、何て不誠実な! クリスティーヌ様は婚約者ですのに!」

「クリスティーヌ様はこの国の王女様ですのよ! 不敬にも程がありますわ!」

「ララのような非常識な平民上がりの女に誑かされるなんて! アルベール様にはガッカリですわ!」

「アルベール様をここまで狂わすなんて、ゲームの強制力って恐ろしい!」

「『ざまぁ』してやりましょう! これは絶対ざまぁするべきですわ! アルベール様とララにざまぁを!」

 中には興奮して何だかよく分からない事を口走る友人もいたが、とにかくクリスティーヌの周囲はアルベールとララに対して怒っていた。

 

 ただ、当のクリスティーヌは、

「『ざまぁ』って、もしかして仕返しのこと? 私は王族だから、アルベールとララに仕返ししようと思えば簡単に出来るけど……そうじゃなくて、アルベールと元の関係に戻りたいのよ。彼のことが好きなの。でも、口もきいてくれないから、どうしたらいいのかなって……」

 と、寂しそうに微笑むのだった。

 その憂いを帯びた横顔は、同性である友人達でさえ思わず息を呑むほど美しかった。

「はぁ、クリスティーヌたん尊い……」

「クリスティーヌ様、マジ綺麗……やっぱり、あの浮気野郎と電波ヒロインに『ざまぁ』してやりたい!」

 

 クリスティーヌは思った。

⦅ うん。取り敢えず、さっきからオカシイのが2人いる…… ⦆








 そうしてクリスティーヌは、とうとうアルベールと話も出来ぬまま、卒業式の日を迎えた。

 騒動は、本館講堂での式の終了後、学園大ホールにて催された卒業パーティーで起こった。


 婚約者であるクリスティーヌをエスコートせず、堂々とララを伴ってパーティー会場に現れたアルベール――会場は緊迫した空気に覆われた。この国の王女であるクリスティーヌを、衆目の中で蔑ろにしたのである。会場に居る、ほぼ全員がアルベールとララの破滅を確信した。


 アルベールはパーティーが始まると突然、大ホールの真ん中で、クリスティーヌに向かって「ララを苛めただろう」と、言い掛かりとしか思えぬ台詞を投げ付けた。挙げ句に、あろうことか「貴女との婚約を破棄する」と、一方的に婚約破棄を告げたのだ。アルベールの隣では、ララが勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


 前代未聞の不敬事件に会場は凍り付いた。


「『婚約破棄』ですか? それは、まぁ、一旦置いておくとして。私がララさんを苛めたとは? 一体、何のことでしょう?」

 全く動じることなく背筋を伸ばし、凛とした声で返したクリスティーヌに、ララが苛立ちも露わに叫ぶ。

「ヒドい! クリスティーヌ様! 忘れたフリですか!? 私に『婚約者のいる男性にむやみに近付くものではありません』って、怖い声でおっしゃったじゃありませんか?! 酷い苛めですわ!」

 ララの主張はその場に居る者たちの失笑と嘲笑を買った。先程まで凍り付いていた会場に乾いた笑いが広がる。ララは何故笑われているのか分からないようだ。

 

「はっ! バッカじゃねぇの!? それのどこが苛めなんだよ!? ふざけてんのか!?」

 ララに向かって罵声が飛んだ。声の主は、以前はアルベールと仲の良かった騎士団団長の子息だった。脳筋だが正義感の強い男である。彼は今まで散々アルベールに意見してきたが聞き入れられず、少し前に匙を投げていた。

「黙れ! 私の可愛いララをバカにする気か!?」

 アルベールは、かつての友を睨み付けた。

 すると、また別の男子生徒の声が響いた。

「ララ嬢だけじゃない! アルベール! お前も大バカ者だ! いい加減、正気を取り戻せ! 自分が何を仕出かしているか、分かってるのか!」

 それはアルベールの親友だった、宰相の子息の声だった。一部の女子生徒から秘かに「鬼畜眼鏡」と呼ばれ、偏った人気のある男だ。彼もまた、ずっとアルベールを諫めてきたが、つい最近、とうとう親友のアルベールを見限り距離を置いていた。

「な、何だと!?」

 顔を真っ赤にして怒りに震えるアルベール。


 更に会場のあちこちからアルベールとララを非難し、蔑む声が次々と発せられた。今までのことも含めて二人に怒りを感じている者が大勢いるのだ。会場は騒然とした雰囲気に包まれた。

「酷い! クリスティーヌ様! 全部、貴女の仕業ね!? 許せない!」

 この期に及んで、まだクリスティーヌに楯突くララ。

 ララの金切り声を聞き、クリスティーヌが口を開く。

「言いたい事はそれだけかしら?」

「えっ?」


「ララさん。私は貴女が羨ましいわ」

 思いがけないクリスティーヌの台詞に、騒がしかった会場がシンと静まり返った。

「ねぇ、ララさん。こんな騒動を起こして、貴女もアルベールも相応の罰を受けることになると思うわ。二人とも、きっと今までのような暮らしは出来なくなるでしょう。でも……好きな人と一緒に堕ちて行くのも、一つの『幸せ』よね。少なくとも私はそう思うの」

 そう言ったクリスティーヌの声音には、深い失望と共に、確かに微かな ”羨望” の色が滲んでいた。

 

 クリスティーヌは数歩進み出て、アルベールの目の前に立った。

 そして静かな声で彼に別れを告げた。

「さようなら、アルベール。私の最愛の人。もうおしまいにするわ」

 アルベールは何も言わず、クリスティーヌから目を逸らした。



 その直後、父兄として卒業パーティーに出席していたアルベールの父、ベルトラン公爵が、皆の前で息子に「勘当」を申し渡した。それを聞いたララは、

「そんな! 私は公爵夫人になるのよ! その為に逆ハーを目指さずにアルベールルートに入ったのに! 何なのよ!?」

 と、意味不明の事を喚いたが、やはりパーティーに出席していた自身の父、ブール男爵に「勘当」を言い渡され、アルベールと二人仲良く平民になることが決定した。


 クリスティーヌの父である国王は公務の為にパーティー会場には居合わせなかったが、学園長と王家の影から詳しい報告を受けた後に、ベルトラン公爵家及びブール男爵家それぞれの当主による子への「勘当」をもって、この件は落着と認めた。

 国王は両家を処罰しなかった。だが、表の罰が与えられないという事は、つまり裏での制裁が待っているという事である。震え上がったベルトラン公爵は自ら領地の大半を王家に返上し隠居した。家督は15歳になったばかりのアルベールの弟が継いだ。同じく恐怖を感じたブール男爵は自ら爵位を返上し王都を離れた。

 そして、当然のことながら、クリスティーヌとアルベールの婚約は王家からの「破棄」となったのである――



 アルベールとの婚約が正式に破棄された日。クリスティーヌは母にこう言った。

「ねぇ、お母様。あの時、ララさんにも話したのですけれど……好きな男性と二人で堕ちて行くのも女性にとっては、ある意味『幸せ』だと思いますの。やっぱり私はララさんが羨ましいですわ。オカシイでしょうか?」

 娘の言葉に困ったように微笑む王妃。

「……『共に堕ちる』とか『共に滅びる』というのは確かに一つの愛の形だとは思うわ。若い貴女が、ある種の憧れを感じるのも分かる気がするのよ。でもね、クリスティーヌ。公爵家の令息として生まれ育ったアルベールが平民として生きていけると思う? ララはもともと平民育ちだから彼女自身はある程度大丈夫かもしれないけれど、果たしてアルベールのことを支えてあげられるかしら? 日々の生活は綺麗事では済まされないわ。二人だけで市井で生きていくのは容易ではないはずよ。『一緒に堕ちていくのも幸せ』なんて、やはり絵空事の恋愛観だと思うわ」

 母の言葉に、そうかも知れないとクリスティーヌは思った。

 所詮、自分は苦労知らずの王女なのだ。本当に「堕ちた」その先を知るはずもない……


 家を追われ平民となったアルベールとララが、その後どこへ行き、どう暮らしているか定かではない。

 ララの平民の母親は早くに亡くなっていて、彼女はブール男爵に引き取られるまで、母親の親類の家で肩身の狭い思いをしながら暮らしていたそうだ。今更平民に戻っても、行く所などないのではなかろうか? アルベールに至っては平民の知り合いさえいないはずだ。二人だけで生活出来るのだろうか? 温室育ちのアルベールは身体を壊してしまうかも知れない……

 いろいろ心配になったクリスティーヌは、こっそり二人を見つけ出して援助しようと考えた。だが――影が告げ口したらしく、父に知られ大層叱られて断念せざるを得なかった。

 


 半年後、突然、戦が始まり、やがて終戦条約によって隣国の国王に嫁ぐことになるなど、勿論、この頃のクリスティーヌは知る由もなかった――

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