報告書12 想いの採取
マキナは本音が平仮名表記になる……とかいう設定を今になって思いつく
「どうイユ? 目標には着けそう?」
『はい。朝に出発すれば、すぐに到着するでしょう』
「そ。じゃあ夜明けを待つのみ、ね」
『今回の護衛は長かったですね。ようやく終わります』
「そうね……」
『どう思いますか? 彼女との旅が終わるのが』
「…………」
深夜、大型四輪の屋根の上。動力源を置いて月明かりで充電させながら、マキナはイユに明日のことを聞く。リスティを故郷に送る旅、その目的が果たされるまで目前というところまで迫っていた。
はぐれてしまった人間を故郷まで送り届けることは、マキナにとって珍しいことではない。今回のリスティまでに何度も行ったことがあるし、珍しいことと言えば、非常に長期になったことと……マキナ自身に変化が行ったことに他ならない。
そうした変化から、旅が終わってしまう、ということに初めてマキナは戸惑いを感じていた。そんな思考を読み取ったのだろう、イユが嫌らしく聞いてきて、マキナは憮然とした態度を隠そうとしなかった。
「イーユー。そんなんだからデリカシーなしAIとか言われんのよ」
『マキナにしか言われたことはありませんが』
「そもそもあんた、私とリスティ以外とまともに話さないでしょうが……あんたこそ、リスティと旅して何かなかったの?」
『何も。僕はあなたのサポートをするのが存在意義ですので』
「存在意義……ね」
存在意義。それもマキナがリスティと出会ったことによって、揺らいだ点の一つだった。
人間を救うこと、それが自身の使命であり存在意義で、それ以外に意味はないと。今までそうやって生きてきたマキナにとって、自分で自分の生き方を決めるリスティは眩しかった。
そんなことを考えながら、イユからの言葉を生返事で返してマキナは作業を終える。手慣れた様子で大型四輪の屋根から降り、生活スペースへの扉を開け……ようとした、寸前。中から心地よさそうな寝息が聞こえてきて、改めてゆっくりと扉を開ける。
「リスティ? 起きてる?」
「んん……んにゅ……」
「ふふふ。よく寝てる」
『珍しいですね』
「疲れちゃったのね」
扉を開けた先には、心地よく寝息をたてるリスティが横たわっていた。起こさないようにゆっくりと車内に入りながら、マキナは分かりきった質問を問いかけていく。
ただイユが言うように、この状況は珍しいことだった。もちろんリスティが寝ていることが珍しいわけではなく、警備隊員としての訓練からか、マキナが近づくとリスティは飛び起きてしまうのだ。何かあってもすぐ対応できるように、あくまで仮眠に留めているらしい。
故に、マキナが近づいても少し身動ぎするだけ、というのが珍しい状況だ。先の貯水地でのはしゃぎようが、よほど普段とは違う疲れ方をしたのだろう。気持ちよさそうに眠るリスティの頬を、マキナはゆっくりとつついた。
「あ、やわらかい……」
「ん……?」
「ふふん、もうちょっと……気持ちいい感触。人間って……やわらかい……」
「ん、んんっ……?」
「……いいな」
思った以上の弾力と、寝たままでうざったそうに動くリスティの姿に、マキナは引き寄せられていって。再び頬に指を当てると、柔らかい感触が指を跳ね返してくる。
マキナとは違う、人工物ではない感触。いつまでも触っていたくなるような、これこそが人間の感触だということらしい。どうあがいてもマキナには手に入らない、そんな感触に、無意識で声が溢れてしまう。
その時、突如として大型四輪が走り出した。
「えっ……?」
「ん……マキナさん? どうかしたんですか……?」
「いきなり車が走り出して……イユ、なんのつもり!? ……イユ……?」
「イユさんじゃ……ない?」
「リスティ、どういうこと?」
「い、いえ、なんとなく……イユさんとは違う、ような」
『はい。確かに今この車両をコントロールしているのは、イユ、と呼ばれるAIではありません』
もちろんマキナはそんな命令を告げてはいないし、危機を感じたイユが自動発進したわけでもないようだ。また、大型四輪の動力源は今しがたマキナが充電のために外しており、今まさに動いているのは緊急用の動力だ。そんなものをイユが勝手に消費するわけがない。
不可解な状況を感じたのか、すぐさま飛び起きたリスティが状況を聞いてくる。とはいえマキナにも分からないことばかりで、ただイユに呼びかけるしか出来なかったが、リスティがふとそんなことを呟いた。
この車両を動かしているのはイユではない。そんなリスティの推測が正しいと裏づけるように、無機質なシステムアナウンスが車内に響いた。
「……じゃあ、あなたは誰?」
『はい。私はサポートAIに仕組まれたプログラム。対象に人間の感情が発生した際に起動します』
「対象に人間の感情……ということは……?」
「違う……」
「マキナさん?」
「違う違う違う! 私に人間の感情なんて芽生えちゃいない!」
「マキナさん! 落ち着いてください!」
イユではないプログラムが、イユと同様の音声を使って語りだす。それでもイユとはまったく違う声色に聞こえるのは、自己判断が認められているAIではなく、ただの平坦なプログラムだからか。
そうしてプログラムは語りだす。対象に人間の感情が発生した際に、このプログラムは起動する。その対象とは火を見るより明らかであり、リスティからのおずおずとした視線を感じたマキナは――認められずに暴れだした。
違う。人間の感情などまだ分からないことばかりだ。よしんば何か一つだけ目覚めていたとしても、先程リスティの寝顔を見てマキナが考えていたことは、許されざることであったのに。
「とにかく落ち着いてください、マキナさんらしくありません!」
「……ごめん。でも違うの、違う……」
「……プログラムさん。イユさんはどうなったんですか?」
『はい。イユと呼ばれるAIは、現在活動を休止しています』
「では、わたしたちを……マキナさんをどこへ連れていく気なんですか?」
『はい。現在、この車両は対象のマスターの元へと向かっています』
「対象のマスター……マキナさんの、親?」
「私の……おとうさん?」
リスティが無理やりに暴れるのを止めたことで、マキナも少しは落ち着いて。とはいえ芽生えた感情とやらを認めることは出来ず、力を失って床に座り込んでしまう。
そんなマキナの姿を見てリスティは、しばし何か言うべきか考えていたようだったが、決心したようにプログラムへと向き直った。マキナの代わりにイユのこと、目的地のことを聞いてみせると、プログラムは何の抵抗もなく語りだしていく。
両親。これまでの旅で人間たちのソレを幾度も見てきたものの、マキナには何の関係もない存在だと考えてきたモノ。マキナを造ったあの物言わぬ鋼鉄の増産施設を母と言うならば、確かにマキナを産んだものではあるだろう。
ただ、記録の奥底にある存在。マキナを設計した科学者は、愛情を持ってマキナのような人間型の機械を開発していた科学者は……父と呼べる存在なのかもしれない。
「マキナさん、お父さんがいるんですか?」
「う、うん……今まで気にもしてなかったけど……あの人は、私を造った人は……博士は、お父さんって呼べるかも……しれない」
「よかったじゃないですか! 前に気にしてた、マキナさんは一人ぼっちじゃない、帰る場所があるってことです!」
「……あ、ありがと。でも、ごめんね? リスティの故郷もすぐなのに……」
「そんなの、もちろんマキナさん優先ですよ! 当たり前じゃないですか!」
「……そっか」
家族と帰る場所がある。かつて戦乙女の町で、マキナは自分自身を一人ぼっちだと称したことを覚えていたのか、リスティは自分のことのように喜びだした。
旅路の果てにようやく自らの故郷を前にして、もちろんマキナを優先する、などと言ってしまう。そしてそれを、心の底から喜べる。そんなリスティが眩しくて、マキナは知らず知らずのうちに目をそらす。
ただマキナも、父親という自分には縁がないと思っていた存在に、どうしてか心惹かれていたのも確かだった。自分のことを知っている人物のところに帰る、それだけのことがこんなに心踊ることなのかと。
「マキナさんのお父さんに会えれば、イユさんも元に戻るでしょうし……行くしかないですよ」
「う、うん……そうだね」
その自問自答へマキナは答えをだすことは出来ずに、大型四輪はプログラムに従って走っていく。その走行は、《機械を》への対策や道路について考えられていない乱暴なものであり、警戒する《機械》に見つからなかったのは奇跡と言えるだろう。
とはいえ速度だけは確かなものであり、すぐに目的地であろ場所が見えてくる。幾つかの施設が混在した研究所の跡地のようであり、命が大事な人間であるならば《機械》の気配を感じて近寄りはしない場所だ。
ただ停車した大型四輪からは動作する《機械》の姿は見えず、未だに生きている工場から発生する機械音以外は何も聞こえなかった。もちろん人間の生活跡どころか、人間が足を踏み入れた痕跡すら見当たらない。
『車を降りて、目の前の研究所にお入りください』
「その前に、イユさんを返してください!」
『車を降りて、目の前の研究所にお入りください』
「……これはダメそうね」
「人質を取られているようで気にくわないんですが……そうですね」
「人質、ねぇ……」
「あ、す、すいません。マキナさんのお父さんを悪く言ってしまったみたいで」
「ううん、それを気にしてるわけじゃないの。人質っていうのがちょっと面白くてね」
活動を停止しているというイユのことも気にはなるが、このプログラムとやらと問答をしていてもきりがないだろう。さっさと大型四輪から降りると、目の前の研究所がマキナを歓迎するかのように扉を開く。
AIたるイユを人質。こんな人間がいるとは思えない場所で、なお父親を悪く言ってしまったと謝る。リスティは普段通りであり、マキナもそんな彼女の様子を見て落ち着くことができた。
研究所の中身も明らかに数十年と放置されており、どう贔屓目に見ても人間が暮らしている環境ではなかった。電灯も消えてしまっており、リスティが光刃を少し展開することで、ようやく明かりが確保される。
まっすぐ通路を歩いていくと、すぐに行き止まりへとたどり着く。正確には研究所が生きていた頃は受付であったらしく、さらに奥へ進む扉もあるにはあるが、瓦礫に塞がれて通れるとは思えない。ただモニターがポツンと一つ置いてあり、画面は砂嵐のみを映している。
――かと思えば。マキナを前にした瞬間、モニターは砂嵐ではなく人間を映し出した。
『よく来てくれた』
「……おとうさん……ううん、博士」
『手荒な運び方をしてすまない……私がわかるか?』
「この人が、マキナさんのお父さん……なんですか?」
「うん……うん。この人が私を造ったの。でもいっぱいいたからね、私個人を覚えてるわけない……でしょ?」
『いいや。こうしてデータ化した今も、全員を覚えているとも』
「……うそつき」
モニターの中に現れたのは、マキナとその同型の機械を設計と開発した博士。マキナの記憶の奥底にあった、痩せ細った白衣の姿とそっくりだった。
温厚で人のよさそうな表情とは裏腹に、人類の未来のことしか考えていない、そんな人間だったとマキナは記録している。人間を殺す《機械》たちを前に、人間に寄り添いあいながら人間を守る機械というコンセプトで、マキナはその同型種とともに造り出されたのだ。
……もう他の同型種がどうなったかなど、まったく分からないけれど。
とにかく。自身をデータ化したという博士は、優しい人ではあれど、マキナたち個人個人を覚えているような人間ではない。あくまで人類の未来を考えているのみなのだから。
また父親と呼べるような感慨も浮かばずに、ただ博士とだけ呼ぶマキナに、何の反応も返すこともなかった。
「え、えと……はじめまして。リスティといいます。マキナさんには助けてもらって――」
『説明は後だ。まずは君に芽生えた感情を解析させてくれ』
「あのプログラムからデータは受け取ってるんでしょ? ……わざわざ言わないで。おねがい」
「……マキナさん、やっぱりどうかしたんですか? 感情の話から、なんだか変です」
「……リスティに聞かれたくないの。私の、醜い感情を。だから博士……とうさん。おねがい、おねがいだから……」
『……嫉妬か。生じやすい感情だ』
「……博士!」
博士とマキナの間に生じる空気にリスティが仲裁に入るものの、博士はリスティが見えていないかのように、データの解析を優先していく。恐らくはイユを乗っ取ったプログラムから、マキナについてのデータはとっくに送られてきているだろう。
大型四輪の中では違うと否定しては取り乱してしまったが、マキナは自分が感じている感情がどんなものか、はっきりと理解していた。それはリスティには聞かれたくないものであり、必死にモニターの中にいる博士へ――いや、父親へ訴えかける。
ただしその懇願が伝わることはなく、無慈悲にリスティへマキナが感じていた感情を告げられる。
その感情の名は、嫉妬。
「嫉妬……?」
「……そうよ、リスティ。私はあなたに嫉妬してるの」
「マ、マキナさん、痛いです……」
「帰りを待ってくれる家族がいて、何にでも真っ直ぐで、自分をさらけだせて、生きる目的があって……全部。あなたのことが全部全部全部全部全部全部! うらやましい……ねたましいの!」
「……マキナさん……」
「どうして! 私は何も感じない身体なのに! 不公平じゃない……私だって、あなたみたいになりたい……あなたみたいに生きていたい!」
『さらなる解析をしたい。奥の研究所に来てくれ』
一度、一度でも口にしてしまえば、もう止めることは出来なかった。リスティの肩を握り潰さんとするように掴み、そのままずっと心中にしまっていた思いの丈をぶちまけた。
リスティの柔らかい身体が羨ましかった。リスティの明るい性格が羨ましかった。リスティの絶対に曲がらない性質が羨ましかった。リスティの楽しく笑う会話が羨ましかった。リスティの生き方が羨ましかった。リスティのいつでも他者を優先する優しさが羨ましかった。リスティに故郷があることが羨ましかった。リスティに家族がいることが羨ましかった。リスティがマキナの手に入れられないものを持っていて羨ましかった。リスティならこんな時に泣けるのが羨ましかった。リスティが人間であることが羨ましかった。リスティが、リスティが、リスティが――
リスティの全てが――羨ましかった。
「はぁ……ごめん、リスティ、忘れて……って無理だよね。博士、私、リスティを……故郷に送らないとダメだから」
『さらなる解析をしたい。奥の研究所に来てくれ』
「……博士?」
『さらなる解析をしたい。奥の研究所に来てくれ』
「もうそいつはそれしか言わねぇよ」
マキナには、もうリスティの顔を見ることは出来なかった。マキナの告白にどんな表情をしているのか、恐ろしくて見ることも出来なかったからだ。
リスティから目をそらすように博士のいるモニターを見るが、ただ博士は同じことしか言えなくなっていた。そもそも奥の研究所へ繋がる道は瓦礫で塞がれており、もはや稼働しているようには思えない。
そんな異常事態を前に、マキナたちの背後から女性の声がかけられた。反射的に振り向いてみれば、そこには声のイメージ通りの長身の女性が――いや、マキナと同じ、人間を模した《機械》が立っていた。
「マキナさんに……似てる?」
「そりゃそうさ。なあ、姉さん?」
「……初対面だけどね。それよりどういうこと? おと……博士がもうそれしか言わないって」
「分かってんだろ? そこにあるのは博士でも何でもねぇ、ただのプログラムだってね」
現れた長身の女性が皮肉げに「姉さん」などと言うように、恐らくその正体はマキナ同様の人間を模した機械人形。その最も新型のものだろう。
そして彼女から告げられた言葉も、恐らくは真実だろう。モニターの中にいた博士は自身をデータ化したなどと言っていたが、そんなことはない。イユに仕込まれたプログラムと同様、芽生えた感情に反応して起動し、設定された受け答えを返すだけの機能にすぎない。
リスティに反応しなかったのもそれが原因だろう。結局、マキナには父親も帰る場所もなかったということだ。
「さて……じゃあ言われた通りだ。奥の研究所、別の入り口を用意してある。行ってもらうぜ」
「え……どうしてですか、もう博士はいないのでしょう?」
「あたしの使命は、研究の続行と侵入者の排除だ。もう博士がいなかろうが関係ねぇ」
「……あなたも私と同じなのね」
そして目前の妹もまた《機械》なれば。マキナが人間を救うことを存在意義としていたように、彼女の存在意義もまた博士の望みを叶えることで、それは博士がもう死んでいようが関係のない話だった。
何故ならマキナたちは、機械人形は、使命を果たすべく生まれてきたのだから。その使命を果たすしか……稼働している価値はないのだから。
そんな生き方は間違っていると分かってしまったマキナは、もう壊れてしまったのだ……だから、直してもらわなくては。ただ使命を果たすため、そのためだけの機械人形に戻らなくてはならない。
「うん、行こう」
嫉妬心――知りたかったはずの人間の感情は、ただ苦しむだけのものだったから。
活動報告にも書きましたが、初めてのレビューをいただきました。本当に嬉しいです




