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怪奇拾遺集

遠くなれば薄くなる

作者: 狂言巡

 春朝はるあさすずめは遠くのお店まで買い物に出かけた。その日は雨が降っていたが、最近家庭用も値上りが続く小麦粉とバターの特売があったので急いでいた。あまりに慌てていたものだから、間違って弟の傘を持って家を出てしまったのだ。

 この傘はお揃いで買った物で、明るい緑色に白のラインの縁取り、取っ手は木製でとても洒落ている。違うのは大きさだけだった。幼稚園の子が使うものだ、当然自分のより二回り位小さい。そのことに踏み切りに引っかかって、待ってる間に傘を差そうとして気づいたのだ。まぁもう戻るのも面倒だしいいやと思って、そのまま小さな傘を差していくことにした。

 それが、全ての始まりだった。


 遮断機が上がって再び走り出す。しばらく進んだところで、公園に差し掛かった。そこの公園は街中にあるわりに広い。半分は木で囲まれた芝生のスペースで、子ども達がサッカーをして遊べるほどもあった。そしてもう半分のコンクリートで舗装されたスペースには、噴水とベンチがあり、花壇には綺麗な花が沢山植えてある。子どもの遊び場というだけでなくて、ベビーカーを押した保護者達やジョギングをしている男性、それからデートをしてるカップルも見かける、人気の公園だった。

 普段は人の多い公園の中を避けて周囲をぐるっと歩く。しかしその時は急いでいたし、雨が降っているから人も少ないだろうと思って、公園を斜めに通り抜けて近道しようとした。

 すずめの推測は正しく、公園はとても静かだった。人は少ないどころか全く見かけなかった。聞こえてくるのは、雨の音だけ。不思議な雰囲気が、公園を包み込んでいるように感じた。一瞬だけ、いつも通り遠回りをしようかと躊躇したが、すぐに思い直して走り出した。広いといっても別に何キロもあるわけではなく、あっという間に向こうの端まで行ける。気にすることはないと自分に言い聞かせた。

 ふと。遠くに誰かいる。最初は噴水に隠れて見えなかったけど、確かに人影があった。さらに近づく。


 女の子だ。鮮やかな緑色のワンピースを着た、小さな女の子。弟と同じくらい。彼女は傘を――すずめの傘と同じような、緑色の傘を持っていた。そして、まるでダンスのステップを踏むみたいに水たまりの中をクルクルと跳びはねていたんだ。まるで可愛いアマガエルみたいのように。

 すずめは思わず立ち止まった。それは、怖いものを感じたわけではなく。それは、もっと穏やかで優しくて。自分にも経験があったから。

 自分も小さな頃、親に初めて傘を買ってもらった時、とても嬉しかったのを覚えている。しばらくの間、家の中でも天気が良い時でもいつも傘を差していた。雨の日が待ち遠しくて仕方がなかった。実際に雨が降った時は、目の前の女の子と同じようににはしゃいでいた気がする。昔の、懐かしい思い出だった。

 その瞬間。彼女と目が合ったような気が、して――


 キキーッ!


 大きくて甲高い音が周囲に響き渡った。

 車の急ブレーキ音だ。すずめは反射的に道路の方を見た。

 けど、それらしい物はなかった。どの車もスムーズに走っている。ここから見えない場所なのだろうか。いいや、違う。音は、もっと別の場所から聞こえた。

 音がした場所、それは女の子がいた場所。そこにはもう、女の子はいなかった。

 これは、危険な状況だ。歯はカチカチと鳴り、傘を握る手は震えていたのに、足だけが勝手に動いた。

 こっちへおいで……誰かが、自分を呼んでいる!

 頭の片隅では、一秒でも早くこの場から離れるべきなんだということを十分に理解していた。でも、心の大部分が真実を確かめなくてはいけないという考えに支配されていた。

 行ってはいけない。でも、真実を知りたい。真実ってなんだろう。自分は、なにを知りたいのだろう。

 小さな女の子がいたはずの水たまり。大きくもなく深そうでもなく水たまりの前で、すずめは深呼吸をした。

 落ち着かないと、しっかりしないと、殺されてしまう――いいや、そもそも殺されるってどういうことだ。

 そこに、真実への糸口があった。すずめは『殺される』という言葉に違和感を持った。そうなのだ。消える前の女の子からは、少しも恐怖を感じなかった。それどころか、痛みも憎しみも伝わってこなかった。届いたのは、幸せな思い出に繋がる、穏やかで優しい感情。

 そんな彼女が、誰かを殺すために現れたとは思えない。彼女じゃ、ない!


(やっと、みつけた、いとしいこ)


 すぐ後ろで声が聞こえた。涙でとけたような、ねっとりと、絡みつくような声だった。


(ごめんなさい、ママがわるかったわ)

(ほんのすこしあいだ、あなたからめをはなしてしまったばっかりに)

(たいせつにしていたかさ、こわれてしまったわね)

(だいすきなパパが、かってくれたかさなのに)

(かなしかったでしょう、でもわたしもかなしかった)

(パパだけでなく、あなたまでどこかへいってしまったから)

(でも、みつかってよかったわ)

(もう、ぜったい、はなしはしないから)


 ゴポッ……。


 水溜まりの真ん中から、音を立てて赤い液体が噴き出した。それはまるで、鮮血のようだった。そして、青白い手があたしの足を掴んで水たまりへと引きずり込もうとする。

 ――楽しそうに踊る女の子。車の急ブレーキの音。止まない雨。ぐしゃぐしゃの傘。女の子も歪んで。ワンピースが赤く染まっていく。びゅううと強い風が吹いて、すずめは思わず傘を手放してしまった。ライトグリーンの傘は、くるくると宙に舞った。

 傘の行方を見つめながら、ようやく思い出した。そういえば、自分が差していたのは子ども用のサイズだったということを。彼女を遠くから見た時には、同じような色をしていることしかわからなかったけれど。たぶん、サイズまでが一緒の完全に同じ傘で――だから、女の子の母親は自分を選んだんだ――。真実に辿り着いた瞬間に、すずめの意識は途絶えた。

 気がついた時、すずめはまだ公園にいた。水たまりがあった場所に立ち尽くしていた。でも、水たまりはなくなっていた。それから傘も。空は雲ひとつ無い青空で、とても雨が降っていたようには思えなかった。すがすがしいほどの晴天だった。公園は人の楽しそうな声につつまれ、いつもと変わらない日常が、そこにはあった。

 けれど、すずめはもうその場にいることが出来なかった。早く家に帰りたい。傘はどこかに行ってしまったしタイムサービスの時間は過ぎていた。弟達には申し訳ないことだらけだ。でも、正直それどころではなかった。

 来た道を駆け足で戻りながら、すずめは助かった理由を考えた。運が良かったのかもしれない。母親はすずめが傘を離したことで、自分の娘ではないと気づいてくれたから。

 そう、傘が決め手だったのだ。きっと、あの母親は【娘】であることには、それほど関心がない。そこにこだわっているなら、最初から大人であるすずめの前には現れなかったはずだ。

 大事な我が子を目の前で失った悲しみで、壊れた傘とすり替えて記憶に刻んでしまったのだろうか。だとしたら……あの母親にとっては壊れた傘の存在こそが、唯一の子どもが生きている証ということになる。


 何だか悲しい話だと、すずめは話を締め括った。

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