第一話【契約書とかはちゃんと目を通すように!】
ハッハッハッハ!
笑うしかない。もう笑うしかない。
今の俺には笑う事しかできない。だけどどうしてだろう。俺の目からは涙が止まらない。笑っているのに涙が止まらない。止まらない涙が…。
俺の夢は甲子園で優勝し、プロ野球選手になることだ。
あれは俺が小学一年の時、夏の甲子園で必死に頑張る甲子園球児たちの戦う姿を見て自分もいつか甲子園に出るのだと誓った。
それからというもの俺は野球野球の毎日を送っていた。勉強よりも野球、恋よりも野球、ワールドカップで日本中が沸いている時も野球の毎日だった。
中学の時も全国大会まで進み、準決勝で敗退はしたものの、まずまずの成績を残した。
そして、強豪校と名高い新垣実業からスカウトを受け、入学した。先輩方は怖い人ばかりだったが、これなら俺も甲子園に出場し、優勝を狙えると思っていた。
そう、優勝も夢ではないと思っていた俺をもし今の俺が殴る事ができるのならば、助走をつけて殴っているだろう。
それはナゼか?
「3年間の出場停止!!」
「ああ…」
「それってどういう事ですか!!」
「昨日の試合が終わった後、相手の学校の子と喧嘩になったらしくな…、残念な事にうちのメンバーは皆腕っぷしが良い。だから相手の高校のメンバーを全員病院送りにしてしまったのだ。」
俺は笑った。ただ笑った。これは何かの冗談だと笑うしかなかった。
小さい頃からの夢だった甲子園の夢…。
それがこんな形で潰えてしまったのだ…。
親や友人たちは野球だけが人生ではないと言っていた。
否、俺にとっては野球こそが人生、人生こそが野球なのだ。それも甲子園で優勝して華々しくプロとして生きていく事こそが俺の人生だったのだ。
俺から野球を取ったら何が残る?
物心ついた頃よりずっと坊主の俺に今更どんなヘアスタイルになれば良いのか…。
せめて涙を流すのならば、甲子園のマウンドの上で涙を流したかった。
俺が途方に暮れていると、家に一本の電話がかかってきた。
母、知世が何かペコペコしながら話をしている。電話なのだからお辞儀をしたところで相手には見えなかろう。しばらくすると母が俺に部屋から出てくるように言った。
俺は夢も希望も失い体中に力が入らなかったが、どうにかこうにか力を振り絞り立ち上がり、母の元へと向かった。
母は俺に電話に出るように言った。正直今は誰とも話したくない状況なのに本当に面倒くさいことだ。
「はい。」
「君が星野タクマくんだね。」
電話の向こうからは少し甲高い男の声が聞こえてきた。
「はい、そうですが。どちらさまですか?」
「私は勇野学園のジェシー松本という者だが。単刀直入に言うと君に一緒に甲子園に行って欲しいのだよ。」
「ん?」俺は自分の耳を疑った。孔子苑?新しい焼き肉屋でもできたのだろうか?いや違う!
「君には我が校に編入して頂き、共に甲子園を目指して欲しいのだ。」
ポイ捨て神あれば拾う神あり!まさに今の俺にはそんな言葉が頭に浮かんだ。まあ若干違うかもしれないけど。
更に、勇野学園と言ったら毎年ベスト4まで確実に入る超強豪校。
そんな超強豪校にスカウトされるなんて俺の人生はたった今シード権を手にしたようなものだ。
俺はガッツポーズをした。紛れもなく両手を天高くに上げ、ガッツ石松なる人物がしたというガッツポーズを行った。決してコロンビアと答えた訳ではない。
まあ当然ながら電話は床に叩きつけられたが、すぐに俺は受話器を拾い上げた。
「大丈夫かね?今すごい音がしたが?」
「だだだだ大丈夫です!無問題です!」
「お母様には編入の細かい手続きは伝えてあるので、近日中に編入してもらう。」
「はい!もう今すぐでも!すぐでも大丈夫です!むしろすぐがいいです!」
「そこまで気合が入っていれば安心だ。」
その後、もう一度母知世に代わった。
俺はあんまりにも興奮が冷めないので近所を走り込んだ。それはもう走り込んだ。パトロール中のおまわりさんに注意される程に走り込んだ。
そして、遂に転入初日。勇野学園はスポーツの世界ではその名を知らない人がいない程の強豪校。野球だけではなく、サッカーでも陸上でも卓球でもバトミントンでもカバディでも。ちなみに俺はカバディがどんなスポーツなのかは一切知らない。とりあえずとんでもない学校だという事を言いたいのだ!
放課後、俺はついにこの瞬間が来たかと胸躍った。それはもう胸が躍った。踊り過ぎて転入初日だというのに授業が一切記憶にない程だ。まあ実際にこうして飛ばしているしな。
俺は顧問のジェシー松本先生に案内され、部室に辿り着いた。
強豪校の野球部の部室という事もあって、他の部室が使う部室棟ではなく、更に離れた場所にあるようだ。
どんな先輩たちがいるのだろうか。ドキドキが止まらない!
俺を案内してくれているジェシー松本先生が立ち止まった。そこは少し古い建物であったが、少し中世ヨーロッパ風の城のような建物だった。
おお、これが強豪校の野球部の部室。他とは本当に格が違うんだな。
「さあ入りたまえ。」
何事も最初が肝心だ。俺は部室の扉を開け、元気よく挨拶をした。
「初めまして!これからお世話になる星野タクマです!夢は甲子園で優勝する事!まだまだ未熟者ではありますが、宜しくお願い致します!」
「え?甲子園?」
「………」
「132!133!…」
どうも部室の雰囲気が変だ。見る限りに部室に居るのは漫画を読んでいる金髪ツンツンヘアーの男と、ひたすらダンベルを上げ下げしているデカマッチョと、黙って刀になんか耳かきの頭についてる白いポンポンみたいのを当てている黒髪の女性だけだった。
「えっとこの人たちは?」
「今日から君の部活仲間になる子だちだよ。」
「仲間?他の部員の方々は?」
「ああ、今は遠征中でね。出払ってるんだよ。」
俺はようやく理解した。この人たちは居残り組なのだという事を。そうか、そういうことか。この人たちは遠征に参加できない残念な人たちなんだな。だからと言って下に見るような真似をすれば今後の関係性に関わる。ここはきちんと対応しておこう。
「皆さまも推薦で勇野学園に来られたんですか?」
「まあそんなところかな。俺の場合は街でやってるところをスカウトって感じだったけど。」
街で野球を?草野球という事だろうか。どちらにしても異質なキャリアの人である事は確かだ。
「そちらの方は?」
「157。158.159…」
デカマッチョはただ黙々とダンベルを上げ下げしていた。となると残るは何故か刀をポンポンしているこの女子だけか…。まあ言うまでもなくマネージャーだろう。みんなが遠征に出かけている間は暇だから趣味か何かで刀をポンポンしているのだろう。うんうん。
「まっちゃん。コイツが前に話してた候補生ってことなの?」
「そうだ。私の見る限りに相当な素質の持ち主だろう。」
「へー。じゃあ少し相手してよ。」
「相手ですか?ピッチング練習とかバッティング練習という事でしょうか?」
「ああ、バットを使うスタイルって事か?まあそれでもいいけどよ。」
「スタイルというか、一応はピッチャーとバッター両方可能です。いわゆる両刀使いってやつです。」
「両刀使い?」
刀をポンポンしている女子が初めてこっちを向いた。
「私も手合わせを願おう。」
「え?」
「199。200ぅ!っと!おいおい、二人とも新人とデュエルなんてずるいぞ。」
「デュエル?」
どうも先程から聞きなれない単語が飛び交っているように感じる。それとも強豪校だと普段使う用語も暗号化されているのだろうか。
「とりま、プラクティクスルームに移動しようか。」
俺は言われるがままに野球部の建物内にあるプラクティクスルームなる場所に移動した。そこは建物の地下にあり、体育館程の大きな空間が広がっていた。
部室の地下にこんな場所があるなんてさすが強豪校だ!
「ルールはどちらかが行動不能になるか、降参したら終わりだ。」
「行動不能?降参?」
金髪のツンツン頭の男は変わったグローブをしていた。それも両手に。あれは何かの強化訓練用のアイテムなのだろうか?つくづく強豪校とはすごい場所だ。
なんてことを考えていると、男は軽くステップを踏み出した。
すると、急に男の姿が見えなくなった。俺は何がなんだかわからなく混乱した。昔の野球漫画では消える魔球なるものがあったという。しかし、選手本人が消えるなんてものは前代未聞である。どこぞのバスケ漫画のように気配を消しているのだろうか。なんてことをまたまた考えていると、横から男が現れ、右拳で殴りかかって来た。
「へー。中々やるじゃないか。」
俺はとっさの事で動揺したが、右手に持っていたバットで金髪ツンツンの右拳を防いだ。
「いきなり何をするんだ!」
これはまさか、強豪校だからこそのライバルを蹴落とそうとする通過儀礼的な事なのだろうか。だが、そういうのは普通は先生のいないところでやるものだと思っていたが、がっつりジェシー松本先生も観戦している。それも黒髪の刀女子が煎れたであろうお茶を飲みながら。
「まあまぐれは誰にでもある。今度こそ!」
そういうと金髪ツンツンは再びステップを踏み出し、経った一歩で5メートルはあろう距離を詰め、俺の目の前まで詰め寄っていた。そして、男は左拳を連続で繰り出してきた。
「喰らえ!マシンガンジャブ!」
「なるほど。」
「ズズズズズー。」
「あの子…」
「クソ!どうして!どうして当たらない!」
俺は金髪ツンツンの繰り出して来るジャブなるパンチを全て避けていた。俺は昔から目は良い方だ。動体視力、視力共にアフリカの狩猟民族の異名を持つ程だ。そんな俺にとってはこんなパンチ朝飯前だ。
金髪ツンツンはバックステップで一度俺との距離をとった。
「はぁ…はぁ…。この俺のマシンガンジャブを避け切れる奴がいるとは…。」
「あんたが弱いだけ…。」
「なんだと!」
「今度は私の番。」
おいおい、今度はサムライガールが木刀で襲い掛かってきた。俺は必至に持っているバットでサムライガールの木刀を防いだ。
気が付くと、俺のバットはボロボロになり、今にも折れそうになっていた。
「疾風…斬。」
「あのバカ!」
サムライガールが木刀を鞘にしまうような動作で腰に当てた次の瞬間、サムライガールが俺の目の前で木刀を引き抜こうとしていた。俺はガードが間に合わなかった。
「マッスルダイナマイト!」
俺は何が起こったのかわからなかった。気が付くと俺とサムライガールの間にデカマッチョが立っていたのだ。それも変なポージングをしながら。
《ドス!》っと俺の背後から音がした。俺は音のした方に振り替えると、そこにはサムライガールの折れた木刀の先端が地面に刺さっていた。
「ノンノン!素人に本気を出すのはマナー違反だぞ、ミス御堂。」
マナーもへったくれもない。俺は野球をやるために勇野学園に来たというのに、転入早々なぜこんな事件に巻き込まれているのか。ええ、これは紛れもなく事件です。事件です姉さん。
「失礼したね、ミスター星野。」
「え、ええ…。」
「しかし、君の実力はよくわかった。ようこそ“異世界探検部”へ。」
何がなんだかわからないが、認めてくてたようだ。って待てよ…。
“異世界探検部”ってなんだぁぁぁぁぁ!!!!
どういう事だ!俺は野球部に入って甲子園を目指すために勇野学園に!ってそうか、何かの誤解があって部室を間違えたのか。
「えっと違うんです。俺は野球部で甲子園を目指すためにこの学校に来たんですよ。」
「ん?そうなのか?」
「いんや。君の所属する部は異世界探検部で間違いないよ。」
「ジェシー松本先生!」
「君は今日から異世界探検部のエース(勇者)をやってもらう。そのためにスカウトしたのさ。」
「だって電話で話した時に一緒に甲子園に行こうって言ったじゃないですか!」
「甲骨なる、神の子らの園。すなわち甲子園だ。」
「先生それには無理があるのでは…。」
「読みでは“こうこその”ですが。」
「うそだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ほら、契約書にもちゃんと書いてあるよ。」
「ホントだ。」
「うむ、小さく補足として書いてはあるな。」
「姑息…。」
「てな訳で宜しく。星野タクマ君。」
俺の甲子園への夢は今完全に断たれた…。
■続く…