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第3話 美酒を得るための第1歩

世には様々な酒がある。

エールに火酒、蜂蜜酒にワイン。

遥か東方には白く濁った酒や色のない清らかな酒もあるという。

かつて、世にあるすべての酒を求め、世界を駆け巡った男がいた。

世界中の酒を飲むついでに世界に迫る魔の手を打ち払い、突き進んだ男。

その男はのちにこう呼ばれる。

酔いどれ賢者と。


ギルド長室を退室した後、ラルフは酒場へと走った。

今朝は、朝の一杯を飲むことができなかったためだ。

向かう先は、常日頃から利用している酒場。

王都メフィヤーンスの片隅にあるその酒場は場所が悪いこともあり、知る人ぞ知る隠れ家だ。


時刻はもう昼過ぎ。

何か腹に詰めておくのも良い。

商人や冒険者がすれ違う大通りを抜け、

活気のある商店の立ち並ぶ広場を見回す。

広場は誘惑でいっぱいだ。

甘辛く焼いた鶏の串焼き。

冷えたジュース。

甘く熟した果実。

手軽に食える、パンに野菜や肉を挟んだ軽食。

シチューなんて売っている猛者もいる。


ラルフは少し考えると頭を振って酒場へと急いだ。

今日は朝からついていない。

こういう日は、あの酒場で美味い飯と酒を浴びるに限る。

彼は今までの経験からそう結論付けたのだ。

この時間帯なら、まだ残っているだろう、ランチメニューを想像して酒場へ。

「腹が減ったなぁ」

悲鳴を上げる腹をさすりながら、一歩また一歩酒場へと進む。

人通りが途絶えた建物の影を進み、たどり着いたのは小さな酒場だ。

酒場を示す木のジョッキに満たされたエールが描かれた小さな看板と、入り口上に掲げられた古ぼけた看板が目印だ。

入り口上の看板には店名が描かれていたらしいが、長い年月の果てにかすれ、消えかけてしまっており、もはや文字としての体裁を保っていない。

しかし、この酒場こそ、かつて世界を救った大賢者の作った酒場。

酒をこよなく愛した彼の名を冠する酒飲みの聖地である。

とはいえ、もはや店の名前など覚えている者は常連客の中でも一握り。

ラルフも店名を知らないし、知る気もない。

この酒場は酒飲みの聖地であり、はるか昔、酒をこよなく愛した馬鹿な男が作り上げた楽園である。

ラルフには、いや、多くの酒飲みにとってはそれだけでよかった。

多くの友とジョッキを掲げ、美味い酒を飲んで、かつての偉大な賢者を称える。

酒を愛する者達だけが集まるこの酒場を、彼等はこう呼ぶ。

酔いどれ賢者の楽園(パラダイス)』と。


ギィッときしむドアを開け、店内へ。

ちらりと見渡すと、すでに何卓ものテーブルが埋まっており、

そこかしこでジョッキを交わす音や飲み食いする音が聞こえる。

カウンターも人が多く、空いている席目指して歩く。

「よぉ、ラルフ。今日は何にするね?」

顔なじみのマスターが酒瓶を棚に戻しながら聞いてくる。

がっしりとした身体は鍛えている証拠。

昔は冒険者をやっていたらしいが、すでに引退して酒場の店主に収まっていると聞く。

歳は50を超えたあたりだろうと思われるが、

あまりにも若々しく、エネルギーにあふれているため、実際の年齢はわからずじまいだ。

「朝から何も食ってなくてね。悪いが腹にたまるものが欲しい。後はエールかな」

今日のお勧めは?

続けた言葉にマスターはにやりと笑いながら答えた。

「運がいいな。今日はワイバーン肉のいいのが出せるぞ。銀貨10枚でいい。

15枚出しゃ、テールスープも付く」

どうやら、つい先日のワイバーン退治の戦利品を出しているようだ。

「ギルドの検閲は通ったのか?」

「蛇の道は蛇ってな」

肩をすくめてのセリフが妙にあっている。

相変わらず、渋いおっさんだ。

「ならそれをくれ。スープもな」

「あいよ。エールはすぐ出せるから飲んで待ってろ」

カウンターに座ると、ウェイトレス(マスターの娘だ)が木のジョッキに入ったエールを持ってきた。

ありがたく受け取り、まずは一口。

「っあ~。生き返る」

やはり酒はいい。

人生とはこれこのことだ。

嫌なことも忘れられるし、幸福感をもたらしてくれる、まさに万能薬とでもいうべき飲み物。

今はただ、この快楽に身を任せるとしよう。

明日のことは明日考えればいいのだ。

どうせ、あのギルドマスターのことだ。

裏でなにがしかの企みを巡らせているんだろう。

また一口エールを飲む。


良い酒だ。

他の店のように薄めていない、純粋なエールだ。

他所でこのレベルを飲もうと思えば、銅貨で50枚はいるだろう。

それが此処では銅貨20枚とだいぶお安い。

一人前と呼ばれる冒険者の稼ぎがおおよそ一日に銀貨30枚といったところ。

成り立ての冒険者では、一日に稼げても銀貨1枚がいいところ。

勿論、うまくいけばの話で、下手をすればその半額の銅貨50枚にも届かないのがほとんどだ。

それを考えれば、今回のランチは中々の値段だ。

懐かしいものだ。

あの頃は私も日銭を求めて狩りをしたり、細々とした雑用をしていたものだ。

安全な依頼は儲けが少ないが、儲けの多い依頼は危険も多い。

最初は街の小さな依頼をこなして幾ばくかの銅貨を得たものだ。

自分で稼いだ金で何かを食おうと思っても、駆け出し冒険者の稼ぎじゃたかが知れてる。

結局は、残飯屋なんて皮肉られている飯屋の安くてまずい飯を食っていたっけ。

銀貨を稼げた時は、街人が行くような店に行ったっけ。

当時の自分には何とも、高級な店に見えて尻込みして、それでも銀貨を握りしめて行ったもんだ。

懐かしくも苦い記憶だ。

エールとともに過去の苦みを流し込む。


しばらく待つといい匂いが漂ってきた。

大き目の肉に申し訳程度の野菜が添えられた大皿と、深皿に入ったスープだ。

肉は赤みが多く、脂身は少なめだ。

スープはとみると、透き通った中に肉の塊がごろごろしている。

「うまそうだ」

何とはなしに口から出てしまったが、気にすることもない。

まずはスープからいただこう。

やや透明なスープと浮かぶ小さめの肉塊。

彩で入れられたのか緑の葉物。

息を吹きかけ、冷まして一口すする。

「・・・美味い」

熱いが、美味い。

透き通ってはいるが、しっかりとした味のスープに、口に入れるとほろほろと崩れていく肉塊。

至福とはまさにこのことか。

いや、満足してはいけない。

まだメインが残っているのだ。

スープだけで満足してしまうわけにはいかない。

さて、メインのワインバーン肉の丸焼きだ。

ゴロっとした肉の塊がスライスされて、葉物野菜の上にのせられている。

傍らには、人参やジャガイモが彩程度に顔を見せている。

肉は、脂身が少ない分、硬そうにも思えるが、まずは一切れ。

ナイフを使って一口大に切り分ける。

思ったよりも柔らかく、ナイフが沈んでいく。

これは期待できそうだ。

内心、ワクワクしながら、逸る気持ちを抑えつつフォークを肉に突き刺し、口に運ぶ。

脂身はない。ないはずだ。

それなのに、口にした瞬間、肉がとろけ、舌の上を転がりだす。

いったい、どれだけの手間をかけたのだろう。

そんな他愛ないことを考えながら、エールを追加する。

口にするたびにとろける肉を無我夢中で食べ進める。

合間にスープでちょいと口直し。

エールを飲み干し、また肉に食らいつく。

気が付くと、すでに大皿の肉も後一口分。

自分でも驚くほどだが、腹具合から見て、食ったのは間違いない。

最後の一口は今まで以上に味わおうと、ゆっくりと口に入れ、咀嚼する。

噛み締めるたびにあふれる肉汁を楽しみ、肉の感触を楽しみ、喉を通る快感を楽しむ。

最後に、エールを飲み干し、快楽の時は終わりを告げた。

「あぁ、満足だ」

まだまだしなければいけないことがあるのだが、これほどの美味を口にすればどうでもよくなってくるから不思議だ。

こんな午後は、ゆっくりと酒を飲みながら過ごすもの悪くはない。

そんなことを考えながら、エールの追加をする。

願わくば、この幸せな日々が長く続きますように。

偉大なる酔いどれ賢者にジョッキを掲げて祈ろう。

あぁ、どんなことが起ころうとも、今日も今日とて酒は美味い。


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